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2024年9月26日木曜日

私も書けるかな?


「現状を網羅していて、邦画の世界を知りたい人にとっては驚きと納得が得られる本」と紹介できるかな?という良本。

2024年9月初版の「教養としてしっておきたい映画の世界(コトブキツカナサ/日本実業出版社)1980円」を入手。感想が上記。

映画の歴史から古今東西の作品(映画の世界を変えた10本など)紹介、業界の暗部、そして未来と可能性など、映画業界に携わっていない人が読んだら(裏側こそが物語!)と思うだろうな・・・と。

フィルム・コミッションこそ本には登場しないけど、日本の映画業界が抱える課題改善策として日本版CNCにも触れていたし、AFAN(Asia Film Alliance Network/韓国、インドネシア、フィリピン、マレーシア、シンガポール、モンゴル、台湾の7カ国で設立された国立系映像機関)にも触れ、日本でも設立、加盟がアジア圏での作品振興になると。

ちなみにAFCNet(Asian FilmCommission Network/韓国、台湾、日本、フィリピン、カンボジア、インドネシア、ジョーダン、ネパール)にはジャパンFCが加盟。

話を書評に戻して。
この本は好きな映画を3本選ぶと、その人の心理状況が分かる(著者は「映画心理分析」と名を付けてた)という内容がウリ。

「スターウォーズ」「ニューシネマパラダイス」の2本は普遍だけど、3本目は「エブリシング・エブリウェア・アット・オールワンス」と言うことが多く(時々変わる)、本当の自分と他者から見られる自分とのバランス作品とのこと。
へぇーという感じ。

2024年9月25日水曜日

無料アクティビティ。


8:00過ぎに出発して8:30頃の電車に乗り、高尾山口駅に着いたのは9:20頃。
平日の朝だから人は少ないと思っていたものの、やはり世界一の登山者数を誇る高尾山。小学生たちが駅前に陣取ってました。

「どの道にで行こうか?」と気分転換に付き合ってくれた長男くんと相談。雨の後だし舗装されていない道はグチャグチャだね・・・と、行きも帰りも1号路で決定。

てくてく歩き続け“自分が試される坂道(≒急坂が続き、ゼーハーゼーハー息があがり、雑念を払い無心で前進するしかない)”を30分ほど歩いて、やっと1/3。
平坦な道になり、山門入り口に到着。ここからはリフトの人もロープウェイの人も混ざり階段を上がったりして3/4。

最後はグン!と下りて上がる道を抜けたら599mの山頂広場が見えてくる。その手前で顔を洗い、トイレに行きスッキリして山頂到着!高尾山口駅から山頂広場まで約70分で到着!

で、富士山は・・・と言うと曇天で隠れて見れず。
でも、周りの皆さんは登頂できた達成感でスッキリ顔(私もそう見えたと思う)。

富士山が見えなかったから・・・と、帰りに名物「天狗焼き(200円)&三福団子(400円)をご褒美に買おう!」と自分に甘い!んで、疲れた体に沁みる美味しい!

家に戻ったのは13:00過ぎ。休憩を挟んでも仕事ができる時間帯なのだから、お得感あり。
上がるだけなら無料のアクティビティ。

一つ一つ反芻


30年前のNY時代。当時はウォーホル、ヘリング、バスキアらが亡くなり、ポップアート界に喪失感を抱いた頃に、横尾忠則の派手な配色にサイケなデザインに魅力を感じて、てっきり横尾忠則の作品と思い込んだ作品が田名網敬一で、(へぇー、似てる・・・)が最初の印象。

それもそのはず、二人は1936年生まれ。二人ともグラフィックデザインから美術家へ。
作品の創作手法も出来上がる雰囲気も似てるから、そりゃ間違えるわ!となる。
いや、単なる私の知識不足。

「絵というのは不自由ですよ。」とご本人はインタビューで言っていたけど、作品は一気に描くとのことで「描く前に、こんな風に描こうという構想はありますよ。でも描くと(自分の)想像とは違うものができるんですね。時間をかけると余計な意識(上手に描こうとか)が入るので早く描きます。」的な内容に(えっ!?創作は緻密な計算じゃなくて感性!?)で驚く。

そしてドクロが多いのは45歳の時に入院生活を余儀なくされた際の死生観から。
当人の雰囲気は物静かそうで細身だし近所のお爺ちゃんという感じだけど、作品はどれもインパクトが大で理解しようなんて、くれぐれも思ってはいけない。作品からの圧がスゴい。

若い人が多かったのも印象的で、私が20代前半で観た時と同じ「訳が分からないコト(理解不能なコト)がカッコよく思える」時期なのかもしれないと。

50代で見ると沁みる作品もあり、アートって鑑賞する年齢でこうも違うのかと。
国立新美術館で「記憶の冒険」展が始まり2日後になくなった日本を代表するポップアートの巨匠。安らかに。
図録集を買ったから、一つ一つ反芻。

2024年9月24日火曜日

語り合った夜。


令和6年度ジャパン・フィルムコミッション第一回理事会開催。
6月に佐世保市で行った総会以来だから3ヶ月ぶりに再会した理事達。

その間、是枝監督らは、「日本版CNC設立を求める会(興行収入の1%を映画業界の中で循環させて共助の仕組みを確立するフランスの国立映像センター(CNC)を参考にした制度)」を提言したり、
政府主導で「第一回コンテンツ産業官民協議会・第一回映画戦略企画委員会」が行われ、コンテンツ産業・映画産業の強化について意見交換が行われたり、日本映画制作適正化機構(映適)が認証した映画が増えたりと、活発な動きがあった日本映画業界。

興行収入の上位実写作品の
90%以上に関わるフィルム・コミッション。
映画製作の端とは言え、ロケ撮影には欠かせない我々には「いつ、話がくるんだろうね。」と話題にあがったり、「映適作品の撮影支援って経験した?」と尋ねたり、ほんと、海外からの熱視線に日本映画のテコ入れ&撮影環境向上は待ったナシ!

撮影の誘致・支援だけで評価されていた時代はとっくに去り、支援作品を活用した地域づくり(例:ロケ地マップ作成、聖地巡礼促進など)まで範囲となったほか、期待と可能性が多面的になったことで色々な思いを寄せる人も多くなり、伴って事業も増えて膨らみ、気づいたら予算が(初めての)大台に乗っていた!

これまでの実績の成果だけれども、預けた側は、預けた以上の価値を創造・創出して欲しいと思うわけで、黎明期だった頃(2002年頃)、フィルム・コミッションの可能性について徹夜で語り合ったコトを思い出したり。

受講者228名。


2年目の愛媛県職員を対象にした計5回の「NPO・ボランティア講座」が終了。
受講者数は計228人。

228人には、県職員になった友人がいたり、友人のご子息がいたり、学生時代から知っている方、ココ大に市民学生で参加している方など知り合いも多く、県庁職員の多様性というかバラエティ豊かな才能が県政に参画となって「頑張ってね!」とエールを送る。

特記事項は、私が預かる講座なので「楽しく学ぶ」がモットー!
から、事例では「フィルム・コミッション」と「ココ大」について紹介すると・・・。

  • NPO(法人)の定義からフィルム・コミッションの話まで非常に興味深い話ばかりでした。
  • 愛媛県内にNPO法人が700以上もある事に驚きました。
  • ロケハンや撮影を通して地域を知るに繋がるのにはかなり興味が湧きました。
  • ココ大とロケハンを同時に行う発想がすごいと思いました。
  • フィルム・コミッションの話は特に面白かった。
  • 映画の撮影が地域活性化に多方面で良い影響を与えていることに驚いた。
  • 普段から想像力を持ち、日常の景色を物語の舞台にしていくのがすごい。
  • 多くの県民が愛媛の魅力に気づいていないコトが大きな課題と感じた。
  • 現状を課題と捉えてしまいがちなので、訓練をして意識を変えていきたい。
  • 「課題」の捉え方についての話がとても印象に残りました。
  • 愛媛がロケ地になっている作品がこんなにも多いと知らなかった。
  • NPOの方はギリギリの生活と思っていたが、想像と違っていて驚いた。

など、色々な感想や意見が寄せられる。
ちなみに、
感想や意見は自由記述なので、別に何も書かなくてもOK。
なのに46%(104名/228人中)が長文で寄せてくれて(響いて良かった!)となる。

彼らが現状に憂いていることも分かり、改めて「頑張ってね!きっとまた会うでしょう!」とエールを送って全5回の講座終了!

2024年9月23日月曜日

私が楽しいか?面白いか?


昨年12月に初実施で反響(八王子市の広報表紙を飾ったなど)が凄まじかった「こどもスペースラボ」。

2年目(2回目)なので、1回目とは違うインパクトを学生達、関係者に与えたいと思い、(何かアイデアはないかな?)とメルカリを見みると・・・。

偶然にも「宇宙船」が出品されていて(そうか!「こどもスペースラボ」の狙いは子ども達に宇宙や科学への興味関心の醸成だった!)となり、色々と見るもメルカリでもレゴは値段が高い。

数日後の早朝。値頃感のある宇宙船が出品されているのを見つけ、同じ出品者から「ロケット」も出品されていた!それも全長1mの大型ロケット(NASAのサターンV)。

“まとめ買い交渉”をすると、譲っていただけることになり、コツコツ売っては貯めてきた残高を使い購入。
早朝や夜中は判断を勢いに任せてしまうパターン、そのまんま・・・。

早速届き、組み立ててパーツの確認。中古品だから小さなパーツがなかったりしたけど、手持ちのレゴで補完できるからOK!

ロケットは4段構えになっていて、月面着陸用の探査機も格納できた。
これだけ迫力があるなら、皆んな驚いてくれるに違いない!と、自分に(無駄遣いではない!)と言い聞かせる(笑)。

このロケットを中心に、子ども達が自由に作る作品群を展示すれば、去年とはまた違う趣になること間違いナシ!

誰からの指示でも依頼でもなく、単に自分が楽しいか?面白いか?だけの話。

6市町ピクルス(仮称)完成!


昨年度から松山市、伊予市、東温市、砥部町、松前町、久万高原町の6市町とGOOD MORNING FARM(GMF)さんとで取り組んでいる「6市町ピクルス(仮称)」の開発。

「あんな」「こんな」「そんな」「どんな」な経緯を経て、遂に商品化直前品質の6市町ピクルスが完成して、お披露目となった。ホント、ここまでの道のりは平坦ではなかった。

商品の見た目はこれまでと変わらず鮮やか。230gと量も多い。
変わったのは6市町が推す特産食材がキッチリ使えたこと。
都合に合わせなかったからGMF(齋藤さん)に頼るしかなく、ピクルスだから単に切って酢漬けにすれば良いという話でもなく、6種類の各野菜に最適な工夫をして、一つ一つの素材も楽しめるし、他の食材とは相乗効果が楽しめるお得感など、恐れ入りました・・・という味。

特に好評だったのはシャキシャキの食感、とろーりな食感、プチプチの食感など、食材ごとに異なる食感は「ピクルスと一言で片付けられない美味しさ」「ラタトゥーユみたい!」に共感。

今回で試食は終了。あとは完成品にして世に出すだけ。
だけど、今度は「売り方」が大切。例え、食べれば美味しくても売り方(PR)を間違えると「売れない商品」となってしまう商品開発の残酷さ。

(ワインなどに)そのままでも、(クラッカーなどに)乗せても、(温野菜などに)和えても、(肉料理や魚料理などに)添えても、(パスタなどに)混ぜても美味しいから、何とか売れて欲しい!と6市町担当者。

2024年9月22日日曜日

ホテル備忘録。


福島へ行く、福島から帰るには前泊と後泊が必要で2泊3日のイベントだったけれど、実際は4泊5日となり、それも1泊ずつ4ヵ所に泊まる。


1日目は「ホテルクラウンヒルズ福島駅前(福島市)」に宿泊。
ここは福島駅から徒歩数分の立地だからか、下階層には環境省や復興庁、保育所などが入っていて、大浴場がウリだったけど実際は風呂場の定員は4人、湯船には3人が入ったら溢れてしまうほど。安かったし部屋の小さな浴槽に比べたら足を伸ばせただけでもOK!と。

シングルルームからツインの部屋にしてくれたし。

2日目は「やすらぎの宿ホテル双葉の杜(浪江町)」に宿泊。

主催者が用意してくたホテルで館内は土禁。部屋も畳敷のような和風の雰囲気。特に嬉しかったのはコインランドリーが無料で使えたこと。ありがたかった。


3日目は「ホテルオーシャンとみおか(富岡町)」に宿泊。

ここも主催者が用意してくれたホテル。バスが到着して「こちらです!」と紹介された時のギャップは今でも覚えていて、オーシャンと言う名前からてっきり海辺の立地と思ったら、山の中でオーシャン感はゼロ。かつ、モーテルのような2階建てが2棟。館内が迷路のようだった。


4日目は「郡山ビューホテルアネックス(郡山市)」に宿泊。

イベント終了が17:30過ぎだったので、移動せず郡山市内の後泊。駅近なホテルで可もなく不可もなかったビジネスホテル。
翌日の朝食に「郡山名物グリーンカレー」があったのが印象的。

2024年、20ホテル目の宿泊。
特に意味もなく宿泊の感想を残していて、振り返ると一泊でも当時の記憶が蘇って余韻を楽しめるから面白いと気づく。
何事も楽しめるか否かは自分次第。

またね、福島。


2泊3日のアイデアソンは私にとっては「スタディツアー」で、それも宿泊費&期間中の移動費が無料とありがたい機会だった。

事務局いわく「申込がとても多く抽選だったんですよ、1/2程度の確率だったと思いますよ。だから半分近くは落選しました。」と、採択されてラッキー。

行程表には訪れる先々の名前や紹介があっても下調べをしなかったから行く先々で驚き、また視力が弱いこともあり前に座り、各関係者に率先して質問しまくる。

こういう機会なんだから質問しないと訪れた意味がないと言う姿勢に、感銘を受けた学生参加者もいて「相手も質問されると、聞いてくれたんだ!と思い、嬉しいんだよね」と年の功で伝える。

我々のグループセッションも1日目は音合わせ、2日目はリズムが合わさり、3日目に演奏ができたと言う感じ。空中分解しそうなグループもあった中で、よく即興できました。
グループで考えたアイデアから得たことは多くて、必ず使えるはず!と個人的には満足。

どうでもいいコトだけど、最終日の会場は郡山、そして、そのまま宿泊。
ホテルの朝食で「名物!郡山グリーンカレー」とあり、グリーンカレー好きには(へっー!)と響いた&美味しかった。味はマイルドでサラサラだった。

郡山から新幹線(やまびこ)に乗ると、宇都宮→大宮→上野→東京と約75分で着くのね。
撮影隊は泊まらない(日帰り)はずだ・・・と。

2024年9月21日土曜日

信じられないけど。


この話については議論し尽くされていると思うけど、全く自分ごと化できていなく、今回、現場を訪れたことでやっと(遅すぎ!)自分ごとで考えれた・・・までは良かったけど、ゾッともしてしまった。

と、言うのも伊方原子力発電所が福島第一原子力発電所と同じ事故を起こすと、最低でも半径20km圏内は即時に帰還困難区域(原則立入禁止)になるから、伊方町、八幡浜市は丸かぶり。

すると伊方町の人口は約8,500人、八幡浜市の人口は約68,000人だから計76,500人が強制的に避難せざるを得なくなる。
76,500人が県内外に大移動って想像を絶する。

伊方町の漁業(シラス漁など)は全滅、「日本一細長い半島」とPRしても人が住めない、来ない。

八幡浜市と言えば温州みかんの産地で川上、真穴などのブランドが有名だけど全滅。じゃこ天、けずりかまぼこなどの水産業も全滅。
町内、市内にある全ての店舗が強制的閉店。
人口が0人になるのだから経済が成り立たなくなる。風評被害も深刻だろうな。

交通機関も駅舎などは閉鎖、伊方町にも八幡浜市にあるフェリー乗り場も閉鎖。役所も学校や病院なども閉鎖。

そして、10年以上も帰還困難区域(原則立入禁止)になったら、避難先で生活基盤が整ってしまう人も多くなり、解除されても人口は事故前の1/10程度になってしまうかも。

双葉町は7,000人程度だった人口が200人程度しか戻ってきていない・・・と記憶が正しければ言っていた。

これまでお世話になった伊方町、八幡浜市在住の方々の顔が思い浮かぶけど、皆さん全員強制的避難。

信じられないけど、現実を目の前にして、愛媛県の2市町が10年以上人口0人って。

大役を担えるか?


誤解を恐れずに書くと、復興には我々の想像を超えるお金(税金)が投入されている。
それは住民の安全安心、命と財産を守るためのハード事業が多いと思うけど、ハード事業だけでは復興は走らない。

ハード事業と並行してソフト事業も行われることで両輪となり復興は走る、進む。
そんなソフト事業には公益性が強く求められるから、民間事業者で担える&遂行できるのは、実績(≒信頼)のある大手になることが多い。

でも、そんな大手でさえも自ら現地に乗り込み、隅々までめぐらせて復興を支えることができるか?と言うと実際は難しい。

そこで登場するのが、震災後に復興を目的に設立された非営利団体(NPO法人や社団法人など)。
この非営利団体には2種類(「自治体や実績ある大手を組んだ非営利団体」と「独立独歩な非営利団体」)あり、どっちが良い悪いはない←ココ大事!

だけど、この2種類が扱う・預かる金額には大きな差があるから、インパクトや波及効果などの規模やスピードなどに影響が出てしまうのは当たり前。

だから預かったお金は上手に活用して、その価値を何十、何百倍もの価値を創出させなければならない。託す側としては、そこがポイント。

「もしも今、南海トラフ大地震が起きたら、東北の復興に充てられているお金は・・・」と聞いた瞬間にハッ!とする。

要は愛媛県でそんな大役を担える非営利団体は、いくつあるだろう・・・と想像したら少なかった件。
言ってる意味が分かる人!

2024年9月20日金曜日

ふりむいてフクシマ


我々のグループがたどり着いたのは【ふりむいて、フクシマ】と言うアイデア。
2日間、飯舘、小高、浪江、双葉など相双地区を訪れて思ったのは「人の少なさ」。

強制的に避難させられて以降、10年以上も0人だった町もあり、避難先で生活基盤(就職や就学など)が固まった人たちも多く、解除されても戻ってきた住民は避難前の1/10程度だったり・・・。

でも、「自分たちが暮らした地域の良さは忘れていないはず。」と、地域を振り向いて欲しいという願いから「推し場所」の投稿を呼びかけて集め、世界中から人気投票ができるようにし、上位の推し場所は「擬人化」してPRしようとなる。

刀や戦艦、地図の擬人化は過去にもあったけど、「場所の擬人化」は聞いたことがなく面白い!となる。

さらにフィルム・コミッションとして「場所≒ロケ候補地」としても考え、相双フィルム・コミッションも2024年4月に活動を開始したことだし、必要なら会津FC、いわきFCなどにも協力を仰ぎ、ロケ候補地を擬人化して相双地区の魅力発信に寄与できるかも!?という妄想。

資料を作っていて面白いと思ったのは、擬人化されたキャラに飯舘、小高、浪江、双葉などを命名すると、キャラに命が宿ると言うか魅力的にみえて「推し対象」になりそうだったこと。

我々のグループは4人、うち3名が女性、その3名は「筋金入りの推し活女子」で、推しの生態&本質を教えてもらい、面白いアイデアになった!となる。

愛媛でもロケ地を擬人化してキャラ立ちできれば、シンボリックになり、国内外から目指してやってくるかも・・・と真剣に妄想してる。

不幸中の幸い。

私が所属したアート&クラフトグループでの懇親会

青空から、みるみる曇ってきてポツポツ雨が降り出す。
夜は懇親会でBBQが予定されているに・・・どうなるのだろう?と思っていたら、雨は止むどころか激しくなり、更に稲光がしてゴロゴロと雷まで轟き(な!なんなの!?)となる。

激しい雨&雷鳴に20m先で待つバスまでも行けず雨宿り。ほんの一瞬を突いて、傘をもってない仲間と相合傘でバスへ走るも雷鳴は轟き、冗談にならなかった命懸け。

事務局は大わらわ。夜のBBQは断念・・・となるも辺りに店はなく、在住スタッフの軒下で肩身を寄せ合いながらのBBQ&カレー大会開始(写真)。

でも、これが功を奏してチーム(4人)で復興アイデアを考えるに最適だった。
肩を寄せ合いブレスト。4人は年齢も趣味も経験も職業も何もかも違い、意見はすれ違い接点を見つけられず・・・。

その間に肉や野菜を食べ、飲んでまたブレスト。
アイデアをテーブルに出しては意見を出し合うと、私以外の3名は「推し活」をしていた。
推し活の対象は「人(キャラ)」なので、福島の魅力を「人(キャラ)」に仕立てるのはどうだろう?となり、その魅力とは私の専門の「ロケ地≒魅力的な場所」となり、【魅力的な場所をキャラとして擬人化】というアイデアが爆誕して、4人の意見が一つにまとまった!

できる?できない?ではなく、面白い?面白くない?でたどり着いたアイデア。
雨が降らず予定通りのBBQだったら互いに距離感を感じたかもしれないと思うと、不幸中の幸いかもと。

「このアイデアで行こう!」と全員が納得して安心してBBQ&カレーが楽しめた件。

2024年9月19日木曜日

食事難民。


「浪江浜まつり」を訪れたタイミングは昼前だったにもかかわらず、軒を並べたキッチンカーにはすでに長蛇の列ができていて、私が海岸から戻ってきても並んでいた仲間たちはまだ注文もできずにいた。

「このあと、道の駅なみえに行きますから、そこでも食べれます。」の事務局からの言葉に泣く泣く行列から離脱した仲間たち。

でも、道の駅なみえに到着しても駐車場に車は多く、店内は大混雑。「ひやぁ!ここでも並ぶのか・・・」と、先ほどのキッチンカーに並んだ仲間たち。

「この行列だと並んで店に入れても、注文してから食事が出てくるまで、そして食べる時間も考慮するとヤバい(=出発に間に合わない)かもよ。」と告げると「ですね。」となり、比較的空いていたパン屋でゲットしたのが「浪江やきそばパン」「シラスピザ」そして「シラスソフトクリーム(バニラソフトクリームにシラス、ネギ、出汁醤油で甘塩っぱい味)」の3点で昼食終了。

「お店がないから、どこかへ出かけようとなると、こういう所しかないんです。」と地元民。

店が多く建ち並ぶ日常の暮らしからは想像できないと思うけど、本当に店がなく、コンビニでさえ開店は7時、閉店は20時、21時。で、そんなコンビニさえ遠い、

仲間の「ご飯粒が食べたい。」は、ホテルは素泊まりなので朝食は各自用意だったけど、コンビニに7時に行っても弁当はあるけど、おにぎりが並んでない(正確には配達前)ことも多く、適当なパンで済ませて朝も昼もパンだった人が多かったから(私も)。

人が少ないと、こういうことになるのか!と。

消化できずとも暮らす。


福島県浪江町の震災遺構「請戸小学校」から300mほど離れた所にある請戸海岸。当日は「浪江浜まつり」が開催されていて、浪江名物「浪江やきそば」「モモサイダー」「分厚いヒラメバーガー」などのご当地露天が軒を連ねていて、私は人が大勢集まっていた浪江海岸へ行く。

砂浜では子供達による大声大会やビーチボールなどのイベントなどが行われていて、にぎやか。
波打ち際にも人がいて、13年前にこの海岸から津波が押し寄せたなんて想像できないほどのワイワイ感。
聞けば開催は(震災以後)初めてとのことで、地元の人は色々な感情を消化できなくても、海と共存しなければならないんだなと(浪江町では地震、津波で182名が犠牲になった。)

で、ふと思う。
どこかで地震や津波などの天災は一度体験すると“終わり感”があり、試練や困難は続くものの、奈落に突き落とされても、少しずつ這い上がると言うか、より良くしていこうと思うけど、震災は一回経験すれば終わりではなく、その後も二回目、三回目があるかもしれない不安さがある。
そこが天災と人災とは違う所。人災も結局、何度も起きるけど本来は防げる話。

「お客さん、東京から?この前、松山城が崩れてさ、人が亡くなったんだ。だから松山城には上がれないよ。あれは人災だね。」は、愛媛県研修所へ行く際に乗ったタクシーでの会話。
「はい、東京です。そうなんですか」と否定するの変なので、そのままにしたけど、色々と消化できずに生きてるよねと。

2024年9月18日水曜日

津波は15mを超えていた。


震災遺構の「浪江町立請戸小学校」。
「児童全員が避難できた奇跡の学校です。」と紹介されて、(そんな報道を聞いたコトがある)程度の情報量。
そして、全校児童108人のうち70%の74人が亡くなってしまった石巻市立大川小学校も思い出しまった我々。

「波はあっちから来たんですか?」と海岸を指さして尋ねると、海岸から請戸小学校までは約300mの距離で、津波が到達する頃には【全方位から津波】がやってきたとガイドさん。

波は横一直線に一方から押し寄せるは映画の見過ぎで、障害物などで方向も速度も変わるので、到達する頃には全方位から押し寄せたとのこと。

その証拠に校内はグチャグチャのメチャメチャだったけど、一部の部屋では押し寄せた方向が偏っていたり。ちなみに、津波の高さは15mを超えていたとのこと。15mといったら、5階相当!

誰も経験していなかった大津波の危険をいち早く察知して、児童全員を山へ避難させよう!と決断された校長先生のリーダーシップは本当にスゴいと現地を訪れて痛感。
なぜなら、避難しようと指示した大平山までは西へ約1600m、82名の児童は何が何だか分からないままの「訓練ではない」避難は、先生も含めさぞ恐怖だったと思う。

8月8日の地震を思い出す。
松山では揺れを感じなかったけど、子ども達、保護者と一緒にいた空間で「机の下に隠れて!」と指示しかできなかったけど、そこから外へ避難は、立地が違うとは言え、色々と考えてしまい決断しにくいよな・・・と。
何が大切かは命。

知らなさ過ぎて猛省。


「霧箱(Cloud Chamber_1897年にチャールズ・ウィルソンが発明)」
という放射線を視覚する実験装置で、霧のように放出される線はα線やβ線が飛んでいるのを見たり、「放射線物質と放射能の違い」を知ったり、原発事故のメカニズムについて紹介を受けて(全くの無知だ・・・)と痛感。

そして、次は「俺達の伝承館」という放射能事故の影響を写真などで発信している民設民営施設を見学。
写真だけでなく絵や本なども展示されている中で「動物の骨」があり、何だろう?と思ったら牛の骨で、木の柱がリンゴのようにかじられているのは、放射能の影響で町民全員避難後に残された家畜が食べるものもなく木をかじって空腹を満たそうとするも、そのまま死んでしまった証と紹介される。

かじられた木は一本だけでなく何十本もあったとのことで、ここでも(全く知らなかった・・・)となる、

そして、地域の祭が復活し神輿をかつぎ地域の人たちの背景に映るのはビニールシートで、その違和感に「あれは何ですか?」と尋ねると「除去土壌」で、報道でよくみた黒い筒状の入れ物に入った放射能に汚染された土。

真っ黒な入れ物が並んでいたけど、ビニールシートで覆って隠しているだけと説明を受け「これは神輿越に除染土壌も写しているけど、見栄えが悪いので報道では除染土側から、こっち(反対)を取るのが多いです。」と教えてもらい不都合な真実を知る。

自分が全く知らないのか?情報を取ってないのか?それとも事実を伝えていないのか?
よく分からないけど“知らなさ過ぎる”自分に嫌気が差してしまう。猛省。


2024年9月17日火曜日

フツーなのにフツーじゃなかった件。


ホテルで朝食を済ませ、コーヒーを部屋へ持ち帰ろうとしたまではフツーだったのに、なぜかコーヒーを片手に持ったまま(このまま朝散歩に出たら気分いいかも)と思い、スマホでマップを開いたら伸夫山(しのぶやま)が近いと分かり、フラ〜と出掛けてしまった。

福島駅周辺は、ごくフツーの街並み。30分程度の散歩かな?と想像してたけど、信号待ちで距離を見たら伸夫山(しのぶやま)まで1.2kmあると分かり、でも引き返すのも面倒で進んでしまう。

目の前に緑がモリモリした山が見えて、あれが伸夫山(しのぶやま)。
既に持っていたコーヒーは飲み干してしまった。
突然の朝散歩で何の情報も持たず来てしまったから、どこに行くのがいいのか?看板を探してみると「第一展望台」を発見!でも1km先、それも山を上がらないといけなかった・・・。

周りは部活動なのか制服姿で自転車を漕ぐ学生、散歩姿のシニア、行き交う車など、よく見かけるごくフツーな朝風景。
そんな風景から道を曲がり、展望台へ坂道を上がり続ける。ジーパン&ポロシャツだった私は不適合な装いで汗が出てくる(せっかく、シャワー浴びたのに・・・)。

たどり着いた第一展望台からの眺めは写真。ただ「現在の放射線量」という測定器があったのは(あぁ、福島だからか・・・)と、ココだけはフツーじゃなかった件。
ちなみに自然界から誰もが受ける放射線は、一人一年間で2.4ミリシーベルトと言われている。

ここからまたホテルまで歩き、結局往復90分の朝散歩となり、またシャワーを浴びる。

久しぶり福島!


(暑い部屋で作業するよりも、空港で作業した方が快適だな!)と思い、8時に松山空港に到着。
カプチーノなどを飲みながらネットに接続して1時間の猛作業。涼しいし静かだし、快適にはかどったものの搭乗時刻になりタイムアウト!

飛行機ではネット作業に依存しない作業をして、あっ!と言う間に羽田空港に到着。
モノレールに乗り浜松町からは山手線で東京駅へ。
東京駅で東北新幹線の切符を購入すると、ちょうど良いタイミングで自由席に着席。
福島駅までは東京駅から90分!このタイミングでタイムアウトになっていた作業の続きをしてたら郡山駅に到着、その15分後に福島駅に到着。早い!途中だった作業も無事に終了!

久しぶりだね福島!と、呑気に写真を取っていたら腹が減っていることを忘れていて、地物が食べたい!と思い調べると、高評価の回転寿司があったものの閉店まで20分しかなかった!
滑り込みセーフで入店するも、いきなりラストオーダー(笑)。
お店の方も恐縮してたけど、閉店ギリギリに来たのは私。
そんなんだから、板前さんらとも話すことができて満足なランチに。

そしてホテルにチェックインすると「ご予約の部屋よりも広い部屋をご用意しました。」とフロントの方。
「あっ、ありがとうございます。」と(なんでだろう?)と思うも、ご厚意として受け取り、シングルルームからツインルームを使わせていただく。

今回のホテル、復興庁が入っていて福島県が抱える現実を思い知らされる。
風化させてはいけない事柄が多い福島県。そんな事柄を少しでも改善できたらと思いやってきた。

2024年9月16日月曜日

交差するご縁。


「泉谷さんのブログ、読んでますよ!」と、旧鈴木邸のオーナー岡崎さん。「ありがとうございます!」「最近、響いたのは“お金大事”の内容でした。
ほんと、その通りですよね。全くお金に余裕ない・・・」と彼女。

名刺交換の際に「Facebookをいつも拝見しています!」と参加者。
「いつも面白いコトされてるなぁ、と思ってるんです。」とお褒めいただく。
「どんな人なのかなぁと思ってました。」と続き、「こんなんですよ、ありがとうございます!」となる。

そしてライフプランセミナーが始まってすぐに3人のお子様連れの参加者が私の後ろに座る。
座敷だから座布団が必要と思い、差し出して参加者の顔を見ると(どこかでお見かけした顔だな)と思うもセミナー途中だし、そのままにしておいて意見交換の時間になったら・・・。

「泉谷さんですよね?七折小梅の大内です!」に脳みそハードディスクが超高速で駆動し(確か、渡部さん・・・そうか!渡部は旧姓で結婚されて大内さん!)と合点し「えっ〜!ホント!!」となる。

大内さん(旧姓:渡部さん)とは、2015年に行ったココ大499回目の授業「赤いダイヤ・青いダイヤ」で知り合い、それ以来だから9年ぶり。

今では4人の子どものお母さん、七折梅の農家としても活躍していて忙しい日々を過ごしているとのこと。
うーむ、9年も経てば、それぞれのライフステージも変わるよね。
「今日のセミナーは?」「白石さんのお子さんとウチの子が同じ保育園でして」「そこでも繋がってんだ!」と驚き2回目。

ご縁って交差する・・・とはこのこと。