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2025年3月19日水曜日

そんな彼の誕生日。

第1回早慶戦の両校選手(1903年11月21日)赤丸が泉谷祐勝さん

「この前さ、渋谷で
テレビ局の取材を受けたんだよね。そしたら相手がお父さんの連絡先を教えて欲しいって言うから伝えたよ。」
と、いう不思議な連絡をくれた末っ子くん。
「OK!」と私。

その後、「こんにちは。〇〇〇テレビの〇〇〇(番組名)、ディレクターの〇〇〇です。先日、息子さんにインタビューさせていただいたのですが、息子さんの高祖父である泉谷祐勝さんは日本の野球史上、初めてバントをした選手と聞きましたが・・・。」

「あっ、その話ですか?本(天皇の野球チーム)に書いてありますね。私もその本に書かれている程度のことしか分かりません。」
「はい、調べてみるとそうでした。では、本当だったんですね。」
「そうなんでしょうね。」
「ちなみに、第一回の早慶戦にも選手で出場されてますよね?慶應大学に挑戦状を出されたとか?」
泉谷祐勝さんなんですかね?そうなんですかね。」
「裕仁親王(後の昭和天皇)からの依頼で宮内省野球班を創設して監督兼選手だったとも書いてありました。」
「そのようですね。」

だんだん、私でも分からない質問になり「ゴメンなさい。私の父に聞いてみます。」と切る。

そして父に電話。
泉谷祐勝さんだけど、〇〇〇で〇〇〇だったの?」など、色々尋ねると初めて知ることも多く、へっーとなり、色々と情報をもらい、番組ディレクターに伝える。

そんなやりとりから、家族について知る機会を作ってくれた末っ子くんの誕生日は今日。
放送されるかは不明だけど、立場上、取材されるのは珍しいという話。

2025年2月2日日曜日

彼の話。

右下が長男くんの自画像。澄んだ目がいい。

長男くんがグループ展「A Study in Monochrome.」に参加すると聞いて、日時や場所を調べたら東銀座から電車で1本、20分先の所ではないか!と分かり、訪れる。

商店街に構えていたギャラリー「ギャラリーしろむじ」のオーナーに、長男くんの絵をどうやって見つけたのか?と尋ねると、長男くんが発信していたInstagramを、オーナーの師匠が見つけて推薦されたとのことで、オーナーもファンになる。情報発信の大切を痛感。


前回(別場所)のグループ展でも販売実績があったので、プロと言っていいのかな。
本人も画家として生計を立てたいという希望だから、トコトンやってみたら良いと思う。


グループ展の良い点は、テーマは同じでも作品はそれそれ異なり、新しい発見がある点。

作品からは気づかないけど、今回は70歳以上の作家さん作品もあり、20代の長男くんは貴重な若手作家とのこと。


親としてもアート愛好家としても安心&満足した帰り、今度は末っ子くんと妻と合流。

すると、末っ子くんが“あるアイデア”について熱心に語ってくれて、話してる本人も楽しそうな表情。


一般的にはマーケット調査、ペルソナ設定、マーケットイン思考、アウトプット手段などのマーケティング戦略がセオリーだけど、若者の発想には常識を飛び越える勢い(≒怖いもの知らず)があるので、「先ず、やってみなよ!プロトタイプを創って改善を繰り返せばいい。
大切なのは、そのスピード感!」と伝えて話を後押し。

ほんと、子供にやりたいコトがあるなら、やらせてみたら良いと思う。
そのために親は存在するのだから。
子に対して損得勘定なんてないのだから、子を応援せずに誰を応援するの?という感じ。

2025年1月4日土曜日

夜も朝も。


「僕、走るかもしれないので見てくださいね!」と熱心に語ってくれたのは、創価大学2回生の川上くん。

接点が全くなかったのに知ったのは妻の授業だった「こどもスペースラボ」を履修していたから。
でも強化メンバー?に選出されたから合宿などでなかなか出席できず、当日も参加できなかったけど最終日の終了間際にやってきて、片付けを最後まで手伝ってくれる。

箱根駅伝なんて、知り合いもいないし、各大学とも縁がないから興味がなかったけど、6区(復路の最初/山下り)を激走する姿を応援してしまうのだから、人って分からない(笑)。

品素な食生活者だから正月の豪華な料理に胃がビックリ。食べ過ぎで消化目的で夜散歩。
妻に付き合ってもらい、川上くんの話や検討中のアイデアなどをブレストしながらの4,000歩。

道を定めず細道&横道などをウロウロしていたら、いい雰囲気の神社を見つけてロケハンも兼ねる。ラッキー!

寝ても消化が収まらず、翌朝も朝食前に散歩。今度は土手沿いを歩きながら、昨晩の続きや、たわいもない話をしながら一日の過ごし方をブレスト。
こういう話ができるのは妻しかいないからな・・・。

すると、土手では朝から連凧をあげている人が二人いて、そこへ鳥(たぶん白鷺)の群れが横切り、奥からは坊っちゃん球場越しに朝陽があがってくる様子がセットになったので、サッ!と撮影したのが写真。

こうして記しておかないと、忘れてしまう出来事が日常。



2025年1月2日木曜日

運を追い越す。


“なんとなく全てに行き詰まりの感を覚える運気です。精いっぱい努力しているのに、その努力が報われない。
成果が手に入らない状況でしょう。
長い人生にはこういう時期もあります。焦らず、苛立ちせず、ここは一つの試練の時と心得て頑張りましょう。
春は近い。明るい見通しがほどなく開けます。”

と、記されたおみくじ。
一般的におみくじは、その年の運気を占う内容だけど、読み手は(
今年=2025年のことでなく去年=2024年のことを言い当てられた!)と、ドキッ!とする。

漠然とした閉塞感、将来を描くものの、そこまでの道のりが描けない。一歩踏み出すも成果は出ず、空回りしても過ぎていく日々・・・。

でも、腐ることなく、諦めず、粘り強く自分を鼓舞し続けたことで得られた結果は大きく、「おみくじの内容を追い越しちゃったんじゃない?」は友達談。

おみくじって未来予想ではなく、今の自身と照らし合わせて心持ちを肯定するアイテムだから現在の心境にストンッ!と落ちたみたい。

大切なのは「チャンスはいつでもウェルカム」な心持ちでいること。
待っていれば向こうからチャンスがやってくるわけではないので、自ら創る、呼び込む必要がある。計画的偶発性理論。

「チャンスの神様に前髪はない。」は好きな例えで、チャンスの神であるイカロスの髪型は前髪のみで後ろ髪がない。かつ、イカロス(チャンス)は高速移動なので前から来るイカロスの髪を掴むしかない。捉まえる心づもりをしておかないと、と言う逸話。

おみくじを
エイッ!と掴んだら、実は運を追い越してた・・・。ってスゴい話。メモメモ。

継承者。

絶妙な硬さと甘さ、酸味が美味しい義姉の味。

どこの家庭でも必ずある「独特(個性豊か)な食または風習=その家庭&家族でしか分からない」。毎年恒例とも言える話題。

最初は「お雑煮」。
愛媛(義母義兄家)では、鰹だしに鰹節、焼かない丸餅、大根、人参が入るタイプ。お雑煮の出汁は餅などが溶けてで白濁っぽい。

私の実家は東京なので透明な澄まし汁。鶏肉、ほうれん草、人参、ごぼう、餅は焼いた四角い餅が入ってた。
どちらがどうこうではなく、両方とも美味しく得してる感じ。

だけど、餅の食べ方は妻だけ独特で、お雑煮から柔らかい餅を取り出し、用意していた納豆と一緒に食べる。義兄も義母も“そのような”食べ方をしない。
実は義父の食べ方が“そう”であって、妻が継承者のよう。

お節を食べた後はデザートタイム。ちなみにお節は数年前から自家製ではなく、注文してる。
義母義兄家では義姉がつくる「手づくりフルーツ寒天」が必ず出る。元旦に出たのはキウイフルーツ寒天で、これが甘さ控えめの超美味でお気に入り。

そもそも寒天なんて、愛媛に来るまで食べた記憶がなかったから、その美味しさに驚いたのを覚えてる。食感がゼリーと違うんだよね。
姪っ子たちは生まれた時からフルーツ寒天を食べてるから、きっとこの味も母の味で継承者になるのかな?

そして、お節ってそもそも正月三が日に台所に立たなくてもいいように量も種類も多く作り置きするのが狙いと聞いたものの、美味しいから三が日持たないね・・・となる。
そんな時は「カレー」になるのも、その家の風習か。

2024年12月25日水曜日

Happy Holiday!


So happy to meet you and hope we can spend more time together in the future!

“会えてとてもうれしかったよ。これからも一緒に時間を過ごせることを願っています。”

と言う、メッセージが添えられたハッピーホリデーカードが届く。
メールでサクッ!と秒で送れる時代に、あえて手間とお金がかかる郵便で海を渡り、家族の近況とホリデーの祝いを共有するってアメリカ文化のいい所。

送り主はアメリカの兄弟ハル(医者を育てる医者というスーパードクター)。
SNSではお互いの動向は把握していたものの今年、34年ぶりの再会を果たす。
ハルの父(=アメリカの父)とも会えて親孝行できたのも今年。

これまでも会おうと思えば会えたかもしれないけど、お互いに自分や家族の事で精一杯だったし、気づいたら18歳で出会ってから34年も経っていた・・・と言う感じ。

34年も経てば職を得るし、キャリアップに転職もするし、ご縁あり結婚もするし、子供も授かるし、その子供は成人して自立するし、自分は老いを実感するし、身近な人の死も経験する。

34年前は今を全く想像できなかったから、このご縁の続きはハルの子供達、我が子達が交流してくれるといいな。

ハッピーホリデーカードが届かなかったら、
クリスマスムードの雰囲気も感じずに、フツーに掃除、洗濯、買い物に行って、明日からのココ大付属学園の準備に過ごしていたと思うけど、誰かが自分のことを想ってくれたことに大感謝。


どなた様もHappy Holiday!

2024年12月22日日曜日

子育てについて。


遅ればせながら妻の誕生日、そして長女、長男の新たな門出を祝って乾杯。
それぞれに暮らしている二人は、それぞれが自分が描きたい世界へ踏み込み、私たち夫婦の知らない世界へ進む子ども達を誇りに思ったり。

一緒に暮らしていたから、考え方や物事の見方、好きなモノやコトなど、多少の影響は受けているとはいえ、働き方(生き方)は決して同じ/一つとは限らないという話。
選択肢は無限にあり、選択できる意思を育めるかどうか?も子育ての範疇かもしれない。

振り返れば私も同じで、百貨店勤務の父の影響で百貨店勤務に憧れたか?と言うと全くなく、単に“好き”だった映画の道へ進もうと思うも、よくよく考えてみると美術畑だった父、美大卒の母から自分が気づいていない影響を受けていたのかも?と思ったり。

次男とは別機会に食事。
彼もユニークで、姉、兄の固定概念的な考えに縛られない進学を見ていたから(そんな道もありなんだ。)と思っていたかも。

一年半ぶりの再会でも“昨日の続き”みたいのが家族。
いろいろ話を聞いていると、次男は音楽や言語、哲学が好きは変わっていなく、読書をしては自分の中で考えをまとめていて頼もしい。

すると親は勝手に(末は妻と同じ研究者かな?)と思うも、そんな単純な話ではなく、この先、新しい職ができたり、もしくは新たに拓いたりするかもしれないと思うと、親は応援団として見守るのが一番と理解する。

やはり両親が私にそうしてくれたことって、我が子にも同じになる傾向あると思った件。

2024年12月1日日曜日

家族の話。


私の貧弱な食生活を心配して義兄夫婦と義母が夕食に誘ってくれる。
一人だと食生活に無頓着になり偏食になりがちで、感謝と申し訳なさと・・・。

並んだ食事は「香港」の中華料理。
ローカル番組でも取り上げられたこともYoutuberが取材したこともある、松山では有名な街中華。
名物料理(チャーハン、豚天、海老天、酢豚など。大学芋はなくなったとのこと)がズラリと並ぶ&私の好物の義母特製の春雨サラダも並び、(今日は何か特別な日だったかな?)と思ったら、姪っ子の進学が決まった祝賀会でした。

そんな姪っ子は姉妹。キャーキャー言い合うお年頃でとてもにぎやか。

そんな光景を懐かしく思ったのは、私も妻も現在は“無音”な生活をしているから。
我が家の昔を思い出すと5人で暮らしていた時は、誰かしら何かしらコトが発生して常に臨戦体制だったけど、それが普通で楽しんだ思い出。

そこから16歳で長女は旅立ち、17歳で長男は旅立ち、18歳で次男が旅立ち3年。
個別には会えても家族5人が揃う機会はないかもしれないと思うと、寂しく思ったり(涙)。

ホント、16年ほどしか子供たちと一緒に過ごせないと思うと、積極的に子育て関わった方が良いとアドバイスするのもわかるでしょ?と。

と言う振り返りを夜風に吹かれながら義兄宅から徒歩で45分かけて家路につく。

2024年11月16日土曜日

額装化推進!


我が子の描いた絵などは手元に残しておきたいから保管しているものの、飾らなくてはもったいない!と思ってから、作品は額装して飾っている我が家。

ココ大付属学園でも子ども達の落書きや写真などを飾っていて、ペラペラで飾るより、サマになるから保護者からも喜んでくれる。

「(描いても、作っても)捨てられちゃうんだよね」という子供の嘆きを何とかしたい気持ちもある。


でも、額装って手間だし、お金もかかるし、億劫になるけど、それまで単なるペラペラなモノが途端に作品化になるのはいい。

と言いつつも、額は高いのでもっぱら100円ショップで購入(100円ショップでも良いものが増えてる!)

長男くんが描いた油絵と習作を額装。でも作品は既成サイズではないので額装屋さんへ行く。
店員さんからアドバイスを聞き、台紙やフレームを選ぼうと材質や色、デザインなど数十種類からピン!ときたものに決める。
ちなみに最近の額装の表面はガラスではなく、高透明アクリルパネルが主流とのこと。

全て整えて代金を算出してもらうと2つの額装で計2万円超だった・・・。
一瞬、高額に思えたけど、これから先、何年も楽しませてもらうわけだし、仮に20年間楽しめたら1年1,000円、1ヶ月80円ほど。全然高くない!

来年度もフレームづくりを申請しようかな、今年は円型と正方形型のフレームを作った。
額装化推進!

2024年11月6日水曜日

違う世界へ。

東京タワーが窓ガラスに偶然に映り込む。

「食事をしよう!」と誘われた場所は「東京アメリカンクラブ」。
それはどこ?となり、港区麻布台で、用事がない限り、訪れる理由がないエリア。

東京アメリカンクラブは、1928年に創設された会員制の社交場。96年の歴史。
プールやボウリング場などがあり、アメリカ企業の関係者が滞在する際の宿泊や交流拠点として活用しているとのこと。

だから、一歩踏み入れると日本なのに雰囲気はアメリカンな落ち着き、おもてなしや調度品はエレガントで、会話は基本的に英語。

こんな機会は滅多にないと、前菜にサラダ、メインはサーロインステーキをミディアムレアで注文。
当然「白米」はない(笑)、その代わり、美味しいパン&バジル入りバターが添えられる。

今回のお誘いは、アメリカの父から「アメリカへ帰国する前に会いたい。」と連絡があり、妻、長女も一緒にゆっくりと語らう。

アメリカの父も自らを切り開く意思を尊重する人で、よくぞ素性が分からない東京から来た18歳(私)を受け入れてくださったと自分の運に強さを実感したり。
ほんと、あれがスタートで今だから。

美味しいサーロインステーキなんてこれまで数回しかなく、今回も加わる。
やっと落ち着いて辺りを見渡すと、(あぁ、ココはよく映画やドラマで使われるセットのようだ・・・)となる。
そして、実際に東京ロケーションボックスで紹介されてた。

ロケで訪れることはあるかもしれないけど、利用者としては訪れることができない場所。
アメリカの父に感謝、そして今を見せることができて親孝行。

2024年10月14日月曜日

親孝行。

きな粉がかかった栗味のティラミス

アメリカの父、そして兄弟夫婦との会食も終盤。
「じゃあ、デザートをお願いします。」とコース料理の最後をお願いすると、しばらくして「お待たせしました。」と、店員さんが声をかけてくれて、テーブルに出してくれたのが、このデザートプレート。

???となり、何かの間違いかと思ったら、私の誕生日の前祝いだった!
思いがけないサプライズを用意してくれたのは妻と娘で大感謝。良い時間を過ごすことができました。

思い返せば、34年前。希望大学を不合格になった高校を卒業したばかりの若者を受け入れてくれたのは、バージニア州でタイムワーナー社に勤めていたおじ様と画廊を経営していたおば様(共に日本人)の家庭で、一人息子とは一つ違い。

全ての始まりは、この一家との暮らしから。
兄弟はテニスはできて、バイオリンを弾いて、名門大学に入学。その後は結婚して家庭を持ち、医者になって、現在は医者に教える医者。そして性格はメチャ優しい。

目の前でスゴいキャリアパスを見ていて、私はと言うと、NYへ渡っても大学を中退、25歳から働き始めて数奇なご縁で今に至る。

アメリカの父へ「覚えていますか?2001年にお会いした時に、フィルム・コミッションがしたいと伝えましたが、叶えることができました。」と伝えると、覚えていてくださり、「誇りに思う」と喜んでくれる。

アメリカの母は既に亡くなってしまった。ほんと、親孝行ができる回数って多くない。
できる時にしておかないと!アメリカに帰る前に、また会わないと!

2024年9月29日日曜日

28年。


聞けば美味しいと評判のケーキ屋へ電車を乗り継ぎ、隣町まで行ったという長女。
長男と一緒に結婚28周年を祝ってくれる。

毎年、自分たちは忘れがちで、過ぎ去ってから思い出すことも多い結婚記念日。
子ども達に大感謝。

ちなみにこのケーキ、評判通りの美味しさで特に底のビスケット状の器がサクサクのザクザクでとても美味しかった。

ケーキを食べながら28年間の振り返り。
私たち夫婦がNYの日本食レストラン「しゃぶ辰」で偶然に出会ったのが30年前。

妻(当時は学生)と私(大学を退学し日本へ帰るにも帰れなかった人)は、店長や料理長ら周りに恵まれて過ごし、公認の仲に。

その後、NYから帰国し結婚するのだけど私24歳、妻26歳に「若すぎ!」と我が子達。
現在、長女は26歳、長男は24歳。その年頃で結婚しているのだから彼らが驚くのも分かる。

でも当時の当人たちにはそんなコトなど分からないまま、職も金もないまま結婚(笑)。
ホント、何にもなかった。私が職(それもアルバイト)を得たのは25歳から。
その後、愛媛製版センター→ネットイヤー→愛媛県庁→松山市役所→ココ大+ジャパンFCがキャリアパス。

だけど結果的に次男(20歳)も含めて、色々と大人の会話ができてるって嬉しいし頼もしい。
「気づいたら・・・って感じだよね。」は共通で、結婚30年は「真珠婚」とのこと。
25年の銀婚式について日記に書いていないということは気づかなかったのか・・・。

2024年9月28日土曜日

親の影響。


「子ども達が宇宙に興味関心を持つアイデアとして、レゴとは別の“+@”を考えよう!」と、学生達に投げかけ、議論を見守っていると「スターウォーズって最高じゃないですか!すっごい好きなんですよ。」という声が聞こえて(???)となり、そのグループへ近づいてしまった。

「スターウォーズが好きなの?」「はい、大好きです!と、言うか父が大ファンで、私もその影響で・・・。」と女学生。

これ以上話すとハマり、議論から脱線するので「いいね!」で終わったけど、スターウォーズは宇宙を舞台にした物語だから、子ども達が宇宙に興味関心を持つこと間違いないだけど、実は昨年実施したので今年はナシ、とても好評で盛り上がったんだけどね・・・残念!

「親の影響って大きいよね。」と妻。
その通りで、私のスターウォーズ好きは、子ども達にも好きがうってるし、アート好き、AKIRA好き、テクノ好きなども浴びてるよう。妖怪好きは誰にも影響しなかったよう(笑)

趣味だけでなく、生き方も影響しているようで、子供達から見たら(何をしているか分かるようで分からない不思議な親だなぁ)と思っていたと思う。
前例のないキャリアパスだからね。

だからか(歩む道は自分で決めていいんだ!)となったのかも。
その分、凸凹ある道のりだけどアドベチャーファミリー(≒人生は旅と同じで冒険、挑戦で溢れる)を標榜してるから、当然と思ってるかも。

じゃあ、そんな我々は・・・と言うと、既成概念にとらわれない柔軟な考えを持つ親元で育ったということになる。

2024年8月12日月曜日

滞在は5時間。


広島滞在は5時間。広島港から宮島港まで30分、宮島滞在が90分、宮島港から平和公園まで40分、これに待ち時間などが加算されて残りの滞在時間は2時間ほど。

平和公園に到着すると原爆ドームには大勢の外国人が訪れていて、広島へ原爆が投下された日が近かったからか、数種類の言語で紹介された資料を皆さんが手に取ってた。
そして、その隣にある学徒動員で犠牲になった若者たちの慰霊碑にも大勢が訪れてた。

写真の原爆ドームの上空で原子爆弾が炸裂したと思うと、今も各地で戦争している人たちに「ココに来い!」と言いたかったのは事実。

残り2時間、「次は何しようか?」となり、長男くんから「近くに画材屋がある」と分かり、訪れよう!となる。
現在、長男くんは油彩画で風景描きを好んでいて、その専用画材が必要とのこと。

画材が所狭しと並ぶ店内の3階にお目当ての画材(油彩画には欠かせない発揮性のあるオイル等)があったようで喜ぶ長男くん。ミッション終了!
個人的に文具&画材屋特有の“あの香り”が好き。

残り1時間、「休憩しよう。」と抹茶専門店でスイーツを食べて30分経過、残り30分。
お土産を探しに行こうと百貨店に入り、色々と物色して「生もみじ饅頭」をゲットしてタイムアップ!
「今回も十分楽しめたね!」となり、路面電車に乗って広島港へGO。

街ブラだけでも十分楽しめる日帰り旅の第二弾終了!

2024年7月21日日曜日

一足早く終了。


2021年から夏休み期間は、日曜日・祝日を除く毎日、6時から20時まで(計14時間/日)、ココ大付属学園に体力も知力も注ぐので、世間よりも一足早い夏休みを終えました。

写真は雨上がりの散歩中に、目に止まった雫で、シャッターを切る瞬間に葉からツルン!と流れ落ちる瞬間の球雫を捉えることができた。些細なことだけど、だからこそ儚い。

今夏は長男君が7年ぶりに帰国したこともあり、これまで以上に話題の多い夏休みになり、先日の「日帰りブラブラ札幌旅」もできて満足。
「小さい頃に大阪での会議に一緒に行って隅で絵を描いて待ってくれたよね、覚えてる?」と彼に尋ねると鮮明に覚えているとのこと。

実家に一人、老いた父はそれなりに暮らしているけど、そこへ長らく入院していた母が退院予定の連絡が入り喜ぶ。

しかし、ヘルパーさんはいるものの「老老介護の始まり」でもあり、入院前に母の世話をしていた父も手放しでは喜べない現実を目の当たりにする。
姉に頼らざるを得ない状況。

札幌市をブラブラしていた時に関東地方の梅雨明けを知る。
そして愛媛でも梅雨が明けた途端、35度&熱風。札幌でビタミンチャージしてきたはずなのに、既に溶けて効率が悪い私。

2024年7月20日土曜日

相乗りケセラセラ。


正論っぽい“できない理由”なら何個でも並べられる自信があるお年頃。
「暑いから。時間がないから。疲れるから。お金がないから。ヒマじゃないから・・・」などを並べる自分が残念で仕方がない。

明日も明後日も日帰り弾丸札幌旅はできないけど、たった一日、それも家族と一緒なら(どんだけ楽しもうか?)が最適解のはず。

本当はアイヌの博物館や美術館、モエレ沼公園、羊蹄山などにも行きたかったけど、市内中心部から往復2時間などの距離では6時間しかない滞在時間ではもったいなく、街をブラブラしようとなる。ある意味、とても贅沢。

だから長男君が行きたかった「アンティーク(骨董)店」をハシゴする。
すると行く先々の店で自分では絶対に探せない、想像しないモノ&コトに出会えて長男君より熱心に見てしまったり(笑)。長男君はデッサンに使いたいアンティーク小物を購入。

また、札幌市内は古着店がとても多くて掘り出し物を探しに何軒もハシゴしたり。古着に縁はないけど、相乗りすると新しい発見が気づきが多かった件。

食事も海鮮?ジンギスカン?さっぽろラーメン?と決めず。たまたま二条市場が近かったので、ウロウロして混んでる店ではなく、離れた店に入ると店主らと話せて楽しかったり。

万人に与えられた一日24時間は平等。かつ、目の前に機会があるのなら躊躇しても、エイッ!と乗っかることも大事。

結局、一日が終わった時に(あぁ、行って良かったな)or(行けば良かったな)をどっちを味わいたいかということ。

思いつきにもほどがある!


関東以北へ行ったことがないと長男くん。それならば・・・と、急遽の計画に選んだのは仙台市。
青葉城や瑞鳳殿、朝市商店街、ケヤキ並木通り、牛タンにずんだ餅などを堪能しよう!となる。
日帰り旅なら、在来線+新幹線+観光で二人で6万円ほどかな?と計算して翌々日の出発を楽しみに就寝。

しかし、何を思ったのか?(在来線+新幹線と同額でジェットスターならどこまでいけるのかな?)となり、試しに成田空港から新千歳空港までを算出してみると同額とわかる!

仙台まで→在来線+新幹線で24,000円/人往復×2名=48,000円。
新千歳空港まで→在来線+ジェットスターで26,140円/人往復×2名で52,280円、仙台に行くよりも4,280円高い。

しかし、ココでテクニック!
新日暮里から乗った京成スカイライナーは2,600円/人往復×2名=5,200円。
ネットで支払いをしようとしたら、ナント!楽天ポイントで支払うことができ、使ってなかった5,200円分のポイントを充当。すると52,280円-5,200円=47,080円と920円(実質的に)安くなった!

(注)実際は新千歳空港から札幌まで2,300円/人往復×2名=4,600円が加算だけど、それでも920円を引いた3,680円は懐具合の許容範囲で納得。

札幌へGO!と決めたのは出発前々日夜、支払いを済ませたのは出発前夜。そして旅の目的はナシとなる。
思いつきにもほどがあるとはこのこと。

2024年6月17日月曜日

限りある時間。


姪っ子の誕生日会にインチキ叔父さんとして招かれる(笑)。親族で祝い、ワイワイ語り合い、食事が済むと今度は姪っ子たちが待ちに待ったデザートタイム!

出てきたのはセミセルフ(素材のみで自分でデコレートする)アイスケーキで、ケーキの土台(中身はポッピングシャワー)、トッピングのチョコレート、それにスクープアイス6種類。

いざ!デコレートしようとするも、姉妹であーだこーだする間にアイスケーキが溶け出す(笑)。すると今度は溶け出したコトであーだこーだな姉妹、その間も溶けていくケーキ。
微笑ましてくて笑うしかなかった件。

アイスの土台に6個のスクープアイスを乗せるって大胆。♪ハッピーバースデー♬の歌を歌う頃はロウソクの火の熱さでトッピングのクマちゃんが土台から落ちだし、「イヤッー!」となる。ちなみに私はポッピングシャワーのスクープをいただく。

このような機会だけでなく、母親が我が子と一緒に過ごせる時間は、約7年6ヶ月(約2735日間、約65,700時間)、父親にいたっては約3年4ヶ月(約1215日間、約29,200時間)と母親の半分以下!と言われていて、誰もが短い!と思うはず。
今回の誕生日会は、母:約2時間30分/65,700時間、父:
約2時間30分/29,200時間。

決して、短い=不幸せではないけど、限りある時間を“深く”過ごせたらいいねとなる。
我が家も家族全員で集まったのは、いつだろう?と思い出せないほど経ってしまった。

我が家はアドベンチャーファミリー(生きるを楽しむ)を標榜してるから、遠くても元気ならよし!

2024年6月10日月曜日

新しい引き出し。

ココ大の開校記念を祝い長女が作ってくれたカボチャケーキ

「人生には3つの場所があるとを伝えたい。」と友人。「それは家族/家庭、職場、(家庭や職場とは違う)第三の場/機会」とのことで、大小があっても「コミュニティ」という存在。
この話を聞く前に偶然にも「おじさんの行方」で書いていたので、話がスンナリ入ってきた。

友人いわく、家族/家庭、職場、第三の場/機会をバランスよく保つことで幸せを感じられるとのこと。

“バランス”とは、「助け助けられの相互扶助関係」で、仕事やキャリア、子育て、家庭のことなど一人では乗り越えられない壁があっても周囲の助けで乗り越えたり、予想もしなかった解が得られたりする・・・と教えてくれる。

「バランスが保たれたら感じるのは“いきがい”ですか?」と尋ねると「そう!生きがい!」とのことで腑に落ちる。

最小のコミュニティは家族/家庭。そして、時に家族/家庭よりも長く過ごす職場。職場とは関係なく、時に“飛地”とも称される素の自分を受け入れてもらえる第三の場。

自分に当てはめると、家族/家庭を持ち26年、フィルム・コミッションが22年、公益活動に携わり22年、公私にわたり助けられてばっかりだったなと。
「(これらをグルグルめぐることは)人生は旅のようなもんです。」と付け加えられて、唸ってしまう。

で、どうしてこんな話になったかと言うと、これまでとは違う切り口で参画して欲しいと言う相談。新しい引き出しを開けてくれる友人に感謝。
写真はココ大の開校記念を祝い長女が作ってくれたカボチャケーキ。

2024年6月6日木曜日

生き方は十人十色。


NYU(ニューヨーク大学)を卒業した甥っ子。卒業後はグローバルな音楽会社に勤務し、ウィーンで働いていたけど、日本で暮らしたい希望もあり、4月に転職した先はエイベックス!
三カ国語を操る甥っ子はグローバルチームに所属して、世界のアーティスト(テイラー・スイフト、BTS、XGなど)とも関わなりがら、日本のコンテンツを世界へ発信する役目も担う予定。

そして、ホーチミン在住20年以上の弟分の親族も帰国していて、私も愛媛から上京したので妻や娘も参加して再会で乾杯&お礼(二人には訪れた時などに相当お世話になった仲)
これからは甥っ子や娘の時代、親世代の我々は相乗りさせてもらうしかない!その場で話が転がったりして面白い&刺激的。
エイベックスはコンテンツを多く持ってるし、愛媛でグローバルな撮影をしてくれないかな。

で、ココ大の開校記念日(6/4)も重なり、合わせて祝ってもらう。花束は妻からいただく。
今回のメンツを見て、つくづく思ったのは「生き方は十人十色」。
生まれ育った環境が違うと、こんなにも個性的になるのかと。こう思うのも妻も私も大学生と直に接しているからで視野は広く、選択肢は多いと気付かせるのは大人の役目と妻とも話す。

生き方に選択肢が増えるように、稼ぎ方にも色々な手段があることが分かり、安定という言葉は一生に合わないんだろうなと。