日記を検索

2022年8月23日火曜日

期待という煩悩。


「目立ちたくないけど、見つけてほしい。」「描いた将来像と届かない現実」「異なる親の願望と子供の夢」「スゴい私が認められない社会」「家事に参画してると自負する夫と全く感じない妻」など、描いた/思ったイメージと現実や現状に隔たり(差)が大きいほど落胆度は大きく、不甲斐ない自分に腹が立ったり、怒りの矛先を他人に向けたり、世間を憎んだり。すべて「期待」という煩悩のせい。

期待とは「将来、それが実現するとアテにして予期すること。心待ちにすること」とのこと。願い/願望の一種で誰もが経験済だけど、期待として描いたイメージと現実には「差・溝・間」的なズレがあって、その「隔たり」は自然に埋まることは稀で、多くは何かしらの行動や意識の変化で埋めようとするも、埋まればいいけど、埋まらない場合、悶々とする心身をどう納得させればいいのか?

よく「比較はやめなさい。」と言うけど、比べることは悪くなく、その差(≒状況)をどう捉えるか?で良くも悪くもなる。そんな質問や相談されたら「そんなコトを考える時間(暇)があるなら、目の前の現実に全集中してください!」と一蹴するけど、心理学者の妻と2時間、学術面と実践面から「隔たりをどう捉えれば、納得すればいいか?」について意見交換。
捉えどころのない喋った内容を言語化するって内省にいい訓練。

0 件のコメント:

コメントを投稿