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2025年1月21日火曜日

額装して!

墨で描いてくれたインチキ先生似顔絵!

この才能を、どう見守り、育み続けられるか?
ライフプランセミナーの最後は、自分の未来予想を考え「自分への宣言」として書くもの。
そのために、篠原一作さんをお招きして、一作さんに描いてもらうことも自分で書くこともできる用意が整えられる。

一作さんが準備していると、白石さんのお子さん達が描きたい!となり、セミナーの傍で絵を描き始める。お兄ちゃんも妹ちゃんも墨で描き始める。でも、墨なので黒一色。
そこへ一作さん、水彩絵の具やアクリル絵の具ではない「顔料」絵の具で描かせてあげる。

すると、それまで墨一色だった作品がカラーになり、顔料だから発色もよく鮮やかになる。
お兄ちゃんの作品はステンドグラスのような作品になり、褒めてくれてたら「似顔絵」を描きてくれた。だから「ねぇ、インチキ先生って書いてくれる?」と伝えて、笑いながら描いてくれたのがこの作品。

妹ちゃんは色々な色で筆を思いのままに走らせ、カンディンスキーのような抽象画をもっと走らせた作品が誕生する。

「○#△$⬜︎%◇&☆」と聞き取れなかったので、聞き直すと「次、描きたい。」と新たな紙を用意して欲しいと、画伯と呼んでいたから仲間と思ってくれたのか妹ちゃんの助手でした(笑)

純粋に「したい」、気の向くままに「描きたい」という無垢な思いをどう育めるか?
親なら誰でもがずっと育みたいと思うけど、簡単ではないのは3人の子育てを通した感想。

親の思いと子供の思いは全く違うし、子供が“その道”に進みたいと思っても本人の努力、世間体や財政などの事情もあるから簡単ではない。
だから「作品だから額装して!」と助言するのが精一杯だった件。

2025年1月11日土曜日

甘い中華そばをすすりながら。

飄太名物「甘い中華そば」は、分厚い砥部焼で登場。

同い年の夫婦と私たち夫婦の2組で食事。
場所はコロナ前に訪れた以来の飄太、だから6-7年ぶりか?よく通る道沿いだし、店も知ってるのに意外と行かない店って多い(と言うか私が飲みに全く行かないのが原因かも)

飄太といえば「甘い中華そば」のイメージだけど「おでん」も人気だそうで、先ずはおでんを頬張りながら乾杯&談笑。

夫婦で会うのは初だったので、互いの馴れ初めなどを皮切りに縦横無尽に談笑が進むと、4人は既に50代、それぞれの職場では役員や責任者、指導者など社会的責任を負う世代なほか、互いに共働き夫婦でもあるので、これからの話、そして妻、夫ではなく一人の人間として生き様などを話していると「リーダシップ」と「マネジメント」の話に辿り着いてしまった。

自分自身にはセルフリーダーシップだし、職場ではフォロワーあってのリーダーシップを発揮。
一方で組織では管理というマネジメント力が求められ、世間でもマネジメントというバランス力が求められるケースがあったり。

「でも、これから(≒地域の未来)を考えると、慣例や風土に風穴開けないとジリ貧になるね(≒発展、活性はない)。」となる。
この現実がまだイメージできない上層部がいる組織は本当にやばい、現実を直視していない。

リーダーシップとマネジメントはアクセルとブレーキにも例えられ、時に相反する。
どっちがどっち?はないけど、一つ言えるのは、リーダーシップがない時のマネジメントは単なる管理で、そこに生産性や創造性はない。

50代は組織でも個人にも夫婦間でもリーダーシップとマネジメントが求められる世代と全くのシラフで反芻(笑)

2025年1月3日金曜日

アート鑑賞初め。


正確に言えば12月31日だけど“そこ”じゃない。

お父様、弟さんが芸術家な友人から「升田裕康と升田準二と三野計の垂直水平の立体交差点(1/13まで。入場無料)」という企画展に誘われて、会場である「升田あそびの家」へ。
お邪魔するのはコロナ前だったので数年ぶり。

升田裕康さん(お父さん)、升田準二さん(弟さん)の作品は見たことはあったけど、三野計さんは名前を聞いたことがあっても作品を実際に見るのは初めてで「愚人」という切り抜いたヒト型(2cmほどの愚人ポーズは数種類ある)が球体に貼られている。
これが三野さんの作品の特徴のよう。会場にも愚人が無造作においてあり、その数は万単位。
この愚人は一体ずつカッターで切り抜いていると言うのだから気が遠くなる・・・。

裕康さんの作品はカラフルな抽象画のようだけど、よーく見るとモチーフが見えてきたり、また準二さんの作品は黒や青のペン画で感性のままに走らせているとのこと。

アート作品は作者の個性(=オリジナリティ)で識別できるから分かりやすい反面、感じるor感じないもハッキリする。

テーマなどを詮索や読み解くことが正解ではなく、感じるか?感じないか?でいいので、多種多様な作品を見で感性を養うこと大切。
作者の数だけ描き方(=作品)があるということ。愛媛にも素敵なアーティストはたくさんいる。

2025年は、どれだけ作品展に行けるのか?
ココ大付属学園でも創作活動を踏み込んでできたらいいなぁ・・・と思ったり。
アートに溢れた空間に満たされたひと時。

2024年12月29日日曜日

どこを見てるのか?


パッ!と見は“フツー(多数)”と違うから、そんなフツーのモノサシで測ると“違う人”と思い込まれてしまう。
大人はこれまでに会った人、もしくは情報で得た(つもりの)カテゴリーに分類してしまう。なぜなら、分類した方が“理解するのに都合がいい”から。

でも、それは“見た目(表面)”であって内面(≒本質)ではないから誤った判断、分類をされた人をこれまで多くみてきた。
今回、学生と接して改めて考えさせられたこと。

我が家の末っ子の場合は行動で先生たちからすれば“余計なコトをする学生”と見られた時があり、呼び出された際の多くで謝ったけど、明らかに違い、偏見と思った時は学校長などを相手に納得するまで説明を求めた過去。
学校側から面倒な親と思われても筋が通ってなければ親の出番でしょう。

そして、そんな学生がいる場面では大抵、学生に非があるのが大前提で話すから「ちょっと待ってください。話のスタート地点から既に違うんですけど・・・」と相手への面倒さ炸裂!

多くの場合、子どもに非がある。でも100%じゃない。
それを前回も前々回も前々々回もそうだったから、一律のモノサシで測った方が楽だからと、大人が思考を放棄(=一人一人に向き合わない)したら、子どもの可能性や希望、期待は一つ消えるのと同じ。
個性を大切に・・・なんて標語が泣く。

じゃあ、「喋らず大人しくしていればいい。」という振り切り論へは、喋らなくて大人しい子は、一見して“いい子”に見られるけど、本当にそうなのか?多くがそうだけど、あえて一石を投じたい。

大人にも社会にも期待しない世の中に生きるって悲しい。
妻いわく「社会はないけど(大人にとっての)世間体はあるよね。」と鋭い指摘。

2024年12月24日火曜日

あと7日。


2024年も残り7日間。
高松駅から松山駅までの特急時間(2時間30分)の間に広げた新聞で「2024年読者が選んだ10大ニュース」なる見出しに目が止まる。

2024年1月1日の夕方に石川・能登半島で発生した震度7の地震は何かの誤報と思ったのが最初。そして翌1月2日に起きた日本航空機と海上保安庁機が羽田空港で衝突・炎上と、これも(えっ!?)と言う感じで、(明日も何かが起きるの?)と不安になった記憶。

個人的には8月8日の夕方に日向灘で発生した最大震度6弱の地震で「南海トラフ地震臨時情報」が発表されたことが強く残っていて、当日は朝8時から愛南町外泊地区で行われた「笑うマトリョーシカ」の撮影現場に立ち会っていて、地震発生の30分ほど前にハーモニープラザへ帰り、子ども達や保護者、スタッフらと談笑していたら突然の大揺れ。
全員を机の下に避難させ(訓練ではなく本番によく対応できた・・・)と安堵した思い出。

撮影隊にも直ぐに連絡すると、撮影は終了していて、片付けの最中に地震に遭遇したとのことだった。

そう言えば今年も暑く、平均気温の高さが過去最高タイとのことだったけど、子ども達に「暑すぎて外で遊べません。」と、ジョークのような本当のコトを伝えなければならないのが辛かった。

あっ、パリオリンピックがあったのね。
大谷選手の偉業の数々が10月までずっと続き話題をかっさらっていたので、その陰に隠れてしまった感じ。

2025年はどうなるんだろう?いや、2024年もまだ7日間あるから、その間に未曾有のコトが起きるかもしれない。
穏やかに過ごせますように。

2024年12月21日土曜日

理解など野暮。


「理解など不要で、ただ感じればいいのか・・・」と思った銀座グラフィックギャラリー(ggg)で行われていた菊地敦己氏(アートディレクター/グラフィックデザイナー)の作品展。

銀座に行くと入場無料のギャラリーを訪れることが多く、今回はポーラ美術館が閉館中だったので次の選択肢はggg。
扉をあけて中に入るとグラフィックデザインの展示は分かるけど、何がテーマなのか?よく分からず「菊地敦己/グラフィックデザインのある空間」というだけ。

(ナニコレ?どういう意味?何を問うてるの?)など色々と湧いたけど、そもそも“そんなコト”を考えてしまうこと自体が野暮。

(そうなんだ!面白い/面白くない!響く/響かない!)など、自分の感性にフィットするか?しないか?感じるか?感じないか?だけの話。

理屈が必要ないのがアート。説明を読んでも(だからナニ?)でも全然OK!
実際に私も(で?ナニ?)な感じだった。

地下1階にも「菊地敦己/グラフィックデザインのある空間」は続いていて、同じモチーフでも出力の違いによって生じる質感の違いを展示していて(ふ〜ん、だよね。)となる。

極め付けは写真の壁に文字がある光景。

「かべのまんなか」という文字を壁の中央に貼る。

「北東」という文字に矢印をつけて北東に向いた壁に貼る。

「明」という字をライトで照らす。

「さかさま」という文字を壁の真ん中に貼る。

均質な壁に同じ書体で書かれた文字が、音葉や位置や大きさによってその場所の意味を変える。

言葉の無力化を表した作品のようだけど、(そうなんだ。)となる。

分かる必要はなく、(不思議な展示会だったな・・・)で十分だった展示会。

2024年12月14日土曜日

結局は。


例えば、うまくいかない場合があるとする。
それも1回ではなく、10回、20回と続き、気づけば1年以上もうまくいかなかったら(この先、どうなるのだろう?)と不安で心が押し潰されてしまうのも分かる。

その後、うまくいっても今度は周りや世間との“ブランク(空白期間)”が気になり、うまくいかなかった時期とは異なる不安に襲われて、気持ちが押し潰されそうになる。
そして、人生の空白というか無駄な時期と思うかもしれない。

でも、人生100年と言われる中で、1年程度そんな時期もあったな・・・と笑って思い返せる時はやってくる。
大切なのは(あの時間も大切だった。だけど、もうゴメン!)と胸に刻んでおくこと。
私もNYへ行かせてもらったのに大学を辞めて、無気力だった時期が半年ほどあった。

〇〇回失敗したら、代わりに成功が得られることは絶対にない!これだけはハッキリ言える。
だから、自分を信じるれるか?どうかの話。
言うのは簡単だけどタフな日が続くと心は折れるし自分を否定したくなるから、どこまで信じられるか?は本人次第。
そして「違う選択肢(例:止める、諦める、変える、忘れるなど)」が出てくるのも分かる。

紆余曲折、凸凹、つまづき、ダメージさえも好転させるには日々を綴り記録しておくこと。
タフなコトを乗り越えたかよりも、そんな日でも何とか過ごせて翌日を迎えられたではないか!が大切。

どん底を味わうと、それ以上の底はないわけだから、些細なことも含めて全てがハッピーになり、周りに感謝したくなる。

結局は自分次第。周りが手を差し伸べても、その人次第。

2024年11月30日土曜日

助長は嫌。


「市民」と一言で称しても色々と属性?があるようで・・・。

・志民→世の中をより良くしようと志を掲げる市民。
・支民→誰かの何かを支えようと応援する市民。
・私民→何事も自分中心から物事を考える市民。
・死民→意欲も生気もなく“死んでる目”をしてる市民。
*辞書や教科書には載ってない、誰かが作った造語です。

過激と言うか誤解を生みそうというか、反響と言うかハレーションが起きる表現だけど、これらの言葉が生まれてしまった背景には、間違った言葉や意味、表現への“都合のよい解釈”などがあるんだろうな・・・と振り返る。

「以前の私は“死民”でした。」と発言した人がいて、さらに別々の複数人も吐露したのを聞いて当人を見ても、“現在の表情”からはそうは見えず「マズローの欲求段階説」を思い出す。
なんだか怪しい宗教っぽさを感じる光景を想像させるけど、笑いアリの和やかな意見交換会。

個人的には肯定も否定もしないけど、「じゃあ、あなたは何の市民?」と尋ねられたら「志民」と答える。だって、いよ“ココロザシ”大学だから。愛媛を素敵にしたい志ありますから!

だけど、志民、支民、私民、死民など、どんな状況であろうが、結局は本人次第という考えに行き着いてるのでお節介も介入もしない。

流れる景色を見ながら「愛媛ってやっぱりいいよね。」と何気なく言うと、「そんな明け透けにハッキリ言う人、いないですよ。」は生まれも育ちも愛媛人。

人口が少なくなる地方でも分断とか格差とか差別が助長されるのは嫌だなと。

2024年11月25日月曜日

積極的に関与しないと維持できない。


朝7時の神戸元町の南京広場。
日中は、修学旅行生や外国人観光客、ビジネスマンなどでごった返しだったけど、この日は週末だったこともあり通勤通学の人はいなかった。
後ろでは清掃車がゴミを粉砕してたり、店の人が店前を掃除してた。

地域づくりって積極的に関与しないと維持できないし、ジリ貧という話。
写真を撮ってる私は(ココが名所だから)という理由で撮影したけど、もしも、ココが汚く治安の悪い場所だったら行かないわけで、綺麗で訪れた気分にさせたのは、南京町の人々や関係者が積極的に地域に関わっているからの結果。

アマルフィ(イタリア)での朝を思い出す。
避暑地として有名で大勢の観光客が訪れ、夜中までワイワイにぎわい、そんな様子を大広場に隣接したホテルから眺めてたけど、翌朝は清掃車の音で目覚め、窓をあけたら昨晩のゴミなどを一気に片付けしていて、また新しい朝を迎えていた光景。
訪れる観光客は気づかないけど、こうした裏方がいてこそ表(観光)が成り立つと思ったっけ。

地域づくりに積極的に関わるのは、時間も手間も労力もかかるから大変。
イベントのような一日ではなく毎日だもんな。

この日おは日曜日だったから、日中はごった返してゴミなども多かったはず。
でも、その代わりに売上も伸びたと思う。

だからか、屋台というか出店というか、各店のPR合戦は面白く、店の敷地から出てはダメなのか。どの店も定められた範囲?から熱烈歓迎を送ってた。

2024年11月19日火曜日

アートの体幹。


一人暮らしを始めた長男くんと3ヶ月ぶりに再会。
先日は人生初となる作品の展示販売会を行い、売れたようで何より。
親としては“せっつく”より、見守る立場と思うので本人から直接聞けて自信もついたようで嬉しい、これでプロの仲間入り。

積極的&精力的に動いているようで、その結果、新しい出会いや気づきなどが多々あるようで開拓精神を受け継いでくれた感じ。

私は長男くんのように絵は描けないただのアート好きでしかなく、話を聞くことしかできないけど、お互いに納得したのは「デッサンでもビジネスでも共通するのは基礎・基本をキチンと鍛えているか?描く際の体幹、企画立案の体幹ともいうべき所はシッカリ抑えなければ応用はない。」と言うことだった。

基礎・基本が確立されているからこそ、変化しても外れても構図や構成に違和感は覚えないという感じ。
企画立案で言うなら、コンセプトや目的が明確で確立されていれば、手段は時流に合わせても問題ないのかもしれない。

で、ラス・メニーナス(女官たち)。
1656年にスペイン黄金期を牽引した巨匠ディエゴ・ベラスケスが描いた傑作。

それを300年後の1957年に75歳のピカソが再解釈をして構成し直した58連作。
誰でも描けそうな落書きのような絵だけど、見入ってしまうのは見れば見るほど“じゃない”と分かるから。

58連作だから一つだけみれば変だけど、他と比較すると色々と発見や気づきがあるのも、そもそもベラスケスの完璧な構成、ピカソの卓越した基礎があるからだよね・・・と3時間談義。


2024年11月13日水曜日

推し活経済を目の当たりにする。


「図書館に泊まる。」が8:30に終わり急いで帰り、荷物をまとめて松山空港へ。
11:50発の飛行機は遅延で12時過ぎに出発、13:30頃に羽田空港到着。
そのまま今度は14:30の飛行機で新千歳空港へ離陸。16時過ぎに着いた新千歳空港付近は既に日没で暗かった。

地下鉄で札幌駅を目指そうとするもギリギリ間に合わず(次に乗るか)と思ったら、電車は未だ出発しておらず、ラッキーと乗車。聞けば病人対応で発車が遅れているとのことだった。
その後、思いの外、大変な出来事だったようで後続列車は出発時刻が未定となってた、セーフ。

札幌駅到着。
今回、札幌周辺のホテルはどこも満室で、空き部屋があっても一泊2万円、3万円という信じられない値段。その中でも18,000円という“底値”のホテルを残り一室で予約した。

某人気グループのコンサートでファンが押し寄せているとのことで(本当なの?)と思いきや、街ゆく人の多くがキャリーバッグを引いて歩く女性で、ホテルのロビー、フロントにも女性たちが30人ほどいて(これが推し活か・・・)となる。
エレベーターにのっても、翌朝の朝食会場も女性だらけ。
この機会に便乗して値上げした、ごくごくフツーなビジネスホテルなのに特異な雰囲気。

一説では2022年のお押し活市場は8000億円。うち押し活トップは「アニメ」の3000億円。その次が「アイドル」。

2021年の推し活市場は7000億円とのことだったので1年で1000億円UP、今は2024年9000億円、1兆円という人もいる。

地元に特需がもたらされるってスゴい。
チェックアウト後もいたる所にキャリーバッグを引く女性達がいた札幌市内。

2024年11月6日水曜日

街の余裕。


東京ミッドタウン日比谷に着いたら「ゴーストバスターズ(1984)」が上演されていて、懐かしさのあまり、立って見ていたら「無料観覧ですので、ぜひどうぞ!」と案内されたので座って懐かし鑑賞。

劇場公開当時は中学生で、「レイダース/インディ・ジョーンズ(1981)」「ET(1982)」「スターウォーズEP6(1983)」「グレムリン(1984)」「グーニーズ(1985)」「ターミネーター(1985)」「バック・トゥ・ザ・フューチャー(1985)」「トップガン(1986)」「ダイ・ハード(1988)」など、ハリウッド映画の黄金期を浴びた10代だったから色々と思い出す。

話を戻して、無料の映画鑑賞は、“街に余裕”を感じるからいい。
なんなら、鑑賞したい人は各自でイスは持ち込んだりしてスタイル自由な鑑賞もいいと思う。
毎月、堀之内公園で行われたら楽しみする人、多いと思うけどな(私もその一人)。
“おもてなし”は必要最低限がポイント。そうでないと運営側も続けられないから。

つい、懐かしさから途中退席できず「ごめん、到着時間をズラさせて・・・」と、お願いして最後まで鑑賞してしまう。やはり大画面で見るのは楽しい!良かった!

今の技術と比べると視覚効果などは見劣りするけど、“そこ”じゃなくて、何と言うかオリジナルのストーリーにワクワクしたんだよね。
あの“お化け禁止”のマークもデザインも霊柩車を改造したゴーストバスターズカーもカッコよかった!

だから「ゴーストバスターズ2(1989)」が公開されると、パート1以上のワクワクに期待したんだけど、期待値が高すぎたのか(それはないでしょ・・・)と愕然としたのも思い出してしまった・・・。
個人の感想です。

パート1を超えるパート2の映画って本当に少ない。

2024年10月29日火曜日

初登場7位は快挙!


10月25日から10月27日までの邦画興行収入ランキングが発表される。
第1位は初登場「里見八犬伝」。第2位は「室井慎次敗れざる者」。第3位は「劇場版アクマゲーム」。第4位は「ラストマイル」。第5位は「侍タイムスリッパー」。第6位は「ゼンブ・オブ・トーキョー」。第7位は「がんばっていきまっしょい」と続く。

3日間の興行収入は3,000万円-4,000万円という感じか。
今週がポイント。10位以内に入っていれば5,000万円-6,000万円/週、累計1億円に届くかどうか。
松山(愛媛)の興行収入はどうなんだろう?アニメはリピート鑑賞(応援鑑賞)が鍵!

週刊金曜日を立ち読み。敷村良子さんと雨宮天さんの「悦ネェ対談」という企画。
「スポーツものだけどスポ魂ものじゃない」と言う“くだり”があり、(確かにね・・・)となる。
ボート競技を通して誰もが通る“言葉に言い表せない漠然とした感情”を物語にしてるから共感を得ているは個人的感想。

で、悦ネェは敷村さん自身と思い込んでたら、キャラのオリジナルは先輩だったのね。そのキャラへ敷村さんの性格を投影(陰キャラなど)しているとのことで、へぇーとなる。

週刊ココ大ラジオで紹介し、先日はNHK松山の「ひめゴジ!」で紹介、最後は11月3日(日)18時から2時間の南海放送ラジオ「中四国ライブネット」。
フィルム・コミッションとしての見どころをえひめFC事務局の須賀さんと紹介予定。

愛媛映画が久しぶりの全国ランキング(邦画)7位は快挙!

2024年10月25日金曜日

気づきを与えられる。


ココ大のお問い合わせメールには、毎日数件が届くのだけど、「授業などの問合せ」「撮影などの問合せ」「講師などの問合せ」「営業/DM」が多い。

で、時々届くのが「その他問合せ」。
今回は、某大企業からココ大について取材したいとのことで(なんで?どうして?)となるも、“そこ”は深く考えず、興味関心を持ってもらったことに感謝して、オンライン取材を受ける。

てっきり取材は大企業の方とライターとの2対1と思ったら先方は画面上に6名も並び恐縮、ココ大からは私一人。
見ず知らずの方にココ大について話すと、自分自身の振り返りにもなって良かったという件。

やはり、「コロナ前とコロナ後」では大きく変わり、授業形態などが変わったことを“言語化”できたのは収穫だった。現在のココ大はコラボ授業しかしていない。

現状(≒成果)だけを話すと、“それっぽく”受け止められるけど、当人にはそんな意識は全くなく、2011年の開校以来、多くの人に興味関心をもって参加や理解、協力をいただいていて、700回を超えた授業や2200人の市民学生は結果であって発信する際の話題の一つ。

「変換という言葉を使われていたことが印象的でした。」とは先方の一人。
ココ大の授業は市民先生が教えたいことではなく、市民学生が知りたいことを教えるのが基本なので、そこでは変換が求められていて、市民大学でなくとも事業にとってはプロダクトアウト的な発想なのか?マーケットイン的な発想なのか?ということ。

久しぶりに振り返ることができたけど、やはりフィルム・コミッションあってのココ大だとも再認識。

そこへ、新たな「その他問合せ」が届き、今度は「10年ぶりですね!」という内容!

2024年10月22日火曜日

リビングを持ち出そう。


地震や豪雨などの災害が起きるたびに避難生活を強いられるけど、日本の場合、一時的にせよ安心して過ごせない避難生活に(何だかな・・・)とニュースを見るたびに思っていた所に、8月8日に起きた地震。

その時から避難生活について、リアルに体験できる機会を模索していて、万が一、子供達を預かっている時に・・・と思ったら、例え大きなテントでも設営に時間がかかるのはNG、すると数秒で開くポップアップ型がいいと思うも1人-3人用が主流。

ワンタッチテントと言うのもあったけど、これは重い。手軽じゃないから扱いにくい。と利用者目線のワガママで月日は流れていたら。

ついに「リビングを持ち出そう!」とうたっていたテント【ポップアップリビング】を発見!
聞いたことがある有名メーカではなく、このテントが世に出す1号という福岡の新興メーカーだけど、探せばあるんだな・・・が教訓。

アパートに届いたポップアップリビングを展開しようと下準備(高さが2mもあるので、電球を外したり襖を開けたりなど)して、オープン!と手を離した瞬間にボムッ!、6畳間いっぱい(少しはみ出た)に広がった。ドラゴンボールのカプセルハウスみたい!

広がる勢いは「2m以上離れてください。」と注意書きがあったほど。広さは20平方メートル以上って、ビジネスホテル並み。

6面のメッシュは開放的で、フレームもしっかりしていて気に入った!ちなみに入り口は2箇所。

で、肝心の片付け(設営は簡単でも片付けが面倒な品が多々あるのを知っている)はと言うと、初めてでも3分ほどで畳めたから慣れたらもっと早いと思う。

屋外デビューは、ココ大付属学園!?

2024年10月13日日曜日

解体前に。


釜山から帰ってきたら、松山では地方祭が終わり、キンモクセイの香りが漂ってた。
そして、早速、JR移動があったので松山駅へ向かうと、これまでの駅舎を通り抜けた奥に、洗練された綺麗な新駅舎が稼働してた!

旧駅舎は・・・と言うと誰もおらず(当然)。
そこでフィルム・コミッションの血と言うか感覚が無意識に写真を撮らせてた。

と言うのも、こういう建造物での撮影、それも、今後使うことがない建造物があると、自由に撮影させてくれる場合が多く、(あぁ、この旧駅舎を開放して撮影できたらいいのにな・・・)と、関係者の皆さんに関係なく、勝手に思う。

聞けば年内に取り壊しが始まるとのことで、ますますロケ地として魅力的。
刑事物の逃走シーンや人間ドラマでの悲恋シーン、アクション映画の対峙シーン、コマーシャルなどの撮影をしてから解体とか・・・妄想。

こういうパターンは高速道路でもあり、新規開通前(一般通行前)に、コマーシャルなどの走行シーンなどを撮影させてもらったり。
いわゆる「レア撮影(普段では難しい撮影)」なので、期間限定でウリにできたりする。

そして帰り。伊予市駅で松山行きを待っていると、やってきたのは「にゃんよ(愛媛県南予のPRキャラクター)」のラッピング電車。
久しぶりに見たよ!にゃんよ!

この列車が洗練された新しいJR松山駅に行くと思うと、“エモい(言葉に表現しにくい良質な懐かしさ)”と思ったけど、使い方は正しいか?


2024年9月26日木曜日

大切なコトは映画から学んだ。


「スター・ウォーズの面白いところ?その昔、遠い宇宙のどこかで繰り広げられてた冒険活劇のワクワク感かな?」
「えっ!スター・ウォーズって昔話なんですか?」
「そうだよ、A long  time ago,far far awayって冒頭に登場するよ。」
「知らなかったです。」は、スター・ウォーズを知らない人との会話。

「ニューシネマパラダイスから何を学んだかって?」
映画を通した人生訓じゃないかな?実話ベースの物語だから響くよね。」
「実話なんですか?」
「そう、監督自身の実話をベースにしてるみたいだよ。」
「へー」
「涙なしでは観れないよ。」
「泉谷さん、よく泣きますよね。」
「・・・。」

近くて遠く、時に厄介だけど愛しい家族愛に勝るものはないだね。」
「何ですかそれ?」
「どんなに困難な状況でも最後は愛が勝つ(救う)って感じ」
「愛ねぇ・・・。」
「家族を持つと分かるよ。」

「そもそも、映画から人生訓って得られました?」
「たくさんあるよ!」
「例えば?」
「この世の不都合な真実、不条理、人間の欲や暗部、生きる意味とか。」
「暗くないですか?」
「そうじゃないと物語は進まないでしょ?」
「確かに。」
「でも、一部の作品は救われるし、一部の作品は救われない。それが現実というのも学べる。」
「面白いですか?それ?」
「結局、人間讃歌かもしれないね。」
「人間讃歌?」
「何があっても生きていくことを肯定する。生きることを讃えること。」

ニヒリズム(虚無主義)のペシミスト(悲観論者)だからこそ、不完全で曖昧な人間という生き物に希望や可能性を見出したいのかもしれない。

2024年9月25日水曜日

一つ一つ反芻


30年前のNY時代。当時はウォーホル、ヘリング、バスキアらが亡くなり、ポップアート界に喪失感を抱いた頃に、横尾忠則の派手な配色にサイケなデザインに魅力を感じて、てっきり横尾忠則の作品と思い込んだ作品が田名網敬一で、(へぇー、似てる・・・)が最初の印象。

それもそのはず、二人は1936年生まれ。二人ともグラフィックデザインから美術家へ。
作品の創作手法も出来上がる雰囲気も似てるから、そりゃ間違えるわ!となる。
いや、単なる私の知識不足。

「絵というのは不自由ですよ。」とご本人はインタビューで言っていたけど、作品は一気に描くとのことで「描く前に、こんな風に描こうという構想はありますよ。でも描くと(自分の)想像とは違うものができるんですね。時間をかけると余計な意識(上手に描こうとか)が入るので早く描きます。」的な内容に(えっ!?創作は緻密な計算じゃなくて感性!?)で驚く。

そしてドクロが多いのは45歳の時に入院生活を余儀なくされた際の死生観から。
当人の雰囲気は物静かそうで細身だし近所のお爺ちゃんという感じだけど、作品はどれもインパクトが大で理解しようなんて、くれぐれも思ってはいけない。作品からの圧がスゴい。

若い人が多かったのも印象的で、私が20代前半で観た時と同じ「訳が分からないコト(理解不能なコト)がカッコよく思える」時期なのかもしれないと。

50代で見ると沁みる作品もあり、アートって鑑賞する年齢でこうも違うのかと。
国立新美術館で「記憶の冒険」展が始まり2日後になくなった日本を代表するポップアートの巨匠。安らかに。
図録集を買ったから、一つ一つ反芻。

2024年9月17日火曜日

フツーなのにフツーじゃなかった件。


ホテルで朝食を済ませ、コーヒーを部屋へ持ち帰ろうとしたまではフツーだったのに、なぜかコーヒーを片手に持ったまま(このまま朝散歩に出たら気分いいかも)と思い、スマホでマップを開いたら伸夫山(しのぶやま)が近いと分かり、フラ〜と出掛けてしまった。

福島駅周辺は、ごくフツーの街並み。30分程度の散歩かな?と想像してたけど、信号待ちで距離を見たら伸夫山(しのぶやま)まで1.2kmあると分かり、でも引き返すのも面倒で進んでしまう。

目の前に緑がモリモリした山が見えて、あれが伸夫山(しのぶやま)。
既に持っていたコーヒーは飲み干してしまった。
突然の朝散歩で何の情報も持たず来てしまったから、どこに行くのがいいのか?看板を探してみると「第一展望台」を発見!でも1km先、それも山を上がらないといけなかった・・・。

周りは部活動なのか制服姿で自転車を漕ぐ学生、散歩姿のシニア、行き交う車など、よく見かけるごくフツーな朝風景。
そんな風景から道を曲がり、展望台へ坂道を上がり続ける。ジーパン&ポロシャツだった私は不適合な装いで汗が出てくる(せっかく、シャワー浴びたのに・・・)。

たどり着いた第一展望台からの眺めは写真。ただ「現在の放射線量」という測定器があったのは(あぁ、福島だからか・・・)と、ココだけはフツーじゃなかった件。
ちなみに自然界から誰もが受ける放射線は、一人一年間で2.4ミリシーベルトと言われている。

ここからまたホテルまで歩き、結局往復90分の朝散歩となり、またシャワーを浴びる。

2024年9月8日日曜日

ピカソの30秒。


色々なバージョン(市場バージョン、カフェバージョンなど)があるけど「ピカソの30秒」の小話は有名。

ピカソが市場を歩いていると、ある婦人に呼び止められた。彼女はピカソの大ファンで、絵を描いて欲しいという。

快諾したピカソは、サラサラと絵を描き上げた。婦人は喜び、いくらで絵を譲ってもらえるか尋ねると、ピカソはこう言った。

「100万ドルです。」

婦人は驚き、高すぎると言った。たった30秒で描いた絵が、どうして100万ドルもするのか尋ねた。するとピカソはこう答えた。

「いいえ、30秒ではありません。私は、これまでに30年もの研鑽を積んできました。だから、この絵を描くのにかかった時間は、30年と30秒なのです。」

を思い出させる出来事が3つ。
(1)「講座+ワークショップをしてほしい。」と言う依頼。だけど謝金はなく、交通費+宿泊費の実費のみ。
丁重にお断りしたのは、資料づくりなどの準備に対して
考慮が全くされてなかったから。


(2)「ぜひ!お会いしたい!」と、言われたもののスケジュールが合わず、お断りしても懇願されたのでお会いすると、相談という切り口の営業先の情報提供依頼だったので丁重にお断り。

(3)「ぜひ!会ってほしい!」と知人の紹介で会ってみると、私に用事ではなくココ大の市民先生をゴッソリ紹介して欲しいとのことだったので丁重にお断り。

残念の一言。楽して得ようという魂胆を感じてしまい、ピカソの30秒を思い出してしまう。