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2025年7月5日土曜日

博士と散歩しながら。


博士とは妻のことなんだけど、お互いに仕事については多くを語らない間柄。
だけど、大切!と思うことは、朝だろうが夜だろうが何時でも話すようにしていて、今回は妻がポジティブ心理学≒ウェルビーイング(≒よりよい自分、社会への意識と行動)のカンファレンスに出席して、世界各地から集まる参加の関係者らと学び合うので、私は妻が学んだことの振り返り役で学んでいる(つもり)。

しかし、実は特別なコト(新発見、新理論、画期的なアプローチなど)は少なく、いかに深く咀嚼して自分ごと化できるか?そして、自分自身と深く対話して、問いを立て続けて自分をどう生きるか?が大切と思った件。
独断と偏見な私見です。

世の中や社会が暗中模索の五里夢中だと、不安につぶされそうになり、少しでも安心材料が欲しいと「人と不毛な比較をしたり」「相手を軽視したり」するけれど、そんなコトで得られる安心は一瞬で、根本的な解決ではない。
なぜなら、比較する自分自身より優れた人は多く、比較し続けてもキリがなくて結局凹む。

また、ウェルビーイングの実現にできるコトは“些細なこと”でも多いはずなのに、できないのは「できない理由を探すから&並べる」から。

散歩をする→疲れているからできない。読書をする→老眼で目がシバシバする。趣味に打ち込む→時間がない。旅にでる→お金がいない。
など、正論に聞こえそうなできない理由は無数に挙げることができる。
これは、自分をアイデアキラー化していて、思考を停止している状態。

余命が残り30年(日本人男性の平均寿命)と思うと、思考に「余計&無駄なコト(例:人との不毛な比較、相手を軽視したり傷つけたりなど」が入る隙間なんて作りたくないし、そんなコトを考える時間がもったいない。
一円にもならない(笑)

敬愛するヨーダ先生が言っているではないか!

No! Try not. Do. Or do not. There is no try.

違う!やるか、やらぬかだ。ためしなどいらん。


マウント・クーサ展望台。

マウント・クーサ展望台からのブリスベンの眺め

ブリスベンでのワーケーション&ブレンデッドトラベルは、午前中に動きまわって帰り、数時間仕事をして、午後にまた動き出して、ホテルに帰ったら夜にもう一仕事というパターン。

どの観光情報を見ても「マウント・クーサ」は紹介されていて、「眺めがいい!」とのことだったので、アクセス方法は?と調べたら、なんとホテル前のバス停から出てるではないか!
(これは行くしかない!)と8:50発のマウント・クーサ行きバスに乗り込む。
ちなみにバスは1時間に1本、便数は少ないけど旅人にはありがたい。

住宅街などを通り、山道を20分も走れば終点の「マウント・クーサ展望台バス停」に到着。この時には乗客は私一人だった。
ピッ!とクレジットカードを下車の際にタッチした際に表示された金額が$0.50ドルだったような気がして(えっ!?)と思ったものの、気にせず下車。

バスを降りて1分も歩けば展望台で、パノラマに広がるブリスベンの街並みが一望できて(観光情報に偽りナシ!)と、一人感激。
しばらくボッ〜と眺めていると、「写真を撮ってくれませんか?」とアジア系の家族に言われたので「はい、ポーズしてね!」と写真を撮ってあげて、再び眺めに癒される。

でも、気づかなかったのは紫外線の強さで、顔がヒリヒリして退散!と思うもバスは40分先にしか来ない。ならば併設のカフェで休憩しようと思い、席に着いても誰も来ない・・・。

(なんで来ないんだろう?)と思い尋ねたら、テーブルに貼ってるQRコードを読み込み、テーブルで注文&精算を済ませたら、カウンターへ行き頼んだ品を受け取るシステムだった!

気を取り直してスマホでQRを読み込み、メニューを見るとコーヒーなどが8ドル、スイーツが12ドルと計20ドル(2000円以上)すると分かり、バスを待つ30分間で2000円は高い!と急に財布の紐が固くなり離席。

辺りを散策している間にバスの時刻になり、20ドルを節約した!と自分に言い聞かせて、バスに乗り込み、降りる際にピッ!としたら、また$0.50ドルと表示された・・・。何かの間違い?

マウント・クーサ行きのバス車内

2025年7月4日金曜日

GOOD MORNING BRISBANE.

逆光に映えるブリスベン文字のモニュメント

ブリスベン(オーストラリア)は冬なので、朝日が出るのも遅く、6時頃から一気に明るくなる。
そんな“トワイライト”な景色は幻想的で本当に美しい。

ブリスベンに来たからと言って、朝散歩を休むはずもなく、ホテルの前を流れるブリスベン川沿いの歩道を妻と歩く。
川沿いを楽しむ&歩くにはルールが明確にあり、「歩行者レーンと自転車レーン」にキッチリ分かれている。

なので、自転車レーンを走る自転車にはギューン!と駆けぬるロードバイクもあれば、ゆっくり漕いでいるママチャリも走っていたり。
歩行者レーンでは通勤通学の人、散歩、ジョギング、犬の散歩、ベビーカーを推しているスポーティママさんなど。

だから、歩行者が自転車レーンに入ってはいけないし、入ったら事故につながる!
初日に歩行者レーンを歩いていたつもりが道を間違えて自転車レーンを歩いていることに気がつき、慌ててしまった(汗)。

ブリスベン川を渡る橋を通り30分も歩けば、川沿いに広がるサウスバンクパークというエリアに到着。

劇場や美術館、博物館などがあり、公園も整備されていて市民の憩いの場。
そして、世界各地でみられる、その土地名をモニュメント化した「BRISBANE」もあった。
時間的に7:30頃の朝日が上がるタイミングだったので、逆光がなんともいい雰囲気を演出してくれた。

松山での朝散歩は堀之内を歩き、城山公園を歩き、気分がよければ松山城にあがり、松山の景色を眺めておりて約5500歩、約1時間。

ブリスベンの朝散歩も往復約1時間/回で5500歩。
これを2往復/日+@するから1日の平均歩数は2万歩、つい歩きたくなる街はいい所だ!が私的結論。

朝6時頃の朝焼け、トワイライト。

偶然か?必然か?

ポークシュニッツェル with ポテト、マッシュルームソース

初日の夕食をどうしようか?と相談。料理をする気にならず、かと言って買って食べるのも何だかな・・・となり、外食に決まる。

でも、何料理にする?が次の選択肢。地図を見ながら「中華料理→中華な感じじゃない。ベトナム料理→食べたことあるからパス。日本食はナシ・・・」など、調べ続けるとポーランド料理店を近所に見つける。

「いいね!」となり、店前に到着するも、そこは「ポーリッシュクラブ」という建物で、レストランの雰囲気ゼロ。
かつ入り口から階段であがり2階がレストランだったけれど、店構えはシンプルで大きな会議室のようで装飾は最低限。
ポーランドの歴史や偉人などの紹介が壁や棚に紹介されていて、ポーランド色かなり強め。

ポーリッシュクラブ。レストランと思えない佇まい

入り口で女性に「2名です。」と伝えて着席。
メニューは色々とあったけど、「ピロシキ(≒茹餃子/チーズ、ミート、ポテト)」「ポークシュニッツェル(薄いトンカツ)」そして隣席が食べていた「ジプシーパンケーキ」を注文。

ポーランド料理店は初めてだったけど、シュニッツェルは義兄家族が暮らすオーストリアで、ピロシキはニューヨーク時代に通ったウクライナ料理店「ベセルカ」でよく食べた味。
当時を思い出しながら「美味しいね!」とパクパク食べていると、妻がアルコールのお代わりに入り口の窓口へ行ったきり、話し込んで戻ってこない。

しだいに笑い声が聞こえ、驚きの声が聞こえ、ニューヨーク、ベセルカ、岐阜の名前まで聞こえてきたので、私も席を立ち窓口へいくと、最初に案内してくれた女性は岐阜に留学経験があり、日本語がペラペラ!
そしてニューヨークでも暮らしたことがあり、ベセルカにも行ったことがあるとのことで、共通話題が多く盛り上がってしまう(笑)。

すると、彼女(イライザさん)から、ここ(ポーリッシュクラブ)はポーランド(人)の拠り所な所で、コミュニティ促進に非営利で運営しているとのこと。
また彼女は弁護士資格を持っていて、ポーリッシュクラブのマネジメント的役割を担っていると分かる。

ただ食事をしに来ただけだったのに思いもよらない事態に急変(笑)。
するとイライザさんが「ポーランドキャラメル」を口直しに無償で提供してくれ、代わりに妻が日本のお土産をお礼にあげると喜び、今度はポーランドの紅茶やマグネット、メモ帳をいただく。

最後は「日本に来たら連絡して!」という仲にまでなり記念撮影。
「お酒をお代わりしなかったら、この縁はなかったね!」とイライザさんと妻。
こんな偶然と言うか共通項目が多い人と異国の地で初対面なのに意気投合することって偶然なのか?必然だったのか?

これはポーランドにも行かないといけない!
ポーリッシュキャラメル、とてもまろやかな味

2025年7月3日木曜日

街中へ移動。

ホテルベランダからの眺め。

日本では猛暑、酷暑が続いているけど、オーストラリアの7月は冬。日没は17時過ぎ。
と言ってもブリスベンの冬は最低気温10度ほど、最高気温は20度ほどで、吹く風に冷たさを感じるものの、日差しは温かみがあり紫外線は鋭い。空気も乾いているので日中は時に爽やかに感じるほど。

だから(どんな服装で過ごせばいいんだろう?)と迷ったのは事実で、実はオーストラリア人も「短パン半袖の男性」「半袖シャツ姿の女性」もいれば「ダウンジャケット姿の人」「マフラーを巻いてる人」など、それぞれに迷ってたという話(笑)。

ホテルまでは電車移動に挑戦。事前に「GOカード」なる交通カードを入手と得ていたけど、最新情報では「公共交通機関は主要クレジットカードに対応した!」と分かり、乗車駅と降車駅で端末にピッ!とタッチするだけで決済完了で、とても便利になりました。
ちなみに主要駅でないかぎり駅は無人。

そして、ヨーロッパ旅の時にも気になり書いたけど、電車内は静かで張り紙広告がほぼなく、その代わりに大型の縦型モニターが広告表示の役割を担っていて、非常にスッキリな車内。

駅に近づいても、日本のような事前アナウンスもなければ(正確に言えば乗り換え案内などはあるけど、それっきり)、駅について発車の合図やメロディ、笛音もなく、「ドアが閉まります。」だけで、スッ〜とドアがしまる。

ちなみに駅構内もスッキリしていて広告はほぼなく、日本とは大違い。
文化や風習の違いで、日本に来たら情報量の多さに驚くのも当然だよな・・・と思ったり。

さて、今回お世話になるホテルは吉か?凶か?
金額が高くても居心地が悪かったり、安くても快適だったりと、色々な条件に左右される宿。
部屋はアパートタイプだから日常生活さえできれば満足と思っていたら・・・川沿いで市内中心部が見えて眺めがいい部屋。

そして、台所も洗濯機もあり、アタリ!
まぁ、オフシーズンだから・・・が正しいかな。何にせよ、快適に過ごせそう!で安堵する。

電車の乗り換えもスムースにできた。

おはよう!オーストラリア。

見たことのないブリスベンの朝焼け

カンタス航空ブリスベン国際空港行きは定時の21:20に出発。
南半球へ行くので(地球を縦/南へ飛ぶ)ので時差は1時間(ブリスベンの方が早い)。飛行時間は約9時間と思ったより短い!
(映画を3本も観たら、着陸体制か?)と呑気に思ったものの、機内上映の映画はビミョーだった(個人の感想です。「キャプテンアメリカ・ニューブレイブ」にはビックリ!)

そうこうしているうちに夕食の時間。「フルーツミール」は予想以上に果物感たっぷりで、消化の負担も少なくグッド(国際線に乗る方は、食事の選択は無料でできるコトを知っておいて損はない)。

すると、後ろ席の男性(外国人)から「食事中は席のリクライニングを直してもらえないか?」と言われて、リクライニングを直してあげる。
面白かったのは、食事後にウトウトしてたら、先ほどの後ろ席の男性(外国人)が「ゆっくりお休み!」と立ち上がって私のリクライニングボタンを押して休ませてくれる(笑)、いい人だった!

そのまま、浅い眠りのままでいるとガクンッ!となって「乱気流です。シートベルトをしっかり!」のアナウンスや通路側だったのでカートがぶつかってきたりと色々あったものの、目が覚めると、窓の外がとてもキレイだった。

そのまま飛行機は着陸体制を整えて、ブリスベン国際空港に着陸。初めてのオーストラリア、こんにちは。時刻は7時すぎ。

(このまま入国審査もスムースにいきますように!)と思ったのは甘く、朝が早かったのでインスペクターらの人員が足りなかったようで大行列!最後の最後で長蛇の列に巻き込まれる。

でも、ある人は更に長い列に並ばされて、ある人はそのままEXIT(出口)へ通されて、その基準が全く分からないまま不安の中で、インスペクターにニコニコ顔で「グッドモーニング!」と告げると、サクサクと操作をしてくれてEXIT(出口)を指さされて、長蛇の列から抜けた!

相性いいかもオーストラリア!

変更したフルーツ夕食、おいしかった!

2025年7月2日水曜日

用意周到に!

JALカレー。美味しいと思う。

朝に菓子パン1個を食べたまま、空腹になっても羽田空港での打ち合わせ時もアイスコーヒーだけで我慢できたのは(ラウンジでJALカレーが食べられる!)と念じてたから(笑)。

いつも通り、電気ガスなど全てを止めて換気をして松山空港を出発、羽田空港での打ち合わせが終わる。
羽田空港からは1時間に1本、成田空港直行便が出ていて、その電車に乗って90分余り。
周りは観光を済ませた外国人なのか多く、彼らの荷物が通路や出入り口ドアを塞いでしまいお互いに通りにくい(あぁ、これがニュースで見た光景か!)となる。

成田空港に到着。
WiFiを借りたり、両替を済ませて、今回のワーケーション(ブリスベン/オーストラリア)でお世話になるカンタス空港へ。

カウンターの多くが非接触型の機械相手の無人手続き。
でも、初めてのカンタス空港だったので有人カウンターで手続きをして無事に済んだところで「ラウンジは使えますか?」に「使えません。」の返答に???となり、JALと同じアライアンスだし、グローバル会員だし・・・と伝えても「使えません。」で撃沈。

腹ペコなのにJALカレーが食べれないなんて!
周辺の飲食店でも食事はできるけど、“それじゃない感”があるものの、落胆していると「JALにも聞いてみよう!」となり、JALカウンターで再度「ラウンジは使えますか?」とチケットなどを見せると「はい、大丈夫です。ご利用いただけます。」との返答。

「さっき・・・」と言いそうになったけど、使えると分かればいいではないか!
お礼を伝えて搭乗手続きを済ませて、ラウンジへ一直線。
カウンターで確認してもらうもOKで、国際線ラウンジへ到着。ブリスベン行きの飛行機は2時間30分先、「しっかり食べよう!」と朝からイメージしてたJALカレーにありつく。

おいしい!その他の食事も美味しい!パクパク食べてしまい満足。
えっ!?機内食はどうするの?そこは事前に「フルーツ食」にして変更してきたのだ!
おっ!搭乗時刻が迫ってきた!

どうして撮影を受け入れてくれるのか?


大丸百貨店のオープンは10時。
「オープン前に大丸百貨店で撮影されたロケ地をご案内いただきます。」とマリさん。

(いいね!オープン前の百貨店に入れるんだ!)と嬉しい我々。
従業員入り口前で待っていてくださった大丸百貨店担当者から腕章を預かり館内へ。
と、言っても平日の開館前、出勤する従業員、関係者、業者などと一緒に館内へ。

オープン前だから、準備に慌ただしい中、担当者さん+マリさんが「僕の彼女はサイボーグ」などのロケ地を紹介してくれる中で、いつもの質問を大丸担当者に投げる。

「どうして、手間も労力も“わざわざ”必要になる撮影を受け入れてくれるのですか?」
すると「大丸神戸店が掲げるポリシー(≒地域の一員として、お客様と共に歩む)に沿っているから」という主旨の返答をしてくれて(これまで各地で同じ内容を尋ねてきたけれど、業種や職種は異なれど、皆さん同じ返答だ・・・)と気づく。

別場所。大正時代に建てられたモダンなビルでも、この建物の価値を広められるなら・・・的な内容をマリさんから聞いたし、「アウトレイジ」でヤクザ事務所として使われた部屋(建物)のオーナーは「撮影を面白がってくれて残してくれている。」とのこと。
でも、撮影当時の雰囲気を壊さず(弾痕跡とか)残しているから、その部屋からはお金が生まれない。

「(街/地域の)価値を高めていると思う。」とマリさん。
それは決して貨幣価値だけでなく、エピソードなどの付加価値という非貨幣価値でもある。
でも、非貨幣価値が醸成されるには時間が必要で、1回や1年では醸し出しにくい。

コピー用紙一枚を一回の経験値としたら500回して数センチの価値・・・という感じ。
「だから25年の価値の賜物」「神戸市民にも撮影は身近なコトと思われてる」とも言ってたけど、愛媛はどうかな?

撮影を楽しんでもらえてるかな?それとも迷惑な行為かな?と自問自答。


お待ちかね、神戸ロケ地ツアー!

誰もが頷く「ヤクザ事務所」。弾痕跡も。

ジャパンFCの総会後は開催地FCによる「ロケ地ツアー」が恒例。
昨年の佐世保総会でもあり好評だった思い出。

今回、私は「神戸市中心部のロケ地ツアー」に参加。
案内役は今年3月まで神戸フィルムオフィスの代表だったマリさん。

マリさんとも不思議なご縁だったので触れておくと、マリさんはマコさんの後任で神戸FOの代表になる。JFCの理事として知り合った仲だったけれど・・・。

2017年だったかな?松山市花園町の再開発が完成し、「お城下マルシェ」を始めることになり「参考になる先進地へ視察に行こう!」となり、神戸の「KOBE ファーマーズマーケット」を訪れる。

するとKOBEファーマーズマーケットにマリさんがいて「あれれっ!」と、フィルム・コミッションとは異なる活動に参加しているとを知り、「まちづくり」という共通点から仲良くさせてもらう。

そして、退任直前にお会いすると「豊かで穏やかな生活なの」と案内してくれたアートインレジデンスの管理人として過ごしている現在。

そんなマリさんによる元町エリアでのロケ地めぐり。
元町と言えば「ココが神戸の元」と言われ、ハイカラで外国人居留地だったエリア。今は大丸百貨店やハイブランドなどが歴史的建造物と一緒に立ち並び、愛媛にはない街の様子に「海です、山です、茅葺き屋根です。なんて一言もないね。」と全く異なる街並みに、隣にいた小豆島FCと笑い合ったり。

クライマックスは、貸しスタジオビルで、どこに案内されるのか?と思いきや「アウトレイジ」で登場したヤクザ事務所、と言う設定の部屋(笑)。見たコトある!と頷く一同。

劇中でぶっ放された弾痕も“そのまま”残されていたり、誰もがイメージするTHE ヤクザ事務所に全員がニヤニヤしちゃったり(笑)。

愛媛でヤクザ事務所を探して欲しいと言われたら、どうしようかと。

2025年7月1日火曜日

少し余裕ができそうですか?

見通しはいいと思う。

「6年間、お疲れさまでした!」と何人もが声をかけてくれて、労いと私から学んだことなどを振り返ってくれる(涙)。

でも、その度に「(FCを)辞めるわけではないからね!えひめFCだし、JFC理事&四国ブロック長は続くから」と退任=引退と勘違いされてないか心配したり(笑)。
でも、6年間で全国各地のFC仲間と語り合えたのは一生の宝。

「少し余裕ができそうですか?」とも各地のFC担当者からも労ってもらう。
この辺りのFC担当者は、人生相談にのった間柄でプライベートを相談をしてこられた方々。

一番多かった相談は「今後のキャリア形成、人生について」。
「任期付きキャリア」も多いFC担当者。5年間(が最も多い)の任期で、3年目までは無我夢中で作品の誘致支援をしても4年目から漠然と悩み始めて5年目で選択を迫られる。
選択肢があるのは良い方で、退任しかない選べない担当者は「FCを続けたいのに続けられない。」という悔しさを滲ませながら去る。

結婚後のライフプランの描き方も多かった。
そんな相談をしてくる理由の一つに、我が家をイメージ(私も妻も自立していて、別々に暮らしているものの家族の絆は強いなど)があるようで、「結婚しても仕事を続けたいけど、理解は得られるだろうか?」とか「結婚して転勤されたらどうしよう」「結婚ってした方がいいですか?」など、FCを超えた相談に人生訓を添えたり(笑)

話を戻して「少し余裕はできそうですか?」という質問。
言われてみれば、この6年間、JFC/FCを最優先して全国を駆け巡り、資料を作り続け、講座や講義を受け持ち、皆んなの輪に入り叱咤激励をした日々で、それらがゼロになるわけではないけど、少なくなる=自分の時間が増える(はず)。

人生の約半分(≒25年)をフィルム・コミッションに捧げてきて、今後も続くけれど、一つ分かったのは「人生はフィルム・コミッションだけではない。」ということ。
見通しは悪くないと思う。

第11回ジャパンFCアワード表彰!

受賞された皆さま、おめでとうございます。

(1)素晴らしいロケーションを発掘したFC
(2)大規模撮影やこれまでにない工夫を実現したFC

(3)支援作品を地域のPRにうまく活用したFC

(4)支援作品を地域のまちづくりにうまく活用したFC


を表彰する「第11回ジャパン・フィルムコミッションワード」を開催し、その結果を紹介。

全ての方面で紹介したくて、こちらでも掲載。


【最優秀賞】

佐賀県フィルムコミッション マレーシア作品誘致による県の知名度向上

【受賞理由】

新たな撮影誘致先としてマレーシアへの営業に力を入れ、初のイスラム圏制作チームへ粘り強く対応したことで初のマレーシア作品「From Saga, With Love」の誘致に成功。
佐賀県色を強めてもらえるよう、シナハンのために脚本家、監督等を佐賀に招聘。撮影では県内の特産品や地域をPRするシーンが追加された。さまざまな取り組みを受けて、マレーシアを中心に「SAGA」の知名度が急上昇。これを受け、2024年の佐賀県のマレーシア人宿泊者数は前年比197.9%を記録。コロナ前と比較しても125.3%増となり、FCが中心となって県とマレーシアの国際間を繋げ、地域経済の活性化に貢献させたことが大きく評価された。


【優秀賞①】

小豆島フィルムコミッション ドラマ・映画『からかい上手の高木さん』

【受賞理由】

島内外で500人以上のエキストラが参加し、実際に生徒がいる中学校での撮影が実現された。その結果、映画の仕事を将来の職業としてスタッフに相談した親子もいたほど、制作と地域の関係が深まった。
オマージュポスター「もてなし上手の町⾧さん」の作成によるロケ地巡り客増、宿泊のコラボ商品、タイアップ記念乗車券の発行などFCが中心となって地元と製作側を繋げて成功させたことが大きく評価された。


【優秀賞②】

富山県ロケーションオフィス 映画『正体』

【受賞理由】

デイサービス利用者もいる現役介護施設で建て込みやガラスを割るアクション、スモーク使用、雪降らしなど本来、許可を得にくい施設での許可取りやロケ地マップをFCが全国約35か所の劇場に直接交渉し配布した。
宣伝側と企画を重ね、全国最速の有料先行上映会を実施しつつ、同日に地元のテレビ局や新聞社による監督への個別取材も調整して県内PRに繋げるなど、FCの継続的な粘り強い活動の積み重ねが表彰の決め手となった。


【優秀賞③】

いばらきフィルムコミッション 映画『はたらく細胞』

【受賞理由】

人間の体内に見えるロケ地という難しい課題を、県内市町村FCと連携し模索。無機質で工業的な雰囲気の空間をあえて提案することで本採用になる。「人間社会」パートも県内で撮影、4市5ケ所にわたる広域ロケを実現し、公開に合わせた企画展も県内5会場で展開した。
20日間に及ぶ撮影には、宿泊や機材使用等で約1,700万円の経済効果を生み出すなど、各市町村FCとの連携が功を奏した地域経済の活性化に貢献する好事例となった。


【優秀賞④】

かくのだてFC、だいせん大曲FC、あきたロケ支援ネットワーク、千葉県柏市

映画『室井慎次 敗れざる者』、『室井慎次 生き続ける者』

【受賞理由】

主演を務めた柳葉敏郎さんの地元である「秋田で撮りたい」という強い思いから撮影が決定した本作品。公開前から県内各所に室井慎次の等身大パネルの設置、ポスターやチラシの掲示、柳葉さんの映像メッセージ等で告知を行った。
地元のラジオ番組にてロケ地巡りの放送や舞台挨拶で演者が秋田県内ロケの思い出を語るなど、制作、演者、FCが一体となったことで地元秋田で話題になった。
県内映画館の観客動員数もけた違いに多く、地域経済の活性化に貢献する好事例となった。

みんな、おめでとう!

2025年6月30日月曜日

時を超えた話。

東映京都撮影所の福居プロデューサー

「泉谷さん!ご無沙汰しています!覚えていらっしゃいますか?」と、向こうから声をかけてくれたのは、東映京都撮影所のラインプロデューサー福居雅之さん。

(福居さん?お会いしたことあった?)と思い出せずにいると「23年前、大阪芸術大学映像学科の卒業制作で撮影した際にお世話になりました!あの時は本当にありがとうございました!」
に「もしかして、島で撮影した時の学生さん?」「はい!そうです。あの時に撮った作品で東映に就職できたんです。」と、23年の時を超えての報告(涙)

23年前と言えば、えひめFC1年目。学生映画であろうがなんであろうが、全ての撮影支援に同行して、ロケ候補先や関係者へ挨拶や交渉をして、製作者と一緒に動き回っていた頃。
言われるまで忘れてたけど、こうして当時の記憶を大切にしてくれていたことに大感謝!なんだか泣けてしまった。

ちなみに福居さんはラインプロデューサーなので、その前は制作担当、更にその前は制作主任と経験されて今のポジション。だから、東映内で着実に実績と力をつけてこられた方。

そして、なぜジャパンFCの総会レセプションに参加されていたか?と言うと、昨年の第10回JFCアウォードを機に誕生した「優秀制作部賞」の受賞者だったから!

「優秀制作部賞」とは、制作/撮影現場でFCと最も緊密な関係になる制作部は、撮影に欠かせない存在なのに、黒子な存在なので、スポットライトが当たらない。

しかし、その存在は撮影/作品の質を左右するものであり、フィルム・コミッションが顕彰することに意義があると掲げると、映画監督協会、日本映画製作者連盟、日本映画製作者協会からも支持されて発足した賞。

そこへ今回受賞の福居プロデューサー。
こんな、時を超えて私から表彰の言葉を伝え、盾を渡す時が来るなんて、フィルム・コミッション冥利に尽きる、感慨深くなるのもわかってもらえるよね・・・という話。

長いのも悪くないと。


ジャパン・フィルムコミッションの総会後は、開催地神戸のフィルム・コミッション「神戸フィルムオフィス」の設立25周年を記念した特別講演とシンポジウム。

特別講演は「日本におけるFC の夜明けと未来への提言」と題して、元神戸フィルムオフィス代表の田中まこサン。
日本にフィルム・コミッションの概念を持ち込み、私とは不思議なご縁の姉的存在

2001年夏、私はワシントンD.C.で行われた「シネポジウム」という世界中のFCおよび関係者が集まるカンファレンスに参加するため、ダレス空港だったかな?到着して飛行機からゲートへ移動する車両の中で「あなた日本人?」と突然話しかけてきたのがマコさん。

ビックリして「はい、そうです。
」と返答して、その後もシネポジウムに参加する旨を伝える「えっ!私もよ!」と喜んでくれて、「乗せてあげる!」とマコさんが借りたレンタカーに乗せてもらい数日、一緒に過ごすという体験をする。

また、疲れてFCから距離を開けていた時、「私、今、愛媛にいるんだけど会えない?」と突然連絡してきて、会うと「戻ってきて欲しい。」と言われて、マコさんの為に戻ったり。

そんなマコさんも喜寿を迎えて、これまでの25年、これからの25年の示してくれて感慨深くなる。

シンポジウムではエピスコープ(株)石塚紘太さんが登壇されて「久しぶりです!」となる。「新幹線大爆破」「スミオの話をしよう」など話題作を立て続けに手掛けている制作会社を創業されて社長になられていました。

と、言うのも石塚さんとはコロナ禍に撮影した「バスカヴィル家の犬」でご一緒し、二人で萬翠荘での撮影交渉や出演者全員のワクチン接種証明書の取得など、撮影の実現に向けて奔走した仲。二人で焼き鳥屋で作戦会議をしたり、映画の未来を語りあった仲でも。

そんな方々が目の前で講演、ゲストとして語ってくれているのを見れるなんて、FCに長く携わっていたからこそ。
長く携わるのも悪くない・・・と思った瞬間。

2025年6月29日日曜日

ジャパン・フィルムコミッション総会終了。


令和7年度のジャパン・フィルムコミッション総会が終了。
大きな変更点は理事長を3期6年務めた私が退任したこと。

次期理事長は小室裕一さん。元官僚の小室さん、その実績と歴任された要職は数多く、コンテンツ業界とも縁深いということで、私から小室さんへバトンタッチ。

しかし、このバトンタッチには驚く人が多かったのも事実。
でも、理事会で賛成多数で承認されたので、見守るしかなく、私は理事兼四国ブロック理事に戻り、改めてJFCのあり方などを問うていきたい。

と言うのも、JFCには可能性が多い反面、課題も多く、3期6年の間で私が精力的に取り組んだのが「FC人材育成」と「会員の声を聞く」こと。
会員にとってJFCは単体FCではできないことをネットワークを組むことで実現できる拠り所であり、一つ一つのFCとJFCとの繋がりを太く強くしてきたつもり。

だから、次はいよいよ拡充へ!なんだけど、可能性と期待が大きくなればなるほど、比例して課題も大きく顕在化/深刻化する傾向はFCに限らずで、今日の明日の話でなくとも、わかった時点で対処すべきと伝えたつもり。

そんなJFCが抱える課題の一つが「資金調達/収益化」の改善策。
JFCの規模は年々大きくなっていて、実績や数字だけをみればスゴい!となるけど、多くが「外発的財源」で、大口だけど変動性、対価性&事業性という性質は、成果は出しやすいものの、利益を出しにくい&残しにくい(出してしまったら還付が多い)。

直接的な利益が出しにくい&残しにくいから、その成果を自主事業に活かして収益化が基本だけど、今度は自主事業化するコスト、軌道に乗せるまでのコストがかかってしまうと、利益が出るのは当分先・・・が多い。

すると、作戦(戦略と戦術)が必要なわけで、さて、どうする!?となる。

妄想リスクが本当に。


梅雨前線が消滅して「そんなコトあるんだ。嫌な予感がするね。」と言ってたのは6月中旬。

そして「6月27日頃に四国地方は梅雨が明けました。」となり、昨年は7月17日に梅雨明けしたから20日ほど早く、観測史上最速の梅雨明けだったとのこと。全然嬉しくない記録。

どうでもいい話は「梅雨明けまで値引き敢行!」と大々的にPRしてた近所の唐揚げ屋が、予想外の短い梅雨明けに値下げを継続中だった(笑)

猛暑が予測される中で夏の全国高校野球選手権は、2025年から開会式を午後4時から開始、試合は選手への負担軽減に午前の部、午後の部という2部制にするというニュース。

他人ごとに思えないのは、ココ大付属学園は夏休み期間中に開設するから、子ども達の体調管理が優先事項となる。
外でも遊びたい子ども達、だけど梅雨が明けたら猛暑、酷暑なはず。
すると「熱中症アラート発令」は確実で「外では遊べない」事態になる→室内遊びになる。

40人の小学生のエネルギーを発散させることも役割なので、体育館でのドッジボールだけでは物足りない、どうしよう。妄想したリスクが本当になってしまった。

そんな妄想リスクの回避に3月にハーモニープラザ相談していたから、他の部屋の利用も叶ったけど、今年だけの話ではないから、今後どうしたらいいのか?と悩む。

今年は助成金で室内外スポーツ用品を調達できたから、数年間(≒壊れるまで)楽しめるけど、猛暑、酷暑が毎年だと、出来なくなることが多くなる(例:もしも、鹿島ピクニックが実施できなくなったら悲しい)ことも想定しないとならず、大変だ!となる。

ココ大付属学園では、特別に何かをしてるわけではないけど、子ども達には気づかれないような配慮はしてるわけで、今夏は今後の過ごし方を占う機会になりそう。

2025年6月28日土曜日

24年ぶり。

美味しいに“ご当地味”を+@できたらいい。

令和7年度のジャパン・フィルムコミッション(JFC)総会出席に神戸へ。
松山空港から伊丹空港へ、伊丹空港からリムジンバスで三宮へ、三宮からポートライナーでポートピアホテルで下車。

辺りには国際会議場や国際展示場などがある一体で、(なんか見覚えがあるな・・・)と思ったら記憶がフラッシュバックして(あぁ〜!)となる。

記憶が正しければ2001年。JFCの前身である全国フィルム・コミッション連絡協議会の設立総会の出席に同じ場所を訪れてた!今から24年前の出来事!

当時はフィルム・コミッションの「フ」の時も知られていなく、私自身にも誘致支援経験はなく、愛媛ではフィルム・コミッション(FC)と言ったら「フランチャイズ」「ファンクラブ」「フットボールクラブ」など、紛らわしい!とクレームが入った思い出。
脚本が愛媛フットボールクラブ(愛媛FC)へ送られてしまった笑話も添えておく(本当の話!)

あれから24年後、当時を知る唯一の最古参FCとなり、経験や知識も豊富になって戻ってきた。
24年も立てば各地のFC担当者も10代目!もあったりして時代の流れを感じずにはいられず。

確かに色々ありました。
参考になる情報は海外からしかなく、前例がない誘致支援策はどうしたらいいか?一先ず、良いか悪いかの前に目の前のことに精一杯しかなく、その経験値を持ち寄って夜通しで語り合ったり、FCを一気に大きくしようとして自爆して居場所がなくなってしまった人がいたり、任意団体では事業を受託できないので法人格を持とう!と機運が高まったり・・・。

写真は、総会前の理事会終了後に配られた弁当。
とても美味しかったけど、(こういう、美味しい弁当に+@を求めたくて“ご当地ロケ弁”の必要性も感じたんだった。)と、色々思い出して総会へ。

ご協力に大感謝!

日没後の愛媛県庁本館、加工済

えひめフィルム・コミッション、いよ観ネット、松山市の公式LINEで発信(既に全て削除済)したエキストラ募集作品の撮影がクランクアップ。

作品名もキャスト名も伏せられての募集に「集まるか分かりません、不安です。」と、正直な気持ちを伝えたのは東京でのプロデューサーや助監督など5人との打ち合わせ時。

実は「離婚しようよ」の時は「作品名、主演の名前の公表OK」と返事をいただき、募集をかけて、多くの方から興味関心をいただいた過去があったので、今回は本当にドキドキしたけれど、松山市シティプロモーション推進課の協力も得て全てエキストラが必要だった全てのシーンでご協力いただけて大感謝!

厳密に言うと「エキストラ募集」はフィルム・コミッションの支援対象外。
なので原理原則に沿うと「できません。」とも言えるけど、それでは話が進まないので、できる範囲で協力というFCが多い。えひめフィルム・コミッションでは要相談で対応。

また、撮影が多いFC/地域では「エキストラリスト」なる協力者を抱えてる例もあり、撮影支援の付加価値としてPRしていたり。
ちなみに都市部ではエキストラは有料だけど、FC経由の場合は無料。

そこへコロナ禍があったから、エキストラの扱い(不特定多数の接触は避けるべき、個人情報の扱いなど)が取り沙汰されて、FC自体がエキストラを直接集めるではなく、制作会社に窓口を設けてもらい、エキストラの募集の情報提供のみになったケースも多い、今回もそうだった。

とは言え、エキストラに参加したい人には、そんな情報は関係なく、物語の世界観という非日常を体験できる機会を楽しんでいただけたようで何より、時間などの提供をありがとうございました。

帰り際に通った愛媛県庁本館の夕焼けが美しかったこと。
写真はGoogle Pixelで電線を消してます。

2025年6月27日金曜日

“鬼”から物語。


日本国内には1,741の地方公共団体(自治体)があるけれど、唯一「鬼」という字が入る鬼北町-鬼北町-より。実際に鬼伝説もあり、鬼王丸、柚鬼姫というシンボル像まで立てて鬼に全振り。

私は鬼北町で「にぎわい塾」という、何をしたい&始めたい人向けの講座を受け持ちかれこれ5年、今年度も実施との連絡が入り、鬼北町とのご縁も長くなった。

そんな鬼北町でご当地映画を作ると聞いたのは昨年。
愛媛県出身の大森研一監督が今回取り上げたのは、その「鬼」で、どんな物語になるのかな?と思ってたら、これまでの愛媛作品にはない、鬼ベラシという「鬼の血を引く「鬼女」たちが生き残りをかけて戦う姿を描いたサバイバルバトルムービー。」

えひめフィルム・コミッションの支援作品ではないけど、大森監督、今作品で助監督を務めた皆尾さんとも長い付き合いなので応援してる。

出演はアイドルグループSTU48のメンバーなどで(アイドルが鬼ってどんなの?)と思い予告編を見たら、怖いんだけど、凄みがあるけれど、(良い意味で)カワイイ鬼でした。

特記事項としては、やはり、この手の作品を完成させたこと。
ご当地映画の場合、多くが地域密着型だから題材も地域に根付いている文化、伝統、風習、習わしなど。時に古臭く、埃被ったような素材を作品を通して照らす&磨く目的に作るから、基本的に戦わないし、殺し合いもしない。

それが「鬼」という一文字から、73分の物語を創ったのは、大森監督の才能。
かつ、中途半端(例:誰でも考えられる物語=鬼伝説を調べる役場の職員が秘密に気づいてキャッー!みたいな)ではなく、振り切ったからこその賜物。

えひめフィルム・コミッションでも「サイコ・ゴアマン」みたいな作品が来ないかな・・・。

放課後指導員認定研修終える。


一教科90分×4教科/日を4日間=計24時間(移動時間や休憩時間を入れると9時間/日)だった「放課後指導員認定研修」を終える。
県内3カ所で同時に受講した人は数十人、ほとんどが女性だった中で男性は数人という感じ。

これで児童クラブなどに携わるに必要な基礎知識が備わったはず。実践は過去2000時間で経験済み!
でも、研修日が空いていて本当によかったと、つくづく思う。
一日でもNGだったら認定されなかったわけで、“ツイてる”と思ったり。

研修を振り返って印象的だったのは3つ。

(1)ますます遊びが必要になる。
私たちの子供時代だった昭和とは違い、今の遊びは超高度化してスゴいけど、実は「用意されている/与えられた範囲から外れない遊び方」が多い気がして、五感をフルに使ってない。予想外が起きにくい。
だからゼロから遊びを生み出す力、とっさの対応力、五感を育む必要があると思った。

(2)子供を取り巻く環境/質の変化。
一言でいえば家庭環境、教育環境。子ども達は学校以外にも習い事をしている(中には放課後に複数も!)。子供の将来を案じてという親心と思うけど、親子共々が疲弊していたり、子供へ費やす費用が5万円以上/月と家計を圧迫していたり。
一方で習い事≒体験できていないこととの格差は広まる一方で、選択肢と言えばそれまでだけど、環境も質も激変している中で、どう子ども達を育めるか?

(3)身体的虐待、性的虐待、心理的虐待、ネグレクト(育児放棄)の多さ。
具体的に数字や数値を示されて、その多さ(それも年々増加してる)に本当に驚く。
その多くが家庭で起こっているけど、児童クラブなどでも発生していて、一体どうなっているのか?すると、本当の数字なのか?それとも氷山の一角なのか?

子どもの研究も色々とされて、知れば知るほど不都合な真実も飲み込まないと先へ進めない事実という感じか。

2025年6月26日木曜日

人間関係。

難しく考えるとドツボにハマる人間関係。

パワーハラスメント、セクシャルハラスメント、カスタマーハラスメント、マタニティハラスメント、モラルハラスメント、アルコールハラスメントなど巷に溢れてる「ハラスメント」行為」
「三大ハラスメント」「五大ハラスメント」などの括りもあるよう、どうでもいいけど。

ハラスメントは、受けた側が、した側の行為を不快に思うと・・・と思いがちだけど、弁護士いわく「明確な線引き/がある!その辺り勘違いしている人が多い!」とのこと。私もその一人。

でも、もしも好きな人から一般的なハラスメント行為をされたても不快に思わず(嬉しい!)と思ってしまったら、許容範囲/線引きは意外と曖昧かも・・・と思ったり。
だから、自分もハラスメントをしてしまう側、される側に簡単になってしまうと自戒を込めて書く。

でも、次の事案はどうなの?と首を傾げてしまった。
職場にて。特別な職務の関係性もなく、だから特別に喋りもせず、コミュニケーションも取らずにいたら(圧を感じた≒パワハラ)と職員から言われた。
職場では挨拶を交わさない人もいるし、職場は仕事場なので余計なお喋りは不要だし、飲みニケーションも無いし・・・など、想像すると(無視されてる・・・と受け取られたか?)

詳細な状況は分からないけど、言われた方は、寝耳に水!という感じだったに違いない。
でも、何でもかんでも〇〇ハラスメントで片付けられると勘違いな社会に違和感を持つ。

「髪を切ったから、カワイイイね!と褒めるのはセクハラの一種。」
「時間が空いてるなら、この仕事手伝ってもらえない?」はパワハラの一種。
は大間違いだけど、だからといって「口は災いのもと」で喋らなかったら「圧をかけられてる=パワハラ」と勘違いされてしまうとは、世知辛い世の中になった・・・。

と、思ってたら以前にも似たようなコトを書いてた・・・。