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2022年1月27日木曜日

持ってる人。


「ドミトリー(簡易宿泊所)」には男性1人の先約がいて名前を尋ねるとDくん(24歳)。いわゆる“Z世代”で、旅行会社に就職したもののコロナウイルスの影響などもあり、色々と思うコトあり退職。時間が空いたことで“自分探し”で愛知県からフラリと特別な目的なし、縁もなしのアドリブ大学へ着いたとのこと。「一宿一飯の恩」でアドリブ大学のお手伝いをしていて「面白いね!」と私。

「よかったら研修に一緒に参加しない?」と今回の研修コーディネーターのデオッチ(60歳)。Dくんも予定がないから研修に参加。ビジネスアイデアなどの場で突然感想を求められたら、その後の意見交換でも会話を交わすと「いい人」とわかる。「うちに来ない?」とデオッチから冗談とも本気とも分からない意見も飛び出し、一期一会の夜は他の方々とも初対面同士で盛り上がる。

翌日、Dくんは「徳島市内を観光しようと思います」「それだったら、こっちの研修に参加したら?」とデオッチ。「えっ、いいんですか?」と話しは勢いを増して飛び入り研修生となったDくん、彼なりに地域を勉強していたのでウェルカム!
朝に出発して戻ってきたのは既に夜。「移住したら?」など朝は冗談混じりに我々からイジってたけど、帰り際は「マジで移住していいんですかね?」とDくんから前のめり。こういう素直な若者を見て「Dくん、持ってるよねー」と私たち。

文脈や行間を読む。


コロナウイルスの影響でスタジオ収録ができず電話収録。放送冒頭に「コロナウイルスの影響で変わった撮影について」紹介したから話題提供だけでなく本当に影響を被ってしまった。
いつもの収録なら岡田キャスターの表情を読み取りながら阿吽の呼吸で進行できるけど、表情が分からないから声のトーンなどで“間”を読む。ラジオの場合、同時に二人が喋るのはリスナーが混同するのでNGと教えられたので、被らないように“間”を計るのって感覚的なもの。

進行表はあるけど松下Dは「泉谷さんのペース、内容で喋ってください」と優しいから甘えてしまい、ついアドリブも交えてしまうけど、今回は進行表通りに前後の文脈を汲み取って喋る。この“前後の文脈を読む”とか“行間を読む”は言うのは簡単だけど、スキルがいる。
物語には台本があるけど、文脈や行間を読まず「点」でロケ地を探すと大抵失敗するのは20年間で得た経験の賜物。

「交差点」と言われても数ある交差点を適当に提案してもダメで、演技できるスペース、車線数や迂回路、交通量、信号の間隔(早さ)、陸橋などの有無が把握できれば完璧だし、「家」とあっても年代(古さ)、平家か2階建てか3階建てか、外壁や屋根の素材、間取り、アプローチの奥行きなどまで把握できれば完璧。だから文脈や行間を読むには、想像力が必要と収録が満足に終わりひと段落。

2022年1月26日水曜日

4800回目の朝は。


学長日記4800回目はドミトリー(簡易宿泊所)で目覚める。「いしづち編集学校」のマスターコース受講生と徳島県美馬市にある「アドリブ大学」さんへ研修で伺う。事前に話を聞いていたものの、今ひとつ実感がわかず到着したものの外見からは想像できなかったけど、1歩中に踏み入れると、そこは別世界だった件。中川印刷所有の「印刷工場」だったという建物は印刷機がなく、その代わりにオシャレな空間になっていて、コワーキングや簡易宿泊機能も併設というビックリ施設。

「工場で寝る。」というキャッチーなフレーズわワクワクさせ、個室は2つあった。私はドミトリーの一つを使う。一般的なカプセルホテルよりひと回り大きく感じ、コンセントも小物置きもあり、小窓も付いていた。布団&毛布で寒くもなく快適に寝れた夜。目覚めて1歩出ると、そこはオシャレ空間で、そのままシャワーへ直行、シャンプー&リンス&ボディソープ完備。最近のドミトリーは湯船はなくシャワーが多いと中川さん(オーナー)。

サッパリして工場内をブラブラ。イスやソファ、コタツなどがあり、起きた者同士「おはようございますー!」とコタツに入りニュースを見る。8時頃には社員さんも出勤して、社員の皆さんとラジオ体操をして整える。ラジオ体操が終われば社員さんと挨拶してチェックアウト。働く人と泊まる人、仕事と旅(宿泊)という曖昧な境界線にここでも「曖昧さの良さ」を実感する。非日常で特別な一日の始まりだった件。

2022年1月25日火曜日

たかが0.01されど0.01。


1.00を「フツーの日」と設定して毎日0.01%(≒ほんの少し)の頑張りを重ねると、
1年後には1.01365乗で1.4倍に積み上がるとのこと。
逆に毎日
0.01%怠ると毎日0.99減となり1年後には0.97の劣化となる。10年後の格差は38倍の開きになるとのこと。ココ大を始めようと決めても誰も知らない活動だったから、毎日コツコツと書こうと始めた学長日記(ブログ)が4799回目。2011年から11年、92万回のPV。あと201回で5000回だ!

これまでの内容をAIに機械学習させたら趣向や発言、思想などの傾向がわかり「疑似人格形成」ができるはず。ぜひ、ニヒリズムなペシミストで世の中はコンチクショーと思いつつも抗う半径3mは幸せにしたいテキトー人間であってほしい。4799回の中には書いた内容を忘れしまったものあるので記事をダウンロードして自費出版なんてね。過去の自分だけど(これ、自分が書いたの?)と思う時もあり。

書き続けることで、思いがけない“声がけ”をいただいたり、仕事に繋がったり、素性を分かってもらったり、24時間365日休みなく働く“もう一人の自分(営業係)”として役に立っているよう。
それにしても飽きっぽい性格で、一つのことを長く続けられないと思っていたのに、振り返ればブログは10年、FCは20年、ラジオは8年、ココ大は10年と続き、へぇーと自分でも驚いてるのだから思い込みってアテにならない。

2022年1月24日月曜日

本当にあったコト。


人生で2度目の経験。1回目は10年ほど前。当時使っていた一眼デジカメのレンズキャップをどこかで無くしてしまい、見つからなかったので、そのままキャップもせずに使い続ける。
2013年のある日、弓削島の神社を訪れて写真を撮っていると目先に土まみれの異物が気になり、手にとると【無くした一眼デジカメと全く同じレンズキャップ】だった。「えっーー!」と声をあげて驚いた。汚れてましたが、全く同じレンズキャップで、周りに誰もいないし、捨てることもできずいただく。もちろん、その神社に行くのは初めて。

2回目。2022年1月11日に新幹線で移動中にヘッドホンのゴム製イヤー部分(黒色)を片方なくしているのに気づく。ヘッドホンには縁がなく、無くしたり壊したりしていて(あーあ、まただ・・・)と、壊れてもないので、そのままイヤー部分がないまま使い続ける。
1月18日、打合せで会議室の適当な椅子に座る。打合せ後、席を立つと座面にゴミのようなものがあるので手に取ったら【色違いだけど灰色のヘッドホンのゴム製イヤー部分】だった。「えっーーー!」と声をあげる。

「ナニ?どうしたの?」と言われて事情を話すと「同じ服だったんじゃないの?」と言われたけど、無くした当時とはズボンもジャケットも全て違っていて(これ、どういうこと?)と、不思議としか言いようのない経験。

心境の変化。


地域教育の現場で頑張っている方々と2時間のオンライン意見交換。最近、漠然と感じることの多い「曖昧さ≒いい加減が持つ価値」を改めて感じた時間。これは意識がいく所まで辿り着いてしまった反動なのか?細分化の果てなのか?それとも一時の迷いなのか?それとも加齢や経験に伴う心境の変化か?これまで「あーだ」「こーだ」「そーだ」と、曖昧さは誤解を招きやすいなどと書いていて、良い意味で捉えていなかった。

いったい何の心境の変化なのか?昨今の白/黒、善/悪、する/しない、正解/不正解、明/暗などの二者択一が求められて=わかりやすさ偏重の雰囲気に反抗してるのかな?「ロニ・ホーンの作品」を見ても問いが出た。
教育現場では「サードプレイス(子供たちにとって学校でも家庭でもない第3の居場所)」が話題だけど、サードプレイスは学校や家庭の補完ではないから、曖昧≒特別な意味を持たなくてもいいとも思ったり。

「ココ大付属学園」を話題提供した際に「テキトーです。いい加減です。」と曖昧さを強調したら少し引かれてしまった。もちろん、運営側・管理側としてはキッチリしなければならないけど、小学生はモノゴトの分別が分からない時もある。だから大人の価値観を植え付けるのではなく、自ら考えて判断する機会を提供したい。「こどもたちを管理しない管理です。」と言えばよかったかな。来月は申し込み。

2022年1月23日日曜日

甘くない話。


あくまでも個人の独り言です。制作費を確保していないのに、他人の懐をアテにした企画書はやめた方がいいと思う。それも「制作費」と言うと突かれるからか「宣伝費」という表現。1000歩譲って製作に一区切りがつき、いざプロモーション(宣伝)の段階ならまだしも、製作に入る前から宣伝費を求めてきたら(制作費足りないの?)と想像してしまう。やはり制作費は確保してから製作に入る、と、分けた方がいいと思う。

でも、まだマシな方で「製作したから宣伝費が欲しい。」と取引のようにFCを完全に勘違いしている輩もいるから困る。「各FCから10万円集めたら100FCで1000万円集まるじゃないですか?」と、あっけらかんと言われたこともあって、個人の問題なのか?組織の問題なのか?何度でも何回でも同じことを言い続けなければならない事情を痛感中。そういう輩に限って突如、何の連絡もしなくなること多し。

フィルム・コミッションが撮影支援する機会は増えると予測する中で、若き映像製作関係者にはFCの役目、支援範囲などを紹介し、時に教育機関とも連携してるけど、今や映画・映像系を学ばなくても作品は創れて発信できる時代。フリーランスも多く、知識も経験も異なる状況で、撮影を受け入れる地域は「撮影隊」というと一括りに考えるので、そこにギャップが生まれる問題が発生。地域、制作の双方に甘くない話。

感性がきた道。


「外を見てー!」と末っ子くん。何かと思えば「朝焼けが美しかった」件。わずか数分の自然のショーが彼の感性に響き、「これって〇〇(音楽アルバム)のジャケットに似てるよ」と朝焼けから連想したアルバム、楽曲を教えてくれる。この感性はどこで育まれたのか?音楽は聞く専門で詳しくない私たちだけど、子ども達は私たちがよく聞いていた70年代、80年代から最新の楽曲まで幅が広い。

想像するに異年齢、多様な背景を持つ人や文化に触れて吸収したのかな。偶然にも従兄弟が海外の音楽レーベルで働いて情報も得やすく環境もいいのかも。そう言えば中学校の時から絵を描いたりiPadでサンプリングとかしてたな。長男くんは絵画を学び、長女はファッションに興味があり、面白くなってきた!感じたことを言語化したり、発信したり、共有したりすることで意識や感性は培われる。

「あんな」「こんな」だった末っ子くんも高校卒業間近。進路は検討中とのこと。「自分で考えた進路ならいいと思うよ」と私と妻。親元から離れ親の知らない経験は彼にとってプラスに作用したようで、色々あったと思うけど踏ん張りました。外の朝焼けショーは、あっ!と言う間に終わり朝になる。可能性の塊な世代の我が子たち。思い返せばあっ!と言う間の子育て期間に感慨。

2022年1月22日土曜日

正しく恐れる。


何が不要不急で何が必要緊急なのか、本人しか判断できないから
【正しく恐れる】しかなく、全てのスケジュールを延期や変更などで見直す(本当に大変)。ただ「中止」は少なくなった。中止は後々にダメージが響くから選択肢から外す。中止にすると本来だったら得られた効果や成果などがゼロ(無)になってしまい、事業などの停滞や鈍化につながり、負のスパイラルで益々苦境になると思っているのは私だけか?

黙食(黙って食べてね)、黙乗(黙って乗ってね)、黙脱(黙って脱いでね)、黙浴(黙って湯船に入ってね)、黙読(黙って読んでね)、黙進(黙って進んでね)、黙座(黙って座ってね)」など、黙シリーズのバリエーションが豊かで、とても大切なんだけど大喜利状態で色々考えてしまったり、不謹慎でスミマセン。「エンデミック(特定の地域で普段から繰り返し発生する状態)」と言う言葉も知り、情報量が多すぎて問われるメディアリテラシー。

リテラシーといえば「情報格差が拡大」とも話したっけ。受動的な情報を鵜呑みにするのも怖いけど、都合のよい情報だけに納得したり、そもそも情報を入手していなかったり。
そんな中、情報格差が著しい高齢者という括りに抗う82歳の父、iPadに向かって「へい、Siri、ゴッホって誰?」と、知っている情報をsiriと答え合わせしてます(入力はキータッチが難しいと、もっぱら音声入力と父)。この親にして私あり。

改革の現場。


DXって手書き(書類など)のデジタル変換ではないよね・・・。という話。膨大な紙資料を前にして「これまでも紙でしたから・・・」と、手間だけど慣例で時間さえかければ完成する安心感なのか、新しく覚えて移行する手間が面倒なのか。全く知らずのトンチンカンだから、あーだこーだ言ったら引かれてしまう。しまいには「オンラインだったらアナタでもできますよね?」という勢い。簡単とか複雑で判断されてしまう(涙)

DXの良さってワンソースマルチユースじゃないの?と思うけど、デジタル化で終わっているような場面を散見。同業種でも異業種でも“連携、連動”できたら効率的で合理的、負担軽減が時間短縮に繋がり、働き方改革にも繋がると思うのは遠い夢か。デジタルプロダクションの世界では撮影現場で「演出→撮影→編集」がその場で行われ、ポスプロが劇的に変わろうとしているのにな(だからFCも巻き込まれて大変だけど・・・。)

紙(ファイル)はとにかく重い、かさばる!場所をとる。配布資料が不足したら「ちょっと撮影させてください」と言われ、iPadでパチリと撮影され「私、紙資料は持たないので大丈夫です。」と続き、画面上に表示された資料にスラスラとメモした人。こっちは紙資料にフリクションペンで描いたりゴシゴシ消したり、汚く書いた字が読めなかったり。先ずは己のDX化からだと。

2022年1月21日金曜日

公開回答。


「クロスボーダーコンテンツって何ですか?」という質問があったので公開回答。FC的に言えば【内容も作り手も受けても様々な境界線を超えている作品】という感じ。例えば脚本家は日本人、カメラマンはアメリカ人、監督は中国人、多様性あふれるキャストが演じるロケ地はロシアで、物語はロードムービーだったり。作品はワールドワイドで特定のどこかに縛られない。どこかで見たことがあるぞ?と思うのはネットフリックスやエターナルズが該当するから。

でも、様々な要素を入れると価値観の違いや文化の違いで考えがズレたり、モレたり、ヌケたりするのは当たり前なので「横串的(最大公約数的)なメッセージ」で貫かなければならず、そのメッセージはどんな価値観でも文化でも納得できる「普遍性」でないと共有されない。伝え方(実写やアニメ、ドキュメンタリー)や設定(時代など)は違えど「親子」「愛」「平和」「友情」「多様性」などが多いのはそのせい。ちなみにスターウォーズは全部入り。

クロスボーダーは映画だけの話ではなく、身近な所ではコーヒーなどの輸入食品も洋服なども広義のクロスボーダー。働き方だって国境をまたいで活躍する人も多いし、取引先や上司や同僚が各国の人というのも珍しくない。地方にいるから・・・と「できない理由」を挙げるのはもったいなく、そこはネットと技術の力があれば不安は払拭されると願っている一人。
トンカツも世界中で愛されてるからクロスボーダーカルチャー?コンテンツ?

想像力の養い方。


「考え続けること」は、苦痛を伴うものです。それが答えのない問いや自問であればなおさらでしょう。日々生み出すことをやめない、思考を止めないホーンの驚異の一つは、その圧倒的な思索の持久力と強度にあります。
彼女らしいユーモアを織り交ぜながらも、結末や閉じることに向かわないあり方、深い川に潜りこむような思索の旅は、分かりやすさや予定調和を求めがちな現代の私たちに贈られた想像力のトレーニングのようです。と、説明文。

ひょんなことから入ったポーラ美術館の「ロニ・ホーン展」が想像以上に素晴らしく心のビタミンが満タンになった件。「ロニ・ホーン」という現代美術家を全く知らなかった。作品自体は存在しているだけなので感じるか否かは自分の心象次第。写真、彫刻、ドローイングなど多彩な作品に“しびれないはずがなく”、色々と巡らせた時間。これが現代美術鑑賞の醍醐味。

写真の液体に満たされているように見える彫刻は全てガラス製。よほど繊細なのか「撮影は離れて、絶対に作品に落とすことのないように・・・」的な説明が。この硬そうに見えて柔らかく、重そうで軽そうで、透明なのに不透明、動いているようで止まっている“曖昧”さに見入ってしまう。今年のテーマの一つ「曖昧さの価値」を感じることができて大満足。想像力をどうやって育めるかな。

2022年1月20日木曜日

ミスターX。


カイザー・ソゼイは「悪の中の悪」的な存在で知られているのに誰も見たことはない・・・。は名作「ユージュアルサスペクト」の話。20人ほどの話し合いの中で、ふと気づき「その人に会ったことはありますか?」と質問すると、実は全員が会ったことも見たこともない【ミスターX】だったことが判明し(カイザー・ソゼイだ・・・)と一人よぎる。そんな人、現代にいるの?と思うけど確実に存在はする。
*その人物は悪ではないです、例えです。

これまで会った人は(もしかしたら違ってたの?)と邪推してしまう。確実に存在するのに会ったことはなく、会わないといけない人(当然、名前も役職も知らない)にどうしたら会えるか?なんてミステリーかサスペンス!「糸口となる人はいる・・・」なので、そこからミスターXに辿り着きますように!「ムム!まずは事実を集めて状況を把握しましょう」と探偵事務所のような会話で秘密会議終了(笑)

こんな話になるのもコロナのせい。でも強制的でも考えさせる機会が与えられたと思うしかない。ホント、色々とひっくり返ってしまったけど、ここで腐るか、乗り越えられるかは自分たち次第。レジリエンス力の発動!新たな相棒となった16インチMacBookは大活躍で外出先でも作業は快適だけど、ちと重い。窓から見えたビルの合間がNYを思い出させてパチリ。

2022年1月19日水曜日

時に自己矛盾も抱えて。


世界をまたぐ海外作品の後は「広島フィルム・コミッション」「宇部フィルム・コミッション」「なごやロケーション・ナビ」からの事例研修。とにかく各FCの創意工夫と熱意、激務、葛藤が感じられる報告で「スリル、サスペンス、冒険な物語」を聞いているような感じで「現実とは思えないロケ支援」を実現していた仲間たち。納得と驚きの内容に「異次元ですよ、ビックリ・・・」と言葉にならない感想も。

お金がなかったら協力者と相談して捻出したり、無料サービスを駆使したり、理不尽な相談でも地域のためと思って歯を食いしばったり、無理難題のシーンもこれまでの経験、先輩たちも総動員して実現したり・・・。「なんで、ココまでするんでしょうね?」「FCの撮影支援対象ってどこまでですか?」と境界線がない支援に、やりがいと疑問が出てしまうのも無理はないよね・・・となる。

最後に登場して「FCの存在意義は何でしょうか?」と大きな問いを立てる。ゼネラリストが多い中でスペシャリストが求められる撮影誘致支援は、時に自己矛盾も起こすけど、FCは何がモチベーションなのか?と。そして「FCに求められる効果や成果は制作者以外に地域からの要求も益々高まる」とくくる。修了後、名刺交換や立ち話などが続き、質問や相談を寄せるFCもいて、寒さもコロナも吹っ飛ばす熱量だった件。

海外映画の日本撮影は。


フランスでフレンチコネクションなどの制作会社で映画をプロデュースしている他、映画審議委員会委員長を務めた経験もある映画プロデューサーのフレッドさん。フランスの自宅から参加だったけどフランス時刻は25:30からの開始!
そして弁護士としてGMやワーナーで映画などの法務畑を歩んだ後、現場に出たいとインセプション、GI ジョー2、ピクセルなどに携わり、アメリカ作品の日本撮影に欠かせない役目を担っている映画プロデューサーの加藤さん。

コロナウイルスの影響はフランス、アメリカでも同様で撮影中止、中断、延期の他に「(コロナ対策で)制作費が20%ほど高騰」も大きく、会場うなづく。そんな中「保険会社による補償制度」ができたと聞いて「日本、アメリカにも未だないですよ!」と、1歩先ゆくフランスの映画環境に加藤さんと顔を見合わせる。これも一つの制作側の不安を解消するリスクヘッジ、期待させるインセンティブ制度と思うと、どうする日本?となる。

とは言え「日本で撮影したい国はたくさんありますよ!」と、指を数えて具体的に教えてくれた加藤さん。「インセンティブは大切だけど、“日本の食事”はいいですよ。響きますよ」とも。
その為には「海外作品の相談に対応する窓口が必要≒顔が見えるコト」とフレッドさん、加藤さん。「日本のFCは自治体と直結しているので支援体制は素晴らしいから、後は相談窓口、制作前のロケハン支援」と続き「クロスボーダーコンテンツの時代」という言葉に主催の文化庁さんがハッ!としていた件。

2022年1月18日火曜日

トップではなくセンターとして。


「8年です。」「9年です。」「19年です。」と続き、理事長は?と振られて「20年です。」と
オチのようになる。フィルム・コミッションの担当歴で、まさに“スペシャリスト”
市役所職員や観光協会職員も異動などの危機を乗り越え専任で対応している訳には「柔軟かつ大胆な対応力」「周囲を巻き込む力」「強い信念」があるから。そんなスペシャルな仲間に囲まれている私は幸せです。

「現場に戻りたいですね・・・」と訪れてくれた元担当者。(吹っ切れて)上司に自分の言葉で将来を提案した担当者。自身のこの先のキャリアプランを相談してくれた担当者。全国各地から集まったフィルム・コミッション担当者だから、互いの撮影状況などを話し合うのが多いけど、私との場合は「撮影話ではなく身上話」が多く、色々と持ち込まれる、もしくは聞き出して助言する。

「理事長の相談ブース出したらいいのに、並びますよ(笑)」と担当者。地域に戻れば一職員で周りに相談できる人が少ない、いないのがFC担当者。相談や悩みを聞きつつ私の悩みも聞いてもらいお互いに心を軽くする。「これからはリーダーとして自覚してくださいね!」と言われたのが3年前。撮影業務の相談は他に任せて、仲間を支えようと再確認。色々と着地しますように。

2022年1月17日月曜日

アイデアのアングル。


「アングルを探してます・・・」と言ったのは庵野監督。NHKのドキュメンタリーでシン・エヴァの制作様子を見ていて印象的だった言葉を思い出す。映画映像作品の場合、編集が最終工程だけど、その前に「対象物をどうどう捉えるか」の画角は重要で、見慣れた画角だとスンナリ入って何も感じないけど、見たこともない画角だと印象に残る。模型で村を作ったのもアングルを探すためと言ってたっけ(要は頭だけで考えないということ)。

企画立案の発想も同じで、モノゴトは多面的だから“どの面から、どのように捉えるか(アプローチ)”は重要で、従来の“面”から捉えても既に済だと印象は薄いしインパクトは弱い。そこで新しい“面”を探すのだけど、多面的なことは分かっても「どの面を捉えれば最もインパクトが大きい、強い」かはわかりにくい。でも、そこは前後に“文脈”があって繋がって物語(流れ)ができたら仮説と思えばいい。

その画角(アングル)を探す最初の一歩はメモが有効と思っていて、同時進行で進むプレゼンからひっかかる言葉やフレーズを殴り書き。総評用に書いたけど振り返りで見直すと、発想の転換や仕方、文脈の強弱、強いキーワードなどが見つかり、多面的な見方を吸収する。結局、受講生も自分の事業アイデアをまとめられて満足感を得たけど、やっぱり一番得しているのは私だと思ったり。

2022年1月16日日曜日

エゴですが。


「しなかった後悔よりも、した後悔の方がいい」「やった後悔は小さくなるが、しなかった後悔は大きくなる。」
などの言葉をフムフムと味わえるようになる。「やってみないと分からない」と相通じる所があり、やってもないのに結論づけたり、頭の中だけで完結させても実際は良くも悪くも想像以上のコトが起きるので、たとえ正論だとしても机上論では現実感がないと言うかサラリと流れてしまう。

基本的にニヒリズム(虚無主義)のペシミスト(悲観論者)“世の中はコンチクショー”と思っているけど、抗って生傷が絶えないのは生きてる証拠を実感したいエゴかもしれない。それも自分一人では効果や成果も一倍、一馬力だけど、仲間と一緒なら数倍、数馬力の効果や成果が出ると思ってるから困ったものだと自分でも呆れる。都合よく、一筋の光(可能性)を感じてしまうのですよ。

頑張らない!と決めているから(いやいや、そんなに前のめりでどうすんの?)とか(頑張って、どうしたいの?)など、もう一人の自分との対話。やっぱり閉塞感に抗いたいのかな?それとも話題を創出したいのかな?と冷静に分析したり。(でもなー、頑張るとその反動も大変なんだよな)とも。なにせ、自分で全てを判断しないといけないから迷ってしまう、醍醐味もあるけど。

2022年1月15日土曜日

伝え方について。


いしづち編集学校のクライマックスはプレゼン決勝戦!5組のプレゼンターは開始時間の1時間以上前に会場入りして念入りに予行練習。持ち時間は12分間/人。12分と言うとざっくりパワポだと10枚程度の量だけど、時間配分を誤り自己紹介に時間を割いてしまい後半が早回しになったり、説明が多過ぎて尻切れになったり、意外と12分と言うのは難しい時間配分。でも、みんな頑張った!ちなみにプレゼンの構成は各自の自由。

だって「妖精さん」まで飛び出したんだから!PPT全盛に参加者を周りに集め、一人芝居を始めたOさん。予め録音されていた「妖精さん」との会話形式で事業紹介が進む。タイミングが全ての演出をやってのける、そりゃ、1時間以上もリハーサルをするのもわかった。他にもブツを披露したり、ストーリー仕立てがあったり、これまでの学びを忠実にプレゼンに全て埋め込んだ内容もあったり5組全てが面白かった。

投票は会場とオンラインの50名以上の投票の結果、最優秀賞は佐伯さんの「多肉植物の酵素ジュースで健康に!」に決定。プレゼンを初めて聞いた人も多かったので、たぶん最も驚かれた(≒へっー!と言う意味)内容だったと思う。多肉植物さえあれば自宅でもできるお得感もあり、これからの展開に期待大!人に伝えるって、一方的なら簡単だけど、共感を得て納得させるのは簡単じゃないということ。

始まりの終わり。


2021年8月に開校した「いしづち編集学校」が閉校。開校時の日記を読み返すと当時は「参加者の名前も覚えていなかった・・・」と知る(今では全員の名前は知っています、当然ですが)。そして誰一人として自身のアイデアが2022年1月にカタチとなり、発表できるなんて思っていなかったし、そもそも(私のアイデアってアイデア?)と漠然とした妄想だけで、参加の動機も曖昧だった人もいたかもしれない。

コロナウイルスの影響でオンラインに変わった講義があったり、予定変更にもめげず自分のアイデアと向き合った9名は、時にツッコまれ、時に落ち込み、時に叱咤激励され、時に鼓舞され、時に閃いて自分と対話してアイデアを形成してアウトプット。そしてまた練って成形しての繰り返し、この時間こそ【自分と向き合う超大切な時間】だったのは言うまでもなく、でも、こんな時間を“わざわざ”確保するのが難しいのが現代人。

いしづち編集学校の魅力、特徴はココにあり!プレゼンや表彰も大切だけど、一人一人が己と向き合い、もう一人の自分と対話できるって本当にスゴいこと。私といえば、相変わらず何かを教えたわけでもなく、話を聞く役で、どこで迷っているか?どこに悩んでいるか?を把握する係だった。修了式にて「みなさん、終わったと安堵してるようですが、実はスタートラインに立った今日からがスタートですよ」と締める。