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2021年5月24日月曜日

気分上々。

 

Fさんこと、フミノリさんが“検品(笑)”されているのは、私が1999年にニューヨークへ行った時に敬愛するキース・ヘリングに“あやかりたい”とPOP SHOP(閉店)に行き、永く使えるものと思ってボストンバックを購入。その全面に描かれたド派手なデザインから一度見たら忘れられないインパクト!22年が経とうとしていますが、今でも現役です。キース・ヘリングについては、こんなことも書いてた・・・。また、行くぞ!

フミノリさんとも出会って10年・・・実は同い年。「あんな」「こんな」「そんな」で登場してました(笑)。綾さんと陶芸家夫婦として己が信じる道をひたすら歩むって、言うのは簡単だけど決して平坦ではないと思うのでスゴいと思います。と、思ったら「泉谷家はアドベンチャーファミリーでしょ?」とブーメラン。なにはともあれ、良い雰囲気の「学と芸 七分」でした。私とフミノリさんが話している間も、フラリと入ってきました。

そして、週末もひたすら歩いて40000歩/週を達成!歩いている間はニュースを聞いたり、好きな音楽聴きながら思考を練っては分解して再構成して整える(周りの人や自転車、車には気をつけよう!)。家に帰って忘れないうちにPCに向かって作業する。「24時間戦えますか?」はRegainのコマーシャル。時代はそんな問いを求めていないけど、取り組めることがあるのは幸せ、大変だけど・・・。

2021年4月25日日曜日

共感が湧く。

何事もコツコツと・・・。6年ほど前かな?介助犬・聴導犬への理解普及に取り組み始めた砂田さんと出会い、彼女が課題と感じた「認知度が低いがゆえの入店拒否」への打開策に介助犬・聴導犬に見立てた犬風船を使ってPRできたら面白いね!と好き勝手言ったのが5年前。それからエマちゃんを連れて訪れてくれたり、コツコツと“ゆっくり急げ”を実践されて、先日届いた手紙には関福祉財団から社会福祉奨励賞を受賞したとの報告。

個人活動から組織化されて、大勢からの支援も受けて素晴らしいの一言。こうした成果は第三者だから客観性とも言えるし、社会的信用の一歩とも言える。ただ、第三者からの発信で満足せず、自らも成果を言語化して、自ら積極的に発信することで受け手に届くし、会えていなくても状況を共有できる。SNSでも似たようなことはできるけど、支援者一人一人に出していると思うと濃さが違うから共感が湧く。

活動や事業には“太く短く”とか“細く長く”という表現があるけど、公益活動は“細くても長く(≒持続)”が理想。ただ細くても長く続けるには共感者が必要で、そのためには成果や実績も出し続けなければならず、報告書の隅々まで目を通すと色々な場所や機会(1年間で14000km走ったとのこと)で伝えていることを知る。「ドッグフォーライフジャパン」の活動や実績はコチラから。

2021年4月18日日曜日

残された人は。

突然の訃報。「ナゼそこに?日本人」にも登場し、妻と長男くんがケニア滞在中に大変お世話になった方がコロナウイルスで亡くなる。高齢とはいえ、数日前まで元気だった様子・・・。長男くんは単独でも訪れ、ボランティアをして再会を約束していたよう。残念としか言いようがなく、これからもやりたいことがあったんだろうなと・・・。残された人は、どうやって心の整理をしたらいいのかと。

昨年、アメリカの母が亡くなった時と同じ心境で、当時10代だった私を面白がってくれて「買っちゃった!」と白いRX-7のオープンカーを近所で野菜を買ってきたかのように言って、「ちょっとそこまで買い物に行きましょう!」と時速100マイルのスピードで着いた場所は「ちょっと」ではない遠距離だったり。今思えば豪快だったアメリカの母、亡くなっても進む先を天国から面白がって見守ってくれるはず(涙)。

残された人は思い出などを糧に今を生きるしかない、と。経験したコトは時に動機とかモチベーションに変換されることもある。だから、少ない経験であって欲しいことも、喜んで経験したいこと、想定外の経験など多種多様な経験があるのだから、自分自身に取り込めばいいかもしれない。それにしてもコロナウイルスで亡くなるなんて・・・。お悔やみ申し上げる。

2021年3月30日火曜日

跳ねたけど重かった件。

アテネオリンピック(2004)、北京オリンピック(2008)のオリンピアンの土佐礼子さん。ココ大の授業でもお世話になり、特産物を使い愛媛国体向けに【裸麦ラッシー】を開発したのが2015年、楽しい事業でした。今回はワークライフコラボさんが行っている「休日こどもカレッジ」の見学が偶然に土佐さんの運動プログラムと重なり再会。子供たちと一緒に運動して、49歳おじさんも跳ねた!重かった。

子どもたちを見守るのは学生ボランティア。単に“お友達”ではなく、チューターのようで子どもたちの伴走者。大学生はいわゆる“Z世代”で、2025年には生産年齢人口の約50%(ミレニアム世代含む)を占める世代。と、書くとニュータイプのようでギャップを感じるけど、親しみやすい若者でした。彼ら自身、子どもたちと触れ合うことで人間関係とか距離感などを学んでいると推察。と、言うのも子どもたちは「忖度や都合など微塵もない超絶カオス」だから(笑)。

ひたすらに走り回る子。一所懸命に追随する子、団体行動から外れる子。学生に甘える子。一人で淡々とする子。誘ってくれる子。じゃれあいが好きな子。10人いれば10人の個性があり、学生を含む大人たちもこども達を通して学んでいます。担当の亀田さん(彼女とも、10年程か・・・)から「子どもたちはスゴいです。」と聞くも、子どもたちから「亀ちゃ〜ん」とか頼りにされている亀田さんが私にはスゴいと思ったり。

2021年3月23日火曜日

サヨナラサンカクマタキテシカク

桜のシーズンイン!堀之内公園の桜も咲き始めて、通りすがりの人たちが写真を撮っていたので私も参加してみた。不思議なものでキレイに思うのはナゼだろう?と思ったり。まだツボミもあったり今週末には満開になりそう!そして今年もやってきた【さよなら△またきて□】。パートナーして共に業務に励んだ方が、わずか1年で異動になったり、任期満了につき一区切りをつけられる方がいたり。

家族の事情で止む無く仕事を辞めた方もいれば、転勤に伴い職を離れる人もいる。コロナウイルスの影響で仕事が止まったまま、仕方無く転職される方も・・・。
ご本人からお話を聞いた瞬間は残念至極!と思ったけど、人生は「そこが全てではない」ので、次のステージへ進むということで納得(実際により専門域へ行く人もいる)。“辞める”という言葉にネガティブ思考がよぎり猛省。新たな“門出”でも良いはず!と思いたい。

“働く”は【職場(自社)の風土】【業務内容】【一緒に働く人(仲間)】【取引先】で構成されていると考える。これらが入り混じって絡み合って仕事となり、その成果や対価に給料をもらう。最近は所属組織への帰属意識も変わり、業務内容や体系も変わると、内(職場)でも外(取引先)でも【誰と一緒に働きたいか?】が重要となると予測。それぞれが進む道は平坦ではないし、この世はコンチクショーだけど、いってらっしゃい!

2021年3月1日月曜日

勝手に愛媛県人会。

出身は愛媛です、離れて30年ほど経ちますけどね・・・」とのこと。聞けば某大手エンターテイメント会社に就職されて、その後転職されたとのこと。「コロナでしばらく帰れてないですね・・・。どうですか?松山は?」「特別警戒期間中でお店が臨時休業や時短営業など苦戦を強いられてます。」「感染者数はどうですか?」「減ってはきていますが油断はできないですよね」「地方は感染者数に敏感ですよね・・・。」

祖父母が愛媛県出身です、生きていた頃は年に2-3回は帰ってたんですけど・・・。」「えっ!愛媛なんですか!?」「えぇ、いい所ですよね」「そうですよね、私も移住して、いい所だなと思ってるんです」「えっ!?泉谷さん、愛媛出身じゃないんですか!?いや、伊予弁出ないなと思ってたんですよ・・・」そうか、訝しげに見られていたようだ(笑)。「愛媛をよろしくです!」「いえいえ、役に立ってるか怪しいです・・・」

「ウチは両親が愛媛出身です、もう全員離れていて今は誰もいないですが・・・」「えっ!そうなの?」「じゃあ、小さい頃は愛媛に来てたの?」「えぇ、祖父母の家が愛媛でしたから夏休みとか正月には帰ってきてましたよ」「そうなんだ!」
何が引き寄せるのか?愛媛に縁のある方々。ご縁が全くない人に愛媛に興味関心をもってもらうのは至難だけど、関係人口の切り口としてありそう。なぜなら全員“愛媛は自然豊かで食事も美味しくて興味関心あり”だから。

2021年2月14日日曜日

宇和島市蒋渕にて。

10年来、私を面白がってくれている宇和島市蒋渕を拠点に地域づくり活動をしている“こもねっと”の清家さん。2年ぶりに訪れた蒋渕でいただいたのは「ブリの照焼き定食(1080円JPY)」、清家さんは「カンパチの定食(つまみ食いをさせていただく)」。お互いの近況を共有(“対面授業ができない”とか“こもテラスが波で壊れて”しまい修繕中とか“人の活動が止まった”など・・・)小さな町でもコロナウイスルの影響は容赦なかった件。

そんなピンチの中でも“オンラインツアー”をしたり“ライブコマース”をしたり、行動力と言うか機動力はピカイチで好機を創り出し、手探りをされていたのは良い刺激になりメモメモ。で売れてる!とのこ。
車中にて。「正論は多くの人が理解できるけど、正論を“行動に移したり”“自分ごと化する”のは難しい・・・。」となる。また、多様化を誤って理解すると単に「バラバラな意見を放置(容認)」に繋がりかねず、そうなると議論が深まらないと意見交換。

地域で暮らし続けるとは?のような話をしながら思い出したのは、「死ぬまでココでどうやって生きるか(暮らすか)?」と面河村(600人)の人たちと意見を交わした5年間や「雁木(海面上に母屋があり、階段降りれば船に直接乗れる)」と暮らす離島の方々の顔。考えすぎるとタコツボ化しそうだったけど、実は“そういう地を求む”移住者もいたりして、「(どんな状況でも)どうやって今を楽しむかでしょうか?」となる。

2021年2月12日金曜日

恵まれている。

コロナウイルスの影響で会えずにいた人に所用で連絡したらナント!本日転勤で新天地だった人。「急遽で私も1年で去るとは思わなかったです・・・。」と当人。実際にお会いすることなく電話とメッセージだけでやりとりし、今年の最初の連絡が最後になるとは・・・。栄転とのことで後任をご紹介していただいたので盤石だけど、ご挨拶もできずに直接顔を見合わせることもなく愛媛を去る人がいる事実。

2年ぶりに電話をしたら退職されていた人。詳しく聞けなかったけど、そんなお歳だったかな?と。でも20年前に知り合ったからそうかもしれない。同じく2年ぶりに連絡をした方には前振りなく直球の相談をすると「いいですよ!」だった人。実は1週間前にも相談した人へ別件で相談すると「嬉しいですよ!」と返答してくれた人。こちらは(忙しい中、迷惑じゃないかとハラハラ)だったので大感謝。来月、行けそうなので顔を出そう。

コンチキショーな環境で揺れ動いていた人がとどまる。「(いつでも辞められる!)という気持ちで自分を責めたり、追い詰めないでね」と助言したけど、その通り。人に関わったり、触れ合うほど、感情は揺さぶられるしシンドくなる時がある。
だからといって関わり合いをなくせば平穏に過ごせそうだけど、それは“本質的に違うよね”と心理学者の妻。連絡1本で関わりをもってくれる人がいる私は幸せ者だと実感した今週(あっ!まだ今日もあった・・・)

2020年12月15日火曜日

1滴も飲まずに。

「その自由は勝ち取ったものなのか?与えられたものなのか?」と、(ココは明治維新か?)と思わせる話を平気でやってのける。話の発端は外国へ行ったら文化や思想に自由を感じた。という話題に「どんな自由ですか?」と問いを投げたから。すると「一人一人が自分の意見を持っていて、誰かの意見を借りることがない。アイデンティティ(自己同一性)が確立していて、それは独立戦争などの“意思”が脈々と受け継がれているからではないか?」

そして話はそのまま“子育て論”に。「(自分が親から同じようなことをしてもらったように)子ども達には自分が進みたい道を歩んでもらい、応援したい。」と。ただ「親がユニークだと子ども時代は本当に困った・・・。」となり、「授業参観や運動会は“恥ずかしくて来て欲しくなかったのに必ず来た”・・・」とのこと。「思春期って何かと親に反発ですよね」となる(そう言えば両親が授業参観や運動会に来た覚えはないな)

自由の話を現代に落とし込む。自由を「自ら切り拓く」と定義して話しなおすと、私は“自由の人”となるようで、当人はこれから“自由の人”へ準備を整えるそう。「与えられた自由の何が問題か?」は難問だったけど、あえて探すと「自分が欲したわけでもないから自分ごと化されない(感謝や意味を考えることなく、不平不満や責任を他者へ転嫁しがち)」となる。1滴も酒を飲まず聞いた夜。

2020年11月3日火曜日

対価は鍋焼き。


「相談があるので会えないか?」と一回り以上年上の方。「どうしたんですか?」と尋ねると「相談を預かり、誰に相談すれば良いか考えたら・・・」私だった件。聞けば「公益事業をどう運営するか?」で関係者も集まる席に招かれる。今回の場合、「公益性は誰が享受するのか?」がポイントで、浅くとも広く世代や性別など関係なく考えるか?狭く深く特定の方が享受するか?どちらにせよ享受する方が「私に必要か?便利か?」と思ってもらう必要がある。

そして、一度しか来ない方を対象にするか?それともリピーターを対象にするか?でも大きく違い、いつ来るか分からない誰かを「待つ」ことになり、リピーターは次があるという前提で「打つ」ことができると伝える。(むむっー!)とその場がなり、散らかした話を整理し「リピーターを軸に一度しか来ない方も対象にする」で収まる。そのために手持ちの資源の充実を助言する。

「いやぁ、助かったよ」と役に立ったようで何より。お礼は「鍋焼きうどん+昆布の天ぷら(850円)」をご馳走していただく。面白がっていただいて数年、【相談できる奴(≒アイデアを持つ奴)=私】というイメージが結びついているようでありがたい。「柑橘と言えば・・・」「愛媛と言えば・・・」と同じで、イメージの上位3位までに食い込まないと厳しいかもとメモ。

2020年9月11日金曜日

公開エール

ひょんなことから近況を知り、体調を崩したり、事業が思うように進まなかったり、辛い思いをしていたことを察する。気になって連絡するも返ってきたメッセージは心配させないようにという配慮が滲み出てた(涙)。基本的に世の中はコンチクショー!と思っているけど、社会のせいにも誰かのせいにもしないのがルール。そんな中でも「どうしたら楽しく過ごせるか?暮らせるか?」がモットー

失敗して残念と思ったこともあったかもしれない。でも「やってみなければ分からない」ことが多い中で「あたかも正論に見える理屈で行動しない(アイデアキラー)」の方がよっぽど残念。経験至上主義者としては「あーだ」「こーだ」「そーだ」と経験の必要性を唱えていて、酸いも甘い経験の全てを「糧」として己の血とし肉とすることが大事。失敗はマイナスかもしれないが、経験の絶対値はイチでありプラス、何もしなければゼロ。このゼロとイチの差はとても大きい

(ご本人はどう思おうと)これまでに素晴らしい活躍や実績をしてきたのに、それらを「無かったこと」にする必要はなく、また始めればいい。ただその時は「ビジョン」はあった方がいい。自分たちはどんな道を進んでどんな場所を到達したいか?描けるといい。そうでないと、目の前の対応で日々進んでいるように感じるも、その道は行き当たりばったりで蛇行したり戻ったりしてしまい実は進んでいない。

2020年3月28日土曜日

もう一人の私。

予定では今頃は香港にいてFILMARTという映画のマーケットに参加して日本、愛媛を紹介しているはずだった。先日は収録予定だった番組が中止、整えていたロケハンも中止、東京五輪は延期。判断する(特に後ろ向きな)のは気分が思い。判断までたどり着くのは、判断材料を集め、無意識も含めて何百回も考えを繰り返して、先まで見越して考え抜いた道のり。でもベストなのか分からないのが辛い。

人は1日に35000回の意思決定をしていると書いていた(2017/11/4)。明るい話題なら良いけど思い話題の場合は1つ1つの重みが違うと痛感。判断材料はこれまでの経験が役立つけど、経験に変な垢がついてると判断が鈍くなるから厄介とも書いていた(2017/11/1)。常に最適な判断ができるよう想像力(創造力)を持ち合わせることがマイナス思考である認知閾を脱することができるとも書いていた。

突発的で予定外の判断が求められ、避けたい・スルーしたい気持ちもある!けど、1つ1つコツコツと対応しないと次に進まないと思った時に意外と役立っているのが、この「学長ブログ」。4133回目の日記。過去の自分がどういった心境でどんな考えから判断に至ったのか、本人がすっかり忘れていても残っているから別人のような私(笑)。もう一人の私がアドバイザーという感じ。

2019年12月22日日曜日

スイス在住、初愛媛。

次々とリフォームチェンジする道後のホテル、全てのホテルのロビーに入った経験は遠い昔。某ホテルで待ち人を待っている間に眺めた光景がThe 道後だった件。広角だったので写真では撮れなかったけど左手に道後温泉本館(改装中)からパンすると右手に飛鳥乃湯泉まで視界に入る。道後商店街も見えて、つい(どこまで見えるかな?)と彼方まで見ていたら待ち人来る。

久しぶりに道後を散策すると純和風ホテル、洋風ホテル、和洋ホテルなど「ホテル」と一言で言っても色々あると再確認。客人はスイス在住で初愛媛。四国をグルりと周り道後に1泊。せっかくならと松山の郷土飯の「もぶり飯」を食べながら「もぶり飯」が広まった契機となった「坂の上の雲」でのエピソード(リサーチで丸万の大将をお招きしNHKと共に学んだこと)などを紹介し味に印象を深く。

松山城では殿様気分で街並みを見下ろしてもらい、坂の上の雲ミュージアムでは借景の中で松山での生活などを紹介。帰りは路面電車を勧めたら「せっかくだから歩きながら街並みを見て帰る」とのこと。翌朝、出発時に立ち寄ってくれて開口一番「松山はいい所だよねー、ココに住む理由がわかるよ」と客人。よほど愛媛(松山)の印象が良かったのか再会を約束。

2019年11月24日日曜日

アテンド。

撮影隊を松山に案内するのと旅行者を松山に案内するのは、同じ案内でも似て非なり!撮影隊の場合は「ロケハン/シナハン」が多く、名所・名跡をお見せる場合は「技術的に撮影できるか?」だから、映える見るアングル、撮影ポイント、日差しの角度など、【点】の玄人話に対して、旅行者の場合は「撮影ポイント」は共通だけど「歴史、由来、言い伝え」など物語で、訪問地の全体を知りたいと今更ながら知る。

また旅行者の属性が異なることで紹介する場所も異なることも今回で再確認。外国人旅行者の場合は多言語情報のある観光地が良いだろうし、THE 日本!を体感できればいいかも。高齢者の場合は体力や足腰などを考慮すると平坦な観光地の方がいいかもしれない。外国人でも高齢者でも共通で満足していただけるのは「食べ物」で、ココでしか味わえないものは喜ばれる(今だったら温州みかん!蛇口からみかんジュース)

案内も歴史、由来では事足りず、やはり「撮影秘話」を持ち出す。特に「坂の上の雲ミュージアム」では「坂の上の雲」の撮影として登場した「松山城」や「二の丸史跡庭園」、火打ち石のCGや最終回では我が子が坊主になり鼻水代わりに水飴をペロペロ舐めながら出演したこととか(笑)。それだけ話題が多い松山、撮影隊も旅行者も次回もお越しくださいと!

2019年9月2日月曜日

900km先から友くる。

7歳年上の友人が900km以上先から自転車を漕いで会いに来た(本人いわく、電車にも乗ったとのことですが)。細かいことは教えてくれなかったけど、色々と抱えているようで、焼肉食べて語らって最後は「周りからお役御免と言われるまでもう少し続けようかな!泉谷くんのこの先も見たいしな!」と、少しは元気を得たような言葉でお開き!もう15年以上の付き合いになるのかな、年上でも同志!

写真は今年のインターンシップ生3人と愛媛国際映画祭のアシスタントとの2人との合同交流会、場所は花園町で20年以上続くインドカレーの名店「ラルキー(オーナー変わったけどね)」。一人2500円のパーティーメニューを注文し学生とわかると・・・お店のマネジャーが頼んでもないサービスを次々と(詳しくは書けない!)。これだからラルキーはやめられない。いつの間にか私は「先生」と呼ばれる(笑)

自分を好きになりたいインターン生へ、ユキちゃん(中国からの留学生)が「自分のことを世界で一番知っているのは自分なんだから、好きにならないともったいない!」と熱弁をふるい、一同激しくうなづく。実は「好きになりたい」というのは「自分LOVE」ではなく「自分を認めて受け入れられるか?」ということで、交流会はさながら哲学サロンのようなだった。

2019年5月8日水曜日

昭和バリバリの大人!

ギューン!と上京し、用務をダッーと済ませサクッ!と帰松。東京駅八重洲口を通ったら「THE FARM TOKYO」という看板が目に入る。(なんだ都市型農園か!?)と思ったら「食と自然と人をつなぐ食体験」を掲げたBBQスペース。コンクリートジャングルの都会との対比が面白くパチリ。某大手農機具メーカーも協賛していて「都市と農」は間違いなく沸騰キーワード。

新しいことを始めようとすると必ずぶつかる壁。前例がないという壁、思考停止に陥る壁、お金がないと嘆く壁、責任が誰が取るんだという無責任な壁などが代表格だけど、40代、50代、60代の昭和バリバリ生まれの大人が「改めて企む」っていうのは面白い。これまでの経験による現実思考と「やりたかったけどできなかったコト」とのハザマで落とし所を探そうとするも暴走気味な大人たち(笑)

壁を乗り越える策(いわゆる無難で常識的な策)を考えていたら「壁を壊そう」と考える昭和バリバリの大人たち。40代の私なんかはヒヨッコ扱いで怖いもの知らず、武勇伝を聞いてるだけでも面白い先輩たち。つくづく(私はツイてる)と思う、人に恵まれている。で最後は「お前に任せるぞ」的な締めくくり(涙)。「お前だったら協力してやる」とお酒も入って意気揚々な昭和の大人。

2019年2月12日火曜日

辞めて思うありがたさ。

看護師になった人、整体師になった人、編集者(長)になった人、ライターになった人、大手ゲーム会社のプロデューサーになった人、大学病院のエンジニアになった人、大学に勤めている人、公務員になった人、デザイナーを続けている人、海外へ渡った人、酪農家になった人、百貨店に勤めている人、カメラマンになった人、そして一言では表現できない生業をしてる人(私)が集まった不思議な会。

欠席者も10名ほどいたから約30名の繋がり。一時期、同じ会社に勤めていた仲間です(私は2年弱かな)。「自由な会社だったね」「残業代がパン!もあったね」「3日間徹夜してもOKだったよね」など、好きなだけ自由に猛烈に働けた職場。今ならブラックと言われそうだけど、当時は仲間との仕事が楽しくて、勝手にコンテストに応募したら入賞してしまい、事後報告したら「早く言ってよ!」と笑われたっけ、それほど自由だった。

「よくも、これだけの人数を雇ってたよね」と一同。(私が勝手に)19歳で当人のイメージがとまっていると「19歳のままでお願いします」と返答してくれた彼女はもうすぐ40歳!みんな若かった。「で?イズミさんは何してるの?」と複数から質問を受ける。普段は同じ生態系にいる方としか接していないから、そんな質問がとても新鮮で嬉しかったり。「私の職業は泉谷昇だよ」と郷ひろみがインタビューで答えた回答を真似る。

2019年1月12日土曜日

世界一といわれる若藤さん。

お酒が全く飲めない私は撮影などで訪れたキャストへ「夜の愛媛」を紹介するのに苦労してましてロケ地を探す方がよっぽど楽!と思ってます・・・。で貴重なお店を紹介していただく。名前は伺っていましたが若藤昌男さんのお店「HERO STAR」に初潜入、若藤さんにもご挨拶できて大満足。店には1,000体、4つの倉庫には大小6万体っていってたかな。席に座らず店内の物色からスタート。

「家族や友人との思い出が再び輝くような空間」と称されているように、目の前のフィギュアがその場にいる出身も経歴も性別も年齢も職業も異なる人たちを繋ぐんだからスゴい、そして色々なカミングアウト(実は〇〇好き、セリフを覚えているなど)も起こりやすい(笑)。どんな人を連れてきても店内には絶対に一つは幼少期やこどもがお世話になったフィギュアがある!

フィギュアだけでなく、アニソン、コスプレ(今更ながら世界コスプレサミットの凄さを知る)などを生み出す「ジャパニメーション」は今や海外の方が盛況だったり。うーむ、単にフィギュアと思うかどうか?私にはフィギュアが可能性の塊に見える。今は理性で抑えているコレクター魂にビビッ!ときたり(笑)。若藤さん、フィギュア以外に大の邦画ファンでもあったり!

2018年12月23日日曜日

それはわからない。

今年もあとわずかという時に「叔父さん」の訃報。会社の経営に係わったあとはNPO活動にも参加、そして何を思ったのか、タクシー運転手もされて偶然に乗りこんだタクシーで運転手が叔父さんで超ビックリ。「驚いただろう?」とニコニコ笑って喋ってきれた叔父さんの笑顔を思いだす。今年は訃報が多くてたまらない・・・。私を面白がってくれた叔父さん連中が去って行く。

60歳前後の方に面白がってもらっていることに気づく。県庁時代にお世話になった方々も市役所時代にお世話になった方々もNPOでお世話になっている方もフィルム・コミッションも福祉もお世話になっている方々の多くは60代。子供の頃に想像していた60代は「(物静かでひっそり佇む)おじいちゃん、おばあちゃん像」だったけど全く違うよ!バリバリ仕事&活動してる!

面白がってくれたもう一人の「叔父さん」が亡くなったのは2年前。何かを託されたわけでもないし、毎日会っていたわけでもないけど、お世話になったのは事実でなんと言うか(そちらでも楽しんでくださいね)という感じ。一体自分は「その時」をどこで迎えるんだろうかと。その時まで愛媛にいる?と妻と話すと「それはわからないよね」という返答。その通り。

2018年12月6日木曜日

どうして脱ぐのか?

誰かのために「一肌、二肌脱げるか?」という話。大体こういう話は条件があまり良くない時に多い。「条件があまり良くない」とは時間や予算が限られていたり、資源が乏しかったり色々あるけど、そんな条件でも「どうして一肌、二肌脱ぐ必要があるのか?」と真面目に考えてみたり。断ることもできるし義務もナシ!自分の知識や経験を提供しても満足する結果にならないかも。

日本人気質か?七人の侍っぽい(笑)恩義があるわけでもないし、まして暇でもない、実は仕事も一緒にしたことがない・・・。なのに忙しい身ながら「役に立つなら」と聞くと頭が下がる。何かよく分からないけど【期待値(ワクワク感)】なのかな?遠く離れていても何年もご無沙汰でも「風の噂」は届いているようで、面白がってくれる人生の先輩方を尊敬します(笑)

うむ、ワクワク感だけだとしょっちゅう一肌、二肌脱がなければならないと思うと別に要素もあってそれは【故郷への思い】もあるかと。進学、就職、結婚などで愛媛で生まれ育ちながら今は県外にいる人は多く、何か故郷に・・・と思う郷土愛だろうか。残念ながら私は郷土愛に乏しいから今いる愛媛を楽しむしかないけど、金だけでない繋がりは切れにくいと実感。