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2025年8月28日木曜日

美術(館)鑑賞について。

プラド美術館前に立つゴヤ像

記事を読んだ個人の意見です。
美術館めぐりが好きなので「“映え”を目的に美術館に行くことは悪なのか?」に反応してしまう。記事はとても示唆に富んだ、よい問いと思う。

この記事で“悪”と見なされている「“映え”を目的とした鑑賞行為が「浅い鑑賞」と見なされ、それゆえに鑑賞態度として好ましくないとされる風潮を挙げているけれど、これは美術鑑賞だけの話ではなく、他でも同じことは起きているので、美術鑑賞だけを切り取って話すのは、それこそ浅いかも・・・と思ったり。

そもそも「浅い鑑賞」などなく、あるのは鑑賞だけであり、それも一人一人の自由であって、作品とどう向き合おうが勝手なはず。

それを誰かが「こう見るべき」などアドバイスしても強いてはいけないし、崇高なコトと祭り上げてもいけない。

ポップアート好きでもあるから、もっと大衆へ美術館は開かれるべきと思うけど、もう一つの“悪”と挙げられているマナー(最近、故意でなくても作品を壊したなどの報道が目立つ)については、美術鑑賞とは別の話。

大衆に開かれることで、マナーの良い人、マナーの悪い人が訪れるのは想定内。
だから作品によって撮影OK、撮影NGエリアを設けるなどの対策はあるはず(マドリードのプラド美術館では
ゴヤの“我が子を食らうサトゥルヌス”は撮影禁止だったし、ソフィア王妃芸術センターではピカソのゲルニカも撮影禁止だった)。

記事を読んで(そう!同じことを思ってた!)と言語化してくれていたのが「本当の課題は鑑賞の均一化」で、
「この作品を見て感動しなければならない」「この展覧会に行ったらこの作品を撮影するべき」などを指摘していたけど、無意識に刷り込まれた先入観が、自分の感性よりも他人の情報に振り回されてしまうことが危険。

感性は一人一人異なり、多様性は価値なはずなのに、同じ意見でないといけない・・・なんて、良くない。

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