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2022年5月9日月曜日

できることから。


「大方あかつき文学館」での講演は、地元出身の上林暁の私小説を映画化したい!と言う館長らの想いから依頼をいただく。と言っても「上林暁って誰?」となりwikiで調べる。
私の役目は「ご当地映画」を地域主導で制作する際の可能性(例:地域を知る教材になる、文化継承のツールになるなど)と、課題(例:ヒットは生まれにくい、お金の調達が難しいなど)について包み隠さず紹介。スライド60枚、80分間の講演が終わり質疑応答に移ると・・・。

「黒潮町には情熱を持って牽引するリーダーがいない!」と、質問ではなく意見が出る。率直な意見で正論に聞こえたけど、これは「アイデアキラー」の典型で、スライドでも強調したけど・・・。実は当事者でもある自身と自分が思う課題を切り離した発言で、今回だけでなく各地で聞こえる意見。-国があなたのために何をしてくれるのかを問うのではなく、あなたが国のために何を成すことができるのかを問うて欲しい-ジョン・F・ケネディの言葉を思い出す。

その後、有志が集まって喧喧諤諤の作戦会議。その中で「南海トラフが起きたら黒潮町は消滅するんだよ!34mの大津波で町がなくなるんだよ!モノがなくなっても暁の作品は残る。どうやって伝えられるかってこと!」という旨の激アツ意見に(愛媛県では絶対に出ない意見だ・・・)と沁みる。「必要な資源が揃ってから始めようでは永遠に始まらないので、できることからどうでしょう?」となる。

2022年5月8日日曜日

それは幻想。


「何のために?」が起点で“地域づくり”とか、“街おこし”をするの?は問いたくて、それが単にイベントでも課題改善でもどっちでもOK。継続はそれから考えてもいいかも。ただ昨今の風潮から「〇〇をすれば改善」とか「〇〇をすれば解決」など、分かりやすいフレーズは耳障りがいいけど、課題改善の場合、一度で改善することも解決することもなく、なおかつ当事者不在で行うのは単なる自己満足。

さらに。既存の活動が何らかの実績を作ると、その活動を持続させたくなったり、または後継者を求めたりするけど、一団体が背負えるコトではないので、何らかの理由でその活動が終わっても必要と思われた時に違う形で新たな活動は生まれるはずだから、掲げた理念から団体維持や活動維持に傾くのは本末転倒。個人的にはNPO法人の最終ゴールは解散(≒使命の達成)と思ってる。

話を戻して。地域の課題は一度の活動で解決するほど単純じゃない。一回の活動が終わり、やり残し、不完全燃焼、激励などがくすぶり(うーむ・・もう一回・・・)などの意欲が生まれる。地域の課題は多面的だからAという活動でもBという活動でもCという活動でも、それぞれに取り掛かれる面はあり、一団体が全てを担う、〇〇をすれば解決!は幻想。大小、団体個人など総出で全ての面にあたらないと!

2022年5月7日土曜日

夏がくる。


昨夏はコロナウイルスの影響で講演や研修、ワークショップがなく、Tシャツで過ごせたのでシャツの出番がなかったけど、今日は高知県黒潮町で講演なのでシャツを引っ張り出すとシワシワ。困ったな、アイロンは妻たちが持っていった。とは言え、初対面の方も多く歓迎ムードにシワシワはよくないと、スチームアイロンをamazonで購入したら24時間以内に手元に届くのだから、スゴい。

その時にamazonから「新型冷蔵庫」のリコメンド表示。一人用とかセカンド用と「置く場所を選ばない(台所ではなく居間、寝室でもどうぞという意味)」がコピー。これからの夏、冷たい飲み物が欲しくなるけど、一年間“冷蔵庫ナシ”生活という自負が欲にフタをする(笑)。レーザープリンター、エアコン、扇風機、掃除機、洗濯機、ホームベーカリー、そして今度のアイロンと・・・色々な電化製品があるのに冷蔵庫だけ気が乗らない。

モノが一つ増えると部屋が一つ狭くなるようで、冷蔵庫はその代表格。意地っ張りになってる感もあり。“その瞬間”は不便さを感じるけど、都度買いに行けば事足りてしまう量だし。
先日、大学生にもネタで話したら案の定、「ウッソ!どうやって暮らしてんですか?」「いや、アリかもしれん。私の冷蔵庫、中に何も入ってないし・・・」と、常識とか固定概念を疑え!と言う問い。

一年は早い。


ちょうど一年前のGWから歩数アプリ(Coke on)を入れて累計276万歩、一日平均7561歩という計算。毎週のノルマをクリアするたびにスタンプがもらえて15個貯めればドリンク1本というご褒美。この1年間で7-8本はもらっていると思う。少々時間がかかっても積極的に歩く意識になり足腰鍛える、でも痩せない。同じく移動距離に応じてマイルが貯まるMilesは2万マイル溜まったので寄付。特段に何もしなくても自動的な享受。

一年前に初めて「テレワーク」を利用したのか!作業部屋があるのに、わざわざホテルに赴いて作業なんて・・・と半信半疑で利用したけど集中できたのをきっかけに、色々なテレワークを利用したっけ。写真は最初の「スカイホテル」、とても使いやすかったのを覚えている。
道後や街中など色々と利用した中で何度も書いたように、総合的なコスパからみた結果「東京第一ホテル松山」がベストだった。

一年以上前から始めようと思いつつ始められなかったのが資産の活用や形成。そもそも資産がないので、しようもないけど勧められるまま資料を書くも、よく分からず挫折。やっと、ふるさと納税の仕組みが分かった程度(涙)。活用したらメリットも多いと聞くけど面倒。「何事も始めるに遅いことはない」と言うから克服しないといけない・・・。

2022年5月6日金曜日

事実。


日本映画製作者連盟によると2021年に劇場公開された映画は邦画・洋画を合わせて959本!(邦画490本、洋画469本)。2020年は1017本(邦画506本、洋画511本)。“3ケタ”になるのは2012年以来だから9年ぶり。これはコロナウイルスの影響。2013年から1000本以上になり最多は2019年の1278本(邦画689本、洋画589本)。どう考えても全ての作品を観た人はいないと断言できる(ピンク映画も劇場公開作品)

各作品はジャンルで分けることができる。SF、アドベンチャー、歴史、人間ドラマ、ファンタジー、ホラー、コメディ、スポーツ、ヤクザ、青春、恋愛など。最近はSFコメディとか青春ホラー、歴史アドベンチャーなどジャンルが合体する作品も増えてきた。各作品にはテーマ(友情、愛情、成長など)があるから更に分けることができるし、作品を「実写」で描くか?「アニメ」で描くかで全く異なる。

そして、忘れてはいけないのが、作品は劇場公開作品だけではなくNETFLIXやAmazon、wowowなどの配信系のオリジナル作品も増えてきて、1年間の公開配信される作品数は実は分からない!実は私たちがネットやテレビ、紙面で知る作品は、ごくわずかな一部の作品(いわゆる予算のある大作)のみ。更に忘れてはいけないのが、実写作品の場合ほぼ100%でロケ撮影が行われていて、地域(FCなど)が協力していること!

モヤッと映画(駄話)


「ダンサー・イン・ザ・ダーク」は後味の悪かった映画で「ディストラクション・ベイビーズ」は圧倒的な雰囲気に潰されそうになった映画(柳楽優弥の怪演が本当にスゴかった)。「セブン」理不尽だけど(そうなるよね・・・)と悶々と行き場のない感情の記憶がある。
何の情報もなしに見た「レフトビハインド」は(えっ、話はそっちなの?)と久しぶりに後味というか、モヤッとと言うか、後味が濁った映画という感想。

神の啓示(宗教)が事件や事故に(勝手に)絡んでしまうと個々の心情などが察しにくくなる(感情移入しにくい)。事件や事故によって発生した第二の事件を解決しても(根本的な解決になってないでしょ?一生懸命に理解しようとしても絶対に理解できないでしょ?)と言うのは無宗教だし人として未熟だからか。ニコラス・ケイジが好きだから派手なワイルド系と思ってたら全然違ってた。

ほんと、結局、消えた人はどこに行ったの?天国と言っても理解できるのは宗教心があるからか?信仰心が人一倍強いと思われた神父さんが消えなかったのは「暗記して言ってたから・・・。」というオチは信仰心のカケラもなかったから?
まぁ、色々な映画があっていいと思うけど、久しぶりの消化不良の作品。ラッキーと思うかチクショーと思うか?は心の持ちようという話。

2022年5月5日木曜日

絶妙=満足感。


高尾山(599m)に登るのは徒歩で約70分。松山城(132m)は約15分。途中の道には試練の数分間があり、その苦しさが絶妙なのが魅力、(シンドイ・・・)と思っても数分後にはクリアすると分かるからトレーニング代わりと思えば問題ナシ。頂上に着けば、見晴らしは素晴らしく、高尾山なら富士山、松山城なら瀬戸内海が一望できるのはご褒美。ちなみに高尾山は「世界一登山客の多い山」とのこと。

先日の高尾山でもそうだったし昨日の松山城もそうだけど、すれ違う人との絶妙なコミュニケーションもいい。名前も素性も知らない他人と一瞬の挨拶。「おはようございます。」「ちわーっす。」など、交わす人もいれば、疲れて言葉にならない「言葉」もいたり、何度交わしたことか。昨日は明らかに観光客なご夫婦が未舗装の古町道を登っていて「ふっー、はっー、この道は松山城に続いてますか?」と声をかけられたり。

往復の時間(アクセス)も絶妙で高尾山の場合、朝早く出れば昼には帰れて午後からオンライン会議や作業ができるし、松山城は1時間以内に帰ってこれるから“読みやすい”から、わざわざ感が少ない。この「絶妙」という感じ方、押し付けじゃ感じないから、なかなか演出が難しい。絶妙とは何なんだろう?と絶妙さが満足感、充足感に繋がるのは感覚で分かったので、どう繋げるかって話。

次はあの人に。


実は先月まで「ココ大付属学園【春】」でハーモニープラザに来ていたのが嘘のよう。だけど、来月には「ココ大付属学園【夏】」の申込が始まるかと思うとソワソワしてしまう。倉庫の片付けも兼ねた打ち合わせ!まだ先とは言え少しずつ進めないと来週から撮影だから全ての作業が止まる可能性アリ。作戦会議=ブレストをするとアイデアの新しい視点や切り口で返ってきた。写真は鯉のぼりが泳いでいたハーモニープラザ。

「私が面白いと思っても、子どもたちは面白いと思いますかね?」と節々で確認。小学1年生から6年生までが対象で男の子も女の子にも興味あるアイデアでないといけない。そして参加費を捻出するのは保護者なので知育系的な要素も欲しい所。そんな“おいしいアイデア”なんてあるだろうか?今までこの世になかったアイデアもいいけど、子ども達も保護者も知らないから理解されるのに時間を要するから除外。

ポイントは「既にある品やサービスに新しいアイデアをスパイスのように入れる」こと。だから「見たことはあるけど、ちょっと違う(見たコトがない)」というのが良くて、じゃあ、それは何か?でカタチになるまで約2時間。「OK、このアイデアで一先ずまとめてみますね」と20年来の協力者。自分でできるコトもあれば、誰かを頼ることも大切。次は“あの人”に相談と連絡。

2022年5月4日水曜日

若い方の作品を観て。


至極私見です。大学生らが将来を悩む一つの背景に、義務教育の頃は「みんなと同じが良し」が“いい生徒”の基準で、みんなと違うと注意されて時に否定されたり、「どこかいい病院を紹介しましょうか?」という校長先生もいたり(本当の話)。それが卒業や就職のイメージがチラつくと学生になると「みんなと同じは無個性」のような、これまでを覆すような雰囲気が蔓延し、個性やオリジナリティが求められて、(えっ!?)と事態が飲み込めない。

そんなコトを思い出させるような「ハイスク」作品。限定公開ということでYoutubeの前に座り全編見た。思い描いた通りに行かないと虚無感を感じるのは正常。基本的に世の中はコンチクショーと思ってるニヒリズム(虚無主義)なペシミスト(悲観論者)だから、同情するけどだから「IMPOSSIBLE IS NOTHING.(アディダス)」とか「負けるもんか(ホンダ)」という名CMが響くと思ったり。

思い描いたコト=正解でも成功でもないから心配無用。私だって、もしも日芸映画学部に受かっていたら、映画監督や脚本家だったかもしれないけど、1本も撮れない、1作も書けなくてヒーヒー言ってたかもしれない。不合格の時は落ち込み、留学させてもらったものの卒業もできず、自分の不甲斐なさに凹んだけど、今はこうして恵まれた環境で過ごしているから、明日のコトなんて誰にも分からない。

2022年5月3日火曜日

ロケ弁コンテストか!?


「ロケ弁の情報を提供するので、ロケ弁写真を送ってくれませんか?」「いいですよ!面白いですねー。」「今回は1000円とリッチなロケ弁なんで(笑)」「そうなんですよ、ガッツリ食べる人がいるんでね。」とロケ地の話、宿泊場所の話も終わると次はロケ弁の話。1000円(税抜)のロケ弁なんて滅多にない(最近はキャストもスタッフと同じロケ弁を食べることが多くなったけど、大御所と言われる方は、やはり別モノ)。

メインのおかずは「肉or魚」の2種類を用意し、ご飯は別盛り(大盛り)。写真は「焼きサバ」、肉は「焼き肉」、もちろん地物入り。ロケでこんなに美味しそうなロケ弁が食べられたら頑張れるだろうな(実際に美味しかったよう)。学長日記に「ロケ弁」が登場したのが10年前、その時から「コンテンツ化」の予想はしていたけど、コロナ禍で撮影現場でのケータリングがNGとなり、ロケ弁の需要や注目が高まる。

「地物を一品でも使ってくれませんか?」と、ロケ弁提供者には相談して、使っていただけるならPRもしやすい。または、みんなでロケ弁を考える授業もいい。撮影隊はイスもない場所で時に立ったまま食べるからワンハンドな弁当とか。食べる時は冷たくなりがちなので、冷たくても美味しい工夫とか。ゴミが出やすいからゴミが出にくいロケ弁とか。いっそのこと「ロケ弁コンテスト」か!?

2022年5月2日月曜日

休日つれづれ。


ずっと後回しにしてきた作業に対峙する、そんな休日。どうやら800kmほど離れている妻も同じのようで「私も作業です。」でした。家族や夫婦の数だけ色々な過ごし方があってよく、連休や休日は仕事の調整日。ズレ込んだ作業を巻き返す!資料を作成したら、一旦、その思考から離れる。推敲は時間を空けた方が良いのは過去の教訓(時間を空けて見ると新たな視点が見えるから不思議)

作業から離れるなら掃除・洗濯が最適。終わったらプロジェクトでお世話になっている82歳の翁へ手紙を書く(インターネット環境のない翁)。先日も手紙をいただき、返信をすると、今度はお礼のハガキが届く。50歳にして「文通」のようでプロジェクトの進捗を書く。その勢いで両親(翁と同じ80代)にも近況報告を手紙に書いて郵便ポストへ投函。2日ぶりの外出。

写真は「えひめ地域活力創造センター」という名称に変わった(旧)えひめ地域政策研究センター。以前は一緒に県内各地でワークショップしたり、活動現場へ赴いては事業をサポートしたり、人財育成に協力したけど、コロナ禍で訪れる機会が減り、そしてゼロになってしまった。
どうか愛媛県の各地で踏ん張る人を支える、時に牽引する機関であってほしい。「地域づくり」拝読しました。

2022年5月1日日曜日

4970回目。


一回の経験なんてコピー用紙一枚と同じ。ペラペラですぐ破れる、シワになる、折れる、薄い、軽い。でも10回、100回と重ねると、経験値は厚く高く貯まる。それが1年、5年、10年と続き、回数は1000回、2000回、3000回、4000回と続くと頑丈になってビクともしなくなる。誰かのためにではなく、自分のために吐き続けて4970回目。5月には5000回に達する予定の学長日記。

11年と4ヶ月で5000回目の予想。ココ大は愛媛県になかった取り組みだったから、自ら発信しないと誰にも気づかれない!と思ったことと「文章を上手に書きたい!」気持ちも重なって始めたけど、最初の頃の文章は単なる感想文でホント、イケてない(涙)。今でも???だけど、少なくとも書くことへの抵抗は一切なくなり、気持ちを文字に乗せられるようになった(と、思う)。

調子にのって「小説だ!」と思ったけど、エッセーと小説では文体や構成が全く違うから書けないとわかる(涙)。あわよくば、エッセイストやコラムニストなら・・・と妄想してる。でも、実は当人はそんな風に思っていても周りは学長日記を「プロフィール代わり」に読んでいる人もいて、初対面の方でも「読んでますよ」など、知らぬ効果を生んでいるのはラッキー。
一回目からは想像できなかったこと。


2022年4月30日土曜日

無効票は2518票。


おそろしい閲覧数となった「非投票率は60.55%。」の記事だけど、当選が確定した途端、一気に情報が少なくなり収束。何事もなかった日常に戻ってしまい、投票率の低さの原因究明や開票結果のPRもないままフェードアウトしてしまい、また4年後に「投票率が低い!」という繰り返しか。ちなみに開票結果を見ると、有権者数は420,043人いるのに、165,712人しか投票してない。これが投票率39.45%なんだけど。

そして無効票が2518票もあったのね。ちなみに2518票は当選ラインを超えていた数。その当選ラインは2181票と2153票と【わずか28票】だったので2518票の中で28票分が生きていれば当選者は変わっていた可能性もあり、色々と察してしまう。投票所まで行けない高齢者問題もあるけど、投票権をもつ学生に情報が全く届いていない問題もあって、義務化の検討をしてもいいんじゃない?と思ったり。

人間は忘れる生物と、誰かが言ってたけど、エビングハウスの忘曲線では、20分後に42%、1時間後には56%、24時間後には76%忘れるんだから、1週間後には80%は忘れてるんだろうな。忘れることで新たなインプットができるのだけど、また4年後に「過去最低の投票率」だったら本当に残念で、検証もされなかったら更に残念。個人的には選挙選を調べることができて良かったけど。

2022年4月29日金曜日

深緑のつれづれ。


萬翠荘での打合せ後、導線上にあるから必ず通る「坂の上の雲ミュージアム」。安藤忠雄氏設計のコンクリートの建物入り口にコピー用紙が張られ(・・・・・。)と、見たら「4/28は開館記念日なので本日限り入館無料!」と知り、ナント!ラッキーな!と荷物を抱えたまま入館。荷物を預かっていただき、1年ぶりの「坂の上の雲ミュージアム」を堪能する。展示物も変わっていた。

その荷物を、そのまま持ち帰っては二度手間になるとわかり、アポなしで某所へ。お目当ての当人は在席で話もスムースに終わる。「今、帰ってきた所でタイミングが良かった!」とのことで、タイミングが合う人と合わない人がいるのは事実。「ご縁ですね!」と。
オマケは、ちょうどその時「フィルム・コミッションはですね・・・」と隣で話す声が聞こえて、キョトンとしたら「あらー!?えひめ&ジャパンFCの人がコチラに」と北海道は旭川のFC担当者を紹介される。タイミングにビックリ!

お会いしたこともない方と話を進めることになり、えぇい!と連絡すると思いのほか話は滑らかに進み、5月中に話がまとまればと思っていたけど4月中にまとまる。家に戻れば申請していた助成金が採択されたという書類が届いてた。
星占いは信じれば本当のようで(笑)、あと一つ話がまとまれば「星占いって本当だよ!」と言えるかも。そして今日は暑かった、1万歩歩いたから。

2022年4月28日木曜日

地域で映画を作りたい。


「地域で映画を作りたいので、地域で撮影が行われるメリットなどを教えてほしい。」という旨の相談。いわゆる“ご当地映画”のジャンルで、これらは大々的な興行作品ではなく、世界への配信もない。商業的でありながら記録作品(≒地域の教科書)という意味も含まれていて、撮影地域を舞台や素材にした作品は日本各地で制作されている。バルトの楽園(徳島県)、HAZAN(茨城県)、天外者(鹿児島県)、大コメ騒動(富山県)など。

現在も企画は各地にあり、担当者や関係者の話を聞くと、ほぼ全てで「制作資金の調達」が問題になっている。資金の多い少ないは作品の質にもかかわるから、多い方が安心するけど、ご時世もあり簡単にはいかない。寄付金、協賛金、出資金、助成金、補助金などに加えて、最近はクラウドファンディングもあり、手法は増えたけど、その分手間も増えるのでキッチリしておかないと、お金の問題は“しこり”を残しやすい。

撮影はお祭りのような勢いもあるので、撮影中の問題は解決できることが多い。製作中よりも「公開」の方が大事で、完成した作品はどこで観れるか?は超大事。劇場で公開しても2週間では短い、追加予算もない。Youtubeだと無料になってしまう。ご当地作品の場合は数年間、沁みるような上映を公民館や市民会館などで行い、多くの方に見ていただき、リクープとの両立をさせたほうが現実的。

仕事は楽しんだ者勝ち。


何度でも。【面白い仕事はない】と思うので【仕事を面白くする】。傍目からみれば「面白い仕事」に見えるかもしれないけど、「仕事を面白く」してるつもりで、面白い仕事は転がってない。この「仕事の捉え方」を間違えると、仕事に対して(こんなつもりじゃなかった)とか(話が違う)など、自分を差し置いて周りのせいにしてしまうコト多し。何でも楽しくできると思うんだけどな。

隣の芝は青く見える。組織に属していればフリーランスは自由に見えるし、フリーランスは組織に属する人をみれば安心に見える。お互いに“いいところ”しか見ないから、半分は“見えてない”。人それぞれに好みや相性があるから、どちらで仕事するのかは本人次第。
私の場合は民間組織から行政組織を経てNPOに。民間組織、行政組織でそれぞれの特徴を学んだからNPOという選択肢に進めたと思う。

そして今はフリーランスでありながら、一部(一時的)に組織に属しながらというハイブリッドな働き方。私の場合はフリーと組織の双方による相乗効果が得やすく、合っている。オンラインの普及によって以前は断らざるを得ない仕事も受けられるようになった。要は全ては自分次第なのだから、変えられない状況にエネルギーを費やして消耗するくらいなら、そのエネルギーを可能性に費やせ!ということ。

2022年4月27日水曜日

だからヨーダ先生。


アナキン・スカイウォーカーがダークサイドに堕ちてダースベイダーとなったのは、それまでジェダイとして宇宙の平和と安定を貢献してきた利他主義の立場から、次々と自分に降りかかる災難(母の死、妻の死の予知夢、評議会への疑心など)から、自分がもっと強大な力を入れればと利己主義となり、そこにダース・シディアスが登場してダークサイドの持つ強大な力へ誘い、全てを失ったアナキンは暗黒卿のダース・ベイダー化してしまう。

立派な成績を出すと上司からも部下からも同僚からも一目置かれる。自身の発言は以前よりも影響力があると知る。実績を背景に自分の仮説をゴリ推し始める。仮説がうまく行けば自分の成果、失敗すれば部下の成果と押し付ける。上司に企画の提案をして通らないと平然と文句を言う。最初こそ、利他主義だったのが、いつの間にか利己主義になり、自分の評価ばかり気にして、最後は追い出された人。

利他主義の下、数々の実績があり信頼されていたのに周りからの評価が低すぎと思い込み、自分の評価を上げようとするも空振りに。すると自分ではなく周りのせいにして評判はガタ堕ち。挽回にもっと大きなことをしようとして更に失敗。
最初は利他主義で本当に立派で(すごいなぁ)と思っていたのに、いつの間にか“自分!自分!自分!”を全面に出す利己主義に堕ち、ダークサイドへ。だからヨーダ先生。

泣けてくる。


「非貨幣価値の価値は何か?」という問い。
学生のコメントを読み続けていたら涙が出た。

  1. お金では買えない達成感や自己肯定感が得られる点。
  2. 非貨幣価値とは、お金にならない、つまり「知識」や「経験」などの事です。それに価値があるのかと問われると私はあると断言します。なぜなら、どんなにお金があっても、それを使って人を動かすことはできないからです。
  3. 自分が今までに行ってきた、様々な経験や調べてきた知識は自分のこれからの力に繋がると思います。だからこそ、非貨幣価値に価値があると考えます。
  4. 非貨幣価値の分かりやすい例をあげると、愛情である。人の心にある愛情という感情は、お金では買えない。人と関わる中で互いの心に芽生えるものである。それは目に見えなくとも大切で、お金よりも価値あるものと分かる。
  5. ボランティア活動に参加した満足感や達成感、地域に貢献できたと感じることができたら、値段などがなくてもボランティア活動に参加する価値はあると私は考える。
  6. 経験は自分の自信へと繋がると思います。また、自分の人生を豊かにしたり、思い出になったりと貨幣価値とは違った価値があると思います。
  7. 非貨幣価値は得られた経験、知識など新たな価値観など自分自身の価値を上げることができるところに価値があると考える
  8. 非貨幣価値で得た知識、技術を応用して貨幣価値のあるものを作り上げることが出来れば、さらに利益や社会貢献に繋がると考える。
  9. 非貨幣価値は人それぞれに違うのでその人の特徴が出るから。
  10. 値段をつけられない無形物は、貨幣価値のあるものとは異なり、金銭を消費しても購入することができない。時間や労力を対価にすることで得られるものである。しかしながら、他人と同じ時間や労力を消費しても、個人の感性や環境によって得るものは異なる。値段という指標がなく、その価値を自分で定めるしかないためである。その相違が価値観を養うのである。したがって、私は非貨幣価値には価値があると考える。
  11. 非貨幣価値は貨幣価値に対して値段がないため、他人には得られない自分だけが得られる達成感だったり気持ちの面で価値があるのではないかと私は考える。
  12. 自分だけしか得ることができないし、値段をつけることができないから、価値があると思います。
  13. 今まで経験したことのなかったことを体験して、スキルを身に付け、気付かなかった自分に気付けて、成長できるから。
  14. 値段は付けられなくても、自分の成長に繋がったり、経験になったりしたものには価値があると考えるから。
  15. お金のような貨幣価値は、いずれなくなるし、価値も変動しやすいですが、非貨幣価値にはお金では得られない人脈や経験、満足感や自己肯定感など、一生の宝物として、人生の糧として残ります。そこが私の思う非貨幣価値に価値があると思う理由です。

2022年4月26日火曜日

何気なさの中にあるキーワード。


大学に着くと学生が敷地内の地面一面にチョークで絵を描いてワイワイ楽しんでいて、絵を避けて通る際に「スミマセン、通りますねー」と声をかけると「どうぞー!踏んでも大丈夫ですから!」と何倍もの大きな声で返答してくれて元気をもらった件。何のために描いているかは分からなかったけど、保育など学ぶ学生も多いことから同じ目線を体験しているのかな?愛大や松大では見たことのなかった光景。

「コンビニで売ってたらいいのに・・・」と、商品へのリクエスト。「なんで?コンビニって定価、もしくは少し値段の高い商品もあるんじゃない?それでも買うの?」「買いますよ!だって“便利”ですもの」「“便利”ってナニ?」「便利??うーん、家の近くにある。いつでも(24時間)開いてる。新商品が多い。」「そうなんだ、家の近くにコンビニあるんだね。」「はい、あっ!キャッシュレスもいい。」

「私はスーパーの方が品も豊富だし、安い気がするけど、スーパーは行かないの?」「うーん、行くけどスーパーって大きいよね(と相槌を周りに求める)。そんなに種類(選択肢)もいらないし、安いといっても10円-20円だし」「そっか、メモする!」「キャキャキャー!」。
何気ない会話だけど、とても重要なコトを聞いたような気がして振り返り。そして一人暮らしの冷蔵庫は小さい。

偏重傾向。

 


「日常で最も利用頻度の高いSNSを教えてください。」という設問。下段のオレンジは昨夏に行った195人のZ世代(平均年齢24歳)、上段の紫は40人ほどのZ世代(女子学生)。両方ともZ世代には変わらないけど、紫の方は学生、オレンジは社会人のZ世代。“あくまでも“参考として思うのは「Instagramへのいっそうの偏重」「Facebook、clubhouse絶滅」「複数のSNSを使い分けて活用」という現実。

尋ねるとFacebookは自分が使う(役に立つ)ツールと全く思ってないし、clubhouseは「あっ、あ〜」と、遠い彼方という感じ。社会人Z世代は先輩世代と合わせるために使っているのかな?基本的に「情報発信者」でなく「サービス利用者(閲覧者)」のよう。情報はInstagramでコト足りるし、個人間はLINEで十分だし、ニュースはYoutube(動画)でOK、学生のリアルを改めて知る、学ぶ。

なので「全てはスマホで完結」する。手のひらで必要な情報を全て検索、閲覧する。テレビはあっても「ゲームモニター化」「映画観賞用」と、これまでの使い方とは異なる価値観なのだから、そこへ旧式の価値観を当てはめようとしてもハマらず。
「プロダクトアウトの時代は終わり、マーケットインも過渡期になり、アウトサイドイン」ならば、まさに目の前の学生たちをアウトサイドイン。