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2022年2月17日木曜日

力より量。


思考力とか発想力と言うのは、拡張機能やアプリのように実装したりインストールすれば備わるものではなくて、「思考しやすくなる/発想しやすくなる脳ミソ」に鍛えるようなイメージ。だから「力」は結果であり、鍛えるためには「量」というイメージがあり、思考量とか発想量が求められ、仕事中はもちろん、移動中や就寝前(に考えるのが至福の時)など、常に巡らせているかどうかが鍵になる。

「考える=妄想」でシュミレーションと言えばカッコよく聞こえる。でも、大抵は考えは途絶えるし忘れる(例:電車の中で妄想しても降りる駅につけば止まるし、昨日妄想したコトは断片的にしか思い出せない)。だから何度でも“つづき”のようだったり“まっさら”のように考える。映画で例えるなら「オール・ユー・ニード・イズ・キル」みたいに、死んでは経験値を積んではまた死んで経験値を得るみたいな感じ(違うかな)

思考する、発想する対象やモノゴトは、平面ではなく多面的なので、面のそれぞれは世の中との“接合面”と考えるとおのずと思考や発想の切り口は異なり、各面から放射線状に広がるイメージだけど、どこかで【交わる】ことがある。その点が対象物の共通点だったりする。思考量や発想量が必要なのは、その交わる頻度や数、質などに精度や確度を求めたいから。思考量や発想量とアイデアの量・質は比例するは本当。

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