日記を検索

ラベル 家族 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 家族 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2023年6月18日日曜日

Best Ecorche of the Year.


高校2年生の1学期に通っていた高校を辞めたいと相談されて、私も妻も戸惑ったのは事実。
でも、無理やり行かせるのは間違っていると思ったし、長男くんはその先を考えていたし、親として応援しようとシアトルへ送り出したのが17歳の夏。

シアトルでは語学や絵画などを学び、より専門的に絵画を学ぶためにフィレンツェへ渡り、将来は画家になりたいと夢を語ってくれて、自ら奨学金を申請して獲得。
フィレンツェでの生活が始まると、友達にも恵まれて切磋琢磨な環境で、出入り自由なアトリエで好きなだけ作品に向かい合えたのがよかったのかも。

一年目があっという間に過ぎ、2年目。親としてはどんな環境で学んでいるのか見たくて2月に学校を訪問。塑像授業(Ecorche)は一年間、解剖学など学びながら人体構造を学んでいて、自分でつくる骨格に感心したのを覚えてる。

そして、取り組んだ成果が「Best Ecorche of the Year」の受賞。親は表面しか知らないけど、本人は苦労を多くしてるはずで、これまでが少しでも報われて欲しいは親の願い。

今日は父の日。思いがけないハッピーニュースに小さい頃から絵を描くのが好きだった幼少期の長男くんを思い出して涙。

2023年6月8日木曜日

魔法のテーブル。


上京すると、家族がココ大の13回目の開校記念日を祝ってくれる。コロナ禍ですっかり祝い事から離れてしまったけど気持ちが⤴️。
「ココ大と仲間(協力者)」と「ココ大と家族」では祝い方が違い、ココ大の妄想段階から知っている家族とは話題が違う。
その一つがケーキを置いているテーブル(1m×2m)で、このテーブルは結婚した時に購入したので27年間、私たち家族と過ごしてきた。巨大なので引越しの度に苦労したけど。

「このテーブルから色々な企画が生まれたね。」と妻。書斎を持っていないので、このテーブルで仕事や作業、子ども達は宿題や勉強、家族では食事や団欒などをして、今もこのテーブルでPCを広げて日記を書いてる。
広いから紙を広げて構想を描いたりしたこともあり、このテーブルはこれまでのアイデアを支えてきた知られざる存在。

話を戻してココ大。まだ13年?もう13年?という感じだけど、これまでの600回以上の授業を振り返ると、ユニークな授業が色々あり、そんな授業を企画できた愛媛県のポテンシャルは大きいが総意。
そして、新たなアイデア(企画の前段階)の一歩が始まる!地域の特徴を上手に活用できないか?から始まり草案完成。進みますように!

2023年4月23日日曜日

再会。


「オレさぁ、愛媛の海鮮BBQの味が忘れられないんだよ。あそこ、まだやってる?また行きたいな愛媛。小田原の魚もうまいけど、全然魚の種類が違うじゃん?イカとかエビもあったよね?美味しかったな」と帰り道にしゃぶ辰の父と。
昨年、7年ぶりに再会した「しゃぶ辰の父と母」。その7年前と言うのが、お二人が愛媛に来た時に大島などを観光した思い出。今回、連絡をするとお二人がわざわざ出てきてくださる。

ほんと、私には4人の母(実母、義母、アメリカの母、しゃぶ辰の母)がいて、アメリカの母は2020年に亡くなったけど、エピソードは残る。
しゃぶ辰の母は長年、マネジャーをされてい店頭に立っていたからか超がつく「気がまわる」人。私たちがお誘いしたのに、集合場所のレストランに先に到着されて、店前で待っていてくれ、遠くから私たちを見つけては手を振ってくれる。ちなみにしゃぶ辰の母は70歳超。

ニューヨークの飲食業界を牽引されてきた二人は引退後、悠々自適の毎日で海外へもひょい!と行ってしまうほど身軽、とても70歳超の夫婦とは思えないカッコよさ。
お二人に会ったのは私が21歳-22歳頃だから、もう30年!NYで複数のレストランを経営してきた方と単なるアルバイトだった私と妻。
あの時に今なんて想像すらできなかったけど、当時は皆んなで楽しんだのだけは事実。

墓参り。


2年ぶりの墓前で報告したのは家族や仕事のこと。高齢で外出が難しくなった母の分も含めて色々とお伝えして去る。
周辺からは富士スピードウェイの音、自衛隊の演習と思われる低い号砲音。富士霊園まで約2時間、時代の移り変わりと共にお墓参りも様変わりしているようだけど、ここは昔ながらのTHE 霊園という感じで喪服や制服を着ている方が親族らとの再会なのか談笑。
故人は引き合わせているのね。

帰りのバスを待っていると、妻が「映画かな?」とパンフレットに手を伸ばして開く。すると映画?PV的な作品の紹介がされていて、そのロケ地マップとわかる。
(広大な敷地の富士霊園だからロケに相応しい場所がたくさんあるだろうな)と、墓参りのイメージしかなかったけど、これ以上「ロケ地」に適した場所もないよなと(広大だから霊園ではなく公園のようにも見える。)

朝早い出発だったから朝食抜きで腹が減る。とても昼飯まではガマンができないとなり、駅周辺をキョロキョロすると、よくある「蕎麦屋」が目に入り、天ぷら蕎麦を夫婦ですすって温まる(愛媛・四国の方が指摘する“関東の出汁は黒い”というアレ、でも美味しい)。
片道2時間以上のミニ旅、便利な世の中になっても省けない、効率性ではない墓参り。

2023年3月20日月曜日

平均年齢64歳。


法事で集まった16人の親族の平均年齢は64歳(86歳〜51歳)。そして私は16人の中で一番の年下!
お世話になった叔母様の一周忌で集まったメンバーとは30年ぶり以上!の人もいたり、小学生以来の再会があったり、正直に言ってお互いに歳をとり過ぎて「誰が誰だか分からない」状態(笑)。
しかし、噂は飛び交っていたようで「あなた、面白いコトしてるようじゃない!飛び回ってるんでしょ?」とオジ様、オバ様たち。

父やオジ様、オバ様たちは85歳前後だから“気を許す”と直ぐに「どう逝くか?逝きたいか?逝った後に残された人へどうできるか?」など、冗談とも本気とも思えない話題になる。
「一人なんだから緊急通報はオレにしてくれよ」と82歳(父)が85歳(オジ様)に真剣に言っているのだから息子(私)は苦笑いするしかなく・・・。「でも、その“ボタン”が押せないと思うんだ・・・。」とオジ様。うーむ、私たちはどうすればいいのか?

その後も話し足りなかったからかロイホに移動。仲良しの82歳と85歳は「あんみつにコーヒーをつけてね!」と一緒の注文。「先は短いから・・・」と言っている側で、美味しそうに食べるお二人。
集まった皆さんのお住まいを聞けば中央線沿いだったりして電車一本で会いに行ける範囲だけど、そこは東京。松山では親戚とはサクッ!と会えているから、それは貴重なのだと。

2023年2月24日金曜日

最後の夜。


21日間にわたるブレンデッド・トラベル/ワーケーションも最後の夜。ウィーンでの夕食は「鍋にしよう!」となり、義兄夫婦、甥っ子と共に買い出しへ行く。
野菜(白菜、ちんげん菜など)や豆腐、肉などを入れてポン酢でいただく(写真は買ったスーパーではなく、近くの市場)。
21日間を振り返れば、各地での色々な思い出がよみがえり、各地で暮らした経験のある義兄家族と意見を交わしてワイワイガヤガヤで時が過ぎる。最後は全員で記念写真を撮って再会を約束。

お土産リストの確認、一人ずつ顔を思い出しながら土産をセレクト。途中で土産用に買ったものの食べてしまった品もあり、あーでもない、こーでもないと悩みながら妻とパッキング。
行きはパンパンに(土産用の)日本食が入っていて、帰りは行きに比べて軽くなる予定だったのに意外と膨れた・・・。でも、お土産を買うのも旅の楽しさの一つ、喜んでもらう顔を想像したら、重さなんて問題ナシ!

「時差ボケ(8時間)の調整に徹夜して飛行機の中で熟睡しようかな。」と話していたけど、やはり眠気には勝てない。
(まだBt/Wcを続けたい気持ちが半分、松山に帰りたい気持ちが半分の複雑さってこういう心境なんだ・・・。)と、布団に入り考えながら寝落ち。
とは言え、旅は家に着くまで終わらず、これから「最後のヤマバ」となる帰り道がある。無事に帰れますように!とウィーンの夜は静かにふける。

2023年2月22日水曜日

どれだけ楽しめるか?


「高尾山とか登ってるんでしょ?」という流れで、「ウィーンの森に行こう!」と、お誘いをうける。ウィーンの森ってなんだか“どうぶつの森”っぽく、どこなのか?さっぱり分からないけど、これまで訪れた街では自然に触れていないので「ぜひ!」となる。
電車にのり、次はバスにのり、山道を上ってゆく。バスの終着駅は旅番組でよくみる「あの光景」で、先日訪れた国連やドナウ川などが見えて、意気揚々にハイキングスタート!

と、思いきや「ん!?この道は違うな・・・」と、いきなり道に迷う(笑)。来た道を戻り、気を取り直して再出発!
山道を歩き開けた景色は、写真のような「なだらかなブドウ畑越に見えるウィーンの街並み」。感激していると「あれ?さっきまで青空だったのに、あれは雨雲?」と言ったらポツポツ雨粒が降ってきた!「傘がない!」

30分前まで快晴だったのに雨雲がどんどん迫り、ポツポツ雨はザーザー雨になり、一つだけあった傘は妻が持ち、義兄と私はズブ濡れになりながら山道を降りる。でも、ここまで降ると楽しむしかなく、いい思い出になる(笑)ウィーンの天気は変わりやすい!
家に戻り着替えて休憩も挟まず、再び街に出てウィーンを楽しむ。何があっても“どれだけ楽しめるか?”は自分次第。

2023年2月20日月曜日

大いに甘える。


義兄夫婦との出会いは30年ほど前。NYで彼女(現在の妻)と知り合い、付き合い始めて紹介されて、当時から付き合っていた義兄夫婦。これまでにアメリカ、ベトナムなどでも暮らし、海外生活の方が長い。
そんな義兄夫婦に相談をすると、快く部屋を用意してくれてウィーン滞在の始まり。ホテルと違う心地よさがあり、コーヒーを淹れてくれたり、洗濯機がまわせたり、大いに甘えさせていただく。

我々も50代になり、これまでのキャリアからこれからのキャリアをどうするか?は重要で、夫婦同士、赤裸々に同じ話題で話せるのは30年前と同じ(笑)。
独断と偏見で書くと海外の人は職に誇りを持っている人が多く見えて、例えばアルバイトかもしれないけど、商品の説明(魅力)やお客(私たち)への心配り(おもてなし)がしっかり届き(これがマニュアル対応だったらスゴいな・・)という場面多し。

話を戻し夕食。義姉が用意してくれたのは日本食(豆ごはん、味噌汁、サラダ)+ウィーン(骨付き肉を削ぎ落として食べる品)の名物で、この3週間、全く口にしてなかった日本食。
「やっぱり、日本(食)はスゴイよ」とも話題になり、地域の資源をどう編集してコンテンツ化して売り込むか?
「ヨーロッパの人は日本文化(アニメなどから)に興味あるし、理解もあるから、ポテンシャルは高いはずだよ」と義兄。ヒントもいただき、大いに甘える。

2023年2月17日金曜日

親の気持ち。


長男くんと共にローマからフィレンツェへ移動(特急で90分!)。
済美高校を2年生の1学期に退学、シアトルのカレッジへ留学し、アートの世界へ進みたいと自分で探してきたのが「フローレンス・アカデミー・オブ・アート」。
奨学金も自分で獲得して自らを切り拓いている長男くん。
そんな長男くんが学校を紹介してくれると言うので、フィレンツェ中心部からバスで30分ほど揺られ下車、徒歩数分で到着。

学校は想像よりも静かで広く、一人一人が自分と向き合ってる雰囲気が漂う。指導する先生たちはスターウォーズの制作に携わっていたりなど、ユニークな実績を持つ方々から刺激を受けているよう。

そして、Instagramで見ていた作業スペースや制作途中の習作など、色々と説明してくれたのは自分と真摯に向き合ってる証で、親として嬉しい限り。
そこへルームメイトがやってきて挨拶したり、充実しているよう。父と母は菓子折りで(極めて日本的に)ご挨拶。

「描いたけど納得できなくて、描き直すんだよね。」と習作を見せてくれた長男くん。
演習提出日が迫っていて、その時間を確保したいからと親子の時間は少し短くなったけど、すごく嬉しくて、その判断に大賛成だった私たち。
親は子どもにどれほど寄り添えるか?私たち夫婦も互いの親にそうしてもらったんだよなと。

2023年1月15日日曜日

家族の話。


母は四姉妹の末っ子、鹿児島出身の「薩摩おごじょ」。叔母たちは88歳、86歳、84歳と老いても元気な様子で人生100年時代が目の前にあった件。父には兄と妹がいて叔母は昨年亡くなった(その時を悟り、わざわざ松山まで会いに来てくれたのは宝物)
法事の話もあり立ち寄った実家で「あれ?もしかして私が作ったピッチャーじゃない?」と、30年以上前に作った陶器に先日、妻が実家へ持って行った花が生けられてた。

ちなみに花瓶代わりのピッチャー後ろの壁に掛けてある額縁は、私がバージニア州で受けた語学研修修了書(1990年)。
「ボケ防止にカレンダーを使いこなしたい」と言うのも今回の相談で、日記のように使いたいとのこと。聞けば物忘れが多くなり、カレンダーを使いメモで「作付日、天気、順番など」を記入すれば、後で見返すことができて助かる!とのこと。82歳で明確に使い方があるなんていいね!

私が暮らすアパートはモノが少ない殺風景な部屋(荷物を義母の家や実家に置いてるだけ)だけど、実家は多い。記憶にない品々が実家に(大量に)眠っていると思うと複雑な心境。
「処分の判断や処分の仕方が分からないよね・・・」と話題になった時、ピンとこなかったけど、誰の判断がいいのか?ノンフィクションで記録してもいいかもしれない。

2023年1月3日火曜日

食いだめできず。


おせち料理は、正月の三が日、料理をする労力を省くための味と教わった気がするけど、美味しくて、たぶん3日間はもたないだろうな・・と思ったり。日々の食事が貧素すぎて、急に栄養満点な豪華メニューを食べると「胃がビックリ!」してしまう(涙)。
絶対!に自分では作れないメニューばかりで、単身では寂しかろうと誘ってくれた義母や義兄、義姉に大感謝。ちょうど妻も帰省してきた。

食べ慣れた味なら必ず起こる「味論争」。お雑煮は毎年の話題で、焼き餅、丸餅、角餅、白味噌、すまし汁、具沢山、シンプルなど。私が幼少の頃は「すまし汁、角餅の焼き餅、小さな鶏肉、ほうれん草、飾り切りの人参、里芋?+カツオ節」のお雑煮だった記憶。地方ごとに味が違うのも面白いし、各家庭ごとに“定番”が違うのもユニークで、お雑煮の餅を皿に移して納豆やきな粉と食べてた妻にはビックリしたことも。

写真は義姉が作った「フルーツ寒天」、義母家の定番デザート。栗きんとんや団子などの甘いスイーツが多い中で、甘さ控えめ、食物繊維たっぷりのフルーツ寒天は好物。でも作るにはコツ(フルーツを入れるタイミングがズレると沈み美しくないよう)が必要なようで、皆が喜んでくれるよう作ってくれた義姉に感謝。
今日で正月モードも終わり、食いだめもできず日常に戻る。

2022年12月25日日曜日

老人Z。


“いつか”は来ない。の第二弾は親孝行。と、言っても大そうなことはできないので実家に立ち寄り、買ってきた食材を囲んでの食事と会話程度、この程度ならお互いに負担もない。
料理をしたり、泊まったりすると「帰った後」の片付けや掃除、洗濯などが高齢者には負担になる。今はまだ父も母も一先ず元気だけど、確実に老いてきて、“そんな話題”とも真正面に向き合わないといけないアラフィフ世代。

と、色々と巡らせていたら「オレさ、この前、旅行に行ってきたんだよ」「えっ!?誰と?」「兄弟でだよ」と、80代半ばのおじいちゃん達3人組が九州で楽しんできたとのこと。「スゴいね、みんな元気だった?」「そうだよ、〇〇も〇〇も旅行となると元気だったよ」と、一安心。すると「今度はマージャンに誘われてさ」「いいじゃない、楽しんできたら?」「それがさ・・・」「なに?」

「(麻雀を始めると)終わらないんだよ」「どういうこと?」「昼から始めたら、ずっと続くからさ23時には帰らせて・・と言ってるんだ」「パ、パワフルだね」「だろ?」。大友克洋の「老人Z」を思い出す。
父親世代はいわゆる「企業戦士」で、時に滅私奉公で日本の高度成長を支えてきた人たち。この先、どれほど楽しめる時間があるか分からないけど、安心して過ごして欲しいと願うようになったのは私たちも折り返しているからかも。

2022年11月27日日曜日

「好き」がずっと続きますように。


全く想定してなかった「キース・ヘリング」品(フランス製のドミノです。)の寄付。寄付してくださった方には不要になったかもしれないけど、私には宝物だから不思議。アレコレソレ」と、これまでにもキース・ヘリングを挙げてきたけど、ポスター程度しか手元になかったし、なにより真っ赤な箱に描かれた彼の絵がいい。「ココ大付属学園にどうぞ」と、言われたけど、しばらくは手元に置こう。

中学生でリチャード・ハミルトンの作品でポップアートを知り、高校生の時にはアンディ・ウォーホルが好きになり、その繋がりでキース・ヘリングにたどり着き(これだ!)と思ったものの、1987年にウォーホル、1988年にバスキア、1989年にメイプルソープ(は写真家)、1990年にヘリングと好きだったアーティストが次々と亡くなり、多感な年頃だったから色々な感情にもまれたっけ。キース・ヘリングが学んだ大学に入ったのも、そんな影響。

「好き」がずっと続きますように。父は百貨店で美術品に長年携わり、母も姉も女子美術大学、叔母たちも従姉妹も女子美卒。たぶん、その影響は多分に受けいて「自分にとって心地よい作品」を探さなくてはいけなかった環境だったと思う。
先日、フィレンツェにいる長男くんとそんな話をしたら「僕は鴨居令が好きだよ。」と教えてくれた。渋すぎる・・・。

2022年11月6日日曜日

やれやれ。


先日、店頭とサイトでキャリーケースを見て以来、履歴からキャリーケース情報が怒涛に表示される。そして世の中には色々なスーツケースがあるもんだ!とビックリしてコンピューターの思うドツボ。
「自動追尾型で後ろをついてまわるキャリーケース」があるのね!それもこんなタイプも!クルクル回ってペットみたい!と思えば「乗って運転できるキャリーケース」(時速10km)もあって、もはや移動手段。

「キックボードになるキャリーケース」もあるんかい!「世界最薄と、ペチャンコ(5cm)でしまえるキャリーケース」もあった。確かに普段は大きくてかさばるからいいかも。と思ったら、今度は「縦に伸縮するキャリーケース」が表示される。うーむ、奥行きが10cmほど拡張するのはあるけど、縦とは想像してなかった。どれも便利そうで楽しく拝見したけど、どれもケース自体が「重い」のが難点。

PROTEXの超ゴツなキャリーケース(映画「シン・ゴジラ」に登場したのと同じ)が手元にあるけど大きく重く(数キロ)扱いにくくなり「家族の思い出入れ」となりお役御免に。
熟考の末「軽さは正義」となり、極軽量品に傾くも、いづれ買い替える時が来る。それなら生涯保証?となるけどお高い。あーだこーだの中「やっぱり、レンタルかな・・」と妄想が萎む。

2022年11月1日火曜日

メルボルンにて。


誰もマスクも三密回避もしてないオーストラリア・メルボルンの昼下がり。各国の対応はそれぞれだけど、コロナ禍と書かなければ全く気づかない。そして写真を見ると半袖(薄着)もいれば、ダウンを着てる人(厚着)のもいて脳がバグるけど、メルボルンの今は「春」。これから初夏を迎えるそうで、この情報も脳をバグらせる。そして、何と言ってもメルボルンはカフェ文化の街。

「信号よりもカフェの方が多い」「一つ一つの店に超個性がある」「スタバさえも・・・」などと囁かれるほど独自のカフェ文化が成熟・浸透しているようで、人との距離が近い。
そんな街で暮らしている末っ子くんに、妻の出張先がオーストリアで、メルボルンに立ち寄って末っ子くんの生存を確認(笑)。「連絡がないのは元気な証拠」とも言うけど、思い返せば私も親には連絡しなかったから、親になってわかる今昔物語。

適応力というか社会性が高い末っ子くん。メルボルンで早速、ホストファミリーの家からシェアハウス?へ自力で引っ越したようで逞しい。「カフェでバイトできるんだって!」との情報に親は「ぜひ!小遣いは自分で稼いでね!」と伝えてるけど、どうなることやら・・・。
音楽や言語に興味があるようで、可能性の塊だから何でも吸収してねと妻と私。

2022年9月20日火曜日

最後の味は。


フィレンツェへ戻った長男くんが自宅で最後に食べたのが【松山市とのコラボパッケージの“カ〜ル”】【らくれんの“ホームアップ”】。実はホームアップは初めての長男くん「うぉ!なんだ!クリームソーダだ!」と“まんま”の感想。実は私も過去20年間で一度しか飲んでないので、味を思い出せず。でも「愛媛らしさ」を堪能して出発。スーツケース2個に愛媛、日本の味をたくさん詰め込みました。

17歳で高校を中退、シアトル→フェレンツェと渡り海外生活も6年目。「画家になりたい」と思う気持ちは日に日に強くなっているようで、そのために解剖学の本を読んだり、骨董市で本物を見たり、美術館へ行ったり日曜美術館を観ては意見交換したり。
まさか、こんなに早く、こんな時が来るなんて思ってなかったから成長が嬉しいやら少し寂しいやら。幼少期の映像を見て懐かしむ(涙)

実は私の姉の子供(=甥っ子)も美術に進学したいと立ち寄った実家で聞き知りビックリ!姉は美術高校→美術大学→デザイナーになった生粋の美術人。甥っ子がどんな美術に興味あるか知らないけど我が家の血筋なのか。
子ども達の進む道は暗中模索の五里霧中、不確かで不透明だけど、一つだけ言えるのは「可能性が我々よりもある」のは事実。「子供を応援せずに誰を応援するの?」というコト。

2022年9月18日日曜日

モログプラオ。


長男くんとの思い出づくり2022。高尾山からの帰り道、途中駅でバングラディシュ料理を食べて帰ろう!となり、普段ならカレーだけど、味の開拓に挑戦してモログプラオ(鶏の骨つきもも肉が1本丸ごと入ったカレー&炊き込みご飯)を注文。これが美味しかった。「松山では食べられない味だね」となる。幸いに私も長男くんも海外食に抵抗がないので、ワイワイ楽しんで食べる(ただ私は世界の料理共通でトマトは苦手だけど)

「フィレンツェって日本料理屋はあるの?」「寿司屋とかあるよ、だけど美味しくない」「じゃあ、何がヒットしそうかな?」「パンだね。」「パン!?」「そう、フィレンツェはハード系のパンが多いからカレーパンとかクリームパンなどの惣菜パンや菓子パンは無いから絶対にウケるね」「日本のパンは美味しいよね」「日本のカレー屋もウケそう」と妄想して楽しむ親子。

松山だと「ニューポカラ」みたいな感じか。家庭では食べれない味なら定期的に通う。「じゃあ、各地で食べた味で強烈だったのは?」「ケニアでの発酵料理は香りも味も強烈だったね。」「わかる!ネパール料理でヤギのミルクを発酵させてご飯にかけて食べたのは強烈だったな」と私。このモログプラオ、付合わせはゆで卵、キュウリ&人参の酢漬け。そしてレモンでサッパリ。

我が道を愚直に進め


明後日にはフィレンツェへ戻る長男くんとの思い出づくりに霊気満山“高尾山”へ。朝8時に出発、乗り継ぎなどで8:50に高尾山口に到着。長男くんは初高尾山なので、やはり6号路(途中、沢登りもあったりする自然満喫コース、通称“ジュラシックワールドコース”を進むも、世界一の登山客数を誇る高尾山、渋滞が起こるほどの大人気。最後は300段超の心臓破りの階段をあがり1時間超で599mの山頂につく、当然、大混雑の頂上。

10分ほどの滞在で降りる。帰りは舗装された1号路を選択。高尾山は天狗の山なので、所々にある天狗像に見入る長男くん(造形に興味津々)、そして薬王院で「おみくじ」に挑戦すると、ナント!大吉。それもキーワードが【学】で「我が道を愚直に進め」と。「不可能に見えることも情熱をもって学び続けなさい。」「他人の決めた常識にとらわれることなく、自分で決断せよ。予測できなる未来などない。自分で創るものだ。」

今、まさに長男くんが望んでいる内容(新学期が始まると環境も異なるようで、より高いレベルが期待されるよう)とガッチリ合い、私もビックリ。「なんだか、自信が湧いてきた!」との感想で思い出ページに一枚追加。おみくじは寮に貼るとのこと。
「不可能に見えることも情熱をもって学び続けなさい。」っていい言葉。隣で見てた私まで感化される。

2022年6月20日月曜日

末っ子くんも旅立つ。


姉、兄が海外へ行ったのを見送っていた末っ子くん、オーストラリアへ旅立つ。高校卒業後の進路を考えた結果、「外の世界」を見たくなる。目的は好きな音楽に触れること。今は漠然としたイメージでも、交わったり暮らす中で気付いたり、興味関心を持つことも多いから現地の文化にどっぷり浸って欲しいと父。これで妻とも描いていた「我が子を海外に出す」ミッションも一先ず達成。

末っ子くんの感性は長女、長男とも異なっていて、小学生の時から「道徳」でユニークさを発揮。美術も好きで言語化するのも好き。妻とは心理学に触れる話題や私とは思考などに触れる話題を1時間以上話せる面白さ。ぜひ、異国の地でも弁論してほしい。末っ子くんのこれまでを読み返すと「あんな」「そんな」「こんな」などがあり、彼なりに悩んだ時もあったと思うけど彼の周りにはいつも友達がいた。

我が家の場合、働き方、暮らし方に固執がない(=自由)ので、愛媛で生まれ育ったという礎さえあれば、どこで生きようが、どう働くかは不問。それは私や妻がそうだった(今もだけど)ので、子供たちには無意識でも影響を与えていたのかなと。
アドベンチャーファミリーを標榜してるから、これでよし!次は、子供たちの所へ訪れる理由ができたから行かないと!

2022年4月24日日曜日

恵まれて。


「何年ぶり?4-5年ぶりかしら?(実際は7年ぶりでした。)」「ジャイアン(30年前、NYの「しゃぶ辰」での愛称)も原口(妻の旧姓)も痩せた?」など、7年ぶりの空白を全く感じさせないNYの父と母との再会。「俺、72歳だぞ!お母さんは70歳!」「泉谷君、いくつになった?」「50歳です!あれから30年が経ちました。」「そうか、お互いに年とるわよね」と、言うも70代と全く感じさせない父と母。

7年前にも書いたけど、当時は単に経営者とアルバイトの関係。だけど父と母はアルバイトと家族のように接してくれた他、私と妻は付き合うことになり、店では知られた存在になったらか、父も母も色々と気遣ってくれたのを覚えてる(ちなみに私は深夜営業担当だったので、妻とシフトが一緒になることはほとんどなかった)。30年も前なのに時空を越えた昔話は笑話が多くて愉快。

当時は本当に何者でもなかった我々が、こうして報告できるのもNYの父と母が温かく見守ってくれたから。「俺はツイてるんだよ。人に恵まれてラッキーだったな」とニコニコ話す父。それは私たちも同じで、人に恵まれて、今も恵まれてるのだから大感謝。
写真は「トーキョーX」というブランド豚&地域の野菜をふんだんに使った料理。「お客さま、ランチタイムの終了時間です。」とオープンからクローズまでいて「話し過ぎた!」と退席。