日記を検索

ラベル 感じたこと の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 感じたこと の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2025年3月30日日曜日

先輩移住者として。


2024年5月15日に都市と地方などに生活拠点を持つ「二地域居住」を促進する制度創設を盛り込んだ改正広域的地域活性化基盤整備法を与野党の賛成多数で可決&成立。

市町村が促進計画を作成すれば、二地域居住者の住まいや職場環境を整える際に国の支援が受けやすくなり、空き家の改修、シェアハウスやテレワーク用の共同オフィスの立ち上げなどの環境整備が行えて、子育て世帯を中心に、地方への新たな人の流れを創出するのが狙い。


この法案はどれほどの効果を発揮するのか?
なども含めたざっくばらんな意見を移住促進などを手がける会社からのヒアリング調査。

「泉谷さんだったら、二地域居住のポイントは何と思いますか?」
「移住先で働けるか=稼げるかでしょうか?元々の仕事を移住先で続けてもいいし、移住先で手に職をつけて仕事を創ってもいいし、移住先で就職という手段でもいいと思います。働けない場所にわざわざ行かないでしょ?」

「たしかに、そうですよね。その“二地域”ですが、どうやって選ばれると思いますか?」

「二地域のうち、一つは“実家や家族が既に暮らしている家”の人が多いと思います。私も実家/妻が暮らす東京と愛媛ですから。私の住民票は松山市です。」

「そうでしょうね。実家を含まない二地域で暮らそうとすると費用が倍ですよね。」

「そう、二地域という言葉もだけど、関係人口とか交流人口推進の方が“しっくり”くるかも」

などの内容で話して気づく。
自治体が移住を求めているのは「住民票を移して欲しい人」なのか?「訪れてさえしてくれたらいい人」なのか?それとも「住民票まで移さなくてもいいから、何度も訪れてくれるファン」なのか?

そして「愛の壁(移住者が試される地域の地元愛の強さ/高さ)」も話してしまうと「うまい表現、分かります!」と納得される。

2025年3月25日火曜日

備えあれば。

アルゴも驚いてる。

ココ大付属学園は明日から11日間。
2024年8月8日の夕方に起きた震度3〜4の地震以降、ずっと気になっていたコト、それは「南海トラフ地震」が起きて、万が一、子ども達と2〜3日、一緒に過ごさなければならなくなったら・・・という想定。

ハーモニープラザは公共施設だから一時避難所にもなるので、可能性はある。
8月8日の時は大事にはいたらなかったけれど、自分だけはなく子供や保護者への指示、責任の重大さを感じた数秒間。

で、思い切って購入した「ソーラーパネル&ポータブル電源(Anker社 Solixシリーズ)」。
これまでも防災などを切り口に松山市危機管理課などにきてもらい、避難時の過ごし方を学んだけど、「ますます電源の必要度合いは高くなっています。」などのフレーズを受け流せず・・・購入。

購入した決め手の一つは、平時でも使いやすく(パススルーなので他の電気製品にも供給できる・・・けど、特に出番ナシ)、バッテリーの持ちの良さと部品周りの堅牢さ。
10年以上持つとのことで、10年以内に!?なんて想像したくないけど、不安を一つ軽減。

余談だけど、非常食についてはココ大付属学園でも大いに学んだ。
ウェザーニュース調査によると「防災食の備蓄日数(2024年2月20日から26日、14210人回答)」では、全国平均が3.32日分で過去最高を記録とのこと。防災意識が高まってる証拠。
ちなみに愛媛県は3.19日分を備蓄しているとのこと。

非常食については浸透したけど、食べればトイレに行きたくなるし眠くもなる。灯りもつけたくなる。寝ている間に充電もしたくなる。

すると、やはりポータブル電源は必要で、“その時”は活躍して欲しいけど、“その時”は来て欲しくなかったり、ややこしい話。

2025年3月24日月曜日

動けば起きる。


昨年末から、ブログをnoteにもアップしていて、目的は「アップしたらどんな変化が起きるのかな?」という素朴な疑問から。

現在、ブログは600回/日ほどのアクセスがあり、そろそろ119万回に達するのだけど読者層は固定化していると思い、違う層にも響くのかな?と思い、放置してたnoteを復活。

ブログは毎日更新してるから、noteにも毎日アップできることを強みに、日々続けているとnoteから「200回の記事おめでとうございます!」「30週連続の投稿おめでとうございます!」「6ヶ月間、毎月投稿おめでとうございます!」と、ひたすら褒めてくれる(笑)。
褒めてもらう機会が少なくなった50代は、機械回答でも定型文章でも嬉しい(涙)。

1日の閲覧は200回/日ほどと、学長日記と比べると低いけど、面白いのは「今まで知ることもなかった人からの反応」や「ハッシュタグを毎日つけ続けると、いづれ探しやすくなる。」を実感していること。

#泉谷昇
#いよココロザシ大学

と、毎日ハッシュタグをつけ続けていたら(#泉谷昇は200件以上、#いよココロザシ大学は120件以上)、超がつくほどご無沙汰の方から連絡がきたり、大昔の職場でお世話になった人からも連絡がきたりと、やっぱり「動けば何か起きる」。
100の言葉よりも1の行動って感じ。noteって意外と色々な人が利用してることも実感した。

年間700回以上アップしているから、今年中にハッシュタグも700回ほどつくわけで、少しの労力だけでこれまで接したことがなかった人にもアプローチできるのは有意義。

ほんと、動けば何か起きる。そして、その動きがまた新たに動く動機を創ってくれることを知ってしまった50代。
「いつか」はこない。

2025年3月22日土曜日

この先も甘くはならないのか。


2024年の総務省「家計調査年報」によると、二人以上の勤労者がいる4人世帯の消費支出(生活費=家賃、住宅ローンは含まず)は1ヶ月平均32.5万円なのね。

これを家計サイトなども参考にすると内訳は、食費が最も多く約8万円、住居費(住宅ローン以外)&水道光熱費で約4万円、交通&通信費で約4万円、教育費で約3万円、娯楽&その他で約8万円・・・と続く。
これに家賃や住宅ローン、習い事などを含めると、もっと上がる。

この金額は平均であって中央値ではないにせよ、そんなに生活費ってかかったの!?と、平均額よりも低い金額でも暮らせていた我が家。でも、伊予銀行さんで教育ローンは組みました。

で、これが一人暮らしになると約18万円/月と伊予銀行。
食費が約4万円、住居費(家賃など含む)&水道光熱費が7万円、交通&通信費が約2万円、娯楽&その他が約4万円・・・と続く。
学生が本分に励みながらバイトで稼げる金額ではないなと、だから寮などがあるのだけど。

生きていくだけで大変だわ・・・と、改めてつくづく思った件。
そして、今更ながら「老後は2,000万円が必要」という意味を教えてもらう。

2,000万円で老後を暮らすではない。
例として65歳&60歳夫婦の無職世帯の場合、年金だけでは毎月約5万円が不足する(赤字になる)ので、2,000万円あれば、不足分の補填になる・・・という意味なのね。
随分先の話と思っていたけど15年後には年金をもらっているのか!?

退職金も勤続35年だった人が1997年頃にもらえていた額は平均3,200万円だったのに、20年後の2017年頃には約2,000万円と激減し、そもそも退職金制度自体も1992年頃は90%以上の事業所であったのに2017年頃には80%まで減少・・・。
人生100年時代と言われてもね。80歳、90歳でも働かないといけないのかな。

どうするフリーランス?という感じ。何とかなるのか?ならないのか?

2025年2月15日土曜日

地域づくり系作品。


お年頃なのか?元〇〇の復讐劇、元〇〇が巨悪に立ち向かう、街を壊しまくり正義を貫くヒーロー映画などに気疲れ、大体同じ内容に遠慮気味な最近。
かと言って恋愛作品やホラー作品はもっと疲れるので、地域づくり系?という作品を探していたら・・・。

ラ・ドルチェ・ヴィッラ(アメリカ)
「イタリアのトスカーナ地方が舞台」、「1ユーロで古家を買って地域おこし(≒住民が増える)」という紹介文だけで見た作品。

1ユーロ(170円ほど)で古家をリノベーションしていく過程で、様々な人間関係が織りなす様子にトスカーナの素晴らしい景色、美味しそうな食事などが混ざり、行きたい!と思わせて、最後は安心のハッピーエンド。良かった!


ラストブラックマン・イン・ サンフランシスコ(アメリカ)
主役のジミー・フェイルズと本作品が初監督のジョー・タルボットの実体験が下地の物語。
サンフランシスコの片隅で都市開発から取り残されてしまった人たちの日常を描いていて、祖父が建てたと思いたい素敵な古い家にアイデンティティを重ねる主人公。
極力抑えられた音楽、終始静かな演出が印象的で、タイトルの意味は最後で分かった。


イチケイのカラス(日本)

岡山県のとある小さな港町が舞台。単にネットフリックスで新しく配信というだけで見た裁判物語。ドラマの映画版(撮影支援した「HERO」と同じ構造)。
冒頭に起こる断片的な事件を「陰謀」として繋げて視聴者を“本質から逸らす”演出は人の心理を巧みに扱う裁判劇ならでは。
真実が望んでいない不都合を突きつけると分かる、法律は不完全なことを知る。

そして、ふと思う。
こういう映画は賞賛されても興行的にメガヒットとは無縁(と思う)。
興行収入よりも伝えたいメッセージが重要なのかな?3本とも良作だった。

2025年2月13日木曜日

お金があれば。

朝7時過ぎ。

松山に戻り平常生活になる。
1日10,000歩達成にルートを広くして歩いていたら、ビルとビルの合間に見える松山市役所の前に路面電車(それも古い形)がやってきた。
(いいかも!)とササッとスマホを出して間に合った写真がこれ。
ラッキーなことに「砥部焼」電車だった。こういう些細なことが好き。

THE 松山の撮影(実景)に使えるかもしれない。
もしくは何かの写真コンテストで入賞するかも!?と朝からオメデタイ。

朝散歩も従来の35分から50分ほどに延びたので、歩きながら神戸、京都を振り返り。
(1)始めるに年齢もタイミングも関係ないと実感。
60歳以上だから・・・と、慣例に染まらず、逆にこれまで抑えていた自分らしさを全面に暮らしていく友人の話を聞いて、60歳まであと7年!何歳までフィルム・コミッションに携われるのだろう。自分で始めたから自分で決めないと。

(2)プランB(代替え)でも楽しめる街はいい。
観光客らにとって、予定が天候などの予想外でキャンセル!は仕方がない。だけど、せっかく滞在しているのに代替が単に買い物というのも残念。そんな時に代替の選択肢が複数あるのは、地域の厚み(=地域資源の豊富さ)と分かった。松山はどうか?

(3)お金が全てではないけど、多くを解決できると納得した。
近年、映画・映像制作の現場でも働き方改革が進み、無茶がなくなったけど、その分、製作費が上がっている(はず)なのに、実際は制作費は変わらず、各予算を抑制している作品もあり、その結果、質に影響していると・・・。実質、下がってる!

「お金があれば、質を上げられるのに!」という言葉に「それって、暮らしでも同じだよね。お金があれば、全てではないけど、多くを解決できる。」と、お酒が入っていたけど、妙に納得してしまった。

お金があれば悩みの多くを解決できる。

ご利益は・・・。

鬼ではなく夜叉、それも良源さんが変身した姿

大根焚きをいただいた後。
せっかく1時間以上もかけて三千院へやってきたのだから、記念にお守りでも買って帰ろうと、和風ミュージアムショップへ(表現が違うけど同じこと)。

お守りのほか、ご朱印帳、おみくじ、シールなど色々売っていて、ご利益があるものばかり。その中で(おぉ!どこかで見たことがあるぞ!)と思ったのが鬼の姿をした厄除け護符。

(そうか、三千院で売っていたのか!)と勝手に思い込み、義母宅用など数枚購入した後に(なんで鬼のような怖い姿なんだろう?)と調べたら、鬼ではなく夜叉でした。

モデルは良源さん=元三大師とのことで、良源さんが夜叉に化けて疫病が身を追い払った時の姿を模したとのこと。かつ、印刷と思ったらハンコでした。だから300円/枚だったのか。

それでも、ご利益を信じるか?信じないか?は個人の自由だけど、購買意欲をそそるマーケティング。三千院で売ってると思いきや「天台宗派」では売られている有名な護符だった。
この夜叉の形をしたご当地モナカを作ったら、絶対に売れる!と思ったのは私だけと思う。

そして、焚いたこともないのに「金色不動香」という秘仏のある本堂で焚かれているお香と同じお香まで買ってしまった。これが俗に言う「魔法にかかる」というやつか。
でも、香りは嫌いではないので“いつか”出番が来るだろう。名前にご利益を感じてしまった。

商品開発の視点から見れば、エピソードも売り方もマーケティングも商品自体の全てに一貫性があるから、誰も知らない1200年以上前の素材でも売れている。

これらを渡す際に「これね、京都の大原三千院っていう寺院で買ったんだ。ご利益や厄払いがあるらしいよ。」と、三千院に変わって紹介≒PRしてしまうのも売り手の作戦。

私が得たご利益は「売り方」でした。

2025年2月8日土曜日

今日が100日目、100万歩。

2025年はエントリーしてみようかな。

先日、「1日10,000歩100日=1,000,000歩プロジェクトを」書いたけど、今日がその100日目(11月→30日、12月→31日、1月→31日、2月→8日=100日)。
今日も京都&大阪を歩くから10,000歩は確実。なので“やり遂げた!”と思っていいと思う。

実際は既に100万歩は達成しているけど、名目上100日目を区切りとする。
なんか感極まるかと思いきや、毎日に溶け込んでしまったからか、何も湧いてこない(笑)。
そんなモノ or コトなのかもしれない。

単に1日10,000歩歩けばJALマイルが貯まるからという不純な動機から始まり、“ついで”に楽天ポイントもコカコーラポイントも貯まると言う崇高な目的でなかったのが続いた理由かもしれない(笑)。
とは言え、毎日の変化は微々たるものだけど、振り返ればやり遂げたコトは自信につながる。

「そんなに歩いてるなら、ウォーキングイベントに出たらいいのに。」と友人。
そっか、世の中にはウォーキングイベントがあって、東京では100km、大阪では50km、愛媛にも「しまなみ海道スリーデーマーチ(10km〜30km)」があるではないか!それも既に22回開催!言われるまで気づかなかった。

でも、待てよ。
スポーツとしてウォーキングしていないけど、マラソンのように制限時間はないのかしら?
4km/時で歩くで計算すると、10kmなら約3時間、20kmなら約5時間、30kmなら約7時間、50kmなら約13時間!、100kmなら約26時間!?(ちなみに東京の100kmウォーキングには2414人がエントリーして1220人がゴールしたとのこと/77.8%の完歩率)

いやいやいや、そんな所目指してない、アスリートになろうなんて10,000%も思ってない(笑)。でも、次の目標を探さないとモチベーションを持続させないと!

2025年2月4日火曜日

PLAUD NotePin


今の所、使い勝手良し。海外の映画祭などへ行くと、セミナーなどが毎日行われていて、聞きまくっているけど、会場に翻訳機が有る場合と無い場合があり、無い場合だとメモを取りながら聞くのは聞き逃したり、分からない単語は前後のニュアンスで理解したりと、脳みそがフル回転。

先日の打合せにて。
質問して深掘りする役目で、同席者がメモを取ってくれたから後で中身を把握できたけど、一人だったら質問の数も内容も半分&薄くなり、打合せの質が悪かったかもと思ったり。

自分用に議事録が取りたくても進行役を兼ねると、メモのツギハギなので、ウ〜ンと思っていたらPLAUD NotePinという新商品の広告がSNSに溢れて、何げなく調べていたキーワードを元にした提案型広告と気にも留めてなかったけど、興味本位でクリックしたのがダメだった(良かった?)。

音声入力専用だけど、文字起こしが300分/月無料、要約はChatGPT、マインドマップまで作れる(未だしてないけど)。そして親指ほどのサイズ。

評価を見ても良く、トドメは「今なら6980円分のアクセサリー(ピン、バンドリスト、ストラップ)が無料!」と言う文句にクリックしてしまう。あぁ、小市民。

個人的には文字起こし300分/月無料は有益で、喋った内容をテキスト化して整えて、テキストを音読できれば、音声コンテンツになる。

早速、TEDを録音して、ChatGPTで日本語へ翻訳したけど問題ナシ。
自動翻訳機能は未だないけど、実装予定とのことでコンテンツ化が加速しそうな買い物だった件。使いこなさなければ!

2025年1月21日火曜日

額装して!

墨で描いてくれたインチキ先生似顔絵!

この才能を、どう見守り、育み続けられるか?
ライフプランセミナーの最後は、自分の未来予想を考え「自分への宣言」として書くもの。
そのために、篠原一作さんをお招きして、一作さんに描いてもらうことも自分で書くこともできる用意が整えられる。

一作さんが準備していると、白石さんのお子さん達が描きたい!となり、セミナーの傍で絵を描き始める。お兄ちゃんも妹ちゃんも墨で描き始める。でも、墨なので黒一色。
そこへ一作さん、水彩絵の具やアクリル絵の具ではない「顔料」絵の具で描かせてあげる。

すると、それまで墨一色だった作品がカラーになり、顔料だから発色もよく鮮やかになる。
お兄ちゃんの作品はステンドグラスのような作品になり、褒めてくれてたら「似顔絵」を描きてくれた。だから「ねぇ、インチキ先生って書いてくれる?」と伝えて、笑いながら描いてくれたのがこの作品。

妹ちゃんは色々な色で筆を思いのままに走らせ、カンディンスキーのような抽象画をもっと走らせた作品が誕生する。

「○#△$⬜︎%◇&☆」と聞き取れなかったので、聞き直すと「次、描きたい。」と新たな紙を用意して欲しいと、画伯と呼んでいたから仲間と思ってくれたのか妹ちゃんの助手でした(笑)

純粋に「したい」、気の向くままに「描きたい」という無垢な思いをどう育めるか?
親なら誰でもがずっと育みたいと思うけど、簡単ではないのは3人の子育てを通した感想。

親の思いと子供の思いは全く違うし、子供が“その道”に進みたいと思っても本人の努力、世間体や財政などの事情もあるから簡単ではない。
だから「作品だから額装して!」と助言するのが精一杯だった件。

2025年1月11日土曜日

甘い中華そばをすすりながら。

飄太名物「甘い中華そば」は、分厚い砥部焼で登場。

同い年の夫婦と私たち夫婦の2組で食事。
場所はコロナ前に訪れた以来の飄太、だから6-7年ぶりか?よく通る道沿いだし、店も知ってるのに意外と行かない店って多い(と言うか私が飲みに全く行かないのが原因かも)

飄太といえば「甘い中華そば」のイメージだけど「おでん」も人気だそうで、先ずはおでんを頬張りながら乾杯&談笑。

夫婦で会うのは初だったので、互いの馴れ初めなどを皮切りに縦横無尽に談笑が進むと、4人は既に50代、それぞれの職場では役員や責任者、指導者など社会的責任を負う世代なほか、互いに共働き夫婦でもあるので、これからの話、そして妻、夫ではなく一人の人間として生き様などを話していると「リーダシップ」と「マネジメント」の話に辿り着いてしまった。

自分自身にはセルフリーダーシップだし、職場ではフォロワーあってのリーダーシップを発揮。
一方で組織では管理というマネジメント力が求められ、世間でもマネジメントというバランス力が求められるケースがあったり。

「でも、これから(≒地域の未来)を考えると、慣例や風土に風穴開けないとジリ貧になるね(≒発展、活性はない)。」となる。
この現実がまだイメージできない上層部がいる組織は本当にやばい、現実を直視していない。

リーダーシップとマネジメントはアクセルとブレーキにも例えられ、時に相反する。
どっちがどっち?はないけど、一つ言えるのは、リーダーシップがない時のマネジメントは単なる管理で、そこに生産性や創造性はない。

50代は組織でも個人にも夫婦間でもリーダーシップとマネジメントが求められる世代と全くのシラフで反芻(笑)

2025年1月3日金曜日

アート鑑賞初め。


正確に言えば12月31日だけど“そこ”じゃない。

お父様、弟さんが芸術家な友人から「升田裕康と升田準二と三野計の垂直水平の立体交差点(1/13まで。入場無料)」という企画展に誘われて、会場である「升田あそびの家」へ。
お邪魔するのはコロナ前だったので数年ぶり。

升田裕康さん(お父さん)、升田準二さん(弟さん)の作品は見たことはあったけど、三野計さんは名前を聞いたことがあっても作品を実際に見るのは初めてで「愚人」という切り抜いたヒト型(2cmほどの愚人ポーズは数種類ある)が球体に貼られている。
これが三野さんの作品の特徴のよう。会場にも愚人が無造作においてあり、その数は万単位。
この愚人は一体ずつカッターで切り抜いていると言うのだから気が遠くなる・・・。

裕康さんの作品はカラフルな抽象画のようだけど、よーく見るとモチーフが見えてきたり、また準二さんの作品は黒や青のペン画で感性のままに走らせているとのこと。

アート作品は作者の個性(=オリジナリティ)で識別できるから分かりやすい反面、感じるor感じないもハッキリする。

テーマなどを詮索や読み解くことが正解ではなく、感じるか?感じないか?でいいので、多種多様な作品を見で感性を養うこと大切。
作者の数だけ描き方(=作品)があるということ。愛媛にも素敵なアーティストはたくさんいる。

2025年は、どれだけ作品展に行けるのか?
ココ大付属学園でも創作活動を踏み込んでできたらいいなぁ・・・と思ったり。
アートに溢れた空間に満たされたひと時。

2024年12月29日日曜日

どこを見てるのか?


パッ!と見は“フツー(多数)”と違うから、そんなフツーのモノサシで測ると“違う人”と思い込まれてしまう。
大人はこれまでに会った人、もしくは情報で得た(つもりの)カテゴリーに分類してしまう。なぜなら、分類した方が“理解するのに都合がいい”から。

でも、それは“見た目(表面)”であって内面(≒本質)ではないから誤った判断、分類をされた人をこれまで多くみてきた。
今回、学生と接して改めて考えさせられたこと。

我が家の末っ子の場合は行動で先生たちからすれば“余計なコトをする学生”と見られた時があり、呼び出された際の多くで謝ったけど、明らかに違い、偏見と思った時は学校長などを相手に納得するまで説明を求めた過去。
学校側から面倒な親と思われても筋が通ってなければ親の出番でしょう。

そして、そんな学生がいる場面では大抵、学生に非があるのが大前提で話すから「ちょっと待ってください。話のスタート地点から既に違うんですけど・・・」と相手への面倒さ炸裂!

多くの場合、子どもに非がある。でも100%じゃない。
それを前回も前々回も前々々回もそうだったから、一律のモノサシで測った方が楽だからと、大人が思考を放棄(=一人一人に向き合わない)したら、子どもの可能性や希望、期待は一つ消えるのと同じ。
個性を大切に・・・なんて標語が泣く。

じゃあ、「喋らず大人しくしていればいい。」という振り切り論へは、喋らなくて大人しい子は、一見して“いい子”に見られるけど、本当にそうなのか?多くがそうだけど、あえて一石を投じたい。

大人にも社会にも期待しない世の中に生きるって悲しい。
妻いわく「社会はないけど(大人にとっての)世間体はあるよね。」と鋭い指摘。

2024年12月24日火曜日

あと7日。


2024年も残り7日間。
高松駅から松山駅までの特急時間(2時間30分)の間に広げた新聞で「2024年読者が選んだ10大ニュース」なる見出しに目が止まる。

2024年1月1日の夕方に石川・能登半島で発生した震度7の地震は何かの誤報と思ったのが最初。そして翌1月2日に起きた日本航空機と海上保安庁機が羽田空港で衝突・炎上と、これも(えっ!?)と言う感じで、(明日も何かが起きるの?)と不安になった記憶。

個人的には8月8日の夕方に日向灘で発生した最大震度6弱の地震で「南海トラフ地震臨時情報」が発表されたことが強く残っていて、当日は朝8時から愛南町外泊地区で行われた「笑うマトリョーシカ」の撮影現場に立ち会っていて、地震発生の30分ほど前にハーモニープラザへ帰り、子ども達や保護者、スタッフらと談笑していたら突然の大揺れ。
全員を机の下に避難させ(訓練ではなく本番によく対応できた・・・)と安堵した思い出。

撮影隊にも直ぐに連絡すると、撮影は終了していて、片付けの最中に地震に遭遇したとのことだった。

そう言えば今年も暑く、平均気温の高さが過去最高タイとのことだったけど、子ども達に「暑すぎて外で遊べません。」と、ジョークのような本当のコトを伝えなければならないのが辛かった。

あっ、パリオリンピックがあったのね。
大谷選手の偉業の数々が10月までずっと続き話題をかっさらっていたので、その陰に隠れてしまった感じ。

2025年はどうなるんだろう?いや、2024年もまだ7日間あるから、その間に未曾有のコトが起きるかもしれない。
穏やかに過ごせますように。

2024年12月21日土曜日

理解など野暮。


「理解など不要で、ただ感じればいいのか・・・」と思った銀座グラフィックギャラリー(ggg)で行われていた菊地敦己氏(アートディレクター/グラフィックデザイナー)の作品展。

銀座に行くと入場無料のギャラリーを訪れることが多く、今回はポーラ美術館が閉館中だったので次の選択肢はggg。
扉をあけて中に入るとグラフィックデザインの展示は分かるけど、何がテーマなのか?よく分からず「菊地敦己/グラフィックデザインのある空間」というだけ。

(ナニコレ?どういう意味?何を問うてるの?)など色々と湧いたけど、そもそも“そんなコト”を考えてしまうこと自体が野暮。

(そうなんだ!面白い/面白くない!響く/響かない!)など、自分の感性にフィットするか?しないか?感じるか?感じないか?だけの話。

理屈が必要ないのがアート。説明を読んでも(だからナニ?)でも全然OK!
実際に私も(で?ナニ?)な感じだった。

地下1階にも「菊地敦己/グラフィックデザインのある空間」は続いていて、同じモチーフでも出力の違いによって生じる質感の違いを展示していて(ふ〜ん、だよね。)となる。

極め付けは写真の壁に文字がある光景。

「かべのまんなか」という文字を壁の中央に貼る。

「北東」という文字に矢印をつけて北東に向いた壁に貼る。

「明」という字をライトで照らす。

「さかさま」という文字を壁の真ん中に貼る。

均質な壁に同じ書体で書かれた文字が、音葉や位置や大きさによってその場所の意味を変える。

言葉の無力化を表した作品のようだけど、(そうなんだ。)となる。

分かる必要はなく、(不思議な展示会だったな・・・)で十分だった展示会。

2024年12月14日土曜日

結局は。


例えば、うまくいかない場合があるとする。
それも1回ではなく、10回、20回と続き、気づけば1年以上もうまくいかなかったら(この先、どうなるのだろう?)と不安で心が押し潰されてしまうのも分かる。

その後、うまくいっても今度は周りや世間との“ブランク(空白期間)”が気になり、うまくいかなかった時期とは異なる不安に襲われて、気持ちが押し潰されそうになる。
そして、人生の空白というか無駄な時期と思うかもしれない。

でも、人生100年と言われる中で、1年程度そんな時期もあったな・・・と笑って思い返せる時はやってくる。
大切なのは(あの時間も大切だった。だけど、もうゴメン!)と胸に刻んでおくこと。
私もNYへ行かせてもらったのに大学を辞めて、無気力だった時期が半年ほどあった。

〇〇回失敗したら、代わりに成功が得られることは絶対にない!これだけはハッキリ言える。
だから、自分を信じるれるか?どうかの話。
言うのは簡単だけどタフな日が続くと心は折れるし自分を否定したくなるから、どこまで信じられるか?は本人次第。
そして「違う選択肢(例:止める、諦める、変える、忘れるなど)」が出てくるのも分かる。

紆余曲折、凸凹、つまづき、ダメージさえも好転させるには日々を綴り記録しておくこと。
タフなコトを乗り越えたかよりも、そんな日でも何とか過ごせて翌日を迎えられたではないか!が大切。

どん底を味わうと、それ以上の底はないわけだから、些細なことも含めて全てがハッピーになり、周りに感謝したくなる。

結局は自分次第。周りが手を差し伸べても、その人次第。

2024年11月30日土曜日

助長は嫌。


「市民」と一言で称しても色々と属性?があるようで・・・。

・志民→世の中をより良くしようと志を掲げる市民。
・支民→誰かの何かを支えようと応援する市民。
・私民→何事も自分中心から物事を考える市民。
・死民→意欲も生気もなく“死んでる目”をしてる市民。
*辞書や教科書には載ってない、誰かが作った造語です。

過激と言うか誤解を生みそうというか、反響と言うかハレーションが起きる表現だけど、これらの言葉が生まれてしまった背景には、間違った言葉や意味、表現への“都合のよい解釈”などがあるんだろうな・・・と振り返る。

「以前の私は“死民”でした。」と発言した人がいて、さらに別々の複数人も吐露したのを聞いて当人を見ても、“現在の表情”からはそうは見えず「マズローの欲求段階説」を思い出す。
なんだか怪しい宗教っぽさを感じる光景を想像させるけど、笑いアリの和やかな意見交換会。

個人的には肯定も否定もしないけど、「じゃあ、あなたは何の市民?」と尋ねられたら「志民」と答える。だって、いよ“ココロザシ”大学だから。愛媛を素敵にしたい志ありますから!

だけど、志民、支民、私民、死民など、どんな状況であろうが、結局は本人次第という考えに行き着いてるのでお節介も介入もしない。

流れる景色を見ながら「愛媛ってやっぱりいいよね。」と何気なく言うと、「そんな明け透けにハッキリ言う人、いないですよ。」は生まれも育ちも愛媛人。

人口が少なくなる地方でも分断とか格差とか差別が助長されるのは嫌だなと。

2024年11月25日月曜日

積極的に関与しないと維持できない。


朝7時の神戸元町の南京広場。
日中は、修学旅行生や外国人観光客、ビジネスマンなどでごった返しだったけど、この日は週末だったこともあり通勤通学の人はいなかった。
後ろでは清掃車がゴミを粉砕してたり、店の人が店前を掃除してた。

地域づくりって積極的に関与しないと維持できないし、ジリ貧という話。
写真を撮ってる私は(ココが名所だから)という理由で撮影したけど、もしも、ココが汚く治安の悪い場所だったら行かないわけで、綺麗で訪れた気分にさせたのは、南京町の人々や関係者が積極的に地域に関わっているからの結果。

アマルフィ(イタリア)での朝を思い出す。
避暑地として有名で大勢の観光客が訪れ、夜中までワイワイにぎわい、そんな様子を大広場に隣接したホテルから眺めてたけど、翌朝は清掃車の音で目覚め、窓をあけたら昨晩のゴミなどを一気に片付けしていて、また新しい朝を迎えていた光景。
訪れる観光客は気づかないけど、こうした裏方がいてこそ表(観光)が成り立つと思ったっけ。

地域づくりに積極的に関わるのは、時間も手間も労力もかかるから大変。
イベントのような一日ではなく毎日だもんな。

この日おは日曜日だったから、日中はごった返してゴミなども多かったはず。
でも、その代わりに売上も伸びたと思う。

だからか、屋台というか出店というか、各店のPR合戦は面白く、店の敷地から出てはダメなのか。どの店も定められた範囲?から熱烈歓迎を送ってた。

2024年11月19日火曜日

アートの体幹。


一人暮らしを始めた長男くんと3ヶ月ぶりに再会。
先日は人生初となる作品の展示販売会を行い、売れたようで何より。
親としては“せっつく”より、見守る立場と思うので本人から直接聞けて自信もついたようで嬉しい、これでプロの仲間入り。

積極的&精力的に動いているようで、その結果、新しい出会いや気づきなどが多々あるようで開拓精神を受け継いでくれた感じ。

私は長男くんのように絵は描けないただのアート好きでしかなく、話を聞くことしかできないけど、お互いに納得したのは「デッサンでもビジネスでも共通するのは基礎・基本をキチンと鍛えているか?描く際の体幹、企画立案の体幹ともいうべき所はシッカリ抑えなければ応用はない。」と言うことだった。

基礎・基本が確立されているからこそ、変化しても外れても構図や構成に違和感は覚えないという感じ。
企画立案で言うなら、コンセプトや目的が明確で確立されていれば、手段は時流に合わせても問題ないのかもしれない。

で、ラス・メニーナス(女官たち)。
1656年にスペイン黄金期を牽引した巨匠ディエゴ・ベラスケスが描いた傑作。

それを300年後の1957年に75歳のピカソが再解釈をして構成し直した58連作。
誰でも描けそうな落書きのような絵だけど、見入ってしまうのは見れば見るほど“じゃない”と分かるから。

58連作だから一つだけみれば変だけど、他と比較すると色々と発見や気づきがあるのも、そもそもベラスケスの完璧な構成、ピカソの卓越した基礎があるからだよね・・・と3時間談義。


2024年11月13日水曜日

推し活経済を目の当たりにする。


「図書館に泊まる。」が8:30に終わり急いで帰り、荷物をまとめて松山空港へ。
11:50発の飛行機は遅延で12時過ぎに出発、13:30頃に羽田空港到着。
そのまま今度は14:30の飛行機で新千歳空港へ離陸。16時過ぎに着いた新千歳空港付近は既に日没で暗かった。

地下鉄で札幌駅を目指そうとするもギリギリ間に合わず(次に乗るか)と思ったら、電車は未だ出発しておらず、ラッキーと乗車。聞けば病人対応で発車が遅れているとのことだった。
その後、思いの外、大変な出来事だったようで後続列車は出発時刻が未定となってた、セーフ。

札幌駅到着。
今回、札幌周辺のホテルはどこも満室で、空き部屋があっても一泊2万円、3万円という信じられない値段。その中でも18,000円という“底値”のホテルを残り一室で予約した。

某人気グループのコンサートでファンが押し寄せているとのことで(本当なの?)と思いきや、街ゆく人の多くがキャリーバッグを引いて歩く女性で、ホテルのロビー、フロントにも女性たちが30人ほどいて(これが推し活か・・・)となる。
エレベーターにのっても、翌朝の朝食会場も女性だらけ。
この機会に便乗して値上げした、ごくごくフツーなビジネスホテルなのに特異な雰囲気。

一説では2022年のお押し活市場は8000億円。うち押し活トップは「アニメ」の3000億円。その次が「アイドル」。

2021年の推し活市場は7000億円とのことだったので1年で1000億円UP、今は2024年9000億円、1兆円という人もいる。

地元に特需がもたらされるってスゴい。
チェックアウト後もいたる所にキャリーバッグを引く女性達がいた札幌市内。