日記を検索

2024年5月25日土曜日

NO ART , NO LIFE.


私が幼少だった頃、両親に美術館へ連れて行かれても楽しめなかった思い出。壁の絵画、中庭の彫像はまだ形があるから理解できるけど、インスタレーションや抽象画などは(理解しようとしてたから)退屈で苦手になったほど。

でもそれは、後に(なんで?そうなの?)的な問いと言うか考えるきっかけになり、(創作の意図が)分かりやすいのも好きだけど、鑑賞者に解釈が委ねられたメッセージを自分なりに持つのが楽しくなる。アートは理解ではなく感じること!

その中でキース・ヘリングは分かりやすい作品なのに込められたメッセージとのギャップが激しく、また当時は我が道を行く異端(アートの存在は万人のためなど)の存在に惹かれる。

トーキョーアートビートが行った「子連れ美術鑑賞」の結果は「歓迎の人」「歓迎しない人」の意見が分かれて「静かに鑑賞したい人と親子などでワイワイ鑑賞した人を時間制分けたらいい。」にはフムフムと思ったり。“静かに見る”が鑑賞の正解ではない派。

でも海外では親子づれ、ベビーカーを押しながら名画を見たり、学校の授業で寝そべりながら先生の話を聞いて模写したりしてた。
そもそも「アートと私たち」の考え方、距離間、捉え方などが違うのか?

子供から「美術館に行きたい」と言われることなんて少ないと思うから、やはり親の影響、考え方一つじゃないかな?

我が子の場合、小さい頃から色々と連れて行ったからか、アートをスンナリと受け入れたから、一緒に楽しめてありがたい。NO ART,NO LIFE.

0 件のコメント:

コメントを投稿