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2026年10月31日土曜日

最後の最後まで愛媛味。


客人は私が聞きたかったことを分かっていたので「もう腹パンです。」から始まった会話。
朝8時過ぎに『HIYORI HOTEL』へ向かい、2階ロビーで待っていると客人が降りてきた。

今回、『焼豚玉子飯』を未だ食べれていなかった客人。
でも、『HIYORI HOTEL』の朝食ビュッフェでは『焼豚玉子飯』のほか『鯛めし』『じゃこ天&じゃこカツ』『海鮮丼』『みかんジュース飲み比べ』『坊っちゃん団子』など、愛媛味が食べ放題で、そんな朝食をPRしていたから、客人を通して確認したかった私。

すると、「実は無料の夜食も用意されていて、鯛茶漬けができたり、丼にもできたんです。」と客人。だから腹パンな客人、おそるべし『HIYORI HOTEL』のサービス。

8時30分の営業開始に合わせてロープウェイ/リフト乗り場へ、『HIYORI HOTEL』から約8分。
迷わず東雲口駅からリフトに乗って約5分、途中、足をバタつかさせながら長者ヶ平駅に到着。
長者ヶ平駅から山頂広場まで、写真を撮ったり景色を見ながら歩いて約15分。

山頂広場からの眺めは、何回見ても素晴らしく「いやぁ、松山、本当にいい所だなぁ」と感嘆の客人。松山城の外壁沿いに一周した頃は9時15分頃。

「ちょうどいい時間だから、降りましょう!」と声をかけた理由は、9時30分から『霧の森大福』がオープンするので買いに行きたいと聞いていたから。

この日は平日、開店早々は混んでないだろうと思ったけど、行列は困るので妻が「並んでおくね」と連携プレー。
帰りもリフトで東雲口駅に着くと「お店がオープンしたよ。何時に店着ですか?」と妻から連絡。

「ロープウェイ駅舎を出たので3分で着きます。」と伝えて間もなく、行列が見えたのは『霧の森大福』だった!
「お待たせ!」と伝えると、妻は前に並んでいる女性と話していて、その女性は韓国からの一人旅で、『霧の森大福』を知らずに人だかりを見て並んだとのこと。

「松山で訪れるべき所を教えてください。」と韓国からの女性旅人。
道後は知っていたようで、あーだこーだ喋っている間に店内へ通されて、私と妻は行列から離脱して客人たちに任せる。

『霧の森大福』を買ってご満悦の客人達と『HIYORI HOTEL』で合流したのが10時。
松山空港発の飛行機は11時30分。いよいよお別れの時。

タクシーで松山空港へ向かった客人からの最後の写真は、松山空港で食べた『霧の森大福』。
私たちの分も買ってくれていたので、我々もアパートへ戻りコーヒーを飲みながらいただき、客人をもてなした愛媛/松山旅はおしまい。ごちそうさまでした。

2026年10月30日金曜日

最後の夜は。

私が注文した『アンバーエール』は銅マグで提供された

大三島から今治サービスエリアで買い物と休憩を挟み、17時過ぎに松山に戻ってきた。
南予旅、東予旅の往復を運転してくれた妻に大感謝!私の役目と言えば、妻が眠気に襲われないよう、黒飴の袋から取り出して渡したり、眠気が吹っ飛ぶ強烈フリスクを渡したり。

海鮮丼、鯛の煮付け、南蛮漬けを食べて、塩ソフトクリームも食べたけれども腹は減る。
しかし、大街道を歩いても全国チェーン店が多く、愛媛/松山味を出す店が見つからない。
さまよいそうになった時、横道に入ったら地元店『艶吉』が見つかり迷うことなく入店。

楽しかった3日間はあっという間に過ぎてしまった。
でも、充実していたから振り返るだけでも楽しく、あーだこーだとそれぞれの感想などを共有。そして「次回の愛媛旅では今回、行けなかった大島巡りをしよう!」となる(笑)

普段の客人は東京でモーレツに仕事(職業上、夜中までの激務も多いとのこと)をしているから、瀬戸内海やしまなみ海道、自然豊かな眺めに癒されたとのこと。
そして、日本海側出身の客人は地元の味とは違う瀬戸内の魚にもご満悦。

そんな客人と最後に囲んだ夕食はローカル居酒屋でのローカル食事で乾杯。
次々と運ばれる料理に「もう、愛媛/松山、大好きです!」と客人。これで関係人口(≒愛媛ファン)をまた一人獲得した(笑)。

サクッ!と食べ終えて店を後にした理由は、もう一軒、行く所があったから。
それはANAクラウンプラザホテル14階のスカイラウンジ。

自分たちだけでは行こうとしない(選択肢にない)場所なんだけど、ココは30年前に妻と私の結婚パーティーをした場所。いわゆる“大人の社交場”。

そんな所を指定したのは80歳を超える義母。
夜遅い中、一人で街中まで出てきてくれて客人も大喜び、しっとり&ゆっくり時間を過ごす。

ちなみに私は『アンバーエール(洋梨シロップ+レモンジュース+ジンジャーエール)』というモクテルをいただく。

これで概ね、観光ガイドは終わったのだけど、翌朝は未だ訪れていなかった松山城へ行こう!と約束していたので、最後まで思い出深い愛媛旅をプレゼントする!と別れる。

2026年10月29日木曜日

この味を食べずに帰れるか!

ブラッドオレンジ塩が甘さとクリーミーさを引き立てる!

自分が知らないだけで、世の中には色々な「おみくじ」があり、大山祇神社で参拝した際、客人が選んだ「おみくじ」は「武将おみくじ」なるモノで、内容は全部で60種類あり、その中から「伊達政宗を引きました!」と客人。
ちなみにウェブ情報だと、おみくじだけど、トレーディングカードとしても使えるとのこと。なんでもアイデア!

その後、9月にも行った大山祇神社奥の『生樹の御門(いききのごもん)』をくぐり、ご利益をいただき、次は『伯方の塩 大三島工場』へ向かう。

前回、『伯方の塩 大三島工場』へ行った時の記憶さえないほど久しぶりの訪問。
「知ってた?“は♪か♪た♪の♪し♪お♪”ってカラオケランキングで上位なんだって。」という情報を全然知らなかった私。カラオケと言っても数秒の歌?世の中、不思議だらけ。

そんなこんなで、『伯方の塩 大三島工場』の入口には“は・か・た・の・し・お”と、叩けば鳴る♪チャイムが置いてあり、お約束で叩いてみて安堵する。訪れた人は全員鳴らすはず。

工場に来た目的は、工場見学(無料/約30分)ではなく、実は「伯方の塩ソフトクリーム(500円)」を食べたかっただけ。

以前は亀老山展望台に塩アイスがあったけど売店がなくなり、伯方島でも塩ソフトは食べれるけど、島へ降りないといけない。ならば現地にいるから本場で食べるでしょ?という選択。

食券を渡すと、女性スタッフから「コーンかカップか?」を尋ねられ、コーンと伝えると手際よくソフトクリームが巻かれ、「塩(食感のあるカリカリした粗つぶ塩/ブラッドオレンジが混ざった色味のある塩)はどちらにしますか?」には「ブラッドオレンジで!」と答える。

現地/本場で食べるから20%ほどの“盛り/増し”感があるけれど、口に広がった美味しさはミルクの濃厚さとブラッドオレンジの柑橘を感じる塩っぽさが絶妙で、お世辞抜きに美味しかった。客人も妻も「これは美味しい!」と絶賛。

食後のデザートに満足した後は売店で物色。
食べ物だけかと思ったら石鹸も売ってるのね。
ちなみにメーカー直売だからか、どの商品もお値段はちょっと安かった(と思う)。

参道を歩き、海鮮丼を食べて、神事を見て、ご利益いただいて、塩ソフトクリームいただいて大三島を満喫。
この日も17時頃にはホテルに戻ると決めていたので、そろそろ松山へ帰りますか!

2026年10月28日水曜日

15種類の具材が乗った『全部のせ丼』が着丼!

酢飯も美味しかった『全部のせ丼』+味噌汁

我々の席は調理場から料理が運ばれる通路沿いだったので、丼が次々と運ばれていくのが見える。

自分たちの『全部のせ丼』を今か、今かと待っていたら女性店員さんがお盆に人数分の丼を乗せて持ってきてくれて「あぁ、重い〜!」とテーブルにお盆を乗せて一言。

その瞬間(んっ!これは返さないといけない!)と謎の意識発動で「具がたくさんってコトですね!」と、アドリブでツッコむと「器がね!」とツッコミが分かっていたかのような返しに笑いが起きる(女性店員さんとは初対面だし喋ったこともなかったけど、こんなやりとり好き)。

着丼した『全部のせ丼』には「ウニ、イクラ、カズノコ、コハダ、ネギトロ、マグロ、ハモ、タイ、エビ、イカ、シラス、カイ、サーモン、トビコ、タマゴ」の15種類が乗っていたと思う。
酢飯も美味しく量もあり、客人も大喜び。
“旅の思い出は食にアリ”と言うけれど、まさしくそれ。美味しかった。

余談は客人が「鯛のアラ」を食べている最中に「タイのタイという骨があるから、見つけたら縁起がいいらしいよ。」と伝えると「知りませんでした!」と探すも、今回は見つからなかった。

きっと、店外に待っている人がいるから出ましょう!と会計を済ませて、ドアをガラガラと開けると10人ほどが立っていたり座っていたりして平日なのに、行列ができる大漁の凄さを改めて知る。

この日の大山祇神社では、新穀の収穫を捧げる神事「抜穂祭(ぬきほさい)」が行われるとのことで、大漁を出た頃には斎田(さいでん)に人だかりができていて、年に一回しか行われない神事に出会えるなんて「持ってるね」となる。

待つこと10分。神事が始まった!
先ずは『抜穂乙女(さおとめ)の稲刈り』という、白装束に赤いたすき姿の抜穂乙女(子ども達)16名が、斎田に入り初穂を刈り取ったのだけど、たぶん練習はしたと思うけど、ピカピカ(真新しい)なカマで刈り取る姿に(怪我しないでね!)と思ったのは私だけではなかったはず・・・。

『抜穂乙女』の後は『一人角力』という稲穂の精霊と三番勝負の相撲を取る神事があったのだけど、時間の都合で後にして大山祇神社の本堂へ向かう。


2026年10月27日火曜日

しまなみ海道、大三島へGO!

大漁の小鉢(鯛のアラ煮、鯛の南蛮漬け、鮭の南蛮漬け)

前日は日帰り南予旅。翌日は日帰り東予旅。
客人にはB級グルメ「焼き豚玉子飯」を食べてもらおうと駐車場が広い白楽天での昼食を計画するも、大三島まで行こうとすると急いで今治市内まで戻らないといけない。

どうしたものか?と考えていたら妻が「(昼食は)大三島なら“大漁”はどうかしら?」とアドバイスをくれる。大漁!とは久しぶりの響き。ちなみに妻は大漁に行ったことがない。
大山祇神社の前にある、売り切れゴメン!の海鮮丼などが名物の行列ができる定食屋。

それはいいアイデア!となり、それなら一気に大三島へ行ける。
でも、「焼き豚玉子飯」はどうしようか?と思っていたら、道後の宿をチェックアウトした客人が、この日に泊まるホテル「HIYORI HOTEL」が「朝食が自慢です!」と自ら掲げているではないか!
「焼き豚玉子飯」「鯛めし」など愛媛の郷土料理も豊富とのことで、明日の朝食(ビュッフェ)にたらふく愛媛味を食べてもらおうとなる。

さて、大漁。
大漁も前日に行った大洲の「油屋」同様に予約を受け付けておらず、毎朝9時頃に記帳台を入口前に出すので、名前を書いてオープンの11時30分に戻ってきたら入れるシステム(戻ってこれなかった人は飛ばされる。)

さすがに9時には到着できず、10時30分頃に到着、そのまま記帳すると既に10組目だった。
微妙な10組目、前の9組には複数人数の方もいて1巡目で入れるかどうか?という感じ。

約1時間の空き時間は、大山祇神社の参道を散策したりして過ごし、オープン3分前に大漁に戻ると、店前はごった返していて行列。既に5組目が呼ばれていて、6組目、7組目と次々入店。
9組目を呼ぶ手には“2つ”の伝票があり、(これは!10組目までいける!?)と思った通り、「はい、イズミさーん!」と呼ばれて、その時点で一巡目の入店が終了する。セーフ!

通されたのは店奥の6人席でGOODな場所!
「大漁に来たら、これしかないでしょ!」と、『海鮮全部のせ丼(2,480円/税込)』を対応してくれたシニア店員さんに注文。

そして、お味噌汁(80円)もつける。さらにカウンターに並んだ小鉢から『鯛のアラ煮』『鯛の南蛮漬け』『鮭の南蛮漬け』を取り、テーブルに並べて豪華な昼食が始まる!

2026年10月26日月曜日

下灘駅、双海シーサイド公園に到着。

下灘駅は毎日、大人気。

大洲での最後は、まちの駅『あさもや』に立ち寄る。そして時計を見ると14時過ぎ。
客人を17時までにホテルへ送り届ける必要があり、でも、この先『下灘駅』『水平線カフェ』『双海シーサイド公園』と予定を入れている。

双海から道後のホテルまでは1時間はかかる。すると16時には双海を出なくてはならず、う〜むと悩んだ末に『水平線カフェ』を諦める。
ロケハンを兼ねて訪れようとしたけど天気も曇天だったのでお預けに。

大洲肱南地区から下灘駅までは車で約45分。
日曜日ということもあり、下灘駅近くの駐車場は県内外のナンバープレートを付けた車で大にぎわい。四国以外に九州、関西ナンバーも見かけた記憶。

前回、訪れた時は偶然に観光列車を見ることができたけど、今回は時間がズレて見れなかったけど、その代わり普通列車がやってきた!オォ!ラッキー。

すると、停車した普通列車(松山駅からの各駅停車、約1時間かかる)の中に“立ち姿”の方を何人も見かけ、ナント!普通列車で下灘駅を訪れる人たちだった。(下灘駅を訪れるために、わざわざ各駅停車で1時間もかけてくるんだ・・・)と、「海ヌケの駅」を訪れる価値を実感。

下灘コーヒーにもお客さんは並んでいたし、道沿いの階段をあがった所に構えたカフェにも人が行っていたし、地元にお金が落ちること=いいこと。

下灘駅からの次は「双海シーサイド公園」へGO!だったけれど、「いったん、シーサイド公園を通り過ぎて、その先にある漁協の女性部が作ってる“ラブじゃこ天”があるか確認させて!」と伝えて行くも休業・・・。惜しい!

双海シーサイド公園へ戻り、4月にオープンしたばかりの「ユンゲ モルゲン」でアイスコーヒーをいただき、小腹にミカンソフトクリーム・・・と思ったものの、先客が数人いたこと、夜も歓迎会なので理性で抑え、辺りを散策して駐車場に戻ると、「見て!天使のハシゴ!」の声に慌ててスマホを出して撮った写真。

『ディスクロージャー・デー』を観たからUFOからの光線のようにも見えたけど幻想的。
時刻は、もう16時!完璧な時間運び。松山へ帰ろう!
天使のハシゴがハッキリ見えた双海シーサイド公園

2026年10月25日日曜日

つい長居してしまったワケ。


「これは美味しい!」と客人から『とんぐりまぶし』に評価をいただき、会計を済ませて外に出ると、並んでいる方がいて油屋の人気を知る。大洲のO級グルメ『とんぐりまぶし』頑張って!

もう少し界隈を歩こう!となり、ブラブラすると9月にも見かけた『川久保珈琲店』が再び目に入り、かつ「珈琲店の珈琲ソフトクリーム」に客人は釘付け。
客人、食後のデザートにと買って店から出ると「ココって高知にも店があるようです。」と情報を仕入れてきてくれる(笑)。

他にも『うみとカモメ 山下別邸』で「いちごスムージー」を飲んだり、大洲を満喫する客人。
そんな中、観光案内板をみると『古民家モール 旧藤本医院』が目に入り「モール?モールって複数のお店が入ってる??」となり、行ってみよう!となる。こういう所、散策だからできること。

歩くこと数分。(あぁ!ココね。)と思った場所は、その昔、大洲の肱北&肱南で地域の魅力探し事業をした際に閉業していた医院が2024年に『古民家モール 旧藤本医院』としてリニューアル。

でも、どんな店が入っているのか?
1階には本屋、雑貨店などあり、小上がりを土足のまま入ると目の前に本屋さん。
一歩踏み込んだだけでレトロな雰囲気と選書が客人と私にグサリ!と刺さり、書棚に並ぶ背表紙に「オォ!映画、建築、音楽、服飾、デザイン、漫画、美術館・・・どれも刺さるー!」と感激してしまう。

「そちらは治療室だったんですよ。」と我々がワイワイはしゃぐのを見て店主。
聞けば店主は松山生まれ育ち、東京で長らく働き、Uターンして『古民家モール 旧藤本医院』で本屋を今年1月(だったかな?)オープンしたばかり。

会計もタブレットでするものの、雰囲気づくりにアンティークなレジ機械で、ガシャガシャチーン!と手動で音を鳴らしてくれる(笑)。

治療室に本棚を据えた高い天井にはシャンデリアもあって「ずっと、居られるね。」と、本当に長居してしまった。

「わっ!下灘駅、水平線カフェ、双海シーサイド公園に行く時間あるかな・・・」となってしまう。

再び客人との大洲めぐり。

油そば

この日は日曜日。
17時頃までに松山へ戻ろうとするなら「日帰り旅」は、大洲までが精一杯。

折しも大洲(肱南地区)では『ポコペン横丁』のほか『OZU ARTS and CRAFTS 2026』という展覧会が行われていて、旧平田邸の2階でNessim Cohen(ネシム コーエン)さんの作品を拝見する。こういう予期しないアートとの出会い&機会っていい。

でも、ちょっとソワソワしたのは、大洲市で客人をもてなす食事をしようとすると『油屋』しか思い浮かばず、その
『油屋』は、「並んでいただき順番にご案内します。」と週末は予約を取らない(平日は予約可)。
『ポコペン横丁』でも食事はできるけど、客人との距離感の関係で、まだ早いという感じ。

『東京ラブストーリー』『ぼくのおばあちゃん』『女の子ものがたり』『となり町戦争』『おはなはん』のロケ地になった大洲だけど『ALWAYS 三丁目の夕陽(2005)』で“昭和33年の荻窪”という設定で撮影予定だったのは、フィルム・コミッションしか知らないネタ。

『五百原七福堂』『二葉屋志ぐれ餅店を曲がった細道』などで夜間撮影をする段取りだったけれど、予想以上に大規模(夜から朝までの通行規制など)と分かり、周囲住民への負担などから、そのシーンは全て東宝スタジオでのセット撮影になってしまった。

そんなエピソードを交えながら、臥龍山荘に到着。
だけど臥龍山荘に入らず、脇の石畳の坂道をあがった所を紹介。
坂道だから道が見えなくなり、背景は日差しが木々を透かす良いロケーション。
着物などの和装(過去に「婦人画報」などの実績あり)も映える。

そのまま、肱川沿に出てしばらく歩くと、『ポコペン横丁』の近くに出て、一周したことになり、時間は11時20分過ぎ。そのまま『油屋』を目指すと11時25分過ぎに到着。

「混んでるかな?どうかな?」と近づくと、くぐった暖簾の向こうには10人ほどの行列ができていた。この程度なら・・・ということで一安心して、そのまま開店。腹も減った!
通された席は9月に訪れた席と同じ席。
予約もせずにベストな場所を案内される。ラッキー。

客人に『とんぐりまぶし』を紹介すると「ぜひ『とんぐりまぶし』で!」となり、私は前回と違う味と思い、「油そば」を注文。

『とんぐりまぶし』がやってきた!そのビジュアルに喜ぶ客人、食べる前から「これは、美味しそう!」
そして、店内を見渡すと既に満席!

2026年10月24日土曜日

ローカルに徹底的にこだわる。

出てくるまで気づかなかった私への誕生日ケーキ(涙)

大街道を歩いていて「あっ!お土産に買っていこう!」と立ち寄ったのは『労研饅頭(ろうけんまんとう)』。
昭和6年創業、松山に残る酵母菌を使った蒸しパン。
「松山の夜学生に学資を」と松山夜学校奨学会で製造が始まり、学校の売店などで販売される。

でも、「これはナニ?」と、客人がショーケースの中を見て言ったのは『醤油餅』。

慶長年間(江戸時代初期)に松山藩祖の久松定勝が家臣の無病息災を祈い、桃の節句に配ったのが始まりとされる郷土菓子。その後、広がり、節句のお供えや家庭の味として定着した。

客人『醤油餅』を食べながら「ん〜!美味しい」とご満悦。
そして、お呼ばれされた義母&義兄姉夫婦宅への手土産として買って行ったのは『みゅんへん』の唐揚げを4人前。

松山人の多くが愛する唐揚げ。私自身も2001年に移住して以来、
『みゅんへん』の唐揚げは“ハレの日”の味として認識している。

『みゅんへん』の唐揚げ“あるある”は、袋に入れてもらうものの、封がされてないから電車に乗ると、唐揚げの香りが辺りに広がり(あぁ、何かあるんだな・・・)と思われてしまうこと。でも幸せのお裾分け。

義母&義兄姉夫婦宅へ到着。義兄姉夫婦と客人は「初めまして」。

義母とは昨年のベトナム/ホーチミン以来。
お店で食べるのもアリだけど、こうして食卓で一緒に食事をするのは、旅の思い出として濃い記憶。


テーブルには、義母や義兄姉夫婦が用意してくれた豪華な料理が並び、ココでも『春雨サラダ』は、義母の味として欠かせない!義姉は『梨&生ハム&水菜のサラダ』などを作ってくださり、ウェルカムパーティー!そこへ『みゅんへん』の唐揚げ、『鯛めし』まで並ぶ!

松山の第一印象などの感想をツマミにワイワイ過ごし、「デザートにしようか!」の声に、お祝いのケーキかな?と待っていたら、ナント!数日遅れだったけれど、私のバースデーケーキを用意いただき、「えっーーー!」と全く気づかず主役を奪ってしまう、ゴメンなさい。

関係人口を創る一つに、徹底的にローカルにこだわる。があるけど、「松山、サイコーです!好きになりました。」と客人。

2026年10月23日金曜日

また一人、関係人口を創る!

一杯220円から400円

客人は愛媛が初めてなら四国も初めてとのことだったので、掴み重要と思案する。
と言っても松山空港で横断幕を掲げて「ようこそ!愛媛/松山へ!」は、客人が恥ずかしがると思い却下。

松山空港には「みかん蛇口」もあるけれど、宿泊する道後地区では「みかんジュースの飲み比べ」もできるので空港では却下。すると、サクッ!と道後まで移動した方がいいな・・・となる。

実はリムジンバスで道後温泉駅まで乗るのは久しぶりで、乗車額が1,200円/人と驚愕する!
普段使うJR松山駅まで1,000円、その後200円が増されるのね。

道後温泉駅に到着すると、時刻はちょうど15時で、からくり時計がメロディ♪を奏でながらトランスフォーム!タイミングがいい!
集まった人々を見ると日本人もいたけど外国人観光客(特にアジア系)の方が多かった感じ。

からくり時計を後に、いざ宿泊先の「道後山の手ホテル」へご案内。
「道後山の手ホテル」のウェブサイトには「サービス」という案内があり、「ウェルカムドリンクでみかんジュースかな?」と思いきやメッセージカードなど演出してくれるとのことでお願いすると、客人は予想外の“おもてなし”に大喜びしてくれて、掴みは大成功となる。

そして、道後温泉商店街へ。
「みかんジュースの飲み比べ」は、220円/杯から400円(愛果29号、ブラッドオレンジ)/杯まで20種類から最大5種類の柑橘ジュースを蛇口からカップに注げるのだけど、各種1回しか蛇口をひねる/回せないので、できるだけギリギリまで入れるのがお得。

隣では、それぞれのカップに半分程度しか入れなかったシニア夫妻が「あぁ、一回しか入れられないんか・・・」と、ルールが分からなかったようで嘆いてた。

試飲カップ程度の量では物足りなさ、割高感を感じるかもしれないけど、100%生ジュースと思われるので、そこはコト消費(≒体験価値)ということで。

喉も潤い、道後温泉駅に到着すると「坊っちゃん列車」が到着していて、これまた大勢の観光客に囲まれていて、客人はにぎわいを実感してくれたようで「松山、すごいですね・・・」となる。

関係人口づくりはまだ序の口、これからが本番なのである。

2026年10月14日水曜日

GO!GO!55!

この年齢になったら前しかない!

一年が過ぎるのは本当に早い(と、感じる。)
昨年の今日は、ホーチミン(ベトナム)へ出発した日で、誕生日を機内で迎えるという珍しさに、JALからメッセージをいただく。

と、言うことで、また一つ年を重ねて55歳になった。
丈夫に産んでくれた父と母に感謝する日。
もう、振り返っても変わらない/変えれないコトが多いから、GO!GO!と前進あるのみ。

2026年も9ヵ月が過ぎて残り2ヵ月半だけど、正月に2026年がこんな年になるなんて、1mmも思ってなかった!

長男くんが入籍して、新しい家族が増えた。長女も入籍を控えていて嫁ぐ。
そうだよな・・・と思ったのは、長男くんも長女も結婚適齢期という年でした。
残るは末っ子くんだけ、彼はもうしばらく(離れていても)近くにいるみたい。
2026年は結婚30周年という節目でもあった。

分かっていた2026年は、公開や放送される映画、映像作品が多かったということ。
・日本三國(4/5)
・旅人検視官 道場修作(6/12)
・インビジブルハーフ(7/31)*愛媛は先行上映で5/15から
・汝、星のごとく(10/9)
・日曜のあと(11/20)

と、愛媛が舞台、登場する作品が多く、話題を提供できたと思う。もちろん、これら以外にコマーシャル、バラエティなどの撮影も多くした。

嬉しい話だけでなく、先日は数年ぶりに体調不良だったし、大病を患った身近な人にソワソワしたり、知り合ったと思ったら急な別れもあったり、一年は早いけれど、振り返れば色々とあり、自分の思い通りにいった日なんて、ほんの数日(そんな日は大抵、家から一歩も出ずに過ごした日)。

明日でさえ実は平穏に過ごせるか分からない。
Yesterday is a history. 
Tomorrow is a mystery.
Today is a gift. 
That's why it's called the present. 

「昨日はヒストリー。明日はミステリー。今日は贈り物。だからプレゼントと呼ぶ。」は、アメリカの歴史家/作家アリス・モース・アールの言葉。

2026年も残り2ヵ月半、このままスンナリと穏やかに過ごせるとは到底思えない・・・。

2026年10月12日月曜日

3年6ヶ月ぶりの墓参り、ただいま。

金太郎は怪力自慢で源頼光の家臣となり酒呑童子を倒す。

日記を遡ると、2023年4月ぶりの墓参り。
本当は毎年とか、もっと頻繁に訪れるべきなんだろうけど、ドア to ドアで片道約2時間30分(往復約5時間)は、やっぱり遠い富士霊園。

霊園は今年は60周年とのことで、記憶が確かなら、祖父は55年前に亡くなりここの墓に入ったので、開園早期に入ったのかな(ちなみに、私は祖父と会ってないので、28年前に同じ墓に入った祖母に会いにきている。)

でも、来るたびにいつも思うのは、“墓”と言うのは何なのか?という問い。

もちろん、家族/親族にとっての心の拠り所なのは百も承知だけど、生活様式も価値観も大きく変わった今、辺りを見ると以前はあった墓がなくなったのを見れば「墓じまい」をしたのかな?と思うし、ある墓には告知と書かれた立て看板があり、「○月○日をもって撤去します。」と、誰も来なくなったのか?色々と考えさせられる。

そんな中、妻と私は祖母の墓に到着。
花束を手向けて、祖母から名前をもらったひ孫たちが入籍したこと、家族は元気に過ごしていることなど近況を報告。

そして気づく、墓石に彫られている名前が長年の土埃などで汚れていた!
このままではいけないと妻と手持ちの用具で拭いて、水をかけてキレイにしたつもり。
とても些細なことだけど、これだけで気持ちがスッキリしたのは昭和人の名残なのか?それとも日本人のDNAなのか?

往復5時間なのに滞在は30分ほど。
祖母に「また来ますね!」と伝えたものの、祖母の子である私の母たち姉妹も80代後半になり、気軽に来れない状況になっている今、これからどうなるんだろう?と、妻と話しながら入り口に到着。

写真は富士霊園だから富士山、それもまだ冠雪していない富士山+足柄山の金太郎。
この日は、最高の秋晴れで墓参りには最適な気候で、これで心の中で“ひっかかって”いたモヤモヤも解消できてひと段落。

とはいえ、お墓の問題は実家の問題と同レベルと分かってしまった。

2026年9月24日木曜日

電話でもメールでもLINEでもなく。

30年以上前の海外絵葉書を引っ張り出す。

何だか電話で伝えるのも、しっくりせず、かと言ってメールで書こうとも実はメールアドレスを知らない。今時の連絡はLINEが主流かもしれないけど、私はLINEをしていない。実家にはFAXがあるけれど、こちらにはない。姉宅や実家との関係ってこんな感じ(笑)。
特に実家では「連絡がないことは元気な証拠」という環境だったから連絡は極端に少ない。

結局、手紙がいいんじゃないか・・・となるも、今度は絵葉書(それも日本ではなく海外土産系)が見つかるも切手がない。
(あった!)と見つけるも63円。(以前は50円とかだったのに63円とは高くなったよな・・・)と思ったのも束の間、確認すると現在のハガキ送料は85円/通でした。

でも、正確な送料が分かっても85円の切手が手元にあるわけでもなく、63円を2枚貼ろうか?と思っていたら110円切手が見つかり、25円分多く払うけど、寄付のつもりで貼って、姉宅、実家へ送付完了。

メールやメッセンジャーに慣れていると、手作業連絡は手間も時間もかかり一苦労。
でも、なんでこんな手間も時間もかけてするんだろう?と思うと、自分にとって価値/自己満足があるからなんだろうな。

そして「日本語」の書き方にイチイチ引っかかる(笑)
縦書きがいいんだろうか?横書きがいいんだろうか?そもそも、絵葉書には罫線がないから“まっすぐ”書くのが大変だし、そもそも手書き文字は下手だから読みやすくかけるだろうか?
書くスペースに限りがあるから簡潔文章でないとならない。

こんなこと、ワードとかメールだったら何度も“やり直し”できるし、漢字もスペース押せば変換だって自由自在、なんなら段落ごとの入れ替えなどの構成編集だって簡単。同じ内容ならコピペだってできるのに・・・。

でも、手紙だから一発勝負。
つい語尾をサッと書いてしまいがちだけど、最後の句読点まで気にしたつもり。
それを相手に合わせて2通書いた時点でドッと疲れる。
「手紙は贈り物」というコピー(相手を思いながら書く点など)があったけど、分かるわ。

と、相手には伝わらずとも、こちらが勝手に気にして書いた内容は我が家の祝い事について。
2026年の正月には今を全く想像できず、だから人生は面白いのかもしれないと。

2026年8月9日日曜日

義母、妻と勝手に入籍祝い。


大勢の方から長男くんへの祝福の言葉をいただき、親として嬉しい限り。

海向こうの家族(義兄夫婦)からも祝福が届き、インターナショナルな話題になる。


インターナショナルと言えば、義母、妻と私で緊急招集して、勝手に長男くんの入籍を祝っていたのだけど、串揚げを食べていたら妻が突然「あっ!フライターグだ。」と言ったものの、私の背向こうにいる方なので振り向くこともできず、そのまま食事をして終わらせる。


出口に向かおうとしたら妻が、「That FREITAG bag is lovely!(あなたのフライターグ、素敵だわ!)」と英語で喋りかけたのは外国人カップルの女性で「Thanks! FREITAG actually originated in Switzerland!(ありがとう、フライターグはスイスの会社なのを知ってる?)」と返してきたので「Yes, I know.I bought my FREITAG bag 30 years ago.I'm a fan of FREITAG.(えぇ、知ってるわ。私のこのフラターグは30年前に買ったの。フライターグのファンなの!)」と30年前に買い、今も使い続けているフライターグを見せてハッ!となり、「Did you come from Switzerland?(もしかして、スイスから松山へ来たの?)」と尋ねると「That's right.We came from Switzerland!I'm a FREITAG fan too!(そうなの!スイスから来たのよ。私もフラターグが好きなの!)」とスイスから松山を訪れたカップルと分かり「Welcome to Matsuyama! Have a great time!(松山へようこそ!滞在を楽しんでね!)」と、突然のミニ国際交流が起こる。


閑話休題。

肝心要の緊急招集はと言うと・・・。

両家の顔合わせはどこでしたらいいのだろう?とか、スケジュールはあるんだろうか?とか、誰にどこまで話していいんだろうか?とか、色々と(勝手に)盛り上がるも、そもそも論、長男くんと奥さんの二人の話なので、外野は大人しく夫妻からの話を待ちましょうとなる。


いやぁ、この先、色々とあると思うのだけど、私たちの時代(30年前の1996年)とは違うから想像が全くつかない。

ほんと、ドキュメンタリーのように綴って残そうかな?


唯一、明確な事実だったのは、令和8年8月8日に婚姻届けを松山市役所に提出したのは70組以上だったということ。

2026年8月8日土曜日

令和8年8月8日。家族の話。


8月8日を漢字(八八)で書くと、縁起が良いと言われるのは「末広がり」と言われる広がりなため。
幸運や繁栄、開運など良いらしい。

我が子世代でも(そういう縁起を気にかけるんだ!)と、入籍日を聞いた時に思った最初の感想。と、言うのも私たち夫婦の入籍日は、挙式日を合わせたため、縁起などを担いだわけではなかった。

主人公は(たびたび日記にも登場してる)長男くん。
済美高校の美術コースへ進学したものの、2年生の1学期で退学する。

その後、渡米してシアトルで学びカレッジへ。そして、自分で奨学金を申請して獲得し、「フィレンツェで絵画を学びたい。」と親もビックリな進学となり3年間学ぶ。

在学中はデッサンや塑像などに励んで、一所懸命に頑張っている様子が学校などからのSNSで紹介されて、卒業式の時は賞を受賞して全校生徒を前に名前がよばれたり。
親としてはこれ以上ない“親孝行”なプレゼントをくれる。

その後は帰国して、画家になろうとしたものの、「慌てる必要はない。」と就職。
そのセンスを活かして活躍している様子をYoutubeで見てる親(笑)

ある日、「紹介したい人がいる。」と連絡。
上京して妻と合流して、待ち合わせ場所へ行くと素敵な女性がいて「初めまして、親です。」となる。

ご縁に早いも遅いもなく、二人と会った時にはすでに結婚を前提に付き合っていたようで「令和8年8月8日に入籍を考えている。」とのこと。

心から「おめでとう」だし「末長く幸せに」だったけれど、「入籍」ということは、泉谷姓が一人増えるということで、不思議な感覚/文字に表せない感覚になったのを覚えてる。

今日の日に合わせて花を送ったら、二人から笑顔の写真が送られてきた。
これ以上ない幸せ。

ちなみに8月8日には、ハチハチと並び替えるとハハ(母)チチ(父)になることから「親孝行の日」の記念日としても知られていること、知らなかったよ!

2026年7月26日日曜日

働き方について独り言。


「松山に寄ったよ。」と長男君。
帰省ではなく仕事で松山へ1泊2日の出張だったとのこと。

親としては、30分でも会えれば・・・と思ったものの仕事優先。
でも連絡してくれたことに感謝。仕事/出張内容などは聞かず。

「少しはゆっくりできた?」と尋ねると「散歩ができたよ。」とのことで、送ってきてくれた写真が、夜の道後温泉本館。風情あります。

ブルーでもホワイトでもシルバーでもメタルカラーでも「全ての職種がAIによって恩恵を受ける時代に問われるのは“働き方”」と誰かが言っていたけど、ホントその通り。

そこへ生産労働人口の減少が容赦なく加わるのだから、本来なら労働人口の減少に伴い賃金の上昇が起こる(起こった)はずだったのに「非正規雇用の拡大」「労働市場にいなかった世代の労働参加率の上昇」「公的業務による硬直した賃金」「デフレマインドの定着」などで過去30年間、賃金が上がらなかった日本。

だから職種へ固執しても賃金の上昇が期待できないなら、働き方を変えてみるという“マインドセット(思考の癖)”によって選択肢(副業、複業など)が浸透して数年。

たぶん、我が子世代が社会の中軸を担う10年後(30代)は、良い意味で人材はもっと流動的になり、複業は働き方の主流になるのかもしれない。

だから、能力のある人は職種にとらわれず引っ張りだこになり、その結果、賃金も上昇するのかな?その分、格差も起こりそうだけど。

そのため(≒引っ張りだこ)には、AIではできない専門知識や経験が求められるという将来を見通してか、末っ子くんは大学に通い始めた。先見の明がある気配。

若い人には選択肢や可能性が多いけど、10年後は60代になる私たちには需要があるのだろうか?妻は彼女にしかできない専門性があるので問題ないと思うけど・・・。

と、言うか働き口に期待するからダメなんだな。
「一人起業/創業」も10年後には、当たり前になってるはずがら、自分で市場は創れということか。

2026年7月12日日曜日

育児は育自、家族の話。


妻から写真が送られてきた。

「子ども達と食事をしたよ。」という内容で、それぞれ忙しくしている子ども達が時間を合わせてくれる(長女は今回、時間が合わず)。

具体的に何を話したかは分からないけど、こうして離れ離れでも会おうとしてくれる子ども達に感謝。解散後、長男くんからは「今日はありがとう。また、皆んなで食事しよう!」と連絡が入る(涙)。

私が子ども達の年頃の時は、両親とこんな付き合いはなかったな・・・と思ったら、18歳から6年間海外で帰国後はすぐに結婚して愛媛に行ったからでした(爆)。

末っ子くんは長男くんが好きというか尊敬してるみたい。
お互いに一緒だったのは長男くんが高校二年生の一学期まで。
長男くんはシアトル→フェイレンツェ。末っ子くんも中学卒業後はN校で東京→オーストラリア→ロンドンへ旅立ち、約7年間離れて今に至る。

親バカだけど、3人ともよくぞ成長してくれたという感じ。
外国の友人が多かったり、運動会の途中で体操服のまま旅に出発したり、海外を訪れたり、学校を休んで撮影現場に連れていかれて坊主にされたり、突然勤め先が県庁や市役所になったり・・・3人の心境を察するに(ウチの家族はなんだか変だぞ)と思っていたに違いない。

離れていた時間が長くても、会えば“昨日の続き”のような感じなのが姉弟。

そして、この親子の写真、よく見ると(誰が撮ってんの?)となる。
撮ってくれたのは末っ子くんの彼女のミウミちゃん。
末っ子くんとミウミちゃんはオーストラリアで出会う。
二人はdiadiaというユニットで『音楽付き日めくりカレンダー』を創った仲。

長男くんにも彼女はいて、長女には彼がいる。
子ども達に親にさせてもらいました。育児は育自。

神様がいるなら、子ども達の末長い幸せをお願い!

2026年6月28日日曜日

親族の話。


松山出身で現在はホーチミン(ベトナム)在住30年以上の弟分の娘さん(姪っ子と同じ感覚)がオーストラリアの大学へ進学するとのことで、その前に松山へ・・・となり、激励会が企画される。

私の地元では親族が集まるのは冠婚葬祭の時だけで、松山に来てから何かと集まる親族の輪に驚いた当初。

実は我が家の長女が海外へ行く時も親族が集まってくれて激励会を企画してくれたメンバー。
皆んな我が子ではないのに、応援してくれるって幸せ。

そんな姪っ子の将来像は「外交官もしくはインターポール(国際刑事警察機構)」。
メチャメチャカッコいい!

どうやら、義兄(妻の兄)が国連(UNIDO)で働いていることに刺激、インターポールの存在にカッコいいと思ったよう。「ぜったいになれる!」と太鼓判を勝手に押す叔父(私)。
大人の役割って応援団となって応援すること!素直で本当にいい子なので叶うはず!

10代から80代まで20名がワイワイしたけど、実は私がこのような会に参加するのは3年ほどぶりで、タイミングが合わなかったり、今年の正月はタイミーしてたから「久しぶりー!」だったのに、フツーに迎えてくれるって幸せ者です。

当日は仕事の都合などで参加できなかった人、県外・国外組もいたから、全員いたら30人以上の規模の親族が連絡を取り合える関係って控えに言ってもすごい。

会場はホテルマイステイズ。
オーダーバイキング形式で6000円/人。それが満席の大入が掲げられていたから100人以上いたと思うと一晩で60万円の売り上げか・・・。

宴時間はアッ!という間に過ぎ、「締めの言葉」のタイミングになったとき、既に周りは大いに酔っ払っていて、“そんなこと”ができない状態。

すると、親族の一人がスマホを取り出し、繋がった相手は県外にいて参加できなかった今回の企画者であり親族の最年長者。

オンライン幹事によるスマホ画面から締めの言葉って初めて!
時代は刻々と変化/進化しているという話。

若者の未来に幸あれ!

2026年6月15日月曜日

叔父、招かれて大感謝!


「日曜日、ウチで食事をしましょう!」と義兄義姉夫婦が誘ってくださり、二つ返事で「行きます!」と返答する。

何か手土産でもと思い、姪っ子たちに・・・は口実で、私も食べたかったアイスを買い込んでお邪魔する。

そして「今日は誰かの記念日?」と尋ねると、先日、誕生日を迎えた姪っ子と、誕生日を控える姪っ子のダブル誕生日会でした。

既にテーブルには色鮮やかな食事が並んでいるも、見たことのない料理に「これらは何と言う料理なの?」と尋ねると「インスタに載ってた彩りが良くて、手元の食材で、ボリューミーに手軽に美味しく作れる料理(笑)」と教えてくれる。

そうだよね。最近は名はなくとも美味しい料理がたくさんインスタに載っている。

以前「クックパッドの衰退」という記事を読み、レシピのプラットホームとして有料会員に支えられていたけど、今では有料サービスに頼らなくても十分なメニューやヒント、ワザなどがインスタや類似サービスにあるから、厳しくなった・・・を思い出す。

生ハム、キュウリ、ニンジンなどのマリネ風も美味しかったし、エビハンバーグは餃子の皮を細く切った衣の歯応えが良かったし、胸肉の唐揚げも美味しかった。

そこへ義母が作ったナスのお浸し、フライドポテトなども並び、50過ぎ男の単身者では絶対に作らない&食べれない料理に感謝しかなく、家族が近くにいる喜びを噛み締める(涙)。

一通りの食事が終わり、デザートタイム。
義母が用意した果物と共に、手土産で買ってきたアイスを食べるタイミングと思ったら違い、大きな箱を持ってきた義姉。

(そうか!誕生日だからケーキだよね!)と思ったら「これは、泉谷家から届いたアイスケーキだよ。ありがとう!」と教えてくれて、妻が注文したケーキが届き、今日まで待っていてくれたのだった。

と、言うことで結局、自分たちが贈ったアイスケーキを自分でも食べれた・・・という話。
結局、一番得してるのは私ではないか!

2026年5月4日月曜日

May the Force be with you.


5月4日は「スター・ウォーズ」の日。

スター・ウォーズから5月4日はイメージしにくいけど、「
May the Force be with you(フォースと共にあらんことを)」と「May the 4th(5月4日)」をかけた語呂合わせから、世界中でファンがスター・ウォーズを祝福する「スター・ウォーズの日」となる。

去年は「スター・ウォーズ セレブレーションジャパン」が17年ぶりに日本開催とのことで、ファンとしては大枚をはたいて、陶酔した2日間。
本当に世界中から訪れてたもんな。

でも、ルーカス・フィルムがディズニー傘下に入ってからのスターウォーズは、物語が枝分かれして多くなり、それらを観ていない(ディズニーチャンネルに加入していない)=分からなくなっている。

正史と言われる9作品(EP7からEP9は、イマイチだったけど)、アニメ「クローンウォーズ(突然のシリーズ終了で中途半端感があったけど後日、強引さあったけどキチンと終えた物語)」、「ローグ・ワン(個人的には大好きな作品)」まで。

これからも細い枝先(細かい設定や複雑な物語)ではなく、太い幹(王道の物語)で私たちを楽しませて欲しい。

で、5月4日は個人的に“もう一つ”の思い入れがあり、それが「キース・ヘリング
」の誕生日ということ。

1958年生まれだから、生きていれば68歳。
彼は1990年2月16日に31歳という若さで亡くなる。

亡くなった年(1990年)5月4日の追悼式は、NYのセント・ジョン・ザ・ディヴァイン大聖堂で行われ、 亡くなる数週間前に描き上げ、大聖堂に収蔵されたばかりの祭壇画『キリストの生涯』が最後の作品。

家族でNYを訪れた際に、
『キリストの生涯』を見れた時は(あぁ、最後はこんな所に到達したんだ・・・)と感動した。
ホント、愛の人だった。

キース・ヘリング最後の作品『キリストの生涯』