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2024年11月30日土曜日

助長は嫌。


「市民」と一言で称しても色々と属性?があるようで・・・。

・志民→世の中をより良くしようと志を掲げる市民。
・支民→誰かの何かを支えようと応援する市民。
・私民→何事も自分中心から物事を考える市民。
・死民→意欲も生気もなく“死んでる目”をしてる市民。
*辞書や教科書には載ってない、誰かが作った造語です。

過激と言うか誤解を生みそうというか、反響と言うかハレーションが起きる表現だけど、これらの言葉が生まれてしまった背景には、間違った言葉や意味、表現への“都合のよい解釈”などがあるんだろうな・・・と振り返る。

「以前の私は“死民”でした。」と発言した人がいて、さらに別々の複数人も吐露したのを聞いて当人を見ても、“現在の表情”からはそうは見えず「マズローの欲求段階説」を思い出す。
なんだか怪しい宗教っぽさを感じる光景を想像させるけど、笑いアリの和やかな意見交換会。

個人的には肯定も否定もしないけど、「じゃあ、あなたは何の市民?」と尋ねられたら「志民」と答える。だって、いよ“ココロザシ”大学だから。愛媛を素敵にしたい志ありますから!

だけど、志民、支民、私民、死民など、どんな状況であろうが、結局は本人次第という考えに行き着いてるのでお節介も介入もしない。

流れる景色を見ながら「愛媛ってやっぱりいいよね。」と何気なく言うと、「そんな明け透けにハッキリ言う人、いないですよ。」は生まれも育ちも愛媛人。

人口が少なくなる地方でも分断とか格差とか差別が助長されるのは嫌だなと。

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