文章や記事を書くのは慣れているけれど、1,200文字程度の記事でも15種類を書くのは一日ではできず、2日間でとりあえず書き終える。
そんな今日は推敲日。
この他に、毎日の日課である「学長日記」、エールラボえひめのコラムも書いたから、2日間で計20記事、二日間で計2万字以上という感じか。
この他に、毎日の日課である「学長日記」、エールラボえひめのコラムも書いたから、2日間で計20記事、二日間で計2万字以上という感じか。
日頃から、教える&伝える場面では「Done is better than perfect./まず、終わらせる。」を強調していて、改めてその通りだと思った件。
「どうせ、するのだったら完璧に。」もある。
だけど、完璧をゴールに掲げてしまうと、進捗や過程で発生する「些細でも気になること」にイチイチ思考を止めてしまい、その度に手間も時間も流れてしまう。
再び進めても、見えぬゴール(=完璧)に、どれだけ立ち止まるのだろう?という心配は、クオリティの担保にはならず、リスクでしかない。
まず、一気に仕上げる。そのクオリティが、自分のモノサシで60%ほどでもOKとする。
大切なのは、そこからの「推敲」で、一旦、文章/思考から離れて、1時間でも別のことをするのが私流。例えば、学長日記は気分転換にちょうどいい(同じ文章に変わりはないけど、気分が違うのだ。)
一度、リセットされた思考脳で読み直すと、不思議と気になる点があり、書き直しが発生するも、「誰の目線(=読み手)で描き直すのか?」「どの立場で書くのか?」が、この時のポイント。
ちなみに学長日記は自分が自分宛に書いてる(=内省)。
とりあえず、書き終わっていれば推敲の時も最後まで目を通すことになり、最低限の一貫性は保たれる(はず)。これを2-3回繰り返せば、クオリティは人様に見せても問題ない90%くらいにはなるはず。
くれぐれも毎回100%=完璧なんか目指さない方がいい。
次も目指すと疲れちゃうから。
「どうせ、するのだったら完璧に。」もある。
だけど、完璧をゴールに掲げてしまうと、進捗や過程で発生する「些細でも気になること」にイチイチ思考を止めてしまい、その度に手間も時間も流れてしまう。
再び進めても、見えぬゴール(=完璧)に、どれだけ立ち止まるのだろう?という心配は、クオリティの担保にはならず、リスクでしかない。
まず、一気に仕上げる。そのクオリティが、自分のモノサシで60%ほどでもOKとする。
大切なのは、そこからの「推敲」で、一旦、文章/思考から離れて、1時間でも別のことをするのが私流。例えば、学長日記は気分転換にちょうどいい(同じ文章に変わりはないけど、気分が違うのだ。)
一度、リセットされた思考脳で読み直すと、不思議と気になる点があり、書き直しが発生するも、「誰の目線(=読み手)で描き直すのか?」「どの立場で書くのか?」が、この時のポイント。
ちなみに学長日記は自分が自分宛に書いてる(=内省)。
とりあえず、書き終わっていれば推敲の時も最後まで目を通すことになり、最低限の一貫性は保たれる(はず)。これを2-3回繰り返せば、クオリティは人様に見せても問題ない90%くらいにはなるはず。
くれぐれも毎回100%=完璧なんか目指さない方がいい。
次も目指すと疲れちゃうから。
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