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2024年9月19日木曜日

食事難民。


「浪江浜まつり」を訪れたタイミングは昼前だったにもかかわらず、軒を並べたキッチンカーにはすでに長蛇の列ができていて、私が海岸から戻ってきても並んでいた仲間たちはまだ注文もできずにいた。

「このあと、道の駅なみえに行きますから、そこでも食べれます。」の事務局からの言葉に泣く泣く行列から離脱した仲間たち。

でも、道の駅なみえに到着しても駐車場に車は多く、店内は大混雑。「ひやぁ!ここでも並ぶのか・・・」と、先ほどのキッチンカーに並んだ仲間たち。

「この行列だと並んで店に入れても、注文してから食事が出てくるまで、そして食べる時間も考慮するとヤバい(=出発に間に合わない)かもよ。」と告げると「ですね。」となり、比較的空いていたパン屋でゲットしたのが「浪江やきそばパン」「シラスピザ」そして「シラスソフトクリーム(バニラソフトクリームにシラス、ネギ、出汁醤油で甘塩っぱい味)」の3点で昼食終了。

「お店がないから、どこかへ出かけようとなると、こういう所しかないんです。」と地元民。

店が多く建ち並ぶ日常の暮らしからは想像できないと思うけど、本当に店がなく、コンビニでさえ開店は7時、閉店は20時、21時。で、そんなコンビニさえ遠い、

仲間の「ご飯粒が食べたい。」は、ホテルは素泊まりなので朝食は各自用意だったけど、コンビニに7時に行っても弁当はあるけど、おにぎりが並んでない(正確には配達前)ことも多く、適当なパンで済ませて朝も昼もパンだった人が多かったから(私も)。

人が少ないと、こういうことになるのか!と。

消化できずとも暮らす。


福島県浪江町の震災遺構「請戸小学校」から300mほど離れた所にある請戸海岸。当日は「浪江浜まつり」が開催されていて、浪江名物「浪江やきそば」「モモサイダー」「分厚いヒラメバーガー」などのご当地露天が軒を連ねていて、私は人が大勢集まっていた浪江海岸へ行く。

砂浜では子供達による大声大会やビーチボールなどのイベントなどが行われていて、にぎやか。
波打ち際にも人がいて、13年前にこの海岸から津波が押し寄せたなんて想像できないほどのワイワイ感。
聞けば開催は(震災以後)初めてとのことで、地元の人は色々な感情を消化できなくても、海と共存しなければならないんだなと(浪江町では地震、津波で182名が犠牲になった。)

で、ふと思う。
どこかで地震や津波などの天災は一度体験すると“終わり感”があり、試練や困難は続くものの、奈落に突き落とされても、少しずつ這い上がると言うか、より良くしていこうと思うけど、震災は一回経験すれば終わりではなく、その後も二回目、三回目があるかもしれない不安さがある。
そこが天災と人災とは違う所。人災も結局、何度も起きるけど本来は防げる話。

「お客さん、東京から?この前、松山城が崩れてさ、人が亡くなったんだ。だから松山城には上がれないよ。あれは人災だね。」は、愛媛県研修所へ行く際に乗ったタクシーでの会話。
「はい、東京です。そうなんですか」と否定するの変なので、そのままにしたけど、色々と消化できずに生きてるよねと。

2024年9月18日水曜日

津波は15mを超えていた。


震災遺構の「浪江町立請戸小学校」。
「児童全員が避難できた奇跡の学校です。」と紹介されて、(そんな報道を聞いたコトがある)程度の情報量。
そして、全校児童108人のうち70%の74人が亡くなってしまった石巻市立大川小学校も思い出しまった我々。

「波はあっちから来たんですか?」と海岸を指さして尋ねると、海岸から請戸小学校までは約300mの距離で、津波が到達する頃には【全方位から津波】がやってきたとガイドさん。

波は横一直線に一方から押し寄せるは映画の見過ぎで、障害物などで方向も速度も変わるので、到達する頃には全方位から押し寄せたとのこと。

その証拠に校内はグチャグチャのメチャメチャだったけど、一部の部屋では押し寄せた方向が偏っていたり。ちなみに、津波の高さは15mを超えていたとのこと。15mといったら、5階相当!

誰も経験していなかった大津波の危険をいち早く察知して、児童全員を山へ避難させよう!と決断された校長先生のリーダーシップは本当にスゴいと現地を訪れて痛感。
なぜなら、避難しようと指示した大平山までは西へ約1600m、82名の児童は何が何だか分からないままの「訓練ではない」避難は、先生も含めさぞ恐怖だったと思う。

8月8日の地震を思い出す。
松山では揺れを感じなかったけど、子ども達、保護者と一緒にいた空間で「机の下に隠れて!」と指示しかできなかったけど、そこから外へ避難は、立地が違うとは言え、色々と考えてしまい決断しにくいよな・・・と。
何が大切かは命。

知らなさ過ぎて猛省。


「霧箱(Cloud Chamber_1897年にチャールズ・ウィルソンが発明)」
という放射線を視覚する実験装置で、霧のように放出される線はα線やβ線が飛んでいるのを見たり、「放射線物質と放射能の違い」を知ったり、原発事故のメカニズムについて紹介を受けて(全くの無知だ・・・)と痛感。

そして、次は「俺達の伝承館」という放射能事故の影響を写真などで発信している民設民営施設を見学。
写真だけでなく絵や本なども展示されている中で「動物の骨」があり、何だろう?と思ったら牛の骨で、木の柱がリンゴのようにかじられているのは、放射能の影響で町民全員避難後に残された家畜が食べるものもなく木をかじって空腹を満たそうとするも、そのまま死んでしまった証と紹介される。

かじられた木は一本だけでなく何十本もあったとのことで、ここでも(全く知らなかった・・・)となる、

そして、地域の祭が復活し神輿をかつぎ地域の人たちの背景に映るのはビニールシートで、その違和感に「あれは何ですか?」と尋ねると「除去土壌」で、報道でよくみた黒い筒状の入れ物に入った放射能に汚染された土。

真っ黒な入れ物が並んでいたけど、ビニールシートで覆って隠しているだけと説明を受け「これは神輿越に除染土壌も写しているけど、見栄えが悪いので報道では除染土側から、こっち(反対)を取るのが多いです。」と教えてもらい不都合な真実を知る。

自分が全く知らないのか?情報を取ってないのか?それとも事実を伝えていないのか?
よく分からないけど“知らなさ過ぎる”自分に嫌気が差してしまう。猛省。


2024年9月17日火曜日

フツーなのにフツーじゃなかった件。


ホテルで朝食を済ませ、コーヒーを部屋へ持ち帰ろうとしたまではフツーだったのに、なぜかコーヒーを片手に持ったまま(このまま朝散歩に出たら気分いいかも)と思い、スマホでマップを開いたら伸夫山(しのぶやま)が近いと分かり、フラ〜と出掛けてしまった。

福島駅周辺は、ごくフツーの街並み。30分程度の散歩かな?と想像してたけど、信号待ちで距離を見たら伸夫山(しのぶやま)まで1.2kmあると分かり、でも引き返すのも面倒で進んでしまう。

目の前に緑がモリモリした山が見えて、あれが伸夫山(しのぶやま)。
既に持っていたコーヒーは飲み干してしまった。
突然の朝散歩で何の情報も持たず来てしまったから、どこに行くのがいいのか?看板を探してみると「第一展望台」を発見!でも1km先、それも山を上がらないといけなかった・・・。

周りは部活動なのか制服姿で自転車を漕ぐ学生、散歩姿のシニア、行き交う車など、よく見かけるごくフツーな朝風景。
そんな風景から道を曲がり、展望台へ坂道を上がり続ける。ジーパン&ポロシャツだった私は不適合な装いで汗が出てくる(せっかく、シャワー浴びたのに・・・)。

たどり着いた第一展望台からの眺めは写真。ただ「現在の放射線量」という測定器があったのは(あぁ、福島だからか・・・)と、ココだけはフツーじゃなかった件。
ちなみに自然界から誰もが受ける放射線は、一人一年間で2.4ミリシーベルトと言われている。

ここからまたホテルまで歩き、結局往復90分の朝散歩となり、またシャワーを浴びる。

久しぶり福島!


(暑い部屋で作業するよりも、空港で作業した方が快適だな!)と思い、8時に松山空港に到着。
カプチーノなどを飲みながらネットに接続して1時間の猛作業。涼しいし静かだし、快適にはかどったものの搭乗時刻になりタイムアウト!

飛行機ではネット作業に依存しない作業をして、あっ!と言う間に羽田空港に到着。
モノレールに乗り浜松町からは山手線で東京駅へ。
東京駅で東北新幹線の切符を購入すると、ちょうど良いタイミングで自由席に着席。
福島駅までは東京駅から90分!このタイミングでタイムアウトになっていた作業の続きをしてたら郡山駅に到着、その15分後に福島駅に到着。早い!途中だった作業も無事に終了!

久しぶりだね福島!と、呑気に写真を取っていたら腹が減っていることを忘れていて、地物が食べたい!と思い調べると、高評価の回転寿司があったものの閉店まで20分しかなかった!
滑り込みセーフで入店するも、いきなりラストオーダー(笑)。
お店の方も恐縮してたけど、閉店ギリギリに来たのは私。
そんなんだから、板前さんらとも話すことができて満足なランチに。

そしてホテルにチェックインすると「ご予約の部屋よりも広い部屋をご用意しました。」とフロントの方。
「あっ、ありがとうございます。」と(なんでだろう?)と思うも、ご厚意として受け取り、シングルルームからツインルームを使わせていただく。

今回のホテル、復興庁が入っていて福島県が抱える現実を思い知らされる。
風化させてはいけない事柄が多い福島県。そんな事柄を少しでも改善できたらと思いやってきた。