帰省と言われても東京だし、お盆と言われても特別なしつらえもなかった我が家。
「はだしのゲン」を読み(ズルッ!という擬態語が忘れられない)、「沖縄(ひめゆりの塔)」や「広島(平和記念公園など)」、「スミソニアン博物館(松山も原爆の投下地として検討されていた)」などに行ったり、「キャタピラー」や「この世界の片隅に」「火垂るの墓」などを観たり、広島や長崎の友人から伝わる話を来たりして「戦争のイメージ」を想像する。たった75年前のできごと。
「外に出ればコロナに感染するかも、家にいても熱中症になるかも、一歩も出れない老人はどうしたらいいんだ?」「お前もコロナには気をつけなさい」と、相変わらず元気な東京弁の父、80歳。終戦やお盆だからといって医療従事者の方々は休めない状況を想像する。気がつけばオリンピック時期も過ぎていた。「今年の夏は後世で必ず取り上げられる夏だね・・・」と話す。
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