それまで愛媛県には存在しなかった「市民大学」だから、人それぞれに抱くイメージは違い、「ワクワクする!」という激励もあれば「大学という教育機関を名乗るな!」などの意見もあったなと。
でも、実はそんなことよりも天気の方が心配で、当日は晴れて青空の下で開校を宣言できた。そして、涙腺緩んだのね・・・。
あれから12年。多くの人に支えられて順調に事業は拡大していき、2000万円の借金までできるようになり、更に次ステージ!と決まった矢先にコロナで青天の霹靂を味わう。残った借金は7年間かけて先日完済。
そして残ったのは借金だけでなく、ノウハウや繋がりなどプライスレスなものが多く、点でみればダメージは大きかったけど面で見るとリクープできたかも!?と思ったり。
そして今。コロナがもたらしたのは初心回帰で、事業は成果の質を担保できる範囲にとどめる。
もしも、12年後があったら、とてつもなくスゴいことだと思う。
もしも、12年後があったら、とてつもなくスゴいことだと思う。
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