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2025年10月1日水曜日

本州最古のカーリング場。


「御代田町を巡りましょう!」と御代田町担当者のYさん。
実は「浅間国際フォトフェスティバル」では、協賛のBRUNO社から電動自転車を借りていて、その電動自転車でアートライド/ポタリング(≒自転車散歩)も促していて、私たちにも是非体験を!という計らい。大感謝!

Yさん+私たち3人の計4人で最初に向かったのは「龍神の杜公園」。
御代田町には龍伝説があり、実際にその龍が(今も)棲みついている「大沼の池(真楽寺)」を見てきたけど、一年に一度、その龍が目を覚ますのが夏に行われる龍神祭りと言うのだからミステリー。

その後は「雪窓公園」をめぐり、更に進むと聞いていた「本州最古のカーリング場」に到着。
ご当地映画「カーリングの神様」の舞台。


「こんにちは!」とアポなしで入るYさん。
すると「あらっ〜!」と関係者が、突然の訪問にもかかわらず喜んでくださり、中へ案内してくれる。

生まれて初めて見るカーリングの現場。
ガラス向こうの目の前には3レーンあり、そこでは3組がカーリングに興じていて、でも何か見慣れない感じ。
「今は2人制のカーリングでオープンな大会の最中なんですよ。」と、いつの間にか後ろに立っていた男性が教えてくれる。

テレビやオリンピックで見ているカーリングは4人制。
その他に2人制もあり、県内外から高校生から社会人までが大会に参加していて、プレー中の叫び声(なんと言ってるか分からないけど)に(あぁ!聞いたことがあるー!)となる。

詳しいルールを知らなくても見るだけで十分に面白く、つい長居してしまった!

実は今回のポタリングは、「御代田町を写真に撮ってコラージュしましょう!」というワークショップの素材集めも兼ねていて、ワークショップは16時に終了予定!

現在時刻は15:40過ぎ。
「(ワークショップが)続いてますように!」と、アシスト全開でMMOPヘまっしぐら!

2025年9月30日火曜日

アートは常に問う。

サンデル・クースのAI拡張作品

何時間も作品と向き合っていると、(アート/芸術って何だろう?)と色々考えてしまう。
その発端になったのは、「サンデル・クース(1997年オランダ生まれ。ロッテルダムを拠点に活動する写真家。)」という作家の作品。

サンデル・クースの祖父が第二次世界大戦中にインドネシアで生まれたことを知ったものの、曖昧なまま語られなかった祖父の思い出に直面し、1940年-1990年の家族アルバムを元にAIで自らの家族史を拡張させる試みを開始する・・・。

なんだかSF映画のようだけど、強く共感したのは祖父母の生き様は断片的で曖昧にしか知らないことに悶々としていたから。

「父方の曽祖父は日本で最初にバントをした野球選手」「母方の祖母は島津家の家系で、時が時ならば・・・」など、口伝いに教えてもらったことは印象的なことが抜粋されて、職業も生活様式も知らない。だから興味がわきにくい。

知らなくても困らないけど、祖父母がいたからこそ、我が子まで脈々と生を受けてるわけで、サンデル・クースのようにAIで家族史を拡張できれば、意識ももっと変わるかなと。

でも、これはアート/芸術何だろうか?とも思ったり(個人の意見です。)
と、言うのも「森村泰昌」「澤田知子」のポートレート作品(懐かしい!)も展示してあり、好きなアーティストでもあるから「THE アート」と認知できるのだけど、AIを活用した作品も(自分を表現するという点では同じだから)新進気鋭のアートと認知される時代がくるのかな?

もう一つ。
アーティストは自分の表現技法を確立することで「他のアーティスト/作品との差別化」がアイデンティティ(自己同一性)になるから、単にAIの活用ではなく、どうAIを活用するか?が新しい作家性の鍵かもしれないと。

NY時代に課題の制作にジャクソン・ポロックのドリッピングを真似て提出したら、こっぴどく怒られたのを思い出す。

町長参加!

真ん中が小園町長。左が御代田町受入担当者のYさん。

私たちのために御代田町が交流会を企画してくださる。
JA跡地を改装したオシャレなカフェ件コミュニティスペースで、運営されているオーナーも移住者。

会場に到着すると既に10人ほどがいて、総勢15名ほどの交流会がスタート。
でも、誰が誰だか分からないまま、私たちから自己紹介。
すると、以下のようなコトが分かった。

今回のプログラムの御代田町受入担当のYさんもKさんも移住者。
今回のプログラムを企画したサゴジョーのSさんも移住者。
交流会会場まで車を出してくれたHさんも移住者。
参加者の中には地域おこし協力隊が2名いて、当然、その2名も移住者。
一緒に浅間国際フォトフェスティバルの運営をしたご夫婦も移住者。

すると全参加者の3/4は移住者と分かり、御代田町の移住促進が功を奏しているかが分かった。
でも、移住者が増えると必ず起こるのが地元住民との摩擦。

お世話になったトップリバーの役員も参加していたので「愛の壁(地元/地域への愛着が高ければ高いほど新参者に課せられる地元ルールなどの慣習の壁なども高いこと)」について尋ねると、「“有”か“無”で言うと“有”だけど、世代によって意識は異なり、御代田町をより良くしていこうという意識が共有できていれば関係ないと思う。」との返答に「その通りですね。」となる。

しばらく美味しい食事と飲み物で歓談をしていると御代田町担当者のYさんが「泉谷さん、ご紹介したいので、ちょっと・・・。」と誘ってくれて、誰かな?と思ったら、スーツ姿の男性で「御代田町長です。」と紹介されてビックリ!

「えっ!町長が交流会に参加!?」となり、小園町長と自己紹介しながら話すと、町長自身も移住者で、かつ「嫁ターン」と言われる妻の実家へ移住していることが判明して「同じですね!」と小園町長。

そこへ、フィルム・コミッションの紹介もさせていただくと、「カーリングの神様」の件もあり、興味をもってくださる。

御代田町の魅力をロケハンで発掘できる日は来るのか!

2025年9月29日月曜日

ご当地映画「カーリングの神様」。


「カーリングの神様って知ってますか?」「いいえ、知りません。」「御代田町を舞台にカーリングの映画なんですよ!」「えっー!」から始まった「ご当地映画」話。

映画「カーリングの神様(2024)」のあらすじは以下。

本州最古のカーリング場がある長野県御代田町を舞台に、大きな壁にぶつかりながらもカーリングを通して未来へと踏み出していく少女たちの奮闘を描いた青春スポーツ映画。


軽井沢にほど近い風光明媚な御代田町で暮らす高校生の香澄。
小学校時代には幼なじみと結成したカーリングチーム「みよステラ」で優勝した経験もあるが、その後チームは解散してしまった。
 

御代田町で開催予定のカーリング国際大会で地域が盛り上がるなか、香澄はエキシビションマッチへの出場を目指すべく、元チームメイトの優芽と沙帆に声をかけて「みよステラ」を再結成することになったが・・・。

いわゆる「ご当地映画(≒特定の地域を舞台に、地域が制作/撮影に直接関与して作られた映画。)」で、教えてもらうまで全く知らなかったけど、監督は本木克英さんだった!
本木監督は日本映画監督協会の理事長でもあり、「超高速!参勤交代」が個人的にお気に入り。
ちなみに監督は、富山県を舞台にしたご当地映画「大コメ騒動」も監督されている。

何がきっかけで映画化されたかは分からないけど、御代田町には「本州最古のカーリング場」があり、多くの町民もエキストラなど撮影に参加したとのこと。

ただ、御代田町にはフィルム・コミッションはなく、町を挙げて支援したとのこと(ただし、町は制作費を負担していない)。
想像だけど、興行収入は数千万円かな(ご当地映画の場合、“そこ”じゃない場合も多い)

高校生×スポーツ=青春と言えば「ご当地映画」の王道で愛媛県でいえば「がんばっていきまっしょい」「俳句甲子園」「書道ガールズ」と同じジャンル。

むっ!愛媛県は「高校生×スポーツ=青春」作品が似合う県とも言えるのね。

ラーメン大学に入学!

一単位(味噌ラーメン)を履修する。

(わかるわー!)と沁みたのは、農作業は体力勝負!
だから午後からもしっかり働くには「ガツン!」とした昼食が必要なことも。

ネギ畑の整備中の休憩時間に「おいしい店はどこですか?」と、SさんとAさんがトップリバー社員さんに尋ねる。
【持論】地元の人のおいしい!に間違いはない。

いくつかの店を教えてもらい、いざ行こう!と思ったら14時前で「おいしい!」と教えてもらった店の多くが14時までがランチ営業。
その中で唯一、営業中だったのが「ラーメン大学」。

あれっ!?以前、神戸市で「ぎょうざ大学」に行ったことがあるけど・・・全くの別店。
ラーメン大学は長野県内に数カ所あり、その中でも訪れたラーメン大学は美味しいと評判(役場の方も言っていた。)

「入学しちゃう?」とアホなことを言いながら店内へ。
腹ペコでメニューの全てが美味しく見えて、つけ麺、チャーシュー麺などに迷いながらも、店の一番推しだった「味噌ラーメン」にAセット(餃子5個+ハンライス)を私は注文する。

待つこと5分ほど・・・。
野菜たっぷり、メンマにコーン、肉、ワカメに太麺の味噌ラーメン!到着。
酢醤油たっぷりの餃子を頬張りながら白米をいただき、体力回復飯をいただく。働いた後だったから、ホント美味しかった。

SさんもAさんも辛いラーメンにそれぞれ、Aセット、Bセット(半チャーハン)をつけていたけど、完食で「食べた〜!満腹」と大満足。

でも、その帰りに二人はアイスクリームを買っていて、「デザートは別腹は本当だった。」と確信したのはナイショ!

一単位(味噌ラーメン)の履修終了!

2025年9月28日日曜日

色々な働き方。

浅間山をバックに30分間の休憩中。

レタスの収穫を終えて、トップリバー社へ戻り、皆んなで朝食。
従業員の方々から見れば私たちは“不思議な人”にしか見えず、その通り。
ワーキングホリデー/ワーケーションと伝えると(な!なんだその働き方は!?)と驚かれる。

でも、トップリバー社の働き方を教えてもらうと今度はこっちが驚く。
「基本5時から17時まで。途中、2時間の休憩があります。」
「休憩時間は多くの人が家に帰ります。」
「冬場(12月から2ヶ月ほど)は野菜は育たないので長期休暇になります。」
「長期休暇の時は社員旅行があり、海外などへ行きます。」など、聞いたことがない働き方&充実の福利厚生にビックリ。

余談はお世話になった2日間、偶然にも福利厚生の一環でマッサージの提供があり、仲間のSさん、Aさんは全身マッサージをしてもらってた。

朝食後は、今度は場所を変えてネギ畑の整地。
ネギがおいしく成長できるよう雑草抜きなどをするも、これは戦い。

「雑草という名の草はない。」と言ったのは植物学者の牧野富太郎博士。
その通りなんだけどネギが育つための栄養を取られてはネギは育たない。

小さい花、タンポポなどを見つけるも抜かせてもらい、すると、その合間から緑や茶色のカエルがピョンピョン出てきてマルチの上を跳ねる。

ネギを守りながら、栄養を奪い取る草花を抜き、さらに足元のカエルを踏まないようにすると「はい、どいて!」「危ないよ!」など独り言が多くなる(笑)。

陽も高くなり、標高900mほどだから涼風を感じるも暑い!全身に汗をかいて、へたばった頃合いに30分間の休憩が入り生き返る。水分補給、お菓子を食べてしばしの団欒。

これも、撮影現場と同じ。撮影現場でも制作部が用意してくれる飲み物や菓子、差し入れが提供される。

休憩後は再び格闘して、ヘトヘトになったら時刻は11:30過ぎ。
再びトップリバーに戻ると、見慣れぬ車が横を通り、「タイミーですが駐車場はどこですか?」とシニアのおばさま。

(タイミーの方も働きに来ているのか!)と、働き方の多様性、広がりを実感。

朝5時に出発!

朝5時、収穫に出発!

朝3:30分起床。朝(深夜)風呂に浸って、やる気の熱量あげる。
「晴れたらいいね!」が24時間風呂に入れて本当に良かった!
朝4:40にトップリバー社へ出発。

到着した4:55には写真のように、何台もの軽トラなどが出発準備を整えていて、準備が完了した車両から出発(そうでないと、後続の軽トラなどが出発できない。)

んっ!?(この光景、何かに似てるぞ!)と思ったら「撮影現場への出発」と同じでした。
映画撮影などは朝早くに準備を整えるので、収穫への出発が制作部と重なってしまう職業病。


我々が乗り込んだハコバンも収穫に出発!この時期はいくつもの畑へチームごとに毎朝、出発しているとのこと。こうして新鮮で美味しい野菜が食べられること、感謝です。

ハコバンは20分ほど走り、標高1,000mほどの畑に到着。辺りは一面のレタス。
これまで、柑橘、玉ねぎ、庄大根、キュウリ、白菜などの収穫はあるけどレタスは初めて。

カマを片手に教えていただいた通りに根本を水平に切り、球を包む外葉を2-3枚残して茎を再度切り、切り取った外葉を土の上に適当に敷いて(でないと出荷レタスに土がつく)、外葉で球を包み切口を上にして置く。

作業中は基本、無言なので黙々と作業なのだけど、太陽があがり、陽がさすとレタルがキラキラする(朝どれの美しさ)ので、素人は声をあげてしまう。
そんな様子を毎朝収穫作業をされている従業員さんたちが温かく見守ってくださる、大感謝。

畑にズラリと並ぶ収穫されたレタスたち。
すると、レタスにシャワーをしていて(汚れ落としかな?)と思ったら、それもあるけど切口から出る白い乳液を流すのだそう、この白い乳液を放置すると切口がピンク色になるとのこと(スーパーで見たことのある根元がピンク色は、乳液なのか!)と合点。

次は箱詰め。
コンテナに計12個の球詰め。これが簡単のように見えて難しい!と、言うのも新鮮なレタスの葉がパキッ!と割れそうになるから。

どーにかこーにか詰め込んだレタスを最後はトラックに詰め込んでレタスの収穫作業終了!
時刻はまだ7時過ぎ!朝陽を燦々に浴びて自分も光合成。

朝獲れレタス

2025年9月27日土曜日

青ネギ選果。


スーパーや産直市などで見かける「青ネギ」。
根本の部分はツヤツヤした白色で、瑞々しさを感じるのは(洗っているからなんだろう)と、勝手に思い込んでました。

MMOPから場所を移して今度は「トップリバー」という農業法人にて援農体験。
内容は「青ネギの選果」。
任されたのは2種類の作業で、一つが収穫された青ネギの皮を落とすこと。

収穫されたネギは土、他の植物、余計な皮などがついているので、全て落とすのだけど、ここで「洗浄(洗い落とす)」と思っていたら、「ねぎアジャスター/かんぴら小僧」という名の超強烈エアーコンプレッサーにネギを入れると、センサーが反応して、超強力な圧縮空気が瞬時に出てネギの皮など余計なものを一気に吹き飛ばしてくれる。わずか1秒ほど。

本当に“吹き飛ばす”という表現がピッタリで、余計なものは向こうへビュッ!と吹き飛ぶのが快感になるほど。

もう一つは「葉先の調整」。
変色してしまった葉先を切って整えて、箱に入れて11.2-11.3kgまで到達したら一箱終了。
これも慣れてくると、親指のスナップをきかせてプチ!プチ!と、上手に切れるので(もしかして、私は上手?)と勘違いしたほど。

選果待ちの青ネギが入ったコンテナは山積みされていて、時間までひたすら作業。
すると我々よりも後に来た3人組が作業を終えて周りを片付けて「お疲れさまでした、ありがとうございました。」と言って帰って行った。

???と思ったら社会福祉法人?のようで、他にもタイミーの方もいたり、インドネシア、ベトナムからの技能実習生もいたり、日本の農業って色々な人、色々な関わり方で成立してるんだなと。

我々は5時終業。
時間になったので周り吹き飛んだカスを集めて掃除して、「来た時よりも美しく。」で終了。
いよいよ明日は5時出発でレタスの収穫へ!

いつもとは違う視点で。

作品を観ながらバターチキンカレーを食べる。

普段は来館者だから、自分の時間としか接点のない美術館だけど、運営要員として終日携わると人それぞれ、色々な思いで来館されるんだな・・・と気づく。

今年の浅間国際フォトフェスティバル2025は、8月2日(土)から9月30日(日)までが会期。あと4日!チケットを1回購入すると期間中、何度でも入館できる!

全体のキュレーションはアマナなので、写真好きからすると「どうしてアマナがキュレーションで入ってるんですか?」と聞きたくなるし(この時は御代田町担当者のYさんに繋ぐ)、撮影好きの人は必ずカメラを携えていて「館内は撮影OKですか?→はい、OKです。」となるし、以前から浅間国際フォトフェスティバルに訪れている人は「今年のは面白ね。」と感想を伝えてくれる。
ほんと、人それぞれに鑑賞スタイルがある。

そんな中で、腰の曲がったお婆ちゃん2人とお爺ちゃんが来館されて、首から入館証をさげていて、「お邪魔します。」とお婆ちゃん達。

「ほー!これは何かな?」「これは面白いね。」「ふーん、変わってるね。」など、観た感想を(たぶん無意識)口に出すから、聞いていて面白くて観察。

20-30分ほど鑑賞されて帰る際に「前の美術館から来てるけど出口が変わっとったね。」とのことで何かと思えば「メルシャン時代の美術館は出口が違っていたようです」とYさん談。
お婆ちゃん達はそんな昔から美術館に来ていた(アートに触れていたんだ)と(へっー)となったり。

他にも「美術館の中で撮影」もニーズがあると発見。
2組が訪れて、2組ともモデルさん?を作品の前や館内に立たさせて静止画や動画を撮っていて、美術館は雰囲気がいいからファッション誌系でもタウン誌系でも良い絵が撮れるよなとメモメモ。

休憩時間。
昼食はバターチキンカレーが用意されていて、作品に囲まれながら食べるという心地よさを味わう。
さて、閉館までもう少し! 

2025年9月26日金曜日

浅間国際フォトフェスティバル。

オープン前の美術館で作品だけが輝く。

「晴れたらいいね!」の風呂は2つあり、利用する際は札を「使用中」にすると1階、2階にあるランプが緑→赤になり、視覚的に分かるので非常にいい!と一人感心する。
それも24時間、いつでも貸切なのでサイコー!

夜は一日の疲れに風呂、朝は目覚めスッキリに風呂と、普段はシャワーのみで過ごしているので、ここぞとばかりに風呂を満喫中。

朝風呂から出れば周囲を散歩。でも、辺りは山道、坂道、それに標高も高く(900m以上)、最低気温は12-3度と冷える朝。

自生している栗の大きさに写真を撮っていると、軽トラックが通り過ぎて止まり、降りてきた人に怪しい目で見られる(そりぁ、そうだよね。普段は見かけないオッサンが一人だもの)。

「おはようございます。ペンションに泊まってます。」と先に声をかけて「おはようございます。」と、返してくれたのは朝の収穫にきた農家さん。

朝食は前日に買ったパンを食べてコーヒー飲んで、朝の作業を終えたら準備を整えて二人と合流としてMMOPヘGO!

改めて教えてもらった役割は「浅間国際フォトフェスティバル」の運営要員。
・入館証の確認
・質問などへの回答
・館内の見回り
・ゴミなどの清掃
・アンケートの案内など

(役場の隣に美術館があるっていいよなぁ)と思いながら、オープン前の美術館へ。
オープン前って独特の静けさに包まれていて特別感があっていい!

浅間国際フォトフェスティバルのオリジナルTシャツ(2,900円/枚)が支給されて、スタンバイ。
私たちをフォローしてくれるアルバイトスタッフ、実行委員会メンバー、作品展示&キュレーションをしているアマナメンバーにも挨拶して、所定の位置へ。

オープンを待っている人が既に数人いるではないか!

6泊する宿に到着。

与えられた部屋で6泊

初対面の二人+一人(御代田町担当者)だったのに、予想もしなかった共通点がありワイワイ話せて(何も始まってないけど、今回も良い機会になるな!)と直感。

初日の夜は懇親会も含めて連れて行ってもらったのは辺りではにぎわい洋食屋さんで、シーフードドリアをいただき、自己紹介は続く。

御代田町担当者のYサンも御代田町への移住者、民間事業者から役場へ転職。
Sサンはダンサーで撮影現場ではないけどお手伝いの経験があり、フィルム・コミッションを知っていた。
Aさんは結婚したばかりの超ホヤホヤ期。結婚を機に沖縄へ移住した。

御代田町は移住促進も狙っているようで、軽井沢ブランドも活用したいとのこと。
ちなみに現在の御代田町長自身も御代田町への移住者とのことで、移住(者)には理解が高いとのこと。

移住に定義がないのは、人それぞれに目的や生活様式が異なるからで、住民票を移したという狭義から年に一回でも訪れるという広義で捉えてもいいんだろうなと気づいたのはワーケーションの成果。

食事会も終わり、いよいよ6泊間お世話になる宿へ。
車で進んだのは結構な山道で、そもそも御代田町は標高900mほどの所にあるので、それよりも確実に高い場所。

「晴れたらいいね!」というペンションがお世話になる宿で、(「晴れたらいいね!」というTV番組があったのを思い出す。)

「お風呂は24時間利用、洗濯機もある。部屋は一人利用。」とのことで通された部屋は一人には十分過ぎる広さ。シンプルでいい!

早速、一日の疲れを癒しに風呂に行こう!

2025年9月25日木曜日

記録の目撃者。


そうですか。「劇場版鬼滅の刃「無限城」編第一章」の全世界興行収入が823億円以上となり、日本映画として歴代興行収入一位映画となりましたか。

北米市場では既に1億ドルの興行収入を突破、891万人以上が鑑賞してるとのこと。
映画館での熱狂(叫んだり、拍手したりなど)の様子がYoutube映像などで勝手に流れてくるものね(でも、これは劇場での盗撮になるのでダメ!絶対にダメなこと。)

日本の興行収入は9月22日までの公開67日間で341億円を突破、2372万人以上が鑑賞しているとのこと。
日本の人口が1.2億人だから、人口の5人に1人は「劇場版鬼滅の刃「無限城」編第一章」を見ている計算!

でも私は未だ観ていないし、周りにも観ていない人がいるから、一人で複数回の鑑賞者がいることが推察できる。推察というか事実。

漫画では完結しているのに、結末を知っているのになぜ何回も観るのか?
ココ大付属学園の時に子ども達に尋ねたら「お父さん/ お母さんと1回、おじいちゃん/おばあちゃんと1回観た。」を思い出す。

この時点で両親+自分で3人分、祖父母+自分で3人分の計6人の動員=計7,000円ほどの興行収入という感じか。

「劇場版鬼滅の刃「無限城」編第一章」は、404億円以上の興行収入を記録した前作「無限列車編」を超えるでしょうか?」は、10月7日(火)17時過ぎから放送の「ひめゴジ!」出演に合わせての打ち合わせでディレクターの松下さんの質問。

「前作の無限列車編は2900万人以上が鑑賞したので、今作品でも続きとして多くの人が観ると予測するのは妥当かと・・・」は私。

現在、341億円だから404億円を超えるかもしれないし、この先、第二章、第三章があるとのことなので、日本の歴代映画興行収入の1位から4位までは「鬼滅の刃」となるのね。

聖地巡礼はどこになるのだろうと?と考えたり。

初めまして御代田町。

MMOP敷地

今回、お世話になる御代田町について、情報を入手してこなかったので庁舎の洗練さに驚き、かつ辺りは緑で樽や醸造などのモニュメント?もあり、(あぁ、長野県はウィスキーも有名だもんな)と、飲めないのに知っているのは「ブランド力」。

担当のYさんに教えてもらったのは「この辺りはメルシャン(2010年にキリンHDの完全子会社になり上場廃止)の醸造所、美術館などがあった一帯で御代田町が買い上げて整備をし直した。」ということで、???だった謎(綺麗に整備された周辺、樽などのモニュメント)が解明。

で、敷地内には美術館もあり、リニューアルしたのが「MMOP(MIYOTA MUSEUM of PHOTOGRAPHY)」という御代田写真美術館。
なぜ、写真美術館なのか?は「アマナ(画像ライブラリ)」との縁が以前からあったからとのこと。

MMOPには美術館だけでなく、レストランやカフェ、雑貨店なども店を構えていて、ものすごく素敵な空間で、休憩所/公園と言えるかな。

屋外にも作品が展示されて、敷地への入場は無料。美術館は有料という、近くにあったら通うという雰囲気。

そんなMMOPで6年前から行われている「浅間国際フォトフェスティバル」のお手伝いが、今回のミッションの一つ。

お手伝いメンバーは私以外に2名(計3名)で今回も応募多数の中から選んでいただき、自己紹介をすると、「私、鬼北町のワームス(コワーキングスペース兼宿)を利用したことあります!」というSサン、「私、沖縄観光コンベンションビューローで働いていたので沖縄フィルムオフィスを知ってます!」というAさんだった!

奇遇とはこのこと。
数分前までは会ったこともない、話したこともない人と共通点があるって、ご縁。

更に言えば、私たち3人はサゴジョーというサービスを利用した共通点、御代田町担当者のYさんも移住者という共通点まで見つけることができるのだから、初対面なのに共通点の多い私たち、ワイワイ!なる。

2025年9月24日水曜日

ブランド力。


旧軽井沢通りは両脇に色々なお店がズラリと軒を並べ、観光地によくある光景。
京都の清水寺へあがる「三年坂」のよう。

愛媛で言えば、道後温泉界隈、ロープウェイ通り界隈のような雰囲気で、売っているモノやサービスは他と大して変わらない(軽井沢一長〜いカレーパンなどの変化球は多かったけど)のに、名称に「軽井沢」と銘打つだけで、オシャレに箔がついたように見えるのは軽井沢という名称がブランド化している証拠。

外国人宣教師が海外にむけて軽井沢を避暑地として紹介して以来、130年以上経っているからブランド化されて恩恵を得ているのは、道後温泉も同じコト。

お土産屋に入れば、ほぼ全ての商品に「軽井沢」の名前が入っていて、消費者は訪れた証拠&満足感に「軽井沢」の文字が入った土産を買う。

実は私も「軽井沢 くるみモナカ」を買ってしまった(笑)。
軽井沢でしか買えない証&満足感として、そして「ご当地モナカ愛好家」として、自分の買い物を正当化(爆)。

はたして「くるみモナカ」だけだったら買ったかな?ご当地モナカを集めてるから買わなかっただろうな。

そんな軽井沢のブランド力は広く波及していて、しなの鉄道の「軽井沢駅」の隣は「中軽井沢駅」、今回お世話になる「御代田町」は「西軽井沢」とのこと。
ついでに群馬県嬬恋村辺りは「北軽井沢」と言うらしい。長野県じゃなくても、あやかりたいブランド力ということか。

愛媛でも「奥道後」「東道後」がある「道後」が同じかな。
そんな事を考えながら御代田駅に到着。
10分ほど歩くと(これが御代田町役場?)と目の前に現れた建物にビックリする。
なんで酒樽(写真右端)があるの?

初めての軽井沢。


集合時間まで2時間あったので、御代田駅を通り過ぎて軽井沢まで来てしまった。
軽井沢なんて、自分には縁遠い所と思った昭和人。
と、言うのも時間もお金も使って“わざわざ”訪れる避暑地と思っていたから。

軽井沢駅に到着。駅前に着くもイメージと違う。洒落た駅前だけどフツー。
周辺地図を見ると、軽井沢だけど“ココ”ではなくて、徒歩15分先が“旧軽井沢通り”というメインストリートのようで出発。

歩いている最中に気づいたのは3つ。
<レンタル自転車屋が多い>
→平地が多いからか、距離を気にする人が多いからか、レンタル自転車が多く、電動自転車2時間1500円、電動無自転車1時間300円、(自転車借りたら)荷物預かり料無料、タンデム自転車1時間500円など各店で趣向を凝らしていて、ニーズがあれば商売は成り立つと見る。

<犬連れがとても多い>
→軽井沢=犬なのか?ステータスなのか?リードをつけている犬、カゴに入っている犬、カートに乗っている犬など、犬種も色々だったけど、すれ違う半数は犬連れだったような。
だから、犬同士の吠え声もしょっちゅうで、人間社会と同じで犬社会も挨拶あるのね。

<外国の味が多い>
→韓国、中国、ドイツ、フランス、イタリア、アメリカ、イギリス、インド/ネパール/スリランカ、そして日本(和食)と、各国の味を提供する店があった。

軽井沢は明治時代にカナダ人宣教師のショー氏が避暑地として海外に紹介して有名になったという背景を知ると、だからなんだ・・・と理解したような。

そんなコトを思いながら、旧軽井沢通りの入り口?のような所に到着。
目の前に映ったのは、これまでの道ですれ違った人の10倍はいそうな勢いで、老若男女、それに外国語も飛び交う光景&雰囲気にビックリ!

これが軽井沢ブランドかと。

2025年9月23日火曜日

サマーウォーズ聖地巡礼。

「陣内家」の門としか認識してなかった。

1583年に真田昌幸によって「上田城」が築城。1622年に真田信之が松代に転封されるまで、強国たちに挟まれながらも戦国の世に名を残した真田家は、徳川軍を2度も退けた話が有名。

第1次上田合戦は、徳川家を裏切った真田への成敗として勃発。約8,000の徳川軍に対し真田軍は約2,000で迎え撃ち、人数では徳川軍優勢だったが、真田昌幸の策略で徳川勢は大惨敗する。

第2次上田合戦は、関ヶ原の戦い。上田城を受け渡すと約束したにもかかわらず譲らない真田昌幸に、徳川秀忠が大激怒!上田城へ攻め込むも惨敗。この結果、徳川秀忠は関ヶ原に1週間も遅れて到着するという大失態をする。

そんな中で真田幸村/
信繁は、豊臣家の家臣として徳川軍を相手に大活躍する。
大阪冬の陣では「真田丸」という出城を築き、徳川軍を退け、大阪夏の陣では徳川家康本陣まで突撃したものの逃げられてしまう。

ただ、真田幸村/信繁自身は、大阪夏の陣の最中、1615年5月7日に敵方に打ち取られてしまう。

そんな真田幸村/信繁には、「真田十勇士」という家臣(猿飛佐助、霧隠才蔵、三好清海入道、三好伊左入道、穴山小助、由利鎌之助、筧十蔵、海野六郎、根津甚八、望月六郎)がいたと言われているが、これらは明治・大正時代に刊行された立川文庫による登場人物で、歴史的な内容を参考にしているものの伝承上の架空の人物。

上田駅から上田城へは徒歩15分ほど。
その道中には、真田家の家紋「六文銭(仏教の六道/地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の世界を意味し、死者が三途の川を渡るための渡し賃)」があちこちに見られたし、真田十勇士の紹介も10箇所にあったり。

名作「サマーウォーズ」の主人公、篠原夏希の曽祖母、陣内栄おばあちゃんの家の門は「上田城の東虎口櫓門」としか認識してなかったから、一つ賢くなった件。

上田市の朝。

まさ子おばあちゃんのてづくり惣菜

小諸駅から「しなの鉄道」に乗って移動日のゴールは上田駅、約20分の距離。
途中には駅員の無人駅もあったのに、上田駅は新幹線が止まるので巨大駅。
JR松山駅もよりも断然、大きかった。

結局夕飯は、辺りで物色するものの(食べた後は作業しかないし・・・明日の朝食を楽しみにしよう!)と、コンビニでおにぎり買って、夕食は終了。

ホテルは昭和時代の佇まいと香りが漂い、その面影もたっぷりある建物で、案内された部屋は何故かフロントと同階の、わざわざドアを開けて進んだ通路の奥の部屋。

昭和漂う部屋は一人には十分な広さで、はて?と思い、ドアに貼ってあった緊急避難経路図を見たら他の部屋の1.5倍の広さだった。大感謝!

そんな部屋で快適に作業は進む(この一週間を円滑に過ごす為に作業環境大切)。
ひと段落すると腹が減るも翌朝の朝食をいっぱい食べることを想像して就寝。

ガサガサ、カン!などの鋭い音で起きたのは5時過ぎ。
(なにごと!?)と思い、カーテンを開けたら外国人スタッフがゴミの分別してました。

朝食は6:30から。シャワーを浴びてスッキリして、朝のルーティンを済ませて食堂へ行くと、レトロな昭和雰囲気の食堂で、サラダ、卵焼き、鮭、野菜炒め、湯豆腐などが並べられていた一角に「まさ子おばあちゃんの手作りお惣菜」といコーナーがあり、「ほうれん草胡麻和え、蕗と筍の煮物、金平ごぼう」をゲット!

(そうそう!こんな朝食をイメージしてた!)と腹ペコだったので、全ていただく。
チェーン店もいいけど、こういう地元の人のてづくり料理もいい!どれも美味しかった。

「いらっしゃいませ!」「ありがとうございます。いってらっしゃいー!」と威勢よく声がけするおばあちゃんがいて、きっと「まさ子おばあちゃん」と思うも「ごちそうさまでした。」としか言えず、でも完食したからOKということで。

2025年9月22日月曜日

相変わらずのドタバタ。

野沢菜おやきと小諸ロイヤルホテル。

松山駅から高知駅までは、電車で行くのもアリだけど、高速バスの方が「乗れば(自動的に)終点に着く」ので、基本的にはバス利用。所要時間は2時間40分。運賃は片道4000円/人。

新宿のバスターミナルから長野県小諸駅まで2時間55分。同等の所要時間で運賃は片道2900円/人。
運賃差はともかく、地図を見る限り八王子駅からバスが出ていれば数十分は短縮できるのに、そんな都合のいい話はなくて遠回り。

そんなバスは12時30分過ぎに出発。都心から高速道路に入り、ガンガン走ると東京都を出て埼玉県に入ったと思ったら、いつの間にか群馬県に入り、しばらく走って長野県に入った。
海無県の長野県。しかし、7つの県と隣接している唯一の県でもある(隣接している県が最も多い)。

そして、バスの終着駅は小諸駅。
時刻は15:30過ぎ、昼食を食べていなかったので、名物「小諸そば(すり潰したくるみのペーストをつけ汁に混ぜて食べる)」を食べよう!と思ったら駅前は静かで閑散としていて、Googleマップに表示された多くの蕎麦屋は15時閉店だった・・・。

(日曜日の16時頃って微妙な時間帯だな。)と思いつつ、今日のゴールは小諸駅ではなく上田駅だし、乗る電車は30分後なので何かないかな?と探していたら、「おやき(長野県の郷土味で野沢菜などの具を包んで焼いた饅頭のようなモノ)」をみつける。

餡は主に野菜で、色々あって選べず「オススメは?」と店員さんに尋ねると「やはり、野沢菜ですね。」の提案に即決。
390円の「野沢菜おやき」をテイクアウト。

食べる場所を探していたら、「小諸ロイヤルホテル」というレトロな雰囲気の建物を見つけて、記念写真。
(ロゴや外観はセットみたいだな)と思いつつ、頬張っていたら「長野行き各駅停車、まもなく発車です。」とアナウンスが聞こえて、大慌て!

残りの「おやき」を急いで口に放り込んで、改札口に向かいSuicaで通ろうとしたら、「しなの鉄道」はSuicaが使えず!

切符売り場へ戻って切符を買い、スタンプ押してもらうも電車はどこ?と思ったら、連絡通路を渡った先だった!急げー!

憂いごと。


「〇〇駅、〇〇温泉、〇〇城、〇〇商店街で撮影できますか?」
「どんな撮影プランですか?」
「〇〇という会社のコマーシャルです。」
「撮影されたら、どこで放送ですか?」
「TikTok、Instagramなのでネット広告になります。」
「撮影はいつ頃を予定ですか?」
「9月下旬です。」
「えっ!もう9月中旬ですから、ロケハンはされますか?それともナシですか?」
「(ロケハン無しは)マズいですか?」
「いや、ロケ地を決めないままの撮影は、トラブルが起こりやすいので・・・。」
「そうですよね・・・。」
「ちなみに、何人くらいで撮影を予定されてますか?」
「多くて2名です。」
「撮影日時、撮影内容、撮影体制などが書いてある企画書、概要書はありますか?」
「ないです。」
「じゃあ、作成できたら送付ください。その内容に返信しますから。」
「分かりました。」と会話が切れる。

あれから1週間以上たったけど連絡ナシ。
撮影(発信)していただけるのは嬉しいし、自分たちで撮影許可などを段取りできるなら、フィルム・コミッションに撮影相談は不要。

だけど、やりとりから不安になるのは、小さなカメラで観光客と同じように無許可で撮影するのかも(個人撮影は思い出の範疇、無償性は問題ナシ。でもマナー/プライバシーは存在する)。

だけどFCへの相談(連絡)を「許可取り済み」と、自分たちに都合よく勘違いして何かあったら、FCの名前を出すこと。
知らない、分からない、想像すらできないコトに巻き込まれるほど困ったコトはない。

そうであって欲しくない・・・と願いを込めてる。

2025年9月21日日曜日

色々と待ったナシ。

2,400円のランチセット。

映画館の窓口で「大人一枚、子供一枚。」と告げたのは、お婆ちゃん。子供と言ったのは初老の男性だった・・・。というエピソード(色々な枝話がある。)をなぜか思い出した件。
要するに親にとって子供は成人していようが歳をとったとしても子供は子供という話。

父と叔父たちの3人組は全員85歳以上。
話を聞けば相変わらず元気のようで、また一緒にお出かけを計画しているようで、息子から見れば元気なお爺ちゃん達だな・・・と。

「昼食でもどうですか?」と誘ったら、「ご馳走するよ!」と父。
中華料理店と言うので店前に着くと、「フカヒレスープなんてどうだ?」と、ビックリする値段を指差すから「いやいや、ランチセットで十分だよ。」と制止(笑)。
同じランチセット(写真)を注文、食後のデザート(杏仁豆腐)がついて2,400円/人。

悪口でもディスりでもないけど、近所の「梁山泊」「元帥」も十分に美味しいとわかる。
「香港」なら2,400円/人で食べきれない程の量だろうな・・・と思った小市民。

話を戻して。
近況などは電話でも伝えられるけど、こうして時間と場所を確保して直接伝えた方が喜ぶのが親というもの。そして、色々と考えさせられるお年頃になっている父と私。

普段は離れているので隣町で暮らしている姉夫婦にお世話になりっぱなしだけど、息子として50代を過ぎた人間として直視しないといけない、後回しにしてはいけないコトが近づいていて、正解も不正解もないから悩ましい。

話が煮詰まったので「コーヒーでも飲もうか?」となるも、スタバしかなく、85歳が「コーヒーを2つちょうだい。」と53歳の分も注文してくれる(笑)。

そして、お土産まで持たせてくれ、再会を約束して別れる。
色々と待ったナシが近づいてくる。