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2025年1月14日火曜日

4年目のNPO・ボランティア論。


「ほんとですか!?そんな授業受けたいです!」
「ホント!?興味ある?」
「だってテストがないんですよね?ボランティア実習でいいなら、いいよね?」
「うん!何限目の授業ですか?」
「月曜日の5限目と思う。」
「ありがとうございます!」
と、リップサービスでも興味を示してくれたのは今冬にココ大付属学園に参加してくれた松山東雲大学生。

1月は4月から始まる松山東雲女子大学での授業内容を検討&提出する時期。
担当する「NPO・ボランティア論」も4年目となり、テーマ(=応援ボランティア体験)や構成(=実践型授業)は変わらないものの、詳細は私自身もワクワクしたくてバージョンアップに余念がない。

自己紹介は“推し”でしてもらおうかな?とか、応援ボランティア体験では実際の商品やサービスで検討してもらおうかな?とか、ロケハン体験を通して地域の魅力再発見は変えずとか、ココ大付属学園夏休みでのボランティア実習もイキとか、体験を通して自らボランティアを企画するに必要な発想術は昨年よりコンパクトにシンプルにしようかな?とか。

テストがない分、60時間のボランティア体験が必須な学生。
だから、そのボランティアがつまらなくては、その後に(ボランティアなんてつまらない!)と思われたら困るので責任重大!

アレコレ考えていたら、煮詰まってしまい(散歩しながら考えよう!)と、4,000歩以上歩いて、昨日も1万歩を超えて安堵。
17時前の夕暮れ時、夕陽から放たれた光彩がハッキリしていて何だか得した気分。

授業へお招きしたいゲスト企業からも快諾いただき、学生達の興味関心をひく授業になりますように!

2024年10月16日水曜日

依頼。


松山東雲女子大学で「NPO・ボランティア論」の授業を預かり3年。
漠然と(一区切りかな・・・)と思っていたら連絡があり、てっきり“その連絡”と思っていたら「来年も継続の依頼」で、色々と考えた結果、受諾する。

受け持つ「NPO・ボランティア論」にはテストがなく、その代わりに60時間のボランティア活動が課せられていて、ココが特徴。

邪推で(テストがないから・・・)と思って猛省したのは、学生個人と話すと“意外と熱く(ゴメンなさい、表面からは分からないから)”語ってくれて、一人一人と向き合うと、NPO活動やボランティア活動から得られる効果(例:自己実現、達成感、生きがい・やりがいなど)を得たいと言ってた。

来期はどんな授業にしようかな。
現在、創価大学でリーダーシップの実践機会として「こどもスペースラボ」に関わっているけど、あんな実践型の学びは学生たちにとっても良いと思う。
すると、やはり「ココ大付属学園」での取り組みを充実、発展させようか?

「NPO・ボランティア概論」から始まり、ボランティア体験として「フィルム・コミッション」「ココ大付属学園」、そして学生からリクエストがあった「ボランティア活動の企画立案」。
これまで萬翠荘、道後一会をお招きして「女子大学生が考えるPRアイデア」というのもあった過去、これも面白かった。

女子大学はこれからどうなるのか?という話題もあるけど、個人的には企画立案、プロジェクトマネジメント界隈での女性活躍はまだ少ないと思っているので、興味関心のある学生を育てていけたらと独り言。

2024年8月7日水曜日

最後の質問。


15回の授業は理論と実践を繰り返した内容で、最後の質問として「ボランティアの本質とは何か?」を尋ねてみると・・・。

  • 意志を持って行動することと思います。
  • 「変えること」だと思います。
  • 発意で始める行動と思います。
  • 無償で行う社会貢献活動と思います。
  • 自分を資源化する(できる)機会と思います。
  • 非貨幣価値の実感

などの回答が寄せられて(あぁ、伝わっていて良かった)と思うと共に(自分ごと化してくれて良かった)とも思って安堵。

実は授業期間中に「ボランティア証明書(社会貢献活動などに参加したことを受入れ団体がは発行する書類)」という言葉を何度か聞いて「ボランティアが(内申や就職活動などに)有利な条件、ツール」として扱われる&認識されていることに少しばかり危惧を感じていたから、なおさら。
それとも、考え方が古いのか・・・。

「先生、ココ大付属学園のボランティアは冬もできますか?」と授業終了後の学生。
全員がココ大付属学園でのボランティア実習を経験した中で、響いた学生もいたようで、損得勘定ナシに居心地よかったよう。

ボランティアはもっとシンプルで、気兼ねなくして欲しいと願って3年目のボランティア論、修了。

2024年7月31日水曜日

残り1回!


松山東雲女子大学での授業も残り1回!
先週までの2回は、昨年度から始めた「ボランティア活動を企画する」授業。
これまでボランティア活動を体験してきた学生は、それらの経験などを活かして自ら(こんなボランティア活動があったらいいかも)で考えてきた!

  1. 道に迷って困っている外国人や老人などへの道案内ボランティア
  2. 年間を通して地域の魅力を体験するイベントボランティア
  3. 文化財や周辺の清掃、メンテナンスボランティア
  4. 子どもたちへの学習支援と自然環境体験活動のボランティア
  5. 海岸の砂浜で親子でスポーツゴミ拾いボランティア
  6. 地域の人と一緒にご飯を作って食べるボランティア
  7. 近所の公園の清掃ボランティア など
皆んな、表情では分からないけど、色々な事を思っているんだな・・・と実感。
各内容には「活動の特徴」「企画を思いついた背景」「その活動をしなかった末路」「その活動を求めている人」「活動の前と後の違い」なども求めていて、頑張って企画してきた学生達。

そもそもボランティア活動が必要な理由は「何かしらの課題があるから」で、その課題改善/解決の手段としてボランティア活動がある。

個人的にはボランティア活動から公益活動として発展して事業として成立しそうな内容もありメモメモ!
4月から始まった授業もあと1回!

2024年7月23日火曜日

ペロリ五合。


平岡家から七分付のお米20kgが届いた!一升炊きの炊飯器もある!試食してみなければ分からないと言うことで、学生達には「おかずだけ持ってきてね!」と伝えて当日。

私を含めて5人だったので(余れば冷凍しておけばいいか←ココ大付属学園には冷蔵庫がある)5合を準備。機種に最適な炊き方を知り、30分浸して豪熱沸騰開始!

約1時間後、ピロピロ〜♪とメロディが鳴り「お腹すいたね!」となる。フタをあけると湯気の向こうに見えたのは一粒一粒が立っている白米!「オォ〜」と覗いた全員がなる。

試食は子ども達が握る手順と同じに「消毒→衛生手袋装着→おにぎりぽっけ(秘密兵器)に白米入れる→おにぎりぽっけで包む→三角形のおにぎり完成」となる。

実は「おにぎりを握るのが苦手」の学生もいたけど、おにぎりぽっけを使えば半自動的に三角形になるので便利!となる。

そして実食。やや硬めに炊いたのが良かったようで、歯応えもありモチモチもしていてい平岡米のおいしさを噛み締める五人。

「お代わりどうぞ!」とすすめると、4人全員が二個目のおにぎり。今度はふりかけやおかずを入れたアレンジおにぎり。「おいしい!おいしい!」と頬張り、空腹を満たしてくれる。

炊いた5合は釜からなくなったものの、「私、もっと食べられるけどな。」「私もいける!」と、頼もしかった学生達。

2024年7月22日月曜日

やってみて得ること。


情報の渦に溺れているから、実体験がなくとも“そんな気”というか“分かった気”になるのも分かる。
だけど、“そんな気”や“分かった気”はあくまでも脳が描いた想像(イメージ)なので、想像と現実を混ぜては危険!

話せば分かる/理解できることも、実際にしてみると・・・。
  • ダンボールオセロの完成後、マス目を描こうとしたものの、消えるので余っていた毛糸でマス目を作ると十分に機能した、遊べた。
  • おにぎりを握った時、ご飯がアツアツで子ども達が握る時は冷ました方がいいと分かった。
  • カッターの刃が鈍ったので交換と思ったら折らずに一本丸ごと替えようとしたので「折ったらいいよ」と助言したら刃の折り方を知らなかった。
  • 新聞紙でボールを作る時は芯をギュッと固くして作り、布製ガムテープで新聞紙が見えなくなるまで覆う。
  • 蜜蝋を塗る際、布ではなく直に指で触れて塗った方が早いし気持ちい良かった・・など。
つい、企画者は立案しただけで満足しがち(そこに達成感を得る)だけど、実際に手や体を動かしてみることで「良さ」や「改善点」は分かるもの。

こう言う機会がないと経験しないことだらけだった学生達。
もしかしたら「そんな経験、いらないんじゃないの?」と言われそうだけど、学生達は「面白かったー!」と言ってくれたからよしとする。

大学生と準備中。


松山東雲女子大学で教えている「ボランティア論」授業も残り3回。
ボランティア論授業では、期末テストの代わりにボランティア体験を課していて、ココ大付属学園でのボランティア体験がクライマックス。

写真では伝わらないけど「早くっ〜〜!」と声をあげているのは「ココ大付属学園のルール」を制作してくれた学生。
素晴らしい完成度で、いざ貼ろうとしたものの仲間が来ず、手を離せず困っている姿がおかしく、笑ってしまい「後ろ姿だから使わせてね!」と、返事もできない彼女をパチリ。

「先生、ココが破れているので新しい紙で書きますか?」「いや、その破れを活用しよう!」「えっ!?」「例えば何かが“かじった”とかどう?」「あっ!そうか、分かりました。」と、端が破れていても逆転の発想で、子ども達のツッコミポイントをつくる。
破れ箇所は“リンゴがかじられた”デザインになった。

今夏から業務用扇風機が各部屋に導入された!
その威力はスゴいものの、子ども達の好奇心の的になりそうで「触らないって言う注意書きを作ってくれる?」「扇風機に目や口を描いたら面白そう!」とユニークなアイデアに喜ぶも、風力で外れてしまいそうで別案に。

でも、こんな「正解不正解のない問い」へ自分なりに考えて最適解を出す機会は授業にふさわしい。
授業だけど、ボランティアの本質は発意であり、楽しもう!と思う気持ちも発意。

2024年7月10日水曜日

“ボッチャン”ではありません。


「これがボッチャ?私の知ってるボッチャと違う!」「オホホ(とは言ってないけど)これはフランス製のボッチャです。」「カワイイー!」となり、お手玉を始める学生達。

日本のボッチャは、赤球6個と白球6個の計12球だけど、これは4色(青球、黒球、金球、銀球)×3球なので4人まで同時に遊べる。

ズッシリ重いのに教室ヘ持ち込んだ理由は、ボッチャを知らない学生がいて「“坊っちゃんゲーム”ですか?」と勘違いしてたから。

(これはマズい!)と、頭で理解ではなく、体験して子ども達へコツなどをアドバイスできたらいいと思ったから。

で、案の定「(ボッチャという)名前は聞いたことがあるけど、遊んだことがない」学生が多くてプレイ開始!

数メートル先の目印となる赤球へ各人が3球ずつ投げて、最も赤球に近かった人が勝利だけど、初プレイ人は、球の投げ方、力の入れ具合などが分からず、ボーリングのように勢いよく赤球を転がし“抜けて”いってしまったり。

何度かプレイして初めて写真のように赤玉の周りに投げた球が集まるようになった(それでも金球2個は見えてない)。

1ゲーム3分ほどで終わり、何度もプレイしていると「メッチャ面白い!」と、楽しさを体験できたよう。「子ども達にもその楽しさを伝えてね。」となる。

頭で理解するのと体験して得られるコトは似て非なるもの。

女子大学生の常識。


「ココ大付属学園で使用する自分の名札作りです!」の合図に学生達は、最初こそお喋りしながら「どんなのにする?」など検討していたけど、5分もすると黙々と作業に入り静寂になった教室。

子ども達とのコミュニケーションツールでもある名札には「本名でなくニックネームでもOKです。」と伝えると「えっ!本名でなくてもいいんですか!?」と質問。
「そこがポイント!子ども達にニックネームで興味を興し、本名は何さ!と聞いてきたら最初のコミュニケーションは成功でしょ?」と伝えると、ムムッ・・・(その通り)とガッテンする学生たち。

また、中面には「好きな食べ物」「好きな本」「好きな色」など予め用意した5つの質問と、各人が自分で設問&回答する5問の計10問のプロフィールが書けるようになっていて、見させてもらうと(あぁ、そういう質問もアリだよね)と、子ども達への掴みはGOODだと思う。

そして、このクオリティ。単にコピー用紙へ印刷しただけなのに持参してきたカラーペンなどで装飾してカラフルに。
でも中には「先生ー!裏うつりしちゃいました・・・」と油性ペンで書いたのでプロフィールが読みにくくなったり・・・どれも経験。

最後は枠の切り取りのお願いに定規で切ると思ったら、皆んな筆箱からスティック型のハサミ(見た目はハサミと思えない!)を取り出し、サクサク切り始め「えっ、ハサミを持ってきてなんて言ってないのに常備なの?」「先生、フツーですよ。」とサラリと流された件。

2024年7月3日水曜日

思い通りに・・・。


  • 子ども同士がレゴの取り合いから口喧嘩にエスカレートしている。
  • 一人の子供が大学生を独占していて、他の子供が遊べない。
  • 夏休みの宿題の最中に、周りが邪魔して集中できていない子がいる。
  • 何が起こったか分からないけど、子供が泣いている。
  • 子どもがケガをしたのに、「大丈夫!」と言っている。

ココ大付属学園で実際にあった出来事を参考に、大学生が「そんな場面の対処法とその対処法に決めた理由」を検討する授業。

これらは正解 or 不正解のない事柄で、自分の価値観や倫理心で対応が変わるから、個人の対応策には違いがあり、気づきや学びが多かった件。これぞ授業の醍醐味という感じ。

その後、個人からグループ検討へ移り、意見交換後に「最適解」を一つ選んでもらうと、レゴなら「同じパーツを探す、ジャンケンで決める」、大学生の独占には「他の子とも遊ぼうと声がけする」、宿題の邪魔には「静か部屋への移動を勧める」、子供が泣いていたら「落ち着いて話してくれるまで待つ」、子供の大丈夫!には「私には大丈夫に見えないから手当をしに行こうと誘う」など、具体的に考えてくれた学生たち。

正解 or 不正解のない対処法は時に“曖昧”と勘違いされるけど、マネジメントの芯/軸がシッカリしていれば“許容や柔軟”でもあるわけで、ここで躊躇すると思い切った対応や行動を考えられなくなるから、そこは責任者の腕の見せ所と思う。

これから実践する学生達、子供達との交流は思い描いた通りに行くのか?乞うご期待!

2024年6月19日水曜日

いい所見つける。


「私たち、ロケハンに向いてない?」と学生、日頃からドライブがてらに各地に赴いては写真を撮っているようで「この前、いい滝を見つけたんですよ!」と写真を見せてくれる。聞けば旅好きとのこと。

滝の周りには演技スペースもあり、高さのある滝で落下の迫力も十分、色も綺麗。「どこの滝?」と聞いたら「高知の滝でした。」と、惜しい!となるも「高知FCにいい滝があるよ!って伝えなきゃね!」となる。

学生たちは校内でのロケハン体験から今度は身の回りでのロケハン体験へ範囲を広げて提出。
普段はクールな表情の学生たちだけど、一枚一枚紹介をする際は“はにかみ”ながら「失恋した時のシーンです。」「明日も頑張ろう!というシーンです。」など、それぞれが妄想したシーンを紹介してくれる。

その中でも、今回のベストは写真の陸上競技場で、なんとも言えぬ古さというか“草陸上”っぽい雰囲気が気に入る。

地域ってさ、意識 or 無意識で全然変わって見えるんだよね。さらに同じ場所でも季節、天気、時間で全く表情が違うからロケハンって終わらないんだよね。」と定番の説明。

「こういう仕事もあるんだ!」と分かると、驚きと羨ましそうな表情の学生。楽しく説明したからだけど、ロケ地が見つからない時の苦しさ、もどかしさは言葉にならないけど・・・。

今まで見てきた大人、仕事観とは大きく異なる大人、仕事観に触れたことで見識が広がればそれでよし!

2024年6月12日水曜日

問題提起。


「その映画、私が観たんです。」と教えてくれた学生。
学生に「推しの一本を教えてください。」と投げたのは先日。色々な作品が挙がったけど、無記名で書いてもらったので誰の推薦なのか分からず。でも作品を褒めてたら、その言葉。

「いい作品を観てるね、どこで観たの?」など色々尋ねると、恥ずかしそうにしながらも説明してくれる学生。察するに嬉しかったんだろうな。大作も好きだけど、問題提起やメッセージのある作品も好き。

「映画って、時代の鏡(≒世の中の今を映し出してる)と思うんだよね。だから、たくさん観ると世相(≒世の中に必要なもの)が分かっていいと思うんだよね。」と伝えた理由は映画館で映画を観る学生が40%と予想よりも多く、1ヶ月以内に映画館で映画を観たのも40%、うち年間鑑賞本数が5本以内が70%、6本以上が20%という結果が嬉しかったから。
ネット配信にも加入してるけど、どうやら“それはそれ、これはこれ”と別物のよう。

そもそも論、制作者は誰かに観てもらいたくて映画を作ってるわけで、でもその誰かは作り手の予想通りだったり、予想外だったり。

「何を観るのも私の自由でしょ!」だけど、日本では2023年に676本の映画が公開されていて、選択肢がメチャ多いのはいいことだけど、そのうち90%以上(600本以上)の作品名を知らないって、作品との出会いが失われているわけで、これこそ問題提起かもしれない。

2024年6月11日火曜日

楽しかった。


「先生、この写真ってアリですか?」と、写真の学生が見せてくれたのは廊下と階段。
何かを感じて撮ったと思うけど、うまく言語化できず、まさに感性で撮った写真。
「二人には見慣れた教室の廊下だけど、この無機質さは病院っぽさを感じるね!」と、感想を述べると「びょ、病院!?」「ほら、この白っぽい質感と光の反射、白衣が似合いそう!」「そうは思わなかったです。」となる。

「楽しかった。」「日常なのに非日常を撮るという体験が楽しかった。」「学校の意外な一面をロケハン体験を通して感じることができて楽しかった。」「シチュエーションを考えながらの撮影は楽しかった。」など、全員から「楽しかった。」という感想をもらったロケハン体験。

フィルム・コミッションにとってロケハンは重要な職務だけど、一方で「地域の宝探し」「魅力の再発見」とも言えて、市民の誰でもできるもの。

大学生は“周りをそんな見方で意識したことがない”から、始める前まで半信半疑だったようだけど、体験から得るものがあって良かった。

ほんと、ボランティアをした最初の感想って「楽しかった!」でいいと思う。使い古され、ありきたりな表現かもしれないけど、楽しければ次も楽しめるだろうし、損得などを考える前の素直な感想と思う。

さて、次は身の回りにある「魅力的なロケハン体験」。
どんなシーンにどんな場所を探しくるのか?大学生!

2024年6月8日土曜日

その一本を観たことで。


作品の良し悪しは別として、映画であろうがドラマであろうが作品は【今の社会や世の中の鏡であり、多からず少なからずメッセージが含まれている】と思うのは私だけではないはず。

日本映画概況(日本映画制作者連盟)によれば、令和5年に映画館で映画を観た人数は1555万3500人。日本の人口(1.251億人)の中で18歳-20歳はザクッと341万人、人口の37%だから575万人以上の若者が劇場で映画を観てると思うのは超乱暴だけど、他の情報も参考にすると若者ほど映画を観ているとのこと。

「先生にこの作品は観るべき!という作品を1本教えてください。」と伝えると、「ワンダーエッグブライオリティグレイテストショーマンブルー・バイユーあの花が咲く丘で君とまた出会えたら宇宙を駆けるよだか」など、知らない作品が多かった件。

アニメ作品や主人公が学生、舞台が身の回り系が多いのは同世代と共感しやすいと推察。でもブルー・バイユーは社会問題を扱ってるし、グレイテストショーマンはエンタメ作品。

新しい作品もあれば、古い作品もあるし、実写もあれば、アニメ作品もあるし、大型作品もあれば、独立系作品もあったり・・・。

すると、推し作品は誰にでもあって、そんな作品と出会えるのは宣伝費が多い作品だけではなく、奇跡であってもダメなわけで、その一本を観たことで、人生が豊かになるのは本当。

そんな作品が愛媛で撮影されて地域の良さが実感できたら・・・と思うとフィルム・コミッションの役目かもねと。

2024年6月5日水曜日

単なる鈍感か?


松山東雲女子大学のボランティア論、は道後一会から「フィルム・コミッション編」になる。
すると早速「フィルム・コミッションは撮影隊からお金を貰っていないことに驚いた。また、愛媛県事業ということにも驚いた。どうしたら【私利私欲を捨て切る≒損得勘定ではなく】できるのでしょうか?」
と、学生からの質問。「非営利事業=私利私欲を捨てた事業
と思っているようで、文字面だけみると修行(苦行)のように見えるのか?

大学生は社会人経験がないから分からないだけ。
聖人君子でもないし、煩悩はダダ漏れ、私利私欲まみれ、ついでにインチキ(笑)。

霞を喰っては生きていけないので稼がなければならず、日々、ヒィーヒィー言いながら日銭を稼いでいる。

非営利事業という言葉に違和感があって、公益事業と“あえて”言い続けているけど、たまたま偶然にしたいコトが非営利でしかできなかった・・・と言うだけで、非営利だからフィルム・コミッションをしてるわけではないのよ。

「好きなコト(楽しいコト)を見つけることができたら幸せ」と伝えようかな。
好きなコト(楽しいコト)をしてる時はお金のことなんて(本当は気にすべきだけど)全く気にならない。

じゃあ、貧乏だったか?と言われると、お金はなかったけど貧乏と思ったことは一度もなく、それなりに楽しかったは鈍感だっただけなのか?

次回、学生に伝えるにはどうしたらいいだろう?と思案中。

2024年5月30日木曜日

ハッ!としてゾッ。


計3回の「道後一会編」授業が終わる。学生に「振り返ってどうだった?」と尋ねると
・授業で知り、実際に訪れて分かったことが多かった。
・現状に満足することなくアップデート/バージョンアップの大切さを実感した。
・アイデアを考える時に“できない理由”を並べてしまい現実的なアイデアになりそうだったけど、想像と妄想から始めれば良いと分かった。
など、ホント学生は素直というか率直に感想を述べてくれる。

ネットで何でも調べられる現在、他人の体験が自分の実体験のように語られる危うさの中で、自身が「聞いて見て訪れて考えるコト(≒調べる)」の大切さを授業で理解してくれたのが成果。
そもそも「ボランティア」なんだから、頭で分かることは限られていて、経験してこそ得られること多し!
時に効率性とか採算性、ギブ&テイクなどとそぐわない(釣り合わない)のがボランティア。

そんな中で学生の一人が蛍光マーカーで激しく何重もマルをつけていたのが「アイデアキラー」の箇所。

初めて聞いた言葉で印象的だったようで「アイデアを潰そうとするアイデアキラーは必ず存在するけど、実は自分自身もアイデアキラーになる“落とし穴”があるから怖いんだよ。」と伝えると、ハッ!としてゾッときたようで、自身の経験と合致したそうで腑に落ちたよう。

昨年に引き続き、今年度も引き受けてくださった水口さんに大感謝!

2024年5月29日水曜日

中島恵と北条豊。


「ストーップ!ぴったんこチャレンジ!!」
は、お酒やジュースを130mlピッタリに注ぐイベント。
道後一会 130th Anniversary Fes」は商業施設などでポップストアを展開するアイデア。
130日間の本気!は、そのまま130日間のPRイベント。
《急募》みかん太郎を探しています。※見かけた方はここに連絡してください!は呼びかけ系ネーミング。
みかんの討伐~ビールで乾杯~」は謎ネーミング???

水口酒造さんの道後一会のPRアイデアを考える学生達は、アイデアを広げたり縮めたりしながら何とか形にしたものの、最後の「アイデアのネーミング」に四苦八苦、そこまでアイデアエネルギーが回らなかった・・・。

と、言うのもアイデアを考える時、最初に「ネーミング(タイトル)」を考えると時間を費やしてしまう。中身(アイデア)に時間を割いて欲しいので、ネーミングはいつも最後に考えるようにしている。
アイデアの骨子がしっかりしていれば、おのずとネーミングは炙り出されるが持論。

悩む学生に見せた事例は「中島恵に会いにゆく。」「北条豊に会いにゆく。」(中島恵って人?、北条豊って誰?とネーミングの話なのに人の話?)と訝しげな学生達。

「人の名前のようだけどココ大授業の名前です。中島恵は“中島の恩恵”を、北条豊は“豊穣な北条”から命名しました。」と伝えると、あぁあぁ!と納得の学生達。
「掴み大切!半分分かりそうで半分分からないのがミソ!」と伝えて学生達、早速ペンを走らせる。

2024年5月22日水曜日

授業は面白く学べてナンボ!


来年130周年を迎える水口酒造が運営する「道後一会」。学生達は校外学習で道後一会を訪ねて、それぞれの感想を持った所で「自分たちをターゲットにした道後一会のPR策を考える。」にチャレンジ!

検討の際に私からの注文事項は「企画に130という数字を入れること」。
どんなアイデアを考えても130と言う数字を入れれば狙いが明確になるけど、どう扱うか?が見どころだった件。
先に「130人(の学生アンバサダー)」「130%(増量)」「130日間(の特別価格)」「130円(の割引)」などの参考を示して「始めよう!」と告げると・・・。

「130本(の学生が描いたスペシャルラベルのお酒販売)」「130種類(の販売促進を学生が立案)」「130g(を当てるゲーム感覚試飲)」「1月30日(に大きな販促イベントを行う)」「130回(Instagramで紹介)」「130組(のペア贈り物販売)」「130円(で販売する酒粕クッキー製造)」など、次から次へと考える学生。実に面白い!

自分たちで考えたから、おのずと「これだったらやりたいな!面白いよね?」と口に出る。
「先生、何ニヤニヤしてるんですか?」「だって、面白いでしょ?こう言う機会」「こんな授業初めてだよね?」と隣席の子に相槌求める学生。

何か一つでも実現したら面白いよなー。水口さん実現してくれないかな?準備や仕入れなど不要なアイデアもあるから、できると思うんだけど。

2024年5月15日水曜日

水口酒造は来年130周年!


昨年に引き続き、水口酒造の水口皓介専務にお越しいただく。学生に教えた「社会資源を活用する」で言えば人的資源(繋がり)。

そして、水口酒造さんと言えば「道後一会(憩い・発見・体験・購入をプロデュースするCAFE BAR&ショールーミングストア)」。
「道後JIN六媛」でのご縁から始まり、面白い取り組みだなと接点を探していたら、見つかった「大学生との接点」について。

ただ、肝心の接点が大学生とはなく「応援ボランティア体験」として取り上げる。
道後一会の名を聞いたことがあっても行ったことがない学生、その理由を聞くと「酒造会社の運営だからバーのようなイメージで自分達には敷居が高い」という誤解もあったり(窒素ガスを加えたコーヒー、柑橘ジュースもある。)
そして、クラフトビールが好きで「道後ビール」を知っていても、それが水口酒造の商品とは知らずもあったり。

「どうしたら、皆んなに魅力は届くかな?」という問い。「先生!イベントも必要と思いますけが、Instagramに毎日、映える写真をアップすれば徐々に広がります。」と学生。
「やっぱり、そうなのかな。発信の基本なのかもね。」去年も同じようなコトを提案されたのを思い出す。

と、折しも来年は130周年の水口酒造。「130種類の“何か”はどう?」と言う発想も出て、「その“何か”って何にする?」の所で時間切れ!また来週!

2024年5月14日火曜日

その背景を知りたい。


学生は素直だから、「自分の持ち味は何だと思う?」と尋ねると「コミュニケーション力、行動力、企画力、創造力、継続力、観察力、切替力、笑顔力」など造語を交えて挙げてくれる。
ここでのポイントは「自分が思う自分の持ち味」と「他人が思う“あなた”の持ち味」は必ずしも一致しないということ。

例えば、本人は創造力があると思っていて、“そこ”を認めて欲しいのに、周りは“創造力”ではない“違う所”を見ている時アリ、するとその“違う所”の出来不出来で、その人を判断してしまう。
一言で言えば自分の評価と周りの評価に差異(ギャップ)が生じている。

また違うケースでは、責任力があるからと、本人も周りも同じモノサシでも、本人のレベルが周りが求める責任力のレベルと“隔たり”があると、(必須レベルに達してない・・・)と判断されてしまう。
でも、このケースは経験を積んでいけばレベルアップという道が開けるかもしれない。

社会人だと「実績」がその人の判断/評価材料だけど、社会経験のない学生が自分の持ち味を分かっていたとしても、分かって欲しい他人が違う視点や印象を持っていたら、どうしたらいいのだろう?と考えてしまう。

ボランティアを(打算的に)行ったからといって、就職に有利という短絡的な話ではないと思うんだけどなー。そう思わせてしまった機会や背景は何だろう?と悶々。