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2025年3月21日金曜日

去る者は追わず、来る者は拒まず。


「去る者は追わず来る者は拒まず。」と、書くと冷たい人間、ドライな人間と思われるけど、去る人は事情があって去るわけだから引き留めても無駄だろうし、逆に意欲のある人を拒む理由もない。
そんな境地に辿り着いたのは毎年、この時期恒例の異動などを20年以上見てきたからか。

ある人はキャリアップに退職して4月から新天地で頑張るし、ある人は組織内の異動で栄転するし、ある人は出向して経験値をあげるし、ある人は定年退職して第二の人生を楽しみにしているし、ある人は産休、育休の時が間近に迫っていた。

また、ある人は県外から愛媛県庁にやってくるし、ある人は移住先に愛媛県を検討してたし、ある人は転勤先が愛媛県と言っていたし、ある人は戻ってくるとのことだった。
年末年始に人生相談に乗った人たちも凸凹あるけど、概ね解決したようでよかった。

「去る者は追わず来る者は拒まず。」と言うのは「ご縁を信じてる」からもある。
ご縁は自分から切らなければ、極細でも繋がっている状態だから、何年も経って緩んでいても“イキて”いて、必要な時にピンッ!と張るとわかっている。これホント。

それは、もう4月以降の話が、それもご縁としかいいようのない巡り合わせで「なんだかんだで知り合って20年ほど経ちますよね?」などに表れてるし、必要な人とは必要な時期/タイミングで交差するようになっているが自然の摂理。

だから不自然に抗わず「去る者は追わず来る者は拒まず。」、自然体がいいはず。
決して現在から離れることは悪ではないし、離れることで直接的だった関係性から間接的になることで理解者/協力者になるということもある。

特にフィルム・コミッションは理解者や協力者が多ければ多いほど撮影がしやすくなるので「広がれー!」という感じ。

2025年2月25日火曜日

超高速“ちゃうねん”

台所でよう談義したわ。

茨城県、京都府、大阪府、愛媛県から和歌山県紀ノ川市に集まったウチら。
同じ人間やのに、性別や背景などの環境違えば、ここまでちゃうのか?ゆうこと知る。


そんなんで「方言」はどエライ分かりやすい地域性があるけど、各地を訪れて何となく分かっとるつもりやったけど、マユミさんの「関西弁」はセリフのように濃て早て言葉量が他の4人と比べてケタ違いに多かったわ。


これはマユミさんがライター&編集者で、多くの取材を各地でしとることに由来するねやけど、ほぼみなの話題に意見がツッコミ(ええ意味や)、話す度に関西弁で話す意見が面白く聞こえて、ついわろてまった。


「えっ!どうしたん?」

「いや、マユミさんの話が面白くてさ。」

「ほんま?そんなことないんで。」

「いや、情報量が多て、あっちゃこっちゃに話も飛ぶから処理が追いつかんで。」

「ほんま〜、いややわウチ、話しすぎてるな〜」と、散々喋ったあとに・・・。

「恥ずかしいわ〜、穴があったら入りたいわ・・・」が、お決まりの締め言葉。

これが更に可笑しさを誘うも、今回一緒に参加のセツコさんはわろわんのがおもろい(笑)


ほんで、マユミさんは、自身の発言の恥ずかしさを取り消す際は、

「ちゃうねん!ちゃうねん!ちゃうねん!ちゃうねん!ちゃうねん!」と、超高速で「ちゃうねん!」と、2秒ほどの間に「ちゃうねん!」を5回も言うた!


「マユミさん、ほんまにおもろい!ブログにも書くな。ラジオでも「高速ちゃうねん!」を紹介させてもらうな。」

「ちゃうねん!ちゃうねん!ちゃうねん!ちゃうねん!ちゃうねん!あ〜、いややわ。恥ずかしわ〜!穴があったら入りたいわ〜」。今度は組み合わせてきたわ!


こんな素敵に方言で自身を表せる人、初めてみたわ。

写真は「化粧してへんから正面はあかんの」とマユミさん。

関西弁に変換して書いてみた。

2025年2月11日火曜日

友を訪ねて。

丘に建つアートレジデンスからの眺め、すごくいい。

ジャパンFCの理事長に就任した2019年に知り合ったのは、マコさんから神戸FOを引き継いだマリさん。
そんな出会いからほどなく・・・。

松山市の花園町通りでマルシェの実行委員長(当時)として、参考になるマルシェを見に行こう!となり、視察先の一つにKOBE FAMARS MARKETがあり、その運営者にマリさんの名前を見つけて、フィルム・コミッション以外に“まちづくり”でも繋がった人。

あれから6年、お互いに歳を重ねて「今年度で神戸FOに区切りをつけることにした。」と聞き、ワイワイ話しまくった交流会後に、マリさんが管理人として暮らすアートレジデンスへ。

アートレジデンスとは「アートインレジデンス」のことで、国内外のアーティストに神戸へ滞在してもらい、滞在中の生活拠点となる場所。
3年前から、FCとは別にアートインレジデンスを運営する「HAAYMM」の代表としても活動を始めたマリさん。どんな所か気にもなっていたので見せてもらう。

築60年の建物の2階と3階がアートレジデンス。現在、2階はアーティストが利用していて、3階に通される。
丘に建つので眺め(夜だったけど)が良い。

始めたきっかけは、神戸FO時代に森山未來さん出演の映画で森山さんと意気投合して今に至ったと聞き「“世界の中心で、愛をさけぶ”で一緒だったんですよ。」など昔話に花が咲く。

「これまでの仕事や取り組みの全てが、アートインレジデンスに結実してる!と分かった時に、次に進もうと思った。」と聞いて、言うのは易しだけど現実は・・・と思い、「その境地に辿り着いてないです。」と私。

私よりも9つ年上。
始めるに年齢もタイミングも関係ない、いつでも始められると思った話。
「豊かで穏やかな生活なの。」の言葉がリフレイン。豊かで穏やかな生活ってなんだろう。

2025年1月26日日曜日

30年後。


実母、義母、アメリカの母、そしてNYの母という4人の母がいる私(なので父も4人いる)。
ただ、アメリカの母は2020年に亡くなり(涙)、実母も義母も高齢となった。
そして、NYの母も聞けば60代後半となり、NYの父も70代後半になった。

「30年も経てばなぁ、いくつになった?45歳?」と、NYの父。違います(笑)53歳です。
昨年は会えなかったので2年ぶりの再会。でも、お二人ともお変わりなく元気で一安心。

そして会えば30年の時を一気に遡り、当時の話で盛り上がる。私たちを知りたがってくれるお二人。
NYの母と父については会うたびに書いているけど、ホント、単なるアルバイトとオーナーとの関係が30年も続くって奇跡
我々の子ども達とも会ってくれて、そんな我が子も全員が成人を迎えてるって、そりゃ、月日が経つのも驚きますわな・・・という感じ。

ニュースでは知っていたけど、最近のNYは物価も高く、治安も悪くなり、行きたくても行かない方がよい場所になってるかもとNYの母。そして歴代最高齢でトランプ政権(強権)の誕生。

「良い人と会いなさい。」はNYの父の言葉。
そのためには自身も良い人にならないとならず、先日なくなったMAYAMAXXからの言葉を思い出して(確かに人は出会う人によって変わるよな・・・)と思っていると。

NYの母から「場所を西村(フルーツパーラー)に移しましょうよ。」と、美味しい中華からフルーツパーラーへ移動して、頼んだのがプリンアラモード。

4人合わせて252歳!という私たちだったけどペロリと食べて、談笑が続いたある日。
【教訓】人との出会いは大切に。30年も続くなんて当時は微塵も思わなかった。

2025年1月15日水曜日

経過報告届く。

写真は拝借した新作のサンドイッチ

縁もない鬼北町へ単身でやってきた女性がオープンしたコーヒー店「ハルシャコーヒー」の物語。

2024年10月23日に10,000円の支援(ハルシャコーヒーのオリジナルドリップバッグ)をした。
2024年11月7日に支援金額が90万円を超えて目標の100万円に近づいた。
2024年11月10日に、144人の支援者により目標金額の100万円を超えた。
最終的には156人の支援者から計1,078,000円の資金を調達された篠﨑友さん。

その後、早速リニューアルオープンに着手して2024年12月1日にリニューアルオープン!と言う経過報告が届いて、その写真から(出会った時から比べると格段の進化だな・・・)と。

当時は小さな小屋で営業をしていて、コーヒーとマフィンを提供していて、商品の受け取りは、小屋の小窓から差し出そうとする様子に、「大丈夫だよ。そんなかしこまらないで!」と、店(小屋)から篠﨑さんが出てきてコーヒーとマフィンをいただく。

そして2025年。また経過報告が届き、これまで店(小屋)の隣に位置し、本などが置かれた“離れ”を改造して居心地のよい空間にしたとのこと。
また、新たにサンドイッチも開発したとのことで、プロジェクトに共感した方々の思いを形にしているようで何より。

鬼北町へは連れて行ってもらわないと行けない(車の免許がないし、電車では行けない場所)ので、リニューアルをこの目で見るのは4月以降になる予定。

その前に、そもそも単身でヒョコッ!とやってきた篠﨑さんの“やりたい!”を応援したサムコッペの高田杏さんの懐の広さ&深さから始まった、今回の物語(プロジェクト)。

プロジェクトは一人でも進められるけど、仲間がいる or いないで加速も充実具合も広がりも影響も全然異なる・・・と思った件。

2025年1月12日日曜日

MAYAMAXXとの思い出。

“エコ”と言うオリジナルキャラを創ってくれた。

「泉谷くん、いい人になりなさい。」
「“いい人”ってなんですか?」
「“いい人”って言ったら“いい人”よ。」
つい、“正解”は何か?を尋ねてしまったけど、推察するに“いい人”と言うのは“何事にも真摯さ”がある人かな?と思ったのは2006年。

そんなアドバイスのやりとり相手は1月9日に亡くなった今治市出身の画家MAYAMAXX(享年63歳)。かねてから闘病中とは聞いていたけど・・・。

MAYAMAXXとは2005年に愛媛県美術館担当者が引き合わせてくれたのが縁で、当時の愛媛では知ってる人も少なく、でも作品はどれも好みで意気投合し「何かイベントしましょうよ!」と企画したのが環境省の助成事業として行った「ふろしき百景あしたのフロシキ展(会場:いよてつ高島屋)」。

MAYAMAXXに審査員長になってもらい「ふろしきのデザイン」を公募して、デザインを1点ずつふろしき化して飾り、終了後は応募者に差し上げた、太っ腹企画だった。

その前後には子ども達と一緒にドローイングワークショップをして、まだ幼かった長女、長男にも参加してもらったり、企画の経緯を思い出せないけど、旧伊予銀大街道支店の地下スペースで「人生相談会」をして、MAYAMAXXの人生観から悩める社会人へアドバイスしたり。

その時に言われたのが「泉谷くん、いい人になりなさい。」という私へのアドバイス。
その後、MAYAさんは出身地の今治でも活躍し、NYへ拠点を移したりして、再会したのは数年後の京都・何必館(かひつかん)。

人生をどう生きるか?何を伝えられるかって大切。
天国でもたくさん描いて欲しい。

2024年12月10日火曜日

失敗納め。


エールラボえひめ主催で「プロジェクト失敗談まつり〜失敗は宝、笑って話して、新たなチャンス〜」をオンライン&オフラインで同時開催。

このイベントは、人は成功話を言いたがる傾向があるけど、成功談から学べるコトは意外と少なく、失敗談から大いに学ぼうと言う企画。

他人の失敗談は面白い!←ココがポイント!そして自分ごと化でゾクッ!としていただくのが狙い。
「笑って話せること」も条件で、話すことで他人を傷つけてしまう失敗談は遠慮してもらった。

1番手さんからは「SOS!イベント5分前まで機能せず!」という内容を話していただき、2番手さんからは「大ピンチ!暮らしていけない」と言う内容を話していただき、3番手さんからは「愕然!自分の思い込みで大スベリ!」と言う話題を提供していただく。
*タイトルは私が話を聞いて勝手につけました(笑)。

1時間のイベント終了後はオフラインで延長戦。
残った人たち同士で互いの失敗談を共有すると「鍵を落とした。」「人を間違えをした。」「置き去りにした。」など皆さんの失敗談の告白が面白くてゲラゲラ笑い続けて腹が痛くなる。
よくぞ話してくれました。

その中で「私、失敗していないんです・・・。」と参加者。
(えっ!?)と思うも「失敗ってチャレンジの結果じゃないですか?最近チャレンジしてなかったから失敗談を話せなくて・・・。」という話に(深い!)と思ったり。
その通り。失敗は経験値の爆上がり機会、そう気づいただけでも大きな価値!

「で?泉谷さんは?」と振られて、「パトカーで警察署へ行き、お灸を据えられたコト」「損切りの結果、2000万円の借金を抱えたコト」など、ネタ化している失敗談を披露して、更に大笑いしていただいた頃は既に21時過ぎだった件。

2024年11月8日金曜日

職を辞してまで。


愛媛県官民共創デジタルプラットホーム「エールラボえひめ」には日々、色々な相談がある。
私が事業全体の「お守り」的なディレクターに着任したのは2022年。

その2022年に西予市で「子ども達の居場所づくり(≒学校)」を開校したいと相談してきたのが森野さん。
当時からビジョンは明確だったけど、何から手をつけていいか分からず「できるコト、したいコト、やらなければならないコト」などをホワイトボードに書き出して整理した思い出。

あれから2年、今では「西予市オルタナティブスクールを開校」して学校からも信頼され、スクールヘの出席=学校での出席扱いとなり大きな一歩を踏み出す。

そこへ新たな相談者としてやってきたのが“なまじ”サン。
職を辞してまでも「子ども達の居場所」を設立したいと、画一的な育みから一人一人に合わせた育み方をしようとなまじサン。

実は多くの親がなまじサンと同じことを思っていても、アイデアキラー化(≒できない理由を探して正当化)してしまう自分がいるのが普通。

「行動したい人は10,000人、行動する人は100人、続ける人は1人。」は中谷彰宏氏の言葉。
森野さんは100人の一人になった。なまじさんは10,000人の一人になった。

森野さんがここまで来れたのは自身のビジョン(描く未来)とパッション(熱量)が高かったことと、そのビジョンに共感し、パッションに圧倒された仲間がいたから。

なまじサンにも「お金よりも仲間が大事」とアドバイスしたのは、お金で多くのことは解決できるけど、仲間はお金で買えないから。

同じような「子ども達の居場所(≒ココ大付属学園)」を運営している立場としてもエール!

2024年10月28日月曜日

たかが一票、されど一票。


衆議院選挙は各地で締切後に即日開票、愛媛県でも選出、選任されてこれからの活躍を期待したい所。私は期日前投票で投票済でした。

投票率が53.84%(前回は55.93%)と低かったのは、政治への不信任、有権者の無関心など色々あるけど、現状を変えられるかどうかは“投票しなければ何も始まらない”ので、投票しなかった人には残念感がいっぱい。

たかが一票、されど一票。

愛媛の話ではなく東京の話。
大空幸星(おおぞらこうき)くんは我が子の幼馴染で26歳。
NPO法人「あなたのいばしょ」の元理事長として孤独や孤立を感じる同世代達を支援していて愛媛でも講演会があったり。
そんな幸星くんが自民党から出馬し、東京15区の小選挙区では落選したものの、比例で復活当選した。

我が子から幸星くんが政治家を目指すと聞いて、幸星くん世代(20代)の国会議員って(色々な理由があると思うけど)いないと初めて知る。

若いから色々と詮索されたり、勝手なイメージをつけられたりなどあるけど、若い政治家にはこれまでの良い所は続け、良くない所は改善して欲しいが願い。

そして、この機会に若い人が政治に興味を持ち、自分たちごと化してくれたら・・・が願い。
じゃないと、どう考えても日本はジリ貧だから。

幼稚園から知ってるからね・・・感慨深い。

2024年10月26日土曜日

Life is a tragedy when seen in close-up, but a comedy in long-shot.


「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見ると喜劇だ。(“Life is a tragedy when seen in close-up, but a comedy in long-shot.”)」
と、残したのは喜劇王チャールズ・チャップリン。

「人生訓は何ですか?」的な話になると、必ず引き合いに出す言葉で座右の銘?と同じ?
「人生は凹凸」「振り返れば笑い話」も同意語な感じ。

目の前で起きたコトは“大きな点“と思うけど、遠く(≒時間が経ったり、意識を変わると)から見ると、人生において“小さな点”でしかなかったり。

目の前で大失敗をしたり、冷や汗をかいたり、絶望感を味わったり色々としたけど、今は笑話として紹介しているのだから「死ぬこと以外かすり傷」は編集者、箕輪氏の言葉(かすり傷も痛いけど)。

鬼北町に行くと(用事がなくとも)必ず訪れるサムコッペさん。
相変わらず笑顔でウェルカムしてくれる。

だけど「そう!大切なお話が・・・」とあり「ナニ?どうしたの?」となると、サムコッペさんで出していた“こはく製菓”のケーキ販売が10/26で終了とのこと。

「えっー!」となるも社会情勢や経済事情で暗中模索五里霧中な世の中。影響は避けられないと。それにより店長のノンさんも一区切りの予定。

サムコッペさんだけでなく、遠く感じていた物価高、働き方改善、人口減少などが都会から地方にもジワリとやってきて色々な影を落とす。

しばらくは苦しかったり、悶えてしまうけど、「ピンチはチャンス」と、いつか笑えますように!と言う言葉もある。

お約束の写真を撮った時に(色々あるけど)悲壮感を感じなかった件。

2024年10月21日月曜日

九州縦断編終了。


柳川FC(柳川市)→くまもとFC(熊本県)→くまもとシティFO(熊本市)→宮崎FC(宮崎県)→鹿児島県観光戦略推進課(鹿児島市)→かごしまFO(鹿児島県)と、九州を上から下へ縦断した出張。佐賀県と大分県へ行けなかったのは心残りだけど、またの機会に。

「直接、お会いして話せて良かった!」は全てのFCからの感想で、私も同じ。
ジャパン・フィルムコミッションの理事長ではあるけれど、撮影支援を行う地方フィルム・コミッションの一人としては同じだから可能性も課題も同じ意識で話せるのは大きい。

全ての用務を終えて鹿児島空港へ移動し、SPの様子を見ながら荷物検査を通り、ラウンジで振返り。
鹿児島空港↔︎松山空港便は一日一往復しかなく、出発は18:50が使用機到着遅れと詫びのアナウンス。個人的には作業が続けられたのでOK!だったり(そんな時もあるさ。)

で、飛行機へはバス移動とのことでバスに乗ると、グルリと回って“ほぼ元の位置”に戻り、ざわついたバス内。なぜなら、バスに乗る際に見えていた目の前の飛行機が搭乗機だったから。
直線にしてわずか30m程度、0分もかからない距離だけど「歩いてはいけないルールですかね?」と、見知らぬ人との会話。コントのよう。

そして、飛行機は前方からではなく後方から乗るタイプで初。
荷物を棚に入れて席についたら「泉谷さん!?」と声をかけられて驚く。
隣席は偶然にもNHK松山放送局の宮本アナウンサーで、J2サッカー、愛媛FCの試合を放送してきたとのこと。以前、彼女が司会を務めた番組で一緒させてもらった。

最後まで話題に事欠かなかった出張。松山空港に到着したのは20時過ぎ、外は大雨だった・・・。

2024年10月1日火曜日

ひと。


最初に訪れてくれたのは元名古屋ロケーションナビの担当者。今では昇進に昇進を重ねて重役を担っている方。

そして「聞いてください!撮影支援したのにクレジットにFC名が掲載されなかったんです!」と信じられない制作側のミスを嘆いてきたFC担当者。「そんなコトありえないよ!」と驚く。

その後は元せんだい・宮城フィルムコミッション担当者。今は別部署に異動になってしまったけど、無理難題の撮影を一所懸命受け入れてた。(上役になって)戻ってきてね!となる。

「お疲れさまー!」とやってきたのは3カ国語を操る堺フィルム・コミッション担当者。普段はFC担当だけど、大きな出展には応援要員とのことで、激励にきてくれる。

そして徳島ロケーションサービスからは、今年4月に着任し、認定研修にも参加するなど積極的な担当者。つい先日も「一緒に!」と県境のロケ候補地を提案したところ。

伊勢志摩フィルム・コミッションからも担当者が訪れてくれて近況を共有したり、また別の旧知の担当者からは県内でFCの設立を検討している地域の担当者を連れてきてくれたり。

10年ぶり?だったかもしれないのに、声を掛けてくれたのは「しまなみJAPAN」に出向中の方。「しまのわ」でお世話になり、楽しかった思い出。
あの頃からお互いに色々背負い込むことが多くなりました。

2016年の「ふるさとグローバルプロデューサー」で一緒に学んだ仲間とも再会。出稽古の縁とはこのこと、本当に不思議。

他にもFCのOB&OG担当者らが「居るって聞いたもんで!」と訪ねてきてくれる人がいたり、こちらから出向いたり、新たに繋いでいただいたりと大感謝の一言。

全国に仲間(同志)がいるって素晴らしい。

2024年9月26日木曜日

大切なコトは映画から学んだ。


「スター・ウォーズの面白いところ?その昔、遠い宇宙のどこかで繰り広げられてた冒険活劇のワクワク感かな?」
「えっ!スター・ウォーズって昔話なんですか?」
「そうだよ、A long  time ago,far far awayって冒頭に登場するよ。」
「知らなかったです。」は、スター・ウォーズを知らない人との会話。

「ニューシネマパラダイスから何を学んだかって?」
映画を通した人生訓じゃないかな?実話ベースの物語だから響くよね。」
「実話なんですか?」
「そう、監督自身の実話をベースにしてるみたいだよ。」
「へー」
「涙なしでは観れないよ。」
「泉谷さん、よく泣きますよね。」
「・・・。」

近くて遠く、時に厄介だけど愛しい家族愛に勝るものはないだね。」
「何ですかそれ?」
「どんなに困難な状況でも最後は愛が勝つ(救う)って感じ」
「愛ねぇ・・・。」
「家族を持つと分かるよ。」

「そもそも、映画から人生訓って得られました?」
「たくさんあるよ!」
「例えば?」
「この世の不都合な真実、不条理、人間の欲や暗部、生きる意味とか。」
「暗くないですか?」
「そうじゃないと物語は進まないでしょ?」
「確かに。」
「でも、一部の作品は救われるし、一部の作品は救われない。それが現実というのも学べる。」
「面白いですか?それ?」
「結局、人間讃歌かもしれないね。」
「人間讃歌?」
「何があっても生きていくことを肯定する。生きることを讃えること。」

ニヒリズム(虚無主義)のペシミスト(悲観論者)だからこそ、不完全で曖昧な人間という生き物に希望や可能性を見出したいのかもしれない。

2024年9月16日月曜日

交差するご縁。


「泉谷さんのブログ、読んでますよ!」と、旧鈴木邸のオーナー岡崎さん。「ありがとうございます!」「最近、響いたのは“お金大事”の内容でした。
ほんと、その通りですよね。全くお金に余裕ない・・・」と彼女。

名刺交換の際に「Facebookをいつも拝見しています!」と参加者。
「いつも面白いコトされてるなぁ、と思ってるんです。」とお褒めいただく。
「どんな人なのかなぁと思ってました。」と続き、「こんなんですよ、ありがとうございます!」となる。

そしてライフプランセミナーが始まってすぐに3人のお子様連れの参加者が私の後ろに座る。
座敷だから座布団が必要と思い、差し出して参加者の顔を見ると(どこかでお見かけした顔だな)と思うもセミナー途中だし、そのままにしておいて意見交換の時間になったら・・・。

「泉谷さんですよね?七折小梅の大内です!」に脳みそハードディスクが超高速で駆動し(確か、渡部さん・・・そうか!渡部は旧姓で結婚されて大内さん!)と合点し「えっ〜!ホント!!」となる。

大内さん(旧姓:渡部さん)とは、2015年に行ったココ大499回目の授業「赤いダイヤ・青いダイヤ」で知り合い、それ以来だから9年ぶり。

今では4人の子どものお母さん、七折梅の農家としても活躍していて忙しい日々を過ごしているとのこと。
うーむ、9年も経てば、それぞれのライフステージも変わるよね。
「今日のセミナーは?」「白石さんのお子さんとウチの子が同じ保育園でして」「そこでも繋がってんだ!」と驚き2回目。

ご縁って交差する・・・とはこのこと。

みんな大好き白石さん。


ソフトタイムでの三津浜焼きで満腹感を得て、港山城跡+三嶋神社+三津の渡船で好奇心が満たされ、鈴木邸の中庭剪定ボランティアのお礼におはぎを食べて達成感を味わい、既に「やり切った感でいっぱい」だったけど、やっとライフプランセミナー開始!

ゲスト講師は白石華子さん。知る人ぞ知る方で7人の子宝に恵まれ、旦那さんは県外に単身赴任中なので成人したお子様もいるけれども、末っ子はまだ3歳というワンオペで子育て真っ最中の白石さん。
参加者も白石さんということで、(色々と聞きたいっー!)と言うオーラで覆われた旧鈴木邸。

「特に大家族を意識したつもりはなく、ごく自然に7人になった。」「子供に良かれと思う先回りはしない。」「自分の時間も確保している。」「何事も“死なない程度に”ほどほどに」など、参加者が想像していた回答の斜め上(≒達観)をいく白石さんに興味関心が増す参加者。

「自分時間確保に昼食時間に10分かけてチョコザップへ行き、20分運動して、10分で戻り、昼食は20分=60分」などの白石流時間の使い方を聞き、(そんなコト、本当にできるんだ・・・)とムムッーとなる参加者。

すっかり白石さんの暮らし方、子育て方針、生き方に魅了された参加者。
予定を一部変えてしまったけど、参加者の満足度はとても高かったと思う。

終了後も立ち話が続き「で、どちら様ですか?」的な雰囲気で私に気づく参加者。
そうだよね、実は私の自己紹介は一切しなかったし、最後に総評だけしたから怪しく思われも仕方がなかった件。

「泉谷さんは、お守り的な存在(≒居るだけでワークショップは安心)です。」と言われてしまった。

2024年9月6日金曜日

人のふり見て。


強制的に「自分の生き方」について振り返る、考える機会となっている「ライフプランセミナー」。次回は三津浜編。

私自身も伝えながら参加者と一緒に資料に書き込んで同じ目線で共に学ぶ・・・と、やっぱり“世間一般”とは違う道のりだったと身に沁みて感じる(それが良いか悪いかはなく、本人が納得していればOKと思う、私は納得している。)

“これまで”は過去なので変えられない。だけど“これから”は変えられるから“今”から変えていこうとなるも、描いた未来へは一直線では行けず、蛇行アリ&凹凸アリという話。

「これから変えていくぞ!」と意気込んだ矢先に不幸が舞い込んだり、希望が見出せたり、予期せぬ出来事に遭遇したり、社会情勢が変わってしまったり・・・など、色々なことが重なってしまうコトは意外とある。

でも、頑張らなきゃ!と踏ん張るも色々な事柄が一気に覆い被さって、前にも後ろにも横に動けず、心身疲労でダウンしたり。経験者は語る。

まさに、そんな人がいて「人生のターニングポイントですね。」となる。
色々なことが重なったことで、色々な選択肢ができた(はず)。

「進む。立ち止まる。休む。止める。別に始める。など」色々と重ならなければ、前にしか進めず玉砕だったかもしれないと考えると、「良い機会を得た。」と思うのも吉。

全てを叶えることもできないから、気持ちというか意識の断捨離、整理整頓が必要かもと自分にブーメラン。

本当に起きた話。


愛媛県職員を対象にした研修も3回目。
第一章が終了した休憩時間に教壇へやってきたのは民間採用枠で愛媛県庁に転職したAさんBさん
仕事や授業などで昔からよく知っている二人、これまでの経験を活かして愛媛県を導いてほしいと伝える。

第二章が終わり二回目の休憩に入ると、今度は男性が一人でやってきて名前を告げてくれ「15年前にインターンシップでお世話になったCです。覚えていらっしゃいますか?」と言われて、「オォーー!Cくん!?」と声を出してしまう。

彼も民間採用枠で転職した愛媛県庁に転職した一人でインターンシップ当時の印象(まちづくりの可能性など)が強く残り、某市の公務員になったものの愛媛県で働きたい!と戻ってきた。

そんな彼は当時のインターンシップ資料を見せてくて「大切に保管してました。」とのことで、ウルッ!とくる。

インターンシップって1-2週間の出来事なのに、その時に受けた印象や気づきが将来に影響を及ぼすって・・・と言う感じ。

そして研修終了。その前に名簿を見ていたら、(もしかして・・・)と言う名前を見つけていて、でも人違いだったら申し訳ないな・・・と思い、教室を後にしようとしたら「泉谷さん、Dです。」と声をかえてくれた4人目!

なんと、小学生の時にココ大の授業に参加してくれた、元同僚のご子息で愛媛県庁に就職されていた!「えぇーーーー!Dさん!?」となりビックリ仰天とはこのこと。

するとAさん、Bさん、Cさんも現れ、研修所の所長「すっ、すごい。どんな人材育成したんですか?」となり「いいえ、特に何もしてません。」

でも、これまでの取り組みが間違えではなかった・・・と思ったのは事実。
写真は今夏にインターンシップに参加した学生からのお礼、また彼女たちとも交わるかもしれないと思うと楽しみ!

2024年8月20日火曜日

善(ZEN)&縁(EN)。


18時までのココ大付属学園が終われば、次は夜の仕事(笑)。オンラインで仕事ができるコトは本当にありがたい。

特に8月は「夏休みの中は子ども達優先だからNGですよね。」と、周りの理解と協力もあり、日曜日 or 夜に対応。

先日、熊本県天草町のDX推進業務委託に採択されたZENTECHの鈴木直之さん。
鈴木さんとの出会いは、数年前に彼が大阪から愛媛に移住したばかりの頃に、同じく一足先に移住してきた高田さんからの紹介で、それからの縁。

当時からZENの可能性を語ってくれて、でも形にはなってなく、でも話してくれたことで記憶に残り、節目節目で繋がっていた縁。

そして今回、エールラボえひめでも支援していて、久しぶり!となる。ちなみに、この時は天草町のDX推進業務採択の結果前でドキドキされていた。

明らかにターニングポイントで、挑戦する人には必ず訪れるチャンス。
チャンスは一回しかないと思う人もいるかもしれないけど、実は何回もあり、ただその機会を逃していることの方が多いが事実。

一方で1回のチャンスが次のチャンスを呼び込み、良い方向へゴロゴロ転がってゆくこともあるのを身をもって知っている。

腑に落ちることが多く、好みの偶発性理論だけど、形のない善と縁が形となって価値を創出する機会がやってきた!面白い機会に立ち会えたのも偶発理論の実践の賜物かも!

2024年8月17日土曜日

自分たちの居場所。


松山大学からのインターン生、コハルさんが一区切り。子どもが大好きというコハルさん、子ども達に寄り添ってくれました。

写真はある日の様子で、問題の解き方が分からないという子に丁寧に教えてる様子。
コハルさん、大人気で一区切りと知った別の子は、日中は欠席していたのに、わざわざ駆けつけたほど。人徳がある人はいい。

この日は2022年にココ大付属学園インターンとしてくれたOGのモユさん、サイカさんもボランティア参加してくれてワイワイ。

彼女達は社会人になっても参加してくれていて、「その後は調子どう?」と、新社会人の日々について、余計なお節介をするのが役目(と勝手)に思ってる。
「気分転換、息抜きです。」と、言ってくれる彼女達に感謝なのは私たち。

するとそこへ参加者のOG(中一生)が遊びにやってきてワイワイ。わざわざ訪れてくれるって嬉しいし、自分たちの居場所と思ってくれてるなんてジ〜ンとくる。

その他に中学生ボランティアのセイタくんも春休みに引き続き今夏も参加中。
低学年の相手をしてくれるし大学生とペアを組んでも遜色ないし、ありがたい存在。

最後、就職が決まった松山東雲女子大学のインターンOGから連絡。「一日だけでもボランティア参加したい。」とのことでウェルカム!

自分たちの居場所と思ってくれるって本当に嬉しい。

2024年7月19日金曜日

私たちはどう生きるか?


ひょんなコトで中学時代の友人に連絡をすると「(中学時代の同級生と)墓参りをしてきたよ。〇〇さんって覚えてる?」と尋ねられ、「ごめん、覚えてない・・・。」となる。

そもそも、“友人が墓参りへ一緒に行ったという中学時代の同級生”も覚えてる人がいたり、覚えていない人がいたり、一緒に過ごした仲とは言え、記憶は曖昧を痛感。
他にも中学、高校の同級生で既に亡くなっている方はいるようで早すぎる逝去に合掌。

「恋は五・七・五!」で俳句甲子園を目指す高校生の話(映画)で、2004年に松山市で撮影された映画。物語で中村靖日さんはライバル高校の学生の一人で、この時、既に30歳頃で学生姿に「いやぁ・・・」と照れ笑いしてた撮影現場。
規模も大きくない作品だったので、キャストたちとも距離が近かった撮影現場。
2024年7月11日に逝去。51歳。

渡米して最初に見たドラマは「ビバリーヒルズ青春白書」で、出演していたキャストたちの美貌に(さすがアメリカ、ハリウッドだなぁ)と別世界を感じた19歳。
その中でシャナン・ドハーティーは印象的だったけど、2024年7月13日に逝去。53歳。

ほんと、“その時”はいつなのか自分にも誰にも分からない。ある日、突然ということもあり、精一杯過ごせたらいいね、となる。
ラオウも言いました「我が生涯に一片の悔いなし」。