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2026年6月16日火曜日

中高生の居場所(ユースセンター)をつくりたい。


NPOくすくすの桑原さんは元中学校の体育の先生。知り合ったのは3年前。

「エールラボえひめ」で、資金調達講座をした時に「これから活動を始めたい。」と言っていて、その後も資金調達講座に参加してくれ、個別相談会にも参加してくれて助言すると実行して、見事に助成金を獲得。活動に勢いがつく。

子ども(我々は小学生、くすくすは中学生以上)
を対象にしていたから、ココ大付属学園のメンバーにもなってくれて、付かず離れずのご縁。

この2年間で着実に歩み続けた結果、意思もビジョンも明確になったので、新任係長対象の共創事業検討機会のゲスト講師として招き思いの丈を語ってくれる。

今回取り上げていただきたい共創事業は、『MYPP(まつやまユースプレイスプロジェクト)』です。
中学生以上が、「居たい・行きたい・やってみたい」と思える居場所をユース自らが作るプロジェクトです。


MYPPでは今後三年間で、ユースの居場所の常設化を目指しますが、そのために必要な資金がありません。
本年度の財源は補助金を活用予定です。

常設の場合、固定費や人件費など、多くの支出が見込まれますが、そのための資金調達の方法がわかりません。


『子どもの居場所づくりに関する調査研究報告書概要(令和5年3月/こども家庭庁)』によると、地域のつながりの希薄化や少子化により、子ども・若者が地域の中で育ち合い、学び合う機会の減少が指摘されています。


また、孤独・孤立への不安、不登校、自殺など、子ども・若者を取巻く課題は複雑化・複合化しており、一人ひとりの状況や要望に応じた居場所づくりの重要性が示されています。今後、価値観の多様化がさらに進むにつれ、受入れる環境の充実に、こども・若者の多様な居場所が求められています。

 

一方で、子ども・若者の居場所となる資源は地域間で偏りが大きく、特に過疎地域においては、子ども・若者が利用できる場の絶対数が少ないことが課題としてあげられています。

 

松山市内のNPOなどにより、フリースクールや子ども食堂、休日子どもカレッジなどの居場所づくりが行われていますが、多くは小学生以下が主な対象で、中高生世代が対象の居場所は限られています。

特に思春期の中高生世代は、家庭や学校以外に安心して過ごし、自分を表現できる場を必要としているにもかかわらず、その受け皿が十分とは言えないのが現状です。

(そうなんだ・・・家も学校も居心地が悪い中学生、高校生は意外と多いんだな。)と、学校の先生という現場で感じていた違和感を放置せずに、自ら立ち上がった姿勢に、新任係長たちは相槌を打つ人もいれば、私と同じく(そうなの!)と驚いた表情の人もいて、その後、桑原さんは引っ張りだこに。

2026年6月10日水曜日

餅は餅屋という話。


『餅は餅屋(=何事も自分で抱え込まず、詳しい人にお願いしたり相談したりするのが解決への近道という諺)』。

興味関心はあるのだけど、知識がゼロ。
だからと言って、今から詳しくなろう・・・と言う気は“まだ”ない。
なぜなら周りにプロや詳しい人がいるから。困ったら人に相談するのが一番。

と、言うコトでポーランドから購入→税関を通り、我がアパートに辿り着いた「リサイクルフィラメント製造機(ペットボトルから3Dプリンターのフィラメントを製造)」。

一先ず、開封したけれど基盤、モーター、ランプなど色々な電子部品を前に(あぁ、これは佐伯さん案件だ)と箱を閉じてしまった。

余談だけど、購入した製品は「キット(部品)」で、選択肢には「組立済版」もあったけど、
「組立済版」の方が200ユーロほど高かった。

「ブツを持ってきました!」と佐伯教育技術研究所へ持ち込むと喜んでくれる佐伯さん。
“こういう所”だと思う。好きな人って、好きや得意なコトを目の前にすると、顔がほころぶ。

「これを買ったと言うのはスゴいな。松山で聞いたコトないですよ。どれどれ、ふ〜む。まぁ、海外のって説明書があっても、その通りにできないし、部品の過不足とかもあるけど、何とかなるでしょう。」という余裕さに安堵。

そして、早速、組み立ての様子を送ってくれる。
そうそう!そんな感じでした!とお礼の返事。

教訓「自分が苦手な事も他人とっては得意なこともある。また、その逆も。」

他にも私は税務、会計が苦手なので、つい後回し放置してしまうので、その辺りの業務は一切の全てをココ大の理事である柳井税理士に任してる。
アウトソーシングとも言うけど、これによって私が集中すべきコトに専念できる環境が確立される。

ちなみにウェブ関連もできないので、運営保守管理は同じくココ大理事のアービンズ松本さんに一任してる。

全部一人で抱え込まない。
相談できる人、詳しい人を知っているかどうかはNPOにとっても重要なこと。

2026年6月7日日曜日

2回目のmarugo.coffee.stand

プレーンマフィンとアイスコーヒー

先週に引き続き、土曜日の7時30分。
朝散歩は終えていたけど、延長でmarugo.coffee.standへGO!

到着すると、お客さんがテイクアウト品を待っていた。
なので、この日は2番目の客。

今回もクイック(予め用意してあるコーヒー。他には一杯ずつのコーヒーなどがある)のアイスコーヒーとマフィン(前回はあずきマフィンだったけれど、今回はプレーンマフィン)を注文して700円。マフィンは、ほんのり甘くてコーヒーに合う。
ちなみに、写真の美味しいマフィンは、ご友人が作って納めてくれているとのこと。

前回はオープン当日だったから、7時30分からワイワイにぎわっていたけど、この日は静かだったので店主としばしのお喋り。

「ウチは“こだわり”もありますが、“訪れのしやすさ”の方がいいですね。」
「特別なコーヒーじゃなくて日常に溶け込むコーヒーがいいですね。」
「長く続けるためにも肩肘張らず、定休日も最初から設けています。」
「妻に負担がかかりすぎないよう、そこは気をつけてます。」

など、いろいろ話していると、そこへ息子くんと奥様がお出かけ。
お互いに知っている間柄なので挨拶して、「行ってらっしゃい!」とアイスコーヒーを飲みながらお見送り。

「こういうの、いいですよね。」と、おもわず店主。
ご自身も商売をされていた両親の下で同じような子供時代を過ごしたようで、商売と暮らしに良い意味で境界がなく、地域に溶けこんでいる日々。

20分ほどだったけど、ゆっくり過ごせたいい時間。
で、気づく「これ、毎回、プラカップで提供してもらったら、もったいないですよね。マイカップを持ってきてもいいんですか?」と、2回目ですでに常連気取り(笑)

「実はマグカップでのご提供も可能なんですよ。」と、お店ではマグカップも常備とのこと。
「なんと!じゃあ、次回はマグカップでの提供をお願いします。」

もう、また土曜日に来る目的ができちゃったじゃないか!と、一週間頑張ったのご褒美として楽しみが増える!

2026年5月31日日曜日

一番客、いただきました。


あれから4ヶ月余り。
朝散歩コース沿いなので、お店が完成する過程を見守ってたコーヒースタンド『marugo.coffee.stand』が、5月30日(土)7時30分にオープンした。

(朝散歩にちょうどいい時間!)と思い、オープン時間に合わせて訪れると、未だ誰もいなく、ドアが開いていたので「おはようございます!来ました。」と店内に入ると、(まさか!インチキ先生!?)という表情で迎えてくださった、店主と奥さま。

「朝散歩ですね!」と店主。
実は店主とは松山城へあがる散歩時に時々会っていて声をかけてもらっていた仲。

「一番目のお客様です。」とも声をかけていただき光栄(狙ってた訳じゃなかったけど)。
説明を受けると、コーヒーには「予め用意しているホット&アイスコーヒー(クイック)」と「一杯ずつ入れるホット&アイスコーヒー(ドリップ)」の2系統があり、クイックを注文。

そしてマフィンもあるとのことだったので、オススメを伺うと「あずきマフィン」を薦めてくれたので選択。

アイスコーヒー(400円)と、あずきマフフィンで合計750円。共に税込。

ちょうど、散歩の帰り道だったこと、イートインスペースもあったので休憩も兼ねると、アイスコーヒーの冷たさと美味しさ、ほんのり甘いあずきマフィンの美味しさが沁みて満足な一時。

すると、カメラを持った方、家族連れ、友人同士などのお客さんが次から次へとやってきた!
皆さん、この時をまっていたんだな・・・という感じ。

初日って、気忙しくなるから気を使わせないようサクッ!と食べて、「美味しかったです!また来ます!」とご挨拶して退散。

応援したいお店がまた一つ誕生!
家族にも『marugo.coffee.stand』のことを伝えると「今度、私も連れてって!」と妻。

2026年5月25日月曜日

色々な人がいる。

大きな梅が実る乾門付近の梅の木

週末になると張り切る人。そして、休日だからといって寝坊もできない人。
いつも通りに起床。週末だから気分を変えた朝散歩しようと、松山城山頂広場を目指す。

日曜の5時過ぎは周辺も静かで平日と違う雰囲気が好き。
松山城へのルートで唯一整備されていない獣道な古町道をあがり続ける。

乾門側に到着して、息を整えながら歩いていると、向こうで前のめりにしゃがみ込んでいる人が見えた!

(えっ!ナニ?どうしたの?)と、しゃがんでいる人は動かない・・・。
(病人?気分が悪くなった人?)と思い、近づいて「大丈夫ですか?」と声を掛けると、無言で私を見上げたのは、オバさんでした。

オバさん、何を言われているのかサッパリだったようで、私もオバさんをよーくみると、軍手姿の左手にはビニール袋を持っていて右には何を持っていて「何ですか?それ?」と尋ねると「梅」と一言。

知らなかったけど、乾門の手前に植えられている木々には梅の木があり、落ちた梅を収穫してたオバさん。

「へぇー!」と驚くと、「兄さんも取るかい?」と声を掛けてくれたものの、「いいえ、大丈夫です。」と丁重にお断りする。
その後も「先週は七折(砥部町)の梅に行ったが今年は少ない。」など、オバさんと5分ほど立ち話して、先を急ぐ。

家族に生存確認の写真を送り、今度は県庁裏道を下りると「野良猫にエサをあげているオバさん」を発見。近くに来ると背を向けるということは、何かやましいことをしてる意識があるのかな?

「エサをあげるなら糞の始末も一緒にしてほしいですけどね。」と以前、松山城担当者の言葉を思い出す。

そして、城山公園に到着して、いつもの散歩コースに戻ると、今度は「ハト群を率いているオバさん」がいて、ハトの一団は飛ばす、オバさんの後ろをトコトコ付いて歩いてた。初めての光景。

優しさなのか?エゴなのか?それとも違うのか?という感じ。
(自分を含めて)色々な人がいる。

2026年4月26日日曜日

朝からハッスルしたら。

松山城山頂広場はスッキリ晴れてた!

週末だからといって、寝坊できない体質。
いつも通りに5時起床、天気予報を見ると“晴れ”に(よし!松山城にあがるか!)となる。

ただ、せっかくなら朝日が上がった方が山頂広場からの眺めはキレイなので、30分ほどメール作業などの時間調整をして出発。

途中までは普段通りのコース、城山公園の入り口で愛媛県庁裏の急坂コースを選び、ゼーハーゼーハー、息も絶え絶えにあがる。ほんと、ココの傾斜はスゴい。
途中にすれ違う人と挨拶を交わすのだけど、挨拶になっていなかったと思う(笑)

ロープウェイ乗り場に到着して、そのまま更に坂をあがり、6時前に松山城山頂広場に到着。
山頂広場には数人の観光客が既にいて、(時間を有効に使う人たちなんだ!)と勝手に親近感を持ち、家族に「松山城山頂広場からの眺めです。」と撮った景色を送る。

そして、写真のヨシアキくん像を前にした松山城の写真を撮ったら「おぉ!おはようございます。」と声がかかり、???と、声が聞こえた方を見たら、松山市役所時代にお世話になった大先輩でした。

「お久しぶりです!お散歩ですか?」
「そう、気持ちええな〜。頑張っとるか?」
「えぇ、相変わらずです。ホント、気持ちいいですよね!お気をつけて!」
と、短い挨拶だったけど、声をかけてくれて感謝。

そのまま、松山城を横目に乾門から古町道へ。
古町道は舗装されていない、ガタガタの道。

特に下りは落ち葉などで足を滑らせる可能性があるので、ヨチヨチ歩きしていたら、下からサングラス姿の人が上がってきたので、避けようとしたら「こんな所で!」と声を掛けられる。

???と思ったら、先日、公務員を卒業して5月にコーヒー店をオープンさせるKさんでした。
「オープンを楽しみにしてます!」と伝えて挨拶を交わす。
お店は、marugo.coffee.standです。

そして数分後、今度もサングラス姿の人があがってきて、「あぁ!泉谷さん!」と、親しく声をかけてくれたのは、マンダリンパイレーツのキャプテンを勤め、今は松山東雲女子大学で働いている林さんだった!

「100個の(登頂記念)スタンプ目指してます!」と意気揚々に上がっていった林さん。
朝、1時間ほどの間に知り合いに3人会い、(なんだかラッキーだぞ!)と思ったのは言うまでもナシ!

2026年4月25日土曜日

若い才能を応援する大人っていい。

Silly Days

ひょんなことから「ココなんですよ。」と紹介されたのは、何度も通ったことのある通りで見覚えもある。
だけど、ココがライブハウスとは気づかず、毎回通り過ぎてた。

でも、立ち止まって、よーく見ると「Duble-U studio」と表記があり、階段を降りると、そこはライブハウスの特徴かな?ステッカーがドアにたくさん貼ってあり、ドアを開けた瞬間に【爆音】が漏れ聞こえる。おぉ!これぞ、ライブハウス!

ドアを開けた瞬間、会場の奥ではドラムとギターを演奏している方がいて「???」という顔をされて演奏中止。

「スミマセン、写真を撮らせてください。」とお願いすると快諾いただき、演奏再開&爆音再開!
爆音だから、案内してくれた井上さんの声が聞こえず耳元で大声で喋ってもらう(笑)

「この子たちはまだ10代です!」と指さしてくれたのが壁に貼ってあった新聞記事で「Silly Days」というバンド。記事に載っている演奏者が目の前にいる、なんだかいいね!

「ココでデビューや経験を積んでファンを増やして、大きなライブハウスで演奏するのが目標みたいな感じです。」と井上さん。
ちなみにDuble-U studioでは100人ほどの観客が収容できるとのこと。ここに100人は熱い!

「若い子たち(≒若いバンド)を応援したいんですよね。活気というかバンドの持つ熱さを保ちたいですよね。」的な発言に、こっちまで熱くなってしまう。
そういう応援って大人だからできる役割。

バンド、ライブなんてご無沙汰。ロケ候補地として紹介をいただかなければ足を運ぶ機会はなかったなと。

思い出せば「ジャパハリネット」の「帰り道」という曲のプロモーション撮影を伊予市の翠小学校でさせてもらい、教室の窓ガラスが重低音でビリビリするほどの爆音演奏だったな。

井上さんに紹介のお礼を伝えて、去って気づく(あっ!Silly Daysのサインをもらうの忘れてた!)若い人の応援をする大人っていい!
ロケ候補地にライブハウスを登録するの、初めてかもしれない。

2026年4月4日土曜日

ありがとう!ナナさん。


先日は、松山東雲女子大学生だったモッさんが、就職(保育士)を機にココ大付属学園を卒業した所。

他にも昨年、一回生で「ボランティア論」を履修したナナさんという学生もいて、昨夏のココ大付属学園のボランティア体験を機に、冬編にも参加してくれて、春編では7日間も参加してくれた。

刺さってくれて嬉しい&ありがとう。という話。
動画を見る、映画を見る、本を読む、買い物をする、アルバイトをする、ボッ〜とする、食事に行く、何もしない・・・など、色々な選択肢がある時代。

さらに言えば、コスパやタイパ、ギブ&テイクのような“見返り”が求められる昨今において、ボランティア活動は、時に非効率的、非生産性、分かりにくい見返り、やりがい搾取などと揶揄されることもある。

でも、そんなコトに関係なく、気にせず参加してくれるのだから、刺さったとしか思えない/思いたい(笑)。

ナナさんに尋ねると将来の働いているイメージは児童厚生員を描いていて、あぁ〜となる。
他にも様子を見ていると・・・。

・弟がいるから、年下との接し方に慣れている。
・子ども達から見たらお姉さんという存在。
・男子、女子、年齢、学年を問わず優しく対応。

のように見えて、子ども達に好かれる要素満点。
「インチキの授業を受けたなんて信じられない!」と言われる私。
ボランティアに来てくれるということは、刺さっていると自負したいのですが・・・。

新学期が始まる前日、それも終了時間まで居てくれたものだから、「ナナ!夏に会えるよね?来てくれるよね?」となる。

「そうだね、また夏に来たいな!」と行ってくれるのだから、こうして書き残したいわけ。

2026年3月31日火曜日

冨永昌敬監督と。

ポートフォリオをいただく。

帰省するから会いませんか?と、連絡をくれたのは冨永昌敬監督。
1975年愛媛県内子町出身の映画監督。

『亀虫(2003年)』「パビリオン山椒魚(2006年)』『パンドラの匣(2009年)』『乱暴と待機(2010年)』『ローリング(2015年)』『南瓜とマヨネーズ(2017年)』『素敵なダイナマイトスキャンダル(2018年)』『白鍵と黒鍵の間に(2023年)』『ぶぶ漬けどうどす(2025年)』などが監督作品。

冨永監督とも知り合って長い。
記憶が正しければ、えひめFCが立ち上がってほどなく、愛媛県に縁ある映画人に会いに行こう!と、お会いした一人。確か新宿であったような。

同世代ということもあり気が合い、その後も交流を続け、プロデューサーを務めた「第一回愛媛国際映画祭」でお招きしたり、サダワン(佐田岬ワンダーコンペティション)では委員長が冨永監督、私は委員として参加したりと、仲良くさせていただいる。

そんな冨永監督は脚本家でもあって、映画人の育成に注力したいとのこと。
ほんと、その通り。AIの台頭により、映像表現は格段にあがったけど、そもそものアイデア、着想、構成が物語根幹。

「愛媛は“えひめ国際映画祭”、“えがお感動ものがたり”、“サダワン”など創作に適した素地、可能性を感じるからチャンスと思うんです。」と監督。

同感です。
折しも、先日の西山将貴監督の『インビジブルハーフ』は愛媛県文化振興課の主催。
映画&映像作品に関心がある愛媛県と思い対し、国もコンテンツ事業に注力している。

事業をする際に、もっとも重要なのは予算も大切だけど「誰がするのか?関わるか」ということ。

さて、誰に繋ぐのがいいだろう?と。
愛媛に縁ある映画人を繋ぐのが役目でもある私!

2026年3月30日月曜日

まさか、こんな日が。

左が2022年、右が2026年

まさかのまさか、こんな日が来るとは思ってなかったから、慌ててハードディスクの中にあった画像を探す。

すると、2022年の夏休みのお盆ウィーク。
当時はココ大付属学園2年目。インターンシップ生を受け入れて、この時は聖カタリナ大学生、松山大学生が参加。

記憶が正しければ、この時は参加者が一人しかいなかったので「皆んなで松山城に行こうか!」と古町道を上がり、記念写真を撮って帰る。
その時の記念写真が左。

その中の一人に「モユさん(右)」がいて、彼女はインターンシップが終わってからも、ボランティアでココ大付属学園に参加してくれるようになる。

卒業時も連絡をくれて、社会人になっても時間を作ってくれて毎年参加してくれる(涙)。
今春も参加してくれて、“あの写真”を思い出す。

と、言うのも“あの写真”に写っている小学生の子は当時(2022年)は2年生、あれから4年が経ち、先日、小学校も卒業して3月31日でココ大付属学園も卒業する。

身長も伸び、体格もガッチリして、当時の幼さと比較したくなったわけ。
案の定、4年前はモユさんと比べても低かったのに、今では同じくらいの身長に、これぞ成長の証。まさかのまさか、こんな日が来るとは思ってなかった。

モユさんも社会人2年目で、忙しく働いている様子に感慨に浸っていたけど、私たちも4年の時を重ねていた(爆)
果たして私たちも成長しているのか?それとも衰えているのか・・・。

時や経験を積み重ねると、思い出やエピソードも加速度的に増えていくという話。

余談だけど、ココ大付属学園の1年目に参加した6年生は、4月から高校生だもんな。先日、希望の高校に合格したと聞いたし。

ご縁としかいいようのないエピソード。

2026年3月8日日曜日

サヨナラ△、マタキテ◇。

カフェカバレのランチ

3月は異動や転職、退職など人の動きが活発。
毎年の恒例行事だから仕方がないのだけど、これまで一緒に取り組んできた人とは、それなりの関係性が築けたわけだから一抹の寂しさも。

この日、昼食を共にしたのは「ひめゴジ」でお世話になった松下D。
彼女とは20年以上も前、まだ大学生だった頃にインターンシップで受け入れた時からのご縁。
記憶が確かなら、松下Dは「世界の中心で、愛をさけぶ」の撮影に参加したような・・・。

その時は学生だし、大学授業の一環だったし、他にもインターン生はいたし、修了後は特に連絡もなく月日は流れて10年ほど前?

突然の連絡は「ラジオにゲスト出演してほしい。」という内容で、記憶が定かなら当時は「いよココロザシ大学」「フィルム・コミッショション」を話題に話してた記憶(違ったかな?)

その後、番組の改変があり、隔月レギュラーで出演するようになり、話題も「フィルム・コミッショション」に絞り、当時はジャパン・フィルムコミッションの理事長でもあったので、愛媛&日本の撮影について、色々と喋らせていただいた。
だから、計20回以上は喋らせていただいたんじゃないかな?スゴいこと、大感謝!

声をかけてもらわなければ、なかった機会だし、発信することで知ってくれた人もいたわけで、ラジオの影響力&効果を実感したり。

そんな松下Dも一区切りと言うことで、労いのランチ。
待ち合わせは、花園町の「カフェカバレ」。

ここは、ビルの4階だから、見下ろすと路面電車が行き交う様子が眺めるので「ここ(カバレ)は撮影にどうですか?」と松下D。

撮影にピッタリ(例:歩道を歩くAと路面電車に乗ってるBが行き違う/すれ違うなど)と思う。実景でもいける。

ほんと、担当者が映画好きだと、こういご縁になるという話。
また、どこかで会いましょう!と、ごちそうさま。
サヨナラ△、マタキテ◇。

2026年3月1日日曜日

初めての名詞。

右のシールを左の名刺に貼るというスタイル

これまで数えきれない人とお会いして、その度に「名刺交換」をしてきた。
そして、その人の代名詞とも言える「名詞」に凝ったことも、いただいた名刺に驚いたことも多々あった。変わった名刺で思い出すのは・・・。

透明な名刺、ホログラムみたいな名刺、細長い名刺、小さい名刺、大きい名刺、丸い名刺、黒紙に白インクの名刺、印刷ではなく刻印エンボスの名刺、二つ折り・三つ折りの名刺、折り紙の名刺、手書きの名刺、手漉き和紙の名刺、アルミの名刺など、定型の名刺箱に入らない名刺が多々あった中で・・・。

「私、デジタル名刺でして・・・」と、クレジットカードような(名刺に見えない)ものを見せて、相手のスマホを被せると、データを読み込むという「未来の名刺」を見せてくれたのは、旧知の林さん。
Eightのようなアプリ間での名刺交換はあるけど、アプリ無しでもできるデジタル名刺交換は初めて。

「泉谷さん、名刺交換をしてください。」とシトラスさん。
彼女とはオンラインでは面識があっても対面は初めて。「やっとお会いできましたね。」となる。

そんな彼女が渡してくれたのは2枚の名刺。
最近は複業などで名刺を複数枚持っている方も珍しくないので、それぞれを見ると、1枚は名詞だったけど、もう一枚はイラスト。

「それ、シールなんです。」とシトラスさん。
「シールを剥がして、こっちの名刺に貼っていただくと、オリジナル名刺になります。」と続き、「へっ〜!面白い!初めて見ました!」と驚きの声を彼女は何度も耳にしたと思う(笑)。

だから、もう一枚の名刺は余白が多かったのか!と合点。
シールは彼女がデザイナーだから成立していて、どれもデザインがかわいい。
貼る手間が発生する分、オリジナルにもなるからもらった相手は忘れない。

名刺って古今東西あるから、アイデアは出尽くした感があったけど、アイデア一つで、まだまだ余白があるんだな・・・と学んだ件。

一期一会。

いい笑顔の堀内章さんは75歳でした。

「コーヒーでも飲もうか?」と、妻と話しながら銀天街商店街を松山市駅方面に歩いていると、「靴磨き」と書かれた小さな案内板を見つけるも素通り。

すると「昨日の大雨で革靴が濡れちゃったんだよね。」と妻。
「それなら、靴磨きの所へ戻ってメンテナンスしたら?時間はあるから」と私。
「そうだね。」となり、引き返して靴磨きのオジさんの所へ戻り、メンテナンスをお願いすると、値段は10分間300円と激安でビックリする。

(シニアの方が起業されたのかな?)と勝手に思い、千葉スペシャル(靴磨きで有名な店)などの話をするも、どうも話が繋がらない。

逆に世間話の方が盛り上がり、オジさんは「ハワイに行ったり、国内旅行をしている。」という発言に???となり、(むっ!このオジさん、タダ者じゃないぞ!)とよぎる。

そう思ったのも、オジさんの隣ではカメラを回している男性がいて「インスタ用に動画を撮っていいですか?」と尋ねられ、妻も私もOK。靴磨きでインスタ動画を撮るの?

オジさんの話は面白く、社員から経営者になり、会社をM&Aに導いて引退し、今は社会に恩返しのつもりで靴磨きをしているが「どうして靴磨きなんですか?」と尋ねると、放浪している靴磨きの青年と出会い、感動して自らも実践しようとなり1年10ヶ月ほど。
現在は週一回、この場所で靴磨きしてる・・・と。

あぁ、だからお金が目的でないから10分間300円なんだ・・・など、行動と動機、話などが合致してくる。

そして、どんな企業を経営されてM&A(イグジット)までされたんだろう?となり、「どんな企業を経営されていたんですか?」と尋ねると「ハートという会社です。」と教えてもらい「年商60億円」と言ってたような。
そしてバンダイナムコグループに入り成長を遂げていると。

なんだか、スゴい人を目の前に色々と聞きまくっている私と妻。
人材育成にも強い関心があり、そこは妻の出番。
妻が大学で教えていると知ると、話が更に盛り上がる。

その間もずっと妻の革靴を磨いてくださり、磨き上がった頃は10分どころではなく、30分が経過(笑)

靴磨き終了!お代は・・・となったら、300円でした(笑)
で、ココでお名前をお聞きしたら、お名前は堀内章さんでした。

コーヒーを飲んでたら2人で1,000円は超えていたのに、コーヒーを飲むよりも充実して300円とは・・・。

出会いって本当に面白いという話。

2026年2月27日金曜日

今日の村上さん。


マスク姿に「どうしたの?風邪?」
「私、花粉症なんです。それも重症で・・・。」
「重症ってどういう意味?」
「5歳頃から花粉症で、18年ほど花粉症と付き合ってます。」
「それは、お気の毒だね。」
「もう、冬と春が苦手です。」
「辛いね・・・。症状もヒドいの?」
「頭痛はするし目も鼻も大変です。」
「他にもアレルギーがあるの?」
「動物、ハウスダストなど色々なアレルギー検査を受けましたが、全部アウトでした。」
「・・・。私は花粉症もないし、ついでに鼻血も口内炎もなったことがないんだ。」
「そんな!本当ですか?」
「ネタのようだけど本当なの。」
「そのままでいてください。」

「泉谷さん、車酔いする人ですか?」
「いや、しない人です。」
「すごい!人の運転でも酔わないんですね。」
「まぁね。」
「私、車酔いが激しくて、自分の運転に酔いますから・・・。」
「えっ!じゃあ、今も酔いながら運転してるの?」
「今は大丈夫です。車の運転に集中できたら酔いも忘れますから!」
「が、頑張ってね!」
「はい!」

「こんな山奥にカフェなんて・・・カフェ好きには響くのかな。あれ、コーヒー好きだっけ?」
「いいえ。コーヒー飲めません。」
「じゃあ、カフェ巡りとかしないの?若い人はカフェが好きだよね?」
「一人ではしません。カフェ巡り好きな友達と出かける時に付き合う程度です。」
「その時はコーヒーじゃないから、紅茶とか?」
「いいえ、紅茶も飲まないです。」
「じゃあ、何飲むの?」
「オレンジジュースです。」
「それ、いいね!」

「スイーツは食べないの?」
「うーん、クリーム系も苦手なんです。私はチョコが大好きなんです!」
「そうなんだ!チョコ美味しいよね!(そう言えば以前、チョコ好きと知らずにオーストラリアのソルトチョコをあげた時に大喜びしたのを思い出す)」

「そう言えば、方言指導者を探していた撮影はどうなりました?」
「あぁ、あれね。あれはその後、エキストラも必要になったから“方言指導もできる劇団員”を友人に紹介してもらいました。」
「良かったです!私はコテコテの伊予弁、あっ!でも東予弁です。」
「愛媛県内でもそんなに違うの?」
「私と東予出身の人の会話は松山の人には分からなかったです。」
「おぉ〜!じゃあ、東京弁(標準語)なんて聞きづらい?」
「いえいえ、なんだか丁寧に聞こえます。」
「そうなんだ(笑)」

松山から1時間ほどの運転で久万高原町に到着。
まだ先は長いから昼食を先にしようと入ったのは「道の駅天空の郷さんさん」の農家レストラン。
ここは、地元で採れたものを使っていて、ホッコリ味だから、美味しんだよね!と山盛りランチ。

2026年2月22日日曜日

ご近所パトロール。


連休初日。朝散歩してアパートに戻り、コーヒー飲んで、SNS作業して、メール返信して、気づいたことなどをメモして、毎日朝のルーティン作業が終了。
特に用事もない(本当は連休中に対応した方がいい案件があるけど、週明けでも問題ない)。

洗濯して掃除して、年度末を控えての断捨離。
と、言っても捨てられるモノは少なく、単に片付け。

何かすることはないか?と考えた末、(そうだ!本屋で立ち読みしよう!ついでに10,000歩も達成させよう!)となり、銀天街&大街道をに行くも、銀天街&大街道に本屋さんはありませんでした。明屋書店本店もアエルの2階の明屋書店もなくなって久しい・・・。

かと言って、紀伊国屋書店は過ぎてしまったし、三越の上階にあるジュンク堂まで行って立ち読みする気力はなく、結局素通り。商店街を通っただけ、商店街の人通りは多かった。

ロープウェイ通りを歩くと、途端に外国人観光客が目につき、特にアジア系の方が楽しそうに散策されていて(松山を楽しんで!)とエールを送りながらパトロール。

東雲神社では菜の花が咲いていたので記念写真。
そして電話。出ると制作会社からで、海外で放送する番組の撮影についての相談。
「東京で愛媛産の食材を使うレストランで撮影するなら、東京事務所経由の方がいいので紹介します。」など。

そして、平和通りに出ると外国人観光客より、愛媛大学、松山大学があるからか、すれ違う人が若い人に変わる。

平和通りをブラブラ歩き続けると、朝散歩コースに合流してしまったので、そのままスーパーに立ち寄り昼飯を買ってアパートに帰ると「泉谷さん、SNS見ましたよ、ご都合あえば、ランチでもどうですか?」とのお誘いを受ける。

惜しい!昼飯を買ってきてしまい、食べる寸前だった。
でも、こうして、暇な私を気にかけてくださる方がいることに感謝!

お昼過ぎには既に13,000歩超えだったパトロール。

2026年2月20日金曜日

R.I.P


Facebookを長年使っているから、月日と年齢を重ねる中で人生に思いがけない変化があるのは当たり前。
時を超えた再会を果たすこともあれば、悲痛をもたらすこともあるという話。

長年、Facebook上で私を面白がってくださっていた方が年末に亡くなっていた。
Facebookで故人を偲ぶのは5人目。
でも、本当はもっと多いかもしれない。なぜなら、亡くなったら本人は連絡できないから。

同じ50代で亡くなるのは胸が苦しい。そう言えば、いじめっ子だった同級生も亡くなっていた。
私の日常を楽しみにしていてくれたアメリカの母など色々な方を思い出してしまった・・・。
人生100年とかいってるけど、思っているほど長くないはず。

男性の健康寿命は72歳、女性は75歳。
男性の平均寿命は81歳、女性は87歳。

単純計算で不調を抱える時期は男性が9年間、女性が12年間。
人それぞれだけど、(治療とか不調とか入院とか介護などが色々と発生するから)不調期間が短ければ短いほどいいという人もいる。
こうも周りで色々と起こると、考えてもどうしようもないのに、考えてしまう。

そして、こういうネガティブ思考は夜に考えると最悪とのこと。
一日を疲れ切った脳みそは機能が低下しているほか、セロトニン(幸せホルモン)の減少でネガティブ思考になりやすい。解決もしない事柄を悶々とグルグルと巡らせながら寝落ちなんて、精神的にいいわけがない。

悩むなら日光を浴びながら、前向きに建設的に考えを巡らせたほうがいい。と、自分に言い聞かせる。

「今日が人生最後だとしたら、今日やることは本当にやりたいことだろうか?」と、鏡の自分に問いを立てたのは、故スティーブ・ジョブズ(2005年)。

R.I.P(Rest in peace./安らかに眠れ

2026年2月13日金曜日

人生起死回生特大ホームラン。


契約が更新されなかった。事実上の解雇。
不安定なフリーランスとはいえ、これまで組織に貢献してきたと思っていたから青天の霹靂。

実は恋人も職を失ったばかりで、ダブルパンチ&ピンチ!「どうする私たち?」となる。
強制的に「自分の好きなコト&得意なコト」を手放さなければならなかった二人・・・。

(この機会に心機一転を図ろう!)と考えた二人。
それぞれに就職活動をした結果、恋人は好きなコト&得意なコトの延長上にある職への転職が叶う。

そして相談者当人はと言うと、得意なコトが活かせる職場で、好きなコトを業務にするという、本人も想像以上という転職が叶う。青天の霹靂からは想像できない結果。

「もぉ、メチャメチャ嬉しくてーーー!聞いてくれて、ありがとうございます!」
と、それまでは神妙で緊張な表情だったのに、心情を吐露できたからか、表情が一気に明るく柔らかくなって安堵の表情に変わる。気持ちが溢れるって、こう言うコトなんだ。

どうやら周りには未だ言ってないようだったけど、言うつもりもないそう。
そして「恋人との関係も・・・」
「おぉ!おめでとう!良かった。いいね!素晴らしい!この展開はナニ?」となる(笑)

と、言うのも3年前に初めてお会いした時、初対面だったにもかかわらず、唐突に「泉谷さん、誰か素敵な人いませんか?」と相談されたから(笑)。
その後、出会いがあり、何度かのすれ違いなどを経て交際に進み恋人に。そして・・・。

「映画みたいな展開だよ。人生ホームラン!って感じ。素晴らしい、幸せのお裾分けだね、ありがとう。」

これまでを手放すことで打てた特大ホームランに「こんな(想像以上の)展開になった理由は何だと思う?」と質問すると、「自分なりに誠実に謙虚に生きてきた。」と当人。

この話から明確になったのは「想像以上の素晴らしいこれからの人生は、予め用意されていたわけではなく、日々、目の前のことに注力したことによって拓かれた結果。」ということ。
これまでの経験やタイミング、実績などの“点”が線となり面とし可視化・評価される。

「泉谷さん、聞き上手。人生相談所を開けばいいのに。気が楽になりましたもの。」と当人。
「ホントだね、始めちゃおうかな(笑)」

世の中はコンチクショーと思っているから、ニヒリズム(虚無主義)のペシミスト(悲観論者)だけど、誠実に謙虚に生きている人が真っ当な評価を得られた話に人間讃歌。

2026年2月10日火曜日

時と場所を超えて。


日本で
2週間の仕事&休暇をしたアメリカの兄弟ハルと奥さんのヘミさんが帰国。
SNSで名残惜しそうに日本滞在中の思い出をアップしていたので、「楽しかったね!また来てね!」と、コメントを残すと。

Come visit us in the US. It was great to see you both again!
フロリダにも来て!二人(妻と私)に会えて楽しかった!またね!

という返信。ここまでは、ごくフツーの兄弟の会話。
すると、「新たなコメント」の通知が届き、何気なくアクセスすると・・・。

Say hello to Noboru for me!!!
ノボルへ、私からもよろしくと、伝えてね!

と、見知らぬ女性からのコメントに誰?なんで私のことを知ってるの?となる。
すると、ハルからも続けてコメントがついた。

Noboru do you remember Maria who helped my mom with the house? She says hello!
ノボル、覚えてるかい?バージニアの家で母を手伝ってくれたマリアさんだよ!

No way!
まさか!


頭の中のハードディスクがギュイーーン!と、36年前(たぶん1990年)まで遡って、当時の記憶にアクセス。

アメリカの母とハルと暮らし始めた当時、何も分からず&知らずな生活の中で、母の家を
定期的に訪れては家事を手伝ってくれていた女性がいて、私も向こうも初対面の時は超ビックリし合う(笑)。
そりゃ、突然、知らない男性(私)が家にいた&知らない女性(マリアさん)が家に入ってきたのだから、お互いに驚くよね。
そして、彼女はマリアさんと知る。

それから、掃除を手伝ったり、カタコトの英語でコミュニケーションをとったマリアさん。
当時の私は18歳、マリアさんは30歳だったのか・・・。

マリアさん、現在も当時の家の近くに住んでいるようで、家族にも恵まれて微笑ましい様子がSNSにアップされていて何より。おばあちゃんになってた!

SNS上とはいえ、声をかけてくれてありがとう!と。
当時から今を想像はできなかったけど、時と場所を超えての再会。
歳を重ねるのも悪くないよね!という話。
いやぁ、本当にビックリしたオンライン再会。

仕事との向き合い方。


「好き or 好きじゃない(注:嫌いではない)仕事との向き合い方」という話。
“この手の話”は、大学生からも社会人からも多い。
世代が同じなので、我が子で考えてみた。

長女はヴィンテージブランドを扱う店で働いている。
幼少期からファッションに関心があり、ニュージーランドの高校卒業後は日本に帰らず、ニューヨークで学んだことも。
来店客の多くは海外からで、持ち前のホスピタリティ力でレビューされることも。

長男はヴィンテージ時計を扱う店で働いている。
画家になりたい。と、自力で奨学金を得てフェレンツェで3年間学び、賞の受賞まで成長して帰国。画業で生計を・・・と思っているようだけど、興味があったという時計の道へ進み、学ぶことが多いが充実していると言っている。

末っ子はヴィンテージレコードを扱う店で働いている。
高校時代から音楽に関心があり、ただ自分で奏でるというより、現代音楽の系譜を紐解くと言うか、音楽への造詣を深めたいようで、あらゆるジャンルの音楽を聴いて、各国から買いにくるレコードバイヤーを相手にしてるよう。diadiaの活動も、その一環。

3人ともヴィンテージ品を扱っているは偶然。

色々な切り口があるけど、伝えたのは2系統。
(1)「ライスワーク(生業の仕事) or ライフワーク(自分を豊かにする活動)」で考える。
生きる/生活を維持、成り立たせるために「ライスワーク」を確立させる。
良い意味で割り切れる。これを「ライフワーク」 に求めると、好きなのに稼げないというジレンマに陥ることもあり、無理しても続けると、好きなのに嫌いになってしまう罠がある。

(2)「好き or 好きじゃない」ではなくて「ワクワクするか?どうか?」で考える。
美術館めぐり、蚤の市めぐりが好きだけど、美術館で職に就きたいか?と言うとNO。
蚤の市の企画側に就きたいか?というとNO。ちょっと違う。

個人の性格、価値観もあるけど、自分しかできない(と思う)未知の体験(=ワクワク感)が、その仕事から想像できれば働きたい。なければライスワークに切り替えてもいい。
ワクワクを求めての就職/転職もアリと思う。

就職/転職の当初は分からなくても、その仕事を続けるうちに好きになる可能性もある。
いづれにせよ、自分を成長できる仕事か?は「好き or 好きじゃない」よりも「未知のワクワク感」の方が良いような気がする。私見です。

今の時代、最初に入った組織、仕事を一生涯続ける・・・は大義が薄い。
好きなコトとワクワクが合致した仕事だったら、この上ない幸せだけどねとなる。

2026年2月6日金曜日

乗りこなせ!


「困難は乗り越える。ではなく、乗りこなす。」
意味合い的には
「乗り越える」は、苦難や障壁などを克服、打破して通過、解消する感じ。
「乗りこなす」は、対象と対立ではなく、コントロール下で活用する感じ。

今更ながら、サカナクションにハマっていて、ボーカルの山口一郎氏のYoutubeから。
唸ってしまう。

彼は自身のうつ病を公表していて、そんな様子を赤裸々に語る姿に共感。
仮に「乗り越えた」としても、苦難や障壁が二度と来ない確約はなく、苦難や障壁が現れる度に克服や打破するのは、エネルギーが必要で心身ともに消耗する(と思う)。毎回、大変。

ならば、苦難や障壁を前にしても自分自身が“それ”よりも常に優位性を見出し、どんな“それ”でも自在に受け流す、手玉に取ることができれば、エネルギーも消耗も最小限・・・かも。

思えば20年以上、苦難ばかりだった友人。
最初は苦難に立ち向かい、極端な選択を考えた時は乗り込んだこともあったけど、思い直してくれてからは、苦難を乗りこなすように見えた・・・けど、それも疲れたよう。
ただ、乗りこなし方が上手だった!?のか、乗りこなした先にたどり着いたのは、良い意味で自分らしさが発揮できる場所。一安心。

そして、新たに苦難に直面している人。
「乗り越える」のか「乗りこなす」かは本人の選択だけど、実は「乗らない(≒諦める)」という選択肢があることを“良くも悪くも”気づかせてくれた。

「そこ(乗り越える、乗りこなす)にエネルギーを注ぐよりも、新しくなる自分にエネルギーを注ぎたい。」的な発言に、返す言葉が見つからなかった件。
時に励ましの言葉よりも、ひたすら聞くも必要と実感。

山口一郎が、続けて言っていたのは「好きを大切に」的な発言で、誰との比較にもならない“好き”がある、ないかで精神的に、どれだけ違うか?的な意味に、これまた唸ってしまったり。

で、自分はどうなんだろう?と、自問自答。