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2019年8月30日金曜日

地域にとって吉か凶か。

愛媛で映画の企画を立て撮影をしたい、という監督と会食。話を聞けばまさにご当地映画!「完成したら愛媛国際映画祭で公開しましょう!」と意見交換。昨年もお会いしたし、その前から企画は動いているから撮影が来年になると足掛け4年の企画。
松山舞台の「ディストラクションベイビーズ」の真利子監督も3-4年、三津浜などに通い続ける中で知り合ったっけ。企画しても撮影→公開まで時間がかかるのはザラ。

ブラブラ歩いて飲食店を探したり、バイク旅でいく先々で充電させてもらったり、アポなしで一軒家を探したり、突然に相席をお願いしたり、終電後から始発まで酒席をはしごしたりするTV番組多し!特徴は「タレントが直接、店と撮影交渉」「話し相手は一般市民」ということ。市民の反応に(タレントよりも市民の方が面白い!)と思ってしまうのは番組の高度な演出か。それとも制作費抑制か。

以前はFCにも「〇〇な市民を紹介してください」「Googleマップ上にあるこの建物は何でしょうか?」などの相談があったけど現在はお断りしている。理由は、この手の番組は「行き当たりばったり」さをウリにしているので予定や段取りを組んでも朝令暮改で協力者に迷惑がかかるから。映画やドラマの場合は連絡を取り合い話すことで信頼関係が生まれるけど、瞬間的な点、さらにサッ!と立ち去るバラエティ番組は地域にとって吉か。

2019年4月27日土曜日

感じるズレ。

仮に1億円の助成金を資金分配団体が預かろうとすると20%の自己負担ルールなので総事業費は1億2000万円/年。うち15%以内が管理費(例:1800万円)、そして仮に10種類の公益事業、それも波及効果の高い改革的な事業に助成すると1000万円/年平均。受託者(公益事業実施団体)にも20%の自己負担ルールが課せられるので1000万円を預かろうとすると200万円を負担。

プログラムオフィサー(事業の要を担う役割)が必須なので、専任もしくは兼任で複数名雇おうとするも、プログラムオフィサーも生活しなければならず、愛媛県の1世帯(世帯数3.27人、世帯主年齢48.5歳)の実収入は440,259円/月なので年5,283,108円。東中南予に1名ずつ配置すると計3人だから15,849,324円。乱暴な計算だけど、これだけでは「事業費や事務費」が捻出できないので800万円/年が資金分配団体に支給予定。

そもそも「どこを対象にしてるの?」と思うと「社会に表面化し大勢が感じている課題」は分かりやすいんだけど、それは氷山のごく一部で、その下に潜む「見えない課題(まだ表面化していない)」は、社会への影響度も分からないし受益者に負担を求めることも難しい。そんな「投下しても回収が難しい費用」は誰が負担するのか?「寄付でまかなったら」と言う人がいるけど、毎年200万円、2000万円の寄付って考えたら分かるでしょ!って話。

2019年4月26日金曜日

笑い事では済まされず。

「効率化決める会議が非効率」「稟議書のハンコは続くよどこまでも」「徹夜した話が自慢の上司たち」「働き方改革権利だけいう勘違い」「残業代減る分以上に子供の笑顔」と続く「社内のあるある」を悲喜こもごもに表現した川柳。社長も社員も男性も女性も事務職も技術職も参加者全員が困ってる状態は、知らぬ者同士ながらワイワイガヤガヤした90分1本勝負でしたがハッキリ言って異常です。

日本人は辛抱強いのか?耐えることが苦にならないのは特性だけど、それって時に(私も耐えているんだから、アナタも耐えなさい)という意味不明の連帯感を強いてないか?と思ったり。「組織は同質化を求める傾向がある」と書いたけど、個人では互いに理解できても組織だと理解されないのは何が根本的な原因なんだろう?仕事帰りに参加した方々と話して悶々としたり。

ココからは個人的見解、誤解を恐れずにいうと。「80点で十分なのに100点を目指すから、余計な20点は自己満足でも周りからは80点≒100点だから同じ評価で、20点分の為に注いだリソースも評価されず」。要は「無駄なエネルギー」を余計に放出してるんではないかと。会議のための事前会議の準備に資料やパワポを作り込むなんてナンセンス!働き方改革の1歩は職場の無駄撲滅からか・・・。

2019年4月18日木曜日

自戒を込めて。

些細な作業や業務を自分ごと化するのは難しく、時に「どうして私がそれをしないといけないんですか?」に陥ってしまうコトあり。掲げた目的と自分を結ぶつけるのはいいけど、方向性や目的へ向かう過程には面倒に思えたり不要に思える作業や業務もある。でも「しないといけない」コトだから、そこは自分が主語でなく目的達成に必要な一つのパーツと思わないと。

「骨折り損だ」とか「時間の無駄だった」と言っている間は学べない。その理由は「原因を外に求めている」から。誰かを責めたり相手の非を見つけようとしている間は残念で、仮に骨折りでも時間の無駄でも(儲けた!今後の糧にしよう!)と変換して自分に向けないと。骨折り損、時間の無駄と思うのは個人の自由だけど、相手を前に口に出すのは言語道断。

決めたことを守るのは大切だけど、いつしか守ることを目的にしてしまうと「管理思考」に陥り、評価の物差しは「守ってるか?守ってないか?」となり管理はしやすい。でもプロジェクトは【成功を求めへて変化する生き物】と習ったので、ゴールは不変だけど、状況に合わせて手段や手法は変えてもいい「臨機応変さ」がPMには求められるはず。そいう意味でプロジェクトは人の成長にすごく役立つ。

2019年4月2日火曜日

自分のことは棚に上げて。

いつしか「審査員やアドバイザーなど」を拝命することが多くなり、2月、3月は西へ東へ!伝え方を教える身として(むむっー!残念!)と思うのは、(1)作成した資料を発表者が理解していない(資料を作成者と発表者が違うのかな、臨場感がなく、届かない)。(2)質問すると返答しないで笑って誤魔化す(そんな笑顔がマイナス点)。(3)質問すると「分かりません」と思考停止に自らする( キャッチボールができない)

そして(4)予め決まっている仕様や条件に沿ってない(そもそも論としてNG)など。(意欲あるの?)と、真剣に向かい合いたいのにガクッ!となる姿勢へどう対処したらいいのだろう。個人としても損すると思うし団体にも悪い印象がついてしまいそう。と、偉そうにいう私も人のことは言えません、締め切りギリギリで書類を提出し担当者をヒヤリさせる常習者!

自分のことは思いっきり棚に上げまして。やるんだったら、真剣に取り組もう!と。助成金や補助金が「貰える」ならする、「貰えない」ならやらないとか、発表者の姿勢を見れば一目瞭然です(そもそも貰うものではない、預かるもの!)。写真はパトロール、質感にヒビ割れ感があるのは一般的なソフトクリームマシンではなく手動で「押し出しタイプ」だから、色々あります。

2019年3月25日月曜日

ニュースじゃ済まない話

「今から来るって・・」と、全く計画性のない男子。中学卒業以来、友達が泊まりにくる回数増える。小学生の頃から何度も泊まりにきては兄弟同然で過ごした彼らとも4月になれば離れ離れ。泊まりにきたからと言って特段なもてなしはないし、テキトーに過ごしてテキトーに寝る気遣い不要な子供たち。なんというか信頼で結ばれているから、片付けも手伝いもしてくれます。

日本財団調べによると18歳〜22歳の自殺の要因第1位が自殺なんて異常!そして、22歳以下の男女で「日本は希望が持てない国だ」と考えているのは43.5%も異常!と思っても、この国で暮らさないといけない人が多いと思うと、幻滅するのも分からなくもないけど、分かりたくない。一体、日本の若年層に何が起きているのか?我が家の若年層に聞いてみると「大人は言うこととしてることが違う」とのこと。

生まれてきた時は元気に生まれてくれることだけを願ってたはず。それが月日を重ねると親の要望が増えてないか?「夢を見てね!」と小さい頃は何度も願ったはずが、いつの間にか「いつまで夢見てるの?」と、気持ちをへし折ってないか?どう考えても大人の責任で、せめて自分の半径3mだけは子供達が安心・安全に希望が持てるようにしたいと。単なるニュースじゃ済ませられない。

2019年3月11日月曜日

リテラシー

アメリカでは「9.11の前と後」で日常は変わり、日本は1.17、そして3.11の「前と後」ですっかり変わってしまったと言ってたっけ。2011.3.11(金)2:46、私は事務所でココ大の職員面接をしていました。面接の途中で地震速報が出て、面接が終わりテレビをつけたら大型フェリーが津波で木の葉のように岸壁にガシガシぶつかり、そして津波に飲み込まれる街の映像。

今の現状を伝える報道番組では「復興」という言葉の捉え方(解釈)が政府と被災者で違うと言ってた。どこかでこの「違和感」を感じたぞ・・・と思ったら、2018.7.7の鹿野川ダムでおこった放流事故を思い出す。こちらも「復興」はこれからも続く。先の報道番組では「復興」の第一段階が終わり、いざ戻り新たな希望と思いきや現実は地域からの孤立や孤独死だったり・・・。

報道って編集者の意図で善にも悪にもなり得ると思ったり。モノゴトは多面的だから各面で色々と思うのは自由だけど、このご時世の産物か?ひねくれた私だけか、耳障りのいいだけの話には眉をひそめてしまう。まぁ、相手にこの思いは届かないから、どうすればいいか?と思うと、やはり「リテラシー(モノゴトを適切に理解・解釈・分析する力)」が重要かと。

2019年2月8日金曜日

違和感への答

『地域の拠点である「道の駅」、地域で活躍する「地域おこし協力隊」との連携は、地域の魅力を持続的に掘り起こし、それは収入の一つとして還元・循環できる。』と、吠えた背景には「景気は回復だ!」と言われても実感は得ず、逆に(そう思わせたい理由は何なの?)と違和感を感じて、自分なりに考えみたら「地域は気づかないジリ貧状態かも!?」と思ったから。

学者ではありません。愛媛県では自然減・社会減でざっくり年1万人が減少し「市町消滅」なんて言う人もいるほど。頑張ってるはずでも実感がわかないのは、地域の経済・景気帯域が気づかぬうちに沈下(例:人口減少などによる経済鈍化、税収不足など)する中で頑張っても「沈下と上昇で相殺」されてるから。数年前だったら回復を実感できても、今では数年前のゼロと同じだったり・・・。ひぇー!という感じ。

そんな悲観的な中でも暮らし続けないとならず、どうしようか?と考える。金はないから知恵や工夫で考えると「今ある資源の大活用」しかないと。まずは地域内で連携できれば、他の地域とも連携でき、いづれ広域連携も可能かもと思ったり。「中都市間連携」ともいうけど、100のエネルギーを1回で使うのもいいけど、10のエネルギーを10回した方が持続的。

2019年2月6日水曜日

いい加減さ。

「物事は細分化すると見えやすくなる」と伝えていますが、最後の一粒まで細分化すると良い結果を招くことも対立や批判を招くこともある。
誤解を恐れずにいうと「悪者は叩きのめす傾向」のある昨今、コトが起きると1億総探偵となり被害者も加害者、果ては関係ない家族や交友関係までもさらされ、どうでもいい細部の一粒までスクープのごとく取り上げる悲しさ。尺不足か?ネタ不足か?

とある活動団体。信念をもち主張するのは言論・表現の自由だけど、それを見て誰かが悲しんだり傷つけるような言動は絶対にNG。最後の一粒まで細分化してしまうと「正義と悪、白と黒」が生まれ、引くに引けず対立軸になってしまう。「ここまで!」という線引きを超えてしまう傾向あり。正義と思ってることが実は悪になる矛盾や正論が自己否定に繋がることはよくある。

「一人はみんなのために、みんなは一人のために」「イソップー!」のような涙物語が好きだけど、無用な連帯責任や末代までの恥のような村社会意識からの脱却、もしくは曖昧さを残せる許容力が必要だなと、時代と共に価値観も変わってる。自分に余裕がないと他人に対しても余裕を持てないのは事実。そもそも人口は減ってるんだから、少ない人数でバトルロワイヤルしてもしょうがないと。

2018年11月29日木曜日

本当にあった事件。

気づいたのは15:30の終了後。片付けの最中に記念撮影などができるよう会議イスに座らせていた「巨大みきゃん」が見当たらなかったから。スタッフに「あれ?巨大みきゃんは片付けた?」と尋ねても「いいえ」の返事に!*@?。(もしや置き引き!?)と思い、周りを見渡しても人が多く見えません。でもバッグに入るはずもない巨大みきゃんです。それもオレンジです。目立つはずですが・・・。

関係者に事情を話し、入口の警備員に「大きなみきゃんのぬいぐるみを持った人を見かけませんでしたか?」と尋ねると「見ました!」と警備員。愛媛県スタッフも目撃していたことから窃盗事件発生!堀之内までダッシュするも見当たりません。借り物だったのに盗まれてしまい管理責任者として詫びて凹みながら帰る途中、少し先に「大きな荷物を抱えて歩く人」がいて、近づくと「みきゃんのお尻!」が見えた!

洋服にみきゃんを包み歩く不審者!「すみません!それはみきゃんでしょうか?」と尋ねると「家から持ってきたみきゃん」と言い張る不審者。急ぎ足になるのを止めて問いただすと「すみません・・・」と窃盗を認めた不審者。そして手元に戻った巨大みきゃん。持ち主に返却し一件落着でしたが、冷静に考えると「数万人いた中の1人」を探したことになり、神がかっていたと今年の運を使い果たしのかと(涙)

2018年10月9日火曜日

正論ばかりは疲れる。

一度離れ俯瞰すると、見方も思考もリセットされてスッキリ見えることはよくある。同質的な渦中にいると四方八方が同じ見方や思考なので、あたかも正論(≒常識)に思え、自分ごと化されてないのに「情報としての正論を話す」自分にジレンマを抱えたり。そういう役目も必要と思うけど、インフラだから感じにくいのか?それとも孤立してるから共感を得られないのか?

正論ばかりだと疲れる、その通りだもの。個人にしても活動にしても正論と比較されるといかにヘボかと凹むー。正論を吐く人は正論だから悪気ナシ!しかし、正論は言えても「現状からどうしたら正論の内容へ近づけるか?課題の顕在化と改善方法まで」は教えない。そこだよなー、正論と現状の「隔たり」を埋める改善方法を現場は知りたい、総論はこの際不要。

同質なものに四方八方を囲まれていると、いつの間にか「浦島太郎状態」になる。自分たちが気づいてないのに(必要なのにどうして分からないの?)と外部に問題を転嫁したくなる。自分たちだけで気づいて納得して満足ではなく、現場へ具体的に成果が出るまで落とし込まないと。知れば知るほど何かが違うという違和感を感じて離れて思ったこと。

2018年9月9日日曜日

クラウドファンディング

「弊社はクラウドファンディング会社ではありません」と担当者。「新商品のテストマーケティングです」との説明に、最初はモヤモヤしたけど、次第に(そうだな)と腑に落ちる。新商品は隙間を狙った商品だから小規模で始めて意見を集めて改良してゆくのが一般的。「新商品のマーケティングなら我が社!」とメーカーにもフォロワーにも認知されたら立ち位置確立。

そんな新商品に詳しいプロへ、3年間放置していた悩みを相談。それは3年前に購入したニッチな商品をクラウドファンディングで購入。しかし!搭載が予告されていた機能がアップデートされないまま型番は落ち、使えないまま放置状態に・・・。そして3年が過ぎ、競合品も出てきて・・・。

プロからの助言は「初期応援者なので対応してくれるはず」とのことで、メーカーへ再度問い合わせると返金してくれることに!理由は「期待していた機能は今後も未定」なため。3年過ぎても言ってみるもんだと。クラウドファンディングはとてもいい仕組みと思う反面、メーカーには商品へのアフターケアもシッカリ願いたい。「我が社のサービスは大丈夫ですからご安心ください」とプロ。

2018年6月13日水曜日

消耗の根元

助成金や補助金を申請する場合「マイナス要因」の発言は不利・・・という審査員への忖度から言い出しにくい。でも率直に言ってくださって感謝!それは「活動(イベント)疲れ」という現実。地域づくりも「イベント化」すると一部の人へ負担がかかり責任感の強い人ほど一人で背負い込んでしまい、イベントは遂行されるも当人は燃え尽きてリタイア。

これまでに燃え尽きた人を何人も見てみて(このまま、正論だからと地域づくりに頑張りすぎると消耗する人が出るかも!)と心配していたので、「活動疲れ」という本音に共感。地域づくりは継続してこそ成果が出るので「仲間とどれだけ楽しめるか?」がポイント、そして楽しみながら少しでもお金が入ってくればもっと楽しくなる。お金はすごく大事!

「活動(イベント)疲れ」の原因の根元は、人口が減っているにもかかわらず、活動や役回りは減らず、むしろ増えているコト。活動の中には(どうしてコレをしてるの?)と誰も分からないのもあったり・・・。活動を本格的にするなら先ず、地元での活動を見直して取捨選択してからの方がいいかも。惰性や思い入れなく続けている活動は人や地域を消耗させてしまう。

2018年4月20日金曜日

はびこる輩。

相談の一つ一つは異なっても相談の背景に見え隠れする原因に共通項目はあり、例えば「課題を改善したい当事者が周りに相談できない状況」だったり「課題を改善したい当事者に近づく偽善者に振り回される状況」がいたり。そもそも私自身も怪しい!のに、お見えになるとは・・・。
ただ場数が多いだけで、場数から事例を引っ張り問いを立ててるだけです。決して答を持ってるわけではありません。

だから、面倒なことの解決の場にお招きされても答をズバッ!と言うわけではないので期待ハズレの場合もあれば、テキトーさがウケて(笑)、数年間に渡り一緒に取り組むこともあります。話を戻して、周囲に相談できない状況なら聞き役になりますが、当事者に近づく偽善者に振り回されるのは対処がやっかい(自分が振り回していないことを願う)。

偽善者とは「立ち位置不明な人」「口だけ指示の人」。そういう人は「ごもっともな正論しか言わない」「総論しかいわず各論はいわない」傾向があるので要注意。表層的な現象の対処療法を話し、課題の根本を改善する根治療法的な話になるとスッーといなくなったり、急に評論家になったり。言うだけだったら誰でもできる!という話。そういう輩の話を聞くと閉鎖的になる地域も(本当は困るんだけど)仕方ないと思ったり。

2018年4月4日水曜日

まちづくりとは。

アイデアキラーには鬼王丸の退治かも!
4月9日(月)17時からのNHKラジオ【ラジオまどんな】を控え、今回のテーマである「まちづくり」についてディレクターと意見交換。「そもそも、まちづくり、地域活性、村おこしなどの言葉の意味は同じですか?」と最初の質問。「広義の意味でどれも同義語です」「まちづくりって何でしょうか?」と直球質問。「一人一人が主体的に参加する地域をより良くする活動」と答える。

「それは具体的にどういうことですか?」「ヒトモノカネなどの経済活動が循環し、循環から一人一人に益がもたらされること」「なぜ?まちづくりが必要なのでしょうか?」「人口減少や少子高齢化から起こる未来を想像すると、当たり前だった公共サービスがなくなったり、安心安全な暮らしが難しくなるかもしれない、そうなる前に改善できることは自分たちで始めよう、かな?」

「まちづくりの課題って何ですか?」「ズバリ!無関心。あっ!もっともらしく聞こえる正論で意見を否定するアイデアキラー(≒自らの優位性を保とうとする評論家気取り)の存在!」「対処法はありますか?」「無関心には、活動の成果を知っていただく機会を、アイデアキラーには近づかないこと、かな(笑)」生放送だから「ポロリ発言」をしませんように!

2017年12月30日土曜日

ハードを活かすのはソフト!

ナニナニ?見出し一面に中心市街地の空洞化を食い止め「にぎわい」を取り戻すための計画に空振りが目立ち、目標達成は3割にとどまり、悪化したのは5割に上がると読売新聞調べ。商業・観光施設の整備などに10年間で計2兆3200億円が投じられたが、「人口減少のスピードが予測よりも早かった(岡山県玉野市)」「新規開業よりも廃業が上回った(富山県高岡市)」など、急速に進む人口減少に対応しきれていないと指摘。

読んだ感想は2つ。「ハードを活かすのはソフト」なので、ハード整備以外に仕組化や実行できる人材(例:プロデューサー)を育成する予算も2兆円にはあったと思いたい。もう一つは「人口減少は悪ではない」ので10年後相応のコンパクトさで実行されたよねと思いたい。「現状を維持」したいのは分かるけど「人口減少に見合った持続」はできると思う一人。

断言したいのはハードを活かすのはソフトであり、その中核は人。2001年にフィルム・コミッションを愛媛に紹介した際に書いた一文に「既存のハードを活かすソフト事業」と書いたのを思い出す。とはいえ、ソフト事業は1回はできても持続してこそ価値は認められるので、一つに答がでても次の難題に四苦八苦!まるで修行僧のようだけど、きっといいことあるよねー!

2017年12月29日金曜日

私である必要性。

お声がけは本当に嬉しい。お役に立つのなら!と思うけど「往復5時間+実務1時間で帰ってOK」とか「往復3時間+実務4時間で交通費込2万円」とか「往復2時間+実務2時間で交通費込1万円」などの依頼はことわざるをえません。理由は当日の拘束時間だけでなく「事前準備や事後作業」に8時間ほどは費やしているからです。昨日も一つ、ありがたい話でしたが、お断りしました。

じゃあ、何を基準に選んでいるか?といえば【私である必要性】が一番意識していることでお断りする依頼の多くが「私でないといけない理由がない」のが多い。共感したら交通費のみ謝金なしでも行かせてもらうこともあります!だって「私も得られること(入力)がきっとあるはず」だから。よく考えられていない依頼は「出力のみを求められる」ことが多い。この差は大きい。

望めるなら「私である必要性」が欲しいです。予算消化でも(ムムッ!オォ!)と思わせてくれるテーマや目的なら大歓迎!ということで「都市と地方をかき混ぜる〜関係人口が創る新しい地域社会〜(主催:えひめ地域政策研究センター)」もその一つ。分かるような具体的には分からないテーマに共感(笑)。入力機会をいただけるって本当に嬉しい!

2017年12月13日水曜日

良かれと思っても。

これまでにも「あった」映画撮影時の金銭などのトラブル。宿泊代や使用料の未払い、踏み倒し。撮影バーターの反故、挙句の果ては「投資」と銘打った怪しい製作への出資話まで、愛媛のような地方でもありました。裁判沙汰もあり、悪意のある計画的で「犯行的」な仕業から、予想外の問題に見舞われて製作が立ち行かなくなり、あえなく断念というのもあったり。今回は後者とのこと。

新聞によると実際には1億7000万円の未払い(スタッフへの給料、撮影経費など)が発生し、うち長野県の団体が2000万円を立替えてた!というから驚き。立替えの中身は主に宿泊代や弁当代、光熱費などで地域が・・・。常識的に考えれば「ありえない」ことだけど(わが町のためなら)と思ったのでしょう。それがアダになり作品は完成せず、製作会社は破産、配給・宣伝を委託されていたKADOKAWAも手を引いたとのこと。

一体このような事態はどうすれば打開できるのか?。「救う会」が立ち上がり完成させて上映することが「最善策」ではあるけど、完成には更にお金を投入しなければならず、その回収額も不明瞭。もうこの地域での映画撮影はないだろうなと。ちなみに飯山市は「あみだ堂だより(2002年)」という地域が支援した素晴らしい作品があり、当時の担当者から話を聞いたほど。誰もハッピーではない悲しい事例。

2017年11月23日木曜日

協働によりかかるな。

本文と写真は一切関係ありません
共感する人はきっと「実感」したコトがあるからと思ったり。何かというと「協働は単なる手段で万能ではないし目的でもない」こと。だから「協働さえすれば解決」という考えは危険というか浅い!出直してこい!「単独だとできないし、寄りかかれば(課題も手間も)分散できる」みたいな「とりあえず時流に乗って分け前いただき!」みたいな不届き者は即時レッドカード!

それって「フィルム・コミッションを設立したら撮影がくる!」と多くの地方が誤解したコトと同じ!「シン・ゴジラ」がそれまでの慣例的な制作委員会方式(協働はちと違うか・・)ではなく、見えぬ成果に10億円以上を投資し、単独で責任を背負い込んだ結果、賛否両論が起こる話題性ある作品に仕上がり興行収入82.5億円なわけ。何もかもが協働でなくていいわけで、強烈なリーダーシップや独断も時に必要と言いたい。

多様で主体的な参画は新たな気づきや可能性を見出してくれるのは十分承知だけど、協働は魔法ではないので、やり方を間違えると「単に手間だけ増え、内容は良くも悪くもないフニャフニャで、結果に誰も責任を取ろうとしない」これでは本末転倒、時間がもったいない。「協働すればいいんじゃない?」と言ってくる人には要注意!協働するのだって大変なんだから!

2017年10月17日火曜日

最初で最後。

基本的にFBの友達申請は「ご縁」と思っていますが、ご時世なのか「選挙応援」「ねずみ講(ネットワークビジネス)」などのお誘い申請も多くなり、それらの類はお断りしています。
そしてメールでは「あなたのアカウントが乗っ取られた」「不当な支払いが発生した」などがアップル名義で来るもんだから困ったものです。そのエネルギーをもっと社会のために活用したら?と言いたい一人。

NPO法人は、法第2条2項2号において、(1) 宗教の教義を広め、儀式行事を行い、及び信者を教化育成することが主たる目的とするものでないこと。(2) 政治上の主義を推進し、支持し、又はこれに反対することを主たる目的とするものでないこと。(3) 特定の公職の候補者若しくは公職にある者又は政党を推薦し、支持し、又はこれらに反対することを目的とするものでないこと。と定められているので、法人、私は一切関与しません。

自分や社会に問うて欲しいと切に願います。後先考えない発言や行動は「自分らしさだ!」なんて勘違いしている人もいるけど「考えが浅い」だけ。この一週間の内容と量は凄まじく(逆効果なんじゃないの?)とも思ったり。大丈夫!私は私なりの意見がありますから!と言いたい。こういうことを書くのは過去6年間、3250回の学長日記で最初で最後。