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2026年1月14日水曜日

人生が変わった番組。


2004年まで18年以上、ニュースステーションのキャスターだった久米宏さんが死去、享年81歳。ご冥福を祈る。

会ったことも話したこともないけど、私の人生に(間接的でも)大きな影響を与えた人なので記しておく。

「フィルム・コミッションをしよう!と思ったきっかけは何ですか?」と尋ねられた回数は100回以上。いや200回以上かも。
今に至るに避けられない話で、講演会や自己紹介などで話すことも多いフィルム・コミッションとの出会い。

2001年正月、当時の私はネットイヤーという会社でプロジェクトマネジャー&ストラテジストとして事業戦略策定&運営管理業務をしていた。

自宅で何気なくニュースステーションを見ていたら「フィルム・コミッションと言うのがありましてね、どうやら日本でも始まりそうなんです。」と久米宏さん。
ニュースステーションでフィルム・コミッションについての特集が組まれる。

「既に始めている韓国、釜山の様子をご覧いただきましょう。」と釜山FCの取り組みが紹介され、IMFの通貨危機に直面していた韓国は外貨獲得策の一つに「フィルム・コミッション」を立ち上げたという内容。

そして、その動きを察した日本でも勉強会が行われているという内容で、国土交通省らの会議風景が映し出されて、(これは金儲けできる!営業に行こう!)が最初。

テレビに出ていた関係者を探し出し、連絡してお会いしたのは新橋の第一ホテル東京。
お会いしたOさんに勝手に書いた企画書を渡して説明すると「一緒に(フィルム・コミッションを)やらないか?」と思いもよらない話に人生が狂い始める(笑)

営業に行ったはずなのに、フィルム・コミッションの可能性に魅了されてしまい、会社に戻って「フィルム・コミッションを会社でやりましょうよ!」と言っても通るわけもなく、若気の至り/勢いで辞表提出。無職になる。

その後、Oさんから国土交通省へ話が繋がり、国土交通省で私の企画書を読んだNさんは、4月から四国運輸局へ異動になっていて、香川県から電話があり、Nさんにプレゼンする。

結果、愛媛県を紹介していただき、その後は「えひめフィルム・コミッション」の設立に参画し、専任職員になり6年間、愛媛県で映画・映像作品の撮影誘致と支援に励み、その後、松山市役所職員にもなり、ジャパン・フィルムコミッションの理事長に上り詰めて今に至っているという話。

なので久米宏さんの話は外せないという話。

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