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2026年1月26日月曜日

本日の村上さん。

本文とは関係ありません。

「泉谷さん、聞いてくださいよ!」と村上さん。
「なになに?」と私。
「夕食にオシャレなお店で、カキとスパゲティを食べたんです。飲み物も飲みました。そうしたらお会計が4,000円だったんです!席のチャージも取られてしまいました!高いですよね?」
「おぉ、それはお会計と中身の量などが釣り合わなかったということ?」
「はい、コレとコレです。」と、食べた味を写真で見せてくれる。
「オシャレでお上品な店だったんでしょ?」
「まぁ、そうですね。」
「味はどうだったの?美味しかった?」
「味は美味しかったです!」
「じゃあ、美味しく学んだと思うしかないね。」
「その後、アイス買って帰りました。」

「朝食は食べた?」と私。
「はい。東京のコンビニはどんなもんじゃい!と、3つのコンビニをハシゴしました!」と村上さん。
「ど、どんなもんじゃい?」
「はい、違いの確認に、おにぎりと〇〇と飲み物をそれぞれのコンビニで買いました。」
「わはは!で、どうだった?」
「フツーでした。」
「だよね。」

「あれ?私のハンバーグが来ないな・・・。」と、ファミレスで昼食中の村上さん。
ロボットが注文の品を運んできたものの、村上さんが注文したハンバーグが来ない。
私の注文品は揃う。でも、なぜか注文していない「フライドポテト」を運んできたロボット。

「ポテト、頼んだの?」と私。
「いいえ、頼んでないです。」と村上さん。
「お店が注文を間違えたのかな?」と放置されたフライドポテト。

その後も村上さんのハンバーグは来ず、「店に言う?」と伝えると、「もしかして、注文、通ってます?」と同席の知人。
「えっ!注文したよね。」と私。注文したタブレットを確認すると・・・。
「あぁ、ハンバーグじゃなくて、フライドポテトを注文してました・・・。」と、ガックリの村上さん。
更に「あぁ、私、デザート用のフォークで食べてました。」と、ガトーショコラ用の小さなフォークで肉を食べてた村上さん。
「なんか小さいと思ってたんですよね。」とも。

村上さんのエピソードだけで本を書ける。

2026年1月15日木曜日

自分にまっすぐ、正直に。


「自分にまっすぐ、正直に」と、“わざわざ”書いてあると言うことは、自分にまっすぐ、正直に“なれない”人が多いからなんだろうな・・・と思い、写真に残す。

道後温泉本館の裏手にある公衆トイレの鏡にあったメッセージ。
多くの人が「自分にまっすぐ、正直に。」なりたいと思っても、そうはならないのは、日本人の良さかもしれないし、良くない所かもしれない。

仮に「自分にまっすぐ、正直に。」通せたと思っても、実は周りからは「我が強い」「自己中心」などと受け取られてしまう時があったり。
かと、言って、その逆だと、今度は自分にストレスがかかって不調になったり。

「他人と比べない。」と言われるけど、比べてしまうことは日常茶飯事で、ごくフツーなこと。比べることで気づきや優越感を感じたりするのは、ごく自然なこと。

大切なのは、“その後(比較後)”で、自分を卑下したり、現状を他責にする必要はなく、「他人は他人、自分は自分。」と、単なる一般情報と処理してサラリと受け流すことができるか否かではないかと。

大谷翔平選手と自分を比較して、彼に嫉妬したり、自分を卑下する人は少ない(いない)と思うんだけど。
応援したり、憧れたりとネガティブではなくポジティブになる方が多いんじゃないかな?

感情を超えると言うか、心持ちと言うか、自分は他人になれないし、また他人は自分にはなれないから、“そこ”に意識や気持ちを割いても時間の浪費、余計なこと。

「自分にまっすぐ、正直に。」の結果は自らの意志であり、自己責任になるから、自然と頑張る/踏ん張らないといけないのは当然のこと。

メチャメチャ頑張っても踏ん張っても期待した成果が出ないことも多い。
だけど、一所懸命に向き合った自分を卑下する人を見たことがないし、成果が出なかった理由を他責にする人を見たことがない。笑い話にできるか?かも。

文句を言う人は、(自分にまっすぐ、正直に)できていない鬱憤を周りに散らかしてる。
自分を信じれていない人。

2026年1月14日水曜日

人生が変わった番組。


2004年まで18年以上、ニュースステーションのキャスターだった久米宏さんが死去、享年81歳。ご冥福を祈る。

会ったことも話したこともないけど、私の人生に(間接的でも)大きな影響を与えた人なので記しておく。

「フィルム・コミッションをしよう!と思ったきっかけは何ですか?」と尋ねられた回数は100回以上。いや200回以上かも。
今に至るに避けられない話で、講演会や自己紹介などで話すことも多いフィルム・コミッションとの出会い。

2001年正月、当時の私はネットイヤーという会社でプロジェクトマネジャー&ストラテジストとして事業戦略策定&運営管理業務をしていた。

自宅で何気なくニュースステーションを見ていたら「フィルム・コミッションと言うのがありましてね、どうやら日本でも始まりそうなんです。」と久米宏さん。
ニュースステーションでフィルム・コミッションについての特集が組まれる。

「既に始めている韓国、釜山の様子をご覧いただきましょう。」と釜山FCの取り組みが紹介され、IMFの通貨危機に直面していた韓国は外貨獲得策の一つに「フィルム・コミッション」を立ち上げたという内容。

そして、その動きを察した日本でも勉強会が行われているという内容で、国土交通省らの会議風景が映し出されて、(これは金儲けできる!営業に行こう!)が最初。

テレビに出ていた関係者を探し出し、連絡してお会いしたのは新橋の第一ホテル東京。
お会いしたOさんに勝手に書いた企画書を渡して説明すると「一緒に(フィルム・コミッションを)やらないか?」と思いもよらない話に人生が狂い始める(笑)

営業に行ったはずなのに、フィルム・コミッションの可能性に魅了されてしまい、会社に戻って「フィルム・コミッションを会社でやりましょうよ!」と言っても通るわけもなく、若気の至り/勢いで辞表提出。無職になる。

その後、Oさんから国土交通省へ話が繋がり、国土交通省で私の企画書を読んだNさんは、4月から四国運輸局へ異動になっていて、香川県から電話があり、Nさんにプレゼンする。

結果、愛媛県を紹介していただき、その後は「えひめフィルム・コミッション」の設立に参画し、専任職員になり6年間、愛媛県で映画・映像作品の撮影誘致と支援に励み、その後、松山市役所職員にもなり、ジャパン・フィルムコミッションの理事長に上り詰めて今に至っているという話。

なので久米宏さんの話は外せないという話。

2026年1月13日火曜日

エールな話。


日本の起業&創業年齢層は30代〜40代が多く、特に43歳〜48歳頃が多いとAI調べ。
この世代の起業&創業が多い理由は、実務などの経験値が蓄積されているほか、人脈や資金力を活かせる頃だからとのこと。

すると、いづれ50代の起業&創業も増えてくるは想定内。
その反面、若年層の起業&創業は相対的に減少気味とのこと。

でも、実際は起業&創業と年齢に何の関連性はない(20代だから成功する、50代だから成功しないとかはない。)

だから、「何歳が最も起業&創業の成功率が高いですか?」と言うのは愚問。
成功するから起業&創業するのではなく、自分の強みを活かして稼ぎたい、自分らしさの具現化、生きがい&やりがいの追求などが起業&創業の理由でしょ?と。

とはいえ、現在の職をバッサリ辞して、起業&創業(≒ゼロから)をするのは、(一時的な)収入減などの不安/リスクはある。退路を断つという考え方もあるけど・・・。
だから今は、副(複)業という“お試し期間”的な経験を経ての起業&創業も選択肢の一つ。

40代男性。現在の職を辞して、自宅で焙煎/コーヒーショップを創業するとのこと。
「もう腹を据えたんですか?」
「えぇ、そうですね。一応、周りには言いました。」
「(現在の安定収入などを捨てることに)葛藤はなかったんですか?」
「う〜ん、無かったと言うと微妙ですけど、前々から考えていたんですよね。」
「それはいいですね!自己実現!素晴らしいです!」
「飲みに来てくださいね!」
「もちろん!」とエールを送る。
好きなコトで稼げたら、これ以上ハッピーなコトはない。

起業&創業のイメージも代わり、IPOを目指す!もアリだけど、一人カフェ、一人書店、一人出版、一人旅行会社、一人パン屋、一人農業などのマイクロビジネスもアリ。
個人的には、そういう人たちを応援したい。

それなら私も!と言いたくなるけど、「もう、してるじゃん!」と、今の仕事をもっと充実させて!という声が響く。はい。

2026年1月12日月曜日

偉人達に囲まれて。


フジグラン松山1階で展示されていた「令和7年度 小中学生のふるさと学習作品展 」へ。


私の隣は安部能成氏(哲学者/1883-1966)。
他には畦地梅太郎氏(版画家/1902-1999)、丹下健三氏(建築家/1913-2005)、福岡正信氏(農学者/1913-2008)、加藤嘉明(武将/1563-1631)、眞鍋嘉一郎氏(医学者/1878-1941)、坂村真民氏(詩人/1909-2006)など、愛媛に縁ある偉人たちの紹介展示。


その中での紹介は、嬉しいやら恥ずかしいやら・・・。私、未だ生きてますし(笑)


ココ大付属学園に3年間参加してくれた山下東子さん(松山市立三津浜中学校2年)の作品は【愛媛県図書館協会長賞】を受賞。


会場は撮影禁止だったけれど、受付の方に「あの、この新聞は私なんですけど、写真を撮ってもいいでしょうか?」と尋ねると「えぇ!ご本人さんですか!」と驚いてくれて、「どうぞ、どうぞ。お越しくださり、ありがとうございます!」とお礼を言われる。


いやいや、私にお礼と言うか、取材してくれて編集してくれて壁新聞にまとめてくれた東子サンに大感謝です。

実物を初めてみて、詳細にまとめてくれた内容に感激しながら、特に刺さった「私についてまとめようと思った動機」「作成した感想」を紹介。


<泉谷先生についてまとめようと思った理由>

私は2021年(小学校4年生)の夏休みから2024年(小学校6年生の春休み)まで、松山市ハーモニープラザの3階で実施されている『いよココロザシ大学付属学園』でお世話になりました。


この『いはココロザシ大学付属学園』を運営者は泉谷昇先生です。

泉谷先生は元々『いよココロザシ大学』という市民大学を運営されていて、2021年に付属学園ができました。


私は家では体験できない様々なプログラムに参加したり、全然違う学校の友だちと遊んだり、異年齢の子のお世話をしたり、とにかく楽しい思い出がいっぱいだったので、今回ぜひ泉谷先生のことを新聞にしたいと思い取材しました。


すると、今まで「ココ大(通称)」の学長だと思っていた泉谷先生の職業は、聞いたこともない“フィルム・コミッショナー”だったのです!


<泉谷先生を取材した感想>

私は泉谷先生とココ大付属学園での出会いだったので、私の中では“預かりの先生”という感覚でした。


小学4年~6年生という時期だったこともあって、ココ大のみんなは泉谷先生のことを「インキチ~(先生)」と呼んでいました。


しかし今回取材させていただくと先生は「フィルム・コミッショナー」だということを知りました。


聞けば聞くほど、先生の仕事は多すぎて、今回の新聞にまとめきれたとは思えません。

先生はココ大はじめ、たくさんの事業に参画されていますが、その中心にあるものはフィルム・コミッションで、そして“愛媛初の愛媛を誰よりも愛する唯一のフィルム・コミッショナーだ!”と思いました。


先生は愛媛県庁本館が大好き、愛媛の風景が大好きで、愛媛の人より愛媛を知っています。私は本が好きですが、あの本から映画になったあの作品も、この作品にも愛媛のどこかが使われていて作品の一部となっているのは先生がフィルム・コミッショナーとして愛媛を熱く語ってくださったのだと思うと、私ももっとこの愛媛県民として日常を意識したいなと思いました。


先生のインタビューの中で教えてくださった「何よりも経験すること、意識してアイデアを持ち、思いうかんだら“まずやってみる”こと、やってみると失敗や辛いこともあるけど、きっと成功もある。」と、ポジティブにチャレンジしたいと思いました!!


2026年1月11日日曜日

最後はモッサン。

もっさん、就職おめでとう!

「ボランティア論」を松山東雲女子大学で教えているから、ボランティアの醍醐味などを伝えているものの、そもそもボランティアは「自らの発意」が基本の参加や行動だから、強制などはしないし、意味がない。

「ボランティアは推し活と似ている。」と紹介すると、ガッテン!した学生が多く、また撮影のエキストラボランティアなどを紹介すると、ボランティアへのイメージが変わった学生多し(履修前のボランティアイメージはイマイチだったけど・・・は学生の言葉)。

すると、授業は履修生全員へ同じ内容を教えても、受け止め方、理解度などは一人一人の学生ごとに違い、毎年、ググッ!とボランティア論で学んだコトが刺さる学生がいる。

「もっさん」もその一人で、3年生の時に「ボランティア論」を履修して、その時は大勢の中の一人で、授業も終わり単位を取得、ここまでフツー。

しかし、他の学生が区切りをつけた中で、冬休み編のココ大付属学園へボランティア参加したいともっさん。

そして、春休み編にも参加してくれる。
4年生になり、就職活動の最中でもココ大付属学園へ参加してくれて、就職活動状況などを教えてくれる。そしてこの度、見事に希望する職種に就職が決まる!おめでとう!

今冬もボランティア参加をしてくれて「今日が最後かも・・・」と2025年末の挨拶。
そして、2026年になりココ大付属学園冬休み編の最終日。

「もっさん」が突然現れる、喜ぶ子ども達。
そして、手にはたくさんの文具類、全部寄付してくるとのこと。
この日のために、年末年始に帰省していた実家から色々な品を持ってきてくれる。

袋から次々と出てくる、シール、色鉛筆、定規、クレヨン、メモ帳、テープなどに子ども達(特に女子)は大喜び。

就職に合わせて松山から離れるので今冬で最後かもしれない・・・とのことだけど、その優しさで、就職先でも子ども達に接して欲しいと大エール!

2025年12月18日木曜日

実録。本当にあったイイ話。

焼き豚卵飯+中華そばの「Cセット」

4年前と言っていたから2021年、世の中はコロナ禍。
東京在住の男性が「焼き豚卵飯」を食べたくて、発祥の地「重松飯店」を訪れる。

営業時間内に到着するも、当時はコロナ禍で時短営業をされていた「重松飯店」は、店を早く閉めていた・・・。
(せっかく来たのに・・・)と店の前で茫然自失の男性。

そこへ店内から、お爺さんが現れて男性に「食べに来てくれたのに申し訳ない。」と詫びて「駅まで送ろうか?」と男性に声をかける。そのお爺さんとは重松飯店の店主。

男性は「えっ!ありがとうございます。」となり、店主は見知らぬ男性を車に乗せて今治駅へ向かうも途中で「蕎麦を食うか?」と店主からの予期せぬ言葉に「あっ、はい。」と返答すると、ナント店主は、見知らぬ男性に蕎麦をご馳走し、その後は今治城を車で案内して今治駅まで送ったそう。

「“あの時”のお礼が言いたくて。覚えてくれてるかな・・・。」と、その男性からの要望に全力で応えようと重松飯店に行こう!となる。
でも、現在の重松飯店は11:45から13:45と2時間しかランチタイムがなく、予約もできない。

ならば並ぶしかない!個人的に並んでまで食べることは一切しないけど、願いが叶うなら全力応援!開店30分前に先頭で並ぶ。

でも、ここで、ふと一抹の不安が出る(こちら側が覚えていても、店主が覚えていなかったら悲しい・・・。)

でも、もう重松飯店の前にいるし、感動の再会を期待するしかない!
オープンと同時に着座!

男性、カウンターへ行き、ご挨拶をして何やら話しているけど店主の表情は微妙・・・。
席に戻り「お礼が言えただけで満足です!」と男性の顔は晴々。あぁ、良かった!

男性の4年越しの重松飯店は、焼き豚卵飯+中華そばの「Cセット」を注文。
ちなみに写真の焼き豚卵飯は「小」だから目玉焼きは2個。焼き豚卵飯の「中」「大」は目玉焼きが3個乗るとのこと。

「あぁ、本当に美味しい!美味しい!マジで美味しい!」と4年越の味は男性に沁みたようで感動して食べていると、店主が突然やってきて座り始めた!

「全部、思い出したよ!」と店主から切り出される話。
「あの時、蕎麦を食べて今治城を回ったよね。そして、今治駅まで送って・・・。」と、2人にしか分からない当時の様子を懐かしむよう喋る店主の顔はニコニコ顔で、とても嬉しそう。

「ちょっと、この展開はナニ?予想以上にいい雰囲気なんだけど!」と、コチラはヒソヒソ話(笑)

しばし、男性と店主との会話は続き、ご馳走さま。店の外には待っている人もいるし!
周りから見たら(何なの、あの人?)と思われたに違いない。

店主や色々と配慮くだった従業員の皆さんにもお礼を伝えて店を出る。

「想像以上でしたね。良かった!幸せのお裾分け、いただきました!」と、駐車場へ向かう途中で男性に伝えると「また、いらっしゃい!!気をつけて!」と声が聞こえて、(どこから?)と思ったら、重松飯店の勝手口から店主がわざわざ出てきてくれて手を振ってくれてた!

改めてお礼を伝えて、重松飯店を後にしたけど車中でも「想像以上にイイ話だったんですけど。」と盛り上がったのは言うまでもなく。

あぁ、相乗りしたイイ話。

2025年9月13日土曜日

キャリアが始まる。


改めて「キャリア」とは?
単なる職歴だけでなく、仕事を通じて身につけた知識やスキル、経験、そしてそれらを活かした生き方そのものを指す言葉。とのこと。
だから、学生生活には適用されず、仕事に就いてからの生き方という感じか。

松山東雲女子大学での教え子で、ココ大付属学園にもボランティア参加してくれた“モッさん”から「(第一希望の)就職先が決まりました!」と報告が入る。
「おめでとう!」と伝えて、就職活動の労をねぎらう。これから彼女のキャリアが始まる。

「新しい命の誕生」の知らせが入る。
キャリアを積んでいる最中の人。これまでとは全く違う環境に変わり、自身のキャリアをどう構築していくのか?未だ見えぬ先に期待と不安が入り混じっていると思う。
1秒1秒の充足感はハンパないだろうな。

キャリアを変えた人もいる。
「やりたい!」コトがあったのだから素晴らしいこと。「やりたいコトが分からない。」という若い人もいる中で、積極的に動いて勝ち取ったキャリア。
自信にも繋がるし、これまでのキャリアも評価されて門出は良さそう。

新しいキャリアに挑戦している人も。
キャリアって自ら動くことで積み重ねることが多いけど、時に誰か(上司など)に引き上げてもらいキャリか化することもあって、そういう場合は本人も知り得なかったチャンス。

そもそも、第三者にチャンスをもらえると言うのは、自らのキャリアが認められているということだから、ボーナスステージのような機会。得することはあっても損することは何もない。

先日から若い人たち(我が子よりも年下もいるのだから保護者目線)の朗報が次々と入る。
大人は応援してナンボという感じ。

そんな若い人に刺激を受けて、自分のキャリアはこれから、どうすんのよ?という感じ。
描けているようで描けてないような・・・ケセラセラ。

2025年8月16日土曜日

演題は・・・。


寿美江先生とお会いしたのは半世紀前!25年以上前!と思う。ヒィー!20代?
妻と結婚してほどなくして知り合い、一緒に旅行にも行った間柄。

ただ、そこからお互いに子育てなどに忙しくなって疎遠になり、でもSNSでは繋がっていたりで“ご縁”は切れず、お互いに子育てもひと段落して過ごしていたある日、「お元気ですか?」と寿美江先生から連絡が入る。

「NPO法人日本交流分析協会が10月11日、12日に松山市で全国年次大会を催すので話題を提供して欲しい。」という相談で、日本交流分析協会という団体を初めて知る。

日本交流分析協会のウェブサイトを見ると「私はOK、あなたもOK」「人は誰でも考える能力をもっている」という交流分析(TA=Tranceactional Analysis)の哲学を基盤として、より豊かな人生を営むための心理学教育実践団体。
と紹介されていて、全国組織で寿美江先生は四国支部長だった!

でも、
日本交流分析協会もTAも会員も何も/誰も知らない私が、そのような機会に登壇して何を話せばいいの?となるも「愛媛/四国は魅力的ということをフィルム・コミッションの視点と実績から紹介してほしい。」となり、演題は【銀幕の裏側からみる四国の魅力】となる。

持ち時間は約50分。
講演後は伊予水軍太鼓の演奏とおいしい食事が控えてるので(笑)楽しく、知らない同士でもワイワイ交流できる話題を提供しよう!

すると、やはり最初は掴みが必要!
ウケてくれたらいいけどな・・・と思いながら構成中。
講演が成功するか否かの判断基準は「驚きの数」か?

2025年8月5日火曜日

ワクワクさせる大人。


「おやおや、ミチさ〜ん!ノボルさ〜ん!」と、独特の呼びかけで前から近づいてきたのはハヤシ君。

ハヤシ君との出会いは愛媛大学時代だったから10年ほど前。
それまでのハヤシ君は、黎明期のマンダリンパイレーツ初代キャプテンを努め、引退後は教育者の道へ進み愛媛大学へ。

当時は妻も愛媛大学に勤めていて、ハヤシ君の同僚だったこと、私も愛媛大学に御縁があり、出入りしていたので夫婦で仲良くさせていただいた間柄。
あの頃は秦先生(現:追手門大学学長)、佐藤先生(現:東京大学大学院)らも居て、家族ぐるみで旅行に行くほど仲が良かった。

あれから月日が流れ、現在は松山東雲女子大学に勤めているハヤシくん。
全然変わってないように見えるけど、10年の月日は色々と変えていて、ハヤシ君の心境も変わってた。

真摯に仕事と向き合っているものの、ビジョンを描いたようで、それはサックス奏者になること!

「サックス奏者!?」と聞いた時は予想外のキーワードに驚いたけど「素晴らしい!」と手放しで拍手!
こんなに面白い、ワクワクさせる大人がいるよ!と声を大にして言いたい(書いてるけど)

「令和7年7月7日にサックス買ったんですよ!」とゲンを担いだようで、かつ「5年後には城山公園/堀内で夕陽をバックに演奏しますよ!」という目標まで教えてくれる。

「じゃあ、後はバックキャスティングで逆算だね!」
「そうなんですよ!曲目も決めていてオールウェイズ・ラブ・ユー(映画ボディガード/ホイットニー・ヒューストン)です。」
「じゃあ、私、歌おうかな?(笑)」と妻。
「ハヤシ君のソロ演奏だから」と妻を制止(笑)

こちらまで元気にしてくれる大人って素敵で素晴らしい!

2025年7月30日水曜日

愛される理由。

シュートをしたら垂直にあがってしまった。

松山市シルバー人材センターから取材を受ける。
ココ大付属学園にシルバー人材センターの協力は欠かせなく、毎回多くの方にご参加いただき、子ども達を見守っていただいている。

インタビュー最初の質問は「ココ大付属学園がシルバー人材センターへ依頼した背景」だったのだけど、これは「多世代で子ども達を見守りたい」と思ったから。
それにココ大付属学園は3階、シルバー人材センターは2階という「相談のしやすさ」も一理。

だから、子ども達、学生(10代-20代)、保護者世代(30代-40代)、我々世代(50代)、シルバー世代(60歳以上)という5世代が混ざるという「地域づくり」の視点では、これ以上ない現場。

そこへ「シルバーさんの現場写真をいただけないか?」という依頼に新規に撮ろうと、白羽の矢が当たったのは池田さん。
池田さんは開設当初からのメンバーだから5年目。子ども達からの人気も高い。

「池田さん、写真を撮らせてください。」
「いやょーーー!恥ずかしい!いやぁーーー!」と、全力NGの池田さん。
でも、撮らせてもらう(笑)。

そこへ子ども達、「池田さん、バスケに行こうや!」「いやょーーー!動けない!」と、全力NGなのに連れて行かれる池田さん(笑)。

その様子を見守っていると、子ども達は池田さんにパスをまわしてシュートチャンスを作ってあげる(笑)

シュート!と池田さん、ボールをゴールへ投げるも垂直に上がってしまったのが写真。
「いやょーーー!ダメ!もうできない!」と池田さん。

でも、何度もボールが回ってくるから、その度にシュートをする池田さん。
「いやょーーー!ダメ!無理!もう歳だもん!」と池田さん。

愛される理由を見つける。

2025年7月28日月曜日

2件目の朗報。


先日、採択団体が発表された「愛ウェーブ助成金」。
その中の一団体、「ステップサロンうみがめ」メンバーの壽野さんは、先日のIYO夢みらい館での「公益活動の資金調達講座」に参加して、その後の「個別相談会」にも参加してくださり、助成金申請への想いを語ってくれる。

「ステップサロンうみがめ」は、前に踏み出そうと(ジャンプ)する前の、助走(ホップ・ステップ)の段階の子供たち、を支えている人たちが集まる場所。

子どもたちが卵の殻を一所懸命に破って、懸命に海に向かって歩んで、大海原へと進んで行き、羽ばたきを見守っていこう。という意味を込めたとのこと。

公益活動(市民活動)は、初動費用が調達できない場合も多く、メンバーの自腹出費や小さく活動を始める場合も多く、結果、長続きしない、活動しても成果が出しにくい・・・などもあり、助成金を積極的に活用すべき派の私としては、相談への思考整理をお手伝い。

これで、
IYO夢みらい館で実施した「公益活動の資金調達講座」から、2件の助成金採択の朗報が届いたことになる!

相談者(助成金申請者)の申請内容が素晴らしいのだけど、そんな内容をいち早く知れて、応援できるのは嬉しい。

助成金申請の場合、実現したい社会は描いているけれど、先ずは「それは自分軸(個人的に求めていること)」と「社会軸(社会が求めていること)」は交差しているかの見極めが大事。

その後は「できること」「やらなくてはいけないこと」、「したいこと」を整理することが大事、多くの方が横へ広げっぱなしだけど、優先順位という縦に並べ替えないといけない。

そして、最も重要なのは申請者のやる気&気概。
どんなにいいアイデアでも、人の話(誰がするのか?)で取り組みの先は雲泥の差になるという話。

2025年7月16日水曜日

再会あれこれ。

みゅんへんの唐揚げとも一年ぶりの再会

アパートに戻る道すがら、向こうから歩いて来た女性と目が合い、お互いにジッーと見たら「おぉ!〇〇さん!」となった(笑)

彼女とは1998年頃に松山で働いていた会社(イープレス)にデザイナーとして入ってきた時からの間柄で、数年前に会って以来。
出会った当時は私は20代、彼女は30代。そして今はお互いに50代。月日を重ねました。
「また会おう!」と立ち話で再会を約束。

「実は今月で(今の職場を)辞めるんですよ。」「えっー!そうなの!で、どうするの?」「〇〇に就職したんですが、先ず東京です。」「そうなんだ!キャリアアップだね。おめでとうございます!」と若者の新たな門出を祝福!そして、どこかでの再会を期待。

「お久しぶりです!いつぶりですかね?」「去年以来ですね。でも、連絡を取り合ってるから、そんな気しないですけど(笑)」「確かに(笑)」と、久しぶりの再会は打ち合わせを兼ねて「みゅんへん」へ。
「初めて食べましたが美味しいですね。」と、ご当地味を堪能していただきながら作戦会議。

「もしかして?」「泉谷さん、お久しぶりです!」は、3年ほど前に知り合い、企画提案したアイデアにも乗ってくださり、このままGO!という段階で「ゴメンなさい!」と、その方のせいではなく組織にアイデアを吸収されてしまい、蒸発してしまった企画(涙)。
その後、退職されて行方知れずだったけど、ひょんな所での再会。ご活躍でなにより!

と思えば、アパートで片付けをしていたら(あれっ?この箱は何だろう?)と箱を開けたら未開封の工具が入っていて「なんだよ〜!ココにあったじゃん・・・。」と独り言。

紛失したと思っていた特殊カッターが見つかり、数年ぶりの再会。
必要と思った時に見つからず、(もう、いいや・・・)と、すっかり忘れた時に見つかるのは紛失物あるある。

自分から閉ざさなければご縁は切れない。
そう言えば、みゅんへんの唐揚げとも昨夏以来、一年ぶりの再会。

2025年3月21日金曜日

去る者は追わず、来る者は拒まず。


「去る者は追わず来る者は拒まず。」と、書くと冷たい人間、ドライな人間と思われるけど、去る人は事情があって去るわけだから引き留めても無駄だろうし、逆に意欲のある人を拒む理由もない。
そんな境地に辿り着いたのは毎年、この時期恒例の異動などを20年以上見てきたからか。

ある人はキャリアップに退職して4月から新天地で頑張るし、ある人は組織内の異動で栄転するし、ある人は出向して経験値をあげるし、ある人は定年退職して第二の人生を楽しみにしているし、ある人は産休、育休の時が間近に迫っていた。

また、ある人は県外から愛媛県庁にやってくるし、ある人は移住先に愛媛県を検討してたし、ある人は転勤先が愛媛県と言っていたし、ある人は戻ってくるとのことだった。
年末年始に人生相談に乗った人たちも凸凹あるけど、概ね解決したようでよかった。

「去る者は追わず来る者は拒まず。」と言うのは「ご縁を信じてる」からもある。
ご縁は自分から切らなければ、極細でも繋がっている状態だから、何年も経って緩んでいても“イキて”いて、必要な時にピンッ!と張るとわかっている。これホント。

それは、もう4月以降の話が、それもご縁としかいいようのない巡り合わせで「なんだかんだで知り合って20年ほど経ちますよね?」などに表れてるし、必要な人とは必要な時期/タイミングで交差するようになっているが自然の摂理。

だから不自然に抗わず「去る者は追わず来る者は拒まず。」、自然体がいいはず。
決して現在から離れることは悪ではないし、離れることで直接的だった関係性から間接的になることで理解者/協力者になるということもある。

特にフィルム・コミッションは理解者や協力者が多ければ多いほど撮影がしやすくなるので「広がれー!」という感じ。

2025年2月25日火曜日

超高速“ちゃうねん”

台所でよう談義したわ。

茨城県、京都府、大阪府、愛媛県から和歌山県紀ノ川市に集まったウチら。
同じ人間やのに、性別や背景などの環境違えば、ここまでちゃうのか?ゆうこと知る。


そんなんで「方言」はどエライ分かりやすい地域性があるけど、各地を訪れて何となく分かっとるつもりやったけど、マユミさんの「関西弁」はセリフのように濃て早て言葉量が他の4人と比べてケタ違いに多かったわ。


これはマユミさんがライター&編集者で、多くの取材を各地でしとることに由来するねやけど、ほぼみなの話題に意見がツッコミ(ええ意味や)、話す度に関西弁で話す意見が面白く聞こえて、ついわろてまった。


「えっ!どうしたん?」

「いや、マユミさんの話が面白くてさ。」

「ほんま?そんなことないんで。」

「いや、情報量が多て、あっちゃこっちゃに話も飛ぶから処理が追いつかんで。」

「ほんま〜、いややわウチ、話しすぎてるな〜」と、散々喋ったあとに・・・。

「恥ずかしいわ〜、穴があったら入りたいわ・・・」が、お決まりの締め言葉。

これが更に可笑しさを誘うも、今回一緒に参加のセツコさんはわろわんのがおもろい(笑)


ほんで、マユミさんは、自身の発言の恥ずかしさを取り消す際は、

「ちゃうねん!ちゃうねん!ちゃうねん!ちゃうねん!ちゃうねん!」と、超高速で「ちゃうねん!」と、2秒ほどの間に「ちゃうねん!」を5回も言うた!


「マユミさん、ほんまにおもろい!ブログにも書くな。ラジオでも「高速ちゃうねん!」を紹介させてもらうな。」

「ちゃうねん!ちゃうねん!ちゃうねん!ちゃうねん!ちゃうねん!あ〜、いややわ。恥ずかしわ〜!穴があったら入りたいわ〜」。今度は組み合わせてきたわ!


こんな素敵に方言で自身を表せる人、初めてみたわ。

写真は「化粧してへんから正面はあかんの」とマユミさん。

関西弁に変換して書いてみた。

2025年2月11日火曜日

友を訪ねて。

丘に建つアートレジデンスからの眺め、すごくいい。

ジャパンFCの理事長に就任した2019年に知り合ったのは、マコさんから神戸FOを引き継いだマリさん。
そんな出会いからほどなく・・・。

松山市の花園町通りでマルシェの実行委員長(当時)として、参考になるマルシェを見に行こう!となり、視察先の一つにKOBE FAMARS MARKETがあり、その運営者にマリさんの名前を見つけて、フィルム・コミッション以外に“まちづくり”でも繋がった人。

あれから6年、お互いに歳を重ねて「今年度で神戸FOに区切りをつけることにした。」と聞き、ワイワイ話しまくった交流会後に、マリさんが管理人として暮らすアートレジデンスへ。

アートレジデンスとは「アートインレジデンス」のことで、国内外のアーティストに神戸へ滞在してもらい、滞在中の生活拠点となる場所。
3年前から、FCとは別にアートインレジデンスを運営する「HAAYMM」の代表としても活動を始めたマリさん。どんな所か気にもなっていたので見せてもらう。

築60年の建物の2階と3階がアートレジデンス。現在、2階はアーティストが利用していて、3階に通される。
丘に建つので眺め(夜だったけど)が良い。

始めたきっかけは、神戸FO時代に森山未來さん出演の映画で森山さんと意気投合して今に至ったと聞き「“世界の中心で、愛をさけぶ”で一緒だったんですよ。」など昔話に花が咲く。

「これまでの仕事や取り組みの全てが、アートインレジデンスに結実してる!と分かった時に、次に進もうと思った。」と聞いて、言うのは易しだけど現実は・・・と思い、「その境地に辿り着いてないです。」と私。

私よりも9つ年上。
始めるに年齢もタイミングも関係ない、いつでも始められると思った話。
「豊かで穏やかな生活なの。」の言葉がリフレイン。豊かで穏やかな生活ってなんだろう。

2025年1月26日日曜日

30年後。


実母、義母、アメリカの母、そしてNYの母という4人の母がいる私(なので父も4人いる)。
ただ、アメリカの母は2020年に亡くなり(涙)、実母も義母も高齢となった。
そして、NYの母も聞けば70代前半となり、NYの父も70代後半になった。

「30年も経てばなぁ、いくつになった?45歳?」と、NYの父。違います(笑)53歳です。
昨年は会えなかったので2年ぶりの再会。でも、お二人ともお変わりなく元気で一安心。

そして会えば30年の時を一気に遡り、当時の話で盛り上がる。私たちを知りたがってくれるお二人。
NYの母と父については会うたびに書いているけど、ホント、単なるアルバイトとオーナーとの関係が30年も続くって奇跡
我々の子ども達とも会ってくれて、そんな我が子も全員が成人を迎えてるって、そりゃ、月日が経つのも驚きますわな・・・という感じ。

ニュースでは知っていたけど、最近のNYは物価も高く、治安も悪くなり、行きたくても行かない方がよい場所になってるかもとNYの母。そして歴代最高齢でトランプ政権(強権)の誕生。

「良い人と会いなさい。」はNYの父の言葉。
そのためには自身も良い人にならないとならず、先日なくなったMAYAMAXXからの言葉を思い出して(確かに人は出会う人によって変わるよな・・・)と思っていると。

NYの母から「場所を西村(フルーツパーラー)に移しましょうよ。」と、美味しい中華からフルーツパーラーへ移動して、頼んだのがプリンアラモード。

4人合わせて252歳!という私たちだったけどペロリと食べて、談笑が続いたある日。
【教訓】人との出会いは大切に。30年も続くなんて当時は微塵も思わなかった。

2025年1月15日水曜日

経過報告届く。

写真は拝借した新作のサンドイッチ

縁もない鬼北町へ単身でやってきた女性がオープンしたコーヒー店「ハルシャコーヒー」の物語。

2024年10月23日に10,000円の支援(ハルシャコーヒーのオリジナルドリップバッグ)をした。
2024年11月7日に支援金額が90万円を超えて目標の100万円に近づいた。
2024年11月10日に、144人の支援者により目標金額の100万円を超えた。
最終的には156人の支援者から計1,078,000円の資金を調達された篠﨑友さん。

その後、早速リニューアルオープンに着手して2024年12月1日にリニューアルオープン!と言う経過報告が届いて、その写真から(出会った時から比べると格段の進化だな・・・)と。

当時は小さな小屋で営業をしていて、コーヒーとマフィンを提供していて、商品の受け取りは、小屋の小窓から差し出そうとする様子に、「大丈夫だよ。そんなかしこまらないで!」と、店(小屋)から篠﨑さんが出てきてコーヒーとマフィンをいただく。

そして2025年。また経過報告が届き、これまで店(小屋)の隣に位置し、本などが置かれた“離れ”を改造して居心地のよい空間にしたとのこと。
また、新たにサンドイッチも開発したとのことで、プロジェクトに共感した方々の思いを形にしているようで何より。

鬼北町へは連れて行ってもらわないと行けない(車の免許がないし、電車では行けない場所)ので、リニューアルをこの目で見るのは4月以降になる予定。

その前に、そもそも単身でヒョコッ!とやってきた篠﨑さんの“やりたい!”を応援したサムコッペの高田杏さんの懐の広さ&深さから始まった、今回の物語(プロジェクト)。

プロジェクトは一人でも進められるけど、仲間がいる or いないで加速も充実具合も広がりも影響も全然異なる・・・と思った件。

2025年1月12日日曜日

MAYAMAXXとの思い出。

“エコ”と言うオリジナルキャラを創ってくれた。

「泉谷くん、いい人になりなさい。」
「“いい人”ってなんですか?」
「“いい人”って言ったら“いい人”よ。」
つい、“正解”は何か?を尋ねてしまったけど、推察するに“いい人”と言うのは“何事にも真摯さ”がある人かな?と思ったのは2006年。

そんなアドバイスのやりとり相手は1月9日に亡くなった今治市出身の画家MAYAMAXX(享年63歳)。かねてから闘病中とは聞いていたけど・・・。

MAYAMAXXとは2005年に愛媛県美術館担当者が引き合わせてくれたのが縁で、当時の愛媛では知ってる人も少なく、でも作品はどれも好みで意気投合し「何かイベントしましょうよ!」と企画したのが環境省の助成事業として行った「ふろしき百景あしたのフロシキ展(会場:いよてつ高島屋)」。

MAYAMAXXに審査員長になってもらい「ふろしきのデザイン」を公募して、デザインを1点ずつふろしき化して飾り、終了後は応募者に差し上げた、太っ腹企画だった。

その前後には子ども達と一緒にドローイングワークショップをして、まだ幼かった長女、長男にも参加してもらったり、企画の経緯を思い出せないけど、旧伊予銀大街道支店の地下スペースで「人生相談会」をして、MAYAMAXXの人生観から悩める社会人へアドバイスしたり。

その時に言われたのが「泉谷くん、いい人になりなさい。」という私へのアドバイス。
その後、MAYAさんは出身地の今治でも活躍し、NYへ拠点を移したりして、再会したのは数年後の京都・何必館(かひつかん)。

人生をどう生きるか?何を伝えられるかって大切。
天国でもたくさん描いて欲しい。

2024年12月10日火曜日

失敗納め。


エールラボえひめ主催で「プロジェクト失敗談まつり〜失敗は宝、笑って話して、新たなチャンス〜」をオンライン&オフラインで同時開催。

このイベントは、人は成功話を言いたがる傾向があるけど、成功談から学べるコトは意外と少なく、失敗談から大いに学ぼうと言う企画。

他人の失敗談は面白い!←ココがポイント!そして自分ごと化でゾクッ!としていただくのが狙い。
「笑って話せること」も条件で、話すことで他人を傷つけてしまう失敗談は遠慮してもらった。

1番手さんからは「SOS!イベント5分前まで機能せず!」という内容を話していただき、2番手さんからは「大ピンチ!暮らしていけない」と言う内容を話していただき、3番手さんからは「愕然!自分の思い込みで大スベリ!」と言う話題を提供していただく。
*タイトルは私が話を聞いて勝手につけました(笑)。

1時間のイベント終了後はオフラインで延長戦。
残った人たち同士で互いの失敗談を共有すると「鍵を落とした。」「人を間違えをした。」「置き去りにした。」など皆さんの失敗談の告白が面白くてゲラゲラ笑い続けて腹が痛くなる。
よくぞ話してくれました。

その中で「私、失敗していないんです・・・。」と参加者。
(えっ!?)と思うも「失敗ってチャレンジの結果じゃないですか?最近チャレンジしてなかったから失敗談を話せなくて・・・。」という話に(深い!)と思ったり。
その通り。失敗は経験値の爆上がり機会、そう気づいただけでも大きな価値!

「で?泉谷さんは?」と振られて、「パトカーで警察署へ行き、お灸を据えられたコト」「損切りの結果、2000万円の借金を抱えたコト」など、ネタ化している失敗談を披露して、更に大笑いしていただいた頃は既に21時過ぎだった件。