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2024年12月28日土曜日

撮影準備のない年末年始。


多くの事業所で仕事納めだった12月27日。
業務が終わったり、仕事に一区切りをつけたりと、それぞれある中で、最近まで撮影誘致に奔走していた作品を逃してしまった(涙)。
「焦ってもしょうがないよ、ダンナ。」は写真のねずみ男。

気合いを入れて多方面に協力をお願いしていた作品だっただけに「誘致できず、申し訳ありませんでした。」と伝えると「また、声をかけてください。」という言葉が沁みたと言うか響いた12月の寒さ。撮影がきたら、愛媛の魅力をまた違った切り口で紹介できたはず。

そんな中、「世界中をロケハンしたものの、"愛媛が一番なので!ぜひ!”」という作品が飛び込んできた!
しかし、イマイチな伝わらない熱量(≒本気なのか?単に情報収集なのか?)で、そんな熱量だったから協力先も説得できずお断りとなる。残念。

また「愛媛はいい所ですよね!好きな場所です。」とリップサービスたっぷりな前置きでロケ候補地を集めているから協力してほしい。という(楽しようとする)リサーチャーからの情報集めは断る。

撮影相談も玉石混合とは言えチャンス。
12月25日の夜に撮影相談があり、「急ぎで返信いただけると助かります。」的な内容だったので、情報をまとめて12月27日の朝に情報を提供したら、先方の宛名で直ぐに返信があったので(おっ!早速見てくれたのかな?)と思ったら「12月26日から休暇をいただいています。」という自動返信メールだった(爆)。何というオチ。

私がもっと迅速に対応していれば、ボールは受け取ってもらえたってことか。
撮影準備のない年末年始は3年ぶり。

2024年12月27日金曜日

ココ大ラジオも年納め。


年内の週刊ココ大ラヂオ(南海放送ラジオ毎週日曜日17:40から)の収録が終わる(2024年最後の放送は12/29)。

で、言われる。「ココ大ラジオで流れる音楽って泉谷さんの好みですか?」
「違うよ、なんで?」
「なかなか渋い楽曲が流れるなって思って」
「たぶん、最新のヒット曲って流れてないと思う。私が言葉で楽曲を紹介しているけど、私も言いながら“コレか!”って思う時あるのもの。」
「誰が選曲してるんですか?」「ディレクターだよ。」
「南海放送のですか?」
「違うよ。ココ大のディレクター。」
「ココ大にディレクターがいるんですね。」
「そう、ココ大の会員なんだけど、ココ大ラヂオを始める際に、ラジオ好きという“だけ“の理由からディレクターに任命されて彼が収録から編集、完パケ作業、納品まで全てしてます。」
「スゴいですね。」
「スゴいよね、他のラジオ曲でも通用する技術と音楽知識だと思う。」
「じゃあ、泉谷さんが選曲することは?」
「ない。全くない。」
「ないんですか!なんでですか?」
「えっ!?だって任せてるんだもの。それに私が好きな音楽で少ないし」
「例えば?」
「クラシック、ジャズ、サントラ、ポップス、テクノ、ユーロビート、何でも聴くね。」
「それ、曲目ではなくてジャンルですよね?」
「てへっ。歌手と曲が一致しなくて・・・。」
「それ、少し分かります。」
「そう!ありがとう。同士だね。」
「・・・。」

今年も聴いてくださり、ありがとうございました。
2025年は1月5日(日)17:40からです。

平岡新米でおにぎり。


ギュイーン!と精米機にかけた平岡玄米は8合。
8合も精米すると削られたもみ殻の量も多く、(どう活用しようかな?洗い物、脱臭とか言ってたな・・・もみ殻ケーキってできないのかな?)とも思ったけど、それは「酒粕」と勘違いでした。
ワイルド系ハードベジタリアンケーキなら作れそうな気もするけど。

超フレッシュな七分付新米を炊飯器にセットして炊き上がりを待つ。
すると、その間にハーモニープラザから「日本食研さんからの寄付でーす!」と、焼肉のタレが大量に持ち込まれる。

「ん!焼肉味のおにぎりにする?」と、とっさに思いつくも「水量を加減してタレを入れた方がおいしい!」と分かり。次回以降のお楽しみになる。

11時に炊き上がり、11:30から子ども達と一緒におにぎり作り。
「さて、何おにぎりにする?」となり、半分は塩おにぎりwith ふりかけ&ごはんですよ、半分は塩こんぶおにぎりにしようちなる。

主導は大学生。「アッツい!」と両手の上でおにぎりを転がす大学生。その様子を笑いながら見守る子ども達。
子ども達も握ってみると熱かったようで、これも経験。

そして実食。やはり平岡新米は美味しい。食べる前から「インチキ!一人2個食べてもいい?」と食べる気満々の子ども達。

お弁当もあるけど、おにぎりも食べたい子ども達、パクパク食べて全てなくなってしまった後は「明日は何味にする?」と子ども達。

2024年12月26日木曜日

仮説の検証。


先日の「こどもスペースラボ」で4歳児がレゴで「手回しで動く装置」を作りビックリして確信したのは、STEM教育は必要という仮説。

STEM教育は、科学/Science、技術/Technology、工学/Engineering、数学/Mathematicsの頭文字を取ったもので、各分野を統合的に学ぶ教育手法のこと。

「統合的に学ぶ」とは分野を分けるのではなく、分野横断的に学ぶのがSTEM教育の特徴。

以前から気になっていたけど、どうしたら“ココ大らしく”導入しできるだろう?
考えてもアイデアが浮かばなかったけれど、子供の好奇心から育めるではないか!と教えられたのが先日のこどもスペースラボ。
手元には大量のレゴがある。

でも、レゴでSTEM教育と言うとプログラムとの相性も良いことから、教室ビジネスが盛ん。
そこで、プログラム指導はナシ、動力はカラクリ、ゴムなどシンプル、構造や仕組みの理解などを目的にした一歩(半歩)目のニーズはあるのでは?とこれまでの経験則から描く。

前は急げと一気に三冊購入して読むと、レゴで置き換えられる仕組みや実験、構造などが多く、私のような非理系、非エンジニアでもない人間が読んでも面白い!となる。

幼少期に読んでたら理系、エンジニアになってたかもしれない(爆)

そして気づく。

120kgとなったレゴの山から穴あきパーツ、十時棒、各種ジョイント、歯車などを選別しなければならない!これらのパーツは探すのに苦労する小さいパーツ。
でも大きい野望に向かって、ココ大付属学園の機会で実験開始!

今日からココ大付属学園(冬休み編)。


ココ大付属学園の準備最終日。
買い物を終えてハーモニープラザの前で館長とお会いし「明日から、よろしくお願いします。」と伝えると、その後ろに「あっ!インチキ!」と今夏にココ大付属学園に参加した子ども。

「おっ!〇〇!今日が終業式だったのかな?」と伝えると「違うよ!」となり、一緒にハーモニープラザに入ると、10m先から「インチキッー!」と周りにも聞こえる声量で呼びかける別の子ども。

「あれ!〇〇!そうか!君たちは今日が(2学期の)終業式じゃなかったのね!」
「インチキ?今日は何なん?このお菓子はナニ?」と買い出し品を吟味する子ども達。
「今から準備をするけど手伝う?」と誘うと嬉しそうな子ども達、「行くっーーー!」となる。

早速、片付けや整理をしてもらい、そして誰もいない部屋で勝手野球が始まる。
勝手野球だからルールは独自、ホームベースは移動式だし、各ベースの距離は“いびつ”だし、取ったボールを走者へ投げて当てればアウトは昭和から受け継がれている伝統なのか?

そして、満足したのかサッーーー!と部屋を出て行った子ども達。
静けさが戻った部屋で片付けなどを再開すると、壁の向こうからキャッ!キャッ!と声が響き、「インチキーーー!友達連れて来たよ!」と今度はお友達を連れてきて5人になる。

そんな5人は再び勝手野球をしたり鬼ごっこしたり。すっかり馴染んで楽しむ5人。
ココ大付属学園は明日からだし、私が居るこの部屋であればいいかな・・・という判断。

「キュッキュッー!」とアルゴ。
アルゴも今夏の入院から退院し、愛嬌を振りまいて子ども達を迎える準備OK。

2024年12月25日水曜日

Happy Holiday!


So happy to meet you and hope we can spend more time together in the future!

“会えてとてもうれしかったよ。これからも一緒に時間を過ごせることを願っています。”

と言う、メッセージが添えられたハッピーホリデーカードが届く。
メールでサクッ!と秒で送れる時代に、あえて手間とお金がかかる郵便で海を渡り、家族の近況とホリデーの祝いを共有するってアメリカ文化のいい所。

送り主はアメリカの兄弟ハル(医者を育てる医者というスーパードクター)。
SNSではお互いの動向は把握していたものの今年、34年ぶりの再会を果たす。
ハルの父(=アメリカの父)とも会えて親孝行できたのも今年。

これまでも会おうと思えば会えたかもしれないけど、お互いに自分や家族の事で精一杯だったし、気づいたら18歳で出会ってから34年も経っていた・・・と言う感じ。

34年も経てば職を得るし、キャリアップに転職もするし、ご縁あり結婚もするし、子供も授かるし、その子供は成人して自立するし、自分は老いを実感するし、身近な人の死も経験する。

34年前は今を全く想像できなかったから、このご縁の続きはハルの子供達、我が子達が交流してくれるといいな。

ハッピーホリデーカードが届かなかったら、
クリスマスムードの雰囲気も感じずに、フツーに掃除、洗濯、買い物に行って、明日からのココ大付属学園の準備に過ごしていたと思うけど、誰かが自分のことを想ってくれたことに大感謝。


どなた様もHappy Holiday!

パッサパサ。


「泉谷さん、パッサパサの声じゃないですか!?」と指摘され、“パッサパサ”という擬音語?を初めて聞いたけど言ってる意味はわかった件。

2024年最後のFMえひめ「エールラボえひめ」の収録。
しかし、あろうことか喉の調子がヒドく、調子が悪いのをカバーしようと変なテンション(≒妙に元気よく)で喋ったからパッサパサだった声質。

令和6年度、エールラボえひめの事務局がFMえひめさんに変わったことで担当することになったラジオ番組。5月に番組がスタートし、12月まで計8回の放送だったけど、内容を理解しないと喋れないから(DXを知る学ぶ良い機会に恵まれた)が率直な感想。

DX(Digital Transformation)とは「デジタル技術を社会に浸透させて人々の生活をより良いものへと変革すること」で意味は分かる。
だけど「我が社はDXしました。」「DX推進中!」という構文はなく、ピン!とこない。
となると、DXは目標であって目的ではなく、目的はDXの先に描かれた変革された社会という感じか。

さらにDXを実現、変革を実感させる手段としてAR(Augmented Reality/拡張現実)、VR(Virtual Reality/仮想現実)、MR(Mixed Reality/複合現実)と言う感じか。
ラジオ番組を持たなかったら、今一つ興味関心が薄かったから知る由もなかっただろうな。

私たちが60歳、70歳になった時はAR、VRなんて言葉すらなく、ごくフツーに買い物、医療現場医、旅行、出会いの場などに利用してるんだろうな。
「老人Z(1991)」のようになるのかも・・・違うか。

年内収録終了!ということで
サイジョウサン、カタオカサン、シマズDと記念撮影。

2024年12月24日火曜日

あと7日。


2024年も残り7日間。
高松駅から松山駅までの特急時間(2時間30分)の間に広げた新聞で「2024年読者が選んだ10大ニュース」なる見出しに目が止まる。

2024年1月1日の夕方に石川・能登半島で発生した震度7の地震は何かの誤報と思ったのが最初。そして翌1月2日に起きた日本航空機と海上保安庁機が羽田空港で衝突・炎上と、これも(えっ!?)と言う感じで、(明日も何かが起きるの?)と不安になった記憶。

個人的には8月8日の夕方に日向灘で発生した最大震度6弱の地震で「南海トラフ地震臨時情報」が発表されたことが強く残っていて、当日は朝8時から愛南町外泊地区で行われた「笑うマトリョーシカ」の撮影現場に立ち会っていて、地震発生の30分ほど前にハーモニープラザへ帰り、子ども達や保護者、スタッフらと談笑していたら突然の大揺れ。
全員を机の下に避難させ(訓練ではなく本番によく対応できた・・・)と安堵した思い出。

撮影隊にも直ぐに連絡すると、撮影は終了していて、片付けの最中に地震に遭遇したとのことだった。

そう言えば今年も暑く、平均気温の高さが過去最高タイとのことだったけど、子ども達に「暑すぎて外で遊べません。」と、ジョークのような本当のコトを伝えなければならないのが辛かった。

あっ、パリオリンピックがあったのね。
大谷選手の偉業の数々が10月までずっと続き話題をかっさらっていたので、その陰に隠れてしまった感じ。

2025年はどうなるんだろう?いや、2024年もまだ7日間あるから、その間に未曾有のコトが起きるかもしれない。
穏やかに過ごせますように。

島で1台。

小豆島に1台だけ。反対側は違うラッピング。

「この、“からかい上手の高木さん”タクシーは小豆島で1台しかないんです。」とタクシー運転手さん。
聞けば閑散期の今は、タクシー乗務で繁忙期はバスを運転してるとのこと。
車内には「高木神社」のお守りもあり「このタクシー目当てに来た方からもらいました。」と、“からかい上手の高木さん”タクシーに乗ることが目的になってた!

「からかい上手の高木さんの撮影時はどんな感じでしたか?」
「(撮影時の)島民はイマイチ、分からなかったよね。撮影って(情報を)伏せてするでしょ。」
「そうですね。」
「だから、撮影の事情を知らない大人が道を塞がれて文句を言ったりね、色々ありました。」
「じゃあ、やはり困った感じでしたかね?」
「いや、知らんだけだったからね。だから公開されたら子供たちはとても喜んだよね。」

運転手さんの知人の子はエキストラ参加したとのことだったし、運転手さん自身もキャストを見たとのことで、撮影と地域との関係は概ね良好だったとのこと。

「大人と子供が持つ(撮影への)印象って違いますよね。」
「そうだね、大人は仕事の邪魔をされると面倒に思うよね。子供は滅多にない機会だから喜ぶよね。だから、子供が喜んでくれたことは、この島では少ないから、ありがたかったよ。」

など20分ほど会話をしていたら土庄港に到着。
貴重な地元民の話を聞けたのでお礼と言うと「また来て!」と運転手さん。

そして、高松港行きのフェリーへ乗ると、船内は一面「ヤドン仕様」だった!
(えっ!なんで?)と思ったら「うどん県ヤドン部」なる取り組みが行われていて、そもそも「うどん≒ヤドン」と響きが似ているからヤドンが「うどん県PR団」に任命されてたのね。

写真はヤドン越しの高木さん巨大ポスター。アニメで地域に話題をもたらした事例。

2024年12月23日月曜日

小豆島ロケ地めぐり。


毎年、全国10カ所で行っているジャパンFCの研修。四国でも毎年行っていて今年は香川FCがホストとして受け入れ(ちなみに去年は徳島LSだった。)。

その研修の中で四国だけが唯一、研修の翌日に「ロケ地めぐり」を用意していて、香川FCが今回、準備してくたのは小豆島で撮影された「からかい上手の高木さん」などのロケ地めぐり。

この機会は貴重!と、高松市などからも希望があり、20名以上の参加に大型バスを借り切ってくれる。案内は小豆島FC。

早速、エンジェルロードへ急いだのは干潮に合わせたから。潮が引いた時に渡れる道を「エンジェルロード」と名付けた秀逸さ。
20代から60代の20名以上がワイワイ渡り、その地域のロケ地&名所を来訪者気分で味わう。これ大事。

そして次は「土渕海峡」へ。でも「海峡らしい」雰囲気はゼロで「ロケ地です。」と言われてもピンと来なかったけど、聞けば【世界一狭い海峡としてギネス登録】されているとのことで証明書をいただくも「私たち、渡って来てないよ」と小豆島FCへ尋ねてしまう。

すると「いいえ、今、渡ってきたんですよ!」とごくフツーの橋を渡っていて、その間(9.93m)が海峡だったとのこと。思うツボにハマってしまう。

そして次は「池田の桟敷」。いわゆる棚田状の桟敷で愛媛県で言えば、新居浜市にある「山根グランド」のような感じ。
ココでは映画では花火を見たり、櫓を組んで夏祭りの様子が撮影されたとのこと。

で、ココで私と相棒は高松市内で打合せがあったのでタイムアップ!
小豆島FCが用意してくれたタクシーに乗ろうとしたら「からかい上手の高木さん」タクシーだった!

またネタでゴメンね。


「今年は映画を(劇場で)30本くらい見たかな?」と隣県AのFC担当者。「すごいー!映画好きなんですね!」とまた違う隣県BのFC担当者。

「泉谷さんはどれくらい観るんですか?」と今度は隣県CのFC担当者。「今年は何を見たかな?観てないかも・・・」と言うと「えっー!マジですか!?FCなのに映画観てないんですか?」と引いて驚く隣県AのFC担当者。

「(鑑賞料が)高いしさ」とモゴモゴ言い訳。「55歳になったら1100円ですよ!」に「あと2年か・・」となる。

研修会終了後の懇親会は四国四県のFC担当者・関係者が20名以上集まり大盛り上がり。
今年度から着任した方もいるので親睦を深めて四国の撮影支援ネットワーク強化が目的。

だからプライベートなコトも話題にして「引越したんです。」という話題から家族の話題になる。すると私にも振られて「家族全員、東京と横浜にいて私は単身生活なんだ。」となる。

だからお約束の「テレビが無い。冷蔵庫が無い。レンジもオーブンも無い。」をぶっ込むと、お約束通りに徳島、高知、香川の女性担当者から「それ、ホントですか!どうやって暮らしてるんですか?じゃあ洗濯は?」など矢継ぎ早に質問されてコミュニケーションがワイワイなる。

その様子を見ていた、えひめFC担当者が(泉谷さんがまたネタを言ってる)的な冷ややかな表情で入ってきて、隣県FC担当者たちが「ホントなんですか?」とえひめFC担当者に尋ねる。

「そうなんですよ。さらに泉谷さん、ついでに車の免許も持ってないんですよ。」と更にぶっ込み、「えっーー!」と場は更に盛り上がる。

「どうやってロケハンしてるんですか?」にえひめFC担当者が自分を指さし「アッシーです。」と、掛け合って懇親会終了。
写真はツルン!と美味しかった香川特産「オリーブそうめん」。

2024年12月22日日曜日

ヒトリシュラン。


2024年の出張が終了したことでホテル利用(宿泊)も終了。
高松へ行く前日に利用した東京のホテルは、東急系ホテルで、部屋を超効率よくレイアウトするためか、ドアを開けた横がベットで枕元だった。

クローゼットもなく壁に直接ハンガーが掛けられていて、だからか部屋は広く感じて洗面台&トイレ&バスルームとの間には大きな扉があり、しっかり仕切られていた。

バスルームはバスタブのないシャワールームだけ。
バスタブが無い分広く、トイレも最新式、他のホテルとは一線を画していた。

朝食もビュッフェではなく野菜弁当に数種類のパンが取り放題で女性に人気だろうな・・・というホテルだった。

そのまま高松へ飛んで用務を済ませて宿泊したホテルは地元のホテル。
建物自体は年季が入っていてハードでは太刀打ちできない!と分かっていたのかソフト?勝負で新聞やコーヒー、アルコールバーの開設、部屋に入ると壁沿いに長いテーブルが設置してあって使い勝手が良かった。

洗面台&トイレ&バスルームは畳一畳ほどの“よくある仕様&広さ”だったけど、朝食はスムージーの提供や数種類のサンドイッチ&パン、サラダ、スープ、グラノーラ、スイーツ、コーヒーと予想外の充実に大満足してしまう。

2024年は北海道から鹿児島まで計37ヶ所のホテルに宿泊して、初めて泊まったホテルの感想を独断と偏見で五段階の☆評価で残したけど、忘れてしまった記憶を呼び覚ますのに効果的で来年もしようと決めた!

ちなみに☆評価の五つ星は0で、四つ星が10あった。一つ星も0だったけど、二つ星は8あった。ヒトリシュラン。

子育てについて。


遅ればせながら妻の誕生日、そして長女、長男の新たな門出を祝って乾杯。
それぞれに暮らしている二人は、それぞれが自分が描きたい世界へ踏み込み、私たち夫婦の知らない世界へ進む子ども達を誇りに思ったり。

一緒に暮らしていたから、考え方や物事の見方、好きなモノやコトなど、多少の影響は受けているとはいえ、働き方(生き方)は決して同じ/一つとは限らないという話。
選択肢は無限にあり、選択できる意思を育めるかどうか?も子育ての範疇かもしれない。

振り返れば私も同じで、百貨店勤務の父の影響で百貨店勤務に憧れたか?と言うと全くなく、単に“好き”だった映画の道へ進もうと思うも、よくよく考えてみると美術畑だった父、美大卒の母から自分が気づいていない影響を受けていたのかも?と思ったり。

次男とは別機会に食事。
彼もユニークで、姉、兄の固定概念的な考えに縛られない進学を見ていたから(そんな道もありなんだ。)と思っていたかも。

一年半ぶりの再会でも“昨日の続き”みたいのが家族。
いろいろ話を聞いていると、次男は音楽や言語、哲学が好きは変わっていなく、読書をしては自分の中で考えをまとめていて頼もしい。

すると親は勝手に(末は妻と同じ研究者かな?)と思うも、そんな単純な話ではなく、この先、新しい職ができたり、もしくは新たに拓いたりするかもしれないと思うと、親は応援団として見守るのが一番と理解する。

やはり両親が私にそうしてくれたことって、我が子にも同じになる傾向あると思った件。

2024年12月21日土曜日

手打ち一本まさ屋。


高松空港からバスで約45分で高松市中心街に到着。
セミナー開始まで1時間ほどあったので、荷物を預けようとホテルに到着。

お昼だったので腹ごなしも・・・と思いフロントへ「この辺りでオススメのうどん屋さんってどこですか?」と尋ねると、さすが讃岐うどんの本場!数カ所を紹介してもらうも、それぞれに好みあるとのことで絞りきれず!

なのでグーグルマップで「うどん」と入力すると「手打ち一本まさ屋」という☆4.4の高評価うどん店を見つける。
ホテルから徒歩2分の場所にもあり、早速行ってみると店外に6人が並んでた。

初めての店なので“お作法”があるだろうと並びながらチェックすると「一組出たら一組が店内に入るルール」のようだった。

店内に入るとセルフ方式ではなく、店側がうどんを茹で上げて提供する方式。客が注文を告げると「あいよ!」と店主がお椀にうどんを入れてくれる。

「温かいかけ(うどん)の大」と注文を告げて、料理の間に「野菜かき揚げ&ゲソ天」を皿に入れる頃には「かけ大」が目の前に出されて、そのままお会計。代金は820円、安い!
その後はネギ、すり生姜、天かすを自由に入れて着席。

一組退出で一組店内のルールだからか、店内は思いの外ゆっくりできる雰囲気。時々あるガツガツゴミゴミのカオスな店内ではなかった。

肝心の味はと言うと、コシはさほど強くなかった。だけど出汁がおいしく飲み干してしまった。

☆4.4の高評価は嘘ではなかった件。

理解など野暮。


「理解など不要で、ただ感じればいいのか・・・」と思った銀座グラフィックギャラリー(ggg)で行われていた菊地敦己氏(アートディレクター/グラフィックデザイナー)の作品展。

銀座に行くと入場無料のギャラリーを訪れることが多く、今回はポーラ美術館が閉館中だったので次の選択肢はggg。
扉をあけて中に入るとグラフィックデザインの展示は分かるけど、何がテーマなのか?よく分からず「菊地敦己/グラフィックデザインのある空間」というだけ。

(ナニコレ?どういう意味?何を問うてるの?)など色々と湧いたけど、そもそも“そんなコト”を考えてしまうこと自体が野暮。

(そうなんだ!面白い/面白くない!響く/響かない!)など、自分の感性にフィットするか?しないか?感じるか?感じないか?だけの話。

理屈が必要ないのがアート。説明を読んでも(だからナニ?)でも全然OK!
実際に私も(で?ナニ?)な感じだった。

地下1階にも「菊地敦己/グラフィックデザインのある空間」は続いていて、同じモチーフでも出力の違いによって生じる質感の違いを展示していて(ふ〜ん、だよね。)となる。

極め付けは写真の壁に文字がある光景。

「かべのまんなか」という文字を壁の中央に貼る。

「北東」という文字に矢印をつけて北東に向いた壁に貼る。

「明」という字をライトで照らす。

「さかさま」という文字を壁の真ん中に貼る。

均質な壁に同じ書体で書かれた文字が、音葉や位置や大きさによってその場所の意味を変える。

言葉の無力化を表した作品のようだけど、(そうなんだ。)となる。

分かる必要はなく、(不思議な展示会だったな・・・)で十分だった展示会。

2024年12月20日金曜日

献杯で乾杯。

行く道を照らしてくれますように。

「20年って、ものすごい歴史ですよ。」を皮切りに始まった思い出話。
黎明期、自分たちがしているコト(=フィルム・コミッション)は地域から必要とされているのか?撮影に役立っているのか?このやり方、方法で合っているのか?など、暗中模索、五里霧中で手応えが欲しく、ホテルに合宿してオールナイトで学び合ったり。

任意団体では大きな案件は受託できないと分かり、法人化しようと設立に向けて奔走した日々。
事務所も間借りしたり、小さな部屋を借りたりして何とか事務局機能を存続させた日々。
赤字に陥ってしまい、執行部の責任について喧々諤々となり会議が1時間以上もズレ込んだり。

色々と思い出話に花が咲く中で「そもそもさ・・・」となり、フィルム・コミッションに貢献した故人の話になる。

M氏は間違いなく日本にフィルム・コミッションを広めるために尽力した一人で、退任しても連絡をくれ、生前葬的な会を開いた時も招いてくれたり。

H氏は某県庁職員で同世代だったからか気が合い、またH氏の地域は撮影が多かったので色々と相談したり、教えてもらったりした方。

小林さんは「歯に衣着せぬ」人でズバズバな発言で有名だったけど、私には「あの撮影はすごかった。羨ましいよ!」など兄貴的な存在な方。「いやぁ、風邪ひいちゃってね・・・。」が最後に交わした言葉。もう12年前ですか。

「(故人の)みんな、今のJFCを喜んでくれてるはずだよ」の言葉にジ〜ンときて「そうであったら嬉しいです。」

多くの人が携わり、また携わっていただき今がある日本のフィルム・コミッションに乾杯(献杯)。

2024年最後の理事会。

お菓子(土産)付きだった理事会

「〇〇の撮影は〇〇で決まったようだね。」
「先日、大型撮影の相談が来ましたが、あまりの無茶振りに断りました。」
「ロケ地探しより先ずインセンティブを尋ねられます。」
「〇〇の映画だから力入れようと思った矢先に延期になりました。」
「ロケ地として決まったのに撮影時期が合いませんでした。」
「ロケハンしたのに見送られました。」
「〇〇という制作会社、気をつけた方がいいです。」
「新しいフィルム・コミッションができるようだよ。」

など、全国各地から集まるフィルム・コミッションや映画映像関係者らとの理事会は終わり、その後のフリートーク。

「働き方改革によって撮影現場の意識は変わりました。でも事例が増えればグレーな事案が報告されているのも事実です。」と問題提議が行われれば「技術革新が撮影現場に及ぼす影響はフィルム・コミッションにとっても見過ごせない。」とこれからを見据えた話題が挙がったり。

会議室にいるのは全員が映画映像関係のエキスパートなので、プロフェッショナルな話は“リアリティ(≒重さ)”があって面白い。

国も撮影が及ぼす影響について本腰を入れ始めたことで、受け入れる我々としては支援体制の強化が求められているのは事実。

「撮影の誘致支援にAIとか先端技術がもっと活用できたらいいのにね。」と言う話題も。
具体的にどのように活用できるか?個人的に興味津々だけど、実装までいたらないのはお金(使用料など)なんだよね・・・と。
まだまだ道のりは長い。

2024年12月19日木曜日

訪れる理由。


妻は古着やアクセサリーなどを中心に、私は発想のヒントを得るのを目的に散策。
今回だけだったなのか不明だけど「大量のこけし」があったのは事実で、こけしを店頭に並べている出店者が多く、たぶん会場全体で1,000体以上はいたんじゃないか?というほど大小様々なこけしを見た。
「こけし」って元々は子ども達の玩具なのね。何かの身代わり、厄除けと思ってた。

会場には昨年同様に外国人もたくさんいて、あぁ言うカオスな光景はフェスティバルともフリマとも言えない(なんなんだ?)という感じだろうな。
そんな外国人は骨董系の店で多く会い、版画や彫刻、浮世絵、香炉、ひょたん、古銭などに興味を示してた。

で、私はと言うと「初めてみた!」と声をあげてしまった「ワイヤーのゴム鉄砲」。
木製と思い込んでいたので新鮮で、それも連発もできる優れもの!
太い&細いワイヤーを組み合わせていて、構造は分かったけど最初に始めた人はスゴい。
かつ、手に職を持っていれば年齢に関係なく、意欲と体力さえあれば永く収入(2500円/個〜)を得ることができる。メモメモ。

他にも助成金申請のヒントになるようなモノ(古くてもニーズがあって売り出されているのだから現代版にバージョンアップなどすれば・・・など)を見つけたり、これだから骨董市/蚤の市/てづくり市/フリマ巡りはやめられない。


仁義なき商売。


12月15日、16日は「世田谷ボロ市」。
去年は週末と重なり、ものすごい人出だったけど今年は16日が月曜日ということもあり、少しは空いてるかな・・・と思い、妻と出かけたら昨年同様の混み具合で真っ直ぐ歩けずのおおにぎわい。
さすが447回目(1578年から)の歴史は伊達じゃない。

最寄駅から京王線下高井戸駅まで1本、その後、東急世田谷線(路面電車)に乗り換え世田谷駅で下車すると、そこはボロ市会場の端。

道の駅+蚤の市+骨董市+手づくり市+フリマ+飲食店+@の合同市みたいだから“なんでもアリ”のカオスな会場。
会場は商店街や住宅街も混ざっているからお住まいの人が玄関先で余剰品などを売ってたし、警察も警備も東急電鉄も区役所もボロ市を見守ってた。

有名な代官餅を買えれば・・・と列の最後尾を見つけたと思ったら更に角で折れ曲がり続いて断念など、とにかく人出がすごかった。

16時を過ぎるとググッと冷えてきたので温かい飲み物を探すと、右側に400円でコーヒーが40売っていて、左側では100円で甘酒が売っていて甘酒を選ぶ。
ノーマーシー(非情)なユーザー(私たち)、仁義なき商売。

そして、妻の目に止まったのは40cmほどの貝。
内側の螺鈿が美しく“THE 貝”という形に「長男君の静物画にどうかな?」と、その場で長男君に連絡すると欲しいとのことで購入。
お値段は5,000円。高いか?安いか?はその人の価値観。

偽物ブランドもあった玉石混合の品から、ホンモノというか掘り出し物を見つけ出すのって楽しいけど大変(真剣)!と思った件。


2024年12月18日水曜日

幻の魅力。


正直に言うと、生まれ育った八王子市に思い入れがなくて、愛媛のように道後温泉、松山城があり、前は瀬戸内海、後は石鎚山、海の幸&山の幸なども美味しいとなると・・・。
ちなみに今では年間数回登る高尾山だって40年ほど前は魅力的と思えず、3年前に家族が八王子で暮らし始めてから魅力的に思えたり。

こどもスペースラボの隣は休憩所になっていて、ふと見たら「八王子隕石」の説明があり見入ってしまう。マンガによる紹介もあった。

日本ではこれまでに数十センチほどの隕石が落下していて、最後に隕石の落下が確認されたのは2003年。
その中で最も大きかった!?と言われているのが「八王子隕石」で、記録も多く残されているのに「実物がない」幻の隕石と紹介されていた。

記録では1817年12月19日午後2時頃に八王子市周辺に轟音と共に降り注いだ隕石の中で八王子隕石は爆発したと記録があり、直径10kmの範囲に10個以上のカケラが落下したとのこと。

落下した隕石には90cmほどの大きさもあり、現存する日本最大の隕石は1850年に岩手県陸前高田市に落下した50cmほどの「気仙隕石」なので、残された記録によると、八王子隕石の方が大きく、日本最大の隕石!?となる。
でも実物がない!

実物がない理由には「粉々に砕けた」「どこかに土中に埋まってる」など諸説あり、“埋蔵金”のようなロマンを感じるけど、落下から200年以上経ち、発見はほぼ不可能とのこと。

八王子市に少し興味関心が沸いた帰り道に見た月は満月だった。