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2025年6月21日土曜日

あの時が蘇る。


栗山富夫監督が6月18日に亡くなった。享年84歳。
えひめフィルム・コミッションの設立が2002年7月。同年に「ホーム・スイートホーム2〜日傘の来た道〜」という映画が愛媛県内で撮影されて、えひめフィルム・コミッションの映画撮影支援第一号となる。

とは言ってもフィルム・コミッションの現場経験は2回目(1回目は2時間のサスペンスドラマ)、右も左も分からない無知の32歳だった私は、プロデューサーの言う通りに動いていたら、周りから注意されて途中から外されてしまった!

でも、その注意は私を危うい状況から“助ける”手段だったと後で知り、コトなきを得る。
なので、デビュー戦の「ホーム・スイートホーム2〜日傘の来た道〜」は苦い思い出の作品。

2004年に亡くなった篠田昇撮影監督(享年52歳)は忘れらない。
「世界の中心で、愛をさけぶ」の撮影でお世話になり、名前が同じ「昇」というだけで、可愛がってくださり、ファインダーを覗かせてもらったり(ホント、今では絶対にできない!)

行定勲監督と篠田昇撮影監督に「ロケハンのイロハ」を教えてもらった(行定監督からは演出方法や監督の視線なども)ことは誇りであり宝。篠田さんの年齢を超えてしまった・・・。

2009年に亡くなった佐々木芳野プロデューサー(享年51歳)も忘れない。
アルタミラピクチャーズ所属で、愛媛県舞台の「がんばっていきまっしょい」「船を降りたら彼女の島」や「ウォーターボーイズ」「解夏」などの作品をプロデュースされた。

「がんばっていきまっしょい」の同窓会撮影で2日間ご一緒させていただき、(ものすごい配慮、段取力の方だ・・・)と驚いた思い出。
さらにお別れ会に参加した時、ご自身の死期を悟った後は、自身の死後の段取りまで整えていたとのこと。

色々な方とご一緒させていただいた・・・と思った暑い日。

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