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2025年10月21日火曜日

クチからメコンデルタへ。

天然のココナッツウォーターで喉を潤す

「クチトンネルとメコンデルタツアー」の参加費は7,000円/人。
10時間で7,000円だから1時間700円ほど。内容にお得感を感じて申込んだのだけど、クチでは「キャッサバ&ジャスミンティー」をいただき、昼食では予想以上に美味しかったランチ(春巻き、つくね、エビフライ、温野菜、厚揚げ、スープ、豚の角煮、白米など)に感激する。

ランチを食べてお腹いっぱいになり(あぁ、大きなイベントが終わった・・・)と思うも、クチトンネル見学は序章に過ぎなかった!

時刻は13時過ぎ。
「これから2時間かけてメコンデルタへ向かいます!現地では2時間30分ほど滞在して、また2時間かけてホーチミンへ帰りますよ!」に、周りの参加者と顔を見合わせて苦笑するしかなかった件。
苦笑の意味は、10時間のツアーだけど、6時間分は移動だったのね・・・という感じ。

「これは寝るしかないですな・・・」と決め込んでバスに乗り込み、体制整えて寝る!
時々、ガクンッ!とバウンドしたり、クラクションに目覚めるも寝まくって2時間ほど経った頃でもメコンデルタには到着していない。

(道路事情で少し遅れるんだろう・・・。)と思いつつも更に1時間経っても到着しない、時刻は既に16時30分すぎ・・・。

「はい、そろそろメコンデルタに着きます!途中の交通事故の影響で到着がだいぶ遅れましたが楽しみましょう!」とトムさん。2時間移動の予定は3時間30分だった。
私たちにできることは何一つないので楽しむしかない(笑)。

でも、メコンデルタで何するの?と、よく分からないままトムさんの説明を聞くと、現在地から船に乗り込み、対岸の島へ渡り、現地の方々と交流しますよ!とのこと。

そうなのね!と、トムさんが進む方向を見ると大きくラグジュアリーな大型船があったので(えぇ!これに乗るの!?)とテンションが上がったら「こっちだよ!」と、向きを変えたトムさんの行く手に小舟が用意されていて、“定番のお約束”に笑ってしまった件。
トムさん、エンターテイナー!

クチでのランチ、予想以上に美味しかった!

2025年10月20日月曜日

クチに到着。

ベトナム兵が隠れた穴に入ろうとして苦戦

10時過ぎにクチ到着。
ガイドのトムさんの説明で広大な敷地には、何本もの地下通路が掘られていて、地下で生活していた当時。
通路は4層まで深く掘られていて各層には寝室やリビング的な用途の部屋もあったとのこと。

爆弾などへの防御策の地下壕だけど、一層目でも生存確率は50%。二層目以降で生存確率は高くなるものの(地下で暮らす際の通気口&排気口はどうなってるの?)という疑問。

トムさん「この“穴”を見てください。通気口は岩や木の根元近くに巧妙に掘られていました。そして、料理などをする際の排気は、離れた場所から出るようにして、居場所を隠していました。」とのことで、50年前、生死の間での壮絶な生活を垣間見る。

そんな説明を聞いて「ココはベトナム兵が隠れた穴です。」と教えてくれた場所は地中に掘られた穴で草で覆われたフタをすることで身を隠せる仕組みなのだけど、ベトナム人の体型は小柄なので、ツアー参加者の女性はラクラク入れるけど、体を鍛えた屈強な男性は肩幅が入らず断念・・・。

いよいよ「クチトンネル」というゲリラ線を展開した時にベトナム兵が移動した地下通路へ潜入!
地下3mほどの階段を“かがみながら”下りて、幅1m×高さ1mほどの“かまぼこ型”トンネルを30mほど進みましょう!となるも屈強なガタイの男性は既に断念、暗くて狭いので閉所恐怖症の人も断念と数人が諦める中で、いざ!潜入!

通路内は真っ暗で湿気多めで狭い!しゃがんだ姿勢のすり足で進むから、たかが30mでも遠く感じて、恐怖心に襲われる。そして、地下通路には「行き止まり」もあって、リアルパックマン状態。

(出口どこ〜!)と叫びたくなった時に遠くに明かりを見つけて、安堵するも既にゼーハーゼーハーと息はあがっていて地上に出て、先に出た皆んなと合流。
こんな生活を日常的に強制されていたのか・・・と、平穏な日常に感謝。

「皆さん、お疲れさまでした。」とトムさん。「次は発砲体験ですが、参加したい人はコチラ、休憩したい人はコチラに並んで!」に、迷わず休憩組で一休みをしようとなる。

休憩中に飲んだ「冷えたココナッツウォーター」が美味しかったこと!

一期一会の10時間ツアースタート!

日本とは雰囲気が全く異なるサービスエリア

集合時間の7:15に合わせて6:30にタクシーの配車をGrab(ベトナムでは定番の配車アプリ)で行う。

この日は「クチトンネル&メコン川ツアー」へ申し込んでいて、ツアー時間は10時間の“終日激アツツアー”。

集合場所に7:00に到着。チェックインを済ませて待っていると、相乗りバスがやってきた!
「今日は楽しみましょう!」と、自己紹介をしてくれたのは「ベトナム出身のトム・クルーズのトムです!覚えてね!」とノリの良いトムさん。

「このツアーは合計20名です!」とトムさん。
私たち日本人の他に、アメリカ人、アルゼンチン人、ドイツ人、インド人のグループ&家族&個人。一期一会のツアーが始まる。

「これから2時間、 高速道路を走ってクチへ向かいます!クチはベトナム戦争遺構です。」とベトナム戦争について紹介してくれるトムさん。

枯葉剤は無味無臭で、当時はベトナム人もアメリカ人も本当のことを知らされておらず、その後の惨劇も想像できないまま数年間ばら撒かれた・・・などを聞いて色々とめぐらせていると、既に出発して1時間が経過していて「サービスエリアでトイレ休憩を入れます。駐車時間は20分です。」とトムさん。

「サービスエリアで休憩か、ちょうど良かった!」と思ったら、ベトナムのサービスエリアと日本のサービスエリアは全然違った(笑)。

草木がモリモリと生い茂った一角で、そこへ相乗りバスから大型バス、自家用車などが出入りしていて車はギューギュー詰め(笑)。

トイレのほか、ベトナム戦争の後遺症で苦しむ人を支援する螺鈿の工芸品などが売られていたり、カフェがあったり。蒸し暑さに果物とベトナムコーヒーで休憩していたら「出発するよー!」とトムさん。あと、1時間!

サービスエリアで食べたマンゴー&グレープフルーツ

2025年10月19日日曜日

7回驚く。


「ベトナム(ホーチミン)へ行ったら洋服を作ったらいいよ。」とは聞いていて、でも私は特に必要なく、妻と娘が必要としてた。


連れてこられたのは「Usagi」という小さなテーラー(仕立て屋)。

「いらっしゃい~!」と、日本語で挨拶してくれたのは小柄の女性でオーナー。

他に従業員は2名で、黙々とミシンを作業中。


(日本語が通じるんだ!)が1回目の驚き。

Usagiでは「アオザイ」も作れるけど、スーツもオーダーメイドで作れるし、スマホ画面で「こんな洋服が欲しい。」と伝えると、画面をみて「生地の厚さはどれくらいがいい?」「裾の長さはどれくらい?」「後ポケットいる?」「ポケットの位置は高い?低い?」「裏生地はつける?」など、サッサッサッ!と的確で切れ味のよい質問に2回目の驚き。


画面(それもスマホ)の二次元写真から三次元に変換できる能力+デザインの特徴を掴む能力が凄まじい!そして、アイデアもくれる。

そして「生地は○m×○mが必要!」と電卓ナシで生地量を弾き出すのを見て3回目の驚き。


そのままベンタイン市場で生地を買い求めるも、市場内には生地屋は何軒もあるから一苦労。

着用したい生地を購入して、再びUsagiを訪れると「仮縫いは二日後に完成するから、戻ってきて!」とのこと。(えっ!48時間後には大まかにできちゃうの!)に4回目の驚き。


48時間後

娘も注文していた洋服の仮縫い確認日。Usagiを訪れると「待ってたよ~!」「もう、私たいへんだった!頑張ったよ!」と人懐っこい笑顔で見せてくれたオーナーのスマホの画面には、パターンを何度もデザイン&デッサンした絵に5回目の驚き。


一枚の生地から立体に、それもデザインを合わせ、キチンとフィットさせる技術に6回目の驚き。マジでスゴい。

娘の試着に「カワイイ~!」と、自身でも縫って作った洋服の出来に喜ぶオーナー。


ただ、仮縫いなので、要所に調整が必要とのことで「ココは2cm詰めるね。」「ココはこのままがいいよ。」「長さはいいね!」など、柔和な笑顔からのプロフェッショナル度のギャップがスゴくて7回目の驚き。


ただ、ただ、その技術力とものづくり力に驚いた件。

値切って値切って。


義母は80歳超。我々世代だと、ベンタイン市場で声をかけられるのが時に面倒で、特に商品を触った瞬間に「オニイサン(オネエサン)、ソレホシイ?」「ナニホシイ?」など、執拗なセールスは避けたい・・・。要するに“接触は最低限”を意識してしまう。


だけど、80歳超は違う。興味がある品を片っ端から触っては確かめていく。

すると、当然のごとく「ソレ、ヤスイ!」「ナニイイヨ!」などの声がかかるも完全スルー(笑)。
自身が興味ある目の前の品だけに全集中して吟味、吟味が終われば隣の品を品定めしてまた次の店へ。


怖いもの知らずといった感じで店員の執拗な声がけも空振り、諦める。その姿勢、見習います!

そんなコトを繰り返していると「お土産が欲しい。」と義母。

色々と物色した結果、ポーチに的を絞ったよう。

そこへ案の定、店員のお姉さんが「ママ!コレイイヨ!」とセールス開始。スルーする義母(笑)。そして、イスを用意してくれる店員。お礼を伝えて座って物色し続ける義母。


ポーチは何個買うのか?と思ったら「30個」の返答に「30個!」と驚き、その言葉を理解したのか、店員さんから電卓で1個900円×30個=27,000円を提示される。


「えっ!?一つ900円高いわ~」と義母。
確かに目の前の品が900円/個は高いと私も思い、値段交渉をしてしまった。


すると店員さん、電卓に700円/個と表示して× 30個=21,000円にしてくれる。

「一つ700円?、やっぱり高いわ~。」と義母。

そんな様子を察した店員さん、今度は600円/個を提示してくれる。
値段交渉中も30種類のポーチを物色する義母。


ことの成り行きで私が交渉役になり、店員さんとやりとり。

「オニイサン、コレハ?」と600円/個に返答するのを忘れてたら、店員さんから「イクラガイイノ?」と逆提案される。要は我々から買取金額を提示しろと。


でも、値段が分からず、う~ん・・・としていると「500円(×30個=15,000円)」と電卓をたたく店員さん。

(500円/個は妥当かな・・・)と思いつつも、「もう少し、安くなる?」と目をみて伝えると450円/個となり、400円/個(×30個=12,000円)となった!


これが底値と納得して、義母に「一つ400円です。」と最初の提示から半額以下になり、大喜びの義母。
そして、いつの間にか店側は3人体制で対応していた(笑)。
義母に抱きつき「ワタシノママ~!」と、喜ぶ。


義母も店員さんの双方が喜ぶ結果になって、良かったと思う。

2025年10月18日土曜日

ホーチミンの夜に。


ホーチミンには弟分が30年以上暮らしていて、彼との仲も30年ほど。
そんな彼が「合わせたい日本人がいる。」と言うので、その日本人が経営しているバーへ。

店内は程よい大きさで、店外にはカウンターがあり、店奥には寿司カウンターもある。
そんな雰囲気にDJブースもあり、「心地よさ」をテーマにシティポップなどの曲が流れて、レコードジャケットは飾られていて(日本にはない雰囲気だな)と3時間過ごさせてもらう。

弟分がオーナーに合わせたかった理由は2つあって「オーナーもNYで暮らしていた。」「クリエイティビティな話が合うはず。」と考えていてくれて大感謝。

お互いに初対面だし、どんなバックグランドが合うかも分からなかったけど、弟分の思惑通り、ニューヨーク、映画、音楽などのサブカル話題で盛り上がり、オーナーは私たちよりも年上だったにもかかわらず、色々と意見交換。

そんな意見交換の中で印象的だったのが「今の時代、日本を見ていると損得勘定、ギブ&テイクな価値観の横行が悲しい。」的な内容に「ボランティアな体験を充実させて、モノゴトの本質を損得勘定、ギブ&テイク無しに経験させるのはどうか?」は、自身では複数の店を立ち上げている経営者からの言葉としては、少し驚いたり・・・。

ボランティア論を教えている身としても、「〇〇だったら(ボランティア)する。」的な「対価が前提の発想/思考」では豊かにはならない。と、伝えているので同じような考えを持つ人が目の前にいて同志のように感じたり(笑)。

そして、一つ気づいたのは、良い意味で「尖った人に会うには海外が手っ取り早い。」ということ。
日本でも会えるかもしれないけど、何百万人といる中で会える確率は低い中で、尖った人の多くは日本を飛び出していて、その数は数百人、ホーチミンなら数十人と数は少ないけど会える確率は日本よりも高い。

「今度、日本で会いましょうよ!」と、次回の再会を約束した帰り。
弟分に感謝。

ベトナムアート。

マイ・チュン・トゥ(Mai Trung Thu)のモナ・リザ(1974年)

美術館めぐりが趣味なので、ベトナムでも・・・と思ってもベトナムアートのイメージがない。
現代アートではアジア、ヨーロッパ、アメリカなどに関係なくボーダーレスな作品が多い中で「ベトナムらしさ」を見てみたい!と「ベトナム、美術館」と検索してもイマイチで、どうしてもベトナム戦争系の博物館、歴史館が多い。

何気なく、宿の周りで朝の散歩コースをグーグルマップで探していたら、「Quang San Art Museum(QSAM)」というピンを見つけてオォ!となる。

そして、場所はどこ?と地図を拡大したら、宿の近くじゃないか!それも徒歩で13分、1kmの距離!これは行かなきゃ!と、身支度整えて出発!

QSAMは道路から横道に入った奥まった場所に立っていて(多くの人に知られているのかな?)と思ったら、「民間(私人)のコレクター」を集めたベトナム初のプライベート
ミュージアムで2023年にホーチミン市文化スポーツ局に認可された公開だった!

美術館名は、
創設者Quang 氏の名前(Quang)と彼の母親の名前(San)を組み合わせたもので、ココはプライベートミュージアムの特権。

展示作品はと言うと、3階建ての各階ごとに分かれていて、響いたのは「ベトナム戦争以前」の作品。ベトナムは長らく中国の支配下にあった影響で、その様式が色濃く反映されているのだけど、モチーフや描き方は大らかで市井の様子、静物画や人物は穏やか。

その中で特に痺れたのが
マイ・チュン・トゥ(Mai Trung Thu)のモナ・リザ(1974年)。
レオナルド・ダ・ヴィンチのオリジナル作品を解釈した3作目であり、最大の作品と説明。

“この作品の真髄は模倣ではなく、文化の翻訳力にあります。ルネサンスの精神を称えつつ、ベトナムのアイデンティティを肯定する、東洋と西洋の絵画の対話”と説明は続き、見惚れてしまった。

他にもピカソの「ゲルニカ」を解釈した作品もあったりと、こういう機会に恵まれてるって、ツイてるしか言いようがなく、ベトナムアート初級編終了!

2025年10月17日金曜日

ホーチミン最大の日本語学校へ。


2025年8月時点で愛媛県内には4,500人以上のベトナム人が暮らしている。
「ドンズー日本語学校」はホーチミンで最も大きい日本語学校とのことで、以前にも意見交換させていただいたという妻の訪問に同行させてもらう。

対応してくださったトアンさんは日本への留学経験があり。ドンズー日本語学校の生徒を日本へ留学させたく、その一つとして愛媛県とのパイプを太くしたいとのこと。

ただ、コロナ前までは5,000人以上いた日本語学習者は現在、1,000人を切ってしまい、日本への留学熱が冷え込んでいるのが現状と聞き、その原因は・・・。

(1)日本が留学先として魅力的ではなくなっている。
(2)ベトナム国内の経済成長(年間7%)が著しく留学しなくても国内でも十分に学べる環境になった。
(3)日本以外の留学先(ヨーロッパなど)の意向が高まっている。」など

留学後は得た知識や技術、経験をベトナムで活かすために帰国する学生もいるし、日本で就職する留学生もいるわけだから、単に労働人口の担い手と勘違いすると、向こうから選ばれないのが現実。

とは言え、教室などを案内してもらうと、各教室は日本語を学ぶベトナム人であふれていて、例文を音読をしていたり、漢字の学習をしていたり、日本に興味をもってくれてありがとう!と勝手にお礼を伝える。

この先、日本語を学びたいベトナム人を増やすには、新しい作戦が必要とトアンさん。
その作戦を教えてもらったけれど、一つではなく複数ものアイデアを画策していて、「それはいいですね!」となる。

愛媛県内で最も多い外国人はベトナム人なのだから、双方の交流も含めてできることは多いよねと勝手意見。
この国/地域の熱量はスゴいから、学ぶ所、参考になる所は多い!

一期一会のベトナム料理教室。

生春巻き

先に料理教室に来ていたフィリピン人の女性2人組は現在、大阪に構える国際弁護士事務所で働いていて、休暇にホーチミンを訪れていて、今日が滞在最終日。
料理教室が終わったら、夜の便で大阪に帰るとのことで、いきなりホーチミンで日本が話題になる。

「今日は6人で料理を作るわよ!」とアンさん。
フィリピン人の女性2人組とワイワイ喋っていると、そこへ「ハロー!」と入ってきたのは男女のカップル。
聞けばイギリスから来た20歳のカップルで、2人で働きお金を貯めて3-4ヶ月間ほど旅をしていてる最中で「日本へはこれから行くところなの!」と聞いてビックリ!
偶然にも異国の地で日本が話題になる。

「今日は生春巻き、バインセヨ、フォーを作ります!」とアンさん。
一人一人に材料や調理器具が用意されてベトナム料理教室スタート!

この料理教室は参加の満足度が高く、作った料理はお昼ご飯に充てられるから申し込んだのだけど、何が良かったか?と言うと、「誰もが上手に作れる下準備」と「最後の重要なトドメは参加者自身が行う満足感」に尽きる!が感想。

刻む野菜、炒める香辛料、混ぜる調味料などがキッチリ一人分ずつ用意されていて、アンさんの言う通りに進めれば自動的に完成する仕組み。そして、作業が一つずつ終わればスタッフが全て片付けしてくれるので迷うことなく調理できて、生春巻き、バインセヨができあがる。

予め作っていたソースにつけたり、かけたりして、自分が作った生春巻き、バインセヨだから美味しいに決まっていて、最後のフォーも予め指示を受けて茹でていた鶏肉をほぐし、スープを入れて完成。

完成した生春巻き、バインセヨ、フォーの量は私でも多く感じられて全部は食べきれず。
でも、そんなコトまでお見通しで「パック」が用意されて持ち帰れたのだから完璧なコト運びに感服する。

これで一人5,500円/人だったのだから、お得感しかなかった件。
その証拠に午前の部だった私たち(6人)、午後の部は13人が参加、前日は17人の参加だったとアンさん。

フィリピン人の女性2人組、イギリスの男女カップルとも「美味しかったねー!楽しかったね!」で、お別れ。
一期一会のベトナム料理教室は想像以上の満足度で終了。
バインセヨ


2025年10月16日木曜日

ベンタイン市場ツアーから。

香草の紹介をしてくれるアンさん。

ホーチミン最大のマーケット「ベンタイン市場」。100年以上の歴史があって、市場内は“それ”が分かるモノから分からなモノまで色々あり、一言で言えばカオス(場内の通路幅が50cmほどしかない所も多い。)なんだけど、こんなカオスは日本にはないので突入。

「ナニホシイ?」「オニイサンTシャツ?」「トケイアルヨ」などの声がけは序の口。
“トントン”と肩をたたかれて振り向くとTシャツを持ったオバさんが「Tシャツ!」と語りかけてきたり、バッグを持ったお兄さんが行く手を阻んだり(笑)。

毅然とした態度で「NO THANK YOU!」とか、完全無視しないと前に進めない。
買い物もしないのに立ち止まり、商品を手に取ったら確実に引き止められる。

そんなベンタイン市場で「現地シェフによる没入型料理教室&ベンタイン市場ツアー+レシピブック付きの3時間コース」のアンさんと待ち合わせ。

前から後から右から左からと行き交う人が多い市場。
誰がアンさんか分からずキョロキョロしていると女性が立ち止まり、スマホを操作しながら「Are you NOBORU?」と、申し込んだ画面を見せながら語りかけてきた。「YES I am.」と答えて、これからお世話になるアンさんと合流できて安堵、よかった。

早速、アンさんによるベンタイン市場ツアー開始。
ソフトシェルクラブ(カニ)、エビ、大小様々な魚、イカ(ベトナム人はタコを食べないとのこと)、豚肉、牛肉、内蔵系(牛の尻尾、豚の脳ミソも!)などは鮮度がよく、ただ昼過ぎには営業終了。
その理由は日中は暑いので傷まないよう、早期撤収とのこと。たしかに多くの生物は氷の上に置かれてた。

所々で香草などの買い物をするアンさん。この後の料理教室で使うとのことで、40分ほどのツアーは終了し、タクシーに一緒に乗ってアンさんが経営する料理教室へGO!

アンさんの料理教室は路地の奥にあり、扉を開けると既に2人の女性が座っていて、挨拶をすると彼女たちはフィリピン人。

「私たちは今朝、到着した日本人だよ」と伝えると「私たち、今、大阪に住んでるの!」と笑顔で嬉しそうに答えて、???どういうこと?となる。

9年ぶりのホーチミン。

相変わらずのバイク走行

25時30分に羽田空港を出発した搭乗便は、朝5時過ぎにホーチミン・タンソンニャット国際空港に到着。
2016年以来、9年ぶりのホーチミン。

日本との時差は、ホーチミンの方が2時間早いので、日本は朝7時。
入国審査は30分ほど並んで終了、思いの外、短かった(タイミングが悪いと2時間待ちなどあるから幸先いい!)。

自動ドアが開いて、9年ぶりのホーチミン!
海外に到着してワクワクするのは「香り」。何とも表現しにくい異国情緒な香り。
そして、雨季だから蒸し暑いホーチミン。

1日目は、Get You Guideというアプリ/サービスで見つけた現地ツアー「現地シェフによる没入型料理教室&ベンタイン市場ツアー+レシピブック付きの3時間コース」へ参加を申し込んだものの、集合時間は9時。現在は6時30分。

ひとまず、アイスコーヒーで時間調整。
ベトナムはコーヒー文化が豊かだから、日本にはない種類のコーヒーも多くて、詳しくない私でも興味がわいて、ソルティコーヒー(コンデンスミルク入りのコーヒーに塩入りミルクフォーム)とココナッツミルクコーヒーを注文。

8時になり集合場所のベンタイン市場へ移動しようとなり、Grab(Uber、GOのような配車アプリ)でタクシーを呼ぶ。
数分でタクシーが到着し、乗り込んで、いざ街中へ出発!

で、走り出して思い出す。
ホーチミンはバイク社会だから、数えきれないほどのバイクが行き交い、公の交通ルールはあるものの、独自判断の方が勝るようで、神技としか思えないバイク同士が軽く衝突しても互いに気にならなかったり、逆走から突然曲がったり、クラクションを鳴らしながら突っ切ったり・・・。映画のアクションシーンのよう。

ノーヘルの子供2人を乗せていたり(危ないよ!)、荷物を高く積んでいたり、エナジーに溢れていたのは前回訪れた時と同じだった件。
こっちにもエナジーが注入される(笑)

ソルティコーヒー、ココナッツミルクコーヒー

2025年10月15日水曜日

学園祭へ。


妻が教鞭をとる創価大学の学園祭へ。
開始が10時とのことで、所用で10時前に訪れると学生達はダンボール抱えたり、小走りしていたり、打ち合わせしていたり、準備に大わらわ。

聞けば学園祭は学生主導で運営されるのが伝統で、横断歩道、入り口、各曲がり角、建物の入り口などに学生が立っていて「おはようございます!」と、声をかけてくれる。
「おはようございます!」と返すと「楽しんでください!」と返してくれる学生に感心してしまう。

10時になり、研究室から外に出るとキャンパスは既に老若男女で大にぎわい。
早速、フラダンスショーが行われていて、ダンサーは当然、学生。
学業のほかに、打ち込めるコトがあるっていい。

学園祭だから学生が調理などをする飲食ブースが多く、なので呼び込みも威勢よく、声をかけられるごとに笑顔を振りまく。
そんな中で留学生が主としている一角があって、普段は食べられない味にしよう!となる。

ちなみに創価大学には59カ国から601名の留学生(2024年10月現在)が在籍していて、食券売り場、カウンター、案内は全て留学生。

オセアニア地域からはハンバーガー、エジプトからはそら豆のターメイヤ、チュロス、芋の揚げ物をいただき、留学生を応援。

てっきり、外での催ししかないと思っていたら、建物の中でもゼミやサークルなどの研究発表や体験もあり、人権や平和、グローバルリーダーシップ、途上国などの内容もあれば、ポケモン、鉄道研究会、お化け屋敷もあって、そこへ老若男女、子供連れなどが大勢並んでいたのだから、すごいコト。

その中で、ボードゲーム研究会というサークルにお邪魔すると、「一緒にしませんか?」と「ワードスナイパー」というカードゲームを紹介してくれて、これが面白かったこと!
子供でもできると言うので、ココ大付属学園での購入を検討!


街の楽しみ方は無数。


街の楽しみ方は無数にある・・・という話。
四国中央市の具定展望台へ行くと、先客が大勢いて、先客達はイスなどを用意して、かつ双眼鏡、ゴツいカメラを首からぶら下げて、私たちが“そこ”にいるのも全く気付かず前だけ見ていて???となる。

そんな先客達の傍には「タカのわたり」というノボリが立っていて「タカのわたりってナニ?」となり、尋ねると「タカのわたりよ〜、見てるんよ。」とおじさま。
でも、その“タカのわたり”とやらがサッパリ分からない・・・。

「タカがおるじゃろ?そのタカが、東南アジアへ渡る際にココを通るんよ。」ということで、スマホで調べると、多くのタカがこの時期に四国中央市辺りに飛来して東南アジアへ渡るそう。
で、先客達は「野鳥の会」のメンバーだった。

そんなタカは目視では見えないほど小さく、双眼鏡で凝視していたけど、都合よく飛んではくれず辛抱とのこと。なんとも静かで環境や財布にも優しい趣味なんだろうと。

と思えば、撮り鉄さんは何気ない踏切で行き交う列車の写真を撮っていた。
カフェめぐりをしては美味しい情報を発信している人。
失われてしまった昔の街角を、昔の写真を頼りに散策している人。
「マンホールカード」なるモノを集めて街を探索している人。
夜景に映える写真を求めて、夜しか行動しない生態系の人。
スケッチブックをイーゼルに立てて景色を色鉛筆でスケッチしている人。
そして、私のように「街(愛媛)をロケ候補地」としか見てない人。


十人十色で人それぞれに街の楽しみ方が異なって、なんだか感動してしまう。
住み続ける街だもの、楽しんだ者勝ち!という感じか。

2025年10月14日火曜日

四国四県の代表菓子。


愛媛県からは「ポリポーリ(里芋かりんとう)」、高知県からは「かんざし(餡をマドレーヌ生地で包んで焼いた味)」、徳島県からは「ミレービスケット(コーヒー風味)」、香川県からは「かまど(餡を生地で包み竈の形に焼いた味)」。

四国四県からの代表菓子のよう(笑)。
セレクトした方の好みもあると思うけど、愛媛県から「坊っちゃん団子」「タルト」にしなかったのはグッドチョイス!
大会名が「四国大会」ということもあり、全国各地から訪れた中で、四国四県の味めぐりができる品の勝利という感じか。

余談だけど、松山空港でのお土産ランキングは「ちゅうちゅうゼリー、完熟大福、山田屋まんじゅう、坊っちゃん団子」とのこと。他にも「タルト」「どら焼き」などもあった。
個人的には「ベビー母恵夢」を買うことが多く、撮影現場に差し入れするのに丁度いい大きさだし、季節限定味もポイント。

お土産は「買えば買うほど“次”が迷う。」と思っていて、「愛媛の味です!」とハッキリ伝えられる品をあげたいのだけど、すると、おのずと絞られる/限られる≒既に食べた味になることが多い。初めての方には「坊っちゃん団子」「タルト」「みかんジュース」がテッパン。

かと言って「変化球」を投げると何の話題にもならなかった≒刺さらなかったコトもあり、(あぁ、無難な銘菓にしておけば良かった・・・)という場面もあった(涙)。
ジャケ買い(=パッケージデザイン買い)もあるけど、大抵、パッケージ以上のインパクトがないのがこれまで。

「ロングライフ商品(長年愛され続ける品)」になるには、支持されないといけないし、支持に至るには、味はもちろん、価格、大きさ、パッケージ、コスパ、信用/信頼など色々な要素が絡んでいて、飛び抜けてバク売れか?と言うと、決してそうではなくて他の商品が脱落していく中で残り続けた感もあって、たかがお土産、されどお土産と感じた県。

年を重ねて。


羽田空港で10月14日を迎えた。そんな今日は誕生日。産んでくれた両親に感謝の日。
あと10年ほどで世間一般的には仕事に一区切りがつく年頃、果たして“そんな時”はやってくるの?と、今からは全く想像できないミッドライフクライシス(≒中年の漠然とした危機)。

引退後のイメージはある。
世界遺産などへの旅に出たいし、クリエイティブなコトを始めたいし、犬も飼いたいし、スターウォーズのコレクションを整理したいし、120kg以上のレゴ、色々と揃えたスポーツ用品、工具などを活用したいし、ゲームもしたい、ビジネス書以外の読書もしたい・・・。

たくさん挙げても実現できるのはいくつだろう?
“その時”に、今のような意欲はあるのか?時間はあってもお金はあるのか?そもそも“引退”なんて日は私にあるのか?計画通りにいかないのが人生。

人生100年時代と言うけれど、日本人男性の平均寿命は81歳。健康寿命は71歳らしい。
健康寿命が71歳なら、その後の81歳まで何かしらの病などを9年間抱えて尽きる・・・なら、もっと早い時期からイメージを叶えて、その時の後悔を少なくしたい。

んっ、こんな調子で81歳まで生きられるのか?
周りでもリタイア後を想像している人がいると、まだ10年ほどあると思っても、否が応でも考えてしまう。

そうこう考えているうちに、ホーチミン行きの搭乗予定時刻になった。
深夜便(25:30)の5時間30分のフライトなのに、食事が出るとのこと。

だけど普段は寝ている時間だから消化の負担を考えて「フルーツ」を事前に選択済。
と、言うか普段は食べる時間ではない23時過ぎにJALカレーなどを食べてしまっている。

10年先よりも結局、今の方が大切で、”いつか”は来ない。
想像から現実に戻って、いざ搭乗口へ。

2025年10月13日月曜日

講演会終了!

ロケ弁よりも豪華ですよ!と伝える。

2024年5月に「日本交流分析協会」から「2025年10月に全国大会が松山で行われるので、その際に講演して欲しい。」という依頼。
依頼主は25年前にお会いした寿美江先生。今回の松山で行われる全国大会の実行委員長だった!

超がつくほど久しぶりの声がけに感謝と共に「講演って何を話せばいいですか?」と尋ねると「フィルム・コミッションを通して愛媛/四国の魅力を紹介して欲しい。」という内容。

25年という月日は経っていたけれどフィルム・コミッションの活動はご存じであったようで、かつ講演に推薦していただいたことが嬉しくて快諾。と、言っても一年以上の先の話。

でも、月日と言うのは、(あと1ヶ月か、あと1週間、えっ!明日か!)とアッ!と経ってしまう。

18時前に講演会場に到着。

控室に通される際、「あっ!泉谷さん!」と声をかけてくださったのは、「離婚しようよ」の時の撮影でお世話になり、また公民館の勉強会にも呼んでくださった20年来の知り合いのTサン。

鼓響という太鼓演奏者の格好をしていて、「Tさん!そっか!太鼓の演奏と言うのはTさん達のことだったんですね!」と、アウェーな環境で知人がいると安心する“あるある”。

全国各地から集まった大会での講演はつつがなく終了。
フィルム・コミッションについて全く知らない方にお話しするのは楽しいけど、映画やドラマなどを知らないと全く分からないし、つまらない内容になる可能性もあったけど、多くの方から相槌や拍手もいただき、合格点はいただけたかなと。

肝心の寿美江先生は、実行委員長だったのでゆっくり話せる機会もなく、でも喜んでくださって何より。

写真は講演が終わった後にいただいたお弁当。
実は講演会はお弁当を食べながら聴いていただいたので、講演でも話題にした「ロケ弁」と相まって、配られたお弁当を指さして「ロケ弁って、これよりも(献立は)上なの?下なの?」と質問される。

「ロケ弁は、これほど具材が豊富でないです。また汁気のある具は少ないですね。こぼれますから。」と、ウンチク並べると、喜んでくれた質問者(笑)。

「(配られたお弁当を見て)これはいくらかしらね?」「いくらでしょうね?」と、やはりロケ弁は話題になりやすいと実感して、全て終了!

出番だよ!私。


「難しい。」と言ったらそれまでなんだけど、「どうして難しいのか?」を考えてしまった件。

毎月の最終土曜日(10月は25日)の午後16:55から放送しているFMえひめ「エールラボえひめ」。今回は、最近エールラボえひめで立ち上がった新規プロジェクト「松山市の子供や両親に正しい性教育を伝えたい。」を取り上げた。

このプロジェクトを立ち上げたのは“やいちゃん”で、看護師さん。
「性教育」と聞くとセクシャル(性、性欲、妊娠、生理など)についてイメージしてしまう。
だけどそれは極狭義のセクシャルで、広義に捉えると容姿や心なども含まれることを知る。

その中で“やいちゃん”は子ども達を取り巻く「性」について・・・。
(1)学校では十分な性教育を学ぶ時間がとれていない。
(2)SNSなどの情報には誤りもあり間違った情報が正せていない。
(3)正しい性教育を学べる機会が少ない。

を問題と感じて、プロジェクトを立ち上げて理解の推進、正しい情報の普及を目指したいとのこと。

実は、「性教育」についての相談はこれまでにもあった。
その都度、アドバイスや関係者などを紹介したけど、その後、ほぼ全ての活動が消えた事実。

活動が消えた原因が分からないけど、この機会に考えてもいいかな・・・と思ったのは、ココ大付属学園でも「性」について保護者と意見交換をしたことがあるから。

そして「難しい」と書いたのは【当事者(この場合は“やいちゃん”)が、“どこまで”しようとしているのか?】そして【性の“どこまで”踏み込むのか?】など。

啓発/啓蒙活動なのか?それともリテラシー教育を含めた有償のプログラムなのか?それとも全然違うことなのか?ビジョンかな?

「実際、どうなのかな?」という話になり、“やいちゃん”へ深掘りしよう!となる。
出番だよ!私。

2025年10月12日日曜日

推し廊下。

素晴らしい廊下と思う。夕陽が入ってきた。

愛媛大学生からのヒアリングを終えて、「みきゃんルーム/談話室」を出ると、そこは愛媛県庁本館2階。

「この廊下では数々の作品を撮影したんですよ。」と伝えると、愛媛大学生も新パートナーのMサンも「そうなんですか!」と驚いてくれる。

「「世界の中心で、愛をさけぶ」では病院という設定でアキとサクが、「怪人二十面相・伝」では、松たか子扮する超ご令嬢の家という設定で、「離婚しようよ」では国会議事堂という設定で大志が謝罪をするという場面で、病院という設定で、古い電話ボックス(県庁本館2階角にはレトロな電話ボックが今もある)で会話するするシーンなど・・・色々な撮影をしました。」

「じゃあ、撮影中は・・・」「そう。撮影は平日に行われたことも多く、両脇にある職務室では職員がフツーに業務していました。本番の時だけ音を立てないように、廊下に出ないように配慮いただいたんです。」と紹介すると、驚きという表情よりもワクワクな表情(たぶん、その様子を想像したのかも)だった二人。

フィルム・コミッションで活用するまでは、県庁は“県庁以外の何モノでもなく”、レトロ感ある大理石の建物、白と黒の格子状の廊下、幾重にもある階段など、雰囲気はあるものの、そこまで。
病院や国会議事堂などになることはなかった。
それが撮影で使われ始めて20年以上、PRできる機会が増えて嬉しい。

愛媛県の中で一番好きな建物は道後温泉でも松山城でもなく、愛媛県庁本館です。
この廊下のアーチ、夕陽が廊下に差し込む様子など最高。

愛媛を離れてしまうし、生まれ故郷でもなければ、疎遠になりがちなのは当たり前。
この先、ずっと離れたとしても「いい思い出の地」として残せるのが撮影のエピソードだったり、ロケ地だったら嬉しいよね?と思うからPR。

「愛媛って、色々な撮影をしてるんですよ!」と県外でしてくれたら、嬉しいよね。という話。

松山市民の平均は5,806歩/日。


休日ネタ。10月15日号の「広報まつやま」の特集は「歩く」。
身体活動の目安として成人は1日60分以上≒1日約8000歩以上。高齢者は1日40分以上≒1日6000歩以上が推奨(運動ガイド2023)とのこと。

上記を実現するために色々あるけれど、日常の延長できる「歩く」は・・・。
(1)階段を利用する。
(2)昼食などは少し遠くの飲食店、コンビニまで歩く。
(3)電車やバスの利用時は目的地の一駅前で降りて歩く。
(4)車で駐車場を利用する時は、一番奥に止めて歩く。

色々試しましたよ。
駅ではエスカレーターではなく階段を利用するし、わざわざ遠くのスーパーへ買い物へいくし、目的地までは松山城を上がって下がっていくこともある。
ただ、松山空港からバスを使わずに徒歩で帰ろうと思ったら80分ほどかかってしまい、さすがに(バスにしよう・・・)と思ったこともあったけど。

2022年調べでは、松山市の男性は1日に6188歩、松山市の女性は1日に5474歩。
松山市全体の平均は1日5806歩。

2019年調べの全国平均は6278歩だから、下回っている。

痛感しているのは、「歩く」は意思がないと歩けないし、意識しないと歩数は増えない。
“習慣化”の目安は約66日間(参考:行動習慣は約1ヶ月、身体リズムは約3ヶ月、思考週間は約6ヶ月)といわれるけど、習慣化って“それだけ”では退屈だし、毎日同じだから景色などもマンネリ化しやすい。

私の場合は朝散歩(約45分≒5000歩)なので、歩きながら、その日の段取り、考え事などにピッタリと分かり、またウォーキングアプリを使っているから「ご褒美(マイル、ポイント)」もあるから持続してる。

10月はJALマイルの12ヶ月目。
1年でどれほどのマイルが貯まったか?2年目も継続するのか?の決算月!

2025年10月11日土曜日

大切な役割。

左が新たなパートナーのMさん、右が卒論執筆中の愛媛大学生

愛媛大学生から「えひめフィルム・コミッション」についてのヒアリング。
彼女とは2年前に彼女のインターン先だった「沖縄フィルム・オフィス」で「愛媛大学生です。」と紹介されてビックリした思い出。

あれから2年が経ち、4年生となった彼女は、就職も県外に決まり、愛媛で過ごすのも残りわずか。
今は卒業論文に注力していて、えひめフィルム・コミッションについて取り上げたいとのこと。
このテーマにしたのは暮らした「愛媛」と好きな「アニメ/映画」の両方に共通したのがフィルム・コミッションだったとのこと。

同席してくれたのは、7月からパートナーを組んだ、えひめFC事務局(愛媛県観光国際課)のMさんで、Mさんと愛媛大学生とは1つ違い!
そうか・・・我が子世代、こちらが変な気を遣ったりしてしまう(汗)。

と、言うか「2002年に、えひめフィルム・コミッションは誕生しました。」と伝えると、「その年(2002年)に生まれました。」発言。「まだ生まれてません。」発言に、時の流れを感じずにはいられなかった件。

「えひめフィルム・コミッションができた経緯は何ですか?」「私が2001年に愛媛県観光課(当時)に提案し、関係者で検討してくださった結果、愛媛県に有益であると判断されて設立に参画しました。」

「どうしてアニメ作品が(興行収入の)上位なんでしょうか?」「上位作品は原作モノなのでファンが既にいること。漫画/アニメ=有害と思っていた世代が減り、私を含めて漫画/アニメをたくさん見てきた世代が増えているから」

「経済効果ってどんな感じですか?」「映画の場合、撮影だけで1,000万円以上(例:撮影隊50人×撮影期間20日間×1万円/日)の特需が地域に生まれて、えひめFCの事業費は1,000万円以下だから、費用対効果がとてもいい事業なんです。公開されたら愛媛県のPRにも繋がるし!」

など答えると、予想よりも面白かったのか、前のめりになってくれた愛媛大学生。

最後は記念写真。
この場所は、愛媛県庁本館2階の「みきゃんルーム/談話室」で、写真の奥には「トリリオンゲーム」のポスター、ショーケースの上には「離婚しようよ」のDVDケースが置かれているのがポイント!