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2024年4月26日金曜日

考え方を変えなきゃ。


何もしなかったら2060年の愛媛県の人口はこうなるらしい。
  1. 松山市:360,817人
  2. 今治市:83,181人
  3. 新居浜市:76,685人
  4. 西条市:60,782人
  5. 四国中央市:41,200人
  6. 宇和島市:25,668人
  7. 東温市:24,210人
  8. 松前町:22,020人
  9. 伊予市:17,145人
  10. 大洲市:16,189人
  11. 西予市:11,816人
  12. 砥部町:11,274人
  13. 八幡浜市:10,890人
  14. 内子町:5,825人
  15. 愛南町:4,920人
  16. 鬼北町:3,392人
  17. 上島町:2,398人
  18. 久万高原町:1,966人
  19. 伊方町:1,898人
  20. 松野町:1,271人
先日、松山市が推計人口(4/1付)を499,326人と発表して50万人を割った!が話題になった。36年後は、その人数よりも28%少減。実際には、そこまで減らなくとも40万人を割った!と話題になるのは、いづれ確実。

また市町村合併が行われるのか?それとも消滅するのか?ここから劇的に人口増加は望めないのだから、一辺倒な取り組みやこれまでを踏襲しても効果は薄そう・・・と言ったら怒られそう。
これまでの取り組みが成果を出さなかったのも人口減の余要因の一つと思うけど。

ジリ貧になっている事実を受け止めて、「交流人口増、関係人口増」という考え方で、進学や留学、就職、転勤などにも注力しなきゃ!と、機会があるごとに言い続けてるけど。

そもそも2060年(89歳)に生きてないと思けど、我が子がいるしな・・・。

開示すると。


毎回、学生へ色々な質問をするから「じゃあ、先生の持ち味は何ですか?」とブーメラン。
これまでを振り返ると【妄想力】【巻き込み力】【ゼロイチ力】が持ち味と思う。

働き方(試験も受けずに特別職など)も肩書き(フィルム・コミッション)も仕事内容(撮影の誘致支援、市民大学)も実績(500本以上の撮影支援実績、600回以上の授業など)の全てがゼロから創出できたと思うと、妄想の実現に、とても多くの人から協力(巻き込んだ)を得られたは事実。

「一番大変だった仕事は何ですか?」には、その時は大変と思わなかったけど、これまた振り返ると(二度とできないかも)は【えひめ南予通信大学】。
今でこそ、オンライン学習などネット上での講義は盛んだけど、それを2016年に開講したのは愛媛でも初で大変だった。

でも、その大変は苦痛ではなく、何もかもが初めてだったから課題を一つクリアすれば新たな課題が現れるRPGな感じ。ドコモgaccoとの事業展開など、ゼロイチの真骨頂を味わう。

「一番達成感のあった仕事は何ですか?」「一番の失敗談は何ですか?」はフィルム・コミッションの現場。
やはり初期に支援した「世界の中心で、愛をさけぶ」は大きな達成感に泣いたし、東署にパトカーで連行されたのは今となっては教訓。

自分を開示すると学生たちも自分のことを色々と話してくれる。これはココ大付属学園で学んだこと。

2024年4月25日木曜日

人間だもの。


私にも承認欲求はある。だけど〇〇さん、〇〇な人という個人からの承認は全く求めていなくて、(愛媛(≒社会)から必要とされたいな・・・。)という感じ。

でも、その愛媛は人や企業などで構成されているから、それぞれに話題や成果、効果が届けば、そう思ってくれると妄想。だから(愛媛から求められてないな)と感じたら、居場所がないのでどうしよう。

論点は「承認されたいから行うのか?」「承認は行いの副産物なのか?」。
実績ゼロ、認知度ゼロだったから、そんなコトを考える暇もなく、ただただ目の前に注力してたら20年経ってしまった。
振り返ると、新聞やテレビなど第三者が面白がってくれたという後付けに近い。

でも、学生は社会経験がないから社会から必要とされたい、求められたいという欲求を叶えるには時間(経験)が必要になる。
人は見ているようで見ていないけど、見てないようで見ている。小さい積み重ねが実績として評価できるようになるのは後の話。先に評価は得られない。

目の前で人が困ってた。(ここで人助けをしたら人徳ポイントが1つ加算!)と考えるのか?(あれっ!お困りですか?)と無意識に行動するのか?は人それぞれだけど、ボランティア論の授業なので、損得だけで生きたら疲れない?と伝えたい。
社会経験が少ないのに、意味/無意味で判断するのは虚しい。大人のせいか?

依頼Welcome!


ゴールデンウィークを前に色々と済ませたい人は多い(年末に終わらせたい気持ちと似ている。)。でないとGW中は動けないし、明けたらスムースに動きたいから。私も同じ。

「採択が決まりました!」の連絡が入る。申請者ではないけど、関わっている一人なので私ができるコトも添えていただき提出。評価されたようで何より。
でも4月から稼働開始って・・・採択されたはいいけどボールが剛速球で戻ってきた!

令和6年度の森林環境保全基金事業も採択された。昨年度は「折りたたみイス&テーブルトップ」を制作(私が欲しかったので木生活さんにお願いしたらこのクオリティ!)して、今年度は「クリエイティブストックフレーム」と描いた絵や写真などの保管も兼ねたフレームを創作する。これも私が欲しかったモノを具現化したもの。
ココ大付属学園で創って飾れたらスゴくいい!と、まだ存在していないのに勝手に太鼓判!

6月30日(日)には、愛南町の御荘文化センターでの講演が決まる。タイトルは【愛媛が舞台・題材の映画・ドラマ撮影】とのことで、数々の持ちネタで笑わそうと思う。

また、秋には300人ほどが集まる大会を開くので講話をお願いしたいという依頼も入る。こちらも愛媛県での撮影秘話を希望されていて「もちろんOKです!」と快諾。

他にも採択を匂わす確認の連絡が入ったり、今年度も一気に楽しくなってきた!

2024年4月24日水曜日

2024年度ココ大最初の授業は。

推し本の紹介は楽しい!

2024年度ココ大最初の授業は【初夏に本とスパークリングワインの夕べ】となりました。
5月22日(水)18:30からIYO夢みらい館一階にて。参加費は1,000円、持ち物は「推し本」を二冊。

推したい二冊はどんな本でもよく、条件は「推したい」だけ。だから、去年は小説のほか、短歌集、画集、写真集、エッセイ集などが揃い、面白かった!
今年は漫画や料理本があってもいいかもしれない!

定員は先着で5名と設定したけど、状況に応じて一人ぐらい増やすのも可能。
スパークリングワインと書いてあるので「スパークリングワイン(≒お酒)が飲めないと参加できないのですか?」という質問には「いいえ、コーヒーやお茶などを持参いただくのもOKです!」と伝えているので、水筒に好きな飲み物を入れて参加もあり。
もちろん、冷え冷えのスパークリングワインも数種類用意します。

一冊の推し本の紹介時間は約5分。思いの丈を語っていただき、意見交換をして全員の押し本紹介が一巡したら、「推しPOP」を作成、推しポイントを描いていただく。
そして二巡目(二冊目の紹介)がスタート!

計10冊ほどの推し本紹介になるから、計算上は100分ほどになる。アッ!と言う間に過ぎる時間。そして、この頃には、ほろ酔い気分にもなり、心地よさも。

早速、お申込みが入った!定員が少ないのは一人一人の時間を濃くしたいからご容赦を。

私の振り返り。


分からなくもない。写真のように暗中模索の五里夢中、社会経験もなくモノゴトの判断基準も分からない、でも期待だけはされてしまい、でもその期待は必ずしも自分の想いとは合致しない。

ミスも遠回りもしたくない、コスパやタイパはその延長。すると何事にも確度を求めるのは自然の成り行きで、費用対効果、ギブ&テイクなどしか今の自分には測れるモノサシしかない。

だから、ボランティアをするなら“何か”を代わりに得たくて、就職に有利とか好印象が得られるからも良いんだけど、その就職に有利とか好印象を与えたい相手は社会経験が多く、同じように考える学生を多く見てきてるから、魂胆を見抜けてしまうってコトを忘れてはいけない。
素人じゃなくて、その道のプロだから。

そもそも、ボランティアをしました!程度では評価は上がらない。
あえて言えば、そのボランティアで自分にはどんな気づきが生まれ、意識や行動がどう変わり、今にどう繋がっているか?まで伝えられないと聞き手に響かないかもしれない。
それだったら、「自分でボランティア活動を始めましたエピソード」の方が面白い。

それも成功話だけだとつまらないから、失敗談も交えると得たことにオリジナリティが生まれ、自分なりのリカバリーやレジリエンス(≒回復力)を発揮できたかを知ることもできる。
学生の振り返りを読んで私の振り返り。

2024年4月23日火曜日

旅のように。


瀬戸風峠を訪れたことは数回しかなく、それも昼間は松山に23年も暮らして初めて。
瀬戸風峠での撮影といえば映画「となり町戦争(三崎亜記/2007年公開)」。地方活性に公共事業として戦争をしましょう!というトンデモ設定が面白かった。町の比較がしたいと、東温市と大洲市で撮影が行われ、松山の夜景を背景に瀬戸風峠でクライマックス。
24時を過ぎても撮影は終わらず、疲れ過ぎてハイになった思い出。

昼間の眺めはこういう景色なんだ・・・と実景でしか使えないと知る。でも夜になると松山屈指のデートスポットになるは今も同じかな?

「この辺では泉谷さん暮らせないですね。」に「ほんと、暮らせないね。」と言うしかない。
その昔、郊外に住む(≒喧騒から遠い)ことがステイタスのような風潮は今や昔。駅近というか利便性が良いのが今のトレンド、たぶんこれからも。

20代で新築一戸建てを建てたと聞き、30年ローンを組んでも50代で完済予定か。スゴい!
愛媛と東京の二拠点生活は聞こえはいいけど、家賃も光熱費も二重に支払う生活とも言えて「この先、どうなるんだろうね。」と先が分からない夫婦。

不思議と、夫婦間でこれまで持ち家の話が一回も出てこなかったのは、暮らし方に合わせて臨機応変にしてきたからとの結論。旅のように暮らす!

天国の人たち。


「誰ですか?」的なコトを言われたので残しておく。
2001年の正月に当時のニュースステーション(久米宏版)で、フィルム・コミッションの紹介をしていた際に事務局的な役割をしていたOさん。

連絡すると「会いましょう」となり、新橋の東京第一ホテルで意見交換したのを今でも覚えている。
Oさんは既に70歳過ぎ。当時は国土交通省がFCの研究会を開いていて、私を面白がってくれたOさん。この人から全てが始まる。その後、連絡が途切れて届いたのは訃報。

Hさんは某県の公務員フィルムコミッション担当者。年齢が近かったことから意気投合、色々と相談した中だったけど、ある日、起きてこなかった・・・と聞いた。
FCの可能性を色々描いていて、今のFCを見たらどう思うかな。

Kさんもフィルムコミッション担当者。強面ながら実は“優しいしゃがれ声”が特徴の兄貴分で、私が撮影支援したレクサスのCMをとても気に入ってくれて、いつも笑顔で接していてくれたKさん。しかし「ちょっと体調を崩してね、入院するんだ。」を最後に帰らぬ人に。

Mさんは協議会時代の事務局長。その後、大学の教授になられた。私を文化庁に推薦したり、色々と面白がってくれた人。病に侵されながらも生前パーティーをしたり、遠距離を送迎してくれたり、愛媛に来た時は連絡をしてくれたり、FCの黎明期を支えた人。

特別に崔洋一監督。日本映画監督協会理事長としてジャパンFCの理事に参画してくださり理事長就任を報告すると「君か!いいかナショナルFCとしての矜持を持て!」と、叱咤激励をしてくれた。
毎回、理事会をひっくり返す勢い(実際にひっくり返しもした)だったけど、今となっては思い出。

2024年4月22日月曜日

実家あるある。


誕生日を迎えた父を訪ねようと連絡すると「秘密兵器があるんだよ!」と電話口で教えてくれる。どうやらテレビのショップチャンネルで購入した「電子レンジ用調理器」のようで「アサリの酒蒸しを作るよ!」、その他に「サラダ」なども用意してくれるとのこと。84歳、元気です。

妻と長女で訪れる実家は“THE 昭和な佇まい(純和風でもなくデザイナーズハウスでもない和洋折衷の建物)”、食器棚を見ると(メルカリなどで絶対に売れる!)と思わせるハート柄が印字されたグラスやメロンソーダが似合うエンボス状の長細いグラスなどは何十年も動かした形跡なし(笑)。

家族団欒でのランチ。普段は一人だから話し相手がいない父親の話し相手になってくれる妻や長女に感謝。そこへ、“噂”の
電子レンジ用調理器を使ったアサリの酒蒸しが登場。他にも畑いじりが趣味の父による筍の煮物や春菊のおひたしなども並び、(この時を相当楽しみにしていたんだな・・・)と思わせる振る舞い。

「実家にはモノが多い。」は定説だけど、50年以上も経てば、そりゃ色々(特に海外の貝類、木彫の置物、民藝品、食器、洋酒瓶など)と溜まるよなという感じ。(どこから来たの?)と思う不思議なモノも多い。
私のスターウォーズ収集癖も親からのDNAと納得する。

スイーツを食べてお祝いし、妻と長女を残して、私は一足早く出て羽田空港へ出発。
色々と考えさせられる、そんなお年頃。

マニラ食堂を横目に。


5時起床、高尾山へ登った時と同じルーティンを済まして8:30に出発。今回は小田急多摩センターから新松田駅で下車して、御殿場線松田駅まで50mほど歩くのだけど、情報量が多いといつも思いパチリ。特に「マニラ食堂」の、中華であり和食ってどういうこと?
松田駅から駿河小山駅までは15分ほど、そして駅を降りたら路線バスに乗り25分ほど揺られて富士霊園到着。ドア to ドアで片道約3時間の距離。

週末だったこと、行楽日和だったこともあり駿河小山駅までは登山客などで満員。
でも駿河小山駅で降りた人は10名ほどで路線バスに乗った人は全員が富士霊園へ。バスは金太郎が暮らした足柄山の麓を走り、富士スピードウェイの隣が富士霊園。

本建物でお墓に供える花束を選ぶ。色々な種類の花束の中から黄色とピンクの色だけで選ぶ。そして霊園内の巡回バスへ向かう、乗り込んだのは私を含めて3人。
ものすごく広い敷地内を走り、“あじさい”で下車。私だけ。

花束と桶に水、ひしゃくを持って母方の祖母が眠るお墓へ、一年ぶりの再会。花を供えて積もる話を報告して、「また来ます。」と伝えるまで所要時間は30分ほど。

帰りは富士山を眺めながら歩いて本建物へ。行きと同じく、また路線バスに乗り駿河小山駅から御殿場線で松田駅下車、また「マニラ食堂」見ながら小田急線新松田駅から新百合ヶ丘を経由して小田急多摩センターへ。

往復6時間に(遠い・・・)と思うも、訪れたいと思わせるのは何だろう?と。

2024年4月21日日曜日

根拠のない自信も。


今は助成金申請の真っ盛り。助成金をどう活用するか?は団体や事業によるけど、せっかく活用するのだったら「その後」にも繋がるようにするのが正解。
狩猟のように一発必中で「その時だけ」で終えてしまわないように・・・は、過去の教訓。
趣味は「助成金の申請」と公言してるけど、それは“使えるものは何でも使う”という、NPOが使える社会資源の一つでもあるから。

「書き方が分からない。」は、助成金を活用して取り組みたいコトがあるのに、書き方の切り口(≒視点)が整理できてないから。
「こうしたい!」「ああしたい!」など、自分がしたいコトは書けるのに・・・は、その取り組を第三者の視点から、引いて(客観的に)見直せるかどうかが鍵。

更に踏み込めば、その第三者の視点には複数あって、特に「受益者視点」で見直せると“まだ見ぬ相手になりきって”事業を確認できる。だから「妄想って役に立つんだよ」と真面目に言う。
受益者は他にも協力者や関係者などもいるから、それぞれの視点で整理できると、コトは強化できる。

そして、“根拠のない自信”も必要で、書いてる間は(これ、スゴくいい!)と自画自賛で堂々と書くのもポイント。自信は文章(表現)に現れるから、意識って重要。

と、アドバイスしながら私も書き始める、そして(このアイデア、課題と交わってる!)と自画自賛。

2024年4月20日土曜日

エキストリームな働き方。


5時起床、コーヒーを淹れて(八王子ではできる)作業、6時にシャワーを浴びて、7時過ぎに出発、快晴の天気!最寄り駅には通学の学生たちが大勢いて一緒に乗車。8時過ぎに高尾山口駅に到着。
高尾山へ登ろうとしている人は少なく、リフトやロープウェイ乗り場を横目に1号路をあがる。

1号路は3.8km、所要時間は80分。距離が他より長いのは坂がジグザクだから、延々と続く上り坂にヒーヒーハーハーしながら、リフト乗り場手前の急坂ではゼーハーゼーハーと呼吸が荒くなり(キツイ・・・)と思う時にちょうど平坦になり(相変わらず、なんと絶妙な・・・)で残り2km。あとは参道なのでブラブラ歩く。

9時過ぎに山頂(599m)に到着。2024年初めての高尾山山頂、70分ほどの登頂体験。
世界一の登山客数だけど、平日の朝は数える程度の人しかおらず、また天気も良く澄んでいたので富士山もバッチリ見えてサイコー!な気分となる。登った人だけが得られるご褒美。

帰りも1号路。行きにはすれ違わなかったのに帰りは人が多く「こんにちはー!」と挨拶を何回交わしたことか。帰りは60分ほどで高尾山口に到着、10時過ぎだったけど、大勢が電車を降りてた。やはり世界一の登山客数。

電車を乗り継ぎ、家に戻ったのは11:30。ドア to ドアで約4時間のアクティビティ。
費用は電車代(1060円)だけ。30分ほど仮眠して午後から作業再開、フツーに仕事。
一日を二日のように過ごす。働き方は人それぞれ。行動するかしないかだけの話。

2024年4月19日金曜日

変な自信。


朝、眠気まなこでスマホを見ると「愛媛、高知で震度6」というヘッドラインに(えぇ!全然感じなかったけど!爆睡してたから?でも、揺れに気づくはずだけどな・・・)と思ったら、ハッ!となり(あぁ、ここは松山じゃなかった、八王子でした・・・)と自分が居る場所を勘違いしてました。寝ぼけてました。

でも、スマホ、SNS、メールには「地震、大丈夫!?」という安否確認が北海道、東北、関東、近畿、中国、九州、沖縄、そして海外から20件以上あり、親からも。
しかし当人は地震に遭ってなく「大丈夫です、私は上京してまして・・・」と少しバツが悪かったり(恥)。愛媛(四国)での震度6は、現在の震度階級になって初とのこと。

ココ大付属学園で松山市の防災・危機管理課による非常時のトイレ事情を学んだり、非常食や乾パンを食べたり、非常袋を点検したりしたことを思い出してくれたらいいな。(本当は役立ってほしくないけど、2月以降4回目の地震に色々と妄想してしまう)

ちなみに私が松山のアパートで被災したら72時間以上は自力で過ごせる自信がある。
仮に電気が不通になっても困る電化製品はないし、ガスが止まっても問題ない、倒れる家具はない、飲料水はある、非常食もある、手回しラジオも懐中電灯もある。
家中キャンプの実力を発揮できそう!
でも、そもそもアパートが倒壊してしまったら元も子もないけど・・・。

思い出して涙。


令和5年度第3回目のジャパンFC理事会終了。ジャパンFCの役割は大きく2つ【全国各地のFCが繋がっているネットワーク組織】という役割と【日本のナショナル・フィルムコミッション】という役割があり、撮影の誘致&支援だけで評価を得られた時代はとうに過ぎて、成果や結果に新たな期待や可能性を見出している人がドンドン増えている事実。

その一つ、福島県に「相双フィルムコミッション」が先日誕生!

相双FCの特徴は広域連携で、14市町村(新地町、相馬市、南相馬市、飯舘村、広野町、楢葉町、川内村、富岡町、大熊町、双葉町、葛尾村、浪江町、田村市、 川俣町)を相双地区と設定して撮影の誘致&支援を開始。


早速、コマーシャルや配信作品の撮影支援をしたようだけど、この地域は“福島第一原発の原子力災害により、多くの地域で避難を余儀なくされましたが、現在は一部の地域をのぞいて住民が生活できるようになり、復興に向けて新たな歩みを進めるエネルギッシュな地域です。”とウェブサイトの紹介。

長年、地域づくりに携わっている者からみると、復興+@の地域づくりをフィルムコミッションを通して描いているんだと思うと勝手に感慨深くなる(涙)。

撮影隊にしてみれば、撮影の支援だけで十分!と思うかもしれないけど、20年以上も成果を出し続けると、FC自体が地域づくりと言っても過言じゃない気もして、今は天国にいるFCに携わってきた人たちを思い出したり(涙)。頑張ってるよー!

2024年4月18日木曜日

一人でほくそ笑む。


(ナニコレ!)と、突如目の前に現れた輪っか状の歩道橋。普段の散歩場所より、少し離れた場所だったので全く気づかず。
正式名称「南大沢輪舞(ろんど)歩道橋」全周169.646m、直径54.0m。歩道橋上にはアーチが4箇所に架かってる。

交差点の上に存在していて、迫力十分と言うかセットのよう。
直ぐに(ドラマで使われそうだな・・・)と思うも大正解で「この声をきみに(NHK/2017)」「わにとかげぎす(TBS/2017)」、「ダンダリン労働基準監督官(日本テレビ/2013)」「プロポーズ大作戦(フジテレビ/2007)」など多数の作品に出てた。
フィルム・コミッションとしてロケ地選定の目利き力はあったようで、一人でほくそ笑む。

この辺りは「毎度おさわがせします(TBS/1985)」が撮影された近くでもあり、当時中学生、思春期真っ盛りの少年だった私は、今を全く予想もできず撮影現場に遭遇したのを思い出す。ほんと、よく遊んでた公園がロケ地になってた。

話を戻して南大沢輪舞歩道橋にあがると、どこへ繋がっているのだろう?と興味本位であがってみると、どこにも繋がってなかった・・・。
単に169.646mの全周を歩けるだけで上り下りの階段が四箇所あるだけ。
ここで撮影すると印象的なシーンにはなるけど、それは演出の力が大きいと実感。
最初に見つけた製作部はスゴい!ロケハンって面白い。

学生たちの顔芸。


「ボランティアは地域や社会、誰かの役に立ちたいから。」と言う貢献意識が多い中で、NPO法人は「地域の課題解決に設立、事業を始める。」と紹介。

愛媛県には700超のNPO法人が承認されているから「県内には700以上の課題が存在しているということだね。」と伝えると、!!!な顔をした学生たち。
「でも、課題に立ち向かっているNPO法人が県内に700以上あるって心強くない?」とも分かり、フムフム顔の学生たち。

「だけど177のNPO法人が既に解散してるんだよね。」と伝えると、今度は???な顔の学生たち。
先日の市民活動報告会でもあったように、メンバーの高齢化や減少、活動資金不足などで事業が継続できなくて・・・と伝えると(あぁ、“やっぱり”難しい活動なんだなぁ)という無表情な学生たち
やはり“解散”と言う言葉には負のイメージが多い。

解散した177法人の中には当初に掲げた課題を解決した!目的を達成した!という理由で解散したNPO法人もあるから、決して悪いイメージだけで解散を判断しないように。と添える。

私はNPO法人の究極の目標は解散だと思ってます。
だって、設立時に掲げた課題を解決できたら、解散してもいいでしょ?と続けると、キョトンした顔の学生たちだったけど「それ(=解散)もアリ!が腑に落ちました。」「目的を達成できる活動って素晴らしい!」など、学生たちは授業後のコメントで思い思いの感想を寄せてくれ「ボランティア、NPO(法人)に興味が出ました!」とも。

2024年4月17日水曜日

永遠の謎、解けない問い


「色々な知見が得られる“ゼネラリスト”でしょう!」「いえいえ、専門知識がある“スペシャリスト”に憧れます。」「いやいや、スペシャリストなんて“聞こえ”はいいけど、他にできることが無いんだから。要は“潰し”が効かない。他の仕事ができないってコトだからね。」「でも一つのことに深い知見があるじゃないですか?ゼネラリストは広く浅くの仕事だから“代え”がきくんですよ。だから異動できるんです。」と双方譲らない。

永遠のテーマ、解けない謎。隣の芝は・・・的な話は(失礼だけど)面白い。
でも時々、矛先がこっちに向いて双方から同意を求められるけど、どっちつかずの風見鶏、嗚呼、天秤座の宿命か。

「お互いに役割があって、頼り頼られなんだから、それでいいんじゃないの?」と“回答っぽい”意見(一応、本質的と思ってるけど)を言うと「ズルい!」と言われる。
そして二人というか周りから一斉攻撃される。

「(車の)免許もなくて、一体どうやって愛媛県を回ってるんですか?」と言われれば「LINEもしてなくて仕事面で言われませんか?」など、好き放題(笑)。「みんなに寄生しながら生きてます。」が精一杯。

「まぁ、一人だけだから、まだいい(許せる)よね。こんな人がたくさんいたらメンドーだよね。」と話が落ち着きそうになる。

ひと昔は「酒が飲めなくて仕事ができるもんか!」と言われたこともあったけど今はなくなった(いや、あるかもしれないけど知れ渡った!?)。今はLINEの方が問題!

健全な悶々。


「ボランティアに見返りを求める人って、やっぱり多いと思います。私は無償のボランティアに費やす時間があるなら、その時間はアルバイトをしてお金を稼ぎたいと考えてしまいます。お金以外でボランティアの価値と言ったら就活に役立つ程度でしょうか?」的な意見。

至極真っ当で健全な悶々。ボランティアって自由意志なのに、強制的に参加させられたり、単にツールとして使われると「タダ働きじゃん。」と思うのも無理はない。私も最初はそう思った。
本質に触れる機会がないのに、核心を得られるはずがない。
かと言って、人生経験や社会経験が未だ浅い学生時代に本質や確信を得てしまうのも、聖人君子のようでちょっと怖いとも思ったり・・・。

世の中の価値をどう見るか?測るか?と同じで、全てを貨幣価値で測るか?もしくは非貨幣価値でも測るか?で全く異なる。

一言で言えば、貨幣価値で得られる価値は貨幣が基準になっているので、貨幣を持っている人なら誰でも同じモノ(同一性や同質性)が得られる。

それに対して非貨幣価値は貨幣では得られないので自身の経験から得られるモノが多い。すると、それは他人と同じではない自分だけしか得られないオリジナリティが強い。

「どっちがどっち」という話ではなく、両方存在することを次回で紹介予定。
こういう健全な悶々を授業早々から赤裸々に教えてくれるって嬉しかったり、楽しくなってきた!

2024年4月16日火曜日

親は。


「やっぱり、これまで親に言ってたコト、してもらったコトを考えると就職先は親の希望も叶えないとな・・・という感じですね。」と突然のスタート。
県外での就職が決まっていたものの、親のコトを考えて内定を蹴って県内での就職に変更した学生を思い出す。

「自分はどうしたいの?」「まぁ、色々あるんですけど、やっぱり、これまで親にしてもらっていたコトと違う(選択をする)と親も可哀想でしょう。」「そうなんだ・・・。」と、なぜ私に相談のような意見なのか?後押しなのか?何を求めているだろう?とよぎる。

「でもさ、本人が最も進みたい道に進んでくれるのが、親にとっても一番嬉しいと思うよ。」と返す。
(これまでの恩義に報いるために、自分が我慢するなんて、もったいない!いつの時代?)は声に出せなかった心の声。

多くの親は我が子へ、これまでに注いだリソースに見返りを求めていない。
平たく言えば一緒に夢を見させてもらえる“投資”で、それだけで十分な価値(対価)があると思うのは変な考えかな?お釣りが出るくらい。

どうしても親の気持ちに応えたいなら、我慢しなくても最初は親も安心する職業へ経験を積むために就職し、その後キャリアップに自分を叶える職業へ転職するのもアリ。

我が子の心身が充実していたら、何をしてようが親は嬉しいはず。
これは私の職業を長年、理解できていなかった両親からポロリと出た言葉で得た心境。

想像とは違う。


「これは美味しいですね!」と想像していた味?と違っていたようで、思いの外、喜んでくれたのが大黒屋うどん「大黒うどん+バラ寿司(東京でいう“ちらし寿司”)セット」。

「なんで“ちらし寿司”ではなく“バラ寿司”なんでしょうね?」「そう言えば、“タルト”も(ごくフツーに知られているモノとは)違いますよね?」「“からあげ”も違うんですよ。」「???」「センザンキとか骨付き肉をカラアゲとよぶ地域もあるんですよ。」とご当地ネタをブッコム。
ちなみに今治で“焼き鳥”と言えば鉄板で重しで焼かれた鶏肉(皮)。

大黒うどんに話を戻す。コロナ前に食べた記憶なので4-5年ぶりの味。うどんが見えないほど覆った錦糸卵、海苔、ネギを混ぜて食べると、白胡麻(エキストラ白胡麻はテーブルにあり)、生姜、天かすとも絶妙に混ざり、風味や歯応えも加味されて「美味しい!」と唸らせる。
ついでに、少し甘めのバラ寿司は味変の役割を果たして箸が進む。

頼んだ大黒うどん+バラ寿司のセットには、「茶碗蒸し&ぜんざい」も付属して大満足。
案の定、これで一仕事終えた気分だったけど、実はこれから本仕事だった件。

さらに言うと、元々、大黒屋で食べるつもりはなく、道を間違えないようにした目印だっただけに「なんだか棚ぼたで(美味しくて)ラッキーでしたね!」となる。