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2024年9月21日土曜日

信じられないけど。


この話については議論し尽くされていると思うけど、全く自分ごと化できていなく、今回、現場を訪れたことでやっと(遅すぎ!)自分ごとで考えれた・・・までは良かったけど、ゾッともしてしまった。

と、言うのも伊方原子力発電所が福島第一原子力発電所と同じ事故を起こすと、最低でも半径20km圏内は即時に帰還困難区域(原則立入禁止)になるから、伊方町、八幡浜市は丸かぶり。

すると伊方町の人口は約8,500人、八幡浜市の人口は約68,000人だから計76,500人が強制的に避難せざるを得なくなる。
76,500人が県内外に大移動って想像を絶する。

伊方町の漁業(シラス漁など)は全滅、「日本一細長い半島」とPRしても人が住めない、来ない。

八幡浜市と言えば温州みかんの産地で川上、真穴などのブランドが有名だけど全滅。じゃこ天、けずりかまぼこなどの水産業も全滅。
町内、市内にある全ての店舗が強制的閉店。
人口が0人になるのだから経済が成り立たなくなる。風評被害も深刻だろうな。

交通機関も駅舎などは閉鎖、伊方町にも八幡浜市にあるフェリー乗り場も閉鎖。役所も学校や病院なども閉鎖。

そして、10年以上も帰還困難区域(原則立入禁止)になったら、避難先で生活基盤が整ってしまう人も多くなり、解除されても人口は事故前の1/10程度になってしまうかも。

双葉町は7,000人程度だった人口が200人程度しか戻ってきていない・・・と記憶が正しければ言っていた。

これまでお世話になった伊方町、八幡浜市在住の方々の顔が思い浮かぶけど、皆さん全員強制的避難。

信じられないけど、現実を目の前にして、愛媛県の2市町が10年以上人口0人って。

大役を担えるか?


誤解を恐れずに書くと、復興には我々の想像を超えるお金(税金)が投入されている。
それは住民の安全安心、命と財産を守るためのハード事業が多いと思うけど、ハード事業だけでは復興は走らない。

ハード事業と並行してソフト事業も行われることで両輪となり復興は走る、進む。
そんなソフト事業には公益性が強く求められるから、民間事業者で担える&遂行できるのは、実績(≒信頼)のある大手になることが多い。

でも、そんな大手でさえも自ら現地に乗り込み、隅々までめぐらせて復興を支えることができるか?と言うと実際は難しい。

そこで登場するのが、震災後に復興を目的に設立された非営利団体(NPO法人や社団法人など)。
この非営利団体には2種類(「自治体や実績ある大手を組んだ非営利団体」と「独立独歩な非営利団体」)あり、どっちが良い悪いはない←ココ大事!

だけど、この2種類が扱う・預かる金額には大きな差があるから、インパクトや波及効果などの規模やスピードなどに影響が出てしまうのは当たり前。

だから預かったお金は上手に活用して、その価値を何十、何百倍もの価値を創出させなければならない。託す側としては、そこがポイント。

「もしも今、南海トラフ大地震が起きたら、東北の復興に充てられているお金は・・・」と聞いた瞬間にハッ!とする。

要は愛媛県でそんな大役を担える非営利団体は、いくつあるだろう・・・と想像したら少なかった件。
言ってる意味が分かる人!

2024年9月20日金曜日

ふりむいてフクシマ


我々のグループがたどり着いたのは【ふりむいて、フクシマ】と言うアイデア。
2日間、飯舘、小高、浪江、双葉など相双地区を訪れて思ったのは「人の少なさ」。

強制的に避難させられて以降、10年以上も0人だった町もあり、避難先で生活基盤(就職や就学など)が固まった人たちも多く、解除されても戻ってきた住民は避難前の1/10程度だったり・・・。

でも、「自分たちが暮らした地域の良さは忘れていないはず。」と、地域を振り向いて欲しいという願いから「推し場所」の投稿を呼びかけて集め、世界中から人気投票ができるようにし、上位の推し場所は「擬人化」してPRしようとなる。

刀や戦艦、地図の擬人化は過去にもあったけど、「場所の擬人化」は聞いたことがなく面白い!となる。

さらにフィルム・コミッションとして「場所≒ロケ候補地」としても考え、相双フィルム・コミッションも2024年4月に活動を開始したことだし、必要なら会津FC、いわきFCなどにも協力を仰ぎ、ロケ候補地を擬人化して相双地区の魅力発信に寄与できるかも!?という妄想。

資料を作っていて面白いと思ったのは、擬人化されたキャラに飯舘、小高、浪江、双葉などを命名すると、キャラに命が宿ると言うか魅力的にみえて「推し対象」になりそうだったこと。

我々のグループは4人、うち3名が女性、その3名は「筋金入りの推し活女子」で、推しの生態&本質を教えてもらい、面白いアイデアになった!となる。

愛媛でもロケ地を擬人化してキャラ立ちできれば、シンボリックになり、国内外から目指してやってくるかも・・・と真剣に妄想してる。

不幸中の幸い。

私が所属したアート&クラフトグループでの懇親会

青空から、みるみる曇ってきてポツポツ雨が降り出す。
夜は懇親会でBBQが予定されているに・・・どうなるのだろう?と思っていたら、雨は止むどころか激しくなり、更に稲光がしてゴロゴロと雷まで轟き(な!なんなの!?)となる。

激しい雨&雷鳴に20m先で待つバスまでも行けず雨宿り。ほんの一瞬を突いて、傘をもってない仲間と相合傘でバスへ走るも雷鳴は轟き、冗談にならなかった命懸け。

事務局は大わらわ。夜のBBQは断念・・・となるも辺りに店はなく、在住スタッフの軒下で肩身を寄せ合いながらのBBQ&カレー大会開始(写真)。

でも、これが功を奏してチーム(4人)で復興アイデアを考えるに最適だった。
肩を寄せ合いブレスト。4人は年齢も趣味も経験も職業も何もかも違い、意見はすれ違い接点を見つけられず・・・。

その間に肉や野菜を食べ、飲んでまたブレスト。
アイデアをテーブルに出しては意見を出し合うと、私以外の3名は「推し活」をしていた。
推し活の対象は「人(キャラ)」なので、福島の魅力を「人(キャラ)」に仕立てるのはどうだろう?となり、その魅力とは私の専門の「ロケ地≒魅力的な場所」となり、【魅力的な場所をキャラとして擬人化】というアイデアが爆誕して、4人の意見が一つにまとまった!

できる?できない?ではなく、面白い?面白くない?でたどり着いたアイデア。
雨が降らず予定通りのBBQだったら互いに距離感を感じたかもしれないと思うと、不幸中の幸いかもと。

「このアイデアで行こう!」と全員が納得して安心してBBQ&カレーが楽しめた件。

2024年9月19日木曜日

食事難民。


「浪江浜まつり」を訪れたタイミングは昼前だったにもかかわらず、軒を並べたキッチンカーにはすでに長蛇の列ができていて、私が海岸から戻ってきても並んでいた仲間たちはまだ注文もできずにいた。

「このあと、道の駅なみえに行きますから、そこでも食べれます。」の事務局からの言葉に泣く泣く行列から離脱した仲間たち。

でも、道の駅なみえに到着しても駐車場に車は多く、店内は大混雑。「ひやぁ!ここでも並ぶのか・・・」と、先ほどのキッチンカーに並んだ仲間たち。

「この行列だと並んで店に入れても、注文してから食事が出てくるまで、そして食べる時間も考慮するとヤバい(=出発に間に合わない)かもよ。」と告げると「ですね。」となり、比較的空いていたパン屋でゲットしたのが「浪江やきそばパン」「シラスピザ」そして「シラスソフトクリーム(バニラソフトクリームにシラス、ネギ、出汁醤油で甘塩っぱい味)」の3点で昼食終了。

「お店がないから、どこかへ出かけようとなると、こういう所しかないんです。」と地元民。

店が多く建ち並ぶ日常の暮らしからは想像できないと思うけど、本当に店がなく、コンビニでさえ開店は7時、閉店は20時、21時。で、そんなコンビニさえ遠い、

仲間の「ご飯粒が食べたい。」は、ホテルは素泊まりなので朝食は各自用意だったけど、コンビニに7時に行っても弁当はあるけど、おにぎりが並んでない(正確には配達前)ことも多く、適当なパンで済ませて朝も昼もパンだった人が多かったから(私も)。

人が少ないと、こういうことになるのか!と。

消化できずとも暮らす。


福島県浪江町の震災遺構「請戸小学校」から300mほど離れた所にある請戸海岸。当日は「浪江浜まつり」が開催されていて、浪江名物「浪江やきそば」「モモサイダー」「分厚いヒラメバーガー」などのご当地露天が軒を連ねていて、私は人が大勢集まっていた浪江海岸へ行く。

砂浜では子供達による大声大会やビーチボールなどのイベントなどが行われていて、にぎやか。
波打ち際にも人がいて、13年前にこの海岸から津波が押し寄せたなんて想像できないほどのワイワイ感。
聞けば開催は(震災以後)初めてとのことで、地元の人は色々な感情を消化できなくても、海と共存しなければならないんだなと(浪江町では地震、津波で182名が犠牲になった。)

で、ふと思う。
どこかで地震や津波などの天災は一度体験すると“終わり感”があり、試練や困難は続くものの、奈落に突き落とされても、少しずつ這い上がると言うか、より良くしていこうと思うけど、震災は一回経験すれば終わりではなく、その後も二回目、三回目があるかもしれない不安さがある。
そこが天災と人災とは違う所。人災も結局、何度も起きるけど本来は防げる話。

「お客さん、東京から?この前、松山城が崩れてさ、人が亡くなったんだ。だから松山城には上がれないよ。あれは人災だね。」は、愛媛県研修所へ行く際に乗ったタクシーでの会話。
「はい、東京です。そうなんですか」と否定するの変なので、そのままにしたけど、色々と消化できずに生きてるよねと。

2024年9月18日水曜日

津波は15mを超えていた。


震災遺構の「浪江町立請戸小学校」。
「児童全員が避難できた奇跡の学校です。」と紹介されて、(そんな報道を聞いたコトがある)程度の情報量。
そして、全校児童108人のうち70%の74人が亡くなってしまった石巻市立大川小学校も思い出しまった我々。

「波はあっちから来たんですか?」と海岸を指さして尋ねると、海岸から請戸小学校までは約300mの距離で、津波が到達する頃には【全方位から津波】がやってきたとガイドさん。

波は横一直線に一方から押し寄せるは映画の見過ぎで、障害物などで方向も速度も変わるので、到達する頃には全方位から押し寄せたとのこと。

その証拠に校内はグチャグチャのメチャメチャだったけど、一部の部屋では押し寄せた方向が偏っていたり。ちなみに、津波の高さは15mを超えていたとのこと。15mといったら、5階相当!

誰も経験していなかった大津波の危険をいち早く察知して、児童全員を山へ避難させよう!と決断された校長先生のリーダーシップは本当にスゴいと現地を訪れて痛感。
なぜなら、避難しようと指示した大平山までは西へ約1600m、82名の児童は何が何だか分からないままの「訓練ではない」避難は、先生も含めさぞ恐怖だったと思う。

8月8日の地震を思い出す。
松山では揺れを感じなかったけど、子ども達、保護者と一緒にいた空間で「机の下に隠れて!」と指示しかできなかったけど、そこから外へ避難は、立地が違うとは言え、色々と考えてしまい決断しにくいよな・・・と。
何が大切かは命。

知らなさ過ぎて猛省。


「霧箱(Cloud Chamber_1897年にチャールズ・ウィルソンが発明)」
という放射線を視覚する実験装置で、霧のように放出される線はα線やβ線が飛んでいるのを見たり、「放射線物質と放射能の違い」を知ったり、原発事故のメカニズムについて紹介を受けて(全くの無知だ・・・)と痛感。

そして、次は「俺達の伝承館」という放射能事故の影響を写真などで発信している民設民営施設を見学。
写真だけでなく絵や本なども展示されている中で「動物の骨」があり、何だろう?と思ったら牛の骨で、木の柱がリンゴのようにかじられているのは、放射能の影響で町民全員避難後に残された家畜が食べるものもなく木をかじって空腹を満たそうとするも、そのまま死んでしまった証と紹介される。

かじられた木は一本だけでなく何十本もあったとのことで、ここでも(全く知らなかった・・・)となる、

そして、地域の祭が復活し神輿をかつぎ地域の人たちの背景に映るのはビニールシートで、その違和感に「あれは何ですか?」と尋ねると「除去土壌」で、報道でよくみた黒い筒状の入れ物に入った放射能に汚染された土。

真っ黒な入れ物が並んでいたけど、ビニールシートで覆って隠しているだけと説明を受け「これは神輿越に除染土壌も写しているけど、見栄えが悪いので報道では除染土側から、こっち(反対)を取るのが多いです。」と教えてもらい不都合な真実を知る。

自分が全く知らないのか?情報を取ってないのか?それとも事実を伝えていないのか?
よく分からないけど“知らなさ過ぎる”自分に嫌気が差してしまう。猛省。


2024年9月17日火曜日

フツーなのにフツーじゃなかった件。


ホテルで朝食を済ませ、コーヒーを部屋へ持ち帰ろうとしたまではフツーだったのに、なぜかコーヒーを片手に持ったまま(このまま朝散歩に出たら気分いいかも)と思い、スマホでマップを開いたら伸夫山(しのぶやま)が近いと分かり、フラ〜と出掛けてしまった。

福島駅周辺は、ごくフツーの街並み。30分程度の散歩かな?と想像してたけど、信号待ちで距離を見たら伸夫山(しのぶやま)まで1.2kmあると分かり、でも引き返すのも面倒で進んでしまう。

目の前に緑がモリモリした山が見えて、あれが伸夫山(しのぶやま)。
既に持っていたコーヒーは飲み干してしまった。
突然の朝散歩で何の情報も持たず来てしまったから、どこに行くのがいいのか?看板を探してみると「第一展望台」を発見!でも1km先、それも山を上がらないといけなかった・・・。

周りは部活動なのか制服姿で自転車を漕ぐ学生、散歩姿のシニア、行き交う車など、よく見かけるごくフツーな朝風景。
そんな風景から道を曲がり、展望台へ坂道を上がり続ける。ジーパン&ポロシャツだった私は不適合な装いで汗が出てくる(せっかく、シャワー浴びたのに・・・)。

たどり着いた第一展望台からの眺めは写真。ただ「現在の放射線量」という測定器があったのは(あぁ、福島だからか・・・)と、ココだけはフツーじゃなかった件。
ちなみに自然界から誰もが受ける放射線は、一人一年間で2.4ミリシーベルトと言われている。

ここからまたホテルまで歩き、結局往復90分の朝散歩となり、またシャワーを浴びる。

久しぶり福島!


(暑い部屋で作業するよりも、空港で作業した方が快適だな!)と思い、8時に松山空港に到着。
カプチーノなどを飲みながらネットに接続して1時間の猛作業。涼しいし静かだし、快適にはかどったものの搭乗時刻になりタイムアウト!

飛行機ではネット作業に依存しない作業をして、あっ!と言う間に羽田空港に到着。
モノレールに乗り浜松町からは山手線で東京駅へ。
東京駅で東北新幹線の切符を購入すると、ちょうど良いタイミングで自由席に着席。
福島駅までは東京駅から90分!このタイミングでタイムアウトになっていた作業の続きをしてたら郡山駅に到着、その15分後に福島駅に到着。早い!途中だった作業も無事に終了!

久しぶりだね福島!と、呑気に写真を取っていたら腹が減っていることを忘れていて、地物が食べたい!と思い調べると、高評価の回転寿司があったものの閉店まで20分しかなかった!
滑り込みセーフで入店するも、いきなりラストオーダー(笑)。
お店の方も恐縮してたけど、閉店ギリギリに来たのは私。
そんなんだから、板前さんらとも話すことができて満足なランチに。

そしてホテルにチェックインすると「ご予約の部屋よりも広い部屋をご用意しました。」とフロントの方。
「あっ、ありがとうございます。」と(なんでだろう?)と思うも、ご厚意として受け取り、シングルルームからツインルームを使わせていただく。

今回のホテル、復興庁が入っていて福島県が抱える現実を思い知らされる。
風化させてはいけない事柄が多い福島県。そんな事柄を少しでも改善できたらと思いやってきた。

2024年9月16日月曜日

交差するご縁。


「泉谷さんのブログ、読んでますよ!」と、旧鈴木邸のオーナー岡崎さん。「ありがとうございます!」「最近、響いたのは“お金大事”の内容でした。
ほんと、その通りですよね。全くお金に余裕ない・・・」と彼女。

名刺交換の際に「Facebookをいつも拝見しています!」と参加者。
「いつも面白いコトされてるなぁ、と思ってるんです。」とお褒めいただく。
「どんな人なのかなぁと思ってました。」と続き、「こんなんですよ、ありがとうございます!」となる。

そしてライフプランセミナーが始まってすぐに3人のお子様連れの参加者が私の後ろに座る。
座敷だから座布団が必要と思い、差し出して参加者の顔を見ると(どこかでお見かけした顔だな)と思うもセミナー途中だし、そのままにしておいて意見交換の時間になったら・・・。

「泉谷さんですよね?七折小梅の大内です!」に脳みそハードディスクが超高速で駆動し(確か、渡部さん・・・そうか!渡部は旧姓で結婚されて大内さん!)と合点し「えっ〜!ホント!!」となる。

大内さん(旧姓:渡部さん)とは、2015年に行ったココ大499回目の授業「赤いダイヤ・青いダイヤ」で知り合い、それ以来だから9年ぶり。

今では4人の子どものお母さん、七折梅の農家としても活躍していて忙しい日々を過ごしているとのこと。
うーむ、9年も経てば、それぞれのライフステージも変わるよね。
「今日のセミナーは?」「白石さんのお子さんとウチの子が同じ保育園でして」「そこでも繋がってんだ!」と驚き2回目。

ご縁って交差する・・・とはこのこと。

みんな大好き白石さん。


ソフトタイムでの三津浜焼きで満腹感を得て、港山城跡+三嶋神社+三津の渡船で好奇心が満たされ、鈴木邸の中庭剪定ボランティアのお礼におはぎを食べて達成感を味わい、既に「やり切った感でいっぱい」だったけど、やっとライフプランセミナー開始!

ゲスト講師は白石華子さん。知る人ぞ知る方で7人の子宝に恵まれ、旦那さんは県外に単身赴任中なので成人したお子様もいるけれども、末っ子はまだ3歳というワンオペで子育て真っ最中の白石さん。
参加者も白石さんということで、(色々と聞きたいっー!)と言うオーラで覆われた旧鈴木邸。

「特に大家族を意識したつもりはなく、ごく自然に7人になった。」「子供に良かれと思う先回りはしない。」「自分の時間も確保している。」「何事も“死なない程度に”ほどほどに」など、参加者が想像していた回答の斜め上(≒達観)をいく白石さんに興味関心が増す参加者。

「自分時間確保に昼食時間に10分かけてチョコザップへ行き、20分運動して、10分で戻り、昼食は20分=60分」などの白石流時間の使い方を聞き、(そんなコト、本当にできるんだ・・・)とムムッーとなる参加者。

すっかり白石さんの暮らし方、子育て方針、生き方に魅了された参加者。
予定を一部変えてしまったけど、参加者の満足度はとても高かったと思う。

終了後も立ち話が続き「で、どちら様ですか?」的な雰囲気で私に気づく参加者。
そうだよね、実は私の自己紹介は一切しなかったし、最後に総評だけしたから怪しく思われも仕方がなかった件。

「泉谷さんは、お守り的な存在(≒居るだけでワークショップは安心)です。」と言われてしまった。

2024年9月15日日曜日

きなこおはぎ。


この「きなこおはぎ(黒糖を使っているから甘さにコクがあった)」をいただけたのは、ボランティアをしたお礼だから。

三津の渡船を降りて徒歩3分、旧鈴木邸に到着。
旧鈴木邸の主人、岡崎さんとは15年ほど前に、当時、私たちが行っていた「道後いっぺんさん」という手づくり市へ来てくれてからの縁。

今では、この旧鈴木邸を買取り!自邸として暮らしながら喫茶を営み、古き良き建物、文化などを伝えていて「お互いに長いね・・・。」となる。

ライフプランセミナーの前に集まった理由は、鈴木邸(旧鈴木邸から徒歩2分)の中庭が草ボーボーということで、剪定ボランティア活動をするため。

岡崎さん、私、ライフプランセミナーを愛媛県から受託したIRC(いよぎん地域経済研究センター)の岡本さん、ゲスト講師の白石さんら7名で約1時間、剪定バサミなどを使い、ひたすら草むしり。

ダンゴムシやアリ、クモ、名前も分からない虫たちを驚かせながら草ボーボーだった中庭を整備。スッキリしたものの、一生懸命だったので汗ビッショリ、もはやHPはゼロ。クタクタになる。まだ、ライフプランセミナーは始まってないのに・・・。

そこへHP回復のポーションとして登場したのが岡崎さんお手製&特製の「おはぎ」。
つぶあんで覆われたおはぎ、きなこおはぎの2種類があり、手元に届いたのがきなこおはぎ。

参加者いわく、「ココのおはぎ(岡崎さんのてづくり)の味が忘れられなくて参加したんです。」と言わしめるほどの美味しさで、聞けば岡崎さん自身が食べて美味しい!と思ったおはぎを作っていたお婆さん直伝とのこと。

一服というか休憩と言うか満足&安堵したけど、まだライフプランセミナー前。持つか私?

無料のアトラクション!


三津浜焼きに満たされて、「三津の渡し(松山市道という渡船。約80mの距離を結び、年中無休&無料で乗れて年間4万人が利用)」へ向かう途中に「港山城跡(建武年間/1334-1336に河野通盛が湯築城を築いた時に海の守りとして築城した)」という看板を見つけたので、上がってみる。
城跡だから何もなかったけど、港町の様子がいい眺めだったのでロケハン用に写真に納める。

そして渡船乗り場が見えたけど、以前に長男くんが松山滞在中に絵を描きに訪れ、住職に声をかけてもらったという「三嶋神社」へお礼を兼ねてお参り。
階段をあがりお賽銭を入れて振り返ると、ここからも港町らしい眺めが良くて写真に納める。

既にここまで30分程度の散歩(自主ロケハン)で汗だく。
ちなみに、ソフトタイムから渡船乗り場までは約180mの距離。普通に歩けば3分程度で歩ける。

渡船乗り場にたどり着く。
すると、80m向こうの対岸に停泊していた渡船が私に気づき、ボッ!ボッ!とエンジン音を立てながら、ゆっくり旋回してこっちにやってきた!
特に何のサインも送ってないのに自動的に船が迎えに来るって、旅行者には魅力と感じるコンテンツかもしれない。

そして乗船。わずか3分ほどで対岸に着くけど、ジャングルクルーズ(ジャングルではないけど)のように手を伸ばせば水面に触れられる近さは無料のアトラクション!

ほんと、あっという間に対岸に到着したけど、ここまでで達成感&満足感その2。
でも、目的のライフプランセミナーにまだ辿り着いていないのだった。

2024年9月14日土曜日

今回も美味しかった件。


「人違いだったらゴメンなさい!前に〇〇〇さんと食べに来られませんでしたか?」
「えっ!はい、そうです。〇〇〇さんと食べにきました。」
「ブログを拝見しましたよ。」
「えっ!」
お皿のコト、書いてくださいましたよね。あのお皿はコーラの景品ではなくて、ラスベガス(記憶が違ってたらゴメンなさい)で買ったんですよ。」
「あっーーー!はい。」
「三津浜焼きは、あのお皿で出してるんです。」
「そうなんですか!今日も美味しかったですよ。がんばっていきまっしょいのポスター掲示もありがとうございます。盛り上がりそうですね!」
「ありがとうございます!またのお越しを!」
と、送り出してくれたのは、ソフトタイムの店主。

遡るコト今年2月、閉店間際に訪れたことを覚えてくださっていて嬉しいやら恥ずかしいやら。

三津浜でのライフプランセミナーの前に空腹で立ち寄ったソフトタイム。昼時を過ぎていたのに客は私以外に3人、テイクアウトが1人と人気。

出てきた「三津浜焼き」には、マヨネーズがドンッ!と付いてきて、ソース&七味唐辛子と混ぜていただき、しっかり味を堪能。
食べ終わった後は、皿の中央にあるトランプのK(キング)を確認して、清算しようとしたら、冒頭のように声をかけられる。

満足して、三津浜焼きを食べることが目的と勘違いしそうになり、ミッション終了!な感じだったけど、これからライフプランセミナーなのだった。

情報量が多い味。


ハルシャコーヒーから提供してもらった「スペシャルコーヒー」と「マフィン」。
スペシャルコーヒーはネルドリップ方式、ペルー産のコーヒー豆、Washed、中深煎り。
これを”そのまんま”紹介しても(ふ〜ん、ペルー産のコーヒー豆なのね・・・)程度で終わってしまう人が多いと思う。

私も“違いのわかる人”ではない。そもそも、今回もスペシャルコーヒーが飲めなかった!ファシリテーターの定めなのか(涙)

話を戻す。だから印象付けるために篠﨑さんは【月明かりの湖】という名前を提供したコーヒーにつけてくれた。

すると「【月明かりの湖】ってなに?」「コーヒー豆の名称?」など話題になる。
「ペルーのコーヒー豆と言っても分かりにくいですからね、味や香りからのイメージで付けました。」とのこと。
とても素敵で、それぞれ情景を思い浮かべながら飲んだと思う。

そしてマフィンは「有機スパイス(スパイス名忘れた)と紅茶の米粉マフィン。甘味は白砂糖不使用、自家製甘酒(鬼北米+地蔵味噌の白麹)+デーツパウダー。米粉は佐渡産の減農薬」と、マフィン一個の情報量がメチャ多い。もちろんヴィーガン。

研究に余念がなく「なんで、佐渡産の米粉なの?」と尋ねると「色々と試したら最もピン!ときた」とのことで、「じゃあ、もしかして?」「はい、Amazonで見つけました。」と、笑いながら篠﨑さん。

もう、地方だからといって“こだわれない”理由はなく、ポツンとひっそりとお店を営んでいるけど、ユニークな店主と味はあるもんだ!という話。

2024年9月13日金曜日

7%。


平日、午後6時30分、仕事帰りに一杯飲んでから帰ることもできたし、残業することもできたし、直帰して家でくつろぐこともできたし、夕飯の準備で忙しい時間帯だったかもしれない。
なのに、わざわざワークショップに参加してくださった方たち。

20代から70代まで、老若男女とはこのこと。自分の時間を割いてまで参加する目的や意義は何か?と想像すると「地域(鬼北町/近永)を放っておけない」からと、地域に“無関心ではない人たち”

地域づくりにおいて、最大の課題は「無関心」と、現在も続いている愛媛県研修所での研修や大学生たちにも伝えていて、鬼北町の生産年齢人口は4,280人(2020国税調査/鬼北町の人口は8914人,2024年8月現在)だからで30名の参加は7%程度だけど(この場だけで7%ってスゴいかも!?)とも言えるかも。

色々な思惑があっての参加。
東京からインターンできていた大学生、地域に根付いている金融機関、鬼北町にサテライトオフィスを構えている東京のデザイン会社社員、SNSの告知で面白そう!と初参加の人、にぎわい塾の常連、にぎわい塾を経て創業した人、地域のにぎわいに貢献したい役場の職員など、地域を1mmでも動かしたいと思う人であれば誰でもOKと思う。

ほんと、ワークショップって参加者が雰囲気を作るから、この記念写真だけでも当日の様子を察することができる。
仲間に入れてもらい大感謝!

アイデアノック。


とにかくアイデアノックは質よりも量。圧倒的な量で目的を果たす。
だから躊躇してはならず、思いつくままに「付箋紙へ一個(これが条件)」を書いては次、書いては次と量産するのがポイント。

アイデアノックを受ける側は、これまでの経験からアイデアを考えても「〇〇〇だから難しい。」「〇〇〇だからできない。」「〇〇〇は時間がかかる。」など、直ぐに現実的な思考で遮ってしまうけど、アイデアノックをする方は、そんなコト、知ったこっちゃないからカキーン!カキーン!とひたすらアイデアをノック(出す)。

15分程度で、一人3-4種類は出せたので80種類程度のアイデアが出る。
アイデアをノックした方は、集中した心地よい疲労感。受けた側はアイデアの量に感激する。

「色々な味のタルト詰め合わせ」「店舗をガラス張りにする」「一升タルトで1歳の無病息災を願う」「餡を鬼北町だから“鬼”のシルエットにする」「世界一長いタルトで世界新記録」「東京で言うタルトとのコラボで“スーパータルトたると」「おかず系タルト」「餡の形をハートにしてクリスマス&バレンタイン用にする」「タルトで誕生日ケーキ」など、ユニークなアイデアが出る。
個人的には餡の形を“の”から鬼のシルエット、ハート型はとても良いと思う。

終了後、今回のコーヒー&スイーツを担当してくれたハルシャコーヒーの篠﨑さん「私もアイデアノックしてほしい!」と懇願(笑)。

こうして、地域の魅力を皆んなで考える&応援するって楽しいし、いいよね!となる。

2024年9月12日木曜日

効果の演出。

発売元:TBS/TBS グロウディア 販売元:TCエンタテインメント


映画やドラマの撮影があると3回の地域(愛媛)への効果が期待できると伝えている。

(1)撮影時
撮影時は50人-100人規模の撮影隊が県外からやってきて、20日間滞在し、その間の宿泊や食事(ロケ弁など)、レンタル、趣向品の購入などをすると計算すると「50人×20日間×1万円/日=1000万円」。この特徴は「公開前/放送前」という点。既に地域に直接的経済効果を与えている。作品の規模にもよるけど、2000万-3000万円の効果が多い。

(2)公開前/放送前
いわゆる”番宣”という所で、FCなら素材と呼ぶメインビジュアルのほか、ロケ地での撮影写真を預かったり。また、キャストであれば作品紹介時にロケ地の思い出としてOFFでの愛媛での過ごし方、愛媛の印象などを発信してくれる。「離婚しようよ」での仲里依紗さんによるSNSでの発信は大きな反響だった。

(3)公開後/放送語
放送から半年程度遅れてのBlu-rayやDVDでの販売やレンタル。ここでのポイントは直接的経済効果でもキャスト発信によるPRとも違い「活字」と言う点。特典などでブックレットが入る場合も多く、そこに「ロケ地:愛媛県」「撮影支援:えひめフィルム・コミッション」などのクジレットが印字されることによって、永遠に残ることになる。

単に撮影支援の機会だけ支援・協力するではなく、その後までキッチリ、地域への効果を演出できるかはFCの腕の見せ所。
直接的経済効果、間接的経済効果の醍醐味は作品の面白さとはまた違う。

と、いうことで「離婚しようよ」のBlu-ray&DVDの発売が12月25日に決定

フィルム・コミッションのDX化。


妄想です。もしも、私がプロデューサーや制作担当者だったら。
スマホやタブレットから「えひめフィルム・コミッション」のアプリを起動して、まずはロケ地探し。JLDBなどへアクセスして学校や海岸、駅、道路での撮影を決めたとする。

そのまま、学校、海岸、駅、道路の撮影使用許可を取りたく、撮影支援依頼書フォームに使用予定日時、撮影者人数、撮影プランなどを入力して「送信」すると、送信先はえひめフィルム・コミッションを介して、学校なら該当校と教育委員会、海岸なら該当市町などの港湾課や関係課、駅なら鉄道会社、道路なら所轄の警察署へ撮影プランなどを記した書類も含めた撮影支援依頼メールが一斉に届く。

FCが発達しているアメリカなどは、FCが直接、許諾申請を出せるけど日本では越権行為になるのでできず。

なので各送信先から返信を待つのだけど、依頼先の足並みが揃わないのは想定済み。
だから「継続協議」という段階でも“条件付き”で話を進められるようにする。

特に公共施設で撮影したい場合は、仮押さえなどもできて効果を発揮すると思ったり。

他にも「とにかく、レスを早く!」が海外製作者の願いなので、英語であろうがフランス語、スペイン語、韓国語、中国語などどんな言語の撮影相談メールでもAIが日本語で要約してくれる機能。

返信する際も日本語で書くけど、相手に合わせた言語にAIが文章と希望画像などをJLDBや手持ちフォルダから選び添付して送信できる。

撮影増が確実視される中で、撮影支援のDX化を妄想。できたら全国に普及させたいよなー。