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2025年4月7日月曜日

25歳。


長男くんが気分転換に松山へ。
義兄姉宅にお世話になっていて、食事に誘っていただいたら長男くんの誕生日まで祝ってくれた(涙)。

長男くんは25歳になった。
済美高校の2年生時に自主退学し、シアトルのカレッジで学び、その後はフィレンツェで絵の勉強をして卒業。昨年帰国して画家になる!と奮闘中。

私が25歳の時は、松山で働き始めた頃。
前年の24歳で結婚したばかりで、仕事も結婚生活もおぼつかなかった頃。

その後、1998年に長女が誕生し、2000年に長男くんが誕生。あっという間に25年が経っていた。その後、2004年には次男くんが誕生。

親がこんな感じだから、枠や既成にとらわれず、自分が進みたい道を歩んできた我が子達。
長男くんは小さい頃から絵を描くのが好きで、キース・ヘリングの絵を模写したり、スターウォーズのキャラを描いたり。

スポーツも好きで得意だったから、将来はどんな道に進むのかな?と思っていたら、スポーツではなくアートの道でした。

25歳だからと言って、すぐに将来を決める必要がないのは私自身の経験から。
その後、2000年にネットイヤーに転職したものの、フィルム・コミッションの存在を知り、2001年に愛媛県に移住して2002年に「えひめフィルム・コミッション」の設立に参画、愛媛県観光課に就職した時は30歳だった。

画家になりたいと言っても一筋縄ではいかないのは彼も承知で、紆余曲折しながらの道になるはず。
本人が楽しめるなら、親としてはそれ以上望むことはなく、なんなら楽しさに便乗させてもらおうかなと(笑)。
人生は楽しんだ者勝ち!

2025年2月25日火曜日

最後の晩餐。


明日は「スパイスカレー(小麦粉などを使用したルーを使わずスパイスで作るカレー)をご馳走します。」と、援農プログラムの現場責任者のニヘイさん。

突然の提案に、援農プログラムとスパイスカレーが結びつかず「ニヘイさん、スパイスカレーづくりが趣味なんですか?」
「(スパイスカレーづくりを)習ってからです!」どうやら以前に習ったらしい。
「毎回の期に、ご馳走してるんですか?」
「いえいえ、タイミングあった期だけです。」
「あら!ラッキーですね。私たち」
「その通りです〜!」と笑いながらニヘイさん。

我々はスパイスカレーを作ったことがないので、ニヘイさんに教わり、鶏肉を炒めながらスパイス(クミン、コリアンダー、ナツメグ、ガーリック、ペッパー、ターメリックなど)を入れれば20分ほどでシャバシャバなスープに近いスパイスカレーが完成。

そこへ、ご飯を茶碗に入れて盛り皿にカパッ!と被せてご飯を整え、同時並行で作っていたニンジンの酢漬け、葉っぱを添えたほか、チリコンカンもあったので一緒によそったら、レストラン級の見栄えがする夕食が完成!

そこへ「こんばんは。」と入ってきたのは、キュウリ&ナスのミヤモトさんの義母さま。
御年80歳とのことだったけど、「私のやること(≒野菜の世話)が、取られちゃったわよ〜」と笑いながら、初対面の私たちともすぐに打ち解けるホスピタリティの高さ。
ハウスマスターの石田さんも一緒に8名で最後の晩餐。

午前中にコダマさんからいただいた「7年ものの梅シロップ原液」もいただき、サイコーの語らいが続く。

そこへ「こんばんは!」と、キウイと柑橘のカワハラさんが「キウイの長男」をもってきてくださった!

2025年2月22日土曜日

キウイの長男。


本日は、イズミさんと二人でカワハラさんの園地で収穫されたキウイの選定作業。
選定したキウイは、産直市場へ出荷するとのことで、私とイズミさんの選眼力が試される!

とはいえ、カワハラさんによる「キウイ講座」で選果基準のポイントを学んでから選定。
キウイは愛媛県内などでも盛んに栽培されているから馴染みがあり、今後、何かの役に立つかもしれないとメモメモ。

その中で全く知らなかったのが「キウイの長男」というキウイの存在。
生産者さんにとってはフツーかもしれないけど、【店頭には並ばないキウイの存在】を知る。
それは扁平(形状が平たく、2個分が1個にくっついたような大きな)なキウイで、ハート型のようにも見えるキウイ。
幹に近い所で実るから「キウイの長男」とのことだけど、そもそもキウイはメスの木に実るので、長男ではなく長女ではないか?という疑問になったけど、“そこ”は横に置いといた。

キウイの収穫は11月で終了、そこから寝かして、出荷は3月末〜4月頭まで続くとのこと。
1本から最大3000個ほどが実るとのことで、そのうち我々が選定したのは6ケース分。

ゴロゴロとジャガイモのように置かれたキウイは硬い。
そこから「日焼け、肩落ち、傷、汚染、スジなど」の状態を目視確認。
で、その「長男のキウイ」は、名前が付くほどだから相当珍しいと思ったら、意外と多く確実に出るのに「規格外」という選別。
でも幹の近くなので栄養分も多く、味も変わらないと言うのだから「ハートキウイ」などの呼び名でも良かったり。

6ケース分の選定が終わった所でコーヒーブレイク。
 カワハラさんがわざわざ、用意してくださったコーヒーとクッキーなどを頬張り談笑。
談笑後「行ってみますか?」と誘ってくださったのは出荷されてるJAの産直市場。


2025年2月2日日曜日

彼の話。

右下が長男くんの自画像。澄んだ目がいい。

長男くんがグループ展「A Study in Monochrome.」に参加すると聞いて、日時や場所を調べたら東銀座から電車で1本、20分先の所ではないか!と分かり、訪れる。

商店街に構えていたギャラリー「ギャラリーしろむじ」のオーナーに、長男くんの絵をどうやって見つけたのか?と尋ねると、長男くんが発信していたInstagramを、オーナーの師匠が見つけて推薦されたとのことで、オーナーもファンになる。情報発信の大切を痛感。


前回(別場所)のグループ展でも販売実績があったので、プロと言っていいのかな。
本人も画家として生計を立てたいという希望だから、トコトンやってみたら良いと思う。


グループ展の良い点は、テーマは同じでも作品はそれそれ異なり、新しい発見がある点。

作品からは気づかないけど、今回は70歳以上の作家さん作品もあり、20代の長男くんは貴重な若手作家とのこと。


親としてもアート愛好家としても安心&満足した帰り、今度は末っ子くんと妻と合流。

すると、末っ子くんが“あるアイデア”について熱心に語ってくれて、話してる本人も楽しそうな表情。


一般的にはマーケット調査、ペルソナ設定、マーケットイン思考、アウトプット手段などのマーケティング戦略がセオリーだけど、若者の発想には常識を飛び越える勢い(≒怖いもの知らず)があるので、「先ず、やってみなよ!プロトタイプを創って改善を繰り返せばいい。
大切なのは、そのスピード感!」と伝えて話を後押し。

ほんと、子供にやりたいコトがあるなら、やらせてみたら良いと思う。
そのために親は存在するのだから。
子に対して損得勘定なんてないのだから、子を応援せずに誰を応援するの?という感じ。

2025年1月12日日曜日

MAYAMAXXとの思い出。

“エコ”と言うオリジナルキャラを創ってくれた。

「泉谷くん、いい人になりなさい。」
「“いい人”ってなんですか?」
「“いい人”って言ったら“いい人”よ。」
つい、“正解”は何か?を尋ねてしまったけど、推察するに“いい人”と言うのは“何事にも真摯さ”がある人かな?と思ったのは2006年。

そんなアドバイスのやりとり相手は1月9日に亡くなった今治市出身の画家MAYAMAXX(享年63歳)。かねてから闘病中とは聞いていたけど・・・。

MAYAMAXXとは2005年に愛媛県美術館担当者が引き合わせてくれたのが縁で、当時の愛媛では知ってる人も少なく、でも作品はどれも好みで意気投合し「何かイベントしましょうよ!」と企画したのが環境省の助成事業として行った「ふろしき百景あしたのフロシキ展(会場:いよてつ高島屋)」。

MAYAMAXXに審査員長になってもらい「ふろしきのデザイン」を公募して、デザインを1点ずつふろしき化して飾り、終了後は応募者に差し上げた、太っ腹企画だった。

その前後には子ども達と一緒にドローイングワークショップをして、まだ幼かった長女、長男にも参加してもらったり、企画の経緯を思い出せないけど、旧伊予銀大街道支店の地下スペースで「人生相談会」をして、MAYAMAXXの人生観から悩める社会人へアドバイスしたり。

その時に言われたのが「泉谷くん、いい人になりなさい。」という私へのアドバイス。
その後、MAYAさんは出身地の今治でも活躍し、NYへ拠点を移したりして、再会したのは数年後の京都・何必館(かひつかん)。

人生をどう生きるか?何を伝えられるかって大切。
天国でもたくさん描いて欲しい。

2025年1月3日金曜日

残り362日。


10年以上、カレンダーを買った記憶はなく、形状や大きさなど種類は色々だけど毎年、誰かからいただくのがカレンダー。ミカンと同じかもしれない。

2024年は、ジャパンFCに届けられた撮影所制作の3ヶ月カレンダーで、前月+当月+来月が一目で分かったもの。こう言うカレンダーは“月をまたぐ予定(例:撮影など)”などに重宝した。

2025年は1ヶ月単位のスタンダードなカレンダーで義兄義姉からいただく。文字が大きく見やすいほか、記入欄も広い!こう言うカレンダーは“メモ”が書けるのがいい!

詳細な内容はグーグルカレンダーだけど、紙のカレンダーはパッ!と見でスケジュールの確認ができるのがいい。祝祭日も赤文字でハッキリ分かるし。

一年の計は正月(元旦)にあり。 とのことでカレンダーに予定を書き込んでいくと・・・。
呑気に過ごしてる場合じゃなかった!

請求書を作成しなければ入金されないし、講義資料を送らないと当日を迎えられないし、シラバスをしっかり作らないと学生に響かないし、資料を読み込まないとファシリテートの目的が分からないし、申請書を出さないと助成金を得られないし、ココ大付属学園も冬編は終わるけど来月は春編の申し込みだった・・・。

まさに1月は行く、2月は逃げる、3月は去る・・・の勢い。

年間予定は、毎日の予定を一つずつ確実に終わらせることで過ぎてしまい、12月に振り返ることで手応えを感じることなのか・・・と、まだ362日。

写真は義母宅に飾られた長男くんの絵。

2024年12月31日火曜日

2024年振り返り。


2024年最後の日、大晦日。

去年も振り返っていて、2023年はあんな」「こんな思い出。
個人的には長男くんを訪ねに妻と長女とイタリア旅を敢行したものの、ローマでの鉄道ストライキに右往左往したけど、思い返せば一生の思い出&笑い話。

ココ大的には2,000万円の借金を7年間で完済したことが大きかった。
「2,000万円って松山でマンション買えますよね?」と今でも言われる額。

個人的な2024年3選。
【全国47都道府県に降り立つ】
2019年にジャパン・フィルムコミッションの理事長職を預かってから日本各地を訪れるようになり、47都道府県最後の地は「宮崎県」で制覇。
来年も各地のFCを訪問してネットワーク強化。

【24年ぶりの韓国釜山】
フィルム・コミッションを生業に!と思い立った2000年は、家族旅行で釜山という偶然が重なるも、釜山FCを訪問したこと以外、多くを覚えてなく、記憶的にはほぼ初の釜山。

【それぞれがそれぞれ踏み出す】
長男がシアトル→フィレンツェで過ごした7年間を経て帰国。
長女も自身の長所を活かせる職を得る。そして末っ子もオリジナルの道を開拓しているようで、アドベンチャーファミリー。

ココ大&フィルム・コミッション的な2024年3選。
【3作品が公開や放送】
こんな所で裏切り飯」「笑うマトリョーシカ」「がんばっていきまっしょい(アニメ版)」の3本が愛媛県が舞台&題材で登場。その他、バラエティ番組などもあったけど、概ね良かったのではないか?2025年は2作品が登場予定。

【授業回数が700回に到達】
2011年6月4日の開校以来、コツコツと授業を重ねて700回目を迎えて2024年は703回。2025年もコツコツと重ねる予定で710回かな?
久しぶりに申込者数が100名超の授業もあったりと続けていれば色々あると実感。

【愛媛のラジオ局制覇2回目】
南海放送ラジオ(週刊ココ大ラヂオ/毎週)、NHK松山放送局(ひめゴジ!/隔月)だったレギュラー出演に「FMえひめ(エールラボえひめ/毎月)」が加わり、2度目の愛媛のラジオ局制覇。
慣れとは恐ろしく、最初は苦手意識が強かったのに“〜っぽく”話せるようになったのは成長の証か?

明日から2025年、コツコツと積み重ねていこう。

2024年12月22日日曜日

子育てについて。


遅ればせながら妻の誕生日、そして長女、長男の新たな門出を祝って乾杯。
それぞれに暮らしている二人は、それぞれが自分が描きたい世界へ踏み込み、私たち夫婦の知らない世界へ進む子ども達を誇りに思ったり。

一緒に暮らしていたから、考え方や物事の見方、好きなモノやコトなど、多少の影響は受けているとはいえ、働き方(生き方)は決して同じ/一つとは限らないという話。
選択肢は無限にあり、選択できる意思を育めるかどうか?も子育ての範疇かもしれない。

振り返れば私も同じで、百貨店勤務の父の影響で百貨店勤務に憧れたか?と言うと全くなく、単に“好き”だった映画の道へ進もうと思うも、よくよく考えてみると美術畑だった父、美大卒の母から自分が気づいていない影響を受けていたのかも?と思ったり。

次男とは別機会に食事。
彼もユニークで、姉、兄の固定概念的な考えに縛られない進学を見ていたから(そんな道もありなんだ。)と思っていたかも。

一年半ぶりの再会でも“昨日の続き”みたいのが家族。
いろいろ話を聞いていると、次男は音楽や言語、哲学が好きは変わっていなく、読書をしては自分の中で考えをまとめていて頼もしい。

すると親は勝手に(末は妻と同じ研究者かな?)と思うも、そんな単純な話ではなく、この先、新しい職ができたり、もしくは新たに拓いたりするかもしれないと思うと、親は応援団として見守るのが一番と理解する。

やはり両親が私にそうしてくれたことって、我が子にも同じになる傾向あると思った件。

2024年12月19日木曜日

仁義なき商売。


12月15日、16日は「世田谷ボロ市」。
去年は週末と重なり、ものすごい人出だったけど今年は16日が月曜日ということもあり、少しは空いてるかな・・・と思い、妻と出かけたら昨年同様の混み具合で真っ直ぐ歩けずのおおにぎわい。
さすが447回目(1578年から)の歴史は伊達じゃない。

最寄駅から京王線下高井戸駅まで1本、その後、東急世田谷線(路面電車)に乗り換え世田谷駅で下車すると、そこはボロ市会場の端。

道の駅+蚤の市+骨董市+手づくり市+フリマ+飲食店+@の合同市みたいだから“なんでもアリ”のカオスな会場。
会場は商店街や住宅街も混ざっているからお住まいの人が玄関先で余剰品などを売ってたし、警察も警備も東急電鉄も区役所もボロ市を見守ってた。

有名な代官餅を買えれば・・・と列の最後尾を見つけたと思ったら更に角で折れ曲がり続いて断念など、とにかく人出がすごかった。

16時を過ぎるとググッと冷えてきたので温かい飲み物を探すと、右側に400円でコーヒーが40売っていて、左側では100円で甘酒が売っていて甘酒を選ぶ。
ノーマーシー(非情)なユーザー(私たち)、仁義なき商売。

そして、妻の目に止まったのは40cmほどの貝。
内側の螺鈿が美しく“THE 貝”という形に「長男君の静物画にどうかな?」と、その場で長男君に連絡すると欲しいとのことで購入。
お値段は5,000円。高いか?安いか?はその人の価値観。

偽物ブランドもあった玉石混合の品から、ホンモノというか掘り出し物を見つけ出すのって楽しいけど大変(真剣)!と思った件。


2024年12月1日日曜日

家族の話。


私の貧弱な食生活を心配して義兄夫婦と義母が夕食に誘ってくれる。
一人だと食生活に無頓着になり偏食になりがちで、感謝と申し訳なさと・・・。

並んだ食事は「香港」の中華料理。
ローカル番組でも取り上げられたこともYoutuberが取材したこともある、松山では有名な街中華。
名物料理(チャーハン、豚天、海老天、酢豚など。大学芋はなくなったとのこと)がズラリと並ぶ&私の好物の義母特製の春雨サラダも並び、(今日は何か特別な日だったかな?)と思ったら、姪っ子の進学が決まった祝賀会でした。

そんな姪っ子は姉妹。キャーキャー言い合うお年頃でとてもにぎやか。

そんな光景を懐かしく思ったのは、私も妻も現在は“無音”な生活をしているから。
我が家の昔を思い出すと5人で暮らしていた時は、誰かしら何かしらコトが発生して常に臨戦体制だったけど、それが普通で楽しんだ思い出。

そこから16歳で長女は旅立ち、17歳で長男は旅立ち、18歳で次男が旅立ち3年。
個別には会えても家族5人が揃う機会はないかもしれないと思うと、寂しく思ったり(涙)。

ホント、16年ほどしか子供たちと一緒に過ごせないと思うと、積極的に子育て関わった方が良いとアドバイスするのもわかるでしょ?と。

と言う振り返りを夜風に吹かれながら義兄宅から徒歩で45分かけて家路につく。

2024年11月22日金曜日

全く何の心配もなかった件。


予想外に午前中で満足行く結果となり用務終了。
時刻は11時すぎ、昼食まで早く二択「スーパーへ買いに行くか?それとも帰り道に食べて帰るか?」となり、風冷だったので温かくなりたく、通り道を頭の中で描いたら「ニューポカラ」が浮かんできたのでGO!

前回は松山を訪れていた長男くんと8月14日だったのね。
店に着くまでは「サグマトンカレー」を注文しようと決めていたのに、「今日の日替わりは、シーフードカレーです。」とオススメされたので、シーフードカレーにナン、辛さは1、飲み物はアイスコーヒーに決定。

時刻は11:20頃。次々とお客さんが続々と入ってくる。私が入った時は既に3組がいたから、この時点で店内は80%ほど埋まった。

飲食店の倒産ペースが過去最悪と予測されてる2024年(1月-9月で650件、この調子だと過去最多だった780件の2020年を抜いて870件ほどになる可能性・・・と帝国データバンク)なのに、この“常連客”でにぎわい店内。

なぜ“常連客”と分かったか?
それは隣席では初ニューポカラの方を連れてきた常連が店やメニューを説明してたし、違うテーブルでは店員と親しげに話していたし、別の組は会計時に「また!」と声を掛けていたから。

そうこうしているうちに注文した日替わり(シーフードカレー)が、デカいナン(バター塗り)とアイスコーヒーと来た!
ミニサラダ付きで、これが880円(税込)だから、お得。ちなみにナンはお代わり自由。

今日も店内は常連客などで賑わうんだろうな。フレンズの店は何の心配も要らなかった件。

「今日もおいしかった!」と精算。で、またお客さん来店。

2024年11月19日火曜日

アートの体幹。


一人暮らしを始めた長男くんと3ヶ月ぶりに再会。
先日は人生初となる作品の展示販売会を行い、売れたようで何より。
親としては“せっつく”より、見守る立場と思うので本人から直接聞けて自信もついたようで嬉しい、これでプロの仲間入り。

積極的&精力的に動いているようで、その結果、新しい出会いや気づきなどが多々あるようで開拓精神を受け継いでくれた感じ。

私は長男くんのように絵は描けないただのアート好きでしかなく、話を聞くことしかできないけど、お互いに納得したのは「デッサンでもビジネスでも共通するのは基礎・基本をキチンと鍛えているか?描く際の体幹、企画立案の体幹ともいうべき所はシッカリ抑えなければ応用はない。」と言うことだった。

基礎・基本が確立されているからこそ、変化しても外れても構図や構成に違和感は覚えないという感じ。
企画立案で言うなら、コンセプトや目的が明確で確立されていれば、手段は時流に合わせても問題ないのかもしれない。

で、ラス・メニーナス(女官たち)。
1656年にスペイン黄金期を牽引した巨匠ディエゴ・ベラスケスが描いた傑作。

それを300年後の1957年に75歳のピカソが再解釈をして構成し直した58連作。
誰でも描けそうな落書きのような絵だけど、見入ってしまうのは見れば見るほど“じゃない”と分かるから。

58連作だから一つだけみれば変だけど、他と比較すると色々と発見や気づきがあるのも、そもそもベラスケスの完璧な構成、ピカソの卓越した基礎があるからだよね・・・と3時間談義。


2024年11月17日日曜日

図書館に泊まる。感想。


2024年11月9日(土)18時から11月10日(日)8時過ぎまで、IYO夢みらい館で行った「図書館に泊まる。」授業の感想。
多くの方に楽しんでもらえ、企画者としてはこれ以上ない手応えだった件。

  • 図書館にテントを張ったりキャンプ気分で楽しむことが出来るのが、斬新で良かったです。
  • とてもいい体験になりました。寝る前も起きてからもずっと本に囲まれて幸せでした。
  • 子供は数日たった今でも図書館でのお泊まり楽しかったね。また行きたいね。とよく言っております。
  • 私も普段はゆっくり本を読む時間がないのですが、今回はゆっくり色んな本を読むことができてとても良かったです。
  • 普段夜更かしをしない子供が、ずっと本を読み続けていたので、こんなに集中力があるんだなと気付けました。
  • 本を読んでいると、時間が過ぎるのが早くてビックリしました。
  • 夜の図書館はいつもと雰囲気がガラリと変わっていました。
  • 人も少なく静かで読みたい時に読みたい本を手に取るとワクワクしました。
  • とても貴重な体験をさせて頂きありがとうございました。
  • 本が大好きな長男はまだまだ時間が足りない!もっと読みたいと言いながらも、眠くなるまで本に囲まれて好きな時に好きな本を好きなだけ読むことのできる非日常体験がなかなかないので非常に喜んでおりました。
  • 私も本片手に寝落ちする幸せな時間を過ごすことができました。是非また参加させて頂きたいイベントでした。
  • 私は何も買わないのに本屋さんに行ってしまうのですが、それがなんでだろうって考えてみると、本に囲まれたあの空間が大好きなんだいうことに気が付きました。なので、今回この企画を見た時にただそこにいるだけでも落ち着くだろうな、って思いました。
  • 実際泊まってみて、やっぱり本を読んでいなくても落ち着くことが出来ました。とても貴重な体験だったとともに、また参加したいと思いました。
  • デジタルデトックスにもなり、とても有意義な時間を過ごせて良かったです。
  • いつもはダラダラしてるのに気づいたら日をまたいでいて、夜更かしをしてしまうのですがそれがなかったこと。いつもより早く眠くなってすぐ眠りにつけました。これも本の力なのでしょうか…
  • テレビやゲームのない静かな環境で子どもとゆっくりコミュニケーションをとれてよかったです。本好きにとってはとても贅沢な時間でした。
  • 子どもも私も、ゆっくりできたことで普段は手に取らない本も楽しむことができました。
  • 子どもはテントで泊まるのがはじめてだったのと、図書館という環境でゴロゴロ好きな場所、姿勢で本を読めたことに興奮しておりました。
  • 気になった本を時間を気にせずに読むことができて、とても楽しく過ごせました。
  • 普段だとあまり立ち寄らないジャンルの本棚をじっくり見ることができて、おもしろかったです。こんな本もあるんだなと新たな発見がありました。
  • 参加者の人数も少なめだったので、特に寝るときなどは、一人ひとりが比較的ゆったりしたスペースを使うことができてよかったです。
  • オリエンテーションや人前で感想を言ったりするのが個人的には苦手なので、参加者に委ねてくださる自由な時間が多くてありがたかったです。
  • 本を読んでいる人が多いのでと消灯時間を遅らせていただいたり、寒くないか声をかけていただいたりと、スタッフのみなさんの気配りがすばらしかったです。ありがとうございました。
  • スタッフの皆さんは運営が大変と思いますが、この授業はこれからも末永く続けていただきたいです。この楽しさはぜひ、多くの人に体験していただきたい!

2024年11月16日土曜日

額装化推進!


我が子の描いた絵などは手元に残しておきたいから保管しているものの、飾らなくてはもったいない!と思ってから、作品は額装して飾っている我が家。

ココ大付属学園でも子ども達の落書きや写真などを飾っていて、ペラペラで飾るより、サマになるから保護者からも喜んでくれる。

「(描いても、作っても)捨てられちゃうんだよね」という子供の嘆きを何とかしたい気持ちもある。


でも、額装って手間だし、お金もかかるし、億劫になるけど、それまで単なるペラペラなモノが途端に作品化になるのはいい。

と言いつつも、額は高いのでもっぱら100円ショップで購入(100円ショップでも良いものが増えてる!)

長男くんが描いた油絵と習作を額装。でも作品は既成サイズではないので額装屋さんへ行く。
店員さんからアドバイスを聞き、台紙やフレームを選ぼうと材質や色、デザインなど数十種類からピン!ときたものに決める。
ちなみに最近の額装の表面はガラスではなく、高透明アクリルパネルが主流とのこと。

全て整えて代金を算出してもらうと2つの額装で計2万円超だった・・・。
一瞬、高額に思えたけど、これから先、何年も楽しませてもらうわけだし、仮に20年間楽しめたら1年1,000円、1ヶ月80円ほど。全然高くない!

来年度もフレームづくりを申請しようかな、今年は円型と正方形型のフレームを作った。
額装化推進!

2024年10月27日日曜日

孤独な休日。


東京宅へ来ても家族は不在(妻は海外へ出張、長女、長男、次男はそれぞれ暮らしている)。
松山での単身暮らしと全く変わらない!変わっているのは窓からの眺めと周辺の生活音。

一人の夕食を済ませ、TVをつけてもピンとこず、TVで配信作品(往年の名パロディ映画「スペースボール/1987」)を見て故ジョン・キャンディを偲び、眠気に襲われ布団を敷いて就寝。

朝は(松山では絶対にしない)湯を沸かしてコーヒーを淹れ、冷蔵庫にあった素材で適当に朝食を作る。

観葉植物を陽に当てるためにベランダへ出し、掃除&洗濯して、PC作業をしながらTVをつけるとワールドシリーズの初戦、LAドジャーズが負けていたので(初戦はNYヤンキースの勝利か・・・)と思いTVを消してPC作業に戻り、多めに作っておいた淹れたコーヒーを飲み干す。

その後はテーブルにあった本「自分で”始めた”女たち(さまざな分野で活躍する112人の女性へのインタビュー)」と言う本を読みながら(さっきのコーヒーを残しておけば良かった)と、新しいコーヒーを淹れて読書を続ける。カッコいい女性の生き方に刺激を受ける。

まっ、こんな一人があってもいいかも・・・と、冷蔵庫内をゴソゴソ探し、チョコなどスイーツを見つけて、一人達成感&満足感を得る。

何をするわけでもなくパソコンを開くとドジャースが延長の末、逆転サヨナラ満塁ホームランで勝利と知ったら腹が急に減り、また冷蔵庫を見るとニンジン、ジャガイモ、タマネギがあったので、カレーをつくり、昼も夜もカレーを食べる。松山では料理は一切しない。

10月は出張が多かったし、ここらで一息な休息日。
(こんな日があってもいいよね!)と、一歩も外に出ず、散歩もしなかった自分に甘い週末。

2024年9月29日日曜日

28年。


聞けば美味しいと評判のケーキ屋へ電車を乗り継ぎ、隣町まで行ったという長女。
長男と一緒に結婚28周年を祝ってくれる。

毎年、自分たちは忘れがちで、過ぎ去ってから思い出すことも多い結婚記念日。
子ども達に大感謝。

ちなみにこのケーキ、評判通りの美味しさで特に底のビスケット状の器がサクサクのザクザクでとても美味しかった。

ケーキを食べながら28年間の振り返り。
私たち夫婦がNYの日本食レストラン「しゃぶ辰」で偶然に出会ったのが30年前。

妻(当時は学生)と私(大学を退学し日本へ帰るにも帰れなかった人)は、店長や料理長ら周りに恵まれて過ごし、公認の仲に。

その後、NYから帰国し結婚するのだけど私24歳、妻26歳に「若すぎ!」と我が子達。
現在、長女は26歳、長男は24歳。その年頃で結婚しているのだから彼らが驚くのも分かる。

でも当時の当人たちにはそんなコトなど分からないまま、職も金もないまま結婚(笑)。
ホント、何にもなかった。私が職(それもアルバイト)を得たのは25歳から。
その後、愛媛製版センター→ネットイヤー→愛媛県庁→松山市役所→ココ大+ジャパンFCがキャリアパス。

だけど結果的に次男(20歳)も含めて、色々と大人の会話ができてるって嬉しいし頼もしい。
「気づいたら・・・って感じだよね。」は共通で、結婚30年は「真珠婚」とのこと。
25年の銀婚式について日記に書いていないということは気づかなかったのか・・・。

2024年9月25日水曜日

無料アクティビティ。


8:00過ぎに出発して8:30頃の電車に乗り、高尾山口駅に着いたのは9:20頃。
平日の朝だから人は少ないと思っていたものの、やはり世界一の登山者数を誇る高尾山。小学生たちが駅前に陣取ってました。

「どの道にで行こうか?」と気分転換に付き合ってくれた長男くんと相談。雨の後だし舗装されていない道はグチャグチャだね・・・と、行きも帰りも1号路で決定。

てくてく歩き続け“自分が試される坂道(≒急坂が続き、ゼーハーゼーハー息があがり、雑念を払い無心で前進するしかない)”を30分ほど歩いて、やっと1/3。
平坦な道になり、山門入り口に到着。ここからはリフトの人もロープウェイの人も混ざり階段を上がったりして3/4。

最後はグン!と下りて上がる道を抜けたら599mの山頂広場が見えてくる。その手前で顔を洗い、トイレに行きスッキリして山頂到着!高尾山口駅から山頂広場まで約70分で到着!

で、富士山は・・・と言うと曇天で隠れて見れず。
でも、周りの皆さんは登頂できた達成感でスッキリ顔(私もそう見えたと思う)。

富士山が見えなかったから・・・と、帰りに名物「天狗焼き(200円)&三福団子(400円)をご褒美に買おう!」と自分に甘い!んで、疲れた体に沁みる美味しい!

家に戻ったのは13:00過ぎ。休憩を挟んでも仕事ができる時間帯なのだから、お得感あり。
上がるだけなら無料のアクティビティ。

2024年9月15日日曜日

無料のアトラクション!


三津浜焼きに満たされて、「三津の渡し(松山市道という渡船。約80mの距離を結び、年中無休&無料で乗れて年間4万人が利用)」へ向かう途中に「港山城跡(建武年間/1334-1336に河野通盛が湯築城を築いた時に海の守りとして築城した)」という看板を見つけたので、上がってみる。
城跡だから何もなかったけど、港町の様子がいい眺めだったのでロケハン用に写真に納める。

そして渡船乗り場が見えたけど、以前に長男くんが松山滞在中に絵を描きに訪れ、住職に声をかけてもらったという「三嶋神社」へお礼を兼ねてお参り。
階段をあがりお賽銭を入れて振り返ると、ここからも港町らしい眺めが良くて写真に納める。

既にここまで30分程度の散歩(自主ロケハン)で汗だく。
ちなみに、ソフトタイムから渡船乗り場までは約180mの距離。普通に歩けば3分程度で歩ける。

渡船乗り場にたどり着く。
すると、80m向こうの対岸に停泊していた渡船が私に気づき、ボッ!ボッ!とエンジン音を立てながら、ゆっくり旋回してこっちにやってきた!
特に何のサインも送ってないのに自動的に船が迎えに来るって、旅行者には魅力と感じるコンテンツかもしれない。

そして乗船。わずか3分ほどで対岸に着くけど、ジャングルクルーズ(ジャングルではないけど)のように手を伸ばせば水面に触れられる近さは無料のアトラクション!

ほんと、あっという間に対岸に到着したけど、ここまでで達成感&満足感その2。
でも、目的のライフプランセミナーにまだ辿り着いていないのだった。

2024年9月9日月曜日

フィルム・コミッション冥利。


昨晩から「スペシャルドラマ坂の上の雲」が放送され、3月まで全26回の放送が予定されているとのこと。これほど大掛かりな撮影は今後も現れないと思う。

初回放送は2009年11月29日だったのか・・・。松山での撮影は2008年だったと記憶。
でも2007年には既に時代考証やロケハンなどが始まり、えひめフィルム・コミッションではあったものの、愛媛県庁から松山市役所へ転職したのは「坂の上の雲」も大きな要因だったと振り返り。

現代の愛媛で明治・大正時代のロケ地を探すのが本当に大変だったなかで、内子町石畳地区の屋根付き橋での撮影は第三部まで登場したし、松山城でも若かりし真之のヤンチャぶりの撮影をどう撮影したらいいか?悩んだし、七五三ケ浦海岸で小舟と撮影船を出しながらの撮影など、長期撮影お疲れ様でしたという感じ。

最終回は二の丸史跡庭園前で撮影があり、街中を行き交うエキストラを集めなければならず「子供が必要でして、それも丸坊主にしてもいい子っていますか?」と言われて、他の子を丸刈りにはできず、我が子に相談。

当日、メイクさんによって丸坊主にされた我が子(長男くん、次男くん)の記念撮影がこの画像。

この後、鼻穴に“鼻水”という設定で水飴を塗られ、小坊主として鼻をペロペロしながら馬に乗って北高校へ出勤する好古さんの所へ駆けて行くというシーンは、シッカリと映ってた(笑)。

初回放送から15年が経ち、改めて見直すとまた新しい気づきなどがあるんだろうな。
こういうタイミングにフィルム・コミッションとして携われたこと、時が経つほどジワリと沁みる。

2024年8月16日金曜日

面河渓谷ロケハン。


清涼飲料水、水などのコマーシャル撮影を提案し続けている面河渓谷。
未だ撮影が実ったことがない(涙)。

「マンハント(2018)」で巨匠ジョン・ウーがやってくるかも!
と、面河渓谷の激流や四国カルストでのセットなどをロケハンした過去。
結局、条件が合わず撮影は実現しなかったけど、世界に通じる自然が愛媛にはある!と分かる。

ロケハンを続けていると「ココ(面河渓谷)は外国人に人気になるのも時間の問題だね。」と長男くん。その理由は「川の水量と色がとても美しい」から。
川面の色は光の反射角度などで常にユラユラと変化して、その様がキラキラと美しい!

「素材は秀逸だから、あとは活かすだけ!」は長年言い続けているけど、なかなか実現しないのは、各ステイクホルダーの優先順位が違うから。

地域にあっては誘客よりも優先順位が高い、または緊急性が高いコトも多く、撮影を自ら仕掛けると手間も費用もかかるので、「撮影の声がかかるのを待つ」が一般的。

でも「撮影の声がかかるのを待つ」は月日の流れに任せることと同じなので、20年以上が経過。
とは言え、20年以上を経ても自然の美しさは全く変わらない・・・と言うのもスゴいけど。

面河渓谷には海外の人はおらず日本人だけ。
撮影で有名になるのが先か?SNSによるバスりで有名になるのが先か?それとも、このまま推しスポットとして静観がいいのか?

愛媛のロケハンでいつも思うコト。