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2025年8月3日日曜日

ストレスは。

2-3秒で集まった子ども達(笑)

ココ大付属学園も11日間が終了。今夏は34日間なので1/3が終わった計算。
まだ2/3も残っている、もう2/3しかない・・・と思うのは人それぞれだけど、“今の所”、毎日疲労困憊だけど、気分的に快調(≒リラックス)に過ごせていていい感じに驚く(笑)。

ココ大付属学園が始まると、1日13時間ほど(朝6時30から夜7時30分まで)働くから、業務への向き合い方は短距離走ではなく長距離走のようにペース維持が大切。
そうでないと気持ちに余裕&余白がなくなってしまう。すり減ってしまう。

「インチキはヘンタイ!」→「ヘンタイなんですっ!」
「インチキはエッチ!」→「エッチなんですっ!」
など、言われても、言い返さず、全てを笑顔で受け入れられる(≒更に変態扱い)のは気持ちに余裕&余白がある証拠(笑)。相手は子どもなんだから、大人の度量次第。

閑話休題。
リラックスで過ごせているのは、自分の好きな作業時間があるからかもしれないが推論。

カッターで画用紙を切ったり、サンプルを作ったり、雑紙を貼り合わせたり・・・。
周りから見れば(それがどうした?)的な些細で変化を起こすモノでもなく、役にも立たず、単に雑念なくシンプル作業に向き合える時間を毎日、少しでも確保するだけで、こんなにもストレスを感じにくいものなのか?と、驚いてる。

これ、普段の仕事でも同じで30分でも自分の好きなこと、したいコトに時間を割けたらストレスは軽減するんだろうな。

写真は体育館で、皆んなの様子を撮ろうとしたら寄ってきて、なぜか自撮りすることになり、2-3秒で集まってきた子ども達。

子ども達に癒されているのもあるかもしれない。
仕事で疲れながらも回復、負担減って、なかなかないよな・・・と独り言。

2025年7月20日日曜日

オーバーツーリズムってなんだろう?


オーバーツーリズム(=許容範囲を超えた観光≒特定の観光地に観光客が過度に集中して地域や環境などへ悪影響を及ぼしている現象)と言われる京都へ。

「お前がオーバーツーリズムの一端を担ぐな!」と言われそうだけど、愛媛ではオーバーツーリズムの実感がないので。

京都駅はオーバーツーリズムに関係なく、以前から大混雑。
でも外国人が圧倒的に多く、大きな荷物をもって行き交ってた。
そして、疲れ果てたのか壁際に座り込んでいる外国人観光客も多かった、京都は特に暑いよね。

10時過ぎに路線バスに乗り、清水寺バス停へ向かったけど、混み具合は普通。
外国人も多かったけど荷物はなく、皆さん「ワンデーパス(一日乗車券)」を持っていたり、運転手に話しかけて購入したり。
その際のバスの運転手さんのホスピタリティ(笑顔で対応しながら指で確認しながら説明&確認する様子)の高さに、さすが京都!と松山との違いを感じたり。

バスを降りて三年坂をあがる。清水寺級になると海外の団体も多く、歩く90%が外国人。
外国人の添乗員が旗を振って誘導される外国人観光客グループが何組もいた。
そして日本の修学旅行生も多く、まっすぐ歩けない状態に(これがオーバーツーリズム?)と思うも、どこか違うな?と思ったり。

そして、清水寺の拝観料は500円/大人。
1,000円以上の拝観料をとる所もあるから、安い。だから人気なのか?とも思ったり、でも11時頃の清水寺は混んでたものの、想像範囲。

ただ、座る所がないから至る所で外国人(特にアジア系)観光客が座ったり、腰掛けたりしていて、(そこは座る所じゃないよ・・・)と見てもスルーしてしまった。

拝観時のマナー(大声で喋らない、走らない、順番を守る、ゴミをポイ捨てしない、立ち入り禁止に入らない、邪魔をしないなど)が守られず、他人や周りに迷惑をかけ続けると(拝観お断り≒オーバーツーリズムと思いたくなる要因)となる気がした件。

でも観光客が大勢きている三年坂や周辺は観光客を積極的に呼び込みしていてウェルカムに見えた。
まぁ、明日も明後日もその次も同じだと辛そうだけど。

2025年7月5日土曜日

博士と散歩しながら。


博士とは妻のことなんだけど、お互いに仕事については多くを語らない間柄。
だけど、大切!と思うことは、朝だろうが夜だろうが何時でも話すようにしていて、今回は妻がポジティブ心理学≒ウェルビーイング(≒よりよい自分、社会への意識と行動)のカンファレンスに出席して、世界各地から集まる参加の関係者らと学び合うので、私は妻が学んだことの振り返り役で学んでいる(つもり)。

しかし、実は特別なコト(新発見、新理論、画期的なアプローチなど)は少なく、いかに深く咀嚼して自分ごと化できるか?そして、自分自身と深く対話して、問いを立て続けて自分をどう生きるか?が大切と思った件。
独断と偏見な私見です。

世の中や社会が暗中模索の五里夢中だと、不安につぶされそうになり、少しでも安心材料が欲しいと「人と不毛な比較をしたり」「相手を軽視したり」するけれど、そんなコトで得られる安心は一瞬で、根本的な解決ではない。
なぜなら、比較する自分自身より優れた人は多く、比較し続けてもキリがなくて結局凹む。

また、ウェルビーイングの実現にできるコトは“些細なこと”でも多いはずなのに、できないのは「できない理由を探すから&並べる」から。

散歩をする→疲れているからできない。読書をする→老眼で目がシバシバする。趣味に打ち込む→時間がない。旅にでる→お金がいない。
など、正論に聞こえそうなできない理由は無数に挙げることができる。
これは、自分をアイデアキラー化していて、思考を停止している状態。

余命が残り30年(日本人男性の平均寿命)と思うと、思考に「余計&無駄なコト(例:人との不毛な比較、相手を軽視したり傷つけたりなど」が入る隙間なんて作りたくないし、そんなコトを考える時間がもったいない。
一円にもならない(笑)

敬愛するヨーダ先生が言っているではないか!

No! Try not. Do. Or do not. There is no try.

違う!やるか、やらぬかだ。ためしなどいらん。


2025年6月26日木曜日

人間関係。

難しく考えるとドツボにハマる人間関係。

パワーハラスメント、セクシャルハラスメント、カスタマーハラスメント、マタニティハラスメント、モラルハラスメント、アルコールハラスメントなど巷に溢れてる「ハラスメント」行為」
「三大ハラスメント」「五大ハラスメント」などの括りもあるよう、どうでもいいけど。

ハラスメントは、受けた側が、した側の行為を不快に思うと・・・と思いがちだけど、弁護士いわく「明確な線引き/がある!その辺り勘違いしている人が多い!」とのこと。私もその一人。

でも、もしも好きな人から一般的なハラスメント行為をされたても不快に思わず(嬉しい!)と思ってしまったら、許容範囲/線引きは意外と曖昧かも・・・と思ったり。
だから、自分もハラスメントをしてしまう側、される側に簡単になってしまうと自戒を込めて書く。

でも、次の事案はどうなの?と首を傾げてしまった。
職場にて。特別な職務の関係性もなく、だから特別に喋りもせず、コミュニケーションも取らずにいたら(圧を感じた≒パワハラ)と職員から言われた。
職場では挨拶を交わさない人もいるし、職場は仕事場なので余計なお喋りは不要だし、飲みニケーションも無いし・・・など、想像すると(無視されてる・・・と受け取られたか?)

詳細な状況は分からないけど、言われた方は、寝耳に水!という感じだったに違いない。
でも、何でもかんでも〇〇ハラスメントで片付けられると勘違いな社会に違和感を持つ。

「髪を切ったから、カワイイイね!と褒めるのはセクハラの一種。」
「時間が空いてるなら、この仕事手伝ってもらえない?」はパワハラの一種。
は大間違いだけど、だからといって「口は災いのもと」で喋らなかったら「圧をかけられてる=パワハラ」と勘違いされてしまうとは、世知辛い世の中になった・・・。

と、思ってたら以前にも似たようなコトを書いてた・・・。

2025年6月23日月曜日

民泊部屋になってた!

民泊は自炊もできるけど、現地スーパーで買いたい派

 “その部屋”の住人を知ってた理由は、ある日、赤ちゃんを乗せたベビーカーを持ったまま階段をあがろうしていて、「手伝いましょうか?」と、声をかけたから。

数段の階段だったので「大丈夫です、ありがとうございます。」と、お礼を言われ、その方は廊下を進み、“その部屋”へ、ベビーカーを押していった。


それっきりで、いつの間にか引っ越しされ、“その部屋”のカーテンは外されて「空室」になったのを知っていた。


特に気にもせず月日は流れて、ある日。

その部屋から出てきたのは男女で(新しい人が引っ越してきたんだ。)と、思ったら中国語を喋っていて(中国人の方なんだ。)と勝手に思った。


そして、そんなコトも忘れてた先日の10時頃。

用事を済ませた帰り道。アパートの入り口に荷物を持った数人の老若男女が集まっていて(えっ!ナニナニ?)と思ったら、全員が中国語を喋っていて、(何だろう?)と横目に見つつ、入り口を抜けて1階を見たら“その部屋”から3人が出てきた。


勝手に住人は中国人と思い込んでいたので(誰かが尋ねてきたのかな?)と、気にせずにいたけど、“その部屋”の雰囲気が何か違い、何だろう?と見たら「キーボックス」があり、張り紙が貼ってあった。


見ると「民泊業許可証」が貼られていて、“その部屋”は民泊用部屋になってた!

(えっー!このアパートで民泊!?)と思い、以前見かけた男女も住人ではなく旅行者だったの?さっきの大人数も旅行者だったのか!と驚く。


もっと相応しい部屋(物件)があると思うけど・・・と思うも、そこは家主の判断。

宿泊費が安いだろうな・・・。

食事はどうしたんだろう?と、自分の利用時を思い出す。


写真はフィレンツェで2泊したAir&B部屋での食事。

近所のスーパーで好きなモノを買って地元味を堪能するのが好み。

空き部屋解消&活用に民泊利用はアリか?議論の余地はありそう。

2025年6月17日火曜日

考え方/捉え方次第。


先日の「民間との共創研修アンケート結果」から。
「小話が面白かった。」という感想が複数あり、その中でDX化を含むデジタル化が進むと「仕事を奪われるかもしれない」と心配した職員がいたので、「チャーリーとチョコレート工場(2005年/ジョニー・デップ版)」の話をすると「あぁ〜!」と納得してくれた小話(笑)。

歯磨き粉工場で働くチャーリーのお父さんは、工場の機械化が進み、お父さんの仕事(歯磨き粉の蓋だけを閉じる係)も機械化されて解雇、無職になってしまう。
でも、物語の最後は歯磨き粉工場で蓋だけを閉める機械の保守管理で復職しているという話。


DX化であろうがデジタル化であろうがAIであろうが、どこかで人(≒気持ち/感情など)が介さなければ、品もサービスも成立・完結しないから、情報に振り回されないで欲しい、鵜呑みにしないで欲しいと伝える(≒リテラシー)。

だから言い方を180度変えると「気持ち/感情などが不要な仕事」はAIなどに取って代わられるという感じか。
主に数字や数値、データ(資料)を扱う職種かな?正確さ、早さも分析力も求められると思うと、人よりも適している・・・どうなんだろう。

「数えるも調べるも、分析も文章も絵も描けて、最近では映画も撮れるほどのクオリティですからね・・・。」
「公務員も危ういですよ。」
「一部では職を取られてしまうかもですね。もう取られてるかも・・・。」
「一体、どんな仕事が残るんでしょうね。」
「DXやAIが及ばない領域ってあるんですか?」
「DXやAIの真逆の非効率、非生産性な仕事でしょうか?」
「今は無駄、余計と思われてるコトが「丁寧」なんて価値になったり。」
「それはあるかもしれませんね。」
「と、言うと、やはりクリエイティビティ(創造性)を発揮できる職種、職業ですね。」
「あそこに、デジタルに振り回されるからデジタルを駆使するってありますね!」と壁を見る(写真)
「ホントだ。非効率な職でも新しいデジタル職が必要な場面はありますよね。」

2025年6月13日金曜日

タクシーの中で。


「日本語お上手ですね?」
「私ですか???日本人ですよ。」
「ホントですか?外国人と思いましたよ。」
「そうですか!何系ですかね?」
「アメリカ人じゃないな、ヨーロッパかな?」
「そうですか、ありがとうございます。」
「私は南米で生まれまして、この金髪でしょ?スペイン語が話せるんですが日本人です。」
(あぁ、運転手さんは、自分の話へ繋げたかったのか!)
と、雨の中、愛媛県研修所へ行くのにタクシーに乗ったら先制パンチ(笑)。

よく喋る運転手さんで、私も悪かったのが「お客さん、どちらの方ですか?」に「松山在住です。」と言えば良かったのに、話を切ろうと「東京です。」と言ってしまったこと。
そうしたら「そうですか、松山はですね〜」と色々(例:松山/愛媛の県民性、最近の松山事変、松山の困りごとなど)と教えてくれた。

そして、雨だったので道路は渋滞。
気を利かせてくれて「こっちから行きますね。」「ここを曲がりますね。」と、近道をしてくれるも、全てが裏目で裏道渋滞にガッツりハマってしまう。

既に20分経過。「9時には到着したいんですけど、間に合いますかね?」と尋ねると「もっと、早く言ってよ〜!あっちの道にすれば良かった!」と、早く着くために近道をしたんじゃないんかーい!とツッコミたくなったものの、どうしようもできずタクシーは渋滞に引っかかったまま。

9時を過ぎてしまい、あと10分で研修が始まる!
渋滞を抜けたら細道でも大急ぎになる運転手さん。(横道から自転車や歩行者が来たらどうすんの!?)と思いつつ、9:05に登場。

研修所前では所長が心配で出迎えてくださっていて、平謝りで最後の共創研修へ!

2025年6月11日水曜日

これまでの14年、これからの14年。

(左)柳井崇延さん、(右)松本英次さん

NPO法人いよココロザシ大学の15回目の総会が終わり、理事との意見交換会。

2011年にココ大は開校して、その時からの理事なので、14年の月日を重ねると色々と思い出話もあり、「今の財務状況は以前に比べたらとても健全ですよ」など、外的要因、内的要因を含めて低迷・停滞して先行き不透明な時期があったのは事実。

でも、こうして美味しく、“表に出せない”コト(笑)も語り合えるのって14年の月日が盤石にした信頼の証みたいなもの。

ただ、私自身は14年経っても会計・税務に全くのゼロ(いやマイナス)知識なので、柳井税理士からは(いい加減に一つは覚えてよ!)と思われてるかもしれない。

松本さんとはココ大設立前に紹介を受けたから15年のお付き合い。
ココ大のサイト、えひめフィルム・コミッションのサイトを構築してくださり、これらの知識と情報に関しても乏しい私はいつも(超些細なコトだろうと思っても)お願いばかり・・・。

知らなかったら、知っている人にお願いすればいい!と思っているのでご勘弁(涙)

これまでの14年を振り返り、次の14年を見通すと私は67歳!
「いづれ情報デザインなどの科目、学びはなくなりますよ。」と松本さん。
AIの方が情報を扱うのは得意だから取って代わられるとのこと。
柳井さんも「数字入力がなくなりました。」とAIを導入しているとのこと。
お二人ともスゴい!私はお喋り友達程度でしかAIと付き合ってない・・・。

数年後も見通せないのに14年後が見通せる訳がないけど、ココ大はどうなってるのだろう?
そもそも14年前に今を想像できていないのだから、想像していない所にいるんだろうな・・・。

2025年6月7日土曜日

警鐘を鳴らすべき?


ボランティア論を教える中で「どうしてボランティアをしたいと思ったの?」と、動機を尋ねると「(ボランティアは)就職に有利だから。」という返答を初めて聞いたのが3年前。
ボランティアに限らず、社会貢献活動も含め就職に有利というのが今の学生の常識らしい。
「ボランティア証明書」という書類を書いたこともある。

実は就職活動の経験がない(恵まれていたと振り返る)から推測だけど、学業以外の付加価値としてボランティア経験を“まとう”ことで、事業所ウケを狙っていると思う。違うかな?

事業所も学生の差別化(学生自身は自分の優位性をPRと思っているけど、実は他の学生も同じに思っているから、結局差別化されない事実)が難しくなっているので、新しい差別化要素にボランティア経験を見ているのかな?
違っていたら、教えて欲しい。

でも!ボランティアってウリでもアピールすることでもないと思うんだけど・・・は古い考えで時代に合っていないのかも。

そこへ「防災士という資格は就職に有利!?」のような話題になり、背景には南海トラフ地震などへの備え、万が一の時の知識や対応策を備えている就職希望者として有利ではないか?みたいな背景に(なんだか危険な発想だな・・・)と思ってしまい、つい「どうかな?」と挟んでしまう。

資格を持っているか?持っていないか?では持っていた方が良い。は賛成。
でも、資格保有の有無と仕事に必要な能力は全くの別物なので、そこを“同一で見る”は、本来の目的から外れてしまうと思うんだけどな・・・どうなんだろう?

効率性とか生産性、コスパ至上の果てが全て「ギブ&テイク、損得勘定」で測ってしまう昨今に警鐘を鳴らしたい。
人の付き合いまで、損得ので測られてしまったら・・・。

一見、無駄と思える所/コトにこそ、意味もある!

2025年6月1日日曜日

心のつっかえ。


あぁ、なんと言うか、「心のつっかえ」と言うか「モヤモヤ」と言うか「同じ考えの人がいて良かった・・・」と言う安堵か。

「大事なコトだから一回しか言わないよ。」と我が子へ伝えたものの、釈然としなくて自分に問いを立てたのは20年以上前。

私も親にそう言われた。それは「集中して聞いてね!」という意味だったのは分かるけど、大事なこと、大切なことだから何度も伝えないといけないんじゃないの?

「耳にタコができたよ!」と言い返されるほど言ってもいいのかもと思ってた。
でも、ウェブの討論会?か何かで同じコトを言っていて(だよね)と共感と安堵した話。

「他人に迷惑をかけて生きてはいけない。」とも幼少期から教えられ、(その通り)と何の疑いもなく、(でも、実際には迷惑を掛けながら)今日まで生きてきたけど、誤った解釈をすると「迷惑をかけない=おとなしく、何もしない」と捉えられがち。

窮屈さも感じ、モヤモヤしていたけど、「お互い様」という言葉があるように、私も迷惑をかけているから私が迷惑を被っても許し許される関係=お互い様と納得する。
許容範囲はあるけどね。

「静かな子=手間のかからない子=いい子」でいいんだろうか?違う気がしてならない。
静かなのは恥ずかしがり屋などの性格もあるかもしれないけど、分からないから静かなのかもしれないし、周りを観察してるだけかもしれない。

そもそも「いい子」ってナニ?誰にとっていい子なのか?は、単に大人にとって都合の良い子としか捉えてないんじゃないの?とフツフツと湧く。
そんな変なコトで損をさせてはいけないと思う。

「助成金を申請する団体は資金調達を頑張っていないと見られる・・・」なんてのもあったけど、やれやれ・・・という感じ。
モヤモヤが多い。

2025年5月19日月曜日

幻のウォーキングイベント。


晴れ男を自負していたので、雨予報でも「大丈夫だろう」と“タカ”をくくったまま「第10回東京エクストリームウォーク」の前日。

これは5/17-5/18にかけて「小田原城址公園(神奈川県小田原市)」から「ライブドアアーバンスポーツパーク(東京都江東区)」までの100kmを一昼夜かけて歩くイベント。

わたしは、100kmコースのうち、33kmを歩く「ビギナーズ」にエントリー。
初めてのウォーキングイベントにワクワク感いっぱいで前日まで過ごしていたのに、天気予想はどんどん悪くなり、それも5/17だけ強風と雨予報で、5/16と5/18は晴れ予報。

(まさかの中止?)と思っていると、事務局からメールが届き「決行です!」だったものの、「寒さが予想されます防寒着を。濡れます、着替えが必要でしょう。体調管理は万全になど」色々と注意書きがあり、33kmとはいえ約8時間、雨に濡れながらのウォーキングは、終了後の疲労困憊姿が予測できて(明日、雨が降っていたら参加をキャンセルしよう)となる。
参加費(8000円)を捨てることになるけど、体調が一番と自分を納得させる。

そして翌日。窓を開けると雨と時折りの強風に泣く泣くの不参加(キャンセル)決定。
ただ、ムズムズ感は治らず、雨と風の中、朝散歩は決行!傘をさしながら約1時間、7,000歩を歩いてムズムズ感を治める。
傘を差しながらも濡れてしまい、シャワーを浴びると予想以上に雨が体温を奪っていて体が冷えていたことを実感する。

イベントサイトを見ても「中止」とはなかったので、実行したようで参加者に遠くからエールを送る。と、いうのも雨は時間が経つほどに雨は大粒になり、不参加で良かったと。

初めてのウォーキングイベントは幻デビューとなった件。

2025年4月26日土曜日

妄想する。


初版が昭和60年だから1985年。当時の定価で2,300円の「水木しげる妖怪画集」が5,000円。
その後、復刻版が出ているとはいえ、40年前の貴重な水木しげる本を見つける。

(買おうかな?)と思うも冷静に考えると本は重い、松山へ持ち帰るとなると・・・断念。
そして隣には「手塚治虫のマンガ大学」なる小冊子があり、裏をみたら「付録」となっていたけど、値段は1500円。(付属元の本に価格はあるものの)1500倍もの値段がついていた!

次のブロックを見ると「映画のパンフレット」などが無造作に置かれていて(あぁ、老後はこういう映画のパンフやポスターが壁一面に貼っているカフェででもできたら・・・)と淡い妄想しながら見ていると「スターウォーズEP4」があり、当時のチラシ付で5,500円!

さらに探すと「スターウォーズEP5」の当時のチラシ付が2,200円!(これはEP6もあるんじゃね?)と探したら「スターウォーズEP6」の当時のチラシ付が2,200円!

エピソード4&5&6の旧三部作セットの劇場用パンフが9,900円で買える!(この巡り合わせは神様のお告げか?)と勝手に思い込むも財布を持ってきていなかった・・・。
キャッシュレスが普及する中で、古本屋は未だ現金商売が多いのだろうか?昔ながらのレジで手動でチェックしてた。

そして、さらに見て回ると「レゴの組立て説明書(飛行機、船など)」も色々と置いてあり、300円から500円まで。
どれもブロックは付いてないけど、レゴの組立て説明書ってペラペラで擦れやすく折れやすい=すぐに破れる、失くす場合が多い。だからのニーズか?

(んっ!待てよ。松山のアパートに大量のレゴの組立て説明書があるぞ!スキャンしてPDF化したら・・・)と、ダークサイドに堕ちそうだった件。
あくまでも趣味の範囲でね。

2025年4月25日金曜日

クリシェは使わない。


メモメモ。
机に置いてあった「好きを言語化する技術(著:三宅香帆/ディカバー携書)」という妻が読んでいる最中の本が目に入ったので「ちょっと先に読ませて!」とお願いして速攻で読了。
読まなければならない本は積読なのに、興味ある本はササッ!と読めるのが不思議。

総評は、ブログや寄稿、記事を書いたことがある≒発信したことがある人には身に覚えがある&共感の多い内容だった。

その中で記憶に残っているのは・・・。
・「クリシェ」という繰り返し使い回された定型の陳腐化された表現に抗うこと。クリシェという言葉を初めて知る。
・他人の言葉に影響されず、自分の言葉(表現)を、これまでの経験、妄想から紡ぎ出す!
・伝わりやすさの決め手は「工夫(考え抜くこと)の量」に比例する。
・「あはれなり」と、は平安時代の“ヤバい”「あはれなり」という表現を初めて知る。
・「好き」は脆(もろ)く儚(はかな)く簡単に揺らぐものだから、残す価値がある。
・印象に残った、感情のメモなどで自分の言葉が「言語化されるプロセス」を知る。
・「言語化されるプロセス」とは感情の細分化、解像度をあげること。
・「面白さ」とは共感や驚きのこと。「不快」とは退屈や期待ハズレのこと。
・相手(聞き手、読み手)との情報格差を埋めることができるかで理解度が深まる。
・情報の差異こそが価値。それはお互いに知らない情報の介在。
・「推し」と自分の間に他人を介在させない、他人の言葉を入れない。
・「推し」への言葉は自分の想いを見失なわない鍵。自己肯定感を高める鍵。
・調べて分かることは長々と書かない。

と、色々あった中で更に特に響いたのは以下の2つ。
・「好き」の言語化が溜まれば、自分の価値観や人生に反映できる。
・推しの魅力を伝えることは自分の人生を愛すること。

学生達にもきっと響くはず。

2025年4月24日木曜日

2.46秒ごとの決断。


「食べたモノで体ができている」に反論する人がいないように「今の自分は自らが決断した結果」にも反論できる余地はない。

“その決定”がが良いか悪いかは別にして、決定次第で違う自分にもなれたかと思うと不思議な感じがしてしょうがない。

それも物心ついてから連続で、人は1日に脳内で12,000回以上の思考をめぐらし、35,000回程度の選択をしているという話をベースにすると、50年だと1年で438万回以上×50年で2億1900万回以上の思考をめぐらし、その結果、1年で1,277万回×50年で6億3,875万回の決断をしている計算になる。

起きる or 起きない、歩く or 歩かない、飲む or 飲まない、する or しない、今する or 後でする、読む or 読まない、電話に出る or 出ない・・・と意識&無意識も含めて、1日は86,400秒だから2.46秒ごとに決断してることになる!ひぃー!

ならば!無意識のは仕方がないとしても意識できる判断は自分でしたいもの。
他人の判断に従うor従わないという選択肢もあるけど、仕事上は従わなければならないコトも多いのは事実。

でも自分に選択権があるならば他人に委ねるより自分で決断した方が、例えその判断で悪い結果が出ても自分の責任と飲み込めるし、良い結果だったら自分が一番喜べる。

最も“もったいない”のは【選択/決断を放棄すること】。手放して良いことなんて一つもない。
大抵、こういう場合は他人が決断するのだけど、手放されて決断した結果がうまくいった事例を知らない。そして必ず愚痴などが出る。

自分の人生ぐらい、自分で舵取り(選択/決断)しなさい。と。

2025年4月23日水曜日

ところ変われば。


松山でバスに乗っていると「お降りの際はバスが止まってから席をお立ちください。」
このアナウンスにはバスが動いている最中に席を立つとグラッ!と、揺れる車内は危ないからという意味。

だから降りる準備は走行中に、という意味も含まれているけど、バスが止まってから乗客は降りるから、降りる人が多い場合はおのずと停車時間が長くなる。

一方で東京。
電車に乗っていると「ドアが開きましたら、すぐに降りてください。」と、降りる準備を整えてドア付近に集合!みたいな感じ。

「無理なご乗車はおやめください。発車時間を過ぎています。」と、電車の停車時間が延びる度に数秒、さらに次駅で数十秒と遅延時間が延びて「本日は定刻よりも遅れまして申し訳ありません。」というアナウンスを何度聞いたことか。
東京ではキャリーバッグ、ベビーカー、車椅子も多いから、降りる&乗るだけでも大変。

再び松山。
伊予鉄道に乗ると「背負ったバッグは前か手に持ってください。」というマナー?ルール?モラル?の呼びかけ。

このマナーが、いつから浸透したのか知らないけど、混雑時の電車内の通りにくさ解消にリュックなどのカバンを前に掛けるクセがついた。
大勢がしてるし、防犯の意味もあっていいかな?と思っていた。

だけど、時代は流れて価値観も変わったのか、「バッグの前掛けはOK?NG?」なる問いがあって、てっきりOK!と思っていたら、座っている人からすれば「目の前に汚いバッグがあるのは不愉快」とのこと。

一方が善で一方が悪という話にはならないと思うんだけど。
「譲り合い」も「お互い様」もあったもんじゃない・・・と世知辛くなった世の中。

(じゃあ、どうしたらいいの?)と聞いたら「手荷物は網棚に乗せてください。」とのこと。
その通り!なんだけど、混雑してる電車では荷物置きに置いたバッグとグイグイ押されて移動せざるを得ない時があり、網棚に置いたバッグと距離が離れるんだけど・・・という感じ。
やれやれ。

2025年4月19日土曜日

こんな“後味が悪すぎる作品”は初めて。


「ザ・ノンフィクション」でパンづくり修行に上京したものの、絵に描いたようなダメッぷりの男性主人公は21歳の愛媛県松山市出身。

もう一人の21歳の女性主人公は、“出来すぎ”なほどで、二人のコントラストが激しすぎて番組的には面白いんだけど、彼の親はどんな気分で番組を見るのだろうと余計な心配をしてしまうほど、ダメだった。
印象的だったのは番組ナレーションも彼の良い所を一生懸命に探してフォローした演出。

結局、1年で辞めて故郷(松山)に帰ることになった。だけど唯一の救いは21歳と若いこと。
早く失敗して早く出直せれば経験値として学びになるから、頑張ってねと。

そんな番組を見終わったあとに、気分転換に「母さんに騙されて」というNETFLIXのドキュメンタリーを見たら、「ザ・ノンフィクション」なんて比にならないほど、救いようがなく、終始信じられず、最後も後味が悪いまま終わる・・・という、かつてない問題作。

一つ明確だったのは「世の中には本当に邪悪な人間が少数だけど必ずいる。」ということ。
更に最悪なのは、邪悪な人間は他人を貶めようが傷つけようが全く気にしない。

だから被害にあった主人公を貶めた犯人は「サイコパス、ソシオパス」なんだけど、それが他人ではなく、40年以上も行方不明だった現在80歳以上で余命半年と言うの実の母親から突然連絡があり、主人公を精神的にズタボロに貶めるのだから、こんな理不尽、同じく多額の金銭被害を被った友人たちも怒りのぶつけ所が分からず、(これホントなの?フィクション?)と疑ったほど。

最後も突然連絡が途絶えた母親。
だけど、ある日息子に電話をかけて「あの時はごめんなさい。仕方なかったの」と何事もなかった喋り口に、ゾッ!として、後味悪く終わり「ザ・ノンフィクション」の彼のことなんて、小さい!と思ってしまった件。

2025年4月14日月曜日

自分のご機嫌を取れるのは自分。


「何にもなかった日なんてあるわけがない。」と思っていて、大抵、そういう人は「イベント(≒特別なこと)」が無かった・・・と言う。

毎日がイベントのような特別な日が続く人っているかな?仮にいても、そのうち疲れてしまうと思う。
いわゆる「幸せホルモン(ドーパミン、セロトニンなど)」の効果も薄れてしまうかも。

何もないと感じた時こそ、問いを立てたり、内省する絶好の機会。
特別なコトよりも、ごくフツーな誰でも得られる些細な日常に目を向けると(おぉ!身近でも幸せを感じられることが多い!)と気づくはず。

聖人君子ではないし、ニヒリズム(虚無主義)のペシミスト(悲観論者)と思ってるから、面倒なこと、嫌なこと、呆れたことも思い出す。ごくフツーなこと。
そんなコトは消えないけど、小さくできるのは、多くの小さな幸せの感じ方を知ってるから。
人よりも多少は多くの経験をしてきて得た知恵みたいなもの。

解像度をあげて周りをみてごらん。と、伝えたい。
「桜が舞い散るのを見ました。椿の花がキレイでした。掃除をしたら気分が晴れました。快眠でした。快便でした。自分にご褒美しました。信号を待たずに行けました。夕陽がキレイでした。会計がゾロ目でした。時計を見たら5:55でした。」などなど、自分を楽しませる些細なできごとは、そこら中にある!

そんなコトを上手に見つけられるのは大人よりも子ども達かもしれない。
先日、春編が終わったココ大付属学園で「インチキ、四葉のクローバーあげる。」と持ってきてくれた。

自分のご機嫌を取れるのは自分しかいないのだから、他人に委ねるのはもったいないよ!

2025年4月10日木曜日

根気がない、自分らしくないと。


締切迫る資料作成に追われているのに、息抜きに見た「ザ・ノンフィクション」が面白くて前編をTVerで見てしまった。

以前はキッチンカーで夢を実現しようとする若者を取り上げていたけど現実は厳しく、夢との狭間で揺れ動く若者が印象的だった。

今回は「パン屋になる!」と夢を描き上京した若者二人の成長物語。
決してご都合主義のハッピーエンドにならないのがノンフィクションの良いところ。

今回の主人公である男性(20歳)は愛媛県出身で、グッ!と引き寄せられてしまう。
と言うのも絵に描いたようなダメっぷりで、遅刻常習だし、必要なことを覚えないし、確認しないし、言い訳多いし、設定?と思うほど(だからこそ、どう長するのか?を視聴者は期待する)。

そんな彼と真逆でコントラストをクッキリつけているのが、もう一人の主人公である女性(20歳)の努力姿。なんでも積極的に挑戦する姿は出来過ぎのよう。
最後はどうなるのだろう(後半はまだ)。

先日も河原デザイン・アート専門学校の学生と過ごしたけれど、20歳で社会に(半強制的に)出され、仕事して成果を求められたら戸惑うのも無理はないは分かるけど、それが理不尽が多い社会と学ばされ、我慢&辛抱を無理やり飲み込まされた我々とは違うんだろうな。

「カラフルな日常がグレーになり、白黒になり、やがて真黒になった。」って何かで絶望を表現してた記憶。

退職代行サービスの「モームリ」は、4月7日の退職相談依頼が244件(うち新卒39名)/日と発表。この調子だと4月は約3000件の退職相談数になると予測。退職を代行依頼って・・・。

方や「我慢&辛抱、根気が足りない」って言うし、方や「精神論ではない、自分らしくない!」など言うし、関わらない方がいいかもと思ったり。

2025年3月30日日曜日

先輩移住者として。


2024年5月15日に都市と地方などに生活拠点を持つ「二地域居住」を促進する制度創設を盛り込んだ改正広域的地域活性化基盤整備法を与野党の賛成多数で可決&成立。

市町村が促進計画を作成すれば、二地域居住者の住まいや職場環境を整える際に国の支援が受けやすくなり、空き家の改修、シェアハウスやテレワーク用の共同オフィスの立ち上げなどの環境整備が行えて、子育て世帯を中心に、地方への新たな人の流れを創出するのが狙い。


この法案はどれほどの効果を発揮するのか?
なども含めたざっくばらんな意見を移住促進などを手がける会社からのヒアリング調査。

「泉谷さんだったら、二地域居住のポイントは何と思いますか?」
「移住先で働けるか=稼げるかでしょうか?元々の仕事を移住先で続けてもいいし、移住先で手に職をつけて仕事を創ってもいいし、移住先で就職という手段でもいいと思います。働けない場所にわざわざ行かないでしょ?」

「たしかに、そうですよね。その“二地域”ですが、どうやって選ばれると思いますか?」

「二地域のうち、一つは“実家や家族が既に暮らしている家”の人が多いと思います。私も実家/妻が暮らす東京と愛媛ですから。私の住民票は松山市です。」

「そうでしょうね。実家を含まない二地域で暮らそうとすると費用が倍ですよね。」

「そう、二地域という言葉もだけど、関係人口とか交流人口推進の方が“しっくり”くるかも」

などの内容で話して気づく。
自治体が移住を求めているのは「住民票を移して欲しい人」なのか?「訪れてさえしてくれたらいい人」なのか?それとも「住民票まで移さなくてもいいから、何度も訪れてくれるファン」なのか?

そして「愛の壁(移住者が試される地域の地元愛の強さ/高さ)」も話してしまうと「うまい表現、分かります!」と納得される。

2025年3月25日火曜日

備えあれば。

アルゴも驚いてる。

ココ大付属学園は明日から11日間。
2024年8月8日の夕方に起きた震度3〜4の地震以降、ずっと気になっていたコト、それは「南海トラフ地震」が起きて、万が一、子ども達と2〜3日、一緒に過ごさなければならなくなったら・・・という想定。

ハーモニープラザは公共施設だから一時避難所にもなるので、可能性はある。
8月8日の時は大事にはいたらなかったけれど、自分だけはなく子供や保護者への指示、責任の重大さを感じた数秒間。

で、思い切って購入した「ソーラーパネル&ポータブル電源(Anker社 Solixシリーズ)」。
これまでも防災などを切り口に松山市危機管理課などにきてもらい、避難時の過ごし方を学んだけど、「ますます電源の必要度合いは高くなっています。」などのフレーズを受け流せず・・・購入。

購入した決め手の一つは、平時でも使いやすく(パススルーなので他の電気製品にも供給できる・・・けど、特に出番ナシ)、バッテリーの持ちの良さと部品周りの堅牢さ。
10年以上持つとのことで、10年以内に!?なんて想像したくないけど、不安を一つ軽減。

余談だけど、非常食についてはココ大付属学園でも大いに学んだ。
ウェザーニュース調査によると「防災食の備蓄日数(2024年2月20日から26日、14210人回答)」では、全国平均が3.32日分で過去最高を記録とのこと。防災意識が高まってる証拠。
ちなみに愛媛県は3.19日分を備蓄しているとのこと。

非常食については浸透したけど、食べればトイレに行きたくなるし眠くもなる。灯りもつけたくなる。寝ている間に充電もしたくなる。

すると、やはりポータブル電源は必要で、“その時”は活躍して欲しいけど、“その時”は来て欲しくなかったり、ややこしい話。