私は「フィルム・コミッショナー」「いよココロザシ大学学長」「えひめリソースセンター理事長」と3つの肩書きを持っているが、どれも正解だが3つの肩書きを「まとめて一つ」にすることができない。
3つの肩書きに共通する「社会的地位や職業」は「プロデューサー」かもしれないが、なんだか急にフワッとして掴み所のない印象になる。
3つの肩書きに共通する「社会的地位や職業」は「プロデューサー」かもしれないが、なんだか急にフワッとして掴み所のない印象になる。
となると、肩書は「求める相手が望む社会的地位や職業」であり、自らが(こうだ!)と縛る必要がないと気づく。肩書きを特に気にする人は「自身が(表面的な)社会的地位にしがみついている」と読み取れ、表面を入り口に例えるなら、その奥にある、その人の経験や経験が創出してきた価値を感じるべきであり、そこに信頼性や存在感が生まれると思う。と、四季録では文末の調子などが学長日記と違うことを知る。春だ!左の桜は満開、右はこれから、そして青い空。
0 件のコメント:
コメントを投稿