![]() |
| 金太郎は怪力自慢で源頼光の家臣となり酒呑童子を倒す。 |
日記を遡ると、2023年4月ぶりの墓参り。
本当は毎年とか、もっと頻繁に訪れるべきなんだろうけど、ドア to ドアで片道約2時間30分(往復約5時間)は、やっぱり遠い富士霊園。
霊園は今年は60周年とのことで、記憶が確かなら、祖父は55年前に亡くなりここの墓に入ったので、開園早期に入ったのかな(ちなみに、私は祖父と会ってないので、28年前に同じ墓に入った祖母に会いにきている。)
でも、来るたびにいつも思うのは、“墓”と言うのは何なのか?という問い。
もちろん、家族/親族にとっての心の拠り所なのは百も承知だけど、生活様式も価値観も大きく変わった今、辺りを見ると以前はあった墓がなくなったのを見れば「墓じまい」をしたのかな?と思うし、ある墓には告知と書かれた立て看板があり、「○月○日をもって撤去します。」と、誰も来なくなったのか?色々と考えさせられる。
そんな中、妻と私は祖母の墓に到着。
花束を手向けて、祖母から名前をもらったひ孫たちが入籍したこと、家族は元気に過ごしていることなど近況を報告。
そして気づく、墓石に彫られている名前が長年の土埃などで汚れていた!
このままではいけないと妻と手持ちの用具で拭いて、水をかけてキレイにしたつもり。
とても些細なことだけど、これだけで気持ちがスッキリしたのは昭和人の名残なのか?それとも日本人のDNAなのか?
往復5時間なのに滞在は30分ほど。
祖母に「また来ますね!」と伝えたものの、祖母の子である私の母たち姉妹も80代後半になり、気軽に来れない状況になっている今、これからどうなるんだろう?と、妻と話しながら入り口に到着。
写真は富士霊園だから富士山、それもまだ冠雪していない富士山+足柄山の金太郎。
この日は、最高の秋晴れで墓参りには最適な気候で、これで心の中で“ひっかかって”いたモヤモヤも解消できてひと段落。
とはいえ、お墓の問題は実家の問題と同レベルと分かってしまった。





















