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2020年8月12日水曜日

悩みの淵に立つ。

京都の「哲学の道」にあやかって勝手に名付けた「哲学の道(松山版)」。50mほどの舗装された小道で奥は時代劇の撮影などでも使えそうな松や木々が生い茂る「未舗装」の土道。この「哲学の道」を歩きながら、あーでもない、こーでもないと考えるのが好き。特に「悩みの淵に立つ(モヤモヤ)」があると、この道を通ると何かが整理される気分になるから不思議。たぶん、ここからの見晴らしの良さとか朝(5時)という気分による所多し。

考えると頭の中がゴチャゴチャになる。それが中途半端に色々と知っていると余計に絡まるし、忖度も発生して更にややこしくなる(涙)。絡まった糸をほぐすために広げると、今度は広がり過ぎて隅まで意識が届かない(涙)。そして、どこから手をつけたらいいか?わからない(涙)。とりあえず、ほぐれそうな所から着手する。すると、思いがけない所で解けたりして突破口が開けたりするから不思議(コレ本当)

悩みの淵に立ったことがある人しか分からない心境。要は「自分との対話」で「自分に問う」は大事。例え、予め分かっていた答と同じになったとしても答までの「過程(道筋)を知ってるか否か」は重要。考えるって大変(転がっている情報などを「答」と称するのはやめよう!)だけど大切。考える(哲学の道を歩く)際は時々、友人(クモ!)が巣を張っているので気をつける。

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