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2026年4月19日日曜日

引越し物語。


春は移動(異動)の季節、我がアパートでも先日、階下の方が引越しをされていた。
その方は自身が引越してきた際に、ご挨拶をしてくれた。ガス栓に赤札がついていて気づいた。

数日後の朝、ピンポーン!と呼び鈴が鳴り(はて?配送荷物の予定があったかな?)と思ったら、引越し業者さんで、お隣が引っ越すので騒がしくなるのでご容赦ください的なご挨拶。

「はい、わかりました。」
としか言いようがなかったけど、そう言えばお隣さんとは、私が引越してきた6年前にご挨拶をして以来、お会いしたのは6年間の間に2-3回程度。

同じフロアだったのに、すれ違うこともなく、顔も容姿も覚えてないし、(当然)名前なども知らず。(たぶん)単身者で古い自転車に乗っていたのは知っている。

お隣さんと言えるけど、素性も知らない隣人。こんなものなんだろうな。
と、言うか、向こうも私のコトをしらなかったはず。怪しく感じていたかもしれない(笑)。

冷蔵庫も電子レンジもオーブンもテレビも自転車もなく、朝早くに散歩で外出、出張の度にブレーカーやガス栓を落としているなんて、知る由もないはず(笑)

都会は人間関係が希薄・・・とは、松山でも十分にあり得るということ。
賃貸だから、ご近所付き合いなんてない。2時間ほどで引越しは終了したようで、去って行った。

というコトもあれば、東京宅では、ちょっと変わった共同生活が期間限定で始まったよう。
周りから見れば(えっ!?そうなの?)と、言われること間違いナシだけど、私たち夫婦にとっては特別なコトではなく、期間限定だし、誰かの役に立てば・・・という感じ。

私も18歳で米国へ渡った時は、アメリカの父と母の家でホームステイをさせてもらった。
ニューヨークでは最初は寮に入り、その後、マンハッタンのアッパーウェストでホームステイをしたけど、色々あって3か月ほどで出た記憶。

その後は当時は危険地帯(ドラッグなど)と言われた(今はオシャレになった)Ave A&Ave Bのダウンタウンに住んだっけ。

引越しの数だけ物語がある!私はココにどれほど居るのだろうか?

2026年4月16日木曜日

泣かすなよ!ダイアナ・ロス

改めてスゴさを実感

実父に会えて、アメリカの父に会えて、長女と長女の彼に会えて、長男と長男の彼女に会えて、末っ子と末っ子の彼女と食事できた日々。

もしかしたら将来、家族になる人がいるかも・・・と、想像するだけで感激&感動して涙腺がゆるむ。

実はスケジュールの都合で最初は上京に消極的だった私。
それを後押ししたのが妻で(それならば・・・)と、エイッ!と気持ちを切り替えたのが良かったのか、上出来すぎた日々。

展示会(空山基など)にもマーケットにも行けたうえに、パエリア(スペイン)、バインセヨ(ベトナム)、フライドカラマリ(アメリカ)まで食べれて、満足の上を行く満足に誰かに感謝せずにいられず、
思わず神様に感謝する(笑)。それぐらい充実してた。

愛媛に帰る日。朝が早かったので飛行機では音楽を聴きながら寝ようと決めていて、早々にヘッドホンしてプレイボタンを押して流れてきたのはダイアナ・ロスの『サンキュー』という曲。

ダイアナ・ロスと言えば、女性シンガーの大御所中の大御所。

シュープリームスを経てAin't No Mountain High Enough(1970)、Love Hangover(1976)、Upside Down(1980)などは超有名曲。

それらは知っていても、『サンキュー/Thank You』は知らず。
それもそのはず、この曲は2021年、22年ぶりに出されたアルバムのタイトル曲。


この時、御年77歳!

歌詞が脳内で断片的に翻訳されて、♪自分や周り、神様への愛と感謝🎵がこれでもか!というほど詰め込まれている曲と分かり、ジ〜ンときて涙が出る(飛行機に着座してるのに!)


このまま聞いていては涙が溢れる・・・と思い、次曲にしたら、今度は同じダイアナ・ロスの『BOSS』が流れてきた!

この『BOSS(1979)』という曲も、♪自分を全肯定しよう!🎵という歌詞(実際は恋愛関係にある女性の強い意志の代弁のよう)で、🎵自分を信じてきてよかった♪的に訳せて涙止まらず(笑)。なんなんだよ!ダイアナ!泣かすなよ!


で、やっとミニオンズ・フィーバーの曲『Turn Up The Sunshine』を聴いて落ち着く。


その時は『サンキュー/Thank You』を流したい!と決める!
また、涙が出そう・・・。

フライドカラマリを食べながら。

メニューにしっかり「フライドカラマリ」と書いてあった

「好きなモノを、何でも食べなさい。」とアメリカの父(ハルのお父さん)

2回目の「東京アメリカンクラブ」。
一歩入るとアメリカンな雰囲気で、実際に受付時から英語。前回はディナー、今回はランチ。

辺りは(たぶん)アメリカ人と思われる人が多く、リラックス(新聞読んだり、本を読んだり、談笑したり)している。私たちだけでは絶対に行かない、行く考えもおよばない場所。

当然、レストランに入っても周りはアメリカ人、サーブしてくれる方も外国人で英語で話しかけてくる。「自分は新任マネジャーです。」と挨拶に来た新マネジャーはミャンマー出身だった。

メニューを見ると「ステーキ」などのザ・アメリカンなメニューががズラリ。
読み進めると「フライドカラマリ」を見つけて(やったね!)となる。

昨日もベトナム料理店で食べた所だけど「フライドカラマリ」とキッチリ書いてあるのだから、頼むしかない!

そして、メインディッシュは「ダブルチーズハンバーガー」、妻は「ソフトシェルハンバーガー」を注文。

アメリカの父とは1年半ぶりの再会。
私たちの様子に喜んでくれる父、先日はハルにも会ったこと伝えると目を細めてニコニコ顔。
そして話は亡きアメリカの母の話におよび思い出話。
いや、ホント35年以上前に出会ってから、今でもこんなに親しく付き合わせてもらってるなんて奇跡だねと妻。同感です。

そうこう話していると、やってきました!フライドカラマリとダブルチーズハンバーガー!
ファストフード店でもダブルチーズハンバーガーはあるけど、バンズの外は焼かれていてパリ!中はフワッ!ビーフ100%の肉汁にピクルスが合う!

そして、念願のフライドカラマリ。
前日のイカリングも美味しかったけど、今回のは一つ一つが大きく、ジューシーだった。
なんで、日本で同じ味が出せないのだろう?と不思議。

話は尽きず2時間超え。
タクシーで滞在先までお送りして、別れ際はギュッ!とハグ(強め)。
当時18歳だった息子は54歳に成長しました。


2026年4月15日水曜日

クルーズ乗船者は語る。


リタイア後は毎年、クルーズ船で世界をめぐり、世界一周も経験済み。悠々自適に暮らしているアメリカの父。

「歳だからもう世界一周はできないな。でも、愛媛にはまだ行ったことがないんだよ。」とポツリ。
そして、「えっーと、愛媛にある“でんじろうカフェ”って知ってる?街並みがキレイな所にあるらしいんだ。」
「んっ!?街並みがキレイ?内子かな?」
と調べると、内子町八日市護国の街並みの中に「カフェ でんじろう」という古民家の和カフェがありました!

でも、私は行ったことがない。それをネットを使い、数あるカフェから探し出す父はスゴい(笑)。

「(クルーズ船で下車してから)どれくらいの距離/時間なの?」と父。
「港から車で90分〜100分程度でしょうか?ちょっと遠いですよ。」と伝えると。
「いやいや、クルーズ船に乗っている客の多くは時間があるから、往復4時間くらいのアクティビティまでならOKだよ。」
と、貴重なユーザー意見をいただく(笑)

「その代わり、送迎の車移動はマスト。私のような高齢者が多いから、階段や徒歩は大変だから車だね。」
これも貴重なユーザー意見。

「あと、滞在するなら、私はファミリーマート、ローソンが近くにないとダメ。」
「ファ?ファミリーマート?、ローソン?ってコンビニ?」
「そうコンビニ。(クルーズ船に乗って、現地自由時間で)花巻東高校まで行ったほど大谷翔平のファンでさ、ファミリーマートが大谷翔平のおにぎりを出したから食べたんだけど、イマイチの味だったね。私の口にはローソンが合うよ。」と父。

「でもさ、前に日本を訪れた時にはあったのに、今回はないモノもあって、食べられると思っていたのに残念だったよ。」と、かなりのコンビニ好き。
「あぁ、それは季節的な商品ですよ、きっと」となだめる私(笑)

「もう日本に住むことはない(=アメリカ在住)けど、日本は素晴らしいよ。特に自然はビューティフル。愛媛でコンビニがあって1ヶ月ほど自然に囲まれて静かに滞在できる所があったら、行きたいな。」とリクエスト。

チャンスですよ!愛媛!

バインセオを食べながら。

イカリングとバインセヨ

長男くんたちと別れた後は“、本町・中華街にあるベトナム料理”の店を目指す!
今は横浜駅、ここから中華街へは地下鉄に乗るのが手っ取り早かったのだけど・・・。

(1)腹ごなしをしたいと思った。
(2)天気と浜風が気持ちよかった。
(3)歩数を稼ぎたかった(1万歩/日)。
(4)実はイマイチ、乗り継ぎ方が分からなかった。
などの理由から妻と「(中華街まで)歩こう!」となる。

道のりは海沿いを約4km、50分余り。
海を見ながら&街並みを見ながら歩き、中華街に到着する頃は待ち合わせ時間にも近くなり、腹は減るわ、2人分の電車代は浮くわ、歩数は稼げるわで良いことづくし。

「いやいや、横浜駅から中華街まで歩く人、いないですよ。」は長女の彼氏。
長女と彼氏とは一緒にベトナム旅へ行った仲。

思い出エピソードとしては、彼が初めての体験でも何でも積極的に楽しんでくれたこと。大いに楽しめました。

末っ子くんの彼女も、長男くんの彼女も、長女の彼氏も我々家族に「どうしたら、そうなるの?」的なハテナがあるようで、ちょっと変わっていると思われている。変わってるかな?

ベトナム料理と言えばフォーとか生春巻きだけど、注文したのは「(彼氏がベトナムで食べた味をもう一度!ということで)空芯菜の炒め」「(フライドカラマリではなかったけど)イカリング」そして「(ベトナムの料理教室で作った)バインセヨ(ベトナム風お好み焼き)」。

ここも“媚びてない味(日本味にローカライズされてない味付け)”で美味しかった!
長女と彼氏とは、もっぱらベトナム旅の思い出話。
共有できる話題があるとワイワイ度合いが倍増する。
こちらも凸凹あるものの、仕事自体にはやりがいを感じていて、(踏ん張って!)とエール。

私が来ることで有給取得などで時間調整をしてくれた妻や子ども達には大感謝(涙)
昼も夜も美味しい食事、稼ぎたかった歩数も20,000歩を超えて、妻宅に着いたらバタンキューだった夜。

2026年4月14日火曜日

パエリアを食べながら。

カサ・デ・フジモリのパエリア

関内駅を目指していたのに、なぜか桜木町駅へ向かっていて大慌て。
長男くんに連絡して集合時間に遅れる旨を伝えて、急足で向かったのはスペイン料理店。

スペイン料理店とは随分とオシャレな選択。
「イカスミのパエリア」「フライドカラマリ(私のフライドカラマリ好きは、
マドリードでハマった)」など、スペインを訪れた時に食べた美味しい味しか思い出しかない!

久しぶりに会う長男くん、そして初めてお会いする長男くんの彼女。
二人に遅刻したことを詫びて緊張をほぐしたつもりだけど、余計に緊張させてしまったかな?どうだったかな?

乾杯はサングリア(スペイン・ポルトガル発祥の赤ワインにフルーツ、シナモン、砂糖や蜂蜜を漬け込んだ果実のワインカクテル)。

普段は一滴もアルコールを飲まないけど、せっかくの機会だから。
それにしてもNY時代以来だから約30年ぶりの
サングリア?美味しかった!

話を聞けば美術が好きな二人、共通の趣味があることはいいことで、根掘り葉掘り聞いてしまう、職業病の悪い癖を反省。

そうこうしているうちに出てきたのはシーフードパエリア。
それも、しっかり焦げ焦げ。
「これはどれほど焼いたパエリアなんですか?」
「30分ほどです。」
「じゃあ、注文を受けてから焼き始めたんですか?」
「はい、そうです。でも焼いた後に直ぐには出せない(熱いから)ので、冷めてから出します。」
「そうですか、カリカリで美味しそうですね!」
と、相変わらず聞いてしまう(その方がより美味しく感じられるから)

店員さんに取り分けていただき、いざ実食したパエリアは“媚びていない味(日本にローカライズされてない味という意味)”で感激。

ペロリ!と食べてしまい、まだ残っていたパエリアも食べれたけど、長男くん&彼女に食べてもらう。と、言うのも、この後の夕食は長女&彼氏だったから(笑)

ワイワイお話ができて、二人とも仕事にやりがいを感じているようで何より。
親は我が子の応援団であることを改めて実感した2時間余り。
我が子は親の活力!

ポテトサラダを食べながら。

写真を撮り忘れたのでイメージ

末っ子くんが、大学入学&アルバイト継続などに合わせて引っ越すことになり、「私物」を妻宅へ持ち込むことになり、待ち受けていたものの来ず。

(そのうち来るだろう)と思っていたけど、予定よりも2時間以上経っても連絡がないので、こちらは夕食の準備を開始。

一人(単身)では絶対に料理は作らない(調味料も材料も道具もないからだけど)。
だけど、食べる人がいる(妻)といれば話は別。
だけど妻も予め煮物などを作っていたので、私は具なしポテトサラダと温野菜程度。

すると「ピンポーン!」と呼び鈴がなり、末っ子くんと彼女がやってくるも疲労困憊の様子。
「どうしたの?遅かったね?」
「電車を乗り間違えてしまって、遅くなってゴメンなさい。」と彼女。
「そう、八王子駅まで行っちゃったんだ。」と末っ子くん。

聞けば電車に乗ったものの、乗り換えるのを忘れてしまい終着駅に・・・。
終着駅から妻宅の最寄り駅まで直通はなく、乗り換えがあるから、大きな&重い荷物を伴っての移動(徒歩や階段など)は大変!

地方だとレンタカーを借りて・・・となるけど、若い2人は電車で引越し移動、疲労困憊になるはず。

でも、疲労困憊になったせいか、休んでいくことになり、「夕飯を一緒に食べようよ。」と誘うことができ、そこへ妻も帰ってきて皆んなでワイワイ夕食。
こういう“ささい”、“ささやか”なコト大切。
「のぼーるサンのポテトサラダ、美味しいです〜。」と味が沁みたようで褒めてくれる末っ子くんの彼女。

若い二人には夢と可能性しかなく、大きく語らってもらうことで、こちらは英気をいただく(笑)。

労った後は二人を駅までお見送り。駅までは徒歩10分、「もう葉桜だねぇ・・・」と東京の桜は終わり。

2026年4月11日土曜日

帰れば帰ったで。


東京に戻れば老いた両親の様子が気になるのは当たり前。
かつ、今回は母が入院先から一時帰宅というタイミングも重なり訪ねる。親孝行のつもり。

東京宅から実家までは徒歩50分。
すっかり葉桜になった公園を通り、川沿いを歩けば実家近くまでたどり着く。

両親は二人とも4月生まれだったので、バースデーカードを妻が用意してくれた他、曽祖父の記事を用意してくれて実家到着。「よう来てくれた!」と出迎えてくれる父。

あいにく、母は姉夫婦と病院診察で不在だったけれど父と会えて、一先ず生存確認。
80代も後半、自身でも衰えを実感していうようで、「もの忘れが多くてさ、やんなっちゃうよ・・・。オレも長くないな。」と東京弁。

我が子の近況(父からすれば孫の近況)を伝えるのが一番のボケ防止。
母は入退院を繰り返しているから普段は一人の父、姉が隣町で暮らしてるから色々と面倒を見てくれていて、せめてもの気持ちで姉夫婦への愛媛土産を父に託す。

1時間ほどで実家をあとにするも、待ったナシの状況は刻々と迫り、どうしたらいいものか?と思うとドッと疲れが出て(帰りはバスで帰ろう・・・)とバス停へ向かったら、バス停まであと数十メートルの所で乗りたかったバスに追い越されて乗れず・・・。

次のバスが来るまで15分も待てず、帰りも徒歩を敢行。
おかげで往復15,000歩を稼いだと共に歩くと思考が前向きになるからいい。

翌日。末っ子くんの音楽付き日めくりカレンダーをスキャンすると、ミュージカル「RENT」のメイン曲「Season of Love」だった!

「RENT」の時代&舞台がNY時代と完全に重なってるから、色々こみあげてきて涙腺ゆるむ。

♪1年間(52万5600分)を愛で測ろうという曲で、喜び、哀しみ、愛、友情など、生きている間に積み重なる時間を愛しみ、人生の指標にしようという希望に満ちた歌詞なんだもの、そりゃゆるむよ。

Seaso of Love


2026年4月4日土曜日

兄弟の話。

カニエの顔のようなイラスト

末っ子くん達がリリースした音楽付き日めくりカレンダー「diadia」。
4月2日の曲はカニエ・ウェストの「Celebration」。

カニエ・ウェストって、奇行ばかりが目立って偏見気味な印象だけど、メロディにセンスの良さを感じたり(上から目線)。スター歌手だもんね。

歌詞はタイトル通り、祝っている内容なんだけど、自分の心情(今日は祝うぜ♬乾杯だ。マリファナを手に入れたぜ♪)など過激な独り言を吐露してる(それがラップなんだけど)。

妻も私も初めて聞いて、おもしろい曲だね。となる。
そして、よくぞ、この曲を選んだなと末っ子の感性に拍手。

と、言うのも4月2日は長男くんの誕生日。
偶然なのか意図的なのかは分からないけど祝いの曲。末っ子くんは長男くんが好きだから、さりげない弟から兄へのプレゼント曲と思ったらジ〜ンときたり(笑)。それが親。

そんな末っ子くんが「大学へ行って勉強したい。」と言い始めたのは今年に入ってから。
何を学ぶ/学びたいかは妻に話しているようで私は知らないけどだ、学びたい意欲があるのは素晴らしいこと。学びを始めるに早いも遅いもない。

世間一般的に言うと末っ子くんは今春に卒業を迎えた22歳。
周りが進学する中で、海外で過ごし、友人達とプロジェクトを立ち上げて遂行し、中古レコード屋で海外バイヤーらとの交渉すれば、色々な気づきが得られるのもごく自然なこと。

妻も私も大喜びだけど、なんとなく子育てにひと段落感を感じていたタイミングでの、入学金、授業料などの出費。

(もうしばらく、踏ん張りましょう。)と妻と話していたら「奨学金が取れました!」と末っ子からの連絡。

これまでの成果などが認められた結果は通常額の半額。
学ぶに早いも遅いもなく、意欲が大切と教えてくれた末っ子くん。

2026年3月24日火曜日

曽祖父/高祖父の話。

とてもモテたそう。

渡されたのは9ページのコピー。泉谷祐勝(いずみたにすけかつ/曽祖父)の記事。

「これは、どうしたの?どこから?」と尋ねると「末っ子くんが国会図書館でコピーしてきたの。」と妻。
ちなみに、コピーの原本は『天狗倶楽部 怪傑伝:元気と正義の男たち』という本の306Pから9ページ。

以前、バラエティー番組「笑ってコラえて」に「日本で最初に(野球の)バントをした人のは私の高祖父です。試合に出場した時、“そんな卑怯な打ち方(=バント)はやめろ!”と、怒られたそうです。」という曽祖父エピソードを披露し、出演した末っ子くん。

自分のルーツに興味があり、末っ子くんに教えてくれたお礼を伝えると、「野球以外でも面白い内容だったよ!」ということで、読み進めると「祐勝は幼少期から海外への憧れをもち、ハワイ移住を真剣に考えていて、アメリカ遠征の時に初めて食べたアイスクリームに感激して、“こんなうまいものはない!”と輸入まで考えた。」という一文があった!

これ、ひ孫の私たち夫婦が体現したことと一緒だ!と妻と笑う(創業経験、アメリカ生活、初めて食べた植物性ソフトクリームに感激して輸入を考えるなど)。DNAは脈々と受け継がれているかも。

これまでは「天皇の野球チーム-スコアブックの中の昭和史-」という本でしか、曽祖父のことを知らず(大正3年に宮内庁入りし、その後に結成した宮内省野球班で参加した第二回丸の内野球選手権大会で勝ち進み、決勝戦で第百銀行と延長15回の末、優勝した。この時、祐勝は監督で一塁選手だった等)。

その後、東京大学野球連盟の常務理事に就任するも太平洋戦争勃発。
樺太、北朝鮮、台湾、中国などを回ったそう。

晩年は宮内省時代に覚えた「菊づくり」と「金魚の飼育」を趣味として暮らし、85歳で人生を全うする。

我々が思う以上に野球に関する資料が多く残されているようで、遺品などは秩父宮記念博物館に寄贈されたとのこと。

そもそも、曽祖父のことをほぼ知らなかった(関心がなかった)し、野球もしなかった。
でも、こうして世代を超えて調べてくれた末っ子くんから教えてもらう。

2026年3月23日月曜日

こういうの良いと思う。


義母&義兄夫婦から食事のお誘いアゲイン。
三連休だし、妻も愛媛大学での仕事があり1ヶ月ぶりの帰郷、そして来年度も愛媛大学での仕事継続が決まったとのこと。

食事はカレー鍋、煮込み、ポテトサラダ、チャーハンなどバラエティ豊かな味の食卓。
ほんと、単身では“ありえない”栄養素は義母&義兄夫婦からいただく(涙)、大感謝!
個人的には「タイミーお疲れさま会」だった気分(笑)

そして、姪っ子は最近、ホットケーキミックスを使ったお菓子づくりにハマっているとのことで、電子レンジで3分ほど温めてできるクッキーを用意してくれる。
女の子って、こういう道(お菓子づくり)を通るのか? サクッ!として美味しかった。

テーブルに飲み物が並び、ふと見慣れない缶を見たら「キリングッドエール」という名前のビールで、「それ美味しかったの」と義姉。

「へっ〜」と答えたものの、興味深かったのはパッケージでQRコードが大きく印字されていて、スキャンすると「キリングッドエール」の専用サイトにリンクされていて、「キリングッドエール」を買うと、0.5円〜0.8円が「キリングッドエール」に寄付される仕組み。

ゴール金額は4000万円で、既に3480万円以上の寄付(達成率87%)が「キリングッドエール」に寄せられていて、私は飲んでもないけど私がアクセスした分の0.5円が寄付された。

ちなみに、寄付先は全国の地域づくり団体で、愛媛では今治の「せとうちみなとマルシェ」だった。

こういうプロモーションは過去にもあったけど(アサヒビールの森林保護活動による植樹など)、共感を得やすいし、経済活動と社会貢献活動の両方が成立するから、どんどんして欲しい。

折しも、4月から「キリン福祉財団」から助成を受けるココ大。
「キリン」に敏感になってしまってるかも!

2026年3月15日日曜日

親に感謝。


生まれてから、タラッ〜と鼻血が出たことも、口内炎もなく、花粉症や〇〇アレルギーなどとも無縁に過ごしてきた50年以上。

でも、もしかしたら自分が気づいていない&感じていないだけで、本当はアレルギー持ちかもしれない・・・と、先日、生まれて初めて人間ドックを受ける際に申し込ん「View39(ビュー39)」というアレルギー検査。
人間ドック当日、この
アレルギー検査を含めて6本も採血されたのを覚えてる。

その結果が届き、恐る恐る見てみると・・・。
全39項目、全てにアレルギー反応はなかった。ほぼ陰性。

“ほぼ陰性”と言うのは「真菌」というカビ系に擬陽性反応が・・・という程度で、カビには誰もがアレルギー反応を起こすんじゃないの?と思ったり。

食べ物系のアレルギーは一切ナシ、ゼロ。
雑食を自負してるけど、トマトだけが食べれないので「トマトアレルギーです。」と、避けていたけど、ゴメンなさい。単に食感と彩りが苦手なだけです。

ここまでくると、こんなに頑丈に産んでくれた両親に感謝しかない。
すると妻、「私も花粉症やアレルギーなどとも無縁に過ごしてきたな・・・」と。
頑丈な夫婦ということが分かった検査。

アレルギー検査したの以下の39項目。

<吸入系・その他(19項目)>

【室内塵・ダニ】ヤケヒョウヒダニ、ハウスダスト
樹木花粉スギ、ヒノキ、ハンノキ、シラカンバ
草本花粉カモガヤ、ブタクサ、ヨモギ
ペット・昆虫イヌ皮屑、ネコ皮屑、ガ、ゴキブリ
真菌(カビ)アルテルナリア(ススカビ)、アスペルギルス(コウジカビ)、カンジダ、マラセチア
その他ラテックス(ゴム)

<食物系(20項目)>
穀類小麦、米、ソバ
卵・乳卵白、オボムコイド(加熱卵に反応)、牛乳
豆・ナッツ類大豆、ピーナッツ、アーモンド
果物・野菜リンゴ、キウイ、バナナ、モモ
魚・甲殻類エビ、カニ、サケ、サバ、マグロ
肉類牛肉、豚肉、鶏肉 

2026年2月24日火曜日

食のエンターテイメント。

見た目、ご容赦ください。

「何もない(3日間の)連休」とSNSで発信したら、毎日「食事に行きませんか?」「イベントに参加しませんか?」「展覧会を見にきませんか?」「一緒に行きませんか?」などのお誘いを受ける。

自分で発信しておきながら、多くの方からのご好意に恐縮してしまう(恥)、お声がけいただいた皆様、ありがとうございました。

最後は義母&義兄姉夫婦&姪っ子も一緒にと夕食を誘ってくれて、花園町の満マルへ。この店は雰囲気がいい。
そこへ東京宅から愛媛大学での仕事にやってきた妻が合流。久しぶりな合計7人の家族団欒。

東京には私の姉夫婦が暮らしているけど、こうした家族団欒の食事はしたことがないので、ほんと、何かと気にかけてくれる義兄姉や義母には感謝。そして、連休は心身満たされて終了。
振り返れば、なんだかんだで充実した3日間だったのだから、私は幸せ者です。

姪っ子は私のことを「ねぇ、インチキ」と呼ぶ(笑)。そんな間柄。
テーブルの上に並ぶ40本以上の串揚げ。「串揚げって家じゃできないし、こんなにカラッと揚がらないよね」など、たわいもない話でワイワイ。これぞ、家族という感じ。

「追加注文はないですか?」と義姉。
「雪見だいふく、お願いします!」と姪っ子。
「えっ!串揚げだよ?アイスの串揚げ?」
「そうだよ!雪見だいふくの串揚げ。」と涼しい顔の姪っ子。

しばらくすると、雪見だいふくの串揚げが3個登場。でも、姪っ子は2人。
(はて?)と思ったら、義母が私が食べるだろうと1個余分に追加してくれてた(涙)。

さて、そのお味は・・・。
衣はアツアツなんだけど、雪見だいふくの求肥?部分がビヨ〜ンと伸びてバニラアイスの味に届く頃は冷たい。不思議な感触。

んっ!?この味、初めてじゃないぞ!
NYしゃぶ辰時代に「アイスクリーム天ぷら」と言うのが流行っていて、スクープした抹茶アイスなどに天ぷら粉をまぶして揚げたのを食べた思い出。

「ママ!もう一つ、雪見だいふくの串揚げ!」
邪道と思ってはいけません、子供はこういうのが好きなのです。食のエンターテイメント。



2026年2月21日土曜日

何一つ分からないのがいい。


末っ子くん達「diadia」がリリースした「音楽付き日めくりカレンダー」は、1月1日から既に50曲以上が紹介されて、ジャンルも様々。日々、面白いリスニング体験を提供してくれている。

最近では「春節(中華圏での旧正月)」を意識したのか?イントロで(んっ!?)となり、聞いてみたら、【Thom Ki Ki(THE RABBIT THAT HUNTS TIGERS)】というアルバム曲で、アーティストのYin Yin(イン イン)は「サイケデリア、ファンク、ディスコ、東南アジア音楽の影響を受けて、マーストリヒトで結成されたオランダのバンド」と出てきた。

情報量が多くて何一つ分からないのがいい(笑)。
新しいメロディ/楽曲との出会い。気分や好みに合う合わないかは絵画と同じ、感覚的なモノだから飛ばしてしまう曲もあるけど、これは気に入った。

多くが知らない曲(聞いて初めて知る曲)ばかりだけど、2月12日は【A day In The Life(
ビートルズ)】だった。
そして、2月18日は【miss you(m-flo)】だった。

くっー、m-floと言えば2000年初期によく聴いてましたな。
LISAが脱退という話にフェードアウトしてしまったけど、今は復帰?されてるのね。
結成25周年ですか!それは良かった。

こうして、世代によって懐かしさを感じさせる曲なのに、我が子世代には新しく聞こえたり、普遍的に聞こえたりするのだから面白い。親子で同じ曲について語れるって嬉しい。

ちなみに、2月は毎日「サカナクション」がパワープレイ中だけど、末っ子くんの影響(笑)
聴く曲が、いつの間にか固定されてしまう年頃だから、拡げてくれる、気づかせてくれる音楽はいい。

あと、年末まで300曲余り。
アパートで作業をしていると、何一つ変わらず&動かず変化がないけど、音楽が雰囲気を変えてくれて発想の助けになっているという話。

2026年2月10日火曜日

時と場所を超えて。


日本で
2週間の仕事&休暇をしたアメリカの兄弟ハルと奥さんのヘミさんが帰国。
SNSで名残惜しそうに日本滞在中の思い出をアップしていたので、「楽しかったね!また来てね!」と、コメントを残すと。

Come visit us in the US. It was great to see you both again!
フロリダにも来て!二人(妻と私)に会えて楽しかった!またね!

という返信。ここまでは、ごくフツーの兄弟の会話。
すると、「新たなコメント」の通知が届き、何気なくアクセスすると・・・。

Say hello to Noboru for me!!!
ノボルへ、私からもよろしくと、伝えてね!

と、見知らぬ女性からのコメントに誰?なんで私のことを知ってるの?となる。
すると、ハルからも続けてコメントがついた。

Noboru do you remember Maria who helped my mom with the house? She says hello!
ノボル、覚えてるかい?バージニアの家で母を手伝ってくれたマリアさんだよ!

No way!
まさか!


頭の中のハードディスクがギュイーーン!と、36年前(たぶん1990年)まで遡って、当時の記憶にアクセス。

アメリカの母とハルと暮らし始めた当時、何も分からず&知らずな生活の中で、母の家を
定期的に訪れては家事を手伝ってくれていた女性がいて、私も向こうも初対面の時は超ビックリし合う(笑)。
そりゃ、突然、知らない男性(私)が家にいた&知らない女性(マリアさん)が家に入ってきたのだから、お互いに驚くよね。
そして、彼女はマリアさんと知る。

それから、掃除を手伝ったり、カタコトの英語でコミュニケーションをとったマリアさん。
当時の私は18歳、マリアさんは30歳だったのか・・・。

マリアさん、現在も当時の家の近くに住んでいるようで、家族にも恵まれて微笑ましい様子がSNSにアップされていて何より。おばあちゃんになってた!

SNS上とはいえ、声をかけてくれてありがとう!と。
当時から今を想像はできなかったけど、時と場所を超えての再会。
歳を重ねるのも悪くないよね!という話。
いやぁ、本当にビックリしたオンライン再会。

2026年2月7日土曜日

親のおせっかい。

親のおせっかいバラエティパック

我が子たち3人は、それぞれに独立してしまい、愛媛から離れてしまった。
気にする人から見ると、貴重な20代が愛媛から3人いなくなってしまい、そこへ「転出超過(愛媛県から県外へ出てしまった人数が、県外から愛媛県へやってきた人より多い状態)」の話題も重なる。里帰りはあっても、この先、愛媛に戻るかは現時点では不明。

それぞれ、元気に暮らしているけど、親としては何かとかかわりたい(笑)。
東京出張の際は食事などに誘うし、急に電話をして呼び出してコーヒーを飲んだり・・・。
付き合ってくれる我が子たちに感謝。

先日は愛媛県のオリジナルブランド米「媛の凛」を送った所。
正直、米の美味しさは他と変わらずかもしれないけど、色々と口実が欲しいもの。

そこへ、愛媛のB級グルメの代表格「焼き豚玉子飯のタレ」をいただく。それも元祖発祥の重松飯店のもの。
自分で使うのは・・・と思い、連絡すると「米(媛の凛)がたくさんあるから、欲しい!」とリクエストされる。

身も蓋もない言い方をすれば「焼き豚玉子飯のタレ」も、似た味は自作できると思う味。
だけど、「元祖発祥の重松飯店のタレだよ。」と、そこはブランドの力。

リクエストにハッスルして焼き豚を買いに行く。
でも、送る箱が焼き豚玉子飯のタレ、焼き豚だけではスカスカ。

ならばと、柑橘がいいか?インスタントの味噌汁がいいか?白米が多いならフリカケか?それともお菓子もか?など、色々とめぐらせて買い物開始。

色々と買い込んで、箱に詰める。
この瞬間が親にとって最も楽しくて、えぇい!と、ふるさと納税で届いた丼もの、カレースープなども入れ、未使用だったベトナムコーヒーまで入れて「親のおせっかいバラエティパック」が爆誕した(笑)。

で、思い出す。
NY時代に届いた日本食(カップラーメン、お菓子など)のありがたみ。
結局、親に自分がしてもらったことを我が子へもコピペしてた件。

2026年1月29日木曜日

ただいま、松山。


10泊した今回の東京出張の振り返り。
  • 「世田谷ボロ市」
  • 「神奈川やまと古民具骨董市」
  • 「高幡不動ござれ市」
  • 「赤坂蚤の市」
  • 「国連大学ファーマーズマーケット」
  • 「描く人、安彦良和展」
  • 実家で実夫の様子を確認
  • 病院で実母の見舞い
  • 横浜市でNYの父と母と食事
  • 世田谷で末っ子と彼女と食事
  • 横浜で長女と彼氏とコーヒー
  • 千代田区でNYの兄弟と食事
  • ホーチミン/ベトナムと松山を繋ぎオンライン会議
  • 東京宅からオンライン会議
  • 愛媛県東京事務所で作戦会議
  • 全国ロケ地フェアで撮影相談を多くいただき
  • 海外制作者セミナーで撮影の違いを学び
  • 高尾山にのぼり富士山を拝み
  • モロゴプラオを食べる
  • ウチキパンで手土産を買う
その他、シラバスを詰めたり、新規撮影相談に対応したり、撮影中の撮影を見守ったり、寄稿文の校正をしたり・・・。

でも「アンディ・ウォーホル展」には行けなかったし、気になっていた店に行けず。
ただ、毎日15,000歩ほど歩き、一週間で10万歩に到達し、20時には寝床に入る生活。

どれだけ毎日を楽しく過ごせるか?が人生の指針において、特に残りの人生を自分の予測以上に濃くするには、損得なく動くしかない。

計画的偶発性理論(キャリアの約80%は予期せぬ“偶然”から形成されるので、それを待つのではなく、好奇心や柔軟性を持って行動し、偶然をチャンスに変えていこうとする考え方)を信じているので、実践しかない。

<偶然をチャンスに変える心持ち>

好奇心(Curiosity):新しい機会を積極的に探る。

持続性(Persistence):失敗してもあきらめず努力する。

楽観性(Optimism):新しい出来事をポジティブに捉える。

柔軟性(Flexibility):こだわりすぎず、方針変更を許容する。

冒険心(Risk Taking):結果が不明でも行動する

ただいま、松山!

2026年1月28日水曜日

35年ぶり戻った作品。

アメリカから35年ぶりに戻った作品

「日本へ2週間、休暇で行くのだけど、会えないか?」とアメリカの兄弟「ハル」。
アメリカの父と母の子で、年齢も一つ違うだけで兄弟のように過ごした日々は36年前!

一緒に泳いだり、ドライブに行ったり、冒険しに行ったり・・・。
当時は“今”を1mmも想定できず、ひたすら笑い遊び、その後、ハルはブラウン大学に進学、そして医者になり、現在は全米の医者を教える医者という、絵に描いたようなサクセスストーリー。

家族にも恵まれ、双子の娘さんは日本へ留学をしていて、将来は世界を飛び回る外交官になりたい・・・とのこと。なんだかスゴいぞ。

「今回は、ノボルにコレを渡すのも目的だったんだ。」とハル。
緩衝材のプチプチで覆われたのは明らかに壊れ物。
「なに?コレ」と私。「開けてみて」とハル。

そして、出てきたのは20歳の時に過ごした寮で作っていた習作。
作ったことさえ忘れていたけど、裏に「1991年」と彫ってあり、見た瞬間、色々と思い出す。

当時は語学習得に、メリーランド州にある高校の寮に入り、他の学生と普通に暮らす。
でも授業が終わるとすることがなく、サッカー、ラクロス、シルクスクリーン、陶芸、写真、木彫などに顔を出して、英語も喋れないのに身振り手振りでワイワイ。

その一つの陶芸は「窯を任される」所まで到達して、創った作品が多くなり、個展まで開いた思い出。

持って来た理由は、当時暮らした家を売りに出す際に出てきて、亡くなったハルのお母さん(=アメリカの母)が大切に保管してくれてたけれど、このたび返却。
「まだ、あと2個あるよ(笑)」とハル。これはアメリカに行かなくては!

そして、「(いずれ)日本で暮らしたい。」とハルとヘミさん(ハルの奥さん)。
アメリカは暮らしににくくなり、将来を描けないとのことで、引退後は日本での就職を考えているよう。日本に逸材がやってくるかも!?

楽しみが一つ増えるじゃないか!

愛媛に来たことはないとのことだから、先ずは愛媛の案内を提案。

ハルとヘミさん夫婦と。

2026年1月27日火曜日

続・会いに行け。

NYのFITで学んだケンさんはオシャレな77歳。

「オレさ、77歳になっちゃったよ。喜寿だよ、参るよな・・・。」とNYの父。
続けざまに「泉谷くん、いくつになった?」に「54歳になりました。」と伝えると「そうか!それじゃあ、オレたちも歳をくうわけだ。」と、隣に座るNYの母に同意を求める父(笑)

「あの時は20歳そこそこだったでしょ?あなた達はもう30年ぐらい?」とNYの母。
「交際期間を含めたら30年以上ですね。」と妻。
「あなた達は私たちの自慢よ。」とNYの母。涙が出そうになる。

前回は昨年夏に愛媛に来てくれた父と母は二人とも70歳超。
今回も私たちのスケジュールに合わせてくださり、食事をしようと誘ってくれる。
父と母は私たちがニューヨーク時代に出会った「しゃぶ辰」のオーナーとマネジャー。

そんな母はマネジャー時代から本当に気配りの人で、70歳を超えていても(そもそも70歳超に見えないけど)何もかもが用意周到で、事前の連絡、お店選びから手配、手土産まで用意してくれる。そして、父の相手まで(笑)

そんな父はNYでFIT(NY州立ファッション工科大学)に通ったオシャレさん。
「これさ、もらっくれないかな?」と、袋から出してくれたのはシャツとズボン。
聞けば着なかったとのことで、「終活ってワケじゃないんだけどね。」と父。

父、“それ”と、医者から言われる。
本人いわく「大丈夫だろう。しょうがない、年も年だしな。」と飄々な父だけど、家族同然の人だから心配になる。
母も以前に大病を患っていて、話の話題は健康に。

「二人はまだ若いんだからさ、仮に見つかっても早く対応できるよな。オレなんか手術イヤだもんな。でも、日本の医療はスゴいよ。」と父。

と、いうコトで人間ドックを約束する。
次回は治療を終えて一区切りを迎える予定の年末に設定。
どうか、元気でいて欲しいとNYの父と記念撮影。


「ふたり、似てる〜!」と母と妻。

2026年1月25日日曜日

会いに行け。


愛媛ミカンを持って実家を訪問。
85歳の父は元気に見えるけど、年相応に色々と自覚しているよう。
でも、車の免許返納は難しいらしい。

免許の返納はできても、返納後の生活に支障が出てしまう想像と不安(実家周辺は坂道や階段が多く、その先にバス停や駅がある)。

こういう交通弱者な課題の解決策はあるんだろうか?
山間ではオンデマンドバス、タクシーなどがあるけど、シニア特有の課題なのかな?
よい解決策はあるのだろうか?

そして、長らく入院していて面会も叶わなかった母親が病院を移り、「面会できるようになった。」と姉。ならば会いに行こうと病院の場所を調べると、徒歩1時間ほどの場所と分かる。

丘を下り、川沿いを歩き、山を一つ超えてたどり着いた病院。
「初めてなんですけれど、母の見舞いにきました。」と受付で伝えると、親切丁寧に諸注意などを教えてくれるスタッフさん。

ちなみに、病院への差し入れなどの持ち込みは、家族であろうと、小さいモノであろうと一切禁止。長時間の面会は禁止。マスク着用は必須(マスクを忘れた場合は50円/枚で購入する)。

母がいるフロアに到着するも、オタオタしていると「どちら様ですか?」とスタッフが声を掛けてくれて母の名前を告げると「あぁ!泉谷さんの息子さん!」と、初対面なのに親しげだったのは母がよく話しているとのこと。
会いにきた旨を伝えると、スタッフさんは母の担当ケアマネジャーで、“渡りに船”とはこのこと。

院内を案内していただき「少しお待ちくださいね。」と言われて待っていると、数メートル先でケアマネジャーが声をかけた背を向けて座っていた女性が母でした。

2年ぶり?に会う母は小さくなっていたけど、元気の様子で何より。
突然の訪問に驚いていたけど、30分ほどの間に孫のこと、私たちのこと、入院の様子など喋り面会は終了。

この年になると親に会う機会は限られているから、後悔先に立たず=会っておけ!という話。