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2017年4月3日月曜日

プレ四季録。

明日から愛媛新聞で毎週火曜日に掲載される「四季録」の校正が終わった。書いて思ったのは「肩書き」という不思議な呼称についてだ。肩書きとは「社会的地位や身分を表す職業や役職など」とのことだが、今のご時世、身分や職業を複数持つ人も多く、「肩書き」に頼る信頼性や存在感は、従来よりも浅く、単に表面的な紹介ではと感じた。

私は「フィルム・コミッショナー」「いよココロザシ大学学長」「えひめリソースセンター理事長」と3つの肩書きを持っているが、どれも正解だが3つの肩書きを「まとめて一つ」にすることができない。
3つの肩書きに共通する「社会的地位や職業」は「プロデューサー」かもしれないが、なんだか急にフワッとして掴み所のない印象になる。

となると、肩書は「求める相手が望む社会的地位や職業」であり、自らが(こうだ!)と縛る必要がないと気づく。肩書きを特に気にする人は「自身が(表面的な)社会的地位にしがみついている」と読み取れ、表面を入り口に例えるなら、その奥にある、その人の経験や経験が創出してきた価値を感じるべきであり、そこに信頼性や存在感が生まれると思う。と、四季録では文末の調子などが学長日記と違うことを知る。春だ!左の桜は満開、右はこれから、そして青い空。

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