日記を検索

2025年1月1日水曜日

8時間ぶりの松山城。


2025年、松山城への散歩始め。裏手の獣道を20分も歩けば到着。
スゴい人出だろうなと思った山頂広場は、初日の出時間から1時間ほどズレていたので、意外と空いていたけど無料開放の天守閣に並ぶ人、飲食店に並ぶ人の列は長かった。

松山城から眺める正月の空は快晴で気持ちよく、謎のテンションがあがる(≒幸せの沸点が低い)
山頂広場から我がアパートを確認(笑)して下山。

義兄義母宅へ(昨日=大晦日も行ったのに)年始のご挨拶。こう言う所(≒昨日と今日は毎日繰り返しているのに意識というか区切りというか・・・)、は日本人だなぁとつくづく思う。

初詣先で親族と合流して一年の無病息災を祈願するのも毎年恒例だけど、愛媛に移住した頃(=24年前)に比べるとメンバーチェンジ(亡くなったり、生まれたり)はハッキリしてるけど、20人ほどの大所帯は変わらず。

親戚一同と別れてアパートに戻り、休憩したらもう16時。
(こんなにいい天気なんだから夕陽もキレイに違いない!)と謎テンション2回目。
元旦の日没時間は17時11分。
着替えて元旦2回目の松山城へ。暇なんだな・・・と思いながら20分後には8時間ぶりの松山城アゲイン。
マジックアワー劇場を眺めながら謎テンション3回目。

この時期の夕陽は島々に沈むものの水平線ギリまで見えて、暖かく穏やかだった元旦だったな・・・と振り返り。

2025年1月1日は12,513歩で終了。

2025年書き始め。

路面電車の線路に反射する色の数々がいい。

2025年、あけましておめでとうございます。
妻が帰省していたので義母義兄家族と一緒に過ごした大晦日。
泊まって元旦を迎えても良かったのだけど、1月1日の天気予報は晴れ。
初日の出は松山城から見たいと思い、紅白歌合戦鑑賞、年越しそばを遠慮して退席。

家路への途中、横断歩道を渡ってJR松山駅の方向を見たら、路面電車の線路が赤やオレンジなどネオンチックに反射していてキレイだったからパチリ。
(こういうのって叙情詩的な演出に使われることあるな・・・と監督気分)

徒歩約40分で帰宅。約4,000歩のウォーキングで12月31日も10,000歩/日達成。
と、言うことで11月1日から毎日10,000歩歩き続けて2ヶ月達成。

ご褒美のJALマイルもお試し期間(2ヶ月)で計800マイルを超える。
やはり1ヶ月400マイルゲット!という計算。
でも、何度も書くけど1日10,000歩を歩くのは意図的に歩く機会を作らないと本当に難しい!と実感。
一回で10,000歩達成は難しいから、2-3回/日、外に出ないといけない。

今月から会費(550円/月)も払うことだし、2025年の1年間、やり続けてみよう!目指せ年間5,000マイルゲット!

2025年は、どんな年になるのだろう。
計画や予定を立てていても、その通りにならないことが多いのが人生。
そんな不確か不安定さを楽しめるか否かがテーマかも。

2024年12月31日火曜日

2024年は737本で書き納め。


結局、寄り倒し。と言う意味は自分の意思でもないのに世間体と言うか雰囲気などに、土俵際まで粘る(意識せずとも)も倒されてしまうこと(≒そうせざるを得ないこと)。

先日の出張納めから、仕事納め、買い物納め、洗濯納め、散歩納め、掃除納め、断捨離納め、ゴミ捨て納め、印刷納め、爪切り納め、シャワー納めなど色々と2024年版の“納め”が進行中。

そして学長日記も書き納め。
12月は計62本の日記を書き、2024年は計737本の日記で終了。自分で言うのもなんだけど、よくも737種類もの話題を綴ったものだと。“問い”と言うか“内省”の大切さを痛感。
ちなみに1年は365日だから、1日2本+@のアップ。累計で6,822回目の学長日記。

変わり映えのない日々をひたすら書き続けているのを見た友人「noteにもアップしたら?」と言われて、休眠中だったnoteを久しぶりに見ると、2023年5月10日が最後だった・・・。

フィルム・コミッションに絞って書き始めたものの、FCが自分の軸(根源)であるものの、ココ大や地域づくり、興味関心事項などもあってこそのフィルム・コミッションと気づき、遠のいてしまった過去。

学長日記と同じ内容だけど、noteで見る人もいるだろうし、700回も更新したら何か(≒新たなご縁とか)起こるかもしれないという期待感も込めてnote再び。

「書き続けるコツは何ですか?」と訪ねられたら、答えは明確で「気負わないこと」。
日々の中には小さいかもしれないけど、自分にとって面白いことは必ず一つはあるので、それを見出すことができれば書き続けられる。

2024年振り返り。


2024年最後の日、大晦日。

去年も振り返っていて、2023年はあんな」「こんな思い出。
個人的には長男くんを訪ねに妻と長女とイタリア旅を敢行したものの、ローマでの鉄道ストライキに右往左往したけど、思い返せば一生の思い出&笑い話。

ココ大的には2,000万円の借金を7年間で完済したことが大きかった。
「2,000万円って松山でマンション買えますよね?」と今でも言われる額。

個人的な2024年3選。
【全国47都道府県に降り立つ】
2019年にジャパン・フィルムコミッションの理事長職を預かってから日本各地を訪れるようになり、47都道府県最後の地は「宮崎県」で制覇。
来年も各地のFCを訪問してネットワーク強化。

【24年ぶりの韓国釜山】
フィルム・コミッションを生業に!と思い立った2000年は、家族旅行で釜山という偶然が重なるも、釜山FCを訪問したこと以外、多くを覚えてなく、記憶的にはほぼ初の釜山。

【それぞれがそれぞれ踏み出す】
長男がシアトル→フィレンツェで過ごした7年間を経て帰国。
長女も自身の長所を活かせる職を得る。そして末っ子もオリジナルの道を開拓しているようで、アドベンチャーファミリー。

ココ大&フィルム・コミッション的な2024年3選。
【3作品が公開や放送】
こんな所で裏切り飯」「笑うマトリョーシカ」「がんばっていきまっしょい(アニメ版)」の3本が愛媛県が舞台&題材で登場。その他、バラエティ番組などもあったけど、概ね良かったのではないか?2025年は2作品が登場予定。

【授業回数が700回に到達】
2011年6月4日の開校以来、コツコツと授業を重ねて700回目を迎えて2024年は703回。2025年もコツコツと重ねる予定で710回かな?
久しぶりに申込者数が100名超の授業もあったりと続けていれば色々あると実感。

【愛媛のラジオ局制覇2回目】
南海放送ラジオ(週刊ココ大ラヂオ/毎週)、NHK松山放送局(ひめゴジ!/隔月)だったレギュラー出演に「FMえひめ(エールラボえひめ/毎月)」が加わり、2度目の愛媛のラジオ局制覇。
慣れとは恐ろしく、最初は苦手意識が強かったのに“〜っぽく”話せるようになったのは成長の証か?

明日から2025年、コツコツと積み重ねていこう。

2024年12月30日月曜日

しめ飾りに願掛け。


写真は高校生ボランティアとココ大付属学園の子ども。
写真の子は本当なら、この時間におらず、迎えに来た保護者に「もう少し遊ぶ!」と保護者を先に帰らせて高校生ボランティアと遊びたかったよう。

そんな高校生ボランティアも1月からの予定が「ヒマだったんで!」と駆けつけてくれるありがたさ。
だから、この写真は偶然が重なっての一枚。いや偶然ではなく引寄力の一つかもしれない。

この撮影の1時間前にハーモニープラザから「インチキ先生〜!しめ飾りを作りませんか?」とお誘いを受ける。
作る予定だったけどタイミングを逸していたので「ありがたいー!嬉しい!ぜひ!」となる。

ご提供いただいたのは、ハーモニープラザのスタッフが編んでくれた藁、装飾品の数々を、その場にいた皆んなで作ろう!となる。
でも「しめ飾りってどんな形だっけ?」となるも形式に捉われず、それぞれの感性で作りましょう!となり、一人一人の個性爆発。

そして、次々と完成するしめ飾り。
不思議なモノで紅白、めで鯛、福などで飾ると、正月らしい気持ちになってしまう。

「ん!これは・・・」と気づいたのは「幸せになれますように。」という子どもの字で書かれた札が飾られたしめ飾り。
「しめ飾りに願を掛けたのね!」となる。

しめ飾りは一般的に正月に神様を迎え入れる目印のようなモノで、玄関などに飾るものとのことだけど、神様が来てくださるんだから、最初のお願いをしてもいいよね?となる。


多世代で同じ時間と場所を分つ。


2024年のココ大付属学園最終日も松山大学、高校生ボランティアが駆けつけてくれる。
松山シルバー人材センターからの応援、ココ大付属学園スタッフ、そして子ども達まで含めると、一つの空間に【小学生、高校生、大学生、保護者世代、シニア世代)】が集まり同じ時間を過ごすという、多世代型居場所になってた。

朝から平岡玄米を精米器にかけて七部付きにして炊く。
この日は弓削島産の「弓削塩(ひじき塩)」と塩昆布でにぎった「おにぎり」で、子ども達に手伝ってもらった側から一つ、また一つなくなり、2024年最後の平岡米おにぎりも完食!

腹ごしらえが終わった子ども達の次はドッヂボール。
ひたすら投げて、逃げて、取って、避けて、走っての繰り返し。(これだけ動き回れば消化も早いな)と余計なコトを思いつつ時計を見ると13時過ぎ。

土曜日なので「お菓子づくり」もしようと思うも(おにぎりも食べたしな、用意できるけどどうしようかな?)は大人の考え、子ども達は一切知らず、忖度せず。

「インチキ!お菓子を作ろうよ!」とせがまれ、ココ大付属学園恒例の「たこ焼き器でつくるホットケーキ」を作るも、さっきおにぎりを食べたばかりなのに食欲旺盛の子ども達。
100個以上(3回転半)を焼いても完食するのだからスゴいと言うか楽しい。

16時頃になると一人、また一人と家路につく子ども達。
「良いお年を!」と言っていたら、そこへハーモニープラザのスタッフが「インチキ先生〜!」と何やら抱えて部屋に入ってきた。


2024年12月29日日曜日

どこを見てるのか?


パッ!と見は“フツー(多数)”と違うから、そんなフツーのモノサシで測ると“違う人”と思い込まれてしまう。
大人はこれまでに会った人、もしくは情報で得た(つもりの)カテゴリーに分類してしまう。なぜなら、分類した方が“理解するのに都合がいい”から。

でも、それは“見た目(表面)”であって内面(≒本質)ではないから誤った判断、分類をされた人をこれまで多くみてきた。
今回、学生と接して改めて考えさせられたこと。

我が家の末っ子の場合は行動で先生たちからすれば“余計なコトをする学生”と見られた時があり、呼び出された際の多くで謝ったけど、明らかに違い、偏見と思った時は学校長などを相手に納得するまで説明を求めた過去。
学校側から面倒な親と思われても筋が通ってなければ親の出番でしょう。

そして、そんな学生がいる場面では大抵、学生に非があるのが大前提で話すから「ちょっと待ってください。話のスタート地点から既に違うんですけど・・・」と相手への面倒さ炸裂!

多くの場合、子どもに非がある。でも100%じゃない。
それを前回も前々回も前々々回もそうだったから、一律のモノサシで測った方が楽だからと、大人が思考を放棄(=一人一人に向き合わない)したら、子どもの可能性や希望、期待は一つ消えるのと同じ。
個性を大切に・・・なんて標語が泣く。

じゃあ、「喋らず大人しくしていればいい。」という振り切り論へは、喋らなくて大人しい子は、一見して“いい子”に見られるけど、本当にそうなのか?多くがそうだけど、あえて一石を投じたい。

大人にも社会にも期待しない世の中に生きるって悲しい。
妻いわく「社会はないけど(大人にとっての)世間体はあるよね。」と鋭い指摘。

1秒たりとも無駄にできぬ。

走る大学生。奥ではドッヂボール。

ココ大付属学園へのボランティア参加を呼びかけると、松山大学生、松山東雲大学生、聖カタリナ大学生から「行きます!」と直ぐに返事が戻ってきた!

彼女達はこれまでにココ大付属学園に参加してくれた、もしくは私の授業を受けた学生達で「お誘い、待ってました!」という感じで集まってくれる、大感謝。

この日は徒歩10分ほどの城山(堀之内)公園へピクニック。
子ども達はお弁当のほか、おやつ、遊具などを持って参加。グループに分かれて学生たちと一緒にレッツゴー!

公園に着いた瞬間に走り出す子ども達(ホント、これは子ども達の“1秒でも先に遊びたい!”と言う本能と思う。)
大学生らを交えて鬼ごっこ、バトミントン、ドッジボール、落ち葉拾い、キャッチボール、縄跳びなど思い思いで遊び始める子ども達。
寒いと部屋に篭りがちだけど、連れ出して良かったと私は記録係。

そして、散々遊びまくって満足したのか、体から湯気を出しながら戻ってくる子、半袖姿、Tシャツ姿で戻ってくる子が水筒をグビグビ傾けて、また遊びに戻る子がいて、見てる方が寒くなる。

昼食をいただきながら「次は何して遊ぶ?」と1秒も無駄にはできぬ!と子ども達。
でも、終了時刻がやってきた。
「延長してーー!」と叫ばれて45分間の延長。でも、あっという間に延長時間も過ぎてピクニック終了。

でも満足したのか子ども達、お約束の記念写真にも笑顔で答えてくれて、大学生も「こんなに走ったの今年初めてかも!」と12月らしからぬ発言に笑ったりしてピクニックは大成功。
ヂャリンコちえのような光景。

2024年12月28日土曜日

続・おばあちゃん弁当。


「ピクニックに出発しますよー!」と号令をかけると、ササッーと子どもが寄ってきて「はい、インチキ。今日のお弁当だよ。」と、紙袋を渡してくれる。

「焼きたらこ、卵焼き、きゅうりの漬物、唐揚げ、ソーセージ、ゴボウとイトコンのキンピラ、ゴマ団子+パセリ」の計8品がギューギューご飯と一緒に盛られていて重い!

全く予想していなかったコトに「えぇ!もしかして、おばあちゃん弁当!?」と声をかけてしまう。

「おばあちゃん弁当」とは、その名の通り子どもの祖母が私のために作ってくれたお弁当で、実はおばあちゃんとの面識はない。
なのに貧そな食生活を案じてか、今夏に「おばあちゃん弁当」が初登場。
もちろん、私から頼んだことも注文したことも一切ない。善意の塊弁当。

城山公園で食べたおばあちゃん弁当は外で食べた分、20%マシマシで美味しく、子どもと一緒にいただく。
そして、食後は「あげる!」とミカン、お菓子などを子ども達からいただく。
なんだか“いただきもの生活”のようで恐縮だけど、皆んなに大感謝していただく。

ピクニックから戻り、おばあちゃん弁当を届けてくれた子が帰る際におばあちゃんが迎えに来るという事でお礼とご挨拶がどうしてもしたく一緒に下りて、これまでに2回、弁当を作ってくださったおばあちゃんと初対面を果たす!

「勝手に感想を書いてブログにアップさせてもらってます!」と感謝の意を伝えると、「いえいえー!」と恥ずかしがるおばあちゃん。

沁みた味だった件。

撮影準備のない年末年始。


多くの事業所で仕事納めだった12月27日。
業務が終わったり、仕事に一区切りをつけたりと、それぞれある中で、最近まで撮影誘致に奔走していた作品を逃してしまった(涙)。
「焦ってもしょうがないよ、ダンナ。」は写真のねずみ男。

気合いを入れて多方面に協力をお願いしていた作品だっただけに「誘致できず、申し訳ありませんでした。」と伝えると「また、声をかけてください。」という言葉が沁みたと言うか響いた12月の寒さ。撮影がきたら、愛媛の魅力をまた違った切り口で紹介できたはず。

そんな中、「世界中をロケハンしたものの、"愛媛が一番なので!ぜひ!”」という作品が飛び込んできた!
しかし、イマイチな伝わらない熱量(≒本気なのか?単に情報収集なのか?)で、そんな熱量だったから協力先も説得できずお断りとなる。残念。

また「愛媛はいい所ですよね!好きな場所です。」とリップサービスたっぷりな前置きでロケ候補地を集めているから協力してほしい。という(楽しようとする)リサーチャーからの情報集めは断る。

撮影相談も玉石混合とは言えチャンス。
12月25日の夜に撮影相談があり、「急ぎで返信いただけると助かります。」的な内容だったので、情報をまとめて12月27日の朝に情報を提供したら、先方の宛名で直ぐに返信があったので(おっ!早速見てくれたのかな?)と思ったら「12月26日から休暇をいただいています。」という自動返信メールだった(爆)。何というオチ。

私がもっと迅速に対応していれば、ボールは受け取ってもらえたってことか。
撮影準備のない年末年始は3年ぶり。

2024年12月27日金曜日

ココ大ラジオも年納め。


年内の週刊ココ大ラヂオ(南海放送ラジオ毎週日曜日17:40から)の収録が終わる(2024年最後の放送は12/29)。

で、言われる。「ココ大ラジオで流れる音楽って泉谷さんの好みですか?」
「違うよ、なんで?」
「なかなか渋い楽曲が流れるなって思って」
「たぶん、最新のヒット曲って流れてないと思う。私が言葉で楽曲を紹介しているけど、私も言いながら“コレか!”って思う時あるのもの。」
「誰が選曲してるんですか?」「ディレクターだよ。」
「南海放送のですか?」
「違うよ。ココ大のディレクター。」
「ココ大にディレクターがいるんですね。」
「そう、ココ大の会員なんだけど、ココ大ラヂオを始める際に、ラジオ好きという“だけ“の理由からディレクターに任命されて彼が収録から編集、完パケ作業、納品まで全てしてます。」
「スゴいですね。」
「スゴいよね、他のラジオ曲でも通用する技術と音楽知識だと思う。」
「じゃあ、泉谷さんが選曲することは?」
「ない。全くない。」
「ないんですか!なんでですか?」
「えっ!?だって任せてるんだもの。それに私が好きな音楽で少ないし」
「例えば?」
「クラシック、ジャズ、サントラ、ポップス、テクノ、ユーロビート、何でも聴くね。」
「それ、曲目ではなくてジャンルですよね?」
「てへっ。歌手と曲が一致しなくて・・・。」
「それ、少し分かります。」
「そう!ありがとう。同士だね。」
「・・・。」

今年も聴いてくださり、ありがとうございました。
2025年は1月5日(日)17:40からです。

平岡新米でおにぎり。


ギュイーン!と精米機にかけた平岡玄米は8合。
8合も精米すると削られたもみ殻の量も多く、(どう活用しようかな?洗い物、脱臭とか言ってたな・・・もみ殻ケーキってできないのかな?)とも思ったけど、それは「酒粕」と勘違いでした。
ワイルド系ハードベジタリアンケーキなら作れそうな気もするけど。

超フレッシュな七分付新米を炊飯器にセットして炊き上がりを待つ。
すると、その間にハーモニープラザから「日本食研さんからの寄付でーす!」と、焼肉のタレが大量に持ち込まれる。

「ん!焼肉味のおにぎりにする?」と、とっさに思いつくも「水量を加減してタレを入れた方がおいしい!」と分かり。次回以降のお楽しみになる。

11時に炊き上がり、11:30から子ども達と一緒におにぎり作り。
「さて、何おにぎりにする?」となり、半分は塩おにぎりwith ふりかけ&ごはんですよ、半分は塩こんぶおにぎりにしようちなる。

主導は大学生。「アッツい!」と両手の上でおにぎりを転がす大学生。その様子を笑いながら見守る子ども達。
子ども達も握ってみると熱かったようで、これも経験。

そして実食。やはり平岡新米は美味しい。食べる前から「インチキ!一人2個食べてもいい?」と食べる気満々の子ども達。

お弁当もあるけど、おにぎりも食べたい子ども達、パクパク食べて全てなくなってしまった後は「明日は何味にする?」と子ども達。

2024年12月26日木曜日

仮説の検証。


先日の「こどもスペースラボ」で4歳児がレゴで「手回しで動く装置」を作りビックリして確信したのは、STEM教育は必要という仮説。

STEM教育は、科学/Science、技術/Technology、工学/Engineering、数学/Mathematicsの頭文字を取ったもので、各分野を統合的に学ぶ教育手法のこと。

「統合的に学ぶ」とは分野を分けるのではなく、分野横断的に学ぶのがSTEM教育の特徴。

以前から気になっていたけど、どうしたら“ココ大らしく”導入しできるだろう?
考えてもアイデアが浮かばなかったけれど、子供の好奇心から育めるではないか!と教えられたのが先日のこどもスペースラボ。
手元には大量のレゴがある。

でも、レゴでSTEM教育と言うとプログラムとの相性も良いことから、教室ビジネスが盛ん。
そこで、プログラム指導はナシ、動力はカラクリ、ゴムなどシンプル、構造や仕組みの理解などを目的にした一歩(半歩)目のニーズはあるのでは?とこれまでの経験則から描く。

前は急げと一気に三冊購入して読むと、レゴで置き換えられる仕組みや実験、構造などが多く、私のような非理系、非エンジニアでもない人間が読んでも面白い!となる。

幼少期に読んでたら理系、エンジニアになってたかもしれない(爆)

そして気づく。

120kgとなったレゴの山から穴あきパーツ、十時棒、各種ジョイント、歯車などを選別しなければならない!これらのパーツは探すのに苦労する小さいパーツ。
でも大きい野望に向かって、ココ大付属学園の機会で実験開始!

今日からココ大付属学園(冬休み編)。


ココ大付属学園の準備最終日。
買い物を終えてハーモニープラザの前で館長とお会いし「明日から、よろしくお願いします。」と伝えると、その後ろに「あっ!インチキ!」と今夏にココ大付属学園に参加した子ども。

「おっ!〇〇!今日が終業式だったのかな?」と伝えると「違うよ!」となり、一緒にハーモニープラザに入ると、10m先から「インチキッー!」と周りにも聞こえる声量で呼びかける別の子ども。

「あれ!〇〇!そうか!君たちは今日が(2学期の)終業式じゃなかったのね!」
「インチキ?今日は何なん?このお菓子はナニ?」と買い出し品を吟味する子ども達。
「今から準備をするけど手伝う?」と誘うと嬉しそうな子ども達、「行くっーーー!」となる。

早速、片付けや整理をしてもらい、そして誰もいない部屋で勝手野球が始まる。
勝手野球だからルールは独自、ホームベースは移動式だし、各ベースの距離は“いびつ”だし、取ったボールを走者へ投げて当てればアウトは昭和から受け継がれている伝統なのか?

そして、満足したのかサッーーー!と部屋を出て行った子ども達。
静けさが戻った部屋で片付けなどを再開すると、壁の向こうからキャッ!キャッ!と声が響き、「インチキーーー!友達連れて来たよ!」と今度はお友達を連れてきて5人になる。

そんな5人は再び勝手野球をしたり鬼ごっこしたり。すっかり馴染んで楽しむ5人。
ココ大付属学園は明日からだし、私が居るこの部屋であればいいかな・・・という判断。

「キュッキュッー!」とアルゴ。
アルゴも今夏の入院から退院し、愛嬌を振りまいて子ども達を迎える準備OK。

2024年12月25日水曜日

Happy Holiday!


So happy to meet you and hope we can spend more time together in the future!

“会えてとてもうれしかったよ。これからも一緒に時間を過ごせることを願っています。”

と言う、メッセージが添えられたハッピーホリデーカードが届く。
メールでサクッ!と秒で送れる時代に、あえて手間とお金がかかる郵便で海を渡り、家族の近況とホリデーの祝いを共有するってアメリカ文化のいい所。

送り主はアメリカの兄弟ハル(医者を育てる医者というスーパードクター)。
SNSではお互いの動向は把握していたものの今年、34年ぶりの再会を果たす。
ハルの父(=アメリカの父)とも会えて親孝行できたのも今年。

これまでも会おうと思えば会えたかもしれないけど、お互いに自分や家族の事で精一杯だったし、気づいたら18歳で出会ってから34年も経っていた・・・と言う感じ。

34年も経てば職を得るし、キャリアップに転職もするし、ご縁あり結婚もするし、子供も授かるし、その子供は成人して自立するし、自分は老いを実感するし、身近な人の死も経験する。

34年前は今を全く想像できなかったから、このご縁の続きはハルの子供達、我が子達が交流してくれるといいな。

ハッピーホリデーカードが届かなかったら、
クリスマスムードの雰囲気も感じずに、フツーに掃除、洗濯、買い物に行って、明日からのココ大付属学園の準備に過ごしていたと思うけど、誰かが自分のことを想ってくれたことに大感謝。


どなた様もHappy Holiday!

パッサパサ。


「泉谷さん、パッサパサの声じゃないですか!?」と指摘され、“パッサパサ”という擬音語?を初めて聞いたけど言ってる意味はわかった件。

2024年最後のFMえひめ「エールラボえひめ」の収録。
しかし、あろうことか喉の調子がヒドく、調子が悪いのをカバーしようと変なテンション(≒妙に元気よく)で喋ったからパッサパサだった声質。

令和6年度、エールラボえひめの事務局がFMえひめさんに変わったことで担当することになったラジオ番組。5月に番組がスタートし、12月まで計8回の放送だったけど、内容を理解しないと喋れないから(DXを知る学ぶ良い機会に恵まれた)が率直な感想。

DX(Digital Transformation)とは「デジタル技術を社会に浸透させて人々の生活をより良いものへと変革すること」で意味は分かる。
だけど「我が社はDXしました。」「DX推進中!」という構文はなく、ピン!とこない。
となると、DXは目標であって目的ではなく、目的はDXの先に描かれた変革された社会という感じか。

さらにDXを実現、変革を実感させる手段としてAR(Augmented Reality/拡張現実)、VR(Virtual Reality/仮想現実)、MR(Mixed Reality/複合現実)と言う感じか。
ラジオ番組を持たなかったら、今一つ興味関心が薄かったから知る由もなかっただろうな。

私たちが60歳、70歳になった時はAR、VRなんて言葉すらなく、ごくフツーに買い物、医療現場医、旅行、出会いの場などに利用してるんだろうな。
「老人Z(1991)」のようになるのかも・・・違うか。

年内収録終了!ということで
サイジョウサン、カタオカサン、シマズDと記念撮影。

2024年12月24日火曜日

あと7日。


2024年も残り7日間。
高松駅から松山駅までの特急時間(2時間30分)の間に広げた新聞で「2024年読者が選んだ10大ニュース」なる見出しに目が止まる。

2024年1月1日の夕方に石川・能登半島で発生した震度7の地震は何かの誤報と思ったのが最初。そして翌1月2日に起きた日本航空機と海上保安庁機が羽田空港で衝突・炎上と、これも(えっ!?)と言う感じで、(明日も何かが起きるの?)と不安になった記憶。

個人的には8月8日の夕方に日向灘で発生した最大震度6弱の地震で「南海トラフ地震臨時情報」が発表されたことが強く残っていて、当日は朝8時から愛南町外泊地区で行われた「笑うマトリョーシカ」の撮影現場に立ち会っていて、地震発生の30分ほど前にハーモニープラザへ帰り、子ども達や保護者、スタッフらと談笑していたら突然の大揺れ。
全員を机の下に避難させ(訓練ではなく本番によく対応できた・・・)と安堵した思い出。

撮影隊にも直ぐに連絡すると、撮影は終了していて、片付けの最中に地震に遭遇したとのことだった。

そう言えば今年も暑く、平均気温の高さが過去最高タイとのことだったけど、子ども達に「暑すぎて外で遊べません。」と、ジョークのような本当のコトを伝えなければならないのが辛かった。

あっ、パリオリンピックがあったのね。
大谷選手の偉業の数々が10月までずっと続き話題をかっさらっていたので、その陰に隠れてしまった感じ。

2025年はどうなるんだろう?いや、2024年もまだ7日間あるから、その間に未曾有のコトが起きるかもしれない。
穏やかに過ごせますように。

島で1台。

小豆島に1台だけ。反対側は違うラッピング。

「この、“からかい上手の高木さん”タクシーは小豆島で1台しかないんです。」とタクシー運転手さん。
聞けば閑散期の今は、タクシー乗務で繁忙期はバスを運転してるとのこと。
車内には「高木神社」のお守りもあり「このタクシー目当てに来た方からもらいました。」と、“からかい上手の高木さん”タクシーに乗ることが目的になってた!

「からかい上手の高木さんの撮影時はどんな感じでしたか?」
「(撮影時の)島民はイマイチ、分からなかったよね。撮影って(情報を)伏せてするでしょ。」
「そうですね。」
「だから、撮影の事情を知らない大人が道を塞がれて文句を言ったりね、色々ありました。」
「じゃあ、やはり困った感じでしたかね?」
「いや、知らんだけだったからね。だから公開されたら子供たちはとても喜んだよね。」

運転手さんの知人の子はエキストラ参加したとのことだったし、運転手さん自身もキャストを見たとのことで、撮影と地域との関係は概ね良好だったとのこと。

「大人と子供が持つ(撮影への)印象って違いますよね。」
「そうだね、大人は仕事の邪魔をされると面倒に思うよね。子供は滅多にない機会だから喜ぶよね。だから、子供が喜んでくれたことは、この島では少ないから、ありがたかったよ。」

など20分ほど会話をしていたら土庄港に到着。
貴重な地元民の話を聞けたのでお礼と言うと「また来て!」と運転手さん。

そして、高松港行きのフェリーへ乗ると、船内は一面「ヤドン仕様」だった!
(えっ!なんで?)と思ったら「うどん県ヤドン部」なる取り組みが行われていて、そもそも「うどん≒ヤドン」と響きが似ているからヤドンが「うどん県PR団」に任命されてたのね。

写真はヤドン越しの高木さん巨大ポスター。アニメで地域に話題をもたらした事例。

2024年12月23日月曜日

小豆島ロケ地めぐり。


毎年、全国10カ所で行っているジャパンFCの研修。四国でも毎年行っていて今年は香川FCがホストとして受け入れ(ちなみに去年は徳島LSだった。)。

その研修の中で四国だけが唯一、研修の翌日に「ロケ地めぐり」を用意していて、香川FCが今回、準備してくたのは小豆島で撮影された「からかい上手の高木さん」などのロケ地めぐり。

この機会は貴重!と、高松市などからも希望があり、20名以上の参加に大型バスを借り切ってくれる。案内は小豆島FC。

早速、エンジェルロードへ急いだのは干潮に合わせたから。潮が引いた時に渡れる道を「エンジェルロード」と名付けた秀逸さ。
20代から60代の20名以上がワイワイ渡り、その地域のロケ地&名所を来訪者気分で味わう。これ大事。

そして次は「土渕海峡」へ。でも「海峡らしい」雰囲気はゼロで「ロケ地です。」と言われてもピンと来なかったけど、聞けば【世界一狭い海峡としてギネス登録】されているとのことで証明書をいただくも「私たち、渡って来てないよ」と小豆島FCへ尋ねてしまう。

すると「いいえ、今、渡ってきたんですよ!」とごくフツーの橋を渡っていて、その間(9.93m)が海峡だったとのこと。思うツボにハマってしまう。

そして次は「池田の桟敷」。いわゆる棚田状の桟敷で愛媛県で言えば、新居浜市にある「山根グランド」のような感じ。
ココでは映画では花火を見たり、櫓を組んで夏祭りの様子が撮影されたとのこと。

で、ココで私と相棒は高松市内で打合せがあったのでタイムアップ!
小豆島FCが用意してくれたタクシーに乗ろうとしたら「からかい上手の高木さん」タクシーだった!

またネタでゴメンね。


「今年は映画を(劇場で)30本くらい見たかな?」と隣県AのFC担当者。「すごいー!映画好きなんですね!」とまた違う隣県BのFC担当者。

「泉谷さんはどれくらい観るんですか?」と今度は隣県CのFC担当者。「今年は何を見たかな?観てないかも・・・」と言うと「えっー!マジですか!?FCなのに映画観てないんですか?」と引いて驚く隣県AのFC担当者。

「(鑑賞料が)高いしさ」とモゴモゴ言い訳。「55歳になったら1100円ですよ!」に「あと2年か・・」となる。

研修会終了後の懇親会は四国四県のFC担当者・関係者が20名以上集まり大盛り上がり。
今年度から着任した方もいるので親睦を深めて四国の撮影支援ネットワーク強化が目的。

だからプライベートなコトも話題にして「引越したんです。」という話題から家族の話題になる。すると私にも振られて「家族全員、東京と横浜にいて私は単身生活なんだ。」となる。

だからお約束の「テレビが無い。冷蔵庫が無い。レンジもオーブンも無い。」をぶっ込むと、お約束通りに徳島、高知、香川の女性担当者から「それ、ホントですか!どうやって暮らしてるんですか?じゃあ洗濯は?」など矢継ぎ早に質問されてコミュニケーションがワイワイなる。

その様子を見ていた、えひめFC担当者が(泉谷さんがまたネタを言ってる)的な冷ややかな表情で入ってきて、隣県FC担当者たちが「ホントなんですか?」とえひめFC担当者に尋ねる。

「そうなんですよ。さらに泉谷さん、ついでに車の免許も持ってないんですよ。」と更にぶっ込み、「えっーー!」と場は更に盛り上がる。

「どうやってロケハンしてるんですか?」にえひめFC担当者が自分を指さし「アッシーです。」と、掛け合って懇親会終了。
写真はツルン!と美味しかった香川特産「オリーブそうめん」。