例えば、専門家でなくても適当に経験を経れば「それなり」の経験値を積むことはでき、更に適当(この場合の適当は「意識・意欲なく、信念なく」という意味)にこなせば「常識っぽい適当」があたかも正論に聞こえるから不思議。最初こそ話は合うものの、話は深くならず本質にたどり着かない。いわゆる「総論はOKだけど各論NG」ということ、現場を知らないと起こる「現場をしってる勘違いアルアル」。
やっかいなのは、適当な情報量と経験値があるものの、その双方の質が低く、ペラペラなのが多いこと(涙)。「量は質を凌駕する!」とは言うものの、ペラペラだから量を重ねても良質に変化しにくい・・・。自ら考えない継ぎ接ぎの情報ではモノゴトの本質にはたどり着かない。仮に自分のやる気がでない業務でなくても相手あっての商売や仕事、話し合っても難しい場合は、辞めていただいた過去アリ。
机上の空論だけで判断し、現場を知らない人は信じ難い。「現場経験あります!」と返されるけど一度や二度という話じゃないから(涙)。良い質は情報だけでは得られず、体験だけでも得られない。情報と体験から「その本質はどこにあるのか?」を自分で考えるべき。そもそも「入手した情報や常識が真実である証拠は何か?」も問うべき。今日も現場へハイパースペース!
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