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2024年12月22日日曜日

ヒトリシュラン。


2024年の出張が終了したことでホテル利用(宿泊)も終了。
高松へ行く前日に利用した東京のホテルは、東急系ホテルで、部屋を超効率よくレイアウトするためか、ドアを開けた横がベットで枕元だった。

クローゼットもなく壁に直接ハンガーが掛けられていて、だからか部屋は広く感じて洗面台&トイレ&バスルームとの間には大きな扉があり、しっかり仕切られていた。

バスルームはバスタブのないシャワールームだけ。
バスタブが無い分広く、トイレも最新式、他のホテルとは一線を画していた。

朝食もビュッフェではなく野菜弁当に数種類のパンが取り放題で女性に人気だろうな・・・というホテルだった。

そのまま高松へ飛んで用務を済ませて宿泊したホテルは地元のホテル。
建物自体は年季が入っていてハードでは太刀打ちできない!と分かっていたのかソフト?勝負で新聞やコーヒー、アルコールバーの開設、部屋に入ると壁沿いに長いテーブルが設置してあって使い勝手が良かった。

洗面台&トイレ&バスルームは畳一畳ほどの“よくある仕様&広さ”だったけど、朝食はスムージーの提供や数種類のサンドイッチ&パン、サラダ、スープ、グラノーラ、スイーツ、コーヒーと予想外の充実に大満足してしまう。

2024年は北海道から鹿児島まで計37ヶ所のホテルに宿泊して、初めて泊まったホテルの感想を独断と偏見で五段階の☆評価で残したけど、忘れてしまった記憶を呼び覚ますのに効果的で来年もしようと決めた!

ちなみに☆評価の五つ星は0で、四つ星が10あった。一つ星も0だったけど、二つ星は8あった。ヒトリシュラン。

子育てについて。


遅ればせながら妻の誕生日、そして長女、長男の新たな門出を祝って乾杯。
それぞれに暮らしている二人は、それぞれが自分が描きたい世界へ踏み込み、私たち夫婦の知らない世界へ進む子ども達を誇りに思ったり。

一緒に暮らしていたから、考え方や物事の見方、好きなモノやコトなど、多少の影響は受けているとはいえ、働き方(生き方)は決して同じ/一つとは限らないという話。
選択肢は無限にあり、選択できる意思を育めるかどうか?も子育ての範疇かもしれない。

振り返れば私も同じで、百貨店勤務の父の影響で百貨店勤務に憧れたか?と言うと全くなく、単に“好き”だった映画の道へ進もうと思うも、よくよく考えてみると美術畑だった父、美大卒の母から自分が気づいていない影響を受けていたのかも?と思ったり。

次男とは別機会に食事。
彼もユニークで、姉、兄の固定概念的な考えに縛られない進学を見ていたから(そんな道もありなんだ。)と思っていたかも。

一年半ぶりの再会でも“昨日の続き”みたいのが家族。
いろいろ話を聞いていると、次男は音楽や言語、哲学が好きは変わっていなく、読書をしては自分の中で考えをまとめていて頼もしい。

すると親は勝手に(末は妻と同じ研究者かな?)と思うも、そんな単純な話ではなく、この先、新しい職ができたり、もしくは新たに拓いたりするかもしれないと思うと、親は応援団として見守るのが一番と理解する。

やはり両親が私にそうしてくれたことって、我が子にも同じになる傾向あると思った件。

2024年12月21日土曜日

手打ち一本まさ屋。


高松空港からバスで約45分で高松市中心街に到着。
セミナー開始まで1時間ほどあったので、荷物を預けようとホテルに到着。

お昼だったので腹ごなしも・・・と思いフロントへ「この辺りでオススメのうどん屋さんってどこですか?」と尋ねると、さすが讃岐うどんの本場!数カ所を紹介してもらうも、それぞれに好みあるとのことで絞りきれず!

なのでグーグルマップで「うどん」と入力すると「手打ち一本まさ屋」という☆4.4の高評価うどん店を見つける。
ホテルから徒歩2分の場所にもあり、早速行ってみると店外に6人が並んでた。

初めての店なので“お作法”があるだろうと並びながらチェックすると「一組出たら一組が店内に入るルール」のようだった。

店内に入るとセルフ方式ではなく、店側がうどんを茹で上げて提供する方式。客が注文を告げると「あいよ!」と店主がお椀にうどんを入れてくれる。

「温かいかけ(うどん)の大」と注文を告げて、料理の間に「野菜かき揚げ&ゲソ天」を皿に入れる頃には「かけ大」が目の前に出されて、そのままお会計。代金は820円、安い!
その後はネギ、すり生姜、天かすを自由に入れて着席。

一組退出で一組店内のルールだからか、店内は思いの外ゆっくりできる雰囲気。時々あるガツガツゴミゴミのカオスな店内ではなかった。

肝心の味はと言うと、コシはさほど強くなかった。だけど出汁がおいしく飲み干してしまった。

☆4.4の高評価は嘘ではなかった件。

理解など野暮。


「理解など不要で、ただ感じればいいのか・・・」と思った銀座グラフィックギャラリー(ggg)で行われていた菊地敦己氏(アートディレクター/グラフィックデザイナー)の作品展。

銀座に行くと入場無料のギャラリーを訪れることが多く、今回はポーラ美術館が閉館中だったので次の選択肢はggg。
扉をあけて中に入るとグラフィックデザインの展示は分かるけど、何がテーマなのか?よく分からず「菊地敦己/グラフィックデザインのある空間」というだけ。

(ナニコレ?どういう意味?何を問うてるの?)など色々と湧いたけど、そもそも“そんなコト”を考えてしまうこと自体が野暮。

(そうなんだ!面白い/面白くない!響く/響かない!)など、自分の感性にフィットするか?しないか?感じるか?感じないか?だけの話。

理屈が必要ないのがアート。説明を読んでも(だからナニ?)でも全然OK!
実際に私も(で?ナニ?)な感じだった。

地下1階にも「菊地敦己/グラフィックデザインのある空間」は続いていて、同じモチーフでも出力の違いによって生じる質感の違いを展示していて(ふ〜ん、だよね。)となる。

極め付けは写真の壁に文字がある光景。

「かべのまんなか」という文字を壁の中央に貼る。

「北東」という文字に矢印をつけて北東に向いた壁に貼る。

「明」という字をライトで照らす。

「さかさま」という文字を壁の真ん中に貼る。

均質な壁に同じ書体で書かれた文字が、音葉や位置や大きさによってその場所の意味を変える。

言葉の無力化を表した作品のようだけど、(そうなんだ。)となる。

分かる必要はなく、(不思議な展示会だったな・・・)で十分だった展示会。

2024年12月20日金曜日

献杯で乾杯。

行く道を照らしてくれますように。

「20年って、ものすごい歴史ですよ。」を皮切りに始まった思い出話。
黎明期、自分たちがしているコト(=フィルム・コミッション)は地域から必要とされているのか?撮影に役立っているのか?このやり方、方法で合っているのか?など、暗中模索、五里霧中で手応えが欲しく、ホテルに合宿してオールナイトで学び合ったり。

任意団体では大きな案件は受託できないと分かり、法人化しようと設立に向けて奔走した日々。
事務所も間借りしたり、小さな部屋を借りたりして何とか事務局機能を存続させた日々。
赤字に陥ってしまい、執行部の責任について喧々諤々となり会議が1時間以上もズレ込んだり。

色々と思い出話に花が咲く中で「そもそもさ・・・」となり、フィルム・コミッションに貢献した故人の話になる。

M氏は間違いなく日本にフィルム・コミッションを広めるために尽力した一人で、退任しても連絡をくれ、生前葬的な会を開いた時も招いてくれたり。

H氏は某県庁職員で同世代だったからか気が合い、またH氏の地域は撮影が多かったので色々と相談したり、教えてもらったりした方。

小林さんは「歯に衣着せぬ」人でズバズバな発言で有名だったけど、私には「あの撮影はすごかった。羨ましいよ!」など兄貴的な存在な方。「いやぁ、風邪ひいちゃってね・・・。」が最後に交わした言葉。もう12年前ですか。

「(故人の)みんな、今のJFCを喜んでくれてるはずだよ」の言葉にジ〜ンときて「そうであったら嬉しいです。」

多くの人が携わり、また携わっていただき今がある日本のフィルム・コミッションに乾杯(献杯)。

2024年最後の理事会。

お菓子(土産)付きだった理事会

「〇〇の撮影は〇〇で決まったようだね。」
「先日、大型撮影の相談が来ましたが、あまりの無茶振りに断りました。」
「ロケ地探しより先ずインセンティブを尋ねられます。」
「〇〇の映画だから力入れようと思った矢先に延期になりました。」
「ロケ地として決まったのに撮影時期が合いませんでした。」
「ロケハンしたのに見送られました。」
「〇〇という制作会社、気をつけた方がいいです。」
「新しいフィルム・コミッションができるようだよ。」

など、全国各地から集まるフィルム・コミッションや映画映像関係者らとの理事会は終わり、その後のフリートーク。

「働き方改革によって撮影現場の意識は変わりました。でも事例が増えればグレーな事案が報告されているのも事実です。」と問題提議が行われれば「技術革新が撮影現場に及ぼす影響はフィルム・コミッションにとっても見過ごせない。」とこれからを見据えた話題が挙がったり。

会議室にいるのは全員が映画映像関係のエキスパートなので、プロフェッショナルな話は“リアリティ(≒重さ)”があって面白い。

国も撮影が及ぼす影響について本腰を入れ始めたことで、受け入れる我々としては支援体制の強化が求められているのは事実。

「撮影の誘致支援にAIとか先端技術がもっと活用できたらいいのにね。」と言う話題も。
具体的にどのように活用できるか?個人的に興味津々だけど、実装までいたらないのはお金(使用料など)なんだよね・・・と。
まだまだ道のりは長い。

2024年12月19日木曜日

訪れる理由。


妻は古着やアクセサリーなどを中心に、私は発想のヒントを得るのを目的に散策。
今回だけだったなのか不明だけど「大量のこけし」があったのは事実で、こけしを店頭に並べている出店者が多く、たぶん会場全体で1,000体以上はいたんじゃないか?というほど大小様々なこけしを見た。
「こけし」って元々は子ども達の玩具なのね。何かの身代わり、厄除けと思ってた。

会場には昨年同様に外国人もたくさんいて、あぁ言うカオスな光景はフェスティバルともフリマとも言えない(なんなんだ?)という感じだろうな。
そんな外国人は骨董系の店で多く会い、版画や彫刻、浮世絵、香炉、ひょたん、古銭などに興味を示してた。

で、私はと言うと「初めてみた!」と声をあげてしまった「ワイヤーのゴム鉄砲」。
木製と思い込んでいたので新鮮で、それも連発もできる優れもの!
太い&細いワイヤーを組み合わせていて、構造は分かったけど最初に始めた人はスゴい。
かつ、手に職を持っていれば年齢に関係なく、意欲と体力さえあれば永く収入(2500円/個〜)を得ることができる。メモメモ。

他にも助成金申請のヒントになるようなモノ(古くてもニーズがあって売り出されているのだから現代版にバージョンアップなどすれば・・・など)を見つけたり、これだから骨董市/蚤の市/てづくり市/フリマ巡りはやめられない。


仁義なき商売。


12月15日、16日は「世田谷ボロ市」。
去年は週末と重なり、ものすごい人出だったけど今年は16日が月曜日ということもあり、少しは空いてるかな・・・と思い、妻と出かけたら昨年同様の混み具合で真っ直ぐ歩けずのおおにぎわい。
さすが447回目(1578年から)の歴史は伊達じゃない。

最寄駅から京王線下高井戸駅まで1本、その後、東急世田谷線(路面電車)に乗り換え世田谷駅で下車すると、そこはボロ市会場の端。

道の駅+蚤の市+骨董市+手づくり市+フリマ+飲食店+@の合同市みたいだから“なんでもアリ”のカオスな会場。
会場は商店街や住宅街も混ざっているからお住まいの人が玄関先で余剰品などを売ってたし、警察も警備も東急電鉄も区役所もボロ市を見守ってた。

有名な代官餅を買えれば・・・と列の最後尾を見つけたと思ったら更に角で折れ曲がり続いて断念など、とにかく人出がすごかった。

16時を過ぎるとググッと冷えてきたので温かい飲み物を探すと、右側に400円でコーヒーが40売っていて、左側では100円で甘酒が売っていて甘酒を選ぶ。
ノーマーシー(非情)なユーザー(私たち)、仁義なき商売。

そして、妻の目に止まったのは40cmほどの貝。
内側の螺鈿が美しく“THE 貝”という形に「長男君の静物画にどうかな?」と、その場で長男君に連絡すると欲しいとのことで購入。
お値段は5,000円。高いか?安いか?はその人の価値観。

偽物ブランドもあった玉石混合の品から、ホンモノというか掘り出し物を見つけ出すのって楽しいけど大変(真剣)!と思った件。


2024年12月18日水曜日

幻の魅力。


正直に言うと、生まれ育った八王子市に思い入れがなくて、愛媛のように道後温泉、松山城があり、前は瀬戸内海、後は石鎚山、海の幸&山の幸なども美味しいとなると・・・。
ちなみに今では年間数回登る高尾山だって40年ほど前は魅力的と思えず、3年前に家族が八王子で暮らし始めてから魅力的に思えたり。

こどもスペースラボの隣は休憩所になっていて、ふと見たら「八王子隕石」の説明があり見入ってしまう。マンガによる紹介もあった。

日本ではこれまでに数十センチほどの隕石が落下していて、最後に隕石の落下が確認されたのは2003年。
その中で最も大きかった!?と言われているのが「八王子隕石」で、記録も多く残されているのに「実物がない」幻の隕石と紹介されていた。

記録では1817年12月19日午後2時頃に八王子市周辺に轟音と共に降り注いだ隕石の中で八王子隕石は爆発したと記録があり、直径10kmの範囲に10個以上のカケラが落下したとのこと。

落下した隕石には90cmほどの大きさもあり、現存する日本最大の隕石は1850年に岩手県陸前高田市に落下した50cmほどの「気仙隕石」なので、残された記録によると、八王子隕石の方が大きく、日本最大の隕石!?となる。
でも実物がない!

実物がない理由には「粉々に砕けた」「どこかに土中に埋まってる」など諸説あり、“埋蔵金”のようなロマンを感じるけど、落下から200年以上経ち、発見はほぼ不可能とのこと。

八王子市に少し興味関心が沸いた帰り道に見た月は満月だった。

2日間で330名以上の来場。


2023年のこどもスペースラボは合計で370名が来場。その他「あんな」「こんな」「そんな」が思い出。

2024年も330名を超えました!(速報値)と聞き、このイベントのニーズは高い!と改めて実感する。レゴで300人以上は呼べるというコト(≒チラシには100kgのレゴ!とPRしていた)。
*実際には120kgはあり、120kgと表記してもよかったけど「100kg(≒とても多い!)」という表現。

「次回は低学年向けエリアと高学年エリアで分けてもいいかも。」と学生。
その意図は幼児/低学年はデュプロを含めて単純な造形や手当たり次第にブロックを選んで創る傾向が多いかも、そして動き回る(笑)

高学年は想像したモノを創りたい傾向が多く、想像の完成に必要な部品を探す。
そして黙々と創り続ける。

同じレゴでも「遊ぶ人、目的」によって異なるから創作場所を分けてもいいかも・・・と言うアイデアに「そうだね」となる。

子ども達に宇宙について知ってもらおうと宇宙クイズを壁に貼っていたけど「壁じゃなくて床に貼ったらどうだろう?」と学生からのアイデア。

その意図は、子ども達の身長は様々で、目線の高さにはレゴがあったり荷物があったり色々あるので落ち着かない。

床であれば靴を脱いだり目線を下におろせば自然と視界に入るという指摘に「そのアイデア、いただき!」と、気づきも多くいただき2日間の「こどもスペースラボ」終了!
学生達、お疲れさま!

2024年12月17日火曜日

制作部の気持ち。


朝7時過ぎ。八王子駅近のドンキホーテは24時間オープン。
学生達には昼食を持ってくるように伝えていたものの、長丁場なので腹は減るだろうと「差入れ」の買い出し。

ツナマヨ、昆布、ネギまぐろ、明太子、焼鮭・・・梅干しは外そうかな。2,4,6,8・・・2個ずつ入れたから合計10個。

次はパン。焼きカレーパン、粗挽きソーセージパン、焼きそばパン、ハムタマゴ、ピザパンおかず系はこれくらいで、後は甘いパン。チョコクロワッサン、チョコチップメロンパン、アップルパイ、クリームパン、つぶあんコッペパンで合計10個。

おにぎりもパンも無数に選択肢があるのに、選ぶのは(自分が食べる訳でもないのに)自分の好みになるから面白い!会計は3,500円ほど。

(なんだか映画撮影の制作部みたい・・・)と思ったのは私だけ。
制作部って撮影現場での買い出しも行うから、こういう時も色々考えて買ってんだろうな・・・と自分が役割を担って実感。

学生達に差入れを伝えると、昼前から次々と減っていく。
そこへ新たな差入れはドッサリ!のお菓子。
今回の授業にも関わってくれた上田先生がお子様を連れて陣中見舞い。
そして気を遣った学生もいてお菓子が追加で届く。

最後に残ったのはパン3個&お菓子少々。
「余った差入れどうする?」となるも、今回の企画に車を出してくれた学生にあげて差入れは全てなくなる。
気持ちいい!

辛口だけど事実。


前日に「完成が間に合わない!」と分かり、急きょプランを変更した企画は、トラス構造の新聞製フレームに貼る画用紙を用意して、子ども達に絵を描いてもらい貼るのはどう?となる。

当初の予定では、トラス構造が完成すると「ドーム型」になるはずだったけど天井部分は断念。

その代わりに子ども達に絵を描いて貼ってもらい、結果、外壁パネルは色とりどりの「パッチワーク」みたいになり、様々な状況を鑑みた結果「仕方がない、これで行こう!」となる。

ここから学べるコトは何か?
プロジェクトマネジメント的にはリスク(例:完成しなかったらどうしよう等)に対して受容(リスクの結果を受入れる)しなければならない事態になった。

アイデアまで良かったものの準備、スケジュール管理、体制、制作時間確保などの見通しが甘く、アイデアを手放してしまった(例:誰かがしてくれるだろう等)結果が「間に合わなかった」となる。

リスクの受容は何が悪いのか?
一言で言えば「周りで一所懸命に携わっている仲間に精神的にも物理的にも迷惑をかける」
に尽きる。
他の企画担当者が補完しなければならず、本来の役目・役割を奪ってしまったのは反省点。

こどもスペースラボは、リーダーシップ、プロジェクトマネジメントの授業だから“経験値”として寛容な部分があるけど、今回の経験を今後、どう活かせるか?大事。

結局、私が動いてしまい、その動きの補佐として他企画の学生達が動いて何とかギリギリの完成度まで仕上げ、来場者には気づかれなかったけど、私自身も大いに気づくことあった件。

2024年12月16日月曜日

重力にサヨウナラ。

ロケット下部のゴツゴツブロックが煙

やはり“発想の天才”はいて、昨年は辺りのブロックで「ミレニアムファルコン」などを作った子供に仰天したけど、今回は「このロケット、すごいでしょ!」と教えられたのは、ロケット型をした本体に、通常は城などの「砦」として使う濃いグレーのゴツゴツ岩を、ロケットから噴出される「煙」に見立てていた!

「煙」って形あるものではないし造形が難しいと思うのは先入観/固定概念で、子どもには砦の形が煙に見えて、それがキチンと分かった点にサイコー!となる。

そしてもう一つ。
「宇宙」がテーマだったから「宇宙飛行士」のフィギュアを用意していたものの宇宙を漂うイメージを表現できなかった子ども。

作った宇宙船に立たせたり、中に入れたり、歩かせたり、それはそれで楽しそうで良かったのだけど、突然、閃いたのか、チューブ状のレゴパーツを見つけて宇宙飛行士が背負っているバックパックを見つめて挿してみると・・・。

ビョ〜ンと宇宙飛行士の重さでブラブラすることに成功する!
「できたねー!」と拍手すると、ハニカム子ども。

砦パーツを煙に見立てた子も宇宙飛行士をビョ〜ンに成功させた子もできたコトに固執/執着しなかったのが印象的で、できた後に遊んだものの、サクッと展示して帰ったこと。
私だったら、いかにこの発想に辿り着いたか、”これ見よがし”に説明しそうで猛省。

発想も軽いし、飛び立つロケットも地球から離れ、重力にサヨウナラ。

子ども達は天才。


親子3人で参加していた子ども。
周りの子は四角いブロック、タイヤ、大型パーツを探していたのに、その子は「穴あきブロック、大小の歯車、ジョイントなど」他の子どもがあまり興味を示さないパーツを集めていて手元で組み立ていて「探してー!」と尋ねてきて「十時型の棒状パーツ」を探して渡したり。

すると「えっ!〇〇くん?これは・・・」とお母さん。
よく見ると穴あきブロックに棒状パーツ2本と2個の歯車を組み合わせて「手回しで動く装置」が完成していて本人も満足なのか回して動くパーツに喜んでる。
その様子を見て驚くお母さん、お父さん。聞けば子どもがこういうのを作るのは初めて見たとのこと。

「普段からレゴで遊んでるんですか?」
「はい、遊んでますけど(レゴが)少なくて。こういうレゴ(=歯車など)は何を買ったらいいんですか?」
「パーツは専門店に行かないと売ってないので、お店で歯車入りのセットを尋ねたらいいと思います。」
「(お子様は)おいくつですか?」
「4歳です。」
「よ!4歳!すごい!将来が楽しみですね。」
「ありがとうございます。これだけレゴがあったら幸せですよね。」と続く。

他にも「地球を作るんだ!一緒に探して!」と誘ってくれた子は、マントル(地球の核)まで作りたいとレゴを組合わせて正方形にして中心に赤いブロックを入れて、日本の位置を教えてくれて「いくつ?」と尋ねると「5歳だよ!」と教えてくれた子に驚いたり。

子ども達は天才。

2024年12月15日日曜日

前日にハプニングはフツー。


9月から始まった創価大学生によるプロジェクトマネジメントをイベントというOJTで学ぶ授業「こども市スペースラボ」の前日。

各役割(マネジメント、広報、レゴ、レゴ以外の企画)にはリーダーがいて、それぞれが各役割を牽引しているものの、進捗が遅れていたり、情報共有ができていなかったり、想像/予想と違ったり・・・色々と不具合が出てくるのが直前あるある。

企画の一つが準備を進めているものの、描いていた完成には到底間に合わない・・・となる。
でも、作業を止めるわけにはいかず、プロジェクトマネジメント的には「受容(リスクの結果を受入れる)」となる。

とは言え、途中までできている。学生たちのモチベーションが切れても困るので、「この企画は子ども達と一緒に行うことで完成を目指したらどうだろう?」とアドバイスする。

この企画を考えた学生も背に腹は変えられない・・・と一部の方向転換に納得。子供達が参加できるよう準備を整える。

そしてもう一つ。「サンプルづくり」がタスクに入っていたのに誰もしていかなかった!
学生は全員が自分の持ち場で最後の追い込み中で、私しか手が空いてなかった・・・。

学生達が黙々と作業している中、ガチャガチャとレゴ音を立てながら「宇宙ロケット」の制作にとりかかる。
で、案の定、面白くなって一機作ると違う形のロケットを作りたくなり、その次は「UFO」を作り始めて、最後に口直しでロケットを作り、計4機制作。

「めっちゃ、いいじゃないですか!」と学生たちに褒められるも彼らは我が子よりも年下だった件。

媒介者。


愛媛県内では会えない人と県外で会う。
愛媛県内では食べないのに県外で食べる。
愛媛県内では見ないのに県外で見る。
愛媛県内では聞かないのに県外では聞く。
県外あるある。

柑橘シーズンカム!「ピンポーン!」とチャイムが鳴り、宅配便で届いたのは「真穴みかん」。
言わずと知れた、日の丸、川上と並ぶ愛媛のブランド温州みかん。
愛媛県内ではみかん(柑橘)は、買わずいただくことが多いので、ブランドみかんを食べることが(私は)ない。

箱を開けると大きさの揃ったツヤツヤ、鮮やかなオレンジ色の表皮に「真穴みかん」のシールが一つずつに貼られていた。(このシール、一つ一つ手で貼ってるんだろうな)と思いながらいただきながら、その甘酸っぱさに感激!小さいのに1個で十分なジューシーさ。

実は真穴みかんが届いた数日前には「紅まどんな」も届いていて、紅まどんななんて更に食べる機会がない(「“じゃない”紅まどんな」は稀にある)。

こちらは一つ一つに緩衝材が包まれていて温州みかんの1.5倍ほどの大きさ。
手でむくと果汁が溢れるので切っていただく。
「ゼリーのよう」とは適切な表現で果実と言うより果汁たっぷりのスイーツと思うと1個数百円もうなづける。

そして、届いた柑橘は我が家で消費・・・ではなく、友人&知人に差し上げて「愛媛出身者には郷土の味」、「愛媛を知らない人には魅力を媒介」する役割も担っていたり。

愛媛に限らず、地方出身者なら同じことをしている人は多いんだろうなと思った件。

2024年12月14日土曜日

結局は。


例えば、うまくいかない場合があるとする。
それも1回ではなく、10回、20回と続き、気づけば1年以上もうまくいかなかったら(この先、どうなるのだろう?)と不安で心が押し潰されてしまうのも分かる。

その後、うまくいっても今度は周りや世間との“ブランク(空白期間)”が気になり、うまくいかなかった時期とは異なる不安に襲われて、気持ちが押し潰されそうになる。
そして、人生の空白というか無駄な時期と思うかもしれない。

でも、人生100年と言われる中で、1年程度そんな時期もあったな・・・と笑って思い返せる時はやってくる。
大切なのは(あの時間も大切だった。だけど、もうゴメン!)と胸に刻んでおくこと。
私もNYへ行かせてもらったのに大学を辞めて、無気力だった時期が半年ほどあった。

〇〇回失敗したら、代わりに成功が得られることは絶対にない!これだけはハッキリ言える。
だから、自分を信じるれるか?どうかの話。
言うのは簡単だけどタフな日が続くと心は折れるし自分を否定したくなるから、どこまで信じられるか?は本人次第。
そして「違う選択肢(例:止める、諦める、変える、忘れるなど)」が出てくるのも分かる。

紆余曲折、凸凹、つまづき、ダメージさえも好転させるには日々を綴り記録しておくこと。
タフなコトを乗り越えたかよりも、そんな日でも何とか過ごせて翌日を迎えられたではないか!が大切。

どん底を味わうと、それ以上の底はないわけだから、些細なことも含めて全てがハッピーになり、周りに感謝したくなる。

結局は自分次第。周りが手を差し伸べても、その人次第。

2024年の低登山登り納め。


三福団子も天狗焼きもオープン前。帰りにご褒美で立ち寄るバングラディシュ料理のラニーもオープン前。

なのに朝早く高尾山へ行きたい理由は5つ。
一つ目は「仕事前に楽しめること」。
二つ目が「(世界一の登山客なのに)人が少ないこと」。
三つ目は「朝は清々しく登れること」。
四つ目は「その後の仕事が捗ること」。
最後は「一日を長く濃く過ごせること」。

5つもメリットがあれば、三福団子も天狗焼きもラニーも我慢できる(笑)。

晴が続いていたので(よしっ!高尾山へ行き、2024年の登り納めだ!)と決める。
5時起床。身支度を整え、出勤する妻と一緒に7時過ぎの電車でGO!途中で分かれ、京王高尾山口駅に着いたのは7:50。

この時間に登山する人たちは重装備。きっと高尾山から連なる陣馬山を歩く人たちと思われるけど、私は手ぶらでスマホ一つな低登山愛好家(と言っても松山城と松山総合公園、高尾山ぐらい)。

全て舗装道の1号路を上がり始める。前を行く人もすれ違う人もおらず。
1号路なら誰もが知る「心臓破りの坂(この坂で一気に呼吸は激しくなり汗をかく)」を超えるとロープウェイであがってきた人を混ざり、すれ違う人が多くなり「おはようございます!」で一期一会。

「タコ杉(タコの足のように分かれてる杉)」を過ぎた所にあるペーパークラフトは季節ごとに変わり、毎回通る度にホッコリさせてくれる、誰が作っているかは知らず。

参道を通り薬王院を通れば、もう少し。1時間ほど3.8km歩いた先は599mの高尾山頂上。
目の前にハッキリ、クッキリ、キレイに見えたのは富士山。
夏は湿気などでハッキリ見えることは少なく、冬の方がキレイに見える。

でも頂上まで上がらなければ分からないので運試しのよう。
2024年も残り3週間だけど、今年も概ね上々だったかな?と1号路を戻りながら振り返った件。

2024年12月13日金曜日

ガクチカ。


「この授業、マジでガチだよね。」
「そうそう、ここまでとは思わなかった」など学生。

聞けばイベントの実行をワイワイ楽しく経験して単位がもらえたら・・・と考えていたようだったけど、妻から学生たちへは忖度のない意見や指示が次々とくだされて、学生たちの想像を超えていたみたい(笑)。

「これ、ガクチカに書けるレベルだよね。」「ほんと、一生懸命だもんね。」と他の学生。
「そうだね。書くときは授業で学びました、ではなく、何を学んだか?を書いてね。」と聞かれてもないのに学生の話に入ってしまうも「確かに!」といただく(笑)。

レゴプールを置いたブルーシートがズレないよう、ガムテープで固定し終わった学生二人。
その後はレゴプールが壊れないようにガムテープで補強している最中に「今日、ガムテーム作業しかしてない・・・」とつぶやくと「ホント!」と相づちの二人。

私も補強してたので「いいじゃん!これこそ、ガクチカに書けるよ。」
「ガムテープ貼りが上手になりましたってですか?」
「違うよ!プロジェクトにおいて縁の下の力持ちになり、私たちは不可欠な存在でしたって!」
「えっー、もっと表(≒派手目)に出たいです(笑)」と学生。
「みんな、表面的なコトをPRしたがるけど、似た内容も多いから印象薄いよ。それよりも見えない所で頑張ってます!と言えた方がカッコいいと思うけど」
「そうですかぁ〜」
と、我が子よりも年下の学生に親目線で話してしまう。

「おぉ!サンタクロース!」とレゴ人形のサンタクロースを見つけた学生。
「2体いるから見つけた子には何かあげようか?メダルチョコとか?」
「いいっすねー!」

学生とのひと時。

否定じゃなくて。


コニカミノルタサイエンスドームに着くと、リーダーが先に到着していて、一緒に会場へ。
ガラッーンとした部屋をこれから「こどもスペースラボ」のイベント会場に仕立てるのだけど、何から手をつけたらいいか不安なリーダー。

これまでの授業で会場レイアウトを完成させていたので見せてもらい「先ずは不要と思える机やイスを撤去したらいいよ。」とアドバイス。

一緒に片付けた後は会場レイアウトに沿って机やイスなどを並べるも・・・会場には常時25組-30組+スタッフ≒70人ほどと想定すると狭いと分かる(冬だから荷物も多いから)。

悩むリーダー。
「こういう場合は頭の中で描いたイメージよりも現場(現実)優先だよ。」と再びアドバイス。
自分たちで描いた&決めたレイアウトだから・・・と悩むけど、誰の視点でモノゴトを判断すべきかに焦点を合わせると、それはターゲットである「子供たち」になる。
自分たちの満足度ではなく、ターゲットの満足度で測るのがプロジェクトの成功指標。

仮レイアウトができた所へ続々と学生たちがやってきて、グループに分かれて準備開始。
すると今度はレゴグループが授業で決めたレゴを配置しようとするもイマイチで(予想と違うな・・・)となり作業が止まってしまう。

「去年したレゴプールはどんな感じだったんですか?」
「レゴプールはブルーシートの中心にダンボールで囲いを作り、そこへドドッーとレゴを流し入れたんだ。」
「やっぱり、その方がいいかも・・・」
となり、作ってみると「いいね!」となる。

例え決めたアイデアでも現場で変更はよくあること。「プロジェクトは生き物」という所以。
自分たちのアイデアを否定するイメージもあるようだけど、否定ではなくより良い選択ね!
OJTで経験!学生たち。