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2022年4月10日日曜日

わざわざの価値。


“その時”を悟っていて、東京から家族で旅行中に、わざわざ訪ねてきてくれた叔母が亡くなったと父からの連絡。あの時は25年ほどぶりの再会で色々と話せた他、松山鮨なども食べていただき良かった。人生は100年時代と言われるけど、思いのほか短い。
「ボケる前に会いましょう!」と連絡をくれたのは私の4人の母(実母、義母、アメリカの母、NYの母)の一人、NYの母。私たち夫婦にとって大切な人。

1000km先からわざわざ、訪ねて来られた方が知りたかったのは「公益な価値」の生み出し方。例えば、儲かったなら(なぜ、儲けることはできたんだろう?)と思えば、自信の才能もあると思うけど、地域の文化や人、時代の価値観などに支えられたと思えば、儲けの一部を還元することで地域の発展に貢献できるかもしれない。時間を要するかもしれないけど、すぐに効果の出るものはすぐに効果は薄れるし、ゆっくり効果が出るものは、効果も長い。

メールやオンライン会議、電話でもできるコトをわざわざ訪れて、時間や労力、お金を使ってまで会うことは“時代おくれ”かもしれない。でも、それは相手がどう感じるか?なこと。連絡事項ではなく、相談ならなおさら。こちらからの誠意の具現化かもしれない。“わざわざ”よりも効率的、生産性の方が求められるようになったら、サラサラ、スルッした関係が増えると思うけど、色々とモヤモヤ。

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