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2022年3月23日水曜日

目ん玉飛び出す!


人生(作品)はジェットコースター。作品が完成しても地域に迷惑をかけた作品もあれば喜ばれた作品もある。関係者の不祥事や不測の事態で公開されずにオクラ入なんてコトもある。
また作品が世に出ても制作会社が破産や解散してしまうこともあり、作品の完成を喜んでも安心できない・・・と知る。何気なく見た記事にビックリして映画のように目ん玉が飛び出して、記事を二度見しちゃったよ。

その傍で、映画撮影!と言う触れ込みでスタッフ募集や制作費の捻出、配給拡大などにクラウドファンディング開始!エキストラ募集などが続々とリリースされていて、これらのほぼ全てが誰の名前も知らない「自主制作」と思われる。私たちでさえ映画映像制作会社の名前を言ってみろ!と言われたら30社も言えないと思う。一般人なら東宝、東映、松竹、角川、日活が精一杯かな。今日もどこかで撮影は行われているのに。

話を戻して目ん玉飛び出したことがもう一つ。54人が参加したFCのオンライン研修をしたところ、なんと生まれ育った地域にFCがあった。
「毎度お騒がせします(1985)」 などのロケ地で一部には有名な地域で、まさか、自分がロケ地に携わってるなんて当時から誰が想像できただろうか?(あそこがロケ地?)と地元民は思うけど、それは見慣れているからであって、意識を変えればどこでもロケ地になると知る。

1時間50円。


あえて言うと、最強のテレワークプラン(個人の感想です)と思っている第一ホテル松山の荒探しをすれば、それは終了時間が18時なこと。だから18時以降のオンライン会議では利用できません。一日に4度のオンラインミーティング(会議)があり、最後は20時開始だったので別場所を探さないとならず、それなら21時ころまで利用可能なホテルを探すのが効率的と探したら・・・ありました!そもそも私の通信環境が脆弱なのが問題です。

それも徒歩圏内で県内でも最安部類に入る600円(12時間)のプランを発見!1時間50円という激安に惹かれる小市民。他を調べずに即申し込み。当日、9時過ぎにチェックインすると「15時以降は共用スペースでフリードリンクです。」と教えられてビックリ!案内された部屋は8階。第一ホテルのような眺望はないし、部屋も狭かったけど・・・この狭さが集中するのにはピッタリで作業が超はかどる。

テーブルは広くはないものの片付ければ問題ナシ。コンセントも机周りにしかなかったけど問題ナシ。インターネットの快適さは可もなく不可もなく。エアコン、空気清浄機、冷蔵庫は普通。17時にコーヒーをもらいに1階へ行く、コーヒー以外にジュース、お茶などもあった。最後のオンライン会議が21時に終わり一日が終了。集中できたこの狭さ、意外と気に入ってしまった。ここはアビスイン松山。

2022年3月22日火曜日

3人の自分。


「この人(私のこと)は“ホワイトボード好き”ですから!」と愛ある紹介に周りもウンウン!とうなづく。「ビジネス系のライブパフォーマンスだよね」という言葉に(もっと褒めてー!)と心が叫ぶ。ホワイトボード(モノ)があると描かずにはいられない!言葉、会話だけでも可能だけど図解で説明した方が関係性が視覚的に把握できるし、矛盾も潰せるし、理解度は高いと思う。そもそも自分の頭の中を整理して喋れる。

唐突に「サバ寿司好きですよね?」「えっ!?そうですか?そうかもしれないです。」実は自分と言うのは「自分が思う自分」「人が思う自分」「本当の自分」の3人いるらしい。第三者の指摘によって気付かされる。愛媛に来てから好きになったと思うと、20年前に今は亡き義父が銀天街地下の小さな寿司屋で食べさせてくれたのが初めてだったような。あの肉厚でジューシー、甘酸っぱい酢飯を探し求めてるのかもしれない。

「モナカとレゴを見たら買わずにいられなかったよ!」と、「焼酎もなか」と「くまもん」のナノブロックをいただく。自分の知らない時に知らない場所で誰かが自分のことを考えてくれているのか!と思うと感謝。実は当人は誕生日で誕生日プレゼントを渡すつもりが「プレゼント交換」になってしまった件。そんな二人は50歳と64歳。20年来の友人、これからも仲良くしてくださいね!

動けばつながる。


「自主映像作品の撮影支援」と思いきやファッションショーや写真展も行う複合的なイベントの一つが映像作品だった件(5月公開)。全貌は未だ掴めていないけど「来てください!」と誘われたので写真展が行われていた愛媛県美術館へ。
「大学生カメラン×古着屋による写真展」とのことで、会場には我が子世代の若い方々が鑑賞中。誰が主催者か来場者か見分けがつかないので、写真だけ見て帰ろうとしたら・・・。

「フィルム・コミッションの泉谷さんですか?」と受付の女性から声をかけられ「はい」と伝えると、自主映像作品の関係者で撮影の許諾申請が円滑にできたとのことでお礼を言われる。通常の撮影支援として市役所や美術館、商店街へ話をしただけ。でも若い方々にとっては誰に相談したらいいか、どうやって撮影許可を申請したらいいか?分からないし不安だよな・・・と。3月中には撮影開始とのことで一件落着という感じか。

私たちだって、今日に至るまで諸先輩方に助けられたり、引っ張ってもらったことを思い出す。でも(そんな諸先輩方とどうやって出会ったんだっけ?)となる。答えはシンプルかつ一つしかなく「動くこと」で次に繋がる。でも多くの人が「一回動けば次に繋がる」と思っているから、繋がらないと(あぁ・・)と諦めてしまう。そうではなく(次は繋がるかも!)と動けば必ず繋がる。

2022年3月21日月曜日

心を掴まれる。


クライマックスは、インカ・ショニバレCBEの「桜を放つ女性(2019)」。色鮮やかな布はアフリカプリント。頭が地球儀(不平等や権利獲得に寄与した女性たちの象徴)の女性が構える銃から放たれたのは桜の木や花々。アングルは花の方からなので銃との距離がわかりづらいけど、真横からみると2m幅超の大作。
ポイントは放たれた桜は「破壊ではなく、創造のエネルギーを放つ」という意味なこと。ググッ!と心を掴まれた作品。

他にもバスキアやウォーホル、草間彌生、コラージュなど好きな作品が見れた他、古美術室では仁王像、菩薩像まで展示されて至福だった1時間。これで入館料200円とはおそるべき福岡市美術館。美術館から出れば大濠公園でジョギングしたり散歩したり、池にはスワン型の足漕ぎボートなどがあり穏やかな時間に混じる。
隣の芝は・・・のようなもので、愛媛県美術館に来た友人らに言わせると「目の前が公園って素晴らしいよ」と言われる。

今年度最後の出張では心のビタミンもチャージできて有終の美。単身とは言え、こういう一人時間は貴重で作品の前に立っては「問い」に正解・不正解のない妄想を広げるのが好き。
作品の多くは社会や世界へのメッセージを含んでいるから「作品から考えろよ!」と言いたい人がいる。

愚陀仏庵の復元模型。


松山聖陵高校と聞くと「金子正次(1949-1983)/伝説的な人物で映画「竜二」の出演、脚本を担うも公開から数日後に死去」が通った高校というイメージが強すぎて(あの、金子正次が通った高校だなんて!)となる。
余談だけど2010年に「男前列伝」というNHK番組で中村獅童さんが金子正次の墓参りに津和地島へ行くと言うので支援し、なぜか現地まで行くことになり、船の中で中村獅童さんと色々話した記憶が・・・。

閑話休題。その松山聖陵高校は、萬翠荘の玄関にある人力車や萬翠荘の模型など数々を手がけていたことを知る。そう言うことも学べる高校だったのか!今回、寄贈された愚陀仏庵の模型は大きいので細部も精巧に再現され、周りには桜なども配置でき季節感も味わえるとのこと(もちろん、室内の明るさもLEDで再現できる)。そしてスケールに合わせた人形(子規、漱石風)を置くことでシーンを感じられる。

そもそも、愚陀仏庵の復元模型が萬翠荘に寄贈された背景は、長い間、萬翠荘裏に愚陀仏庵が移設されていたけど、2010年の土砂崩れで倒壊してしまい、具体的に説明できる資料がなくなってしまったこともあり、今回の寄贈で模型を見ながら当時を想像できるようになった。そう言えば愚陀仏庵でも昔、2時間ドラマのロケを撮影させてももらった。模型を見て思い出す。
こういうこと。

2022年3月20日日曜日

危機感の共有。


「心置きなく、自分達のFC自慢話をしましょうよ!」と九州ブロック長の北九州FC。「自慢」と言うと鼻につくような話も多いけど、FCの場合は違う。なぜならFCの場合、自慢と言うのは逆境や苦難、抵抗やハプニングなどを乗り越えて“勝ち取った”証だから【自慢=グッドプラクティス(好事例)】となり、他FCにとっても参考になる。要は自慢と言いつつ担当者の苦労話が90%だから、七転八倒ぶりに終始笑いがおきる。

九州ブロックは猛者も多いので他ブロックではサラリと話題にした「FCが考えるべき危機感」を共有する。まず、FCにとっての危機は何か?を考えると、それは「地域に撮影がやってこないこと」である。なぜ?地域に撮影がやってこない可能性があるのか?それはコロナウイルスの影響が多分にあり、地方ロケがリスクと捉えられた時「地域にロケに行かなくても撮影ができるようにしよう!」という発想になる。

でも、地域にロケが行かなくてもできる撮影ってなに?という問いへの筆頭格がバーチャルプロダクションで、コロナ前までも動きはあったものの(まだ数年先の話だよね)と思われていたものの、コロナの影響で必要性が垂直に爆発して一気に実現した。すでにCMでは浸透していて「我が地域は風光明媚なロケ地がありますから撮影にどうぞ!」と、呑気に話してる場合ではなくなった。

感動された味。


これまでも映画映像関係者を連れて行き感激された「網元」へ。思い返すと2年ぶり。「店の看板は巨大な伊勢海老です。」「入口が魚屋の調理場を通るので分かりにくいです。」「水槽があってカメが遊泳して、時々バシャー!と水がかかります。」「雨が降ったら屋根がトタンなので雨音で会話が遮られます」など、店の特徴を伝えても相手は脳内でイメージ処理ができずに???となる。

テーブルの上にドォーン!と「刺身5種の舟盛り」これが分厚い!隣はゴッー!と炎が勢いよく舞い「カツオのわら焼き」、調理場ではシュッー!とバーナーで焼かれた「焼きサバ寿司」。客人は「マジでうまいっす!」とパクパク。もう一人の客人が「えっ、少食なお前がこんなに食べるの初めてみた・・・」と驚くと、「そ・・そうですね。少食ですが、こんなに美味いの初めてです!」と箸が止まらない客人たち。

クライマックスは「鯛のカマ焼き」で「“鯛の鯛”って知ってますか?」と、箸で突つく客人へ話題をブッ込む。「何ですかそれ?」となり、スマホで見せるとカマからの“鯛の鯛”探しが始まる。「えっ!これ?おぉー!」となる。「ホントだ!」と、話題で美味しさ30%盛り。「ごちそうさまでした。ホント美味しかったです!」と客人がお店の人にお礼。「びっくりした美味しさでした!」と余韻のまま解散。

2022年3月19日土曜日

やはり、ついに。


(やはり、来たか・・・)と思った。「こちら、〇〇の〇〇と申します。」「はい、こんにちは。何でしょう?」「〇〇監督の今回の事件に関して、愛媛県でも撮影された作品がありまして、当時のお話をお聞きできればと思いまして・・・」「はい、具体的には?」「当時、そのようなお話や噂をお聞きになりましたか?」「ないですよ!」「撮影現場にはいらしたんですか?」「いましたよ。でも、現場でそんな話も行動もしないですよ。撮影中ですよ・・・」

(ついに、この時が・・・)と思った。「年齢はいくつですか?」「23歳です。」「えっ!」とあげてしまった声に隣が「どうしたんですか?」となる。「我が子と同じ歳です。」「えっ!そうなんですか?」「いつか、こんな時が来ると思ってたけど、ついに来ましたね。」と私。そう言えば、昨日と今日、MBSの開局70周年で放送される「インバージョン」の西山監督は22歳だった。

「パワハラ、セクハラ、モラハラなんて昔はフツーだったんだよ。暴力だってあったし、でもそれがフツーと思ってたから、今では考えられないよね。許されるコトではないけど、トラブルなどにタフになったのは事実」「そうだったんですか!今ではそんなコト、全くないですよね?」「そう言う人は退場させられたし、退場したよね。そして業界は気づいたの、暴力などがある業界に入りたい人なんていなくなり、結果的に自分達の首をしめてるってことをさ・・・」シーンとなる。

いつか読む備忘録。


いつか読み返す時の備忘録、その時は笑って読めますように!
3月の机上は「対年度末特別仕様(エヴァ風)」に変わる(笑)。PCも今年から16インチになり見やすくなった!各種ハンコも手に届く所に配置、ドキュメントスキャナーも今ではこの時期しか使わなくなった(スマホアプリでもPDF化できるけど品質がイマイチ・・・)。年に1回しか使わないのが「製本テープ」、ホント提出用にしか出番がない(2-3年使い続けてる)。

CDに焼いて納品が多いからテプラも引っ張り出す。カワイイピンクでリボン調な女子力高めの機種はご愛嬌。そして外付ドライブもネット経由が多くなった昨今、出番が少なくなった。新Macを購入して起きた問題は「接続がUSB-C」になり全ての機器にアダプターが必要になったこと。そして機器を動かすソフトウェアのバージョンで手間取る。機械も人間も古いバージョンを使い続けるのは安心、安定だけど、進化から取り残されてしまうんだ。

備忘録にした理由は、いづれ、これらの機器は不要になり、全てがオンラインやクラウド上で保管、保存されて面倒な手間も省かれると思う(願っている)から。とは言え、色々なものがコンピューティングされて利便性が高くなる一方で創造的な感性は、人の方がまだ有利と思うから、そっちに注力しようと誓う!

2022年3月18日金曜日

何の影響だろう。


小学生と話を合わせる為に調べたら時代を感じた件。様々な企業が独自に選出してるから参考レベルだけど、違うサイトで見れば小学生の男女共に「会社員」が上位で(そうなんだ・・・。)と思ったり。
また「起業家・事業家」はないのね。あくまでも小学生が対象だから、今の時点で「アントレプレナー」とか知る必要ないよねと。小学生はどこでなりたい職業の情報と接点を持つのかな?テレビやネット、ゲーム、親の影響か?

<男の子>
01(2000)スポーツ選手→(2018)野球選手→(2021)ゲームクリエイター・プログラマー
02(2000)警察官→(2018)サッカー選手→(2021)ユーチューバー
03(2000)職人→(2018)医師→(2021)サッカー選手
04(2000)運転士・運転手→(2018)ゲーム制作関連→(2021)野球選手
05(2000)自営業→(2018)会社員→(2021)研究者・科学者
06(2000)おもちゃ屋→(2018)ユーチューバー→(2021)芸能人
07(2000)消防士→(2018)建築士→(2021)漫画家・イラストレーター、アニメーター
08(2000)パン・ケーキ屋、お菓子屋→(2018)教師→(2021)バスケットボール選手
09(2000)パイロット→(2018)バスケットボール選手→(2021)医師
10(2000)会社員→(2018)科学者・研究者→(2021)学校の先生

<女の子>

01(2000)パン・ケーキ屋、お菓子屋→(2018)パティシエ→(2021)漫画家・イラストレーター、アニメーター
02(2000)花屋→(2018)看護師→(2021)芸能人
03(2000)看護師→(2018)医師→(2021)ユーチューバー
04(2000)教師(幼稚園含む)→(2018)保育士→(2021)パティシエ
05(2000)保育士→(2018)教師→(2021)保育士
06(2000)自営業→(2018)薬剤師→(2021)デザイナー・ファッションデザイナー
07(2000)医者→(2018)獣医→(2021)学校の先生
08(2000)芸能人・タレントモデル→(2018)ファッションデザイナー→(2021)看護師
09(2000)ピアノ教師→(2018)美容師→(2021)作家・小説家・ライター
10(2000) 美容・理容師→(2018)助産師→(2021)医師

偶然すぎやしないか?


街中で「よっ!」と手をあげて声をかけてくれたのは、ひと回り以上違う市役所時代の先輩。同じ課ではなかったけど、面白がってくれてココ大でご一緒させていただいたコト数回。既に市役所は退職されていたものの「オレもあと一年だよ、お払い箱だよ」と、嘆いてんだか、解放を喜んでいるのか?分からず(笑)。「楽しいコトしてるかい?」「相変わらずです。」「それはいいこった、頑張れよ!」と偶然に会った先輩。

ふと思いつき、確認しようと市役所に連絡。担当者不在とのことで別日に連絡があると「余談ですが・・・実は泉谷さんと一緒に仕事させてもらいました。」とのことでビックリ。楽しいしか感じなかった仕事で「おぉ!まさか、こんな所で・・・」となる。初めての連絡先だったのに互いに素性が割れたので話がスイスイと進んで決まる。(あんな事業、またしたいな)とよぎる。

Aさんとの打合せに行く途中、郵便ポストへ郵送物を入れるために寄り道をする。信号で待つのが嫌だったので違う道に進む。右に行けばよかったものの、そんなに時間も変わらないと左に曲がり歩いてホテルにさしかかり、ホテル入り口の自動ドアが開き中から出てきた人は【Aさんとは異なる件で打ち合わせが必要だったBさん】で超ビックリ!驚いて両手を振ってしまったほど。立ち話をして要件を済ましてAさんにとの打ち合わせに間に合う。この偶然ってスゴくないか?

2022年3月17日木曜日

辛い調べ。


うーん、この悶々とした暗く沈む気持ちをどう扱ったらいいのだろう。
令和元年に自死した10歳から19歳は659人だったのに対して令和2年は777人、そして令和3年は749人。毎日、日本のどこかで未成年が2人自死してるって、どんな正当っぽい理屈を並べても異常でヤバい。全世代で自死の背景にあるのは「経済生活問題(生活苦など)」「健康問題(病気など)」「家庭問題(家族など)」「勤務問題(仕事疲れ)」「学校問題(成績不振など)」「男女問題(失恋など)」が絡み合い連鎖のことだけど、どうしてこうなった?

ちなみに平成時代も500人台で多いけど、令和に入ってから増えている。コロナウイルスの影響と識者は見てるようだけど、どうなのかな。政治家のせいにするのは簡単だけど、何の解決にもならない。解決策も持ち合わせてないから、せめて半径3mの子ども達には自死という選択肢を思いつかせたくないし、考えさせたくもない。ちなみに愛媛県の統計では207人(令和元年)が自死してる。

数字で分かったつもりになるなよ!亡くなった方、一人一人に名前があって生きた事実がある。のは分かってるけど、ココは単眼と複眼、ミクロとマクロのように近づいたり、俯瞰したりと色々な角度、切り口から見ないとならず辛い調べ。2021年の出生数は80.5万人だったようで、これは2028年の予想値と同程度で予想よりも少子化が加速しているとのこと、それなのに・・・。

ダイナモ人材を知る。


知ることで辛い現実を直視する日々。「熱意ある社員」は全体の6%しかいない。5年前の調査だから古いけど調査した139カ国中132位と最下位クラス。ウェブで見る限り「もともとは高い意識があり、それはコマンド&コントロールで効果を出せていたけど、長い間に起こる仕組みの弊害で同調圧力、排他主義などが横行しはじめ、保身や不満、無気力社員を造成した。」とのこと。改善しようにも諦めムードか。

以前から組織は「2:6:2の法則(20%が積極的、60%が普通:20%は働かない)」の法則(働きアリと同じとか)で動いていると思ってたから、6%と言うのは2:6:2の法則に全く当てはまらないと知る。
まっ、法則や数字・数値の正誤ではなく「現実はそうなんだ。」と粛々と受け止めて、6%や20%の人を“その気”にさせるかが鍵かと。そんなやる気のある人を「ダイナモ人材(自家発電人材)」と言うのだそう、へぇー。

自発的に動くがキーワードで、自ら問いを立てて凸凹を乗り越えて到達しても、また改善などで動き出す。セルフリーダーシップと同じか。暗中模索の五里霧中で不確か不明瞭な時代という世相も反映してるんだろうな。ポイントは「自発的≠優秀」ということ。
でも、そういう人って組織の中では煙たがられたり、扱いにくいとなりがちだけど、それは組織全体として評価するのではなく上司の気分で行う評価だからか(涙)

2022年3月16日水曜日

降臨!


wikiによると
おかんアートとは、主に中高年の主婦(母親=おかん)が余暇を利用して創作する自宅装飾用芸術作品の総称である。具体的な起源は不明だが、こうした創作活動は古くから全国で自然発生的になされていたと考えられる。それがおかんアートと括られて注目を集めたきっかけの一つとして、2003年3月28日に立った2ちゃんねるスレッドがある。評価には愛情・諦念・ノスタルジーといったドメスティックな感情が色濃く反映されている。

<おかんアートの定義の一例>

  1. 基本的に、非常に役に立つとは言い切れないが勢いはある
  2. いらないものの再利用(眠った子を起こす)
  3. 飾る場所に困る。飾るときはビニールに入れたままにしたりする
  4. 部屋のあらゆる場所に侵攻してくる
  5. センスが良いなど気にせず、セメントのズレなんかも気にしない
  6. なのに、暖かみだけは、熱いほどある
  7. 作りすぎて置き場がなくなり、人への配布をスタートする
  8. 置いた瞬間、どんなにおしゃれな部屋ももっさりさせる破壊力大
  9. とぼけた顔にイラッと来るか、なごまされるかはあなた次第
  10. フィーリングで作るキティとドラえもんは危険
と強い関心を持っていたら、義母宅にもあった(いただきモノとのこと)!ファービー?ギズモ?と既成概念で括っていけないと猛省。新しいリーゼント生物なのだ。おかんアートの特徴の一つは、同じ素材を多用に用いる(折り紙、楊枝、タバコの空き箱など)と調査し始める。子ども達にウケたらいいんだけど。

魅力は多面的。


何も知らずに見れば「美しい古い洋館」で終わり。普段から「物事は多面的だから色々な切り口(≒細分化)で見てね!」と、伝えているので昨日は萬翠荘で多面的な魅力を実感。


(1)人物。主人だった久松定謨氏のことなのか?建築家の木子七郎のことなのか?萬翠荘を訪れた方々の記録なのか?

(2)歴史。一言で歴史と言っても建てられた当時の愛媛の歴史なのか?建物の歴史なのか?これまでの変遷なのか?

(3)文化。建てられた100年前の愛媛の文化なのか?様式を導入したフランス文化なのか?

(4)建物。構造なのか?様式なのか?インテリアなのか?それとも材質、質感なのか?


100年も歴史があると、切り口一つでも奥へ深く細分化可能で、萬翠荘を取り巻く事柄は想像以上にスゴいと改めて実感。そして100年を機に「新たな切り口」を見出して未来へ繋げようというのだから素晴らしいと思う。


そんな勢いに乗じて「こども達を萬翠荘へ写生に連れて来てもいいですか?」と尋ねた所、快諾をいただく。これまでの100年を子供たちはどんな感性で描くのか?くれぐれも「上手に描く」ではなく、感じたままで描くように伝えなきゃ!Don’t think… feel.と言ったのはヨーダ先生。それにしても昨日の萬翠荘は、森の緑、空の青に映えたこと。

2022年3月15日火曜日

質問する人は素晴らしい。


粗大ゴミの連絡がきたので朝から処分品をまとめる。年度末作業も何となくメドがつきそう(実際にはついてない)。次年度の計画書も書いた。会議用の資料も作成した。報告書も体裁を整えて発送した。ついでにPCのデータ整理もした。天気も良かったので布団を干して洗濯もしたら、新しい洗剤は量が少なくてよかったのか香りがプンプンする。その間に掃除機をかけたら既に夕は暮れた。

朝に散歩ができなかったので久しぶりの夜散歩。朝と違うのは「街の熱気」、朝は静けさから熱量があがるのに対して夜はまだ熱量が高く、これから冷めていく感じ。「街の音」も違う。朝は静かで寝ているようだけど、夜はザワザワしている。そして朝には見かけない「ダルマラーメン」を見つける(ラッパ音が時々聞こえていたのはこれだな!)と、食べたかったのに、お金を持ち合わせていなかった・・・。

歩いているうちに頭も涼しくなったと思ったら「初めに質問する人は素晴らしい→次の人が質問しやすくなるから」「ヘンな質問をする人は素晴らしい→質問の内容のハードルを下げるから」「関係ない質問をする人は素晴らしい→質問の内容を広げるから」を思い出す。
あ”ー、松山東雲大学から「採点の配分はどうされますか?」という質問に答えないといけないのが脳裏にあったみたい。

改めて振り返り。


ブランドとは差別化、ブランドとは共通言語、ブランドとはメッセージなど言われるけど、私には【ブランドとは顧客との約束】が“しっくり”きて、預かる際は【御社の商品やサービスは消費者と何を約束するんですか?】と尋ねる。忖度なしに聞くから、初対面の方は「えっ!?」となる方もいて、その場で終わる人もいるし以後、続く人もいる。自社の商品やサービスについて言えないようでは困る。

言えないことに危機感≒課題と思い、“そこから(ゼロ)”から始まることもあれば、言えただけの場合もあるので“展開、深化(イチ→ニ)”させることもある。誰と約束するの?何を約束するのか?は「決めすぎない・固めすぎない」がポイント。決めすぎるとゼロかイチかでバッサリ切らないとならず余白がなくなる。枠は少し余裕を持たせ、運用面でハッキリしておけば問題ないと思う。

以前なら年齢がターゲットの主要素だったけど、個人的には年齢より「シーン」の方が扱いやすいし、約束事だって年齢ではなくて「シーン」に紐づけた方が現実的。今、残っている課題は「じゃあ、その商品やサービスの存在を知って、手をのばす、利用したいと思う意識」の醸成はどうしたらできるか?小難しいフレームワークを駆使するより、当事者と意見交換が最もいいということでウンウン!となる。

2022年3月14日月曜日

上から目線で。


観るのも仕事。NETFLIX、Amazonの両方で観まくる。アメリカ映画でも(これって映画にする必要あった?2時間ドラマでも十分)という話題作があったり、スパイになった主人公がエジプトとイスラエルの戦争を犠牲を払いながらも回避させた実話作品があったり、アメフト映画を見ては(ハズレなし!)と涙したり。個人的ですが、妻子が殺されて怒りの復讐劇や地球を破壊する作品は飽きた。

「参考に観てください。」と言われた「映像研には手を出すな!」はツッコミ所が満載だったけど総論として面白かった。同じく「深夜食堂/孤独のグルメ」は何度見ても面白い人間ドラマ。「東京原発」は3.11以前にココまで描いてた風刺に苦さを感じたり。コロナ禍で20 億円の興行収入とのことで観た作品は、あまりの質(設定やロケ地など)のヒドさに途中から見れず鑑賞中止!劇場公開に値しない作品とはこのこと。

日本アカデミー賞が開催され、最優秀作品賞を受賞した「ドライブ・マイ・カー」は広島FCの支援作品。最優秀アニメーション作品賞を受賞した「シン・エヴァンゲリオン」は宇部FCの支援作品。最優秀外国作品賞は「ミナリ」もしくは「デューン」と思ったけど予想ハズレ。
フィルムコミッションも授賞式の場に入れたらと本当に思う。なぜなら、支援作品の多くがノミネートされるのだから。

気持ちは大泣き、雨あられ。


そうか「ツユクサ」は西伊豆でされたのか・・・。脚本を預かり読み込んで不思議な世界観の作品なのに「ごく、ありふれたフツーの場所だけど、物語を感じる場所。」という難解な設定を県内で探して渡したけど、その後は音沙汰なく撮影はされていたのね(こう言うことは日常茶飯事なので気にしない)。予告編を見て(こういう雰囲気の作品だったのか!)と、脚本だけでは到達できない世界観を知る。学びます。

ちょうど、ツユクサと同じ頃に手元に届いた企画書は「とんび」。これは岡山県フィルムコミッション協議会の支援作品。舞台が岡山県だから当然なんだけど、瀬戸内海に面しているから、撮影相談にのったけど愛媛での撮影はなかった。そんな岡山県では昨年「愛媛大学卒のマンガ家が描いた愛媛県舞台の作品」が撮影された。その作品は「恋は光」で、オール愛媛ロケが決まっていてクランクイン直前だった・・・。

愛媛に縁あるマンガ家の作品でオール愛媛ロケに燃えて奔走した日々、撮影協力者も全員が前のめり(コミックスを買って読み込んだ担当者もいた。)で応援してくれたけど、コロナの影響で愛媛ロケは“全て”なくなってしまい全員が嘆く。誰のせいでもないんだけど・・・。
救いは予告編から素敵な作品と感じることができ、全てのシーンを知っているから共感できて、作品が完成したことに感無量(気持ちは大泣き)、ホントよかった。