「しても、しなくても誰も気づかないかも(≒無意味なことかも)」と漏らした友人。何年続けても手ごたえがなく、業務は忙しくなるばかり、40代の多くが陥る罠かも。身も蓋もない表現をすれば「その通り」で、私たちがいなくても地域は明日も存在するし、誰も困らないかもしれない。昨日は過去でアッサリ忘れ去られてしまう。だけどさ・・・。
「周りからの評価や理解も期待したいけど、私はしたんだ!と自分に言い聞かせて納得するのもいいんじゃない?」と取り繕う(汗)。考えたこと、行動したことは紛れもない事実で疑う余地ナシ。相談相手はこんなポンコツですが、当人が献身的に奮闘しているコトは重々承知です。心のSOSなのか、改善策を持っているわけでもないけど、話すことで気が軽くなってくれたらと思ったり。
私は存在しているのだろうか?など思い始めると、余計なことまで考えてしまいがち。でも、そう考えている自分は存在していて、ココにいる。手ごたえを外に求めるのではなく、内(自分)に求めると自分との対話が始まり、悩む自身を実感したり。「我思う、ゆえに我があり(デカルト)」だろうか?(違うか)。最近、哲学入門の本を読み始め影響を受けてる実感あり。
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