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2024年1月1日月曜日

2024書き始め。


2024年1月1日、数時間前まで2023年12月31日。この違いは単に大晦日と正月という表現の違いなはずで、日が変わる・流れるのは誰にも平等で毎日のことだけど、抗えず「月日に寄り倒し」な感じ。

2023年は計727本の学長日記を書いて、7月にいたっては73本も書いてた(これはイタリアへのブレンデッドトラベル/ワーケーションがあったから)。
毎月平均60本の日記を書いたことになり、振り返ればよく書いたと自分でも驚く。
ちなみに、2022年は計597本、50本/月だったから、2023年はインプット&アウトプットが一際多い一年だったことがわかる。

この日記は2024年2回目の日記で、通算6086本目。この調子で書き続けると一年後は、6,800本あたりに達している予定。
ちなみに2023年の1月1日には一年の予想を書いていて、読み直すと「縛りからの解放」とは借金の完済のことだったと思う。

書いた内容や背景を忘れてしまった日記も多々あるから(中には本当に自分が書いたんだろうか?と別人のような示唆感を味わったり。)、全部書き出して選定して自費出版ができたらいいな・・・と毎年思うこと。
今年も導いて!ヨーダ先生。

2023年4月19日水曜日

5570本目。


5570本目の日記。不思議なことに、昨年から特に深い意味もなく一日2回の日記を書き始めてしまい、全く負担を感じてない現在。
もちろん、一日1本の時と比べて費やす時間も考える時間も増えたけど、その長くなった時間が「自分のため(内省)」なので貴重と思えているのだから、飽きるまで一日2本を続けるつもり(さすがに一日3本の発信はない。)朝のコーヒーとか朝の歯磨きみたいな感じ。

4/26(水)19時からの講座は「学長日記」を題材に、発信し続けることで起きるコトなどを紹介予定。「よーし!何か書くぞ!」と気負うと続かないので「どこに力を入れて、どこで力を抜いているか」みたいなメリハリのバランスの話題にもなるかも。
私も最初の頃は「なんかいいコト書かないと!」と思ったけど、結局書けず・・・。それよりも「続けよう!」と思ったら、今のスタイルになった。

続けると何となく「書き方に傾向」も出てきて、その一つは「書きたいことを決めるのではなく、書かないことを決めた方が書きやすい。」ということ。
これに気づいてから「書かなければ症候群」から解放されて1000回、2000回、3000回、4000回、5000回と12年目に入った。
書き続けていたら愛媛新聞の四季録をはじめ、講評などの執筆もあるんだから、何がどうなるのかは続けないと分からない。

2023年1月2日月曜日

「キャサリン・ラビット〜私たちの夏は終わらない〜」でいかが?


元旦の愛媛新聞。どこからどうみても「ご当地映画」にピッタリ!な松山商業OGの記事を見つけて、家族に卒業生がいたので盛り上がる。
「華麗にポーズを決める直前まで足腰が痛いとぼやいていた人とは思えない。」などのエピソードはシーンが目に浮かぶ。
映画化の要素が完璧すぎて(ひょっとして、もう映画化の話があるんじゃないの?)と思うほど。映画化したら絶対に面白い!

結成は2011年「松山商業のOBOGの還暦同窓会の余興で集まった約20人」って、今は70歳超
!?松山に、こんな愉快な人たちがいたなんて!
そもそも「キャリン・ラビット(シニアダンスチーム)」のおば様達は、1969年の松山商業VS三沢高校との決勝戦延長18回引き分け再試合の末に優勝した松山商業を応援した当時のOGたち。金髪の写真に脳がバグるけど50代から80代までの方々。

妄想。物語は高校に入学した主人公2人、一人は女子学生でチア入団を夢見て、もう一人は男子学生で野球部を目指す。同じクラスだけどすれ違う二人。そこに葬儀、双方のお婆ちゃんが葬参列して、久しぶりの再会。時代が現代と過去を行き来してすれ違っていた二人は、それぞれの道へ邁進して・・・。
安直過ぎるかな?クラウドファンディングをしたら製作費も捻出できると思うのは私だけか?

2022年12月5日月曜日

5301回目。


5年前に1回の日記に56000回以上の閲覧とバズってしまい、その反響の大きさにビビり、公開範囲を絞っている学長日記。ご縁のある方なら薄い・濃い、細い・太いに関係なく閲覧できるのだけど、10年以上、世間の流れに乗らず、流行り廃りに関係なく淡々と自分を軸に書き綴っているので「Eテレのようでしょ?」と例えたり。
誰からも書け!と強制もなく、心情などを随筆的に任せているだけ。だから長続きする。

そんな誰の為でもなく、ただ毎日を吐き出している日記でも、愛読者がいてくれて、先日は意見交換の場に数ページに渡り印刷をしてくれて数人で共有して嬉し恥ずかし。自分でも書いた後は内容を忘れてしまうコトもあり、愛読者の方が覚えていてくれて恐縮しっぱなし。
刺さるコトなど意図してないから、手元に残してくださっていたり、時に感想を寄せてくだったりするのは素直に嬉しい。

最近は文字よりも動画の方が伝わりやすいと言われる。否定はしないけど、映像は次(奥)の想像はできても広がりの想像は難しい。それは映像は作り手によって進みが前への一方通行だから。しかし文章は自分のペースで進め、時に立ち止まれば広さを感じる(と思う)。
映像も文字も両方好きだけど、いったいつまで綴るのか私。“その時”まで書き綴れたら作家になれなくても随筆家になれるかも。

2022年5月20日金曜日

言わせて。


NETFLIX「深夜食堂(2014)」、シーズン2の第15話「缶詰」の舞台は「鑓水」。東京都八王子市にあり、古くから「絹の道」として知られていて、古いお堂などもあったことから、怪奇な噂もあり、文化祭の出し物に友人と心霊写真を撮りに行き、“何か”らしきモノが写った!写ってない!と大騒ぎした記憶が35年ぶりにフラッシュバック。ムー好きな少年少女には有名だったからリサーチしてたらスゴい。

悪人が殺しにくることを察した主人公が、着のみ着のまま家から逃げたのはOKだけど、証拠が入る肝心なPCは持ち出さず・・・。悪人が押し込み、家中探すがもぬけのカラの空振り。見つけたPCをガバッ!と開いてサクサク入力。オイオイ!普通はパスワード入力しないとPCにログインできないし、証拠が入るPCなら尚更でしょ!そして「銀行口座から逃走資金を引き出してるぞ!」と、何たるご都合主義!

公開延期になってた大作は、結局「世界を救う」という使命から「愛する人を救う」にすり替わってしまい、世界観が一気に収縮してしまい世界は泣いても私は泣かない!
客の一人一人にエピソードがある「深夜食堂」の方が泣ける(全エピソードを一気見してしまった)。似たようなエピソードはNY時代に一人で深夜営業をしていた「しゃぶ辰」にもあって、(本が書ける!)と、また思ったり。

2022年3月10日木曜日

ロケ弁ものがたり。


「マブヤー⤴︎じゃないですよ。マブヤー⤵︎」「イントネーションが違うのね!マブヤー⤵︎」。方言と言うか発音に弱い。そう言えば英語の「アクセントはどこにあるでしょう?」という問題も苦手だった。「マブヤー⤵︎は、もうフツー。」そうか10年前に沖縄へ来た時も既に定着してたっけ。琉神マブヤーはご当地ヒーローの先駆的な存在で海外へも輸出されている秀逸なコンテンツ。カッコいいんだよね。

FCを縁にした新しいビジネルモデルに期待と手応えを感じるものの、どうしたら確立、定着するのか思案中。ビジネルモデルの前にスキームを明確にする必要が先かな・・・。と悶々としてる傍で「ロケ弁っていいコンテンツですよね!」と、軽やかな話題に意識を持っていかれる。(作品公式のロケ弁が認定されたら面白いのにな・・・)と妄想。*作品とのタイアップによる期間限定商品は過去になります。

「食」をテーマにした作品で、なおかつ「弁当」がキーワード。更に踏み込めば“劇中劇”で、実際に色々なロケ弁(例:高級系、工夫系、ご当地系など)が登場する。
イメージするならラーメンウェスタンと称された「タンポポ」みたいに、さすらいの料理人がロケ弁で窮地を救うなんてね。と、妄想癖が出た所で現実に戻り、企画書を仕上げなければならない。いや、でも面白そうだなと。

2022年3月5日土曜日

フムフムの実。


Aは話がうまい!立ち回りも上手で打ち出し方も上手、小さなことも大きく話すし、難しいことも簡単に話してしまうから聞き手もイメージしやすく(フムフム・・・。)と、説得させてしまう。支障があっても解決ではなく、話術で覆い被せて“なかったこと”にしてしまうほどの剛腕。この能力は「フムフムの実(ワンピース風の表現です。)」でも食べたの?と思うほど。

でも、簡単に言えるとは時に“端折って”肝心なことを伝えていないかもしれない。大きく話すことは“誇大”と受け取られるかもしれないし、覆いかぶせてしまうのは“隠蔽”と思われてしまう可能性がある。フムフムの実を駆使して中央までフムフムさせてしまったのはドラマのよう。
一方でBはAより話が下手で良くも悪くも実直。Aのように立ち回れず、派手さもないからパンチ力もない。日々コツコツと、自分を信じては歩む日々。

ある時、関わっていたCが気づきDも感じEも思った。(「フムフムの実」って成果がない偽物っぽくない?)と思い、気づいた周りは一斉にAから離れたらBの存在を知る。Aは焦ったが慌てなかった。(CやD、Eがいなくても“Z”までいるじゃないか。まだまだフムフムの実は使えるぞ。)
BはAの情報が入るもスルーして我が道を邁進。そんな彼も実は能力の実を食べていて、それは「コツコツの実」だったという話。

2022年3月4日金曜日

事実は映画よりも奇なり。


実は既に世はマトリックスの世界で私たちは「生かされている」と思うのは、「AIにより生成された“存在しない人物が有名ブロガーとなり指導者を非難”」とか「俳優の印象操作にAIが使われていた」とか「“存在しない”のに既視感のある動物の存在」などディープフェイクの類は、もはや無意識に見たり聞いたりしたら、すんなり意識に入ってしまう恐ろしさで嘘と本物の境目が分からない世界に生かされていると言う事実。

分野は違えど映画・映像作品も同じで最先端の一つで、CMでロケ地へ何百万円もかけてスタッフを移動させるより、同じ金額ならスタジオでAIで背景を作り出せば“ボケる”からクオリティも問題なし。昨今のCG技術も本物と遜色ないから組み合わせれば大丈夫。実際にロケ地を訪れない「架空の背景」を走る自動車のCMはある。意識してる人は少ないし、影響も少ないからスルーしても問題ないけど報道分野だと犯罪!

映画でも「戦争の口実捏造にフェイクニュースを流して世論を扇動」はあるけど、あくまでもフィクションと思っていたことが、気づかぬうちに浸透して私たちを動かしていると思うと、事実は映画よりも奇なり。自己防衛策はリテラシー力をつけるしかなく、情報感度を高めて「疑う≒問いを立てることから始める」こと大切。信じていた情報元ですら時に怪しいのだから、自分の存在だって怪しい。

2021年7月1日木曜日

呪いの資料

物騒なタイトルだけど、本当に存在する「呪いの資料」。書くのが嫌で嫌でしょうがなく(嫌な理由は書く人によって異なり、書く内容が嫌だったり、見せる相手が嫌だったり色々ある)、時に嗚咽しながら、時に酔っ払いながら作成するって言うのだからスゴくないか?そんな資料だから、読む方も資料から漂う「負のオーラ」に「ページが重い・・・、読みづらい・・・、とは言ってませんが普通の資料とは違うのは感じるよう(笑)

(オイオイ、貞子が作ったのか!)と面白く聞いていたけど、作成した当人は意外と本気だから更に面白い(と、言ったら怒られそう)。でも、気が重い、入力が進まない、寒気がする内容、無駄とわかっている資料の作成はある(呪ったことはありません。)でも「読んだら呪われる資料」なんてB級映画にはありそうで、悪上司とか悪徳取引先などに「呪いの資料」を渡して苦しめたり(チャッキーも同系か?死刑囚の怨念がぬいぐるみに乗り移る)

呪いの資料のはずが、片思いの人に届いてしまって物語は予期せぬ方向へ!とかね。あ”ー、資料作成に追われているので、同じ境遇の人の話に感化されてしまった。「物語っていうのは、ごく普通の日常で起こるんですよ。」と教えてくださったのは山田洋次監督(JFCの前身である元全国フィルム・コミッション連絡協議会副会長)。人の苦労話は面白い。いつか書く物語の素材だけ溜まる・・・。

2021年2月6日土曜日

誰と働くかも大切。

週末は作家気分で素材集め。「しゃぶ辰」ネタが人気があったので調子に乗る。店があったマンハッタンのイーストビレッジは人気エリアで、画家やミュージシャンなど、文化も芸術も人種も“るつぼ”だった。なので「しゃぶ辰」にも有名人が多く来たけど、その中でも1980年代後半、高校時代にファンだったシンガーソングライターのOが来店した時はビックリ!ただ、既に店内は満席で、待ち時間を告げるとOは・・・。

「じゃあ、北風に聞いています!」とあまりにも爽やかな返答に時が止まる。そして「聞いた?北風に聞いて来るってさ?どう言う意味?」と周りの仲間に聞いたほど(笑)。
レジは強盗対策で奥にあったけど、路上でパンパンパン!と聞いた時はセニョールと顔を見合わせ、慌ててドアに鍵をかけて静観。罵声や怒号、大声が聞こえて(ヤバい!)と思ったことは数回あった。当時の店周辺はにぎやかだったけど、危険でもあった(今じゃ、オシャレなエリアで当時の面影なし)

TマネジャーからKマネジャーに代わり、この方が超面白い人だった。忘れられないのが「飲みにこう!」とチャイナタウンでご馳走になり、朝方まで飲みヘベレケに酔ったKマネジャーはタクシーで帰る予定が行方不明になる!(ヤバすぎ!)と、色々想像(書けないレベル)して翌日、店に行くとKマネジャーがニコニコ現れ「ゴメン、公園で寝てたみたい・・・」と。写真の人。あれから25年、今でもNYで凄腕経営者。どこで働くかも大切だけど、誰と働くかも大切と知ったNY、人にエピソードあり。