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2025年5月8日木曜日

トイレの神様。


ハウスマスターのマエイタさん、20歳の先輩サカグチさんとのベッドメイキング&清掃作業は、アドバイスをいただきながら、「洋室」なら一人でもできるようになった。
「和室」は洋室よりも作業数が多いので、段取りを飛ばしてしまったりして、その都度、あっ!となり途上中。

ベッドメイキングをして思ったのは「いかに手数を少なくピシッ!とシーツをシャンと整えられるか?」は挑戦であり醍醐味!ということ。

二人一組でメイキングをする際、最小動作は4回(シーツを広げて敷く→左と右の端をベッド下に折り入れる→頭側と足元側のシーツをキャラメル折のように入れる)かな?
もしくは5回目でピシッ!と四隅を立てるとか。手数が少ない方が美しいはず!と思った。

寿司を握る際も手の温かさがネタに伝わらないよう手数は少ない方がよいと「美味しんぼ」で読んだし、御年97歳のアーティスト、アレックス・カッツが描く作品の手数の少なさと同じだ・・・と自分なりの解を出す(なんのこっちゃ!)

話を戻して、ベッドメイキングが終われば浴室とトイレ掃除。
(そう言えば昔、“トイレの神様”ってあったな)と思い出しながら、洗剤をシュッ!と吹き付けて、ブラシでこすって流して、流せる溶剤ペーパーで拭いて流して、最後は壁や床掃除をしてフィニッシュ!ピッカピカの浴室とトイレになる。

松山のアパートでもトイレ掃除はするけど、こんなに丁寧にすることはなく、一拭入魂!みたいな雑念のない作業は嫌いじゃない(笑)。

ただ、最近の便器は手入れがしやすいようになのか、凹凸はないし、便器裏の縁もないし、汚れがつきにくい加工がされている。

そもそもロザージュの浴室、トイレは新しいし、トイレの神様に感謝しようにも、神様も困ってしまうほど人間の技術力は高くなっていた件。

サファリパーク。

キジがいたる所にいる。

「ホーホケキョ!」「ピーピー!」「チュンチュン」「クアッ!クアッ!グルグルー!」「キュルルルーピヨピヨ」など、鳥の鳴き声を擬音語で表現すると色々だけど、言葉に表せない鳴き声もあると知る。

鳥の鳴き声で朝、目覚めたことはあるだろうか?
松山でも“聞こえたこと”はあるけど、目覚めまではしない。それが大きな鳴き声で(えっ!ナニ?)と思い、カーテンを開けるとパサッ!とベランダから茂みに飛んで行ったのはキジ。

「野生のキジを見たのを初めてだよ。」と20歳の先輩ミッキーに伝えると「えっ、そうですか。よく見ますよ。」と全く驚かず、彼女には虫の方が大問題だった。

ムカデ、クモ、ナメクジ、ミミズ、カエルはいるし、これらはフーコック島での体験(フーコック島では自然と一体化したコテージだったので、大きなヤモリ?イモリ?得体の知れない生物と一夜を過ごした)に比べたら何てことはない。

空にはトンビ(トンビとは違う猛禽類もバッサバッサ飛んでたような)、カモメ、カラス、ハト、スズメなどが飛んでるし、海には今の季節ならスズキ、マダイ、アジ、カサゴなどがいると言うし、そもそも中ノ島はイカが有名で「イカ寄せ」という秋になるとイカが集まる入江があったり。

焼火神社を訪れた際にも山道ではガサッ!と音がしたし、UMA(未確認動物)がいたって不思議はない雰囲気(笑)

「海があって町があって里があって山という暮らしのグラデーション」が「海と町と山」というハッキリしたコントラストだから、一歩踏み込むとサファリパークのようで自然にお邪魔してます・・・となる。

で、鳴き声は朝だけかと思いきや終日、鳥たちの鳴き声がBGMなんだから「西ノ島はサファリパーク」とうたっていいんじゃないかと。

イカ寄せの浜

2025年5月7日水曜日

西ノ島探検。


島内の移動用に与えられたのは電動自転車。
せっかくお借りできたのだから、ホテルから離れて探検だ!となり、「買い出しするなら、ユアーズかYショップですね。」と教えてもらったので、まずはユアーズへ。

漕ぎ出しから電動自転車の恩恵を受ける。と、言うのもロザージュは坂道沿いに建っているし、島内はアップダウンが多い。これを補助ナシ自転車で漕げるのはアスリートくらい。

ユアーズまで漕いで約30分。ごく普通のスーパーで地元の人たちが野菜や肉などの日用品を買いに来ていた。
訪れたものの、特に目ぼしいモノはなく店を出て、次はYショップを目指す。

さらに漕ぐこと約20分ほどで海沿いに出た。その海沿いの風景が良かったので、相棒の写真を撮る。
すると、佇む木造のバス停が目に入りロケハンモードになってしまう。
「小向(こむかい)」というバス停だったけど、後ろは海で漁船も映る。色々な要素が詰まった「強い画」にシーンを妄想しながら、引き続きYショップを目指す。

Yショップとは、いわゆるヤマザキデイリーストアのことで、コンビニ。
そして、道端の標識を見ると「外浜海水浴場」が目に入ったので、アイスを買って外浜海水浴場で食べよう!となる。

たどり着いた外浜海水浴場はオフシーズンだから誰もいなかったけど、とてもいい景色で、ココでもロケハンモード発動。
奥に切り立った岸壁、赤い灯台、防波堤、透き通った海水など画になる構図だった。

ここまで漕いで約50分。
帰ろうか?どうしようか?とGoogleMapを見ると「ニグ展望」と言うのが更に奥にあると分かり、せっかくだからと登り先を電動アシストを強力にしてひたすら漕いでいたら、いつの間にか過ぎていて(えっ!どこなの?)となるも発見できず。

実は展望台があるわけではなく、自然が織りなす景色の見晴らしが良い所ということ。
帰りも寄り道しながら帰ると2時間超えの自転車旅。

次回は西ノ島で最も人気という国賀海岸を目指す!



静かに起こる日常。

向こうに小さく見えるのがリゾ隠岐ロザージュ

西ノ島の人口は2025年3月31日現在2,455人(男性:1,243人、女性:1,212人、世帯数:1,448世帯)。
仮に一世帯平均2人で計算すると1,227世帯。一世帯1人の家も多いんだろうなと推察できる。毎年3%-4%ほど人口が減り続けている西ノ島。

人口には自然増減と社会増減があるけれど、高齢化率は2021年時点で47%とのことだから薬1,200ほどが高齢者。

そう思わせる出来事があり、毎日の朝散歩はロザージュの周りを一周するのだけど、ある日、海岸通りを歩いていると、昨日も一昨日も通った家の前に、その日は亡くなった方への大きな花輪が並んでいて、大きな花輪の差出人を見ると、故人は西ノ島に多大なる功績を残した人物ということが分かった。

そんな光景を通り過ぎて防波堤までたどり着き振り返ると、朝の静かな海辺に大きな花輪と灯りがボンヤリと見えて、映画のワンシーンを眺めているような錯覚になったり。

「今朝、いつも通る散歩道でどなたかの忌中に出会いました。」と言うと、「あぁ、〇〇さんね。〇〇に亡くなって今日が出棺のはず。」と、ごくフツーに教えてられて(そうか、島だから、さまざまな情報は知っていて当然なのか・・・)と、“島らしさ”に気づく。

「玄関に鍵なんてかけないよ。」「野菜とか玄関に置いてあることも多い。」なども聞いたけど、実は島独特の生活習慣ではなくて、愛媛でも玄関に鍵をかけていない家はあり、理由を聞いたら「声がけするから=生存確認のため」と笑いながら言っていた記憶。

島に長く滞在すると、歴史や文化など観光面だけじゃなくて、ごく普通の日常も目の当たりにする件。
派手なコトは起こらないけど静かに色々起こる島の日常。

2025年5月6日火曜日

マスターとパダワン。


「ココからの景色はいいですよ。」とハウスマスターのマエイタさん。
リゾ隠岐ロザージュで長年働いてるマスター。
ベランダに出て、目の前に静かに広がるのどかな景色について色々と教えてくれる。

パダワン(弟子)な私たちの役目はチェックアウトの部屋清掃。
順番があり、OJT(オン・ジョブ・トレーニング=実践)で学ぶ。

  • 廊下、部屋の窓をあけて換気する。
  • ゴミ、各所のゴミ箱を集めて外に出す。
  • 忘れ物をチェックする。
  • シーツ類、タオル類、浴衣類を外に出す。
  • テーブル、リモコンなどを拭く。
  • 部屋と廊下に掃除機をかける。
  • トイレ&浴室の掃除をする。拭きあげる。
  • トイレットペーパーの先を△に折る。
  • 新しいシーツ、枕カバーをベッドにセットする。
  • リモコンの位置、利用ガイドなどの位置を整える。
以上が“セット”になっていて、宿泊された全ての部屋で行う。
「トイレットペーパーの先を△に折るのは何のためですか?」と、マスターに尋ねると「掃除が終わっている証拠」とのこと。

そう言うことだったのか!と、パダワンは理解する。
客室が多いホテルでは「掃除済みの目印」として多いとか。他にも「目に見えない配慮」を教えてもらう。

でも、これだけでは終わらず。
全ての部屋の掃除が終わったら、今度は補充作業があり、様々なアメニティが入ったカートを持ち込み、部屋ごとに不足しているアメニティをセット。
そして廊下に出したリネン類は業者に出すために準備。ゴミを集めて破棄準備。

「ホテル利用者としては、気を回してゴミを集めたり、色々と片付けてしてしまうけど、本当は・・・。」
「それはそれでありがたいけど、掃除の仕方はホテルごとにあるから、チェックアウトの時は“そのままでもOK”なのよ。」とマスター。

動けば出会う。


「毎日、こちら(社務所)に来てるんですか?」と松浦宮司に尋ねると、週2-3回とのことで、この日は草刈りをしに来たとのことで、その準備中に私と出会う。

「私は、この道の下りた所にあるリゾ隠岐ロザージュで住み込みアルバイトをしています。」と自己紹介をすると「もしかして、SAGOJOさん(経由)?」と、想像してなかった言葉が出てビックリ!
「どうして、SAGOJOを知ってるんですか?」と尋ねると、松浦さんは焼火神社の宮司でもあるけど、西ノ島観光協会の会長さんでもあった!他にも肩書きがあり、地元の名士さんでした。アラッ!

「そうですか、嬉しいですね。SAGOJOさんから話をいただいた時は、本当にそんな人が来るのか?分かりませんでしたが、そうですか。」と喜んでくださる松浦さん。

その後も談笑は続き、お茶、菓子もいただき、後の予定もないので「掃除のお手伝いをさせてもらえませんか?」と伝える。

最初こそ「いやいや、大丈夫ですよ。」だったけど「じゃあ、社務所の掃除を手伝ってもらうかな。」と松浦さん。「これも何かのご縁です。」と私。

30分前まで全く接点のなかった焼火神社に今は社務所にいて、廊下をモップ掛けしてる私。
外では草刈機の音が響き、私はモップ掛け。一回では終わらず、洗っては絞り、拭いてを繰り返していると、(なんで、こんな流れになったんだろう?)と、とても不思議な気持ちになる。

草刈りがひと段落つき、私のモップ掛けも廊下&板間を終えて一区切り。
再び、2階にあがり雑談をしてると「これをどうぞ」と焼火神社のお土産をいただく。
お土産目的ではなく、単にお手伝いと思っていたので・・・でも、お気持ちとしていただき、お別れする。

帰り道の1時間の間、一つでもタイミングが重ならなかったら松浦さんとお会いしなかった思うと不思議な巡り合わせだったし、行きは水筒だけだったのに、帰りは買ってもいないお土産を手して戻る。

動けば出会うを体現した件。

2025年5月5日月曜日

焼火(たくひ)神社。


焼火(たくひ)神社が有名ですよ。ロザージュの前から上がれますからどうぞ!」という案内を受けて、特に何も考えず、行ってみよう!となる。

焼火神社のウェブサイトによれば、焼火山(452m)にある焼火神社は、日本海の海上安全の神と崇められている。

大昔の旧暦大晦日の夜に海上から火が三つ浮かび上がり、その火が現在社殿のある巌に入ったのが焼火権現の縁起とされ、安藤広重・葛飾北斎等の版画「諸国百景」では隠岐国の名所として焼火権現が描かれている。


現在の社殿は1732年に改築され、隠岐島の社殿では最も古い建築。社殿は大岩窟の中からせり出すように建てられているのが特徴で、当時としては画期的な大阪で作成され地元で組み立てられた・・・。
と知ったのは後から。

水筒を片手に山道をあがり、途中、車やバイクに追い抜かされながらも歩き続けて、
参道から見えた日本海の眺めは素晴らしく休憩。そして1時間ほどで焼火神社に到着。


岩屋寺のように岩の中に社殿が組み込まれていて(へっー!スゴいもんだ。)と眺めて、来た道を帰ろうとした時、社務所の前にオジイさんが立っていた。
「こんにちは!」と挨拶を交わし「いい眺めですね。」と伝えると「天気のいい日は(鳥取の)大山まで見えるんだ。」と教えてくれてスマホで写真を見せてくれる。

すると「2階でお茶でも飲みませんか?」とオジイさんが声をかけてくれて、特に予定もないので遠慮なく社務所の2階にあがると、スカッ!と晴れた眺めが広がっていて感激する。

「どうぞ。」とお茶とお茶菓子(干し柿、落雁)を出してくださり、話を続けるとオジイさんは松山、中島へ訪れたことがあるとのことで話が弾む。

ココまでお互いに素性を知らずに話していたけど、目の前のオジイさんは、焼火神社の4代目宮司の松浦道仁さんだった。アラッ!

半年間の成果は2,485マイル。

JAL機かな?

2024年11月から始めた「毎日10,000歩」活動は、4月で6ヶ月が過ぎた。
6ヶ月間で獲得した累計JALマイルは2,485マイル。
4月は計397,552歩で、19,489kcal消費。計419マイルを獲得した。でも、全然痩せてない(爆)

と、言うことは、1ヶ月あたり平均414マイルを獲得して、4月は毎日平均13,251歩の計算になる。我ながら頑張りました・・・となるけど、歩くことが習慣(≒生活に溶け込む)になれば日課になる。

松山では朝散歩でお堀周辺を歩けば往復約5000歩。
もしくはアパートから松山城へあがり、下りて城山公園内を歩いても往復約5000歩。
買い物も遠いスーパーに買い物に行けば往復約3000歩。
FM愛媛に収録に行けば往復約2500歩。
最寄駅は往復約2000歩など、歩数計算ができるようになってきた。

出張先、旅先でも散歩は欠かせない。
先日の山口県田布施町麻里府地区でも朝散歩をしたし、現在滞在中の島根県西ノ島でも朝散歩中。
東京宅に行けば散歩も兼ねた買い物ができて、リュックからネギなどを出しながら歩いたり。

実はこの機会に自転車も手放す準備中。
10年以上乗っていた自転車をメンテナンスに自転車屋へお願いしても復調せず。
松山東雲女子大学へ通う為だけだったけど、バス利用申請も出したし出番がなくなってしまった。

話を歩いて獲得したJALマイルに戻して。
半年間で2,485マイルと言うことは、皮算用すると、もう半年間で2,485マイル獲得できれば計4,970マイルとなる。ボーナスマイル、抽選マイルもあるので、5,000マイル/年を超える可能性もある!
5,000マイルと言うと松山から鹿児島便の片道が無料だ!

余談は、この半年間に「Coke ON」アプリでは、2本の飲み物を既に得ていることを添えておく。

2025年5月4日日曜日

ヒリヒリハラハラ。

元隠岐の島フィルムコミッションの齋藤さん

突然の予期せぬハプニングに愕然&呆然になるも、同時に(キタッー!)と旅には必ず起こるハプニングにヒリヒリ&ハラハラ(ヒリハラ)が湧き起こり、オォー!となる(たぶん、アドレナリンが出た)。

その場では解決せずだったので、そんなコトも知らず停車中の齋藤さんに駆け寄り「今日は満席でキャンセル待ちなんですって・・・。」と伝えると、島民である齋藤さんも「えっ!なんで?聞いたことがない。」とビックリ!

隠岐の島めぐりの途中だったのに強制終了となり、キャンセル待ちに並ばなくてはならないことを伝え、お別れの挨拶をしようとすると「駐車場に停めてきます!」と、コトの顛末を案じてくれて一緒に待ってくれると齋藤さん(涙)。

乗船券販売まで2時間以上あったけど、いつ誰がキャンセル待ちで並ぶかも分からず、とりあえず並ぶと後ろにオジさんが並んだ!
「どうぞ、お先に。私はキャンセル待ちです。」と伝えると「おぅ、ワシもキャンセル待ちなんぞ。ビックリしたわ、帰らんといけんのに。」とオジさん。

オジさんは西ノ島で暮らしていて、窓口の方とも顔見知り。「今日はなんで満席なんぞ?」と尋ねると、今度は若いお兄さん担当者が「陸上大会なんです。でも、きっと乗れますよ、大丈夫。」と教えてくれて「おぉ!そうか、ホントやな。」とやりとりが目の前で行われ「アンタも大丈夫や、きっと。」と話しかけてくれる。

オジさんが列から離れるのと一緒に私も列を離れると、オジさんとの会話は続き、その中に齋藤さん、そしてオジさんの奥様も混じり4人で世間話が始まる。

見ず知らずの西ノ島町民×隠岐の島島民×愛媛県松山市民=4人の不思議な会話(笑)
こんな満席は年に1回程度、こんなハプニングには対応ができないので運に任せる、実はオジさん&奥様は西ノ島にUターン、奥様はオジさんをイジるけど愛情の裏返し・・・など、たわいもない会話が面白くて、ハプニングがなかったら起きなかった交流。

乗船券販売30分前になり、周りがザワザワし始めたので、オジさんとキャンセル待ちに並ぶ。
高速船は定員230名ほど。それが満席と言うのは陸上競技に参加した子ども達&引率者&家族などが多いから。

キャンセル待ちは“後回し”となり、並んでも追い抜かされる中の辛抱が続く。
そして、やっとキャンセル待ち対応となり、オジさんは2人分、私は1人分を確保ーーー!
「あぁ、良かった。どないしようと思ってたけど、もうこれで安心だ。」とオジさんのとびきりの笑顔が印象的だったこと。

私も落ち着き、トイレから戻るとオジさん&奥様がいなく「知り合いの所にいってしまった。」と齋藤さん。
「せっかくだから記念写真を撮ろう!」と、こちらは鬼太郎とねずみ男を背景に記念写真。

でも、なんで隠岐の島で鬼太郎とねずみ男?
「トンネルから出てきてるポーズは境港から潜って這い出てきたという設定なんです。」と教えてもらう。

3月に境港に行き、水木しげるロード、水木しげる記念館も訪れた水木しげるファンとしては興味津々だったけど、またの機会に持ち越し。

一緒に並んだオジさん&奥様とは高速船でも隣席となり西ノ島に到着。
「私たち〇〇○(オジさん&奥様の名前)って言うから、お茶でも飲みに来てよ!」と誘っていただき、お別れ。

「ヒリヒリ感って“フィルムコミッションあるある”ですよね。」と齋藤さんの言葉を思い出しながら、リゾ隠岐ロザージュの伊藤支配人が「泉谷さん、ようこそ!」と見つけてくれた。



隠岐の島で愕然&呆然。

大阪のまちなみ。新幹線が疾走している。

着替えは何セット持って行こうか?洗濯機もあると聞いたから3セットでいいかな。
離島だから周辺に店はないと想定してお菓子セットも用意、後はいつもの旅行セットでOK!と、一式整えて出発。

まずは松山空港から伊丹空港へ。
飛行機は順調に飛び定刻通りに伊丹空港へ到着。機内から見下ろした大阪の街並みは松山の何倍もの過密さだった。

次は伊丹空港から隠岐空港だけど、3時間先だったのでラウンジに入り、メールしたり、ブログ書いたり、資料を作ったりしていたら、あっという間に搭乗時刻になり、搭乗口へ移動。

隠岐の島へはGWだから観光客や帰省の人たちで満席か!と思いきや意外と混んでいなく50分のフライトは順調で隠岐空港へ到着。

隠岐の島は2015年以来、10年ぶりだった!
ちなみに、その時はジャパンFCの7回目の総会だったと学長日記。

隠岐空港に降り立ち、迎えにきてくれていたのは元隠岐の島フィルムコミッションの齋藤さん。
だから齋藤さんとの再会も10年ぶり。

今回は隠岐諸島の西ノ島町へワーケーション。
隠岐の島から西ノ島へは船でしか行けず、出航時間が3時間先だったので、齋藤さんに連絡すると「隠岐の島を案内します!」と言っていただき、島内のドライブ開始!

見晴らしの良い所へ行ったり、さざえモナカと再会したり、順調に島内を巡り、フェリー乗り場の前を通り過ぎた時、「西ノ島への(高速船)チケットは予約されました?」と齋藤さん。

「いや、買ってないよ。予約した方がいいかな?」「大丈夫と思いますけど、すぐそこだから予約しに行きましょう!」とUターンして戻ってくれる。
「じゃあ、待っててください。予約してきますね!」と車を下りて、窓口へ行き「16:05発の高速船の乗船券の予約をしたいのですが・・・」と、尋ねると。

「今日はもういっぱい、満席。キャンセル待ちです。」と奥からおじ様。
「えっ!満席?キャンセル待ちって順番があるんですか?」
「ない。キャンセル待ちは並んでもらった順に対応するから。」
と、とりつくシマもない回答に愕然&呆然。
突然のハプニング!どうなる私!?

2025年5月3日土曜日

こぼれた話/サイドストーリー。


意外と本編よりもサイドストーリーの方が時に面白かったりするのは世の常。

馬島での散策で海岸を案内された時、海岸沿いの東屋の隣に墓地があり、それぞれの墓石は(向きは色々でも)海岸を向いていた。

そんな景色をみてロケハンしたNETFLIX作品「パレード」を思い出す。
パレードではこの世に未練を残した者たちが集まる特別な場所を探していて、北条の海沿いの公園を紹介した思い出。

馬島で散策中に立ち寄ったロッジの管理棟で絵本「はじめてのキャンプ」を見つけて、我が子に読み聞かせた絵本だったので、寝る時に読んだ思い出がよみがえりジ〜ンとなる。
林明子さんの絵が好きで「こんとあき」「おでかけのまえに」も何度読んだことか。
まさか、こんな所で再会できるなんて・・・。

2日目の昼食。どこへ行くのかな?と思っていたら車は海岸線から山手に入って行き、細いグネグネ道を通り、辺りはのどかな田んぼ風景に。(こんな所に食事所があるの?)となる。

そして「着きました。」と言われたのは「里山カフェ Berry
Berry」というカフェ。
ココで食べたスパゲティとガーリックバゲットが美味しく「何度も来てるですか?」と小田さんに尋ねると「以前に妻と来て美味しかったから」とのこと。

辺鄙な場所でも美味しければ(=コンテンツが磨かれていると)人は訪れるという典型を体感する。
ちなみに小田さんと奥様は中学生時代からの同級生で一時、離れ離れになっても結ばれたというサイドストーリーに「素敵!」と太鼓判を押したのは言うまでもなく。

海岸で(何かないかなぁ)と歩いていたらカニを見つける。
近づいてカメラを向けると、両ハサミを精一杯持ち上げて威嚇してきた!
その様子を写真に撮り、しばらく観察している間も威嚇モードは収まらず、ジッーと見ていたら威嚇モードのまま波にさらわれてしまった(笑)。達者でね!



動けば得られる。


「今回のプログラムは応募多数だったんですよ。」と後から分かり、そんなコトとは全く知らずに参加した私たちは驚く。

そもそも募集人数は4名と少数だったほか、ゲストハウス、探究学習などに知見を持つ人を求めていて、自分が応募対象者かどうかは自分で判断するしかなく、またタイミングも合ったので応募したら採択された。

そんな「山口県田布施町で探究学習ツアーをつくろう!古民家で民泊 & 地域の魅力発見してくれる旅人モニター」プログラムは交通費が15,000円まで補助されて、かつ食事代、アクティビティ体験代、宿泊代は無料。さらに10,000円の報酬までついていた。

これで応募が殺到しないわけがなく、私は愛媛からなので対岸。片道約3時間30分。
行きは自宅から三津駅。三津浜港から柳井港。柳井港駅からは
フェリー到着後の電車接続がなかったのでタクシー移動。
帰りは田布施駅まで送っていただき、柳井港駅へ電車移動。柳井港から
三津浜港。三津駅から自宅という行程で15,000円で1,000円以上のお釣りが出た。

何もしない週末もアリだけど、何もしなくても腹は減り(テキトーに食べてしまうし)、眠気に襲われ(ダラダラしてしまうし)、時間さえあれば作業をしてしまう(家から出ない)悪癖もあり、今回のようなプログラムに参加できて、お役に立てたのなら嬉しいし、私自身も喧騒から離れた気分転換にもなり、満足だった機会。

振り返って思うのは、こういう“お得”と思える(私にとっては)情報にアンテナを立てて感度を高めているか?ということ。

私の場合は2月に行った和歌山県紀の川市での援農ワーケーションが本当に良くて楽しくて、もう一度、味わいたくて参加したけど、今回も良きメンバーと一期一会となり、実は既に「次」に出発しているのであった。

2025年5月2日金曜日

滞在26時間。


「何をしようか?何ができるか?」のワークショップ
は、全員の熱量が高く解散時間ギリギリまで続いた。

ブレスト(アイデア出し)までで、方向性は出せたものの、まとめるまでには至らずだったけど、事務局のSAGOJO笹岡さんから「オンライン研修(事後研修)までにまとめます!」と力強く言ってくださり、素材を預かってくれる。

私の役割は果たせたのかな?
どうあるべきか?自分ならどう関われるか?と、自分ごと化で発言はできたと思う。

1泊2日、お世話になった(株)公司の小田さんの車で田布施駅まで送っていただく車中で、お礼を伝えると「愛媛は近いですから、その時はよろしくお願いします。」と再会の予感。

そして「皆んな、これからどうするの?」
「私は福岡に帰るよ。」
「私は旅を続けます。」
「私は平郡島に行きます。」
と、それぞれに違って面白かった。写真は、偶然に互いのホームに分かれ、電車がやってきたのでサヨナラの様子。
ちなみに事務局のSAGOJO笹岡さんは長野に戻った。

参加者4名+事務局関係者3名の計7名で過ごしたのはたった26時間。
あっ!と言う間に過ぎたとは今回のコトで、出会って食事して船で馬島に渡り散策してブロッコリーの木に喜び、戻って小田さん家族、タケルさんらとBBQで語らい、数時間寝て、朝散歩して朝陽を浴びて、カヤック体験で喧騒から離れた時間を過ごし、昼食に歓喜してワークショップしたら26時間。濃かった。

柳井港に到着。三津浜港まで2時間30分の船旅。
でも心地よい揺れに爆睡してしまい、気づいたら到着30分前。
ただいま松山!

何をしようか?何ができるか?


子ども達への探究プログラムの要は「子ども達の好奇心(≒学ぶ意欲)を引き出すこと。決して押し付けないコト」と思っていて、そのためには「大人自身が楽しめるか否か?」が先ずは大切。私だったら・・・という意見を縦横無尽に伝える。

テーマを【自然とアートとの共生&感性の育み】と掲げて。
  1. 漂着物を拾って漂着するまでの物語を考える。
  2. 漂着物で“麻里府博物館”を開く。
  3. (尾道市の石に猫の絵を描いて所々に置くように)石に魚などを描いて飾る。
  4. 子ども達による海や山、道端で見つけた面白いモノを描いて展示する観察図鑑をつくる。
  5. 海藻などで“しおり”をつくる。
  6. シーグラスでアクセサリーをつくる。
  7. 馬島でみた食べられる野草を使った「野草料理教室」を古民家宿のキッチンで行うことで、外国人に多いベジタリアンなどもターゲットにする。
  8. 麻里府地区と馬島でカレンダーをつくるための写真教室を行う。
  9. 要害山山頂にある“ブロッコリーの木”を活性のシンボル化する。
  10. 古民家宿の一階をコミュニティスペースをして開放し、旅人と地域の人々が自由に行き交い、交流できる“縁側”機能にする。宿泊者も1階に下りてくれば交流が自然にできる。
  11. コミュニティスペースには子ども達の創作物、本などが置いてあり“何もしなくても”ゆっくり過ごせる雰囲気がある。
  12. 古民家宿の2階は宿泊専用エリアにして1階と2階のプライベートを保つ。
  13. 古民家宿のキッチンスペースは広いので近所のお母さまたちによる「料理教室」を開く。
  14. 地域の伝統や文化の継承&伝承に昔遊びを麻里府地区のシニアたちを先生に学ぶ。
と、アイデアは無尽蔵に出てくるものの、何をするにもリソース(ヒトモノカネジカンなど)は消費するので、「先ずはお金のかからないコトから始めるべき。」と私的にまとめる。
子ども達(時に保護者も一緒)に好奇心を育み、麻里府・馬島に興味関心を持たせること大事。

一回や一年のイベントとは違い、10年以上持続させるなら資金調達をはじめ、仲間集め、協力者、賛同者を集めること、そして発信し続けることも大事。

2025年5月1日木曜日

喧騒から離れて。


「早速、カヤックに行きませんか?」と前日に引き続き、本日も(株)公司の小田さんによるコーディネートで田布施町麻里府地域を知る学ぶ楽しむ。

カヤックなんて、子ども達が小学生の時に一緒に体験して以来だから10年以上ぶり!
用意してくださったカヤックは4艇。ライフジャケットを着て、スマホを防水ケースにいれて(海ポチャッ!をしたらサヨナラだから)、身支度を整えて、海に出る。

パドルを操って前へ進んだり左右に動かして方向転換したり、一度覚えたことは意外と覚えているもんだと自画自賛(笑)。
操作を止めると、静かな凪の海面は朝日を反射して滑らかに光り、耳を澄ませば海鳥の鳴き声が響き、向こうには「ブロッコリーの木」がある要害山が見えた!

しばらく“無”の世界に浸っているとボッボッーーー!とエンジン音が聞こえ、漁船やトレジャーボートが行き交うようになり、その勢いで向こうから波がやってきた。

「波がきたらカヤックを波に対して(先取を)垂直に向けてください。波に対して横向きだと転覆する可能性があります。」と小田さんから事前に教えていただいていたので、その時だ!と船首を波に対して垂直にすると、カヤックが波にガクンッ!とバウンドして揺れる。

そのうち、船が通るたびに押し寄せる波にバウンドするのが楽しくなり、身を任せていたら、いつの間にかカヤックのスタート地点から流されていて、周りを見たら、皆んなはもっと流されてた(爆)。

以前は我が子と一緒だったから、“子ども第一”で楽しんだけど、今回は私一人だったので自分都合で満喫。喧騒から離れて非日常を楽しむコト大事!

おはよう!田布施町。


4時30分過ぎ、モゾッと起きて、(皆んな寝てるから)音を立てないように着替えを持って2階から1階へ。

「五右衛門風呂」のある浴室へ向かおうとするも(どっちだっけ?)と方向を見失う、それほど部屋は広く周り廊下は長く、部屋が多い。

浴室に辿り着いても今度は明かりをつけるスイッチの場所が分からずアタフタするも柱にあったスイッチを押すと着替え所の電気がつき、その明かりでOKとなる。

五右衛門風呂は使わずシャワーでサッパリ、身支度を整えて朝散歩へ出発!
訪れた先でも「朝散歩」は忘れない。もはや訪れた先での楽しみになってる。

外に出て(右に行こうかな?左に行こうかな?)と気ままに決められるのが知らない土地での散歩の醍醐味。

一先ず目の前の海岸に出て潮風を浴びると左手から朝陽を感じたので、そのまま朝日の方向へ散歩。ウミドリ?シラサギ?が防波堤に止まり、魚を狙っていたり、お爺さんがバケツと竿をもって歩いていたり、地域ならではの光景に、知らない土地にいるコトを満喫。

そのまま進むと行き止まりになり、左へ右へ進むうちに分からなくなり、ワクワク(迷うとアドレナリンが出る)したものの(戻るか・・・)と、来た道を戻り、今度は左手に海を見ながら歩き、出発地点の海岸を過ぎ、国道188号に出ても歩き続け、良い日の出が見える良い海岸を見つけて下りる。

岩に腰をおろして海を眺めていると、漁港から出発した漁船がドドドッーーとエンジン音をあげて漁かな?横切っていく。朝日を浴びるチャージが完了して、来た道を戻る。

何をするわけではないけど、何気ないこういう機会は自分で作らないと実現しない。


2025年4月30日水曜日

10000点をあげたい。


松山東雲女子大学でのボランティア論授業。
非貨幣価値が求められる理由はなんだろう?と学生たちに問いを立てると・・・。
  • 幸せを感じられるからだと思います。幸せにも種類はありますが、ボランティアは自分のため、人に役立つという幸せだったり、自己成長を感じられる幸せなど、メリットと分かっているから求めるのではないでしょうか。
  • 自分自身しか得られないものだから(=他人に奪われない)。私はボランティア経験がありませんが、体育祭などでお手伝いをしたとき、とても暑い中、他の生徒より動き回りましたが、その分たくさん得られたものがありました。
  • 掃除が時間内に終わらず居残って掃除をしていると先生から「ありがとう」と言ってもらえたのコトが嬉しかったのです。達成感や言葉などを受け取れるのは嬉しいから。
  • 非貨幣価値は自分自身が頑張れば得られるものだからと考える。私はアルバイトをしていますが、バイトも自分が頑張れば自分だけの給料が貰えるし、サボってしまえばその分失ってしまうから。同じように考えます。
  • 私は掃除のボランティアをしたことがあります。最初はやりたいとは思っていませんでしたが、掃除をするうちに夢中になり楽しくなっていました。気分転換にもなっていい経験になりました。
  • 誰かのためにというより、自分の気持ちの整理として大事と感じています。
  • ボランティアはバイトとは違って、一人一人とより近く接することができるため、新たな知識や体験を得ることができるから。
他にもいろいろな意見があったけど、学生自身がたどり着いた意見の中で「ボランティアは他者や地域のために・・・と思っていたが、実は自分自身の成長や気づきのためと分かった。」という回答に10,000点をあげたいし、私自身もハッ!とさせられた。

そして、ボランティアとは大きな出来事(≒ギブアンドテイクな出来事)でもないことも分かってくれたかな。
自分と対話できる機会と思ってくれた学生もいて、なんと素直な学生達なんだろうと。
今期の学生とも濃い意見交換ができますように!

時間を忘れて意見交換&交流会。



「ブロッコリーの木」のある要害山から下りて、来た道を戻る頃は皆んなバテバテ。
その通りで、数時間前に集合して、昼食を腹一杯に食べた後は船に揺られて馬島を散策。標高110mの要害山をあがってくだってという行程。歩数アプリでは既に15,000歩を超えてた。

でも、それだけ歩いたから&疲れたからこそ、夜の交流会は、美味しいBBQを囲んで感想などたくさん話せる話題があった件。

20代から50代まで11人+小田さんのお子さんで囲んだBBQ。
ここでやっとオフィシャルな自己紹介スタート(笑)、スタートはORICAさんから。

そして今回のテーマの一つ「子ども達の探究学習」というキーワードへ、どんなアプローチができるか?的な意見が飛び交う中で、「これが探究学習です!」という「与える学習」ではなく「引き出す学習」はどうすれば実現するのか?それぞれの思いを語り合う。

例えば、子供が探究学習に興味を示しても、成果や効果は経験などで育まれるから直ぐには表れない。だけど保護者は我が子の成長に必要と思っても“なるはや”で効果や成果を得たい。

するとターゲットは目の前にいる子どもだけど、実は保護者こそが本当のターゲットで、保護者にも分かってもらわないと、目指す探究学習は持続しないかも・・・となる。

じゃあ、保護者に分かってもらうには・・・となると、探究学習プログラムへ保護者参加もアリ、保護者と子どもとを分けたプログラムもアリ、それぞれが楽しく学べる仕組み&仕掛けが必要だね。となる。

「冷えてきたね・・・。」と、時計を見れば18時30分に始めた交流会は22時を過ぎてた!
場所を大広間に変えて延長戦へ。

そして、交流会は続き、気づけば24時前になり「明日も早いから終わろう。」と、同じ方向を向いている人たちとは時間を忘れて良い意見交換ができると実感したひととき。

ブロッコリーの木。


地域の魅力資源を発掘しよう!と言っても、「見つからないです。」「ありません。」と返答されること多し。ならば「自分たちで作ればいい!」という話。

「向こうに見える馬島をご案内します。」と、いうことで船着場まで徒歩移動。
定期船に乗り「あの島が馬島です。」と指さした先をみると、ごくごく普通の島が見える。
だけど、頂上付近に“ひょっこり”とした1本の木が目立つ。
でも、よくある景色だし、さほど気にしてなかったこの時。

船は10分ほどで馬島へ到着。そして馬島を案内してくださるタケルさんと合流して島巡り。
タケルさんは移住者で、オンライン塾の講師のほか、子ども達の感性を育む活動をされていて月2回、子ども達はわざわざ船に乗ってやってくる。
自然と共に過ごす&学んでいる、このプログラムは有料だから、子どもをココに通わせる親の教育方針に興味津々となる。
「ココ大付属学園」と似ているけど、こちらの方がもっとワイルド。

島内に暮らす住民は13人(と言っていた記憶)で高齢者が多いものの、案内された所(海岸、キャンプ場、遊歩道など)はどこも草木の手入れがされていて「誰が手入れをしてるんですか?」と尋ねると「私と仲間です。」とタケルさん。

そして「これからあそこを目指します!」と指をさしたのは、船から見えた山(要害山/ようがいざん。標高110m)。
で尋ねる。「頂上の木が一本目立ちますよね?」
「ブロッコリーの木です。」
「ブロッコリーの木??」
「と、私たちが呼んでるだけですけど(笑)」
「なにそれ!面白い、行きましょう!」
と20分ほどあがった所にあった「ブロッコリーの木」という愛称の木。

「ブロッコリーの木」がある展望台周辺もタケルさん達が整備していて、言われてみると「ブロッコリー」にしか見えなくなり、「ブロッコリーの木」が地域づくりのシンボルになる予感しかなかった件。

2025年4月29日火曜日

国木田独歩も過ごした民家。

Google pixelで電線など消してます。

国木田独歩。
名前しか知らなかったけど、小説家、詩人、ジャーナリスト、編集者と、文字で活躍していた人物。

1891年、東京専門学校を退学。8月に田布施町麻里府村の浅海家に滞在する。そして浅海家の親戚の石崎家へ出入りするうちに娘のトミと恋仲になる。
1892年、トミに求婚するもトミの両親に大反対されて失恋。失意のまま上京する。その後、田布施を舞台にした「酒中日記」や「帰去来」などの作品を数多く発表している。
1906年、作品集「運命」が高い評価を得て、文壇の名声を得る。
1907年、結核により38歳で死去。

そんな国木田独歩が滞在し、数々のエピソードが生まれた120年以上前に建てられた古民家を前に立つ。ココは山口県田布施町麻里府地区。

中に入れば1階からは海が見えて、板間の大広間があり、周り廊下は本当に一周できるし、キッチンもトイレも真新しくオシャレ。でも、風呂場だけはなぜか五右衛門風呂(笑)。

今回のプログラムで我々を受けれ入れてくださった(株)公司の小田さんいわく「まだ全て完成していなんです。」とのことで、中庭には手付かずの蔵、奥には離れもあり、とてつもなく広い敷地ということが分かる。

今回、田布施町麻里府地区までやってきた理由は、交通費、宿泊費などが無料な代わりに、この建物をゲストハウス、コミュニティスペースとして活用するにはどうしたらいいか?というアイデアやアドバイスを求められて、やってきた。

ココ大のほか、各地での経験が活かせるか私!と言う感じ。