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2020年3月16日月曜日

血や空気のようで

資源を持っていても循環させなければ宝の持ち腐れというのが身にしみてわかる。例えばスゴイお宝を展示しても、人が訪れないと収入には結びつかなく、展示用の照明や空調、警備にお金がかかるから、賄おうと入場料を値上げする。すると人は「値上げ」に反応して訪れようと思う意識が遠のく、展示も予想以下の来場者で終了。売店の売上も減。結果、次の展示は未定、教養を得る機会を失う。

展示周辺にも人が来ないから、集客を当て込んだ飲食店なども軒並み売上減。飲食店に商品を納品する量や種類、回数も減になるから卸会社も売上減。訪れる交通手段となる電車やバスも利用者減。駅やホーム周辺の売店でも売上減。出かける機会が減るから天気や気温に合わせた洋服や靴、バッグ、傘などの購入も減。閉塞感漂う日本を脱出だ!と海外を目論んでも日本からの入国禁止・・・。

形や手触りのない経済は空気や血の巡りと同じとハッキリわかり、常に流れ循環してこそ健全なんだけど、遮断されて巡りが止まり淀んでしまうと、こうも変わってしまうものかと。この際「(あの頃に)元通り」にはならないわけだから、「変える・変わる」しかないと思ったり。

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