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2026年9月12日土曜日

進化する表現/言葉を学ぶ。


「マクドナルドの呼称は“マック”か“マクド”か?」とか「猫手(=熱いものに触れない、猫舌の派生)」と突然に沸いた新語に、(そう言えば・・・)と色々と思い出す。

「〇〇さんはイメケンだもんね!、〇〇さんもイケメン!」とE:N BASEスタッフが人前で堂々という様子に(人前でもハッキリ言えるってスゴいな!)と、感嘆な表情をしている私を見て、「イケてる“メンタル”ですよ!ねっ!」と隣にいたスタッフに相槌を求めてた(笑)。
そっちね!【イケめん=イケてるメンタル】。学びました。

もう一つ、E:N BASEにて。
打合せ中「プロコ」と何度も出てきたので、てっきり「プロトコル=共通認識、約束事」と思うも聞いていて若干の違和感があり、だけど、そのままにしていたらハッ!となる。
E:N BASEにてプロコとは【プロコ=プロジェクトコーディネーター】のことでした。
そう、私たちのこと(笑)。学びました。

ちょっと前の話。
ニュルみがいいね。」と、うどんを食べていたら、そんな一言が出て(what is ニュルみ?)となる。何となく分かるような分からないような表現。

聞いたら「マツコの知らない世界」で乾麺の食感を表す表現で、「もちもち感」に「ツルッとした食感/喉ごし感」などを一言で表現する単語のよう。
初めて聞いたけど、私だけが知らないと思ってたら、造語のようで、へぇーとなる。

フレネミーという言葉も最近知る。

「フレンド(Friend=友達)」と「エネミー(Enemy=敵)」を合わせた造語で、表向きは仲の良い友達のふりをしながら、裏では嫉妬心や敵意を抱き、足を引っ張ったりする存在を指す、とAI先生。

要するに良い意味ではなく、悪意ある意味。使うことはないけど、表面的には友人などを装うも偽りで、“タグづけ”するんだ・・・と、残念な言葉。

高校時代だったかな?「いためし」を「炒めた飯=チャーハン」と勝手に思い込んでたけど「イタリアの飯(食事)」と知った時、言いしれぬ恥ずかしさがあったけど、今と比べたら可愛いもんよ。

2026年9月6日日曜日

転職ってダメですか?


就職歴は、愛媛製版センターからネットイヤー→愛媛県庁→松山市役所を経て、NPO法人いよココロザシ大学を創業。なので3回。そもそも働き始めたのは25歳だし・・・。

モヤモヤ会議で「ライスワークとライフワーク」の話をしたから、「今はライスワークですが、ライフワークを生業にしたいなら転職(創業)もアリですか?」と質問されたので「アリです。」と答える。

転職のイメージも以前より改善したと思いたい日本。
私の父のように“勤め上げる”ことも大切と思うけど、よく考えると父の最後は好きな美術(伊勢丹美術館≒当時は館内に美術館を併設していた百貨店が多かった。)に携われたので良かったかもしれない。本人に聞いてないから分からないけど。

閑話休題。
転職はレベル&キャリアアップ。学びたい、成長したい証と思ってるから応援が基本スタンスだけど、必ずしも周りはそうでない場合(例:安定を手放すのか?など)も多く、背中を押してもらいたい、肯定してもらいたい気持ちが相談に滲み出てるのが特徴。

アドバイスはあってもいいけど、なぜ、家族でも他人の思い通りに生きないといけないのか?
自分のことぐらい、自分で責任を持って欲しい/持つべき(≒決断)が私見。
自分で決められない人/決めない人ほど、他責にすることが多いも私見。

と、言ってたら我が家にもアルバイトだけど転職した人がいて、末っ子くん。
大学での勉強の側で生活費を稼がなくてはならず、色々と探していたら、海外に本店がある好きなメーカー/ブランドの人員募集情報を見つけて、「本店で買い物をしたこと、応募動機などを英語で一晩で書いたみたい。」と妻。妻も20年以上のユーザーだった!

そして、面接などを経て採用となり、研修も受けてメーカー/ブランドの一員になり、ワクワク働いているよう。これって転職しなければ無かった話。
あと、多少の運/タイミングもあったと思う。

「ライスワークとライフワーク」の話に戻すと、末っ子くんの場合、アルバイトだけど好きなコトで稼げる実感を味わって欲しいとエール。

2026年9月3日木曜日

日の出が30分も遅くなってた。


7月20日以来となる朝散歩を再開。
7月20日の日の出時刻は5時12分だったのに、9月1日は5時42分。実に30分も遅くなった。
だから5時過ぎにアパートを出る頃の辺りはまだ暗く、城山公園に着く頃に朝焼けが見える。
フィルム・コミッション的な朝焼けの余談と言えば「夕焼け」として撮影を検討する時もある。

日中は日差しが未だ鋭く暑いものの、この時間帯は涼風もあり、気持ちいい最高の思考時間。
ココ大付属学園の時は目の前だけに集中すれば良かったけれど『フィルム・コミッション』『E:N BASE』などの仕事が控えていたので、全体像、構成、手順などがイメージできたのは、先日のオンライン会議の賜物。心の余裕大事。

1ヶ月余りの間、城山公園の整備も進んでいて、気になっていた若草町合同庁舎前付近の一帯はアスファルト(それも赤色!)が敷かれていて、他の場所とは違いコートのような様子に(もしかして屋外でピックルボールができる??)と妄想したり。

誰かご存知であれば教えて欲しい。10月には整備終了とのことで、冬のココ大付属学園で訪れたいと思ってる!ネットがなくてもピックルボールができたらサイコー!

これまで通りの散歩道を意識して歩くと意外と遠い!
でも近道するのは何故か自分に許せず、これまで通り、平和通りを横断しmarugo.coffee.standを横目に過ぎ、萱町商店街を通り、弁当屋から調理中の匂いを嗅いで、パン屋からの焼けた匂いを嗅いで大手町通りに到着。
そうそう、「ケサリ」にもまた行かないと!

愛媛新聞社で掲示された当日の新聞を読んで、早起きシニアの気分を味わい(新聞を取ってないから見出しを読むだけでも面白い)、曲がり角を見てアッ!となる。

ローソン本町店がオープンしていて、確か割引されてたはず!と初入店。
パン、おにぎりなどが30円引き!というオープン価格だったけど、(むっ!賞味期限が近い品にも30円の割引シールが貼ってあるのと同じか!)と、一人勝手に冷めてしまう。

結局、ToDoなど仕事の事は最初だけで、途中から頭の中は煩悩だらけだった件。
これで6,500歩。約50分の朝散歩。

2026年8月19日水曜日

毎日が良日ではないけれど。


Yesterday is a history. 
Tomorrow is a mystery.
Today is a gift. 
That's why it's called the present. 


「昨日はヒストリー。明日はミステリー。今日は贈り物。だからプレゼントと呼ぶ。」は、アメリカの歴史家/作家アリス・モース・アールの言葉。

助成金の申請書を書いていて、気分転換にショート動画を見たのが良かったのか?悪かったのか?色々と流れてきて、30分ほど見続けてしまい、気分転換どころか、疲れて休む。

古今東西、同じことが言ってんだな・・・と分かる。
毎日は連続しているように感じるけど、実は非連続な毎日
昨日から続いているように見える/感じるけど、そう思えるだけで実際は違う。

だから、毎日は“その日”しかないから、惰性で過ごすのか?気分よく過ごすのか?不機嫌で過ごすのか?は自分次第。“周りのせい”ではない、と教えてくれたのは誰だったかな?

でも、これは大人/社会人の話で、成長途中の子供の場合は周りの環境、特に家庭環境に影響されやすく、色々な事情があるにせよ、保護者の都合は子供にとって時に理不尽に感じることもあり、そんな影響なんだろうな・・・と思う場面も。

とは言え、大人よりもアップデートが早いと言うか記憶の忘却が早い子ども達。
昨日は遠い昔話のように&他人事のようだし、明日のことは「分からん!」の一言(笑)

「今日」という単位ではなく、「今(瞬間)」で精一杯(≒数分ごとに喜怒哀楽が変わる)だから贈り物/プレゼントを大切にしてるんだな・・・と思う。
ホント、嫌なことが5分前にあっても5分後には大笑いしているのだもの。

毎日が良日ではないけれど、毎日の中に何か良いことがある。という話。

2026年8月17日月曜日

結局、動かないと休めない人かもしれない(ヨシタケシンスケ風)。


貴重な日曜日=休日。
連勤の疲労感(HP低下)を漂わせていたのか?「泉谷さん、休んでくださいね。」とハーモニープラザの職員さんに優しい言葉をかけられる(爆)
よし!家から出ないOFFデーにするぞ!と決める。

朝散歩はナシ、洗濯中は掃除、各種精算、申請だ!と書き始めた助成金の構想を描いたりしていたら洗濯物終了のメロディー♪のお知らせ。

洗濯物を干し終わり、今週のToDoなどを整理していたら妻から連絡。
「姪っ子らと『盆フェス』に行こう!」と誘われて(コレだったのか!)と合点する!

ココ大付属学園から帰ってきた夜。
城山公園から歌声やアナウンスがアパートまで聞こえて(こんな時間まで何だろう?カラオケ?)と思うも、特に気にせず就寝してた。

『盆フェス』良かった!
特に辺りが暗くなった日没後、高校生らの「モデリコ」という「モデル+踊り子」が率先してヤグラの上で踊り、曲に合わせて老若男女が集まったり。

でも、盆踊り的な曲(私的に言うと東京音頭など)は流れないから、聴いて&見るだけだったけど、唯一「セプテンバー(アース・ウィンド・ファイヤー)」が流れた時は、その場で楽しませてもらった。

こういう時の選曲って気苦労多いと思うけど、どの曲も前向きで元気になったかもHPは回復したかな。音楽に合わせた風船の演出も良かった!

ガッツリ飯からワンハンド系、スイーツ、アルコールなどの飲食系も充実していて迷いながらも選んだ「からきのコロッケ」「ファラフェル」も美味しかった。

義母や妻、姪っ子の5人で1万円以上は消費したから、@2000円/人とした場合、5000人/日が来場したら1000万円/日か。これが3日間だから期間中の売上は3000万円ほどかな。

そんなことはどうでもよくて、高校生ら若い人たちが多かったし、ハレの日だから浴衣を着た親子も多かったし、雰囲気が良かった!

結局、動かないと休めない人みたい。
今週も踏ん張れる気がする!かもしれない(ヨシタケシンスケ風)

2026年8月15日土曜日

プレイバック2004。泣けてきた。


ウエス(使い捨ての布)の補充をしようと倉庫で探していたら、そのまま片付けになってしまい、透明袋に入ったままの「えひめ町並み博2004」の新古ハンカチを見つける。

ひぃー!24年前のモノが今になって出てくるとは、物持ちがいいのか?単なるホラーか?

2004年当時は愛媛県観光課に在籍して2年目、「えひめ町並み博2004」も観光課所管だった気がしたから、貰ったのかな?もう忘れた。

「えひめ町並み博2004」とは、2004年4月29日から10月31日まで愛媛県南予地域(大洲市、内子町、宇和町、宇和島市、八幡浜市など)で開催された地域活性化イベント。
特設会場などを設けるのではなく、既存の歴史的な町並みや住民との交流を目的に実施。

それにしても24年前の2004年って何があったのかな?とAIに尋ねると。

済美高校が春のセンバツで初出場・初優勝。さらに夏も初出場で準優勝したとのこと。
そうか、そんなコトもあったな・・・という記憶。


そして『世界の中心で愛をさけぶ』が公開された年とも表示されて、泣けてきた。
公開が2004年、撮影は2003年。もう26年前も前のこと。

仕事をしていて「伊予高校出身です。」と知ると、必ず
『世界の中心で愛をさけぶ』の話題になり、「教室から(撮影を)見てました。」「走ってました(スポーツ部エキストラ)」「えっ!長澤まさみが本当に来てたんですか!」と当時、高校生、現在は40代の方々・・・。

その後、行定監督は数々のヒット作を生み出し、篠田撮影監督は亡くなり、前田制作担当はリタイアされ、一緒に現場を走り回っていた方は上席になった。
大ヒット(2004年の邦画作品第1位)に、わざわざ挨拶にお見えに祝った思い出。

24年も経てば色々と変わる。
ジャパン・フィルムコミッションの理事長職を6年間務め、えひめフィルム・コミッションも24年。来年は25年!?

日本で最古参なフィルムコミッショナーになってしまった・・・。

2026年8月5日水曜日

8001回目の日記。

通過点、明日は8001回目

【エッセイ】
自分の体験や日々の出来事、そこから感じた考えを自由な形式で書いた文章のこと。日記(ジャーナル)とは違い、他の人に読んでもらうことを前提としている。


【ジャーナリング】頭に浮かんだ思考や感情をありのままに書き出すことで、自分の内面を客観視しメンタルを整える手法。別名「書く瞑想」とも呼ばれ、ストレス軽減や自己理解を深めるマインドフルネスの1つとして注目されている。

2011年1月に書き始めた学長日記が、15年と半年で8,001回目を迎えた。
「記憶のデータべース」とも言えて、毎日書くことを自分に課して5600日以上。

エビングハウスの忘却曲線的に言えば、「20分後に42%、24時間後には70%近く忘れる」わけだから、1週間前のことなんて覚えているわけがない。中には(これ?自分で書いたっけ?という内容もある)

15年も書き続けると、状況の変化と共に内容も変わるのは必然で、初期はココ大を知ってもらいたい一心だったけれど、単なる「情報」でしかなく、「心境」を書くとアクセス数が増えることを知り、また事業も広がったことで「地域づくり」「フィルム・コミッション」も加わる。

書く際に決めたマイルールは「流行り、トレンドに乗らない」「良いコトも悪いコトもありのままに書く」こと。

隠すことなんて無いから、エッセイのようでジャーナリングで、ジャーナリングのようなエッセイにいつの間にかなり、書かないと具合/調子が悪くなるようになる。

たぶん、書くコトで気持ちを吐き出し、心のバランスが保て、
ストレスの軽減や自己理解につながってるかも。

誰かの役になっているかも分からず、商業的でも営利的でもない内容に毎日500〜1000回のアクセスがあり、時間を割いてくださっている方々には感謝しかない(涙)

ここまできたら目指せ10,000回!
2,000回を達成する予測は一日2回書いているので、計算上では1000日後≒3年後。

その頃の状況や心境の変化はどうなってるのか?
明日は8002回目。ただの通過点。

2026年8月1日土曜日

人生を回せ回せ。

人生を回せ回せ

答えは出ているような・・・でも正解も不正解もないという話。

例えば大学生の頃から具体的な将来像を描くとする。
自分が成りたい将来像、保護者から期待される将来像、“本当(≒たどり着く)”の将来像があった場合、まず描くのは自分がなりたい将来像。

私の場合だったら、日本大学芸術学部映画学科へ落ちて、ニューヨークへ留学してまで叶えたかった映画監督、脚本家への道。

でも、実際に留学すると周りの意欲は凄まじく、自分の意思/意欲が甘いことを痛感して(これは無理だ・・・)と挫折。

自分が成りたい将来像を諦めることになる。
両親は何も言わなかったけど、心の中では(留学までさせたのに・・・)と思ったかもしれない。両親が私に描いていた将来像もあったかもしれない。

ここで固執して映画監督、脚本家を目指す生き方もあったかもしれないけど、妻(当時は彼女)と出会ったことで、サッパリ諦めて帰国。

固執することで、映画監督、脚本家になれたかもしれないし、今でもなれなかったかもしれない。今から思うと、諦めて良かったと思う。結局、映画を含む撮影に携わっているのだから。

話を戻して。
その後は、自分が選んだ“好き/得意”な道に手応えなどを感じて、自分でも描けなかった、予想もできなかった現在にたどり着く。
きっと、これが「本当(≒たどり着いた)」の将来像だったかもしれない。全部、後付けだけど(笑)。

就職活動や将来像に不安な学生に伝えたのは「私を見て。皆んなの年頃から今を想像できなかったし、転職も4回(イープレス→ネットイヤー→愛媛県庁→松山市役所→ココ大)したんだから、最初の就職先が全てではなく、そこからキャリアアップ、キャリアチェンジもあり!」。

たぶん、本人も薄々気づいていると思うけど、生き方に正解も不正解もないということ。あるのは選択だけ。

選択した先で自分が活かせそうと感じたら、あとは続けれてみればいいという話。

2026年7月16日木曜日

明けない夜はない。


「もうココは何も変わりませんよ・・・」とサジを投げるような呆れ顔の友人。
「やっぱりそうなの?」と、以前から聞いていただけに改善する兆しがないという。

現場から改善策を提案しても、聞いてはくれるものの、その後は動かず、変わらず、放置されるとのこと。

挙げ句の果てには「動かないでくれ。」という始末。
いわゆる「手間を増やすな」と、言われているも同然で、いつの間にか「面倒くさい奴」というレッテルを貼られる。

「評価されなかったり、無視される職場の末路は決まってるんだから、転職したら?」と言いたいけど、諸事情あり転職には踏み切れない友人。
でも精神衛生上、自分を押し殺してストレスを抱える日々を送っていることは良くないとご本人も分かってる。

ホント、不思議なもので個人と話すと理解できるコトなのに、組織や法人格という人格を相手にした途端、摩訶不思議/理解不能な対応になるのだから、「法人を持った/人格を持った途端に組織が個人を攻撃する理由」を誰か教えてほしい。

私から言えたのは「長い人生では良い時もあれば悪い時(≒山谷)もある。今は谷の時かも知れず、そんな状況を“しゃがんでいる”と表現する人もいるよね。次のステップへジャンプするには“しゃがまないと”大きく飛べないから、ググッ!と今は堪えて“その時”を待つ準備という感じかな。」

「あぁ、そうだったらいいですね。」
「腐るのもいいけど、やめたら相手の思う壺(≒面倒くさい奴が去った)だからね。割り切って働くのもアリだよ。」とアドバイス。
「ですね。ありがとうございました。」

E:N BASEでの相談以外に、時々ある人生相談。
聞くことしかできないけど、社会の中軸を背負ってる人たちを軽んずる世代って、我々世代を含む50代以上の人なんだよね。

「彼らが退場するまで、我慢するのも一つの手だけどね。」と話すと笑ってくれた友人。
明けない夜はない。

ウェルピア伊予へロケハン更新。


プール開き、ということで、ウェルピア伊予へロケハンの更新。一年ぶり。
去年はNYの父と母が訪れてくれたので、ウェルピア伊予のBBQを堪能した思い出。

ちなみに「ウェルピア伊予」と授業でお世話になっている「IYO夢みらい館」は、場所、建物こそ違うけど、同じ指定管理者(Fun Space株式会社)なので、普段からよくしていただいている。

ウェルピア伊予のプールは、「THE 昭和」感漂うレトロな雰囲気。
夏休み期間中は大勢が訪れるとのことで手堅い。「流れるプール」「ウォータースライダー」「25mプール」「お子様用プール」があり、この時はひっそりとしていたけど、あと数日もすればワイワイが想像できる。
写真は子供用プールに浮いていた無数のカラーボール。

すると、ブゥ〜ン!と甲高い音が聞こえて上を見るとドローンが飛んでいて、「地元のTV局が撮影にきているんですよ。」と聞いていたのを思い出した。

ウェルピア伊予と言えば、今、愛媛でもホットな場所の一つ。
果たしてオレンジバイキングの拠点になるのか?関係者も全く分からないということ。
ここはプールだけでなく、テニスコート、ゴルフの打ちっ放しなど広大な土地なので、関係者にとっては起死回生の機会になるのか?

閑話休題。
プールのロケハン後は、ウェルピア伊予の名物タワーへ上がり辺りを見下ろす。
で、ココも「THE 昭和」感漂うレトロな雰囲気。バラエティなどで扱ってくれないだろうか?
関係者の「夕暮れ時の景色がいいんですよ。我々でも感動しますもの」は想像できる。

全てのロケハンを終えて、1階に戻ると昼食どきで「スーパーバイキング」なる昼食が開催されていて、美味しい匂いに漂い、続々と人が入っていくではないか!

(えっ、今日は平日だけど・・・)と思うも人によって過ごし方は異なるから我々は平日でも人によっては休日の人もいる。

食べて行きたかったけど、次の用事へ退散・・・。
実は行きも帰りもJR伊予横田駅まで歩いたので、既に水筒が空っぽだった・・・。

2026年7月4日土曜日

地域の底力。


愛媛県に移住した際、古町駅から徒歩0分の所に住んでいたこと、子ども達がバスで日浦小学校に通っていたこと、バス乗り場が萱町商店街近くだったこともあり、毎日通り、当時は八百屋も魚屋も肉屋も惣菜屋もスーパーもあって、子ども達の帰り道は、八百屋や魚屋のおじさん達が「おかえりー!」と声を掛けてくれて、何とも表現しにくいローカル感を味わってた数年。

ただ、その数年間の間でも肉屋も惣菜屋もなくなり(甘めの唐揚げが美味しかった!)、その後も魚屋がなくなり、八百屋もスーパーもなくなってしまった。
当時から今も残っているのは、エルベと角の八百屋くらいかな?キムチ屋も続いてるな。

そんな縁で撮影(NHKドラマ『グレースの履歴』)もさせてもらった萱町商店街。
ただ、萱町商店街でのシーンは都合で全カット!という悲しい結果になったのは苦い思い出。

なので萱町商店街が好き。
朝散歩のコースでもあり、先日は『萱町の輪越し祭』が行われ、我が子も楽しんだ思い出。
商店街は出店など雰囲気は縁日で家族連れでにぎわっていたけど、(あれ?こんなに短かったっけ?)と祭りの範囲というか長さが以前よりも短くなったような・・・。気のせいかな?

それでも、唐揚げやポップコーン、綿飴など縁日気分で、普段は味わえないハレの日にほんわかしたり。

そして、数日が流れて、朝散歩で萱町商店街に入ると、今度は『天神まつり』が開催の横断幕が掲げられていた!

(地域のにぎわいを持続させるってスゴいな・・・)と。
簡単ではないはず。地域の協力は得られていても実務を担う人は少ないのに、手間は多いはず。良い意味で絶やしてなるものか!などの意地もあるのだろうけど、頭がさがる。

そうしたら、いくつかの店に張り紙があって、よく見たら『金光尊院例大祭』という手作りポスターで、(あ”ー!あったあった!古町駅のロータリーにひっそりと佇む鳥居と祠)と、20年前がフラッシュバック。

こじんまりとしていたけど、地元の有志が子ども達へ色々とふるまってた!
当然、我が子も行ってた。萱町商店街は踏ん張ってるという話。

2026年7月1日水曜日

印刷名刺からオンライン名刺へ。


先日のジャパンFCの総会時、ロケ地ツアー時に大勢の方と名刺交換をしたので「ジャパンFCの名刺」がなくなる。

そして、E:N BASEに2日間いただけなのに名刺交換をした人が20名以上になり、「いよココロザシ大学」の名刺もなくなった。

本来ならここで「名刺の補充(再印刷)」をすべきだけど、今後(この先も名刺を刷っては渡し、無くなれば再印刷という循環)を考えた時、デジタル名刺/オンライン名刺に移行する機会なんじゃないかな?とよぎる。

善は急げと、普段から使っている名刺管理アプリ「eight」をよく見ると「デジタル名刺機能」があるじゃないか!普段は名刺管理にしか使ってなかった・・・。

デジタル名刺にするには情報を更新する必要があり、これまでジャパンFCしか登録していなかった自分のキャリアにココ大情報も入力して情報を更新した。

すると、ほどなくしてメールが届き「学長・理事長就任おめでとうございます!」と、しばらくお会いしていない方からで、(なんだろう?フィッシングメール?)と怪しげに開くと、「eight」から更新されましたメールが相手に届いたようで、その内容に反応してくれたよう。

と、言ってもココ大の学長・理事長に就任したのは2011年だから15年以上前のこと。
開始日などを入力したからだろうな・・・。
4,000名近く名刺を管理してるから、まさか皆さんの所へ・・・と思うとゾッとした件。

早速、デジタル名刺/オンライン名刺を使う機会到来!
相手からは紙の名刺をいただくものの、私からは「このQRを読み込んでいただく名刺情報が得られるそうです。」と、私も不安げに紹介(笑)

「あっ!きました!」とデータで得られたようで、この方がメールとかもすぐに送信できるし、管理も自動だし意外といいかもと好評。

そして手元に残ったのは、これまで使っていた名刺入れ。
第75回のカンヌ国際映画祭の名刺入れは現地に行ったスタッフからのお土産。

どう活用できるだろうか?

2026年6月28日日曜日

また歩き始める。

15週歩き続けてコンプリート=1本無料

日曜日ネタ。
朝散歩を2020年5月から初めて以来、3日間も歩かなかった日はなかった!
これも全部、大雨のせい。朝から晩まで降り続く雨に気分を削ぎ落とされ、(明日にしよう・・・)と思っても、翌日もシッカリ雨。

気分が萎えてしまい、外出が億劫になり、途端にアパートで避難所生活モードになる。
手元にあるパスタやレトルト、インスタント麺などを駆使して2日間はいけたけど、さすがに3日目は買い物にでなければならない状況になり、外出して歩いた歩数は1,000歩程度。

関東でも地震があり、家族間での安否確認があり、「下から突き上げるような感じで、慌てて机の下に入った」は妻たち。私が子供だった頃に比べて地震が多くなってないか?
避難所生活訓練とは大袈裟だけど、いつ否応なしに避難生活を強いられるか分からない。

4日ぶりの朝散歩。
やはり歩くのは気持ちいい。一日の過ごし方やタスクの順番、思い出したことなど、歩くことで頭の中が色々と整理できていい。

調子に乗って(このまま、松山城へ上がってみるか!)と、古町道(舗装されていない獣道)へ行ってみると黄色のロープがかかって「通行止め」でした。雨のせいで道が緩んだか?

その後も大回りして、愛媛新聞社では掲示されている新聞を立ち読みして(こうして、シニアになっていくのか?)と思いつつ後にする。この日は朝散歩だけで約1時間、7000歩。

歩かなかった3日間で、歩いていれて得られたポイントは、JALマイルだったら30マイルほど、Cokeポイントは3ポイント、楽天ポイントだったら15ポイントほど。

チリツモだから、3日間では大したコトではないけど、チリツモだけに日々の積み重ねが大切とも。1回歩くだけで、3カ所からポイントを得られるのは大きい。

でも、良かったのは、Cokeポイントが15週に達してコンプリートになり、自販機から無料で1本もらえるチケットをゲット。

再び、歩き始める!
6年を超える、これまでの累計歩数は1800万歩。

2026年6月25日木曜日

雨で予定が狂った観光は。


自分が旅人になって思ったのは、「雨で予定が狂う時」のバックアップ策を持つこと。

この日は土曜日で、予定していた蚤の市が中止。
ホテルのチェックインまでの5時間ほどがポッカリ空いてしまった。
雨足は強く、チェックアウトするホテルの窓には雨がぶつかり音を立てるほど。

色々と考えた結果、映画でも観よう。と『マンダロリアン&グローグー』に決める。
本当ならロケ現場を見学した『黒牢城』の方が臨場感を得られたと思ったけど、スターウォーズファンで、上映時間も良いタイミングだったので『マンダロリアン&グローグー』。

ダース・ベイダーもルークもジェダイもアナキンもアソーカも誰も出てこない!

ディン・ジャリンという主人公がグローグーと共に銀河を駆ける話。
これは、ドラマ版『マンダロリアン』の後日談と言う感じなのかな?見てないけど。
この手の作品は『ハン・ソロ』『ローグ・ワン』と同じサイドストーリー。

では、これまでのスターウォーズ映画と何の接点もないのか?と言うと、本編ではなくトリビアな接点が散りばめられていて往年のファンでも楽しめた2時間。

カメオ出演していたデイヴ・フィローニ(制作総指揮)、76歳のシガニー・ウィーバーの出演、どこかで見たような不細工なモンスターたちはEP4のホログラムゲームに出てたり・・・。

そして最大の「いいね!」は、プクプクちゃんとしてアニメ映画版の「クローン・ウォーズ」に登場していたロッタが逞しく真っ当に成長していたこと。
当時、我が子ら用にアニメ映画版「クローン・ウォーズ」のDVDを買いました。

鑑賞がおわり出ると時刻は13時過ぎ。
映画館がイオンと併設だった&雨だったから(と思う)、行く先のない人たち(私も含め)で館内は大混雑。スーツケースを転がす旅行者も大勢。

どこの店も大混雑で、飲食店は行列。座りたいと思い、フードコートに行くとメチャメチャ広いのに、席は埋め尽くされ、かろうじて一人席のカウンターが空いてたので席を確保して、誰も並んでなかったラーメン店に並び、食べたのが写真のつけ麺(美味しかったけど)。

その後も館内をウロウロしてチェックイン時間になり、脱出したけど、雨の日に予定が狂ってしまった時の行動って大変!

でも、この大変をビジネスチャンスと思う人もいるんだよな・・・と、自分が当事者になって分かること多し!

2026年6月21日日曜日

にわかに信じがたいことがまた・・・。


にわかに信じがたいことが“また”起きた。6月19日(金)のこと。
単に私がアホなのか?偶然なのか?誰かの思し召しなのか?よく分からないこと。

姫路駅に到着したのが17時01分。
スマホで京都行きの電車を見ると、17時11分発の新幹線「こだま」があると分かり、姫路駅内の「みどりの窓口」に入り並ぶ。
5つあった窓口カウンターは全て先客で埋まっていて、1分、また1分と過ぎていく。

そこへ後ろから「自動販売機でのご案内もできます。」と声がかかり、窓口対応を待っていられない・・・と、声をかけてくれた駅員に付いて行き、自販機で17時11分発の新幹線「こだま」を、指定席で京都駅まで購入する。

改札口を通り電光掲示板を見ると、17時11分発、京都方面行きは5番ホームとあり、急ぎ足で階段をのぼり5番線に到着。

目指すは14号車の指定席。7号車、8号車、9号車と進んでいくと、ナント!12号車までしかなかった。14号車がない!

(どういうこと?)と焦り、駅員に尋ねようにも辺りにいなく、遠くに見つけて走り「この電車は5番線ですか?」と乗車券を見せると「お客様、この乗車券は新幹線です。下のホームです。」と無慈悲な言葉に時計を見ると17時10分。
ナント、17時11分に出発する違う電車(快速電車)のホームにいたのだった!

新幹線ホームへ行く時間はない!
えぇい!と5番線の快速電車に乗り込み、空いてる席に座り(まぁ、京都行きは変わらないから、いいだろう・・・)と、自分を納得させる。

新幹線に乗っていれば京都着は18時過ぎ。
快速電車の場合は18時50分ころ。

座れたのでヨシ!としたものの、(新幹線の指定席券を買ったのにな・・・)と未練たっぷりで京都駅には予定通り到着。

そこからホテルへ移動してチェックインして部屋に入ったのは19時20分ころ。
荷物をおろしながら、テレビをつけるとNHKから「17時40分頃に東海道新幹線内で発生した人身事故のため、山陽新幹線が運転見合わせ」という報道に、(あらら・・・)と思ったら、岡山〜東京間の上がり線が運転見合わせ中だった!

17時40分頃と言えば新幹線に乗っていた時刻で、どこかで緊急停車、そのまま動かず・・・だったかもとヒヤリとする。

間違えて乗ったローカル線だったから何の影響もなかった・・・と思うと、これは偶然か?必然か?不思議なコトがまた起こった件。

2026年6月14日日曜日

突然の絶望、絶体絶命からの・・・。


13時頃に松山を出発して内子町へ。
目的は内子町の旭館(1926年竣工の元活動写真館)
1968年に閉館するも2013年に保存会が発足。現在は国の登録有形文化財)で始まった『劇場版 旅人検視官 道場修作』のパネル展見学と、お世話になった森文醸造、大森和蝋燭、そして内子町職員へのお礼など。

松山インターから高速道路にのり、内子までは約30分走れば到着という感じ。
予定では14時頃に内子町に到着。パネル展、ご挨拶なども含めて90分ほどで要務を終えれば公用車返却時刻の16時30分までには帰れるだろうと、村上さんと話しながら高速を進む。

穏やかでのどかな晴天の下、快適なドライブに「こんな梅雨の晴れ間に内子なんて、村上さん、“持ってるね”」と話していると、2車線道路の右側、追い越し車線を白いセダンが赤色灯を回転させながら猛スピードで追い越していく。

「なんだろうね?」という程度で、こちらは穏やかに運転。
しばらくして「もうすぐ、内子の出口だ。」と話していると、前に渋滞が見えてきて「えっ!?ナニナニ?工事中?」となる。

段々近づくと少なくとも30台以上の車の渋滞で完全に停止。
大渋滞の理由が分からずにいると「事故のようです!」と村上さんがSNSの情報をキャッチ!

「えっー!事故だったら・・・動かないんじゃないの?」と私。
「ですね。どうしましょう?」と前にも後ろにも1mmも動かせない状態が30分以上続く。
「やっぱり、村上さん“持ってるね!”」とイジると「やめてくださいよ!それは困ります!」と村上さん。

「公用車の返却時間に間に合わないかもという連絡。上司にも帰りが遅くなるかもという連絡、内子町役場にも伺えないかもしれないと連絡をしますね。」と村上さん。
「そうだね。現状の写真を撮って送った方がいいね。」と私。

幸いにして、各連絡先からは事情を了承いただき、一安心だけど、車は1mmも動かない。

「数時間は動かないかもね・・・」と私。
「どうやら車1台の事故のようですね・・・」とSNSの交通情報から村上さん。
全く動く気配がなく、ただ何もすることがなく時間だけが過ぎていく・・・。

すると、止まってから1時間ほど経った時、はるか先の車が動いたように見えて「動いたかも!」となり、バックミラー越しに見えた後ろの車の運転手の喜びまで分かってしまう。

最徐行で進む車から見えた事故車は、県外ナンバーの外国車SUV。
中央のガードレール?を何本もなぎ倒していて、フロント部分と前輪が大破していて“クラッシュ”状態。

幸いにして運転手、同乗者らしき方々は道の端で座り込んでいたけど、この後、どうするんだろう?と話しながら、渋滞を抜けて旭館へ到着。

当初予定の時間はとっくに過ぎ、パネル展見学、関係者への挨拶などを済ますには時間が足りず、「顔を出す程度だね」と思っていたら、向こうから内子町担当者たちが歩いてきて、「あぁ!間に合いましたか!」と渋滞で会えないと思い込まれていたから、喜んでくださる。

本来なら事務所に伺いお話を・・・だったけど、立ち話で済んでしまう。
旭館ではパネル展をしっかり見学でき、説明もお聞きできて、入館記念までいただく。
大森和蝋燭は定休日だったのを忘れていて伺えず・・・。

すると・・・。
1時間前は交通事故の大渋滞で予定は大幅に狂い、各所に詫びていたのに、今はモノゴトがスムースに進み過ぎて、予定よりも30分ほど早く終わってしまった!

「こんなコトってある?」と、不思議な出来事と時間の流れに???となる私たち。
「やっぱり村上さんは“持ってるんだよ”」で話を理解しようとした私。
まんざらでもない村上さん(笑)

運が良かったのか?悪かったのか?さえも分からない出来ごと。
でも、事故で大渋滞に飲み込まれて絶体絶命感を味わったのは事実だった件。

2026年6月13日土曜日

本当にあった不思議な出来ごと。


愛媛県研修所へはタクシーに乗って行った3回。
乗り場所はJR松山駅前で、3回とも乗車時刻は8:15分から8:35分の間。

この時間は通勤やスーツケースなどを持っている歩行者も多く、また通路も工事で通行止めや迂回路指示、一列で通らなければならない細道になっていて、この日は男性3人が大きな荷物を抱えながら前を歩き、追い越せないままでいる。

細道を抜けても追い越すこともなく、3人の後を歩いていると、3人の男性がタクシーに乗ることが分かり、彼らの乗るタクシーの後ろに控えるタクシーに手をあげた。

ドアが開き、「よろしくお願いします。」と声をかけて「東野にある・・・」と言いかけたら「愛媛県の研修所ですかね?」と、運転手から声をかけてきて「先週も乗られましたよね?」と更に声をかけられて、「えっ!えぇ〜!まさか!」とタクシーの中で声をあげてしまった!

まさかのまさか!3週連続で同じタクシー(センチュリーのタクシーを見たんです。)に乗ったのだった!

こんな偶然?奇遇?としか言えないような出来事ってあるの?という感じで、運転手さんと笑ってしまう。どれだけの確率なんだろうと。

「不思議なコトってあるんですな〜。」と運転手さん。
「ホントですね、いや本当にビックリ、驚いています。いつも、この時間なんですか?」
「日によって違うけど、この時間は特急が松山に到着するから、本当はタクシーは全部出払ってるのだけど、最近は半分しか(お客は)乗らないねぇ。だから、順番が来なくて余って並んでるんだ。」
「そんな状況なんですね。」
「それに、あそこの工事もこの先、当分かかるだろ?通れないし、迂回は大変だし、タクシーを利用する人が減ってるよな。」
「あの工事は何の工事ですか?」
「伊予鉄の路面電車延伸だよ。総合公園までと言ってるけど中途半端なんだよな・・・公園まで行かないんだよ。スーツケースあるのに手前で下ろされても上がるの困るよな。」

などを皮切りに、知らない松山のディープな話題を色々と教えてくれる。

それらを聞いてると(このタクシー運転手、CIAなんじゃないの?)と思うほど情報通で、実はタクシー運転手は特殊任務についていて、私が3回、偶然に乗車したのも予め計算されていて・・・なんて妄想しているうちに、研修所に到着。

この偶然、奇遇は説明できない出来ごとだった件。

2026年6月6日土曜日

センチュリーのタクシーを見たんです。


「愛媛県研修所までお願いします。」と、乗り込んだタクシーの運転手に伝えると、数秒の間をおいて、「んっ!?もしかして、この前も乗りませんでした?」と突然の運転手から声がかかる。

「えぇ、先週も研修所まで行きましたけど・・・」と、伝えると運転手さん、発車もせずに紙をペラペラめくり「もしかしてイズミヤさん?」と、ズバリ言われ(名前が違っても気にしない。)「えっ!もしかして、先週と同じタクシーですか!?」と驚く。

こんなコトってあるのね。
先週も研修所へ行く際にタクシーに乗ったけど、今回も一緒にタクシー。
研修所へはタクシーチケットを使うので、そこに乗車人名が記載されているから間違いない。

「いやぁ、奇遇ですね。驚きました。」と私。
「なかなかないね。」と運転手。

タクシーは出発。道中、世間話をしていると、先日私が見かけた話題を振る。
「先日、センチュリーのタクシーを見たんですよ。センチュリーをタクシーにされる方いるんですね、ビックリしました。」
「それは旧型、それとも新しい車体?」とバックミラーから話しかけてきた運転手。
「えっ!?」と告げると、松山でセンチュリーの個人タクシーは新型、旧型の2台あるそう。

私は夜に見かけたら「それは旧型だね。〇〇が夜に運転しちょる。」と同僚の方らしい。
「なんで、センチュリーなんですかね?」と素朴な質問をすると、
「やっぱり、目立ちたいんよな。一番多い(車種)はクラウンなんよ。でも皆んな、クラウンになったら目立たんやろ。プリウスも多いけど、ワシらは運転しにくいし狭いし。最近はアルファードも多いな。松山で10台以上あるんじゃなかろーか?」と、色々教えてくれる。

ちなみに、車種は何でもOKのようだけど、一般車はタクシー用に自動ドアへ改造しなければならず、改造費用は50万円ほど。
その分、アルファードは自動スライドドアなので、改造費用はかからないと。

「じゃあ、色は黒色とか灰色、白色に決まってるんですか?」
「いいや、決まっとらんよ。好きな色でいいんだけど、運転手は黒好きやな。でもお客さんは白色を好むかな。」と、面白いことも教えてくれる。

そんなこんなを話している最中に、タクシーは研修所に到着。
松山のタクシー事情って面白い!
松山個人タクシー列伝パート2。パート1はコチラ。

木も街も自分も脆くなる。


先日の台風が通り過ぎた翌日。
いつものように5時過ぎに朝散歩に出発すると、高音の作業音が響いて(こんな朝早くから何だろう?)と思いながら、お堀を歩いていると、その音はどんどん大きくなり、そしてまた遠ざかる。

城山公園に入ると、作業音は大きくなり、向こうに黄色いベストを着た作業者が見える。
朝散歩のルート上なので近づくと、木が2本倒れていて、うち1本は完全に横たわっていて、歩道と車道にまたがり、映画のワンシーンのような根こそぎの倒木状態。

高音の作業音はチェーンソーで数人の作業員が忙しく動いてた。
不幸中の幸いと言うか、誰にも何も怪我や損傷なくて良かったと思う。
倒れた木は太く大きかったから・・・と思うと。老木だったのかな?

翌日にはすっかり、倒木は除去されて根こそぎ倒れていた木は元の位置に戻されて?いた。
改めてみると直径1mほどの幹でキレイな年輪だったので、写真に撮って、AIに「この木の樹齢を年輪から教えて。」と尋ねたら、約50年前と回答(AIも年輪が不鮮明で正確には答えられないとのことで、おおよそで教えてくれる。)

そして思う。
月日を重ねれば、木も街も自分も立派に見えるけど脆くなる。

自然現象だから悪いことではないけど、“メンテナンス”しだいで維持やアップデートはできるとも思ったり。

以前、新浜市の旧広瀬邸をロケハンした時、周りの木々や手入れされた庭などに感激していたら「100年以上経ってますから、この風景は当時とは違うんです。」と説明をうけて、その後、建築当時(の眺め、環境など)に戻そうと木々などを手入れしたそう。

建物は朽ちるから修繕が必要、自然は成長するから手入れが必要。
人や街も同じかもしれない。老害にならず役に立てますように。

2026年5月25日月曜日

久しぶりの今治市街。


(ふむ、久しぶりの今治市街だな?せっかくの機会だから、1本早い電車に乗って、現地でロケハンしようかな?)と思いつき、10時スタートの研修なのに、8時過ぎの特急に乗り込む。

今治市の場合、どうしても「しまなみ海道」の撮影が多い。
松山市の撮影で「道後温泉」が欠かせないのと同じくらい。それほど、今治市の代名詞。


しまなみ海道のロケハンは十分してるけど、街中のロケハンは機会が少なく、でも必要とされる時は突然なので、こういう思いつき行動は時に大切。と、自分に言い聞かせてる(笑)。

今治駅は外国人客がいっぱい!それも老若男女。
かれらの目的はレンタル自転車のようで、サイクリングスーツ?と言うのかな?既に着込んでいる人も多く、観光案内所付近は外国人でいっぱいだった。

そんな光景を横目に、港へ向かう。今治駅周辺から伸びる直線の並木道は美しく、早速ロケハン開始。途中、かねと食堂を見ては「昼飯候補だな」とか丹下健三の建造物を見ては「松山市民会館はどうなるのかな?」などを考えながらひたすら歩く事20分、「みなと交流館はーばりー」に到着。

9時過ぎなので人気もなく、静かな周辺。
遠くに見える来島海峡大橋を撮って次の「今治城」へ進む。

今治城を見るのは10年ぶり以上かもしれない。
海水を直接引き込んでいるお堀や城内に船を直接入れられる港がある今治城、カッコいい!
松山城が山の上に建っているのに対して、海に面しているのだから愛媛の城ってすごい。

(どこのアングルから撮るのがいいのかな?)とお堀を周っていて、見つけたアングルがコレ。そして、他にもいいアングルないかな?と探していたら、時間が気になりスマホを見たら9時40分!

10時スタートなので急がなきゃ!となり、撮影をやめて今治市総合福祉会館へスタスタ向かう。

幸いにも今治城から真っすぐに進めば到着する立地で助かり、9時50分に会場に到着して息を整えていると、参加者が集まりはじめ、「初めまして、こんにちは!」で研修スタート!