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2018年5月27日日曜日

怒りは娯楽か?

先日、誰かが言っていて腑に落ちた話。それは巷で起こる「悪」へ対し、社会が「断罪すること、怒ることを娯楽化しているのでは?」という問い。「怒りの娯楽化」なんて怖過ぎる・・・。でも、照らし合わせて見ると「合致」する事象は多く感じられ、もっと怖くなる。誤解を恐れずに言うと「社会から抹殺」のような過剰な情報や一方的な正義ほど偽善と思う。

正直、何が「正しい」のかさえ分からない状況が多いから、正解か?不正解か?分からず批判を恐れて「内向き」になるのは一理ある。でも、そもそも正解を出すために過ごしていない。正解不正解を追い求めて過ごしていたら「自分なのに自分でなくなる」、周りに流されてしまう。そして気づいた時には取り戻せなくて、その怒りは周りに当たり散らすのが精一杯。

怒ると気が発散されるから少し落ち着く。でも根本的な解決になってないから怒りの沸点は低く、すぐにスイッチが入る(怒る)→落ち着く。小さな怒りでは小さな発散しかできないので社会悪を見つけて大きく怒って発散する。怒ることは感情の一つだから正常だけど、娯楽のようになるのも周りで煽って鑑賞するのもよくないと。*写真と文章は一切関係ありません。

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