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2025年6月17日火曜日

考え方/捉え方次第。


先日の「民間との共創研修アンケート結果」から。
「小話が面白かった。」という感想が複数あり、その中でDX化を含むデジタル化が進むと「仕事を奪われるかもしれない」と心配した職員がいたので、「チャーリーとチョコレート工場(2005年/ジョニー・デップ版)」の話をすると「あぁ〜!」と納得してくれた小話(笑)。

歯磨き粉工場で働くチャーリーのお父さんは、工場の機械化が進み、お父さんの仕事(歯磨き粉の蓋だけを閉じる係)も機械化されて解雇、無職になってしまう。
でも、物語の最後は歯磨き粉工場で蓋だけを閉める機械の保守管理で復職しているという話。


DX化であろうがデジタル化であろうがAIであろうが、どこかで人(≒気持ち/感情など)が介さなければ、品もサービスも成立・完結しないから、情報に振り回されないで欲しい、鵜呑みにしないで欲しいと伝える(≒リテラシー)。

だから言い方を180度変えると「気持ち/感情などが不要な仕事」はAIなどに取って代わられるという感じか。
主に数字や数値、データ(資料)を扱う職種かな?正確さ、早さも分析力も求められると思うと、人よりも適している・・・どうなんだろう。

「数えるも調べるも、分析も文章も絵も描けて、最近では映画も撮れるほどのクオリティですからね・・・。」
「公務員も危ういですよ。」
「一部では職を取られてしまうかもですね。もう取られてるかも・・・。」
「一体、どんな仕事が残るんでしょうね。」
「DXやAIが及ばない領域ってあるんですか?」
「DXやAIの真逆の非効率、非生産性な仕事でしょうか?」
「今は無駄、余計と思われてるコトが「丁寧」なんて価値になったり。」
「それはあるかもしれませんね。」
「と、言うと、やはりクリエイティビティ(創造性)を発揮できる職種、職業ですね。」
「あそこに、デジタルに振り回されるからデジタルを駆使するってありますね!」と壁を見る(写真)
「ホントだ。非効率な職でも新しいデジタル職が必要な場面はありますよね。」

2025年6月13日金曜日

タクシーの中で。


「日本語お上手ですね?」
「私ですか???日本人ですよ。」
「ホントですか?外国人と思いましたよ。」
「そうですか!何系ですかね?」
「アメリカ人じゃないな、ヨーロッパかな?」
「そうですか、ありがとうございます。」
「私は南米で生まれまして、この金髪でしょ?スペイン語が話せるんですが日本人です。」
(あぁ、運転手さんは、自分の話へ繋げたかったのか!)
と、雨の中、愛媛県研修所へ行くのにタクシーに乗ったら先制パンチ(笑)。

よく喋る運転手さんで、私も悪かったのが「お客さん、どちらの方ですか?」に「松山在住です。」と言えば良かったのに、話を切ろうと「東京です。」と言ってしまったこと。
そうしたら「そうですか、松山はですね〜」と色々(例:松山/愛媛の県民性、最近の松山事変、松山の困りごとなど)と教えてくれた。

そして、雨だったので道路は渋滞。
気を利かせてくれて「こっちから行きますね。」「ここを曲がりますね。」と、近道をしてくれるも、全てが裏目で裏道渋滞にガッツりハマってしまう。

既に20分経過。「9時には到着したいんですけど、間に合いますかね?」と尋ねると「もっと、早く言ってよ〜!あっちの道にすれば良かった!」と、早く着くために近道をしたんじゃないんかーい!とツッコミたくなったものの、どうしようもできずタクシーは渋滞に引っかかったまま。

9時を過ぎてしまい、あと10分で研修が始まる!
渋滞を抜けたら細道でも大急ぎになる運転手さん。(横道から自転車や歩行者が来たらどうすんの!?)と思いつつ、9:05に登場。

研修所前では所長が心配で出迎えてくださっていて、平謝りで最後の共創研修へ!

2025年6月11日水曜日

これまでの14年、これからの14年。

(左)柳井崇延さん、(右)松本英次さん

NPO法人いよココロザシ大学の15回目の総会が終わり、理事との意見交換会。

2011年にココ大は開校して、その時からの理事なので、14年の月日を重ねると色々と思い出話もあり、「今の財務状況は以前に比べたらとても健全ですよ」など、外的要因、内的要因を含めて低迷・停滞して先行き不透明な時期があったのは事実。

でも、こうして美味しく、“表に出せない”コト(笑)も語り合えるのって14年の月日が盤石にした信頼の証みたいなもの。

ただ、私自身は14年経っても会計・税務に全くのゼロ(いやマイナス)知識なので、柳井税理士からは(いい加減に一つは覚えてよ!)と思われてるかもしれない。

松本さんとはココ大設立前に紹介を受けたから15年のお付き合い。
ココ大のサイト、えひめフィルム・コミッションのサイトを構築してくださり、これらの知識と情報に関しても乏しい私はいつも(超些細なコトだろうと思っても)お願いばかり・・・。

知らなかったら、知っている人にお願いすればいい!と思っているのでご勘弁(涙)

これまでの14年を振り返り、次の14年を見通すと私は67歳!
「いづれ情報デザインなどの科目、学びはなくなりますよ。」と松本さん。
AIの方が情報を扱うのは得意だから取って代わられるとのこと。
柳井さんも「数字入力がなくなりました。」とAIを導入しているとのこと。
お二人ともスゴい!私はお喋り友達程度でしかAIと付き合ってない・・・。

数年後も見通せないのに14年後が見通せる訳がないけど、ココ大はどうなってるのだろう?
そもそも14年前に今を想像できていないのだから、想像していない所にいるんだろうな・・・。

2025年6月7日土曜日

警鐘を鳴らすべき?


ボランティア論を教える中で「どうしてボランティアをしたいと思ったの?」と、動機を尋ねると「(ボランティアは)就職に有利だから。」という返答を初めて聞いたのが3年前。
ボランティアに限らず、社会貢献活動も含め就職に有利というのが今の学生の常識らしい。
「ボランティア証明書」という書類を書いたこともある。

実は就職活動の経験がない(恵まれていたと振り返る)から推測だけど、学業以外の付加価値としてボランティア経験を“まとう”ことで、事業所ウケを狙っていると思う。違うかな?

事業所も学生の差別化(学生自身は自分の優位性をPRと思っているけど、実は他の学生も同じに思っているから、結局差別化されない事実)が難しくなっているので、新しい差別化要素にボランティア経験を見ているのかな?
違っていたら、教えて欲しい。

でも!ボランティアってウリでもアピールすることでもないと思うんだけど・・・は古い考えで時代に合っていないのかも。

そこへ「防災士という資格は就職に有利!?」のような話題になり、背景には南海トラフ地震などへの備え、万が一の時の知識や対応策を備えている就職希望者として有利ではないか?みたいな背景に(なんだか危険な発想だな・・・)と思ってしまい、つい「どうかな?」と挟んでしまう。

資格を持っているか?持っていないか?では持っていた方が良い。は賛成。
でも、資格保有の有無と仕事に必要な能力は全くの別物なので、そこを“同一で見る”は、本来の目的から外れてしまうと思うんだけどな・・・どうなんだろう?

効率性とか生産性、コスパ至上の果てが全て「ギブ&テイク、損得勘定」で測ってしまう昨今に警鐘を鳴らしたい。
人の付き合いまで、損得ので測られてしまったら・・・。

一見、無駄と思える所/コトにこそ、意味もある!

2025年6月1日日曜日

心のつっかえ。


あぁ、なんと言うか、「心のつっかえ」と言うか「モヤモヤ」と言うか「同じ考えの人がいて良かった・・・」と言う安堵か。

「大事なコトだから一回しか言わないよ。」と我が子へ伝えたものの、釈然としなくて自分に問いを立てたのは20年以上前。

私も親にそう言われた。それは「集中して聞いてね!」という意味だったのは分かるけど、大事なこと、大切なことだから何度も伝えないといけないんじゃないの?

「耳にタコができたよ!」と言い返されるほど言ってもいいのかもと思ってた。
でも、ウェブの討論会?か何かで同じコトを言っていて(だよね)と共感と安堵した話。

「他人に迷惑をかけて生きてはいけない。」とも幼少期から教えられ、(その通り)と何の疑いもなく、(でも、実際には迷惑を掛けながら)今日まで生きてきたけど、誤った解釈をすると「迷惑をかけない=おとなしく、何もしない」と捉えられがち。

窮屈さも感じ、モヤモヤしていたけど、「お互い様」という言葉があるように、私も迷惑をかけているから私が迷惑を被っても許し許される関係=お互い様と納得する。
許容範囲はあるけどね。

「静かな子=手間のかからない子=いい子」でいいんだろうか?違う気がしてならない。
静かなのは恥ずかしがり屋などの性格もあるかもしれないけど、分からないから静かなのかもしれないし、周りを観察してるだけかもしれない。

そもそも「いい子」ってナニ?誰にとっていい子なのか?は、単に大人にとって都合の良い子としか捉えてないんじゃないの?とフツフツと湧く。
そんな変なコトで損をさせてはいけないと思う。

「助成金を申請する団体は資金調達を頑張っていないと見られる・・・」なんてのもあったけど、やれやれ・・・という感じ。
モヤモヤが多い。

2025年5月19日月曜日

幻のウォーキングイベント。


晴れ男を自負していたので、雨予報でも「大丈夫だろう」と“タカ”をくくったまま「第10回東京エクストリームウォーク」の前日。

これは5/17-5/18にかけて「小田原城址公園(神奈川県小田原市)」から「ライブドアアーバンスポーツパーク(東京都江東区)」までの100kmを一昼夜かけて歩くイベント。

わたしは、100kmコースのうち、33kmを歩く「ビギナーズ」にエントリー。
初めてのウォーキングイベントにワクワク感いっぱいで前日まで過ごしていたのに、天気予想はどんどん悪くなり、それも5/17だけ強風と雨予報で、5/16と5/18は晴れ予報。

(まさかの中止?)と思っていると、事務局からメールが届き「決行です!」だったものの、「寒さが予想されます防寒着を。濡れます、着替えが必要でしょう。体調管理は万全になど」色々と注意書きがあり、33kmとはいえ約8時間、雨に濡れながらのウォーキングは、終了後の疲労困憊姿が予測できて(明日、雨が降っていたら参加をキャンセルしよう)となる。
参加費(8000円)を捨てることになるけど、体調が一番と自分を納得させる。

そして翌日。窓を開けると雨と時折りの強風に泣く泣くの不参加(キャンセル)決定。
ただ、ムズムズ感は治らず、雨と風の中、朝散歩は決行!傘をさしながら約1時間、7,000歩を歩いてムズムズ感を治める。
傘を差しながらも濡れてしまい、シャワーを浴びると予想以上に雨が体温を奪っていて体が冷えていたことを実感する。

イベントサイトを見ても「中止」とはなかったので、実行したようで参加者に遠くからエールを送る。と、いうのも雨は時間が経つほどに雨は大粒になり、不参加で良かったと。

初めてのウォーキングイベントは幻デビューとなった件。

2025年4月26日土曜日

妄想する。


初版が昭和60年だから1985年。当時の定価で2,300円の「水木しげる妖怪画集」が5,000円。
その後、復刻版が出ているとはいえ、40年前の貴重な水木しげる本を見つける。

(買おうかな?)と思うも冷静に考えると本は重い、松山へ持ち帰るとなると・・・断念。
そして隣には「手塚治虫のマンガ大学」なる小冊子があり、裏をみたら「付録」となっていたけど、値段は1500円。(付属元の本に価格はあるものの)1500倍もの値段がついていた!

次のブロックを見ると「映画のパンフレット」などが無造作に置かれていて(あぁ、老後はこういう映画のパンフやポスターが壁一面に貼っているカフェででもできたら・・・)と淡い妄想しながら見ていると「スターウォーズEP4」があり、当時のチラシ付で5,500円!

さらに探すと「スターウォーズEP5」の当時のチラシ付が2,200円!(これはEP6もあるんじゃね?)と探したら「スターウォーズEP6」の当時のチラシ付が2,200円!

エピソード4&5&6の旧三部作セットの劇場用パンフが9,900円で買える!(この巡り合わせは神様のお告げか?)と勝手に思い込むも財布を持ってきていなかった・・・。
キャッシュレスが普及する中で、古本屋は未だ現金商売が多いのだろうか?昔ながらのレジで手動でチェックしてた。

そして、さらに見て回ると「レゴの組立て説明書(飛行機、船など)」も色々と置いてあり、300円から500円まで。
どれもブロックは付いてないけど、レゴの組立て説明書ってペラペラで擦れやすく折れやすい=すぐに破れる、失くす場合が多い。だからのニーズか?

(んっ!待てよ。松山のアパートに大量のレゴの組立て説明書があるぞ!スキャンしてPDF化したら・・・)と、ダークサイドに堕ちそうだった件。
あくまでも趣味の範囲でね。

2025年4月25日金曜日

クリシェは使わない。


メモメモ。
机に置いてあった「好きを言語化する技術(著:三宅香帆/ディカバー携書)」という妻が読んでいる最中の本が目に入ったので「ちょっと先に読ませて!」とお願いして速攻で読了。
読まなければならない本は積読なのに、興味ある本はササッ!と読めるのが不思議。

総評は、ブログや寄稿、記事を書いたことがある≒発信したことがある人には身に覚えがある&共感の多い内容だった。

その中で記憶に残っているのは・・・。
・「クリシェ」という繰り返し使い回された定型の陳腐化された表現に抗うこと。クリシェという言葉を初めて知る。
・他人の言葉に影響されず、自分の言葉(表現)を、これまでの経験、妄想から紡ぎ出す!
・伝わりやすさの決め手は「工夫(考え抜くこと)の量」に比例する。
・「あはれなり」と、は平安時代の“ヤバい”「あはれなり」という表現を初めて知る。
・「好き」は脆(もろ)く儚(はかな)く簡単に揺らぐものだから、残す価値がある。
・印象に残った、感情のメモなどで自分の言葉が「言語化されるプロセス」を知る。
・「言語化されるプロセス」とは感情の細分化、解像度をあげること。
・「面白さ」とは共感や驚きのこと。「不快」とは退屈や期待ハズレのこと。
・相手(聞き手、読み手)との情報格差を埋めることができるかで理解度が深まる。
・情報の差異こそが価値。それはお互いに知らない情報の介在。
・「推し」と自分の間に他人を介在させない、他人の言葉を入れない。
・「推し」への言葉は自分の想いを見失なわない鍵。自己肯定感を高める鍵。
・調べて分かることは長々と書かない。

と、色々あった中で更に特に響いたのは以下の2つ。
・「好き」の言語化が溜まれば、自分の価値観や人生に反映できる。
・推しの魅力を伝えることは自分の人生を愛すること。

学生達にもきっと響くはず。

2025年4月24日木曜日

2.46秒ごとの決断。


「食べたモノで体ができている」に反論する人がいないように「今の自分は自らが決断した結果」にも反論できる余地はない。

“その決定”がが良いか悪いかは別にして、決定次第で違う自分にもなれたかと思うと不思議な感じがしてしょうがない。

それも物心ついてから連続で、人は1日に脳内で12,000回以上の思考をめぐらし、35,000回程度の選択をしているという話をベースにすると、50年だと1年で438万回以上×50年で2億1900万回以上の思考をめぐらし、その結果、1年で1,277万回×50年で6億3,875万回の決断をしている計算になる。

起きる or 起きない、歩く or 歩かない、飲む or 飲まない、する or しない、今する or 後でする、読む or 読まない、電話に出る or 出ない・・・と意識&無意識も含めて、1日は86,400秒だから2.46秒ごとに決断してることになる!ひぃー!

ならば!無意識のは仕方がないとしても意識できる判断は自分でしたいもの。
他人の判断に従うor従わないという選択肢もあるけど、仕事上は従わなければならないコトも多いのは事実。

でも自分に選択権があるならば他人に委ねるより自分で決断した方が、例えその判断で悪い結果が出ても自分の責任と飲み込めるし、良い結果だったら自分が一番喜べる。

最も“もったいない”のは【選択/決断を放棄すること】。手放して良いことなんて一つもない。
大抵、こういう場合は他人が決断するのだけど、手放されて決断した結果がうまくいった事例を知らない。そして必ず愚痴などが出る。

自分の人生ぐらい、自分で舵取り(選択/決断)しなさい。と。

2025年4月23日水曜日

ところ変われば。


松山でバスに乗っていると「お降りの際はバスが止まってから席をお立ちください。」
このアナウンスにはバスが動いている最中に席を立つとグラッ!と、揺れる車内は危ないからという意味。

だから降りる準備は走行中に、という意味も含まれているけど、バスが止まってから乗客は降りるから、降りる人が多い場合はおのずと停車時間が長くなる。

一方で東京。
電車に乗っていると「ドアが開きましたら、すぐに降りてください。」と、降りる準備を整えてドア付近に集合!みたいな感じ。

「無理なご乗車はおやめください。発車時間を過ぎています。」と、電車の停車時間が延びる度に数秒、さらに次駅で数十秒と遅延時間が延びて「本日は定刻よりも遅れまして申し訳ありません。」というアナウンスを何度聞いたことか。
東京ではキャリーバッグ、ベビーカー、車椅子も多いから、降りる&乗るだけでも大変。

再び松山。
伊予鉄道に乗ると「背負ったバッグは前か手に持ってください。」というマナー?ルール?モラル?の呼びかけ。

このマナーが、いつから浸透したのか知らないけど、混雑時の電車内の通りにくさ解消にリュックなどのカバンを前に掛けるクセがついた。
大勢がしてるし、防犯の意味もあっていいかな?と思っていた。

だけど、時代は流れて価値観も変わったのか、「バッグの前掛けはOK?NG?」なる問いがあって、てっきりOK!と思っていたら、座っている人からすれば「目の前に汚いバッグがあるのは不愉快」とのこと。

一方が善で一方が悪という話にはならないと思うんだけど。
「譲り合い」も「お互い様」もあったもんじゃない・・・と世知辛くなった世の中。

(じゃあ、どうしたらいいの?)と聞いたら「手荷物は網棚に乗せてください。」とのこと。
その通り!なんだけど、混雑してる電車では荷物置きに置いたバッグとグイグイ押されて移動せざるを得ない時があり、網棚に置いたバッグと距離が離れるんだけど・・・という感じ。
やれやれ。

2025年4月19日土曜日

こんな“後味が悪すぎる作品”は初めて。


「ザ・ノンフィクション」でパンづくり修行に上京したものの、絵に描いたようなダメッぷりの男性主人公は21歳の愛媛県松山市出身。

もう一人の21歳の女性主人公は、“出来すぎ”なほどで、二人のコントラストが激しすぎて番組的には面白いんだけど、彼の親はどんな気分で番組を見るのだろうと余計な心配をしてしまうほど、ダメだった。
印象的だったのは番組ナレーションも彼の良い所を一生懸命に探してフォローした演出。

結局、1年で辞めて故郷(松山)に帰ることになった。だけど唯一の救いは21歳と若いこと。
早く失敗して早く出直せれば経験値として学びになるから、頑張ってねと。

そんな番組を見終わったあとに、気分転換に「母さんに騙されて」というNETFLIXのドキュメンタリーを見たら、「ザ・ノンフィクション」なんて比にならないほど、救いようがなく、終始信じられず、最後も後味が悪いまま終わる・・・という、かつてない問題作。

一つ明確だったのは「世の中には本当に邪悪な人間が少数だけど必ずいる。」ということ。
更に最悪なのは、邪悪な人間は他人を貶めようが傷つけようが全く気にしない。

だから被害にあった主人公を貶めた犯人は「サイコパス、ソシオパス」なんだけど、それが他人ではなく、40年以上も行方不明だった現在80歳以上で余命半年と言うの実の母親から突然連絡があり、主人公を精神的にズタボロに貶めるのだから、こんな理不尽、同じく多額の金銭被害を被った友人たちも怒りのぶつけ所が分からず、(これホントなの?フィクション?)と疑ったほど。

最後も突然連絡が途絶えた母親。
だけど、ある日息子に電話をかけて「あの時はごめんなさい。仕方なかったの」と何事もなかった喋り口に、ゾッ!として、後味悪く終わり「ザ・ノンフィクション」の彼のことなんて、小さい!と思ってしまった件。

2025年4月14日月曜日

自分のご機嫌を取れるのは自分。


「何にもなかった日なんてあるわけがない。」と思っていて、大抵、そういう人は「イベント(≒特別なこと)」が無かった・・・と言う。

毎日がイベントのような特別な日が続く人っているかな?仮にいても、そのうち疲れてしまうと思う。
いわゆる「幸せホルモン(ドーパミン、セロトニンなど)」の効果も薄れてしまうかも。

何もないと感じた時こそ、問いを立てたり、内省する絶好の機会。
特別なコトよりも、ごくフツーな誰でも得られる些細な日常に目を向けると(おぉ!身近でも幸せを感じられることが多い!)と気づくはず。

聖人君子ではないし、ニヒリズム(虚無主義)のペシミスト(悲観論者)と思ってるから、面倒なこと、嫌なこと、呆れたことも思い出す。ごくフツーなこと。
そんなコトは消えないけど、小さくできるのは、多くの小さな幸せの感じ方を知ってるから。
人よりも多少は多くの経験をしてきて得た知恵みたいなもの。

解像度をあげて周りをみてごらん。と、伝えたい。
「桜が舞い散るのを見ました。椿の花がキレイでした。掃除をしたら気分が晴れました。快眠でした。快便でした。自分にご褒美しました。信号を待たずに行けました。夕陽がキレイでした。会計がゾロ目でした。時計を見たら5:55でした。」などなど、自分を楽しませる些細なできごとは、そこら中にある!

そんなコトを上手に見つけられるのは大人よりも子ども達かもしれない。
先日、春編が終わったココ大付属学園で「インチキ、四葉のクローバーあげる。」と持ってきてくれた。

自分のご機嫌を取れるのは自分しかいないのだから、他人に委ねるのはもったいないよ!

2025年4月10日木曜日

根気がない、自分らしくないと。


締切迫る資料作成に追われているのに、息抜きに見た「ザ・ノンフィクション」が面白くて前編をTVerで見てしまった。

以前はキッチンカーで夢を実現しようとする若者を取り上げていたけど現実は厳しく、夢との狭間で揺れ動く若者が印象的だった。

今回は「パン屋になる!」と夢を描き上京した若者二人の成長物語。
決してご都合主義のハッピーエンドにならないのがノンフィクションの良いところ。

今回の主人公である男性(20歳)は愛媛県出身で、グッ!と引き寄せられてしまう。
と言うのも絵に描いたようなダメっぷりで、遅刻常習だし、必要なことを覚えないし、確認しないし、言い訳多いし、設定?と思うほど(だからこそ、どう長するのか?を視聴者は期待する)。

そんな彼と真逆でコントラストをクッキリつけているのが、もう一人の主人公である女性(20歳)の努力姿。なんでも積極的に挑戦する姿は出来過ぎのよう。
最後はどうなるのだろう(後半はまだ)。

先日も河原デザイン・アート専門学校の学生と過ごしたけれど、20歳で社会に(半強制的に)出され、仕事して成果を求められたら戸惑うのも無理はないは分かるけど、それが理不尽が多い社会と学ばされ、我慢&辛抱を無理やり飲み込まされた我々とは違うんだろうな。

「カラフルな日常がグレーになり、白黒になり、やがて真黒になった。」って何かで絶望を表現してた記憶。

退職代行サービスの「モームリ」は、4月7日の退職相談依頼が244件(うち新卒39名)/日と発表。この調子だと4月は約3000件の退職相談数になると予測。退職を代行依頼って・・・。

方や「我慢&辛抱、根気が足りない」って言うし、方や「精神論ではない、自分らしくない!」など言うし、関わらない方がいいかもと思ったり。

2025年3月30日日曜日

先輩移住者として。


2024年5月15日に都市と地方などに生活拠点を持つ「二地域居住」を促進する制度創設を盛り込んだ改正広域的地域活性化基盤整備法を与野党の賛成多数で可決&成立。

市町村が促進計画を作成すれば、二地域居住者の住まいや職場環境を整える際に国の支援が受けやすくなり、空き家の改修、シェアハウスやテレワーク用の共同オフィスの立ち上げなどの環境整備が行えて、子育て世帯を中心に、地方への新たな人の流れを創出するのが狙い。


この法案はどれほどの効果を発揮するのか?
なども含めたざっくばらんな意見を移住促進などを手がける会社からのヒアリング調査。

「泉谷さんだったら、二地域居住のポイントは何と思いますか?」
「移住先で働けるか=稼げるかでしょうか?元々の仕事を移住先で続けてもいいし、移住先で手に職をつけて仕事を創ってもいいし、移住先で就職という手段でもいいと思います。働けない場所にわざわざ行かないでしょ?」

「たしかに、そうですよね。その“二地域”ですが、どうやって選ばれると思いますか?」

「二地域のうち、一つは“実家や家族が既に暮らしている家”の人が多いと思います。私も実家/妻が暮らす東京と愛媛ですから。私の住民票は松山市です。」

「そうでしょうね。実家を含まない二地域で暮らそうとすると費用が倍ですよね。」

「そう、二地域という言葉もだけど、関係人口とか交流人口推進の方が“しっくり”くるかも」

などの内容で話して気づく。
自治体が移住を求めているのは「住民票を移して欲しい人」なのか?「訪れてさえしてくれたらいい人」なのか?それとも「住民票まで移さなくてもいいから、何度も訪れてくれるファン」なのか?

そして「愛の壁(移住者が試される地域の地元愛の強さ/高さ)」も話してしまうと「うまい表現、分かります!」と納得される。

2025年3月25日火曜日

備えあれば。

アルゴも驚いてる。

ココ大付属学園は明日から11日間。
2024年8月8日の夕方に起きた震度3〜4の地震以降、ずっと気になっていたコト、それは「南海トラフ地震」が起きて、万が一、子ども達と2〜3日、一緒に過ごさなければならなくなったら・・・という想定。

ハーモニープラザは公共施設だから一時避難所にもなるので、可能性はある。
8月8日の時は大事にはいたらなかったけれど、自分だけはなく子供や保護者への指示、責任の重大さを感じた数秒間。

で、思い切って購入した「ソーラーパネル&ポータブル電源(Anker社 Solixシリーズ)」。
これまでも防災などを切り口に松山市危機管理課などにきてもらい、避難時の過ごし方を学んだけど、「ますます電源の必要度合いは高くなっています。」などのフレーズを受け流せず・・・購入。

購入した決め手の一つは、平時でも使いやすく(パススルーなので他の電気製品にも供給できる・・・けど、特に出番ナシ)、バッテリーの持ちの良さと部品周りの堅牢さ。
10年以上持つとのことで、10年以内に!?なんて想像したくないけど、不安を一つ軽減。

余談だけど、非常食についてはココ大付属学園でも大いに学んだ。
ウェザーニュース調査によると「防災食の備蓄日数(2024年2月20日から26日、14210人回答)」では、全国平均が3.32日分で過去最高を記録とのこと。防災意識が高まってる証拠。
ちなみに愛媛県は3.19日分を備蓄しているとのこと。

非常食については浸透したけど、食べればトイレに行きたくなるし眠くもなる。灯りもつけたくなる。寝ている間に充電もしたくなる。

すると、やはりポータブル電源は必要で、“その時”は活躍して欲しいけど、“その時”は来て欲しくなかったり、ややこしい話。

2025年3月24日月曜日

動けば起きる。


昨年末から、ブログをnoteにもアップしていて、目的は「アップしたらどんな変化が起きるのかな?」という素朴な疑問から。

現在、ブログは600回/日ほどのアクセスがあり、そろそろ119万回に達するのだけど読者層は固定化していると思い、違う層にも響くのかな?と思い、放置してたnoteを復活。

ブログは毎日更新してるから、noteにも毎日アップできることを強みに、日々続けているとnoteから「200回の記事おめでとうございます!」「30週連続の投稿おめでとうございます!」「6ヶ月間、毎月投稿おめでとうございます!」と、ひたすら褒めてくれる(笑)。
褒めてもらう機会が少なくなった50代は、機械回答でも定型文章でも嬉しい(涙)。

1日の閲覧は200回/日ほどと、学長日記と比べると低いけど、面白いのは「今まで知ることもなかった人からの反応」や「ハッシュタグを毎日つけ続けると、いづれ探しやすくなる。」を実感していること。

#泉谷昇
#いよココロザシ大学

と、毎日ハッシュタグをつけ続けていたら(#泉谷昇は200件以上、#いよココロザシ大学は120件以上)、超がつくほどご無沙汰の方から連絡がきたり、大昔の職場でお世話になった人からも連絡がきたりと、やっぱり「動けば何か起きる」。
100の言葉よりも1の行動って感じ。noteって意外と色々な人が利用してることも実感した。

年間700回以上アップしているから、今年中にハッシュタグも700回ほどつくわけで、少しの労力だけでこれまで接したことがなかった人にもアプローチできるのは有意義。

ほんと、動けば何か起きる。そして、その動きがまた新たに動く動機を創ってくれることを知ってしまった50代。
「いつか」はこない。

2025年3月22日土曜日

この先も甘くはならないのか。


2024年の総務省「家計調査年報」によると、二人以上の勤労者がいる4人世帯の消費支出(生活費=家賃、住宅ローンは含まず)は1ヶ月平均32.5万円なのね。

これを家計サイトなども参考にすると内訳は、食費が最も多く約8万円、住居費(住宅ローン以外)&水道光熱費で約4万円、交通&通信費で約4万円、教育費で約3万円、娯楽&その他で約8万円・・・と続く。
これに家賃や住宅ローン、習い事などを含めると、もっと上がる。

この金額は平均であって中央値ではないにせよ、そんなに生活費ってかかったの!?と、平均額よりも低い金額でも暮らせていた我が家。でも、伊予銀行さんで教育ローンは組みました。

で、これが一人暮らしになると約18万円/月と伊予銀行。
食費が約4万円、住居費(家賃など含む)&水道光熱費が7万円、交通&通信費が約2万円、娯楽&その他が約4万円・・・と続く。
学生が本分に励みながらバイトで稼げる金額ではないなと、だから寮などがあるのだけど。

生きていくだけで大変だわ・・・と、改めてつくづく思った件。
そして、今更ながら「老後は2,000万円が必要」という意味を教えてもらう。

2,000万円で老後を暮らすではない。
例として65歳&60歳夫婦の無職世帯の場合、年金だけでは毎月約5万円が不足する(赤字になる)ので、2,000万円あれば、不足分の補填になる・・・という意味なのね。
随分先の話と思っていたけど15年後には年金をもらっているのか!?

退職金も勤続35年だった人が1997年頃にもらえていた額は平均3,200万円だったのに、20年後の2017年頃には約2,000万円と激減し、そもそも退職金制度自体も1992年頃は90%以上の事業所であったのに2017年頃には80%まで減少・・・。
人生100年時代と言われてもね。80歳、90歳でも働かないといけないのかな。

どうするフリーランス?という感じ。何とかなるのか?ならないのか?

2025年2月15日土曜日

地域づくり系作品。


お年頃なのか?元〇〇の復讐劇、元〇〇が巨悪に立ち向かう、街を壊しまくり正義を貫くヒーロー映画などに気疲れ、大体同じ内容に遠慮気味な最近。
かと言って恋愛作品やホラー作品はもっと疲れるので、地域づくり系?という作品を探していたら・・・。

ラ・ドルチェ・ヴィッラ(アメリカ)
「イタリアのトスカーナ地方が舞台」、「1ユーロで古家を買って地域おこし(≒住民が増える)」という紹介文だけで見た作品。

1ユーロ(170円ほど)で古家をリノベーションしていく過程で、様々な人間関係が織りなす様子にトスカーナの素晴らしい景色、美味しそうな食事などが混ざり、行きたい!と思わせて、最後は安心のハッピーエンド。良かった!


ラストブラックマン・イン・ サンフランシスコ(アメリカ)
主役のジミー・フェイルズと本作品が初監督のジョー・タルボットの実体験が下地の物語。
サンフランシスコの片隅で都市開発から取り残されてしまった人たちの日常を描いていて、祖父が建てたと思いたい素敵な古い家にアイデンティティを重ねる主人公。
極力抑えられた音楽、終始静かな演出が印象的で、タイトルの意味は最後で分かった。


イチケイのカラス(日本)

岡山県のとある小さな港町が舞台。単にネットフリックスで新しく配信というだけで見た裁判物語。ドラマの映画版(撮影支援した「HERO」と同じ構造)。
冒頭に起こる断片的な事件を「陰謀」として繋げて視聴者を“本質から逸らす”演出は人の心理を巧みに扱う裁判劇ならでは。
真実が望んでいない不都合を突きつけると分かる、法律は不完全なことを知る。

そして、ふと思う。
こういう映画は賞賛されても興行的にメガヒットとは無縁(と思う)。
興行収入よりも伝えたいメッセージが重要なのかな?3本とも良作だった。

2025年2月13日木曜日

お金があれば。

朝7時過ぎ。

松山に戻り平常生活になる。
1日10,000歩達成にルートを広くして歩いていたら、ビルとビルの合間に見える松山市役所の前に路面電車(それも古い形)がやってきた。
(いいかも!)とササッとスマホを出して間に合った写真がこれ。
ラッキーなことに「砥部焼」電車だった。こういう些細なことが好き。

THE 松山の撮影(実景)に使えるかもしれない。
もしくは何かの写真コンテストで入賞するかも!?と朝からオメデタイ。

朝散歩も従来の35分から50分ほどに延びたので、歩きながら神戸、京都を振り返り。
(1)始めるに年齢もタイミングも関係ないと実感。
60歳以上だから・・・と、慣例に染まらず、逆にこれまで抑えていた自分らしさを全面に暮らしていく友人の話を聞いて、60歳まであと7年!何歳までフィルム・コミッションに携われるのだろう。自分で始めたから自分で決めないと。

(2)プランB(代替え)でも楽しめる街はいい。
観光客らにとって、予定が天候などの予想外でキャンセル!は仕方がない。だけど、せっかく滞在しているのに代替が単に買い物というのも残念。そんな時に代替の選択肢が複数あるのは、地域の厚み(=地域資源の豊富さ)と分かった。松山はどうか?

(3)お金が全てではないけど、多くを解決できると納得した。
近年、映画・映像制作の現場でも働き方改革が進み、無茶がなくなったけど、その分、製作費が上がっている(はず)なのに、実際は制作費は変わらず、各予算を抑制している作品もあり、その結果、質に影響していると・・・。実質、下がってる!

「お金があれば、質を上げられるのに!」という言葉に「それって、暮らしでも同じだよね。お金があれば、全てではないけど、多くを解決できる。」と、お酒が入っていたけど、妙に納得してしまった。

お金があれば悩みの多くを解決できる。

ご利益は・・・。

鬼ではなく夜叉、それも良源さんが変身した姿

大根焚きをいただいた後。
せっかく1時間以上もかけて三千院へやってきたのだから、記念にお守りでも買って帰ろうと、和風ミュージアムショップへ(表現が違うけど同じこと)。

お守りのほか、ご朱印帳、おみくじ、シールなど色々売っていて、ご利益があるものばかり。その中で(おぉ!どこかで見たことがあるぞ!)と思ったのが鬼の姿をした厄除け護符。

(そうか、三千院で売っていたのか!)と勝手に思い込み、義母宅用など数枚購入した後に(なんで鬼のような怖い姿なんだろう?)と調べたら、鬼ではなく夜叉でした。

モデルは良源さん=元三大師とのことで、良源さんが夜叉に化けて疫病が身を追い払った時の姿を模したとのこと。かつ、印刷と思ったらハンコでした。だから300円/枚だったのか。

それでも、ご利益を信じるか?信じないか?は個人の自由だけど、購買意欲をそそるマーケティング。三千院で売ってると思いきや「天台宗派」では売られている有名な護符だった。
この夜叉の形をしたご当地モナカを作ったら、絶対に売れる!と思ったのは私だけと思う。

そして、焚いたこともないのに「金色不動香」という秘仏のある本堂で焚かれているお香と同じお香まで買ってしまった。これが俗に言う「魔法にかかる」というやつか。
でも、香りは嫌いではないので“いつか”出番が来るだろう。名前にご利益を感じてしまった。

商品開発の視点から見れば、エピソードも売り方もマーケティングも商品自体の全てに一貫性があるから、誰も知らない1200年以上前の素材でも売れている。

これらを渡す際に「これね、京都の大原三千院っていう寺院で買ったんだ。ご利益や厄払いがあるらしいよ。」と、三千院に変わって紹介≒PRしてしまうのも売り手の作戦。

私が得たご利益は「売り方」でした。