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2024年9月11日水曜日

聖地巡礼本になってた。


諸説あるけど、「聖地巡礼」という言葉は、アニメ作品から生まれた言葉で、ファンが訪れる様子を俗語で表したとのこと。
2005年には「聖地巡礼」という言葉をタイトルにした書籍も発行されてた。

「オフ会」とも似てるけど、オフ会はファンが集まる機会のこと。
「聖地巡礼」はファンなどが追体験などの目的で訪れること。
「フィルム・ツーリズム」とか「ロケーション・ツーリズム」も同意語。昔からあったけどカテゴリーとして市民権を得て、日本を含む世界中で起こってる。

その背景にはデジカメの普及、SNSでの発信による認知度向上、リアリズムを描く作品が増えたことなど。
そこへ「アニメツーリズム協会」が誕生して聖地を定め、観光地化へ一気に進んで今に至っているとのこと。

今ではAR(拡張現実)とかVR(仮想現実)などの領域にも入り、今後のさらなる発展は確実視されている。

ちなみにジャパンFCはアニメツーリズム協会の聖地制定に協力(場所の立候補など)している。そうだ!「がんばっていきまっしょい(アニメ版)」で立候補しようかしら。

で、ここにきて界隈で盛り上がっている「坂の上の雲」の再放送。
2009年に出た「坂の上の雲の松山を歩く(愛媛新聞社発行/2009)」は、まさに「坂の上の雲」の聖地巡礼本で43カ所も掲載されてた!

当時は撮影資料として購入し、質問などが来た時の辞書代わりだったけど、時を経ると聖地巡礼本になってた。

再放送の影響から愛媛/松山に訪れる人は必ずいるから、フォローできたらいいんだけど・・・。

色々と思い出すし、考えさせらる日。

通ったイーストビレッジのウクライナ料理の「ベセルカ」

9/11。1/1(能登半島
大震災)、1/17(阪神淡路大震災)、3/11(東大震災)、8/6(広島市に原爆投下)、8/9(長崎市に原爆投下)、8/15(終戦記念日)と、考えさせられる日は増えるばかり。3年前にも振り返ってた。

これに南海トラフ大地震、ロシア・ウクライナ戦争、パエスチナ・イスラエル戦争なども考えると、同じ地球で起きていると思えないし、世界の平均気温が上昇したり、氷河が消えたりなどのニュースも加わると、ヤバいよね・・・と思うも、個人ができることは少ない。

私なんて、20年後には天国 or 地獄に行ってるかもしれないけど、子ども達世代は50年とか60年先まで生きると考えると好転するんだろうか?
末っ子くんが祖母に「自分のやりたりコトは50年後に形になる」などを言ってたそうだけど、未来は今の情勢とは全く違っているのは間違いない。

「いつかは来ない。だから、後悔しないように・・・」と周りに言いふらしていたら、感化されたスタッフが「その通りですよね!行ってきます!」とスタッフ同士でエジプト旅行へ行くらしい。
「お金の問題とかあるけど、どうにかなる!なりますよね!」と超ポジティブ思考なスタッフ。

あぁ、そんなスタッフに、こちらが感化されたのか、ニューヨークへ行きたくなってしまう。
自分の人生でニューヨークは妻と出会った場所だし、多感な青春時代を過ごした場所だから外せないのだ。

いつか行く・・・と思ってたら、行けなくなってしまうんだろうな。
9.11。色々と思い出すし、考えさせらる日。

2024年9月10日火曜日

次は!


共同テレビ/TBS「笑うマトリョーシカ」が放送終了。清家が内閣総理大臣になってた!
それが良いか悪いかの判断は個々の価値観などに委ねられていたけど、(で、総理大臣になった清家は今後、どう日本を導くの?)という疑問は視聴者としてごくフツーな感覚なので、その後・・・なんて続編があってもおかしくない物語と思ったのは私だけか。

そして、「笑うマトリョーシカ」の放送終了から2日後、今度はNHK総合で「坂の上の雲」の再放送が始まる。放送局は互いに違うけれど、愛媛県にとってはいい流れ。

それに伴い、愛媛県のロケ地マップを更新。
そして遂に愛南町にピンを立てることができて感無量。
それもバラエティではなくドラマで(ピンを立てている作品は映画、ドラマ、コマーシャルのみでバラエティでのロケ場所にはピンを立てていない。)

他のロケ地情報も合わせて更新すると130カ所以上にピンが立ち、一先ず愛媛の端(愛南町)から端(四国中央市)まで撮影したぞ!と満足感を得る。

ただ、逆にピンがないことで目立ってしまったのは伊方町。
伊方町は四国最西端とも言え、日本一細長い佐田岬半島がありながら、まだ映画、ドラマの撮影はない。

先日まで「佐田岬ワンダービューコンペティション」に携わっていながら、作品を誘致できていない・・・。

日本一細長いを活かして、自転車作品なのか?それとも大分県と近いから連携作品なのか?戦争遺跡もある。伊方町を推してみる!

お願い力。


事業を始める時、「最初は一人で小さく。」はその通りで、理由は最初から大風呂敷を広げても一人でできることは限られているから。要するに最初は全てワンオペなのだ。

かと言って、ずっとワンオペで小さく事業を続けても(このままでもいいのかな?)など先行き不透明、不明瞭な意識が悶々と湧くのも分かる。
でも悩んでも答えは出ず、ワンオペの忙しさに今日も飲み込まれてしまう。

特に「言い出しっぺ事業(≒自分がやりたいコト)」は、成果を出すまで周りからの理解や協力は得にくく、孤軍奮闘になりがち。
更に「自分に負けたくない、自分からお願いはできない(≒敗北)」のような“ヘンテコな意識”もあったりするから厄介。

周りから声をかけてもらった方が楽だけど、「いったい、いつになったら声をかけてもらえるの?」と尋ねたい。そんな不確実で一方的な期待をするより、自分かできるコトがあるんじゃないの?がアドバイス。

それは「お願い(相談)すること」。
お願いや相談をされて嫌な気分になる人はいないと思うから、先ずは連絡。

一人でできることは限られているから仲間を求めたり、助言を求めたり、依頼をお願いしたり、色々とできるのがお願い(相談)。

「お願い力」とでも言おうか、フィルム・コミッションは「お願い」しか相手にしないのだから、躊躇したってしょうがない。
だから、そのお願いが相手にとってワクワクできるものだったら協力や理解の確度は上がると思う。

一人でやってきた自負もあるかもしれないけど、これまでの方針を変えることは恥でも負けでもなく、変革を恐れて求めないコトが恥であったり負けであったりするということ。

2024年9月9日月曜日

フィルム・コミッション冥利。


昨晩から「スペシャルドラマ坂の上の雲」が放送され、3月まで全26回の放送が予定されているとのこと。これほど大掛かりな撮影は今後も現れないと思う。

初回放送は2009年11月29日だったのか・・・。松山での撮影は2008年だったと記憶。
でも2007年には既に時代考証やロケハンなどが始まり、えひめフィルム・コミッションではあったものの、愛媛県庁から松山市役所へ転職したのは「坂の上の雲」も大きな要因だったと振り返り。

現代の愛媛で明治・大正時代のロケ地を探すのが本当に大変だったなかで、内子町石畳地区の屋根付き橋での撮影は第三部まで登場したし、松山城でも若かりし真之のヤンチャぶりの撮影をどう撮影したらいいか?悩んだし、七五三ケ浦海岸で小舟と撮影船を出しながらの撮影など、長期撮影お疲れ様でしたという感じ。

最終回は二の丸史跡庭園前で撮影があり、街中を行き交うエキストラを集めなければならず「子供が必要でして、それも丸坊主にしてもいい子っていますか?」と言われて、他の子を丸刈りにはできず、我が子に相談。

当日、メイクさんによって丸坊主にされた我が子(長男くん、次男くん)の記念撮影がこの画像。

この後、鼻穴に“鼻水”という設定で水飴を塗られ、小坊主として鼻をペロペロしながら馬に乗って北高校へ出勤する好古さんの所へ駆けて行くというシーンは、シッカリと映ってた(笑)。

初回放送から15年が経ち、改めて見直すとまた新しい気づきなどがあるんだろうな。
こういうタイミングにフィルム・コミッションとして携われたこと、時が経つほどジワリと沁みる。

おいしかった授業。


昨年、市民先生養成講座を受講した白形典子さん。
「自分が先生なんて!」と受講時は言っていたけど、よく聞けば「安心安全な食を家庭に提供したい。」という願いがあり、企画した授業が「体に優しい無添加万能タレづくり」。

そして、学んだことの実践として模擬授業を2023年12月に実施すると、参加者から大好評で、授業の終わりに「このタレは保存ができるので、また授業ができたら食べ比べしたいですね!」となり、2024年9月7日に「続・体に優しい万能タレづくり」。その機会がやってきた!

ニンニク、ショウガ、リンゴ、ナシの他に野菜、肉、そして調味料など材料を全て揃えていただき、可能な限り添加物がない品、新物が並ぶ。
ポイントは「旬」とのことでニンニク、ショウガ、リンゴ、ナシは新物が欠かせないとのこと。

万能タレづくりは「切って、混ぜて、煮る」で終わり。一つ一つの材料は知ってるし、味も分かっているのに混ぜて煮ると、アラ不思議!という味になるから、分量って大切!と実感。

試食の献立は野菜炒め&焼き肉。そこへ、昨年12月につくった万能タレと今回の万能タレの味比べに鶏肉を炒めて添える。
写真左側の色味が濃いタレが昨年版、右側が今年版、色味が左側に比べて薄い。味も「まろやか〜!」という意見が多かった。

あっ!五合炊いたお米は、もちろん平岡米(このために一升を確保してた)。

「この授業、来年も続けてほしい!」となり、一年後!?と思ったけど、やはり新物の時期に合わせると秋開催がベストで「来年はもう少し時間をとって、作って食べて持って帰りましょう!」となり、白形さん、参加者同士で連絡先の交換がされて、700回目の授業はこれまで以上に濃くおいしく終了!

2024年9月8日日曜日

次は701回目の授業。


2011年6月4日にココ大は開校して当日に第一回目の授業を実施。
一時期はスタッフを5名抱えて年間100回以上の授業をしたことも。
その後もコツコツと授業を重ねて昨日の「続・体に優しい万能タレづくり」が700回目の授業となる。

実はウェブサイトで授業をクリックするとURLの最後に表示される数字は授業回数。
13年と3ヶ月で700回ということは、年間53-54回ほど授業をした計算(コロナ以降は年間10回ほど)。

こんなにも長く&多く続けられたのは、偏に多くの方が「面白がって」くれたから。
授業を受け持ってくださった市民先生は300名を超えているし、授業を受けたいと登録した市民学生は2,000人を超えている。

のべ参加者数が30,000人を超えているのは、少数(数人)から多数(200人程度)まで様々な授業を行なってきたから。
振り返ると海、山、島、里、川、町、畑などでホント、色々な授業を思い出し、お世話になった方々や参加してくださった方々の顔が浮かぶ。大感謝!

授業企画の源泉は、市民や企業、団体などが持つ「知識や経験、技術」の豊富さ。
市民先生になってくださった方々の多くは、教えた経験がなく、また「私なんて何の取り柄も・・・」と尻込みする人が多かったけど、伝え方を会得することで「教えながら学べる」ことを知るのだから、まさに「誰でも先生、誰でも生徒、どこでもキャンパス」の体現。

ともあれ、700回が終わったことで次は701回目の授業企画。
次は10月に「晩秋に本とスパークリングワイン」の予定!

ピカソの30秒。


色々なバージョン(市場バージョン、カフェバージョンなど)があるけど「ピカソの30秒」の小話は有名。

ピカソが市場を歩いていると、ある婦人に呼び止められた。彼女はピカソの大ファンで、絵を描いて欲しいという。

快諾したピカソは、サラサラと絵を描き上げた。婦人は喜び、いくらで絵を譲ってもらえるか尋ねると、ピカソはこう言った。

「100万ドルです。」

婦人は驚き、高すぎると言った。たった30秒で描いた絵が、どうして100万ドルもするのか尋ねた。するとピカソはこう答えた。

「いいえ、30秒ではありません。私は、これまでに30年もの研鑽を積んできました。だから、この絵を描くのにかかった時間は、30年と30秒なのです。」

を思い出させる出来事が3つ。
(1)「講座+ワークショップをしてほしい。」と言う依頼。だけど謝金はなく、交通費+宿泊費の実費のみ。
丁重にお断りしたのは、資料づくりなどの準備に対して
考慮が全くされてなかったから。


(2)「ぜひ!お会いしたい!」と、言われたもののスケジュールが合わず、お断りしても懇願されたのでお会いすると、相談という切り口の営業先の情報提供依頼だったので丁重にお断り。

(3)「ぜひ!会ってほしい!」と知人の紹介で会ってみると、私に用事ではなくココ大の市民先生をゴッソリ紹介して欲しいとのことだったので丁重にお断り。

残念の一言。楽して得ようという魂胆を感じてしまい、ピカソの30秒を思い出してしまう。

2024年9月7日土曜日

そして、また出稽古へ。


出稽古歴は20年以上。30代から大阪や東京などに出向いては研修や講座、コンテストやアイデアソンのような機会で一期一会の仲間たちと競い合ったり、励ましあったり。

思い出すのは、「ふるさとグローバルプロデューサー」では、我がチームはシルクをテーマに、愛媛、タイ、ベトナム、ハワイへ市場調査、現地調査に行かせてもらい、苦楽を共にした仲間とは今も親交が続いているし、仕事(協業)にまで繋がってしまったのだから、スゴいよねとなる。

直近は3月に岡山県津山市に行き、2泊3日で津山市の企業と事業アイデアを考える機会に参加。
全く知らない分野について知り学び、そこからアイデアをつなぎ合わせて発表したけど、我々の発表はとても良かったし、そこで知り合ったメンバーとは今も繋がっている。

出稽古は「知ってるつもり、分かってるつもり」な意識をリセットさせてくれるし、各地から参加した同じ意識の仲間と知り合いになれる機会でもあるからメリットしかない。
一期一会のメンバーとのセッションは相乗効果/化学反応が必ず起きるから面白い!

そこへ今回もひょんなことから「福島☆復興グランプリ」という経済産業省主催の9/14から9/16まで2泊3日の機会に応募したら(応募多数だったとのことで)採択されて参加予定。
福島県では相双フィルム・コミッションが誕生したこともあり、現地に行きたかったのも一つ。

早速、プレ講座に参加。「インストール」と称して福島の今と心構えが参加者にインプットされる。どんな出稽古になるか!?

今年も参画!


昨年、妻から相談された東京都八王子市にある「コニカミノルタ・サイエンスドーム(≒科学館)」でのリーダーシップ授業と絡めたイベント(2日間)は、参加者や関係者に大きなインパクトを与えて終了。
そのインパクトの一つが、写真の「広報はちおうじ」と言う全戸配布の表紙に取り上げられたこと。

昨年は、子ども達の宇宙への興味関心がわくようにと、手持ちのレゴ100kgをサイエンスドームへ送り、また手持ちのスターウォーズコレクションも送り、子ども達だけでなく大学生も楽しく学んだ機会。

初めてだったから「とにかく思いつくことはやってみよう!」と、全員の熱量がメチャ高かった2日間。

ちなみに私は資材提供の他に、プロジェクトマネジメントについて(授業で真面目に)紹介。

あれから一年が経ち、「もう一度やろう!」ということになり、初年度の良かった点、改善点を改めて振り返り、今年度も講師&アドバイザーのご指名を受ける。
ちなみに今年はスターウォーズの展示はしない方向で、レゴの活用を拡大し、宇宙を知る学ぶ体験に注力予定。

昨年の学生は一人もいないから、またゼロからチームをつくり、モチベーションを引き出し、事業マネジメントも自分たちで行いつつ、レゴで楽しむ&楽しませるリーダーシップを発揮するOJTが始まる。

今期の学生達と会うのは2週間後!

2024年9月6日金曜日

人のふり見て。


強制的に「自分の生き方」について振り返る、考える機会となっている「ライフプランセミナー」。次回は三津浜編。

私自身も伝えながら参加者と一緒に資料に書き込んで同じ目線で共に学ぶ・・・と、やっぱり“世間一般”とは違う道のりだったと身に沁みて感じる(それが良いか悪いかはなく、本人が納得していればOKと思う、私は納得している。)

“これまで”は過去なので変えられない。だけど“これから”は変えられるから“今”から変えていこうとなるも、描いた未来へは一直線では行けず、蛇行アリ&凹凸アリという話。

「これから変えていくぞ!」と意気込んだ矢先に不幸が舞い込んだり、希望が見出せたり、予期せぬ出来事に遭遇したり、社会情勢が変わってしまったり・・・など、色々なことが重なってしまうコトは意外とある。

でも、頑張らなきゃ!と踏ん張るも色々な事柄が一気に覆い被さって、前にも後ろにも横に動けず、心身疲労でダウンしたり。経験者は語る。

まさに、そんな人がいて「人生のターニングポイントですね。」となる。
色々なことが重なったことで、色々な選択肢ができた(はず)。

「進む。立ち止まる。休む。止める。別に始める。など」色々と重ならなければ、前にしか進めず玉砕だったかもしれないと考えると、「良い機会を得た。」と思うのも吉。

全てを叶えることもできないから、気持ちというか意識の断捨離、整理整頓が必要かもと自分にブーメラン。

本当に起きた話。


愛媛県職員を対象にした研修も3回目。
第一章が終了した休憩時間に教壇へやってきたのは民間採用枠で愛媛県庁に転職したAさんBさん
仕事や授業などで昔からよく知っている二人、これまでの経験を活かして愛媛県を導いてほしいと伝える。

第二章が終わり二回目の休憩に入ると、今度は男性が一人でやってきて名前を告げてくれ「15年前にインターンシップでお世話になったCです。覚えていらっしゃいますか?」と言われて、「オォーー!Cくん!?」と声を出してしまう。

彼も民間採用枠で転職した愛媛県庁に転職した一人でインターンシップ当時の印象(まちづくりの可能性など)が強く残り、某市の公務員になったものの愛媛県で働きたい!と戻ってきた。

そんな彼は当時のインターンシップ資料を見せてくて「大切に保管してました。」とのことで、ウルッ!とくる。

インターンシップって1-2週間の出来事なのに、その時に受けた印象や気づきが将来に影響を及ぼすって・・・と言う感じ。

そして研修終了。その前に名簿を見ていたら、(もしかして・・・)と言う名前を見つけていて、でも人違いだったら申し訳ないな・・・と思い、教室を後にしようとしたら「泉谷さん、Dです。」と声をかえてくれた4人目!

なんと、小学生の時にココ大の授業に参加してくれた、元同僚のご子息で愛媛県庁に就職されていた!「えぇーーーー!Dさん!?」となりビックリ仰天とはこのこと。

するとAさん、Bさん、Cさんも現れ、研修所の所長「すっ、すごい。どんな人材育成したんですか?」となり「いいえ、特に何もしてません。」

でも、これまでの取り組みが間違えではなかった・・・と思ったのは事実。
写真は今夏にインターンシップに参加した学生からのお礼、また彼女たちとも交わるかもしれないと思うと楽しみ!

2024年9月5日木曜日

ライフプランセミナー久万高原町編。


これまでの人生&これからの人生を考えた時、誰もが色々と思う節がある。そんな“節”はターニングポイントだったりして・・・と話題を重ねてワイワイガヤガヤ。

ライフプランセミナーと言う人生設計講座と訳せる機会に登場。
でも、自分の人生設計なんて描いても思い通りにならないのが人生。(どうして自分はうまくいかなんだろう?)は健全なモヤモヤで正常な証拠。

なぜなら、全ては未来の話だから予測がつかないのは当たり前。外れるのは当たり前。

ならば、少しでも近づけることはできないか?で「計画的偶発生理論」の登場。
そもそも「人生におけるキャリアの80%は偶然の出来事に左右される」なら、その80%を少しでも自分へ引き寄せたいし、もしくは80%の偶然を少しでも意図的に発生させたい。

講師役だった吉岡さんのこれまでを聞くと、ターニングポイントでの判断は“点”だけど、その点と点を結ぶと偶然だけど結果的に良い方向へ進んでいたことが分かる。

「そうするためにはどうしたんですか?」と言う質問もあったけど、当人は“その時”に集中して偶然でも自分のモノにしてきた(引き寄せてきた)よう。まさに計画的偶発生理論で説明できそうな半生。

1.好奇心:新しいことに興味を持ち続ける 

2.持続性:失敗してもあきらめずに努力する 

3.楽観性:何事もポジティブに考える 

4.柔軟性:こだわりすぎずに柔軟な姿勢をとる 

5.冒険心:結果がわからなくても挑戦する 

って大事!

燃え尽きませんように。


“地域づくり”に前のめり、考え過ぎると“にっちもさっちもいかなくなる”(≒行き詰まり、どうしようもなくなる)から気をつけてね!が最後のメッセージ。

地域づくりに立ちはだかるのは、避けられない課題と分かっている。
でも、目の前の課題を解決しても次の課題が立ちはだかっていて、“そこに”集中してしまうと周囲が見えなくなり、課題の沼にいつの間にかハマり、前にも後ろにも右にも左にも身動きができず体力や気力が失われ、「やっぱり、地域って最悪!課題改善なんてムリ!」なんてならないよう、気をつけなければならない。

これまで地域づくりに真正面から取り組み、沼に陥り“にっちもさっちもいかなくなり”燃え尽き症候群のような感じで退場した人を何人も知っている。

そんな方々の特徴は、真面目で誠実に向き合った結果だったけど、一人(単独)で向き合ってしまってた。

地域づくりの多くは地域の課題を改善/解決して地域をより豊かにするのが目的だけど、「地域の課題改善/解決≠地域づくり」ではない。ココ大事!

そもそも、地域の課題改善/解決は重いテーマなんだから、重く取り組んでも重すぎるだけ。
ならば、重くても軽く見せるとか、重さを軽減させるなど、色々と魅せ方や手法はあるわけで、そこは地域づくりの当事者たちの腕の見せ所かもしれないと。

まずは笑いながら「イッチョ、やっちゃいますか!」というノリもあって良いと思う。

2024年9月4日水曜日

根拠のない自信から。


講座や研修などで教える場合、説得力&納得力を高めるために「具体的な事例」は欠かせない。決して“いい話を聞いた”で終わらせないために、リアリティを紹介できるのが強み。

(1)朝食を食べても、昼食を食べても腹ペコな子ども達をどうにかしたかった。
(2)昨年末からゲストハウスや歓迎会などでおにぎりを食べる機会が多かった。
(3)3月にはホテル朝食のウリが“おにぎり”で、可能性を感じてアイデア浮かぶ。
(4)食育の一環に「おにぎりを自分で握る」を実現すべく助成金を申請する。
(5)見事、採択されて一升炊の炊飯器、食料など10万円分を購入できた。
(6)ネットでお米の寄付について書くと平岡家から寄付の申し出があった。
(7)「おにぎり百景」と名付け郷土系おにぎり「鯛めしおにぎり」など色々握る。
(8)料理人パパイズム鈴木さんを招き「おにぎり教室」授業で100個以上にぎる。
(9)冬も平岡家からお米の寄付をいただけることになった(今度は新米!)。

これらの間には多くのサイドストーリーがあるけど、助成金などの申請には妄想でも「描き切る」ことも大切で、書き終わった後の「根拠のない自信」は言い得ぬ自己満足感(笑)

そもそも、申請に至るには、それまで散らばっていた「点(今回で言えば、腹ペコな子ども達、各所で偶然に食べたおにぎり、食育などのキーワード)」を紡げたことが背景にあり、妄想でも現実的に書けたのが良かったと自己分析。

相手とストーリーを共有できるかが採択における一つのモノサシと言うつもり。

9/6(金)が最終回。


うーむ、ハヌッセンが浩子だったらストレート過ぎると思っていたけど、縁を切られていたのか!そして(あれ、サッパリ音沙汰なくなったぞ?)と思っていたら、美和子/アリサが田所礼子になってた!?という衝撃の事実。

さらにハヌッセン=美和子/アリサと思っていたら「3年前に捨てられた!」のくだりは(演出も相まって)怒涛すぎて釘付けになってしまったよ!

で「笑うマトリョーシカ」って全11話なのね。
最近は10話も多い中で、見応え感のある大人のサスペンス。今更だけど、キャストも30人以上って多い方ではないかな。
いよいよ、9/6(金)22時が最終回。
清家を操ってるのは結局誰なの?明確な答でスッキリ終わらせて欲しい!

と、見ていたポスター(右隅)の横には「がんばっていきまっしょい_アニメ版」のポスターが飾られているのは愛媛県庁のNTTビル一階。
このポスターは第一版で、現在はユニフォーム姿の第二版が出回っている。

先日は隔月レギュラーの「ひめゴジ!」に原作者の敷村さんも登場されたようで、私の出番は10/22(火)とのこと。

そしてポスターなどはないけど、9/7(土)18:30からは「満点☆青空レストラン」で宇和島市(だてまぐろ)。
先日も宇和島市に撮影の受入相談をしたところだけど、ホント撮影が東予、中予、南予で行われているのは愛媛の魅力が浸透してきた結果か。

これからも話題が作れますように!

2024年9月3日火曜日

お金大事。


生々しい話。今夏のココ大付属学園で色々とお世話になった事柄などの経費、他事業でも区切りがついた事業の精算。事業への先払い、給料などで400万円ほどを今週中に支払う。
なかなかの金額で大きな塊。高級車一台分ほどか(免許もってないけど)

借金の返済中だったら、頭を抱えて“つなぎ融資”も考えたかもしれない。
だけど借金(2000万円)は既に完済、借金に充てていた額は繰越金にも充てられて、400万円程度なら支払えるようになったのは苦節13年、成長した証か。

お金大事。公益活動をしてるからって、我慢や窮屈を強いるのは意味不明だし無意味。

エドワード・デシは、取組のモチベーションの動機づけには三要素「自立性(自分が選択するコト)」「有能さ(点数など数字や数値で挑戦を図るコト)」「関係性(互いに支え合い頼り頼られるコト)」があると言っている=自己決定理論。

お金は数えられるし、比較できるし、客観的に測れる一つの指標。全てではないけど、お金があることで「できるコト(選択肢)」は増える。
先日も、そのコトを痛感したばかり。

愛媛県の最低賃金は、令和5年10月6日から897円以上/時だったけど、令和6年早ければ10月から956円(59円引上げ)になるとのこと。愛媛県初となる900円台へ突入。

と、言うことは、愛媛県内多くの所で1,000円/時という賃金も見かけるようになるのか。
働く人にも経営者にとってもお金、とても大事。

資金調達の話。


公益事業とは、非営利活動や社会貢献活動などのこと。NPO(法人)の取り組みもその一つ。
愛媛県内にはこれまで712のNPO法人が設立された背景には、712の課題が愛媛県にあることを意味していて、日々、NPO法人は設立ミッションに沿い、課題の改善&解決をしている。

コミュニティ・ビジネスやソーシャル・ビジネスもビジネス手法で地域の課題や社会の課題改善に取り組むから、広義に捉えれば公益活動(≒社会一般が享受する利益)となる。

ただ、地域の課題改善は一回や一年では成果は出ず、何回も何年も色々な切り口や手法で取り組まないとならず、仮に成果が出たとしても、ほんの一部で改善&解決への道のりは長い。

すると、大抵、活動資金が足りなくなる。(良いことしてるのに!)と当事者は思うかもしれなけど、周りは成果が出なければ気づかない、気にも留めない。

だから、持続的な活動に使えるもの(=社会資源という)は何でも使う。資金もその一つで、公益活動には「寄付、会費、自主事業、委託、補助/助成、投資」の資金調達方法がある。

9月25日(水)19時から20時の【公益活動の資金調達の基礎・基本セミナー】では、お金を内部、外部から調達するのに必要な知識と情報を学び、資金調達を実践してほしいという願いが背景にあり、参加者が実践することで、愛媛の公益活動は加速する!と信じてる。

1時間1本勝負だから、脱線(趣味は助成金申請など)しないように気をつけないといけないのは私。

2024年9月2日月曜日

企画脳と思考のリハビリ。


7月と8月は、多くの仕事を先延ばしにさせてもらったので、心機一転!気持ちの切替えに松山城へ朝散歩。

「まるで季節労働者(≒季節で仕事が変わるという意味)のようですね。」はハーモニープラザ関係者。絶妙な例えだったり。
でも、普通だったら仕事は待ってくれないから、合わせていただいている関係者に大感謝!

で、早速、事業の難題に当たる。
「できるコトをするのか?しなければいけないコトをするのか?やりたいコトをするのか?」は永遠の問い。

緊急事態ではないので、今すぐに“しなければならないコト”は外せる。
“できるコト”と“やりたいコト”は、どっちがどっちではなく、折り合いをつけた折衷案が良いと考える。実は“できるコト”と“やりたいコト”は互いに相性がいい。

でも、そこには両方の実現に欠かせないリソース(資源)の種類と量が関係するほか、結局“誰がするか?”が最も重要で、そこは良いか悪いかは別の話として最後は“私”になる。

事業を始める際、浅く広く始めるか?深く狭く始めるか?と言いたい&考えたいけど、先ずは小さく濃く始めるが正解。
特にヒトモノカネジカンなどのリソースが限られている場合、最初から話題を狙わないのがベター。

もったいないのは最初だけ勢いがよくても持続性のない1倍の話題。せっかくなら少し先になっても話題が何倍にも大きくなるコト。松山城だって400年後も話題になってるし。

2ヶ月ぶりに企画資料を作るので、企画脳のリハビリと言うか思考の整理。

考えさせられる。


練馬区立美術館へ【三島喜美代-未来への記憶-】に行ったのが6月6日。感銘に浸っていたら、6月27日に91歳で逝去。展覧会の最後にあった作品「未来への記憶」は圧巻だった。

現在、国立新美術館で開催中の【田名網敬一-記憶の冒険-】へ行くのを楽しみにしていたら、8月9日に88歳で逝去。

フランスでも現代アーティストのベンジャミン・ヴォーティエ氏が6月5日に88歳で亡くなったし、アメリカでもビデオアートの先駆者として知られているビル・ヴィオラ氏が7月12日に73歳で亡くなっている。

日本や世界の現代アートを牽引してきたアーティストの訃報にガックリ。
時代の移ろいが沁みている所へ「横尾忠則氏が東京国立美術館へ絵画102点を寄贈」のニュース。
横尾忠則氏も88歳、天井桟敷あたりの作品から影響を受けているので作品が後世に残るのはいいこと。

そんな高齢だから・・・と決めつけはよくないようで、草間彌生氏は95歳でも精力的だし、昨年の展覧会へ行けず残念だったデイビッド・ホックニー氏は87歳
昨年、ウィーンで展覧会へいったアレックス・カッツは97歳でも素敵な作品を世に出してた。

長生きすることに執着しないけど、長生きすることで新しい何か(作品など)を生み出すことができるのは素敵だなと。

多感だった10代、尖ってた20代に影響を受けたアーティストが高齢になって、どんな生き様だったのか?興味津々。