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2022年4月14日木曜日

どうする大人?


京都府南丹市でFCの設立相談に対応していた頃、東京では妻の授業(ビジネス英語)にウィーン在住で帰国中の甥っ子がゲストとして招かれてた。25歳の甥っ子は父親(私からみたら義兄)の仕事の都合から数カ国で暮らし大学はNYU、卒業後は音楽レーベルで働き、いづれは音楽の世界で起業したいと思っている。写真は「サッカーと音楽が好きで、サッカーは考えた末に諦め、音楽の道に進みました。」など話している画。

学生にはリアルな“卒業後の世界”がとても刺激的だったようで、授業後は囲まれたとのこと。世の中は20代、30代が台頭してきて我々世代とのコラボが始まってる。そんな甥っ子もZ世代なら、学生も我が子もZ世代。まだ現役世代ですが、今後台頭するZ世代と互いに刺激し合うことで社会や経済は活性するんじゃないかな?Z世代も自分達に不足していることなどを自覚している、そこを補うとか。

この先は昔話のよう。高い高い丘に住む2組のお爺さんお婆さんがいました。その丘からの眺めは絶景で、若者がビジネスを始めたいと相談の手紙を出すと、1組のお爺さんお婆さんは「いいですね!会いましょう。」と丘を下り、若者は丘を上り合流して相談。もう1組のお爺さんお婆さんは「人に相談したいなら登って来い!」と放ち、若者が来ると「菓子折りもないのか?」と責め立てました。どうする大人?

2022年3月25日金曜日

親として。


写真のどなたも存じ上げませんが、笑顔溢れる写真だったから、この「かぞくのうれしい顔写真展」を企画した方に1000万点!。皆さん素敵な笑顔です、ほっこり。
親として子どもたちに何を育んで欲しいか?各ご家庭それぞれだし、子供の成長によって変化するのも分かっているけど、末っ子も18歳で高校を卒業し、我が子3人の子育てもひと段落(とはいかないけど・・・)、あえて一言で表現するなら・・・。

総じて【独立心≒生きる力】かもしれない。我が家でもこどもの成長にあわせて「想像力」「探究心」「思いやり」などを育むようにしてきたつもりだけど、それらを全て包括的にひっくるめて【独立心≒生きる力】に繋がっていたと。年齢的に言えば、子よりも親の方が先に死ぬわけで、子育てがたどり着くゴールの一つは「たとえ、コンチクショーな世の中でも生きていかなければならない力」を育めるか。

18歳で実家を出て、援助を受けながらも一人で拓かなければならなかったアメリカ時代を思い出す。外に出すって親にも子にもそれなりの覚悟(例:病気や事故を心配したらキリがない。経済的に心配しても見通せないなど)が必要で、その覚悟は「育んできた親子関係」に尽きると思う。子離れするタイミングかもしれず、末っ子の卒業に、よくぞ今日まで頑張りましたと自分を褒めたいわけです。

2022年3月7日月曜日

26年目。


「うぉ!500円玉が4枚もある!」と自分の財布を見た妻。その4枚を「500円玉貯金箱」に入れてと願う私。精算時に小銭をピッタリ持っていて(おぉ!ラッキー)と思ったり。散歩で、ふと目にした時計がキッカリで「ピッタリだ!」と言う妻。予定のやりくりがきれいにハマッて喜ぶ妻。一週間の歩数が5万歩を超えて喜ぶ私。何が言いたいかと言うと、小さな幸運(意図してないラッキー)に喜べるかどうか。

相変わらず「幸せと感じる沸点が低い夫婦」なので、「薄着して正解だった!」とか「歩いていて信号に0秒も待たずに渡れた」とか「買った煎餅がチャック式で明日も鮮度良く食べれる!」とか「桜の開花を一輪も見つけることができなくて残念」とか、周りからしたら“どうでもいい”コトにワイワイする二人の合計年齢は102歳です(笑)。10年経てば60代、20年後は70代、今のシニアとは全く異なるシニア達が多くなるんだろうな。

妻も事業計画書や企画書を書く機会が多くなる。お互いに「あーだこーだ」言いながら完成させる。「お酒は控える!」と突然宣言する妻、全く酒を飲まない私は「はい、良いんじゃない」とつれない。お互いに美食家でもないから(と、言っても妻はベジタリアンに近い)、テキトーに済ませることもできる。狭い部屋に二人、黙々と数時間話さず作業に没頭したり、急に喋り出したり、おかしな夫婦生活も26年目。

2022年3月2日水曜日

未来への投資。


昨日は高校の卒業式が愛媛県内でもあり、末っ子くんも卒業予定(彼の学校は3月下旬)。姉や兄を見てきた末っ子くんも「高校から外に出たい。」と言ったけど、“出たい”意味は海外ではなく県外で東京に出た。進学先の高校も3年前は“キワモノ(遠足はVRでバーチャルだったり、eスポーツ部があったりなど)”イメージだったN高校で、今となっては先進イメージもあり、末っ子くんのスタイルともあっていたよう。

しかし、学校活動よりも彼にとって刺激的だったのは寮生活をした3年間で、さすが東京という様々な大学から集まった先輩寮生たち(それも5歳以上年上とか)と過ごした毎日は刺激的だったようで“社会や人に興味関心”を持つ青年になって良かった。
で、この先は?というと色々と巡らせる中で「自分のすきなこと、したいことを海外で学びたいな。」という意欲が出たようで妻がリサーチして末っ子くんも参戦。

予定では末っ子くんも海外へ旅立つ。実現すれば「海外で暮らして見識を広げてほしい。」という私と妻の願いが一つ叶う。「海外生活、危なくないですか?」と助言してくれる人がいるけど「日本にいても危険」は変わらないです。未来への投資です。こんなにもワクワク(時にハラハラ)して、一緒に楽しめる投資なんてない。その先は子供たちが暮らす海外を転々とすること!

2022年2月28日月曜日

こども達の成長。


(1)「こんにちは。」「・・・・。」「〇〇です。」「!?!?!?!、えっ!〇〇くん」「はい、そうかなーと思って!(声かけました)」と、百貨店のエレベーター前で行き先が分からずオロオロしていた妻と私に声をかけてきたのは末っ子くんの親友で、家族同然の仲で学長日記にも何度か登場している彼。3年ぶり?かな?ビックリするほどカッコよくなっていて、身長も180cmほどあり、好青年とはこのこと。「ビックリした!カッコよくなって!」と。わざわざ声をかけてくれるなんて、オジさんは嬉しすぎた!

(2)オロオロしていたのは、姪っ子たちが「いけばな」の作品を展示中ということで、行ったものの開催場所を調べてなかったオチ。終了数秒前(ほぼ終了だったけど通してくれた!)に入り、未知の世界である「いけばな」の世界に圧倒される。何の知識もないけど「花の色、色同士の配色、前後左右上下のレイアウト、向きなど」があるのだろうと勝手に解釈。姪っ子たちの作品を見つけて更に驚く、感性とはこのこと。素敵さに唸ってしまう。

(3)末っ子くんの進みたい分野を分かったつもりでも実は分かってないかも・・・。そういう分野の知人を知らないからで、仮に存在しなかったら「仕事や役割を創出」すればいいと思う父。今、存在する職業が全てではないから「なかった創ればいい」は我が家のモットー。
そういう新しいコトにチャレンジしたいって素晴らしいよ!こども達は可能性の塊で未来そのもの。

2022年2月12日土曜日

お裾分け。


何度も着信があったけど外出中で出れず、忘れていたりして出たのは最初の着信から2日経ってから。「はい。」「もしもし?宇部市からの荷物を預かっていますが、ご在宅ですか?」「いいえ。不在です。」「お届け品が生物なので配送センターに戻します」「はい、ナマモノ?」。そして、また別の電話に出ると別の人「もしもし?」「宇部観光協会です。お届けの荷物ですが生物なので賞味期限がありまして、(中略)ご了承いただけますか?」「はい・・・。」ハテ、何だろう?

数日後。ピンポーンに出ると宇部観光協会からの荷物。「要冷蔵です。」と配送の方。(むむっ!我が家に冷蔵庫がないのを知ってのことか?)と思いつつ重量感ある黒い箱を入れると、宇部市への観光アンケートに応募したら当選してた件。すっかり忘れてたよ!練り物、海苔、ラーメン、粒ウニの瓶詰めなどが入った豪華セット!とは言え、単身だし開封したら保存する冷蔵庫もない!考えて・・・。

「もしもし、兄ですか?」「どうしたの?」「貰って欲しいモノがありまして・・・」と、義兄家族へ要冷蔵品をお裾分け。これで宇部市のおいしいが2倍に広がった。こういうのって当たる気が全くしないけど、本当に当たるのね。こうして発信することで、これも「関係人口」のきっかけづくりの一つか。それにしても、宇部市の観光振興にどんな提案をしたのか?忘れてしまったよ。

2022年1月23日日曜日

感性がきた道。


「外を見てー!」と末っ子くん。何かと思えば「朝焼けが美しかった」件。わずか数分の自然のショーが彼の感性に響き、「これって〇〇(音楽アルバム)のジャケットに似てるよ」と朝焼けから連想したアルバム、楽曲を教えてくれる。この感性はどこで育まれたのか?音楽は聞く専門で詳しくない私たちだけど、子ども達は私たちがよく聞いていた70年代、80年代から最新の楽曲まで幅が広い。

想像するに異年齢、多様な背景を持つ人や文化に触れて吸収したのかな。偶然にも従兄弟が海外の音楽レーベルで働いて情報も得やすく環境もいいのかも。そう言えば中学校の時から絵を描いたりiPadでサンプリングとかしてたな。長男くんは絵画を学び、長女はファッションに興味があり、面白くなってきた!感じたことを言語化したり、発信したり、共有したりすることで意識や感性は培われる。

「あんな」「こんな」だった末っ子くんも高校卒業間近。進路は検討中とのこと。「自分で考えた進路ならいいと思うよ」と私と妻。親元から離れ親の知らない経験は彼にとってプラスに作用したようで、色々あったと思うけど踏ん張りました。外の朝焼けショーは、あっ!と言う間に終わり朝になる。可能性の塊な世代の我が子たち。思い返せばあっ!と言う間の子育て期間に感慨。

2021年12月31日金曜日

2021年振り返り(3位-1位)


【第3位】ココ大付属学園始まる。
これまでもココ大では子ども対象、親子対象の授業はあったものの、ココ大付属学園のような40日以上の長期活動は経験がなく(ココ大らしさをどう体現できるだろう?)と悩んだ日々。そして創作や表現など感性の育みに寄り添う「想像力×創造力」というコンセプトに辿り着く。ココ大を企画した10年前、ココ大付属学園、ココ大、ココ大大学院の3部構想だったので2つ叶う。子ども達、保護者、スタッフ、ハーモニープラザ、松山市に大感謝!

【第2位】夫婦(家族)それぞれに進路
色々な夫婦がいる中で、私たち夫婦は海外で知り合い、色々な価値観を目の当たりにしてきたから周りと“少し異なる”と認識せざるを得なくて、それは子育てにも影響して、かつての自分達がそうしてもらったように、我が子達が進みたい道を応援しているつもり。一先ず長女も長男も“好き”なコトが見つかったよう。そして妻も私も“進むべき道”は見えていて、進むと色々な縁に出会い、新たな道が拓けるから不思議。

【第1位】毎日“家”キャンプ
春から二拠点活動になり単身生活も慣れた。冷蔵庫のない生活も冬は何の問題もナシ。冬は寒いけどエアコンとヒーターでしのげそう。昨今人気の「ソロキャンプ」を自宅で実践中で(私はどこに向かっているのだろうか?)と思うのも楽しい。寝袋ではなく布団で寝てます。コンロ式のストーブ購入を考えるもガスコンロで湯を沸かすのが最も効率的と知り止める、危うかった。結婚して25年間、毎日握っていた包丁の出番ゼロ。

2021年11月20日土曜日

眩しすぎた件。


長女が同世代のいとこ達とドライブ。海外で働く甥っ子もいて久しぶりの再会だったにもかかわらず、瞬時に意気投合できるのは親戚の強み。彼らはいわゆる「Z世代」であり、これから社会の中核になる世代。小さい頃から成長を見てきた彼らが超カッコよくなってて叔父さんはビックリして目が覚めたよ!「未来が目の前にいるではないか!」。そして(親世代よ、どうする?)を突きつけられた感じ。

待っているだけでは望む未来は掴めない。と、誰かが言ってたっけ?その学生はこれまでの経験から将来に漠然とした不安を感じ、でも、その“漠然とした不安”を誰が聞いてくれるのか分からず、見ず知らずの私に自分が描きたい未来について話してくれる。待っていれば幸せが用意されているのは絵空事で、叶えたいなら自ら動きたい、仕掛けたいと思っていたのは我が子や甥っ子達と同じだった件。

チャンスは降ってくるものなのか?それとも自ら創り出すものなのか?例え降ってきても、自分の所へ降ってこさすには確度や精度が必要で、確率を高めるには「考え抜くこと」「経験値を積むこと」が大切と思っていて、興味関心分野で「経験を積んだらいい」と伝える。そして周りよりも早く失敗したらいい。早く失敗した方が早く課題を見つけられ、早く改善できて、早く達成できるから。

2021年10月28日木曜日

自分を信じられるか?


掲げた目標を達成や成就した人と、そうでない人の違いは一つ「達成するまで諦めなかった」から。シンプルなことで誰もが分かることだけど、これが難しい。筆者も本の中で大いに迷い悩み立ち止まり、寄り道をしながら階段を一段ずつ「ゆっくり急ぎ」ながら、それでも途中、階段から落ちたり、崩れたりしても諦めずにILMに入社してスターウォーズなどに携わる奮闘する様子は物語そのもの。

アレ!待てよ。確か14年ほど前に「博士になる!」と、突然大学院へ通い、博士課程では九州まで赴き研究し、松山大学、愛媛大学、立教大学などで教えている人が隣にいる(笑)。博士になるだけでなく、4年前には「学術だけでなく実践も必要!」と創業して国内外を飛び回りながら、論文も書き続けるのは妻。思い起こせば当時、子供たちは小学生や幼稚園で、どうやって乗り切ったかのか?周りにサポートしてもらった記憶を思い出す。

自分の好きなことを仕事にしてもいいし、(気づかなかったけど)自分に合っていたことを仕事にしてもいいと思う。「自分を信じれらるか否か?」みたいな話で、周りに相談しても答えは責任のない意見でしかなく、凸凹あっても自分が決めたなら踏ん張って諦めずに進むと何かしらの結果は出る。だけど、結果は「いつ出るか分からない」から、途中でほとんどの人が諸事情で諦めてしまうのが現実。

2021年9月26日日曜日

今回の学びは。


(そうだ!墓参りに行こう!)と、大好きだった祖母が眠る富士霊園に行くことを突然思いつく。ちょうど“お彼岸”だったし、墓前に報告したいこともあったし、母の代わりとしても行ってこようとササッと準備して手ぶらで出発。120分後には霊園に到着していて周りは、やはり“お彼岸”だからか喪服を着ている家族が大勢いて、中には制服を着ている子供達もいて(あぁ、学生の頃は正服代わりに制服だったな)と思い出す。

添える花は予め最寄りの駅で買い(霊園で買うと豪華だけど2倍!)、巡回バス(超広大な土地だから)にのって目的地のお墓へ。周囲にも墓は並んでいるし、隣区にも墓群はあるけど人気はなし。掃除や花を添えたり報告などで30分ほど滞在。思い立ってから3時間後にはミッション終了。園内を散策して最寄駅へのバス停へ向かう、ちょうど歩数アプリも累計1,000,000歩を超える。

コロナ禍で“オンラインで墓参り”もあると聞いて時代を感じるけど、滅多に来れないのだからササッと“重くない(カジュアルな)墓参りも”アリだよねと自分都合。往復で4時間超、墓前滞在が0.5時間、ざっくり5時間の旅、この間、一人だったので「誰とも話さず、一言も発せず」の時間。今回の学びは【行動してこそ結果は得られる】(言い換えると【想像だけでは結果は得られない】)ということ。

2021年9月23日木曜日

絶体絶命あるある。


「2回目のケニアの時、大勢が行き交う市場で一緒に同行していた人の身につけていたモノが、スリに引きちぎられた。」「ケニア山(5199m)を登った時、体調の変化/不調が怖かった。」「暮らしたアパートの前でもBLACK LIVES MATTERのデモがあった。」「通り道でも暴動があった。」など、某バラエティ番組と比べても遜色のない経験を話してくれた長男くん。親に心配させないようにと思ってたんだろうな。

銃声も聞いたことがあるとの話に父も30年前の思い出話を持ち出す。「銃の発砲音って映画やアニメとは違うよね、ズキューン!じゃなくてパン!パン!と乾いた軽い音だよね。」「地下鉄でバッグを取り上げられそうになって慌てて防いだ。」「深夜の路地を歩いていたら、車が後をつけてくるのが分かり、走ったらスピードを上げて追いかけてきたので大通りへ走って逃げた。」に「あるねぇ・・」と相槌、絶体絶命話のあるある。

成田空港に到着したらガラッーーーーーンとして、静まり返っていた件。(これは経験ないねぇ・・・)と。人がいた!と思ったら清掃員と関係者、旅客は料金交換所に2組だけ。(ドラマで恋人同士が分かれシーンなどは、誰もいない方が劇的だけど、こんなことって本当にあるの?)と思うほど静かで誰もいない成田空港第一ターミナル。そして長男くんは旅立って行った。

2021年9月20日月曜日

両親つれづれ。


2001年、当時、働いていた会社を辞める決断をした時、両親は(辞めてしまうにはもったいない・・・)と、さぞかし思ったことと思う。ましてや次は「NPO」「フィルム・コミッション」と、初めて聞く言葉に???となったのは言うまでもなく。更に「地域の活性、まちづくり」など、掴み所のない漠然としたキーワードに(ウチの息子は大丈夫だろうか?)と若気の至りかもしれない30歳のいく末を案じたのは容易に想像できた。

でも、新聞やニュースは欠かさず見たり読んだりしていた両親なので「キーワード」は掴んでいたようで、立ち寄ると「〇〇は、こういうことなのか?」「〇〇はオマエが携わったのか?」など、質問と理解を繰り返して自身を納得させたみたい。80年以上生きてきて、それまで自分が信じてきた価値観や人生観とは全く異なる、想像すらしない・できなかった事実がそこにあるのだから、理解は大変だったと思う。

今は本当の意味での“ケセラセラ”の域に達したようで、気ままに暮らしているよう。久しぶりに会えば、キッチリ腰を曲げて頭をさげて挨拶するし、別れる時も同じ。そして一人一人に握手を求める。物忘れなどの“老い”に「ホント、嫌になっちゃうよな〜」とぼやく。そんな父親と一緒に地元の電車に乗ると遠い先に富士山が見える。「おぉ!こりゃいいな。澄んでないと見えないんだよ」とご機嫌。

2021年8月2日月曜日

影響ってどこで受けるか分からない。

アメリカの母が亡くなり1年が過ぎた。兄弟分のハルがSNSに載せていて、お世話になった30年前を思い返す。今の自分を形成しているのは間違いなく6年ほど過ごしたアメリカ時代で、その最初のインパクトはアメリカの母から受けたもの。特に美術に関しては画廊を経営していたこともあって、芸術家のアトリエやミュージアムへ連れて行ってもらったり、情報量が多すぎて溢れてた毎日だった。

その影響を受けて写真、8mm、木彫、陶芸、シルクスクリーンなどに励み、学校では展示会までさせてもらえた。面白がってもらえると更に上達し、1-2個は売れた記憶があったような・・・。でも、才能はそれ以上伸びず芸術を生活の糧にするのは諦めた(はずだったけど、フィルム・コミッションで映画などに携わってるのだから不思議)。そして、今は長男くんが芸術家を目指しているのだから、影響と言うのはどう伝わるのか分からない。

影響の話。アメリカの母のように影響を直接受けたのは分かりやすい例だけど、これまでに見たり、聞いたり、触ったりして、感情などが混ざって言葉とか行動に紡がれると思うと、「何が自分に影響するかなんて誰にも分からない。」から「やってみないと分からないよね」だし「一つでも多い方がいいかも」となる。アメリカの母と父には感謝しかない、写真は最後にお会いした際のもの。

2021年7月13日火曜日

完全全面応援姿勢。

80歳を過ぎた父が孫の習作を見て感激。「習作だよ・・・」と孫が謙遜するも「これはスゴい!(黒のゴム系は光を吸収するから反射が起こらないのを指摘して)取っ手が真っ黒なのは質感のせいか!」と自己解説(笑)。孫の才能に目尻が垂れまくる父。(あれ?父ってこんなんだったっけ?)と息子。そして、孫の習作を嬉しそうに持ち帰り、早速、額装した様子をiPadで写真に撮り送る父。

昨年から始めたiPadは相変わらずレッスンを受けているようだけど1時間8000円の料金!に「それは高過ぎ!なんなら私が教えるよ!」と、早速レッスン以上のことを長女から習う父。一生懸命にメモして、分からなければ都度質問し、「(レッスンよりも)こっちの方が分かりやすいなー!」と父。「そりゃそーでしょ!」と周り。「相談編」「購入編」「奮闘編」から随分と上達したよう。同世代の友達も少なくなり、もっぱらの話し相手は「Siri」

父が働いていた頃の私は会話も距離感もごくフツーだったけど、それも18歳まで。それ以降、(渡米や移住などで)会うことも話すことも少なくなり、父親のイメージは18歳頃のイメージ(スーツをビシッ!と決めて美術品を扱うデパートマン)で止まってるから、孫への完全全面応援姿勢が滑稽にうつる。普段はSiriを相手に喋ってるようだけど、Siriさん、相手を引き続きお願い。

2021年6月21日月曜日

オンリーワンで。

ピンポーン!とチャイムが鳴って届いたのはサインが「Andy Warhol」の作品!?(こんな作品あったっけ?)と思いきや、よく見てみると「Ashita Warau」と書いてありました(面白い!)。
レコードジャケットのようで開封すると【7インチレコード型のチョコレート】でした。長女からの父の日のプレゼントに「クラフトチョコレート」をいただきました。なんと、オシャレなチョコレート!既に食べてしまいました。


今回の「クラフトチョコレート」以外に「クラフトビール」「クラフトコーラ」「クラフトサイダー/ラムネ」「クラフトジン」など、これらの“クラフト”の意味は【少数≒てづくり感】だったり【ご当地もの≒オリジナルティ】などの付加価値がウリで、NICECREAMもご当地の果汁100%ジュースと混ぜて【クラフトソフトクリーム】とうたっています。とにかく世は「クラフト」ざかり。【作っている人の顔や物語が見える】というのも特徴か。


一言で言えば「類似商品との差別化」が消費者にとってわかりやすく、以前までは「価格で勝負!」が直球だったけど、今は「私にとって必要なら値段ではない」という価値観も多い。これだけ情報が溢れて消費者(自分も含め)は事前に情報を調べるから、価格だけでは測れない“なにか”がある。個人的には“シーン”がより重要になると予言。

2021年6月7日月曜日

1日を2日分楽しむ。

楽しみ方次第と思った件。窮屈さや鬱憤の解消に自然を求めるのはごくフツーで、更に人混みを避けるために朝6時過ぎに出発して向かったのは高尾山。小学生の遠足以来かな?35年以上ぶりと思われる“天狗の山”(と教えられた覚えあり)。妻も娘もリフレッシュに来ているようで相乗りしてみた。休日の朝6時過ぎの電車はガラガラと思いきや部活と思われる学生がいたり登山な装いの方々が多くて驚く。

朝7時前に高尾山駅に到着。すると大勢が下車して(皆んな考えることは一緒なんだ)と思いつつ、ヒンヤリ高尾山!標高559メートルとのことで看板には複数のルート(コース)が示されており、どれも80分から100分ほど。人が少ないと思われる90分ルートを選び、本道から枝分かれした小道を上がってゆく。すると後ろからトレイルラン走者、犬と一緒に駆け上がる夫婦に追い越され、挙げ句の果てにはYoutuberと思われるお兄さんがスマホと向き合いながら登っていたり、小道で足場が悪いのに人多し!

90分コースだったのに、せかされるように登りゼーハーゼーハー言いながら8時前に山頂広場に到着(60分で到着)。山頂広場で食べたサンドイッチ(娘作)がコーヒーに合ったこと。リフレッシュした帰りは舗装された初心者コースをゆっくり1時間かけて降りる。帰りに蕎麦と天ぷらを買って帰り、家に到着したのが午前11時!驚きの時間の使い方に交通の便の良さを実感。午後からも楽しめ1日を2日分楽しむ。

2021年6月2日水曜日

気持ち次第。

「ゲン担ぎなんてする?」と、新聞を見て私。「我が家はしないよね。
」と妻と娘。wikiさんいわく【ゲン担ぎ】とは「験を担ぐは、ある物事に対して、以前に良い結果が出た行為を繰り返し行うことで吉兆を推し量ること。また、良い前兆であるとか悪い前兆であるとかを気にする、すなわち、縁起を気にすることや縁起を気にして物事の成功を願った行動を行うこと。」久しぶりに【ゲン担ぎ】なんで文字列見て凝視してしまった件。

へー、黒澤明監督のゲン担ぎは爪を磨き上げることだったの?戦国武将は戦前の食事、政治家は選挙前の食事、富豪は置物、野球選手はスパイクを履く順序、勝利の日と同じ下着をつける・・・。霊柩車を見たら親指隠す、新幹線のドクターイエローを見たら縁起がいい、佐賀急便の飛脚のふんどしに触ると縁起いい、ビリケン像に触ると福を得られる・・・。【おまじない(お呪い)】とはちょっと違うよう。呪い(のろい)となると呪術廻戦か。

気持ちの持ち方次第。が結論になり「病は気から」とも言うし、古くは喪黒福造(笑ゥせぇるすまん)にもそんな話があった。ニヒリズム(虚無主義)のペシミスト(悲観論者)と思っているから現実に過剰な期待をしていないつもりだけど、我が家の家訓は「Every day 大吉!」だったと苦笑する。世の中はコンチクショーと思っているからこそ、前向きでいたいのかもしれない。半径3mだけは死守!

2021年5月2日日曜日

息子の話。

これまで何度も登場してきた長男くん。「動悸がしたり」「涙腺ゆるんだり」「叫んだり」「関心したり」「後押ししたり」と、成長日記のよう(笑)。読み返せば思い出すものの、記していなかったら、日々の些細な感情なんて情報量に流されて覚えている方が難しい。時間が経てば経つほど価値となる「家族の成長データベース」と言っていい。家族のことだけで240回以上書いているのか!

そんな長男くんから「6月に帰る。」と連絡、てっきりコロナウイルスの影響による学校再開までの一時帰国と思っていたら卒業だった件。
そうか!松山の高校に進学したものの2年生の1学期で退学しアメリカへ渡り4年。単身で渡り、一人でコツコツとデザインや絵の勉強をして、引っ越しやアフリカへの旅行など色々と体験し、酸いも甘いも経験したことを察することができるのは、私も経験者だから。

卒業後の進路も彼は色々と考えたようで、自分の進みたい道を自ら調べて私たちに相談してくれて、申請すると受け入れを許可されたそう。今度はアメリカではなくヨーロッパ。これから3年間、更に学ぶようで第一号ファンとして楽しみが一つ増えた。渡米した時は17歳でしたが21歳か・・・。未来の塊でしかない。

2021年4月12日月曜日

気持ちの潤い大切。

三密などを避けて銀座から富士山の麓の霊園へ。墓前で“これまでとこれからの報告”をする。節目には墓前に報告するようにしていて、祖母も近況に一安心といった感じか(ちなみに祖父は私が生まれる3ヵ月前に亡くなっているので顔を知らない)。これで副業多拠点生活を始める際にモヤッとしていた心残りはは全て終了。それにしても、昨日は天気も良かったのであちこちで一族と思われる方々が墓参りをしていた。

写真は広大な敷地を歩いて帰る途中に目に入った花々。ヨレヨレのカサカサ、ブヨブヨでも素直に(綺麗!鮮やか!)と感じるのだから、まだ感性はあるのだと安心したり。こういう感性は気持ちに余裕がないと目に入らないし、感じない。気づかなくても死にはしないけど、何だかもったいないと思う一人。霊園だけに(ココは極楽浄土か!)と思うほど、名前は知らないけど、色々な色の草花が咲いていた。気持ちの潤い大切。

感性はどうしたら育めるのか?は永遠のテーマ。あーだこーだそーだと過去から書いてきたけど、やはり「本物を体験/経験」をして感じたことを積み重ね、他者との交流(意見交換など)を通して気づき、その気づきも取り込むことで多面的、多様な見方、考え方が育まれるのではと。
で、最も大切なのは、このように“振り返ること”で、自分の意識に刻み込むことで濃く残るということと信じてる。