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第1回早慶戦の両校選手(1903年11月21日)赤丸が泉谷祐勝さん |
「この前さ、渋谷でテレビ局の取材を受けたんだよね。そしたら相手がお父さんの連絡先を教えて欲しいって言うから伝えたよ。」
と、いう不思議な連絡をくれた末っ子くん。
「OK!」と私。
「OK!」と私。
その後、「こんにちは。〇〇〇テレビの〇〇〇(番組名)、ディレクターの〇〇〇です。先日、息子さんにインタビューさせていただいたのですが、息子さんの高祖父である泉谷祐勝さんは日本の野球史上、初めてバントをした選手と聞きましたが・・・。」
「あっ、その話ですか?本(天皇の野球チーム)に書いてありますね。私もその本に書かれている程度のことしか分かりません。」
「はい、調べてみるとそうでした。では、本当だったんですね。」
「そうなんでしょうね。」
「ちなみに、第一回の早慶戦にも選手で出場されてますよね?慶應大学に挑戦状を出されたとか?」
「泉谷祐勝さんなんですかね?そうなんですかね。」
「裕仁親王(後の昭和天皇)からの依頼で宮内省野球班を創設して監督兼選手だったとも書いてありました。」
「そのようですね。」
だんだん、私でも分からない質問になり「ゴメンなさい。私の父に聞いてみます。」と切る。
そして父に電話。
「泉谷祐勝さんだけど、〇〇〇で〇〇〇だったの?」など、色々尋ねると初めて知ることも多く、へっーとなり、色々と情報をもらい、番組ディレクターに伝える。
そんなやりとりから、家族について知る機会を作ってくれた末っ子くんの誕生日は今日。
放送されるかは不明だけど、立場上、取材されるのは珍しいという話。
だんだん、私でも分からない質問になり「ゴメンなさい。私の父に聞いてみます。」と切る。
そして父に電話。
「泉谷祐勝さんだけど、〇〇〇で〇〇〇だったの?」など、色々尋ねると初めて知ることも多く、へっーとなり、色々と情報をもらい、番組ディレクターに伝える。
そんなやりとりから、家族について知る機会を作ってくれた末っ子くんの誕生日は今日。
放送されるかは不明だけど、立場上、取材されるのは珍しいという話。
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