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2026年1月27日火曜日

続・会いに行け。

NYのFITで学んだオシャレなケンさんは77歳。

「オレさ、77歳になっちゃったよ。喜寿だよ、参るよな・・・。」とNYの父。
続けざまに「泉谷くん、いくつになった?」に「54歳になりました。」と伝えると「そうか!それじゃあ、オレたちも歳をくうわけだ。」と、隣に座るNYの母に同意を求める父(笑)

「あの時は20歳そこそこだったでしょ?あなた達はもう30年ぐらい?」とNYの母。
「交際期間を含めたら30年以上ですね。」と妻。
「あなた達は私たちの自慢よ。」とNYの母。涙が出そうになる。

前回は昨年夏に愛媛に来てくれた父と母は二人とも70歳超。
今回も私たちのスケジュールに合わせてくださり、食事をしようと誘ってくれる。
父と母は私たちがニューヨーク時代に出会った「しゃぶ辰」のオーナーとマネジャー。

そんな母はマネジャー時代から本当に気配りの人で、70歳を超えていても(そもそも70歳超に見えないけど)何もかもが用意周到で、事前の連絡、お店選びから手配、手土産まで用意してくれる。そして、父の相手まで(笑)

そんな父はNYでFIT(NY州立ファッション工科大学)に通ったオシャレさん。
「これさ、もらっくれないかな?」と、袋から出してくれたのはシャツとズボン。
聞けば着なかったとのことで、「終活ってワケじゃないんだけどね。」と父。

父、“それ”と、医者から言われる。
本人いわく「大丈夫だろう。しょうがない、年も年だしな。」と飄々な父だけど、家族同然の人だから心配になる。
母も以前に大病を患っていて、話の話題は健康に。

「二人はまだ若いんだからさ、仮に見つかっても早く対応できるよな。オレなんか手術イヤだもんな。でも、日本の医療はスゴいよ。」と父。

と、いうコトで人間ドックを約束する。
次回は治療を終えて一区切りを迎える予定の年末に設定。
どうか、元気でいて欲しいとNYの父と記念撮影。


「ふたり、似てる〜!」と母と妻。

2026年1月25日日曜日

会いに行け。


愛媛ミカンを持って実家を訪問。
85歳の父は元気に見えるけど、年相応に色々と自覚しているよう。
でも、車の免許返納は難しいらしい。

免許の返納はできても、返納後の生活に支障が出てしまう想像と不安(実家周辺は坂道や階段が多く、その先にバス停や駅がある)。

こういう交通弱者な課題の解決策はあるんだろうか?
山間ではオンデマンドバス、タクシーなどがあるけど、シニア特有の課題なのかな?
よい解決策はあるのだろうか?

そして、長らく入院していて面会も叶わなかった母親が病院を移り、「面会できるようになった。」と姉。ならば会いに行こうと病院の場所を調べると、徒歩1時間ほどの場所と分かる。

丘を下り、川沿いを歩き、山を一つ超えてたどり着いた病院。
「初めてなんですけれど、母の見舞いにきました。」と受付で伝えると、親切丁寧に諸注意などを教えてくれるスタッフさん。

ちなみに、病院への差し入れなどの持ち込みは、家族であろうと、小さいモノであろうと一切禁止。長時間の面会は禁止。マスク着用は必須(マスクを忘れた場合は50円/枚で購入する)。

母がいるフロアに到着するも、オタオタしていると「どちら様ですか?」とスタッフが声を掛けてくれて母の名前を告げると「あぁ!泉谷さんの息子さん!」と、初対面なのに親しげだったのは母がよく話しているとのこと。
会いにきた旨を伝えると、スタッフさんは母の担当ケアマネジャーで、“渡りに船”とはこのこと。

院内を案内していただき「少しお待ちくださいね。」と言われて待っていると、数メートル先でケアマネジャーが声をかけた背を向けて座っていた女性が母でした。

2年ぶり?に会う母は小さくなっていたけど、元気の様子で何より。
突然の訪問に驚いていたけど、30分ほどの間に孫のこと、私たちのこと、入院の様子など喋り面会は終了。

この年になると親に会う機会は限られているから、後悔先に立たず=会っておけ!という話。

2026年1月20日火曜日

若者たちにエール。


末っ子くんたちdiadiaが作った「音楽付き日めくりカレンダー」の完売を受けて「お疲れさま会」という名の食事会。
親は子どもと“何かにつけて”食事したい(笑)

完売を改めて褒めると、作った本人たちにしか感じない/思わない改善点があったようで、「〇〇すれば良かった。」「〇〇だったら・・・」などの反省の弁っぽいコトを並べるので、「いやいや、先ずは完成させて、世に新しい価値を問うたのは素晴らしいコトなんだよ!」と、彼らの頑張りを労うと、「そんなコトを言ってくれる大人はいないです。」とdiadiaメンバー。

大人だからできる役割の一つに「褒めること」があると思っていて、最近は褒められることも少ないのかな?

単に「スゴい!」などの褒め方もあるけど、相手にとって「誰から褒められるか?」も大事かもしれない。

私がdiadiaを褒めたのは「ゼロイチ」だったからだし、「ゼロイチ」の大変さ、醍醐味をこれまでの経験から理解しているから。

時々、「終わってから言う人(例:今回のdiadiaで例えると発売後に、あーだこーだ言う人)」がいるけど、外野の言葉なんて気にすることはない。
自分たちが創出した新しい価値(=アウトカム)に自信と誇りを持って欲しい!

そんな話をしていたら、「ご報告がありまして。」と話が変わり、「ナニナニ?」と尋ねるとdiadiaメンバーに就職希望先から内定をもらったという内容で、「おめでとう!」となる。

詳しく聞くと、募集人数は1名だったとのことで、募集側も応募側も相思相愛だったようで、内定が決まる。
一般的に就職活動は大変(実は就職活動をしたことがない。)・・・と聞いている中で、良かった!良かった!と祝杯。

ホント、大人ができるコトの一つは、意欲ある若者を応援すること。
「モリモリ食べて!」と肉やナチョスを追加オーダー!


2026年1月4日日曜日

彼らしい選曲。

https://dia-a-dia.com/

末っ子たち「diadia」が、
新しく提案した「毎日1曲聞ける日めくりカレンダー」は完売。
束の間の安息・・・は過ぎて、サービス開始の2026年1月1日を迎えた!

末っ子くんが選曲した最初は何だろう?そもそも、サービスは機能するんだろうか?と一抹の不安を抱えながらもQRコードを読み込むと、ピンク・フロイドの『
エクリプス(1973)』。
ピンク・フロイド8枚目のアルバム「The Dark Side of the Moon/狂気」の一曲。

実はピンク・フロイドは知ってるけど、その程度。
日本語訳をつけながら聞いてみると、叙情的で哲学的、抽象的と言ってもいいかも。
言葉を追っても意味はなく、曲を聞いて広がるイメージでいいんじゃないかな?と、勝手レビュー。

"I can't think of anything to say except..."

"言うことは何も思いつかない ただ…"


"I think it's marvelous! HaHaHa!"

"それって素晴らしいと思う"

この辺りの歌詞を聞くと、末っ子くんらしいと言うか、哲学的なことを好む彼の趣向かな?と思ったり。世の中、全て分かる必要はないし、分かっても意味がない。
365日分の選曲は末っ子くんが全て行ったとのことだけど、彼らしい選曲と納得。

そして、1月2日は『実験4号(1997)』という「The ピーズ」の「リハビリ中断」と言うアルバムに入ってる曲。
曲もバンドも全く知りませんでした。でも、この曲「ウルフルズ」でカバーもされてるのね。

1月3日の『
雪んこ(2005)』堀込高樹が響いた。
天気は雪が今にも降りそうだった冷たい松山の朝にトロ〜ンとしたメロディ。
この曲、4分余りの曲だけど、冒頭の約2分がイントロ!
初めて聞いたけど、何だかフィットしてしまい、他の曲まで聴いてしまった。

それにしても、末っ子くんは、どうやってこれらの曲を知ったのだろう?
あと、362曲。知らない曲の方が多いから、これからの毎日、新しい曲と出会うのが楽しみ!

ピンク・フロイド/The Dark Side of the Moon/狂気

2026年1月1日木曜日

2025年の笑い納め。2026年書き始め。

義母・義兄夫婦が用意してくれたご馳走。

2026年、午年、あけましておめでとうございます。
2025年は743本の日記を書いて、多くの方から感想などのコメントをいただきました。

1年は365日、毎日2本書いても730本なので、1日に2本以上という計算。
誰に言われたわけでもなく、収益目的でもなく、アウトプット強化に4年。アホですな。

noteも再開して、全く知らない人と交流できる面白さを改めて感じた2025年でもありました。

本来なら正月、それも今日は元旦だから、これから新年の挨拶まわりが毎年の恒例だけど、昨日は義母・義兄夫婦に招かれて、美味しい食事を囲みながら2025年のお疲れさん会と2026年の抱負会を祝ってしまった(笑)。
自分では決して作らない、おせちも先にいただいてしまったし。

NHK紅白歌合戦が始まり、歌い出す&踊り出す姪っ子たちに「お年玉をパパとママに渡しておきますね」と伝え、大人の話題は親族間での集合時間や場所などに移る。

「じゃあ、私は(新年の挨拶など)欠席ということでお願いします。」と伝えると「皆んなには何と伝えておく?」と周り。

「タイミーで忙しいと・・・(笑)」と伝えると、大笑いの食卓。
2025年の最後の大笑い、笑い納めができて何より。


「外は寒いのに、帰りも歩きで帰るの?」と義母。
「そうです。お腹いっぱいになったので消化して帰ります。」と私。行きも歩いてきたから電車賃は400円以上の節約にもなるし、散歩納めにもなるし。

それにしても、21時過ぎの大晦日は人が歩いてなかった!みんな、どこに行ったのかな?
約45分の夜散歩だったけど、すれ違ったのは犬の散歩をしていた1組だけ。

大晦日の歩数は14,000歩でフィニッシュ!
アパートに戻れば、大晦日感や正月感など、季節感のない部屋。

そして突然、思い立ったコトがあり、2026年の始まりに、これ幸い!と作業を始める。

2025年12月30日火曜日

完売御礼。

媚びてない味で美味しかった!

集合場所は新宿歌舞伎町。タイ料理のバンタイ。
羽田空港から新宿駅を目指し、東口から出ると、今は無い新宿アルタビル(2014年に終了した「笑っていいとも!」が撮影されたビル)が目に入る。

映画の見過ぎで、歌舞伎町のど真ん中だから色々なシーンを想像していたら、「バンタイ」と大きな看板をが見えて一安心。

店には一番乗り。周りの席は既に満席で予約をしてくれていた長女に大感謝!
その後、長女、妻、末っ子くんカップルがやってきて全員揃う(長男くんは仕事で欠席)。

今回の席は、末っ子くん達が作った音楽付き日めくりカレンダー「diadia2026」の販売記念のお祝い。

そして、100部作った「diadia2026」の完売に目処がついたと言うサプライズも発表されて「素晴らしい!ダブルのお祝いだね!」となる。

皆んなで乾杯して、まだ始まってもないのに、制作秘話や完売にこぎつけた感想、今後の展開を根掘り葉掘り聞いてしまう私の悪い癖。ゴメンなさい。

とは言え、今後も続けたいという二人。
なので達成感を味わいつつも課題も感じたようで、それは今後に改善していくとのこと。
その中で、やはり「梱包資材、送料」は分かっていながらも想像を超えた負担だったようで「商品価格以外にあんなに費用が必要とは・・・。」と二人に共感。
ホント、目に見えにくい出費。

そんな所へ、次々とタイ料理がテーブルに到着。
料理名は忘れてしまったけど、タイの焼き豚、タイの野菜炒め、カニのカレー、牛肉のカレー、トロピカルフルーツの炒飯など、嬉しい&楽しい話題と一緒だから、美味しい!が200%以上に感じたり(笑)。

挑戦した二人に大拍手だし、これからも続けたい(ライフワークにしたいとも)とのことで、尚更拍手!

ご購入いただいた皆様にも大感謝!


2025年12月25日木曜日

息子、サンタになる。


「足が寒いんだけど、靴下を買ってきてくれないか?」と85歳の父。
「どんな靴下がいいのかな?」
「テレビでさ、暖かさがずっと続くと宣伝していた靴下がいいな。」とリクエスト。

でも、我がアパートにはテレビはないし、父も商品名が分からず。
でも「ユニクロじゃない」と父(笑)。

買い物のついでにメンズフロアで物色すると「履くホカロン!」とPRしている靴下を発見!
“ホカロン”って、あの携帯カイロのホカロン。
父が言っていた商品とは違うと思ったけど、生地も厚いし見るからに暖かそうと、黒色、灰色、赤色の3足を購入。

「はい、靴下を買ってきたよ。」
「おぉ!いいね!これこれ。」と、特にテレビでの宣伝品うんぬんは気にしていなかったようで何より。

早速履いてみる父。
肌触りも良さそうで「いいね!思ってた通りだよ。もう暖かい。」と、すごいぞ!ホカロン靴下。
「今日はコレで出かける!」と意気揚々の父。出かける気力があるようで一安心。

他に渡したのは妻から預かった「紅まどんな」。
末っ子が作った「音楽付き日めくりカレンダー」。

「じゃあ、帰るね。」となった時、居間に飾られていた「クリスマスツリーを見つける。
ツリー自体は2年前に父がAmazonで購入したものだけど、オーナメントの一つに見覚えがあり、「これって、大昔の?」と尋ねるも「分からない。そうかもしれないな。」と父。

幼少期に見たような見なかったような・・・。
コタツ文化(≒床に座る)がなかった我が家。
クリスマスにはツリーを飾るも12月25日にツリーの元にプレゼントは無く、そこまで西洋化してなかった実家。

父の希望を叶えて立ち去る。
メリークリスマス!

2025年11月23日日曜日

休日の話題。


現在、販売中のdiadiaが作った「音楽付き日めくりカレンダー」
商品のキャッチコピーが確立されたら、いいな。

ココ大なら「誰でも先生、誰でも生徒、どこでもキャンパス」。ココ大付属学園なら「想像×創造の居場所」 みたいな感じ。

実は彼らと同じ年頃(1993年頃/22歳頃)に、ニューヨークでフリーペーパーを作ってた。

『フリーペーパー』という名のフリーペーパーで、日本食レストランや友人に配ってた。
ただ、当時はフリーペーパーというモノをキチンと理解しておらず、広告もナシでかかった経費は全て自己負担。

インタビューしたり、原稿(と、言っても好きなコトを書いたり、パティシエの友人にNY菓子のレシピを書いてもらったり、人生相談に乗ったりなど)書いたり、デザインしたり、校正したり、DTP周りも全て一人で行い、親から預かった授業料も当時は珍しかった白黒レーザープリンターなどに使ってしまった。

大学は既に辞めていたから時間がたっぷりあったおかげでIllstratorもPhotohopもQuarkExpressも全て使いこなせていて、一人出版社だった思い出。

その後『フリーペーパー』を読みたいとロンドン、パリから連絡があり、送付したほど。
2年ほど続けたけど、日本へ帰国する際に廃刊してしまった。

あの経験が今の“どこ”に役立っているか?は分からないけど、行動すれば必ず問題は起きて自分が対処しなければならないことは学んだ。

行動量の多さのおかげで「不測の事態は起こるが前提。」「予定は未定。」「事業は不成功の方が多い。」などから、臨機応変/柔軟性を手に入れたかもしれない。

我が子が「音楽付き日めくりカレンダー」をゼロからつくり販売までこぎつけた行動量は、とても高く/多く、この先も柔軟な発想から面白いコトをしてくれるんだろうな・・・と楽しみでしかなく、父も長年温めている物語の執筆を始めるか!?と思ったり。

2025年11月22日土曜日

誰もが通る“初めて”。

https://dia-a-dia.com/

初めての自己紹介、初めての手紙、初めての企画書、初めてのプレゼン、初めてのアルバイト、初めての仕事、初めてのデザイン、初めての打ち合わせ、初めての提案、初めての受託、初めての喜び&悲しみ、初めての退職届け、初めての起業、初めての仲間集め、初めての商品開発、初めての助成金、初めての販売、初めての依頼、初めての就任、初めての法務局/税務署・・・と、生きていれば“初めて”との関係は、否応ナシに避けられない。

ましてや、ゼロイチ、起業/創業の場合は、初めてだらけが倍増する。
54歳でも初めてが多いのだから、この先も初めてのコトは多いだろうと推察。

すると例えば、本を出版しようと思い立ったまではいいが、完璧を目指して、一年後にやっと取り掛かったとAさん。

Bさんは一先ず、1ヶ月かけて書いた1冊目を公開するも酷評されて凹む。でもブラッシュアップした2冊目を2ヶ月後に出し、また酷評されるも1冊目に比べると出来はよく、更にブラッシュアップした3冊目を3ヶ月後、4冊目を4ヶ月に世に出して評価を得続ける。

一年間、何も行動しなかったAさんに比べて、Bさんは10ヶ月ほどで計4冊を書いた。
Aさんの完璧と思う気持ちは「思い込み」なので、世間からは評価されず。
Bさんはトライ&エラーを繰り返して、世間に認められていった。

『Done is better than perfect.(完璧を目指すより、先ず終わらせる。)』の例え。

diadiaの「音楽と共に楽しむ日めくりカレンダー(3,500円/個)」は、これまで世になかったモノ。

イメージだけは膨らむアイデアの中で、「できるコト、したいコト、しなくてはならないコト」など現実との乖離も発生して、ジレンマもあったと思うけど、熱量と仲間の協力を紡いで、一つの形になったのは本当にスゴいこと。

できない理由(=言い訳)を並べるのは簡単。
「やってみないと分からない」は本当で、この経験が彼らの今後に良い効果をもたらすのは間違いなく、夢に相乗り!

2025年11月10日月曜日

二拠点生活どうですか?


「二拠点生活、どうですか?」と、よく尋ねられる。愛媛県内も移住促進に積極的。
我が家の場合は、2021年に妻が愛媛大学以外に創価大学(八王子市)でも教壇に立つことになり、私はと言うとフィルム・コミッションもあるし、ココ大もあるので愛媛を離れられず・・・と言う結果の二拠点生活。

実は松山市には妻の実家、八王子市には私の実家があり、お互いの両親に近いので安心と言う面も。

そして、子ども達も手がかからない年頃だったのも二拠点生活がスムースにできた理由かも。
アドベンチャーファミリーを標榜する我が家なので、皆んな逞しく育ってくれた。

押し並べて平均すれば毎月、どちらかがどちらに行っていて、「再会は2年ぶりです!」とかはない。航空会社にかなり寄与してると思う(笑)

現在の二拠点生活は、お互いに単身生活(子ども達は既に一人暮らし)なので、自分のペースで仕事も休暇も過ごせるのは大きな利点。
良くも悪くもお互いに、ずっと仕事ができる質なので、周りからの干渉もなく納得するまで仕事ができる。そして、休暇も計画できる。

二拠点生活で最も聞かれる(質問される)のはお金の話。
それぞれ自立しているから、家賃や光熱費、食費などの生活費は別々にやりくり。

お互いに不安定さはあるけど、結婚した当時は二人でも一人分の平均給料額に届かなかったのだから、あの頃と比べると随分と成長した。

それぞれに生活費が発生(=2倍)してるから、一緒になれば出費は減るかもしれないけど、お互いに“やるべきコト”に邁進してるから「今ではないね。」と話し合い済み。

離れているからといって、家族間のコミュニケーションまで離れているか?はNOで、お互いに子ども達ともオンラインで繋がっているから全く問題ナシ。

家庭や家族に正解も不正解もないから、それぞれで良いと思うけど、余裕があっての二拠点生活ではなく、それぞれが自分の得意専門分で活躍できる場所が、偶然にも互いの故郷だったことから心配もなく成立しているのかも。と、質問に答えて反芻。

2025年11月3日月曜日

ちょっと、いい話。


80歳超のお婆ちゃん、スイミングプールにて。
「どうして、急にターンの練習を始めたの?」と尋ねると「三途の川ってあるでしょ?あそこから戻れるようにターン練習しているの。」

小学校一年生が遊んでいたら転んでケガをした。
先生が絆創膏を貼って、ケガもしていることから「今日は、まっすぐお家に帰る?」と尋ねると「違うよ、ちょっと曲がるよ。」と泣きながら答えた。

「核兵器ミサイルを無効にする方法があるんです!」「それは何ですか?」「ミサイルUターンシステムです。」「なんですかそれ?」「ミサイルが発射されたら、発射された場所へ戻してしまうシステム(通称:DND/ドクター中松ディフェンス)です。そんなシステムを開発できる人がいるんです。」「誰ですか?」「ドクター中松氏です。2003年の東京都知事選挙の時の公約です。」

極めつけは、当事者本人から。
落ち込んでいた彼女(当人)は気分転換に海岸を訪れる。目の前にカニがいて気分がムシャクシャしていた彼女は「ワッ!」と、カニを驚かした。

すると、カニは反射的に両腕(ハサミ)をパッ!とあげた。
(カニは威嚇のつもりと思うが)彼女には「ピース」に見えて、ハッ!させられ、それまでムシャクシャしていたのがバカバカしくなったようで気が鎮まる。

その出来事以降、彼女はカニを自分のラッキー生物にしているという話。(実はその後、(別の)カニを飼ったという“続き”もある。)

「すごくいい話だね!」「実は、このエピソード、テレビでも紹介されたんです。」「えっ!そうなの?」「はい、“月曜から夜ふかし”(と言ってた記憶)で街頭インタビュー受けました。」

「ちょっと待って!すると、二人ともテレビの街頭インタビュー(“笑ってコラえて”と“月曜から夜ふかし”)されたってこと?」で大笑い。オモロイ二人。

2025年10月31日金曜日

何度も拍手!


我が家の末っ子くんと言えば、これまで「あんな」「こんな」「どんな」「そんな」で、何度も学長日記に登場した人物。

小学校から中学校、高校・・・と思いきや「N高校に行きたい。」と、地元・松山の高校ではなく、当時開校したばかりのN高校へ進学して、いきなり一人でシェアハウス暮らし。

高校卒業後は大学へ進学せず、オーストラリアへ旅立ち、その勢いでイギリスでも暮らす。
先に海外へ行った姉、兄を見て育ち、「なんだか、うちの家族って変わってるな〜って思ってたよ。」と、幼心の当時の心境を教えてくれる(笑)。

そんなユニークな彼も21歳になりました。
「日めくりカレンダーを作ろうと思ってる。」と、教えてもらったのは一年ほど前。
聞けば、日めくりカレンダーだから、日々の一枚一枚に、QRコードが印刷されていて、そのQRコードを読み込むと、予め埋め込まれている音楽が聞ける・・・というアイデア。

毎日、一枚に一曲の楽曲って、どんな曲なのか?
それは音楽好きな彼がキュレーター(専門知識を活かして音楽文化の橋渡しをする人)となって、世界各地の音楽から選んでリコメンド(推薦、提示)するとのこと。

聞いたことがないアイデアに先ず拍手!
末っ子くんらしい発想にもう一度拍手!
ゼロイチへ挑戦に誇らしさを感じて拍手!
さらに、仲間を募り(デザイナーはスペイン人のミゲルくん)、4人でプロジェクトとして始めた!ということに何度も拍手!

アイデアを思いつくだけでも素晴らしいけど、アイデアに留まらず踏み込んで、実際に作ろうと、デザインの検討や調べごと、印刷会社へ相談に行ったりしていると聞いて、見守っていたけど、ついにサンプルができた。との連絡。

デザイン性に振り切っていて、ユニークで好奇心がそそられる感じがしたが第一印象。
言葉だけで理解していたイメージが、目の前に現実になっているって、無条件にスゴい!

「これで終わりじゃないよ。スタートだと思ってる。」は更なる期待と可能性を感じさせてくれて、父は涙が出そうだった件。

2025年9月21日日曜日

色々と待ったナシ。

2,400円のランチセット。

映画館の窓口で「大人一枚、子供一枚。」と告げたのは、お婆ちゃん。子供と言ったのは初老の男性だった・・・。というエピソード(色々な枝話がある。)をなぜか思い出した件。
要するに親にとって子供は成人していようが歳をとったとしても子供は子供という話。

父と叔父たちの3人組は全員85歳以上。
話を聞けば相変わらず元気のようで、また一緒にお出かけを計画しているようで、息子から見れば元気なお爺ちゃん達だな・・・と。

「昼食でもどうですか?」と誘ったら、「ご馳走するよ!」と父。
中華料理店と言うので店前に着くと、「フカヒレスープなんてどうだ?」と、ビックリする値段を指差すから「いやいや、ランチセットで十分だよ。」と制止(笑)。
同じランチセット(写真)を注文、食後のデザート(杏仁豆腐)がついて2,400円/人。

悪口でもディスりでもないけど、近所の「梁山泊」「元帥」も十分に美味しいとわかる。
「香港」なら2,400円/人で食べきれない程の量だろうな・・・と思った小市民。

話を戻して。
近況などは電話でも伝えられるけど、こうして時間と場所を確保して直接伝えた方が喜ぶのが親というもの。そして、色々と考えさせられるお年頃になっている父と私。

普段は離れているので隣町で暮らしている姉夫婦にお世話になりっぱなしだけど、息子として50代を過ぎた人間として直視しないといけない、後回しにしてはいけないコトが近づいていて、正解も不正解もないから悩ましい。

話が煮詰まったので「コーヒーでも飲もうか?」となるも、スタバしかなく、85歳が「コーヒーを2つちょうだい。」と53歳の分も注文してくれる(笑)。

そして、お土産まで持たせてくれ、再会を約束して別れる。
色々と待ったナシが近づいてくる。

2025年9月18日木曜日

次回は92回目!?

抹茶アイスに29のローソク立てる。

一週間前は予想していなかった上京。でも、おかげで結婚記念日を祝うことができる。
1996年9月に結婚したから29周年。
余談は、100均ショップって品揃えが豊富で、数字のローソクも何種類も売ってた。驚き。

覚えているのは、1995年、ニューヨークで暮らしていた私と妻は、近所のカフェで(妻の大学卒業もあり)、今後について話しあっていて、「ニューヨークも卒業かな。」なんて、偉そうな事を言ってた世間知らずだったような・・・。

すると妻は、そのまま愛媛に戻らずイギリスへ更に留学することになる。
私は実家のある東京に帰らず、愛媛という地に興味津々で石手・東野辺りにアパートを借りる。
これまた思い出すのは、近所に暮らしていた酒屋の大家さんに何から何までお世話になったこと。

妻がイギリスから戻り、そのまま結婚。当時、私は24歳。
最近の男性の平均結婚年齢は31歳だから、かなり若くして結婚したんだな・・・と。

当時、仕事もしていなく「25歳まで働いていませんでした。」と、講演会などで話すのはこれが所以。

そして、義父の会社でアルバイト→愛媛製版センター(現:イープレス)→ネットイヤー→愛媛県→松山市→いよココロザシ大学と続き、現在に至る。

妻と29年という山谷を登ったり降りたり、曲がったり、滑ったりしながら過ごしてきて、色々ありましたね・・・と笑い合う。

長女が生まれ、長男が生まれ、次男が生まれ、あっという間に成長して、成人して、それぞれがそれぞれの道へ進み、彼らも親がこんな感じだから、オルタナティブな道を歩み始めて、これからが楽しみ。

抹茶アイスに立てた29のローソクの出番は1〜2分で終了。
消した後、「もったいないね」と妻。「次の出番は92回目!?」と一人で大笑いの妻(笑)

2025年9月7日日曜日

確信した日。

末っ子とは3時間ほど話す。

10年後も“なくならない仕事”は?と尋ねると・・・。

<コミュニケーション能力が不可欠な仕事>
一人一人とのコミュニケーションが求められる対人関係や共感が重要な業務は、AIによる代替が難しい。


創造性・発想力が求められる仕事
芸術家、デザイナー、作家などの創造的な仕事は、AIが代替しても限界がある為、10年後も需要が続く。

AIを活用する・作る仕事
AIを管理・開発するエンジニアや、AI搭載のシステムメンテナンス、AIデータを使った仕事は、10年後も不可欠。

臨機応変な対応や判断が求められる仕事
その場に応じて柔軟な対応が求められる仕事は、人間的な判断が重要。

とのことだけど、もう一つ挙げるなら「世界のどこでも通用する/マーケットがある仕事」はどうか?


と言うのも、我が子たちが拓こうとしている仕事/業種は、聞いたことがない(私が知らないだけかもしれないけど)業務だらけで、聞いていて楽しくて仕方なった件。


3人とも同級生とは違う道を選択した時(長女は高校から、長男は高2から、次男は高校から)は、周りと違ったので、(当時の)学校も声をかける程度しかできなかった記憶。

あれから10年ほど経ち・・・結局、選択した時からオリジナルな道を歩まざるをえなかった子ども達は、当時から自覚していたのか、それとも無意識だったのか分からないけど、コミュニケーションが必要、創造性が必要、臨機応変(現場力)さが必要、視野を広くするのが必要と理解していたのかも。

そもそも、フィルム・コミッショーになる!と決めた2001年。

我が両親も「なにそれ?食っていけるの?」だったっけ(笑)

(その業界を)知らなかっただけかもしれないけど、少なくとも世界にマーケットがある創造的な仕事は簡単には無くならないことをカフェで確認した日。

2025年7月26日土曜日

内子探索備忘録。

とても素敵だった外国人女性が描いていたペン画

たまたま立ち寄った本芳我邸で、ハゼの実から採取されて作られる蝋について、全く知らなかったコトを猛省して建物内をウロウロしていたら、縁側に座っている女性がいて、その佇まいがとてもよい雰囲気。

その脇を通り抜けた時に、ふっと見たら女性はペン画を走らせていて、とても素敵だったので、「その絵の写真を撮らせていただけませんか?」と尋ねると、キョトン?とした表情だったので、(おぉ!)と思い、英語に言い直して尋ねると「Sure!(もちろん!)」と返ってきたので撮らせてもらった写真。

旅先で絵を描ける人は素晴らしい!羨ましい。

内子に旅行者を連れてきたら道の駅「からり」は外せなく、母は愛媛でしか買えない品々を購入。
母の周りにはないだろうとカラフルな「ひな豆」を紹介すると「豆、大好きなのよ!」と一袋手に取る。

で、父には「干し芋」を愛媛では「ひがしやま」と言うんです。と伝えると「なんで?」と言われも実はよく分からず、説明書きを見たら「干菓子山=山で採れた干した菓子」とのことで(そう言うコトだったのね!)と理解するも、干し芋とひがしやまは違うモノとのこと(諸説あります)。

この日の夕食は「ウェルピア伊予」でBBQ。
IYO夢みらい館のマネジャーから「ウェルピア伊予のクラフトビール」の差し入れがあり乾杯!
炭火で焼いた肉や野菜が美味しかったコト。

30年経ても、こうして付き合っていただける父と母には感謝しかなく、2泊3日の松山/内子旅は終わったのだけど、早速、お礼が届き、母の「しゃぶ辰」時代の心配りの凄さ(母はしゃぶ辰のマネジャーだった)を思い出したり。

ウェルピア伊予のクラフトビール

2025年7月25日金曜日

行き当たりバッチリ!

和蝋燭は炎が大きい!ススが出ない。

「四国カルストという山へ涼みに行きましょうか?それとも内子町という景観保存地域へ行きましょうか?」と尋ねると「普段から山(自然の中)に住んでいるから、街がいいかな?」とNYの父と母。
と、言うことで内子町八日市護国の町並みへGO!

道後から内子町まで50分ほど、八日市護国の町並みに到着。町並み探索スタート!
父も母もNYに40年ほど暮らしていたから、「これはスゴいな!」と内子の街並みに感激。
「ここの塀は長いなぁ」と言った所は内子中学校。「学校なの!?」と驚く父。

そして、内子中学校の前にあった本芳賀邸。
古い佇まいに立ち止まり、説明書きを読むと「そうか、和蝋燭などで栄えたのか!」と興味ありそうだったので500円/人で入ってみる。

すると地元のガイドさんが丁寧に案内&紹介してくれて、私も大いに知る&学ぶことできて(へぇー)となる。

ハゼの実から巨万の富を築き、100年以上経っても後世に伝えられる功績に驚くも、ハゼの実は漆と同じで「肌がかぶれる、危ない植物(死に至ることも)」だったのに、皮を剥がして実を蒸して、ゴミを取り除き、圧搾して蝋の原液を取り出そうと思ったのか?

そんな危ないコトを承知の上、命懸けで最初に見つけたハイリスク&ハイリターンに賭けた芳我家はスゴいとなる。だから莫大な富を得られたと理解した。

奥にある資料館でも蝋について知り&学び、すっかり「和蝋燭」に浸ってしまったNYの父と母。

芳我邸を出た後も和蝋燭が印象に残り、他の店などは立ち寄らず、大森和蝋燭店へ一直線!

西日本で2店しか残っていない和蝋燭店(と記憶)となった大森和蝋燭店で歴史や商品などの説明を聞いた我々。

すっかり和蝋燭の魅力を感じて、「インテリアでも素敵ですよ」という紹介に燭台と和蝋燭を購入して、思いがけず想像しなかった「行き当たりバッチリ」な探索となった件。

2025年7月24日木曜日

親孝行。

ニューヨークの父と母

ニューヨークの父と母が松山にやってきてくれた!
前回は東京でお会いできたから半年ぶりの再会。

実父母、義父母、NYの父母、アメリカの父母と、父母が多い私たち夫婦。
義父とアメリカの母は他界してしまったけど(涙)。

70代になっても元気な父と母。
今回は前回お会いした時に「もうさ、この歳になると、やることがないんだよ!」と相変わらずのNYの父節(笑)。
そんな話の延長から「松山に来てください!」となり、トントン拍子に話が進み、2泊3日の愛媛/松山旅が実現する。

会えば思い出話、今の話、そしてこれからの話に花が咲く。
人生の先輩でもある父と母の話は本当に面白。

思い出話は「しゃぶ辰(NYの父と母が経営していた日本食レストラン、私たち夫婦が出会った場所)」に来た著名人の話、当時の裏話など30年経った話題でも「えっー!」と驚いたり。

ちなみにNYの父母はキース・ヘリング、ジャン・ミシェル・バスキアを知っている(驚)。

今の話なら、愛媛/松山や世界各地、私たちの仕事内容などに興味をもって聞いてくださるし、これからの話であれば、いつも気にかけてくださっている我が子の話、楽しみにしてくださっている私たちの将来など、「(私たちの話は)老後の楽しみだな!」とNY父。

年月が経つほどに奇跡というかご縁としか言いようのないNY父母との出会いと今。
しゃぶ辰には私たち以外にも多くの(個性的な)日本人がアルバイト(当時はできた)がいたけど、こうして定期的に会っているのは私たちだけとのこと。
しゃぶ辰で知り合い結婚した・・・が大きいと思うけど。

「俺もこの先何年、元気か分からないからさ、また会おうよ!」と、今、会っているのに、もう次を期待するNY父。父のこういう所が好き(笑)

「私たちは恵まれているね。」と、妻としみじみ。

2025年7月13日日曜日

夫婦の未来。

コーヒー飲みながら未来会議

「私が働くのも長くて10年とすると・・・」と妻。「60歳まで残り7年か・・・」と私。
若い頃は60歳なんて、遥か遠い先の話で“おじいちゃん&おばあちゃんの域”と思っていたのに、自分たちにも迫ってきていて、今回の旅でも時折、話題にしたり。

と、言うのも海外に出ると、色々あるとは思うけどイキイキしているように見える&感じてしまうのは「隣の芝は青い症候群(≒一方的な羨ましい症候群)」か?

私たちは、これからどうしたいのか?どう生きたいのか?
心理学博士であり、ポジティブ心理学の可能性を研究している彼女にとって「ウェルビーイング(≒身体的、精神的、社会的に良好な状態にあることを指す概念)」は永遠のテーマのようで、
ウェルビーイングな日々はどうしたら過ごせるのか?

「自分との対話」が大切なのは基本。
そして(できる or できないは関係なく)未来を描くコトも大切なようで、カフェで話しても話し足りなく、帰りの飛行機で「できるコト(Can)、やるべきコト(Must)、したいコト(Will)」の輪っかを描いて思考を整理したり。そんなコトする夫婦はいないと思う(笑)。

「CanとMustの重複=仕事」「MustとWillの重複=夢」「WillとCanの重複=趣味」「三つの輪の重複=バランスがとれた生きがい」とするならば、それは何だろう?と。

これは不変ではなく、年齢や経験値によって変わる。
一先ず!私の場合は「フィルム・コミッション」と「ココ大」で、グラグラしながらもバランスが保たれていると思う。

でも、このバランスは自分一人だけの力ではなく、仕事相手や社会&経済状況、家族環境によって大きく左右される。
ほんと、一年先が不透明なまま毎年を繰り返して、振り返って安堵・・・という感じ。安定性が全くない。

妻も行く先を色々と考えていて、お互いに踏み込んだ話ができたのは海外という機会だったからかも。

こんな心情を「ミッドライフクライシス(中年の危機)」と言うのかもしれないけど、一つ明確にわかったのは「地域づくりも夫婦関係も積極的に関わらないといけない」ということ。

2025年4月27日日曜日

三人揃って255歳以上。


過ぎてしまったけど、父(85歳)の誕生日ケーキを妻と娘が用意してくれていた。
思い起こせばNY時代に「(病気に)危ないかもしれないから覚悟はしておいて!」と、当時の国際電話で知り、アタフタしたけど、あれから30年以上が経っても元気でいてくれて感謝。

元気過ぎて「最近はミステリーツアーに行ったんだ!」「ミステリーツアーって、行く先が分からない旅のこと?」「そう、バスツアーなんだ。」と、父の兄、父の妹の旦那(私から見ると叔父たち。全員85歳以上。)という三人揃って255歳以上の爺さん3人組で旅を楽しんでるから元気でなにより。

そんな姿を見ていると、私たちの30年後も80代に突入。
日本人の平均寿命は84歳(男性81歳、女性87歳)とのことで、90歳まで生きる確率は男性が25%(4人に1人)、女性は50%(2人に1人)と、長寿国日本!

個人的には、そこまで長生きするとは思えないけど、医療技術などの発展で「老人Z」のような世界もフィクションっぽく聞こえなくなってきた。

ただ、長生きするというのは、それだけ「お金」も必要なわけで、父の世代は年金などもしっかりしているけど、我々世代は安心して老後を過ごせない・・・など心配が尽きない世代。

どう考えても、今の一般的な80代と我々が達する80代では同じ80代でも質(生活様式など)が異なるのは目に見えていて、どうなっているのだろうか?

80代でも自分の生きがいなどの意欲で働いているのか?それとも働かなくてはならない状況に陥っているのか?
深く考えてもしょうがないから、今日を充実させようと思った件。