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2018年4月2日月曜日

行動は投資かと。

国立社会保障・人口問題研究所の発表から推測すると、2045年の愛媛は今とは異なる経済と暮らしで、40代となった我が子世代(我々は70代)らが社会の中核を担っていると考えると、今は当然なことが27年後には「当然ではない」ことも多いはず。すると(来るべき未来に備えて今、投資するべきでは?)と、可能性の塊に付き合うが、親が子にできることは意外と少ない。

朝食にマクドナルド、昼食はガストへ付き合うことも、友達との待ち合わせに2時間付き合うことも、信じられないほど長い行列に並ぶことも、無駄使いに目をつぶることだって、27年後は愛しい時間と思うはず(笑)。大人は「モノゴトを合理的に」考え、無駄や無意味を排除するけど、私もこうして育ってきたのだと、「子供は親の鏡」というけど、その通り。

とはいえ、親は可能性の入口までしか連れていけない、入口より先は当人しか歩めない。親が開けて入ってしまうと双方に予期せぬ事態を招く恐れアリ。「行く先を照らし過ぎるな」とは誰かの言葉。では、その先の子は親に何ができるか?考えると一つは「見せること」かなと。老いた父と母に久しぶりに会い、75歳を過ぎても親は子供の応援団としみじみ思ったり。

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