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「陣内家」の門としか認識してなかった。 |
1583年に真田昌幸によって「上田城」が築城。1622年に真田信之が松代に転封されるまで、強国たちに挟まれながらも戦国の世に名を残した真田家は、徳川軍を2度も退けた話が有名。
第1次上田合戦は、徳川家を裏切った真田への成敗として勃発。約8,000の徳川軍に対し真田軍は約2,000で迎え撃ち、人数では徳川軍優勢だったが、真田昌幸の策略で徳川勢は大惨敗する。
第2次上田合戦は、関ヶ原の戦い。上田城を受け渡すと約束したにもかかわらず譲らない真田昌幸に、徳川秀忠が大激怒!上田城へ攻め込むも惨敗。この結果、徳川秀忠は関ヶ原に1週間も遅れて到着するという大失態をする。
そんな中で真田幸村/信繁は、豊臣家の家臣として徳川軍を相手に大活躍する。
大阪冬の陣では「真田丸」という出城を築き、徳川軍を退け、大阪夏の陣では徳川家康本陣まで突撃したものの逃げられてしまう。
ただ、真田幸村/信繁自身は、大阪夏の陣の最中、1615年5月7日に敵方に打ち取られてしまう。
そんな真田幸村/信繁には、「真田十勇士」という家臣(猿飛佐助、霧隠才蔵、三好清海入道、三好伊左入道、穴山小助、由利鎌之助、筧十蔵、海野六郎、根津甚八、望月六郎)がいたと言われているが、これらは明治・大正時代に刊行された立川文庫による登場人物で、歴史的な内容を参考にしているものの伝承上の架空の人物。
上田駅から上田城へは徒歩15分ほど。
その道中には、真田家の家紋「六文銭(仏教の六道/地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の世界を意味し、死者が三途の川を渡るための渡し賃)」があちこちに見られたし、真田十勇士の紹介も10箇所にあったり。
名作「サマーウォーズ」の主人公、篠原夏希の曽祖母、陣内栄おばあちゃんの家の門は「上田城の東虎口櫓門」としか認識してなかったから、一つ賢くなった件。
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