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2019年6月1日土曜日

観光摩訶不思議

大昔に「竿だけ屋はなぜつぶれないのか?」という本を読んで「竿だけ屋という商売は存在せず、他の業務の延長や"ついで"としての業種だから」だった気がしてる。計9年間、愛媛県や松山市で観光行政に携わり、時々感じていたのが「観光屋と銘打った商売はなぜ存在しないのか?」ということ。その時に自分で出した答は「観光そのものは目的であって形あるものじゃない」と。*違ってたらゴメンなさい。

でも、観光旅館、観光菓子、観光道などそれなりに「観光」と名をつけたモノコトはあって、ハテ?となる。でもよくよく考えてみると、旅館も菓子も道も「観光の延長や途中のモノコト」であって、それ自体は「観光ではない」こと。だから観光というのは、名称はあるものの、実態はなく一人一人の「気分転換などで出かけた旅先での体験などに基づく気持ち」かもねと。

ちょっとミステリアスで摩訶不思議。観光と言えば誰もが想像できるものの、一人一人が想像するものは異なる。だけど共有することができる。観光自体に実態はないのに商売へ結びつけることができて、成果は観光へ相乗効果となる。訪れたりや食べたりしたコト(体験、経験)を結果として観光と表現するよねと。ならば、名所名跡が観光の代名詞だった古き良き時代からどこでも観光に繋がるよねと。

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