「じゃあ、どうすべきだったなのさ!」とは言われてないけど、(泉谷さんは何を、どこに注意しているの?)的な話になったので、先日の話題にアンサー的に記す。
実は講座や研修など、呼び方、表現は違うにせよ、ココ大授業と構成や作り方は全く一緒。
2011年に『誰でも先生、誰でも生徒、どこでもキャンパス』を掲げて設立したココ大での授業は、その名の通り、誰でも先生になれるのが特徴になり「市民先生になりたい!」と言う人や相談は今でもある。
でも、授業を企画する際に「授業コーディネーター(当時は私以外にも授業を企画するメンバーがいた)」と一緒に考え抜いた結論は【市民先生が言いたい/喋りたいコトではなく、市民学生が知りたい/学びたいコトへ変換するのが、我々(=授業コーディネーター)の役目】と言うこと。
分かりやすい例が「私は料理が得意だから教えたい。」の場合、自身の技術や腕前の披露があってもいいけど、調理時の時短テクニックやコツ、自分しか知らない経験値からのエッセンスを抜き出して、市民学生が今晩から使えるコト(行動変容)が学びの本質ということ。
そして、市民先生も一方的に“教える”ではなく、市民学生との“やりとり”から気づきなどを得ることで、市民先生、市民学生の双方に【学びあい】が成立するのがココ大授業の最大の価値ということ。
だから、単に料理上手では市民先生になれないし、片付け上手でも市民先生にはなれない。
なので、授業コーディネーターになりたいという方達へは「一番目(最初)の市民学生として学びたいコトを授業化してください。」と念をおしたほど。
この点は、市民大学である『いよココロザシ大学』の生命線であり存在意義。
すると、市民学生がココ大授業を通して知りたい、学びたい、得たい価値は何か?という受益者視点からの逆算(バックキャスティング)思考が自然と成立し、その価値を創出する手段として授業、テーマとして料理や片付けなどがある。
とは言っても、ココ大授業の評価は我々ができるわけなく、参加者、協力者、関係者がするわけで、今日までの15年間で700回以上の授業に3万人以上が参加してくださり、毎年声をかけてもらえているのは、授業に共感と納得を得ているからと思っていいでしょうか?
なので、授業コーディネーターになりたいという方達へは「一番目(最初)の市民学生として学びたいコトを授業化してください。」と念をおしたほど。
この点は、市民大学である『いよココロザシ大学』の生命線であり存在意義。
すると、市民学生がココ大授業を通して知りたい、学びたい、得たい価値は何か?という受益者視点からの逆算(バックキャスティング)思考が自然と成立し、その価値を創出する手段として授業、テーマとして料理や片付けなどがある。
とは言っても、ココ大授業の評価は我々ができるわけなく、参加者、協力者、関係者がするわけで、今日までの15年間で700回以上の授業に3万人以上が参加してくださり、毎年声をかけてもらえているのは、授業に共感と納得を得ているからと思っていいでしょうか?

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